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こどもと本ジョイントネット21・山口


〜すべての子どもに本との出会いを〜

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第40回やまぐち朗読Cafe 〜朗読と蓄音器ジャズの夕べ〜A第2部 自由朗読 [2022年10月02日(Sun)]
【前回の続き】

第2部 自由朗読


1、原明子さん                 
種田山頭火「白い花」

 私は木花よりも草花を愛する。春の花より秋の花が好きだ。西洋種はあまり好かない。野草を愛する。

 家のまわりや山野渓谷を歩き廻って、見つかりしだい手あたり放題に雑草を摘んで来て、机上の壺に投げ入れて、それをしみじみ観賞するのである。
 このごろの季節では、蓼、りんどう、コスモス、芒、石蕗つわぶき、等々何でもよい、何でもよさを持っている。
 草は壺に投げ入れたままで、そのままで何ともいえないポーズを表現する。なまじ手を入れると、入れれば入れるほど悪くなる。
 抛入花はほんとうの抛げ入れでなければならない。そこに流派の見方や個人の一手が加えられると、それは抛入でなくて抛挿だ。
 摘んで帰ってその草を壺に抛げ入れる。それだけでも草のいのちは歪められる。私はしばしばやはり「野におけ」の嘆息を洩らすのである。

 人間の悩みは尽きない。私は堪えきれない場合にはよく酒を呷ったものである(今でもそういう悪癖がないとはいいきれないが)。酒はごまかす丈で救う力を持っていない。ごまかすことは安易だけれど、さらにまたごまかさなければならなくなる。そういう場合には諸君よ、山に登りましょう、林に分け入りましょう、野を歩きましょう、水のながれにそうて、私たちの身心がやすまるまで逍遥しましょうよ。

 どうにもこうにも自分が自分を持てあますことがある。そのとき、露草の一茎がどんなに私をいたわってくれることか。私はソロモンの栄華と野の花のよそおいを対比して考察したりなんかしない。ソロモンの栄華は人間文化の一段階として、それはそれでよいではないか。野の花のよそおいは野の花のよそおいとして鑑賞せよ。
 一茎草を拈ねんじて丈六の仏に化することもわるくないが、私は草の葉の一葉で足りる。足りるところに、私の愚が穏坐している。

 死は誘惑する。生の仮面は脱ぎ捨てたくなるし、また脱ぎ捨てなければならないが、本当に生き抜くことのむずかしさよ。私は走り出て、そこらの芒の穂に触れる。……

 若うして或は赤い花にあこがれ、或は「青い花」を求めあるいた。赤い花はしぼんでくずれた。青い花は見つからなかった。そして灰色の野原がつづいた。
 けさ、萩にかくれて咲き残っている花茗荷をふと見つけた。人間の残忍な爪はその唯一をむしりとったのである。
 葉や株のむくつけきに似もやらず、なんとその花の清楚なことよ、気高いかおりがあたりにただようて、私はしんとする。
 見よ、むこうには茶の花が咲き続いているではないか。そうだったか――白い花だったか!
萩ちればコスモス咲いてそして茶の花も
   (「愚を守る」初版本)



『山頭火句集』(ちくま文庫)
(村上護/編 小崎侃/絵 筑摩書房 1996.12)
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2、Uさん
まど・みちお『幼年遅日抄U』
谷川俊太郎編『まど・みちお詩集』(岩波文庫)より)


「幼年遅日抄」は『文藝台湾』1巻5号(台湾文芸家協会 1940)に掲載されました。
まどさんが5歳の時の1915(大正4)年、母が彼の兄と妹を連れて父のいた台湾に移住し、1919(大正8)年、9歳で台湾へ渡るまでの4年間、祖父との2人の生活を送りました(祖母は1916年に死亡)。それを回想したのが「幼年遅日抄」です。

『まど・みちお詩集』(岩波文庫)(谷川俊太郎/編 岩波書店 2017.6)
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『山羊的信』
谷川俊太郎編『まど・みちお詩集』を中国語に翻訳したもの。
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3、山口智子
坂口安吾「復員」

