其中庵さくらツアーC其中庵(2) @ 山口市小郡文化資料館 企画展「山頭火と小郡農学校」
[2022年04月08日(Fri)]
【前回の続き】
其中庵の建物は、もともと国森樹明(信一)の親戚筋の神保氏の所有でした。

『其中日記』の書き出しに
ついで神保夫妻来庵、子供を連れて(此家此地の持主)。
――矢足の矢は八が真 大タブ樹 大垂松 松月庵跡――
(『其中日記』(一)[昭和七年]九月廿一日)とあります。
当時の典型的な農家の間取りをしています。

其中庵の中に入ってみましょう
手前の引戸から入ると土間があり、右手に竈があります。

左手側に低い上り框の付いた三畳間と板間、四畳半と三畳の和室になっています。

框の付いた三畳間には、訪問客用に壁書が貼ってあります。

四畳半の間。
鴨居には『其中一人』と書かれた額が掛けられています。

荻原井泉水の書だったようです。
『其中日記』に
井師筆の額を凝視して
雪あかりの「其中一人」があるいてゐるやうな
(『其中日記』(八)[昭和十年]二月七日)
井師筆額字を凝視しつつ
「其中一人」があるくよな春がやつてきた(改作)
(『其中日記』(八)[昭和十年]二月二十日)
とあります。
黒墨の法衣・網代笠(あじろかさ)・頭陀袋(ずだぶくろ)。

押し入れを利用した仏壇。

机と火鉢。

『其中日記』[昭和十二年]三月八日に
机を南縁から北窓へうつす、これも気分転換の一法である。
とあるように、机の位置は隣の三畳間に置いたこともあったようです。
床の間。

掛け軸は
空へ若竹のなやみなし
です。
三畳間の竹格子。
午後になると竹林の木洩れ日が…
射してきたようですが(見取図による)、今は竹林はなくなり、オゴオリザクラが植えられています。

家全体一般的な農家のつくりですが、違っているのは、山頭火の要望で、家の中に便所があります。三畳間のもとは押し入れだったところを改装したようです。
(写真を撮り忘れました!)
便所が改築される(というのは、独身者は老衰の場合を予想しておかなければならないから)
私は山を愛する。高山名山には親しめないが、名もない山、見すぼらしい山を楽しむ。
ここは水に乏しいけれど、すこしのぼれば、雑草の中からしみじみと湧き出る泉がある。
私は雑木が好きだ。この頃の櫨(はぜ)の葉のうつくしさはどうだ。夜ふけて、そこはかとなく散る木の葉の音、をりをり思ひだしたやうに落ちる木の実の音、それに聴き入るとき、私は御仏の声を感じる
雨のふる日はよい。しぐれする夜のなごやかさは物臭な私に粥を煮させる。
風もわるくない。もう凩らしい風が吹いてゐる。寝覚の一人をめぐつて、風はどこから来てどこへ行くのか。さみしいといへば人間そのものがさみしいのだ。さみしがらせよとうたつた詩人もあるではないか。私はさみしさがなくなることを求めない。むしろ、さみしいからこそ生きてゐる、生きてゐられるのである。
ふるさとはからたちの実となつてゐる
そのからたちの実に、私は私を観る。そして私の生活を考へる。
雨ふるふるさとはなつかしい。はだしであるいてゐると、蹠(あしうら)の感触が少年の夢をよびかへす。そこに白髪の感傷家がさまよふてゐるとは、――
あめふるふるさとははだしであるく
最後に私は、川棚で出来た句『花いばら、ここの土とならうよ』の花いばらを茶の花におきかへなければならなくなつたことを書き添へよう。そして、もう一句、最も新らしい一句を書き添へなければなるまい。
住みなれて茶の花のひらいては散る
(『三八九』復活第四集(1932(昭和7).12.15)「「鉢の子」から「其中庵」まで」より抜粋)
【次回に続く】
其中庵の建物は、もともと国森樹明(信一)の親戚筋の神保氏の所有でした。
『其中日記』の書き出しに
ついで神保夫妻来庵、子供を連れて(此家此地の持主)。
――矢足の矢は八が真 大タブ樹 大垂松 松月庵跡――
(『其中日記』(一)[昭和七年]九月廿一日)とあります。
当時の典型的な農家の間取りをしています。
其中庵の中に入ってみましょう

手前の引戸から入ると土間があり、右手に竈があります。
左手側に低い上り框の付いた三畳間と板間、四畳半と三畳の和室になっています。
框の付いた三畳間には、訪問客用に壁書が貼ってあります。
四畳半の間。
鴨居には『其中一人』と書かれた額が掛けられています。
荻原井泉水の書だったようです。
『其中日記』に
井師筆の額を凝視して
雪あかりの「其中一人」があるいてゐるやうな
(『其中日記』(八)[昭和十年]二月七日)
井師筆額字を凝視しつつ
「其中一人」があるくよな春がやつてきた(改作)
(『其中日記』(八)[昭和十年]二月二十日)
とあります。
黒墨の法衣・網代笠(あじろかさ)・頭陀袋(ずだぶくろ)。
押し入れを利用した仏壇。
机と火鉢。
『其中日記』[昭和十二年]三月八日に
机を南縁から北窓へうつす、これも気分転換の一法である。
とあるように、机の位置は隣の三畳間に置いたこともあったようです。
床の間。
掛け軸は
空へ若竹のなやみなし
です。
三畳間の竹格子。
午後になると竹林の木洩れ日が…
射してきたようですが(見取図による)、今は竹林はなくなり、オゴオリザクラが植えられています。
家全体一般的な農家のつくりですが、違っているのは、山頭火の要望で、家の中に便所があります。三畳間のもとは押し入れだったところを改装したようです。
(写真を撮り忘れました!)
便所が改築される(というのは、独身者は老衰の場合を予想しておかなければならないから)
私は山を愛する。高山名山には親しめないが、名もない山、見すぼらしい山を楽しむ。
ここは水に乏しいけれど、すこしのぼれば、雑草の中からしみじみと湧き出る泉がある。
私は雑木が好きだ。この頃の櫨(はぜ)の葉のうつくしさはどうだ。夜ふけて、そこはかとなく散る木の葉の音、をりをり思ひだしたやうに落ちる木の実の音、それに聴き入るとき、私は御仏の声を感じる
雨のふる日はよい。しぐれする夜のなごやかさは物臭な私に粥を煮させる。
風もわるくない。もう凩らしい風が吹いてゐる。寝覚の一人をめぐつて、風はどこから来てどこへ行くのか。さみしいといへば人間そのものがさみしいのだ。さみしがらせよとうたつた詩人もあるではないか。私はさみしさがなくなることを求めない。むしろ、さみしいからこそ生きてゐる、生きてゐられるのである。
ふるさとはからたちの実となつてゐる
そのからたちの実に、私は私を観る。そして私の生活を考へる。
雨ふるふるさとはなつかしい。はだしであるいてゐると、蹠(あしうら)の感触が少年の夢をよびかへす。そこに白髪の感傷家がさまよふてゐるとは、――
あめふるふるさとははだしであるく
最後に私は、川棚で出来た句『花いばら、ここの土とならうよ』の花いばらを茶の花におきかへなければならなくなつたことを書き添へよう。そして、もう一句、最も新らしい一句を書き添へなければなるまい。
住みなれて茶の花のひらいては散る
(『三八九』復活第四集(1932(昭和7).12.15)「「鉢の子」から「其中庵」まで」より抜粋)
【次回に続く】