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こどもと本ジョイントネット21・山口


〜すべての子どもに本との出会いを〜

子どもと本をむすぶ活動をしています


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第36回やまぐち朗読Cafe 〜朗読と蓄音器ジャズの夕べ〜 A 第2部 自由朗読 [2022年06月08日(Wed)]
前回の続き

かわいい第2部 自由朗読かわいい

1、FKさん
吉野弘「I was born」


2、KTさん
「いっしょに暮らそう」
『らしく生きよと猫は言う』(ジェイミー・シェルマン/絵 マイケルオマラ出版社/文 角田光代/訳 東京書店 2020.5)より

らしく生きよと猫はいう.jpg


3、THさん
寺田寅彦「団栗」

(略)池の小島の東屋に、三十ぐらいのめがねをかけた品のいい細君が、海軍服の男の子と小さい女の子を遊ばせている。海軍服は小石を拾っては氷の上をすべらせて快い音を立てている。ベンチの上にはしわくちゃの半紙が広げられて、その上にカステラの大きな切れがのっている。「あんな女の子がほしいわねえ」と妻がいつにない事を言う。
 出口のほうへと崖の下をあるく。なんの見るものもない。後ろで妻が「おや、どんぐりが」と不意に大きな声をして、道わきの落ち葉の中へはいって行く。なるほど、落ち葉に交じって無数のどんぐりが、凍(い)てた崖下(がけした)の土にころがっている。妻はそこへしゃがんで熱心に拾いはじめる。見るまに左の手のひらにいっぱいになる。余も一つ二つ拾って向こうの便所の屋根へ投げると、カラカラところがって向こう側へ落ちる。妻は帯の間からハンケチを取り出して膝の上へ広げ、熱心に拾い集める。「もう大概にしないか、ばかだな」と言ってみたが、なかなかやめそうもないから便所へはいる。出て見るとまだ拾っている。「いったいそんなに拾って、どうしようと言うのだ」と聞くと、おもしろそうに笑いながら、「だって拾うのがおもしろいじゃありませんか」と言う。ハンケチにいっぱい拾って包んでだいじそうに縛っているから、もうよすかと思うと、今度は「あなたのハンケチも貸してちょうだい」と言う。とうとう余のハンケチにも何合なんごうかのどんぐりを満たして「もうよしてよ、帰りましょう」とどこまでもいい気な事をいう。
 どんぐりを拾って喜んだ妻も今はない。お墓の土には苔(こけ)の花がなんべんか咲いた。山にはどんぐりも落ちれば、鵯(ひよどり)の鳴く音に落ち葉が降る。ことしの二月、あけて六つになる忘れ形身のみつ坊をつれて、この植物園へ遊びに来て、昔ながらのどんぐりを拾わせた。こんな些細(ささい)な事にまで、遺伝というようなものがあるものだか、みつ坊は非常におもしろがった。五つ六つ拾うごとに、息をはずませて余のそばへ飛んで来て、余の帽子の中へひろげたハンケチへ投げ込む。だんだん得物の増して行くのをのぞき込んで、頬(ほお)を赤くしてうれしそうな溶けそうな顔をする。争われぬ母の面影がこの無邪気な顔のどこかのすみからチラリとのぞいて、うすれかかった昔の記憶を呼び返す。「おとうさん、大きなどんぐり、こいも/\/\/\/\みんな大きなどんぐり」と小さい泥(どろ)だらけの指先で帽子の中に累々としたどんぐりの頭を一つ一つ突っつく。「大きいどんぐり、ちいちゃいどんぐり、みいんな利口などんぐりちゃん」と出たらめの唱歌のようなものを歌って飛び飛びしながらまた拾い始める。余はその罪のない横顔をじっと見入って、亡妻のあらゆる短所と長所、どんぐりのすきな事も折り鶴(づる)のじょうずな事も、なんにも遺伝してさしつかえはないが、始めと終わりの悲惨であった母の運命だけは、この子に繰り返させたくないものだと、しみじみそう思ったのである。


明治三十八(1905)年四月の『ホトトギス』第一百號(第八卷巻七號)に発表されました。


4、KKさん
小泉八雲「おしどり」

小泉八雲「おしどり」(Oshidori)は、日本の各地に伝わるオシドリの伝説を原型として書かれた小泉八雲の短編小説で、短編集『怪談』に収録されています。原題を『KWAIDAN:Stories and Studies of Strange Things』(1904)といいます。
もちろん日本語で朗読されましたが、原文は英文なので、原文を載せておきます。