 四郎は南の島から復員した。帰つてみると、三年も昔に戦死したことになつてゐるのである。彼は片手と片足がなかつた。
 家族が彼をとりまいて珍しがつたのも一日だけで翌日からは厄介者にすぎなかつた。知人も一度は珍しがるが二度目からはうるさがつてしまふ。言ひ交した娘があつた。母に尋ねると厄介者が女話とはといふ顔であつた。すでに嫁入して子供もあるのだ。気持の動揺も鎮つてのち、例によつて一度は珍しがつてくれるだらうと訪ねてみることにした。
 女は彼を見ると間の悪い顔をした。折から子供が泣きだしたのでオムツをかへてやりながら「よく生きてゐたわね」と言つた。彼はこんな変な気持で赤ン坊を眺めたことはない。お前が生きて帰らなくとも人間はかうして生れてくるぜと言つてゐるやうに見える。けれども女の間の悪さうな顔で、彼は始めてほのあたゝかいものを受けとめたやうな気がして、満足して帰つてきた。


「復員」は、1946年11月4日付朝日新聞大阪版及び名古屋版第四面の「けし粒小説」の欄に掲載された後、長く存在が知られていませんでしたが、2018年初頭、研究者により発掘され、雑誌『新潮』2018年4月号(2018.4.7)、単行本『「文豪とアルケミスト」文学全集第二期』(2018.10)、文庫本『不良少年とキリスト』(2019.5)に収録されました。

『新潮』2018年4月号(第115巻第4号)(新潮社 2018.4.7(2018.3.7発売))
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『「文豪とアルケミスト」文学全集第二期』(神楽坂ブック倶楽部/編 新潮社 2018.10)
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『不良少年とキリスト』(新潮社 2019.5)
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4、S・Mさん
中原中也「別離 T」

さよなら、さよなら!
  いろいろお世話になりました
  いろいろお世話になりましたねえ
  いろいろお世話になりました

さよなら、さよなら!
  こんなに良いお天気の日に
  お別れしてゆくのかと思ふとほんとに辛い
  こんなに良いお天気の日に

さよなら、さよなら!
  僕、午睡(ひるね)の夢から覚めてみると
  みなさん家を空(あ)けておいでだつた
  あの時を妙に思ひ出します

さよなら、さよなら!
  そして明日(あした)の今頃は
  長の年月見馴れてる
  故郷の土をば見てゐるのです

さよなら、さよなら!
  あなたはそんなにパラソルを振る
  僕にはあんまり眩(まぶ)しいのです
  あなたはそんなにパラソルを振る

さよなら、さよなら!
さよなら、さよなら!




5、M・Tさん
Jacques Prévert(ジャック・プレヴェール)「Les Feuilles Mortes(枯葉)」(原詞と日本語訳)



6、F・Kさん
谷川俊太郎「死んだ男の残したものは」



7、N・Mさん
森絵都「文体は奪えない」
『BOOKMARK』20号「緊急特集 2022 Books and Wars 戦争を考える」 より)


『BOOKMARK』は、金原瑞人さん発行の無料の海外文学紹介小冊子で、いつもは海外の翻訳作品を紹介していますが、今回の20号は、ひこ・田中さんが『ぼくがラーメンたべてるとき』(長谷川義史/作・絵 教育画劇)を紹介したり、特別に日本のものや絵本など、ジャンルや国を問わずに取り上げています。

森絵都さんは、『日本大空襲 本土制空基地隊員の日記』(原田良次/著 筑摩書房 2019.7)を紹介しています。昭和19年11月1日初めての東京大空襲から敗戦までを一人の整備士が綴った日記です。森さんは、

『これは何だ?』と瞠目した。記録の域を超えて文章が美しいのである。(略)彼らにとって不都合な言葉を奪ってゆくかもしれない。しかし、文体は奪えない。文体とは、即ち、生きる姿勢である。

と綴っています。

『日本大空襲 本土制空基地隊員の日記』(ちくま学芸文庫)
(原田良次/著 筑摩書房 2019.7)
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『BOOKMARK』20号「緊急特集 2022 Books and Wars 戦争を考える」
(金原瑞人・三辺律子/編 2022.6)
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8、K・Kさん
田中貢太郎「這ってくる紐」

 某(ある)禅寺に壮(わか)い美男の僧があって附近の女と関係しているうちに、僧は己(じぶん)の非行を悟るとともに大(おおい)に後悔して、田舎へ往って修行をすることにした。関係していた女はそれを聞いてひどく悲しんだが、いよいよ別れる日になると、禅宗の僧侶の衣の腰に着ける一本の紐を縫って持って来て、「これを、私の形見に、いつまでもつけてください」
 と云ってそれを僧の腰へ巻いて往った。僧はそこで出発して目指す田舎の寺へ往ったが、途中で某(ある)一軒の宿屋へ泊った。そして、寝る時になって、衣を脱いで帯といっしょに衝立へ掛けて寝たが、暫く眠って何かの拍子に眼を醒してみると、有明の洋灯(ランプ)が微暗く点っていて室の中はしんとしていた。その時何か物の気配がしたのでふと見た。今まで衝立に掛っていた紐がぼたりと落ちたが、それがそのまま蛇のように、よろよろと這って寝床の中へ入って来た。僧はびっくりしたが紐はやはり紐でべつに蛇にもなっていなかった。しかし、不思議は不思議であるから、翌日になって鋏を借りてその紐を断ってみた。紐の中には女の髪の毛をつめてあった。これは明治三十七八年比(ごろ)、田島金次郎翁が叡山に往っている時、某(ある)尼僧に聞いた話である。