 There was a falconer and hunter, named Sonjō, who lived in the district called Tamura-no-Gō, of the province of Mutsu. One day he went out hunting, and could not find any game. But on his way home, at a place called Akanuma, he perceived a pair of oshidori (mandarin-ducks), swimming together in a river that he was about to cross. To kill oshidori is not good; but Sonjō happened to be very hungry, and he shot at the pair. His arrow pierced the male: the female escaped into the rushes of the further shore, and disappeared. Sonjō took the dead bird home, and cooked it.
That night he dreamed a dreary dream. It seemed to him that a beautiful woman came into his room, and stood by his pillow, and began to weep. So bitterly did she weep that Sonjō felt as if his heart were being torn out while he listened. And the woman cried to him: “Why,−oh! why did you kill him?−of what wrong was he guilty?… At Akanuma we were so happy together,−and you killed him!… What harm did he ever do you? Do you even know what you have done?−oh! do you know what a cruel, what a wicked thing you have done?… Me too you have killed,−for I will not live without my husband!… Only to tell you this I came.”… Then again she wept aloud,−so bitterly that the voice of her crying pierced into the marrow of the listener’s bones;−and she sobbed out the words of this poem:−

Hi kururéba
Sasoëshi mono wo−
Akanuma no
Makomo no kuré no
Hitori-né zo uki!

[“At the coming of twilight I invited him to return with me−! Now to sleep alone in the shadow of the rushes of Akanuma−ah! what misery unspeakable!”]
And after having uttered these verses she exclaimed:−”Ah, you do not know−you cannot know what you have done! But to-morrow, when you go to Akanuma, you will see,−you will see…” So saying, and weeping very piteously, she went away.
When Sonjō awoke in the morning, this dream remained so vivid in his mind that he was greatly troubled. He remembered the words:−”But to-morrow, when you go to Akanuma, you will see,−you will see.” And he resolved to go there at once, that he might learn whether his dream was anything more than a dream.
So he went to Akanuma; and there, when he came to the river-bank, he saw the female oshidori swimming alone. In the same moment the bird perceived Sonjō; but, instead of trying to escape, she swam straight towards him, looking at him the while in a strange fixed way. Then, with her beak, she suddenly tore open her own body, and died before the hunter’s eyes…

Sonjō shaved his head, and became a priest.



5、SRさん
小池真理子「止まった時間と懐かしい声」 
朝日新聞土曜別刷り「be」連載(2020年〜2021年6月)「月夜の森の梟」42(2021.4.17)より

SRさんは、新聞の切り抜きを朗読されましたが、『月夜の森の梟』は、2021年11月に朝日新聞出版で書籍化されました。
小池真理子さんの2020年1月に死去した夫であり作家の藤田宜永さんをしのび、喪失感と哀しみに向き合ったエッセー、52編です。

月夜の森の梟.jpg

朗読された「止まった時間と懐かしい声」は、

 若いころから、墓と廃屋を見るのが好きだった。国内外問わず、観光名所を巡ることより、その国の、その街の墓地を一周すれば満足した。人が住まなくなって放置されたままの家を見つければ、必ず足を止める。

で始まる魅力的なお話です。


6、NMさん
「毒蛾大発生事件と「毒蛾」 門前弘多教授と賢治の接点」
『同窓生が語る宮澤賢治 〜盛岡高等農林学校と宮澤賢治 ―120年のタイムスリップ〜』(若尾紀夫/編 岩手大学農学部北水会 2021.7)より