『文豪ノ怪談 ジュニア・セレクション第一期第四巻「呪 小泉八雲・三島由紀夫ほか」』
(岡本綺堂・三遊亭圓朝・久生十蘭・小泉八雲・田中貢太郎・柳田国男・小松左京・三島由紀夫・吉屋信子・郡虎彦/著 東雅夫/編 羽尻利門/絵 汐文社 2017.3)
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9、T・Hさん
樋口一葉「わかれ道」

(略)
 お京は家に入るより洋燈(らんぷ)に火を點(うつ)して、火鉢を掻きおこし、吉ちやんやお焙(あた)りよと聲をかけるに己れは厭やだと言つて柱際に立つて居るを、夫れでもお前寒からうでは無いか風を引くといけないと氣を附ければ、引いても宜いやね、構はずに置いてお呉れと下を向いて居るに、お前は何うかおしか、何だか可笑しな樣子だね私の言ふ事が何か疳にでも障つたの、夫れなら其やうに言つて呉れたが宜い、默つて其樣な顏をして居られると氣に成つて仕方が無いと言へば、氣になんぞ懸けなくても能いよ、己れも傘屋の吉三だ女のお世話には成らないと言つて、寄かゝりし柱に脊を擦りながら、あゝ詰らない面白くない、己れは本當(ほんと)に何と言ふのだらう、いろ/\の人が鳥渡好い顏を見せて直樣つまらない事に成つて仕舞ふのだ、傘屋の先(せん)のお老婆(ばあ)さんも能い人で有つたし、紺屋(こうや)のお絹さんといふ縮れつ毛の人も可愛がつて呉れたのだけれど、お老婆さんは中風で死ぬし、お絹さんはお嫁に行くを厭やがつて裏の井戸へ飛込んで仕舞つた、お前は不人情で己れを捨てゝ行し、最う何も彼もつまらない、何だ傘屋の油ひきなんぞ、百人前の仕事をしたからとつて褒美の一つも出やうでは無し朝から晩まで一寸法師の言れつゞけで、夫れだからと言つて一生立つても此背が延びやうかい、待てば甘露といふけれど己れなんぞは一日一日厭やな事ばかり降つて來やがる、一昨日半次の奴と大喧嘩をやつて、お京さんばかりは人の妾に出るやうな腸の腐つたのでは無いと威張つたに、五日とたゝずに兜(かぶと)をぬがなければ成らないのであらう、そんな嘘つ吐きの、ごまかしの、欲の深いお前さんを姉さん同樣に思つて居たが口惜しい、最うお京さんお前には逢はないよ、何うしてもお前には逢はないよ、長々御世話さま此處からお禮を申ます、人をつけ、最う誰れの事も當てにする物か、左樣なら、と言つて立あがり沓ぬきの草履下駄足に引かくるを、あれ吉ちやん夫れはお前勘違ひだ、何も私が此處を離れるとてお前を見捨てる事はしない、私は本當に兄弟とばかり思ふのだもの其樣な愛想づかしは酷からう、と後から羽がひじめに抱き止めて、氣の早い子だねとお京の諭(さと)せば、そんならお妾に行くを廢めにしなさるかと振かへられて、誰れも願ふて行く處では無いけれど、私は何うしても斯うと決心して居るのだから夫れは折角だけれど聞かれないよと言ふに、吉は涕の目に見つめて、お京さん後生だから此肩(こゝ)の手を放してお呉んなさい。
  (明治二十九年一月「國民之友」)



『日本近代短篇小説選 明治篇1 』(岩波文庫)(岩波書店 2012.12)
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10、M・Aさん
沢村貞子「遊ぶって、なに?」
『寄り添って老後』より)

『寄り添って老後』(新潮社 1992.3)
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11、N・Aさん
中原中也「玩具の賦」「秋の夜に、湯に浸り」「四行詩」

玩具の賦
  昇平に

どうともなれだ
俺には何がどうでも構はない
どうせスキだらけぢやないか
スキの方を減[へら]さうなんてチヤンチヤラ可笑[をか]しい
俺はスキの方なぞ減らさうとは思はぬ
スキでない所をいつそ放りつぱなしにしてゐる
それで何がわるからう

俺にはおもちやが要るんだ
おもちやで遊ばなくちやならないんだ
利得と幸福とは大体は混(まざ)る
だが究極では混(まざ)りはしない
俺は混(まざ)らないとこばつかり感じてゐなけあならなくなつてるんだ
月給が増(ふ)えるからといつておもちやが投げ出したくはないんだ
俺にはおもちやがよく分つてるんだ
おもちやのつまらないとこも
おもちやがつまらなくもそれを弄[もてあそ]べることはつまらなくはないことも
俺にはおもちやが投げ出せないんだ
こつそり弄べもしないんだ
つまり余技ではないんだ
おれはおもちやで遊ぶぞ
おまへは月給で遊び給へだ
おもちやで俺が遊んでゐる時
あのおもちやは俺の月給の何分の一の値段だなぞと云ふはよいが
それでおれがおもちやで遊ぶことの値段まで決まつたつもりでゐるのは
滑稽[こつけい]だぞ
俺はおもちやで遊ぶぞ
一生懸命おもちやで遊ぶぞ
贅沢[ぜいたく]なぞとは云ひめさるなよ
おれ程おまへもおもちやが見えたら
おまへもおもちやで遊ぶに決つてゐるのだから
文句なぞを云ふなよ
それどころか
おまへはおもちやを知つてないから
おもちやでないことも分りはしない
おもちやでないことをただそらんじて
それで月給の種なんぞにしてやがるんだ
それゆゑもしも此の俺がおもちやも買へなくなつた時には
写字器械奴(め)!
云はずと知れたこと乍[なが]ら
らおまへが月給を取ることが贅沢だと云つてやるぞ
行つたり来たりしか出来ないくせに
行つても行つてもまだ行かうおもちや遊びに
何とか云へるがものはないぞ
おもちやが面白くもないくせに
おもちやを商ふことしか出来ないくせに
おもちやを面白い心があるから成立つてゐるくせに
おもちやで遊んでゐらあとは何事だ
おもちやで遊べることだけが美徳であるぞ
おもちやで遊べたら遊んでみてくれ
おまへに遊べる筈はないのだ

おまへにはおもちやがどんなに見えるか
おもちやとしか見えないだらう
俺にはあのおもちやこのおもちやと、おもちやおもちやで面白いんぞ
おれはおもちや以外のことは考へてみたこともないぞ
おれはおもちやが面白かつたんだ
しかしそれかと云つておまへにはおもちや以外の何か面白いことといふのがあるのか
ありさうな顔はしとらんぞ
あると思ふのはそれや間違ひだ
北叟笑(にやあツ)とするのと面白いのとは違ふんぞ

ではおもちやを面白くしてくれなんぞと云ふんだろう
面白くなれあ儲かるんだといふんでな
では、ああ、それでは
やつぱり面白くはならない写字器械奴(め)!
――こんどは此のおもちやの此処ンところをかう改良(なほ)して来い!
トツトといつて云つたやうにして来い!
  (一九三四・二)



  秋の夜に、湯に浸り
 
秋の夜に、独りで湯に這入ることは、
淋しいじやないか。

秋の夜に、人と湯に這入ることも亦、
淋しいじやないか。

話の駒が合つたりすれば、
その時は楽しくもあろう

然しそれといふも、何か大事なことを
わきへ置いといてのことのやうには思われないか?

――秋の夜に湯に這入るには……
独りですべきか、人とすべきか?

所詮は何も、
決ることではあるまいぞ。

さればいつそ、潜つて死にやれ!
それとも汝、熱中事を持て!



  四行詩

おまへはもう静かな部屋に帰るがよい。 
煥発する都会の夜々の燈火を後に     
おまへはもう、郊外の道を辿るがよい。     
そして心の呟きを、ゆつくりと聴くがよい。



オカリナの演奏までありました。



12、中原豊さん
アマンダ・マクブルーム「The Rose」(原詞と日本語訳)


アマンダ・マクブルーム作詞・作曲の「The Rose」は、アメリカ映画『ローズ』(原題:The Rose)の主題歌で、ジャニス・ジョプリンをモデルとするヒロインを演じたベット・ミドラーが歌っています。

『ローズ オリジナル・サウンドトラック』
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