同窓生が語る宮澤賢治―盛岡高等農林学校と宮澤賢治120年のタイムスリップ.jpg

宮沢賢治の「毒蛾」の抜粋を載せておきます。


  毒蛾
    宮沢賢治

 私は今日のひるすぎ、イーハトブ地方への出張から帰ったばかりです。私は文部局の巡回視学官ですから、どうしても始終出張ばかりしてゐます。私が行くと、どこの学校でも、先生も生徒も、大へん緊張します。
 さて、今度のイーハトブの旅行中で、私は大へんめづらしいものを見ました。新聞にも盛んに出てゐましたが、あの毒蛾(どくが)です、あれが実にひどくあの地方に発生したのです。
 殊に烈(はげ)しかったのは、イーハトブの首都のマリオです。私が折鞄(をりかばん)を下げて、マリオの停車場に下りたのは、丁度いまごろ、灯がやっとついた所でしたが、ホテルへ着いて見ると、この暑いのに、窓がすっかり閉めてあるのです。(略)
 なるほど、毒蛾のことがわかって町をあるくと、さっき停車場からホテルへ来る途中、いろいろ変に見えたけしきも、すっかりもっともと思はれたのです。第一、人道にたくさんたき火のあとのあること、第二繃帯をしたり白いきれで顔を擦(こす)ったりして歩く人の多いこと、第三並木のやなぎに石油ラムプがぶらさがってゐることなどです。私は一軒の床屋に入りました。(略)
 さて、私の頭はずんずん奇麗になり、気分も大へん直りました。これなら、今夜よく寝(や)すんで、あしたはマリオ農学校、マリオ工学校、マリオ商学校、三つだけ視みて歩いても大丈夫だと思って、気もちよく青い植木鉢(うゑきばち)や、アーティストの白い指の動くのや、チャキチャキ鳴る鋏(はさみ)の銀の影をながめて居りました。
 すると俄にはかに私の隣りの人が、
「あ、いけない、いけない、たうとうやられた。」とひどく高い声で叫んだのです。(略)
親方のアーティストは、大急ぎで、フラスコの中の水を綿にしめしてその眼の下をこすりました。
「何だいこの薬は。」紳士が叫びました。
「アムモニア二%液」と親方が落ち着いて答へました。
「アムモニアは利かないって、今朝の新聞にあったぢゃないか。」紳士は椅子(いす)から立ちあがって親方に詰め寄りました。この紳士は桃色のシャツでした。
「どの新聞でご覧です。」親方は一層落ちついて答へました。
「イーハトブ日日新聞だ。」
「それは間違ひです。アムモニアの効くことは県の衛生課長も声明してゐます。」(略)
 その時親方が、
「さあもう一分だぞ。電気のあるうちに大事なところは済ましちまへ。それからアセチレンの仕度はいゝか。」(略)
 そこでその子供の助手が、アセチレン燈を四つ運び出して、鏡の前にならべ、水を入れて火をつけました。烈(はげ)しく鳴って、アセチレンは燃えはじめたのです。その時です。あちこちの工場の笛は一斉に鳴り、子供らは叫び、教会やお寺の鐘まで鳴り出して、それから電燈がすっと消えたのです。電燈のかはりのアセチレンで、あたりがすっかり青く変りました。
 それから私は、鏡に映ってゐる海の中のやうな、青い室(へや)の黒く透明なガラス戸の向ふで、赤い昔の印度インドを偲しのばせるやうな火が燃されてゐるのを見ました。一人のアーティストが、そこでしきりに薪まきを入れてゐたのです。
「ははあ、毒蛾(どくが)を殺す為ためですね。」私はアーティストに斯(か)う言ひました。(略)
 外へ出て見て、私は、全くもう一度、変な気がして、胸の躍るのをやめることができませんでした。さうでせう、マリオの市のやうな大きな西洋造りの並んだ通りに、電気が一つもなくて、並木のやなぎには、黄いろの大きなラムプがつるされ、みちにはまっ赤な火がならび、そのけむりはやさしい深い夜の空にのぼって、カシオピイアもぐらぐらゆすれ、琴座も朧(おぼろ)にまたゝいたのです。どうしてもこれは遙(はる)かの南国の夏の夜の景色のやうに思はれたのです。(略)
 そのうちに、私は向ふの方から、高い鋭い、そして少し変な力のある声が、私の方にやって来るのを聞きました。だんだん近くなりますと、それは頑丈(ぐわんぢやう)さうな変に小さな腰の曲ったおぢいさんで、一枚の板きれの上に四本の鯨油蝋燭(げいゆらふそく)をともしたのを両手に捧げてしきりに斯かう叫んで来るのでした。
「家の中の燈火(あかり)を消せい。電燈を消してもほかのあかりを点(つ)けちゃなんにもならん。家の中のあかりを消せい。」(略)
 次の朝、私はホテルの広場で、マリオ日日新聞を読みました。三面なんかまるで毒蛾(どくが)の記事で一杯です。
(略)また一面にはマリオ高等農学校の、ブンゼンといふ博士の、毒蛾に関する論文が載ってゐました。
 それによると、毒蛾の鱗粉(りんぷん)は顕微鏡で見ると、まるで槍(やり)の穂のやうに鋭いといふこと、その毒性は或(ある)いは有機酸のためと云ふが、それ丈(だ)けとも思はれないといふこと、予防法としては鱗粉がついたら、まづ強く擦(こす)って拭(ふ)き取るのが一等だといふやうなことがわかるのでした。
 さて私はその日は予定の視察をすまして、夕方すぐに十里ばかり南の方のハームキヤといふ町へ行きました。こゝには有名なコワック大学校があるのです。(略)
けれども奇体なことは、此(こ)の町に繃帯(はうたい)をしてゐる人も、きれで顔を押へてゐる人も、又実際に顔や手が赤くはれてゐる人も一人も見あたらないことでした。(略)
次の日朝早くからコワック大学校の視察に行きました。(略)
一つの標本室へ入って行きましたら、三人の教師たちが、一つの顕微鏡を囲んで、しきりにかはるがはるのぞいたり色素をデックグラスに注ついだりしてゐました。(略)
「中軸が管になって、そこに酸があって、その先端が皮膚にささって、折れたとき酸が注ぎ込まれるといふんですか。それなら全く模型的ですがね。」(略)
「メチレンブリューの代りに、青いリトマスを使って見たらどうですか。」(略)
 全く槍のやうな形の、するどい鱗粉が、青色リトマスで一帯に青く染まって、その中に中軸だけが暗赤色に見えたのです。(略)



イーハトブの首都のマリオ」は盛岡市、「マリオ日日新聞」は岩手毎日新聞ないし岩手日報、「マリオ高等農学校」は盛岡高等農林学校、「ブンゼンといふ博士」は門前弘多教授、「ハームキヤの町」は花巻の町、「コワック大学校」は花巻農学校で、毒蛾の大発生は大正11年7月に盛岡地方で実際に起きたことなのだそうです。

この「コワック大学校」は、花巻農学校の前身 稗貫農学校の前身が郡立養蚕講習所だったので、「クワッコ(桑ッコ)大学」と呼ばれていたことからとられたようです。


7.MTさん
萩原朔太郎「五月の貴公子」

若草の上をあるいてゐるとき、
わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく、
   ヽヽヽヽ
ほそいすてつきの銀が草でみがかれ、 (「すてつき」に傍点)
まるめてぬいだ手ぶくろが宙でおどつて居る、
ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして、
わたしは柔和の羊になりたい、
しつとりとした貴女(あなた)のくびに手をかけて、
あたらしいあやめおしろいのにほひをかいで居たい、
若くさの上をあるいてゐるとき、
わたしは五月の貴公子である。


月に吠える.PNG

「五月の貴公子」は詩集『月に吠える』に所収されています。カバーの「夜の花」(田中恭吉)が印象的なこの本は、大正6年、感情詩社・白日社出版部より発行され、田中恭吉の木版口絵・挿画で、恩地孝四郎の装丁・挿画です。
初版本を国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907268)で見ることができます。


8、YT
泉鏡花「二、三羽――十二、三羽」

(略)……庭に柿の老樹が一株。遣(やり)放(ばな)しに手入れをしないから、根まわり雑草の生えた飛石(とびいし)の上を、ちょこちょことよりは、ふよふよと雀が一羽、羽を拡げながら歩行(ある)いていた。家内がつかつかと跣(はだ)足(し)で下りた。いけずな女で、確(たしか)に小雀を認めたらしい。チチチチ、チュ、チュッ、すぐに掌(てのひら)の中に入った。「引掴(ひッつか)んじゃ不可(いけな)い、そっとそっと。」これが鶯(うぐいす)か、かなりやだと、伝統的にも世間体にも、それ鳥(とり)籠(かご)をと、内(うち)にはないから買いに出る処(ところ)だけれど、対手(あいて)が、のりを舐(な)める代(しろ)もので、お安く扱われつけているのだから、台所の目(め)笊(ざる)でその南の縁(えん)へ先ず伏せた。――ところで、生捉(いけど)って籠に入れると、一時(いととき)と経(た)たないうちに、すぐに薩摩(さつま)芋(いも)を突(つッ)ついたり、柿を吸ったりする、目白鳥(めじろ)のように早く人馴れをするのではない。雀の児(こ)は容易(たや)く餌(え)につかぬと、祖母にも聞いて知っていたから、このまだ草にふらついて、飛べもしない、ひよわなものを、飢えさしてはならない。――きっと親雀が来て餌(え)を飼(か)おう。それには、縁(えん)では可恐(こわ)がるだろう。……で、もとの飛石の上へ伏せ直した。
 母鳥(ははどり)は直ぐに来て飛びついた。もう先刻(さっき)から庭樹(にわき)の間を、けたたましく鳴きながら、あっちへ飛び、こっちへ飛び、飛騒(とびさわ)いでいたのであるから。
 障子(しょうじ)を開けたままで覗(のぞ)いているのに、仔(こ)の可愛さには、邪険な人間に対する恐怖も忘れて、目笊の周囲を二、三尺、はらはらくるくると廻って飛ぶ。ツツと笊(ざる)の目へ嘴(はし)を入れたり、颯(さっ)と引いて横に飛んだり、飛びながら上へ舞(まい)立(た)ったり。そのたびに、笊の中の仔雀のあこがれようと言ったらない。あの声がキイと聞えるばかり鳴き縋(すが)って、引(ひっ)切(き)れそうに胸毛を震わす。利かぬ羽を渦(うず)にして抱きつこうとするのは、おっかさんが、嘴(はし)を笊の目に、その……ツツと入れては、ツイと引く時である。
 見ると、小さな餌(え)を、虫らしい餌を、親は嘴(くちばし)に銜(くわ)えているのである。笊の中には、乳離(ちばな)れをせぬ嬰児(あかんぼ)だ。火のつくように泣(なき)立(た)てるのは道理である。ところで笊の目を潜(くぐ)らして、口から口へ哺(くく)めるのは――人間の方でもその計略だったのだから――いとも容易(やさし)い。
 だのに、餌を見せながら鳴き叫ばせつつ身を退(ひ)いて飛廻(とびまわ)るのは、あまり利口でない人間にも的確に解せられた。「あかちゃんや、あかちゃんや、うまうまをあげましょう、其処(そこ)を出ておいで。」と言うのである。他(ひと)の手に封じられた、仔はどうして、自分で笊が抜けられよう? 親はどうして、自分で笊を開けられよう? その思(おもい)はどうだろう。
 私たちは、しみじみ、いとしく可愛くなったのである。
 石も、折箱(おりばこ)の蓋(ふた)も撥(はね)飛(と)ばして、笊を開けた。「御免よ。」「御免なさいよ。」と、雀の方より、こっちが顔を見合わせて、悄気(しょ)げつつ座敷へ引(ひっ)込(こ)んだ。
 少々極(きまり)が悪くって、しばらく、背戸(せど)へ顔を出さなかった。
(略)


9.WKさん
自作「鯉のぼりとキャッチボールと親父」


10、中原豊さん
「立っていること」
「あらかじめ働きかけることをやめよ」
「入れかわる鍵で」

『パウル・ツェラン詩文集』(パウル・ツェラン/著 飯吉光夫/編・訳 白水社 2012.2)より

パウル・ツェラン散文集.jpg 
IMG_E4672.JPG

ツェラン(1920〜1970)は、旧ルーマニア領で現在はウクライナ共和国のチェルニウツィー(ドイツ語:チェルノヴィッツ)の生まれです。
チェルニウツィーについて、調べてみましたが、やはりそう単純ではありませんでした。

1775年 ハプスブルク君主国が領有
1918年 オーストリア=ハンガリー帝国の解体により、ルーマニア王国に譲渡
1940年 ソ連によって占領され、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国に編入
1941年 ナチス・ドイツとルーマニア王国が占領
1944年 ウクライナ・ソビエト社会主義共和国に組み込まれる
1991年 ウクライナの独立によりチェルニウツィー州の州都となる

少し調べただけで、上記のように変遷していました。

ツェランは、ユダヤ人の両親のもとに生まれ、ドイツ語を母語として育ちます。第二次世界大戦が勃発し、ドイツ・ルーマニア連合軍によりチェルノヴィツが占領されると、両親がナチスの強制収容所に連行され、父は病死(または射殺)、母は射殺されます。ツェランも、ルーマニアの強制労働収容所で肉体労働に従事させられます。戦後チェルノヴィツに帰還し、ブカレストに移住し、1948年パリに亡命し、自死するまでパリで暮します。


11、原明子さん
萩原朔太郎「旅上」

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。


IMG_E4673.JPG

「旅上」は、朔太郎の第4詩集『純情小曲集』(新潮社 1925(大正14).8)の《愛憐詩篇》に収められています。
「旅上」の初出は、『朱欒』(ざんぼあ)第三卷第五號(1913(大正2)年5月号)です。

ブックカバーは、中原中也記念館の「装幀ワークショップ【初級編 ブックカバーを作ろう】」で原さんが作られたもの。

IMG_E4674.JPG IMG_E4676.JPG

その時、講師を務めさせていただきました。
https://blog.canpan.info/jointnet21/archive/638

朔太郎には「旅上」という詩がもう一篇あります。

 旅上
  萩原朔太郎

けぶれる空に麥ながれ、
麥ながれ、
うれひをのせて汽車は行く。
たづきも知らに、
わが喰むむぎの蒼さより、
あはれはるばる、
み空をながれ汽車は行く。
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