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こどもと本ジョイントネット21・山口


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萩城址(8)西門跡・仰コ神社跡・詰丸跡 @ はぎ散歩H [2021年10月19日(Tue)]
前回の続き

本丸北西部に石段があり、指月山の詰丸へ登っていけるようになっています。
IMG_E1404.JPG

入口には「詰丸跡」説明板が元はありましたが、今ありません。
IMG_E1316.JPG

詰丸跡 説明板@ (2).jpg

詰丸跡(国指定史跡萩城跡の一部)
 萩城は、山の名をとって指月城とも呼ばれ、ふもとの平城とあわせ山頂に詰丸を設け、せまいながら本丸・二の丸を置いて陸と海とを監視するため、矢倉数箇所・天水溜二箇所などをもつ望楼であった。
 昭和四十一年度に山口県の補助をうけ、市民の憩いの場として整備され、登山道約七百三十メートル、所要時間二十分で詰丸跡に達します。

指月山(国指定天然記念物)
 今から約三百年前から、お城山と呼ばれていたこの指月山城は、犯しがたいものとして人手を加えられないままに、樹木は成長し現在ではうっそうと木木は茂り、美しい森林となっています。
 シイ・タブノキなどの常緑かつ葉樹が最も多く、落葉樹もまざり、ふもとの海岸には黒松林があって、この附近ではめずらしい原生林であります。

指月山のミカドアゲハ(萩市指定文化財)
 ミカドアゲハは南方産の蝶であって指月山では昭和三十二年にはじめて発見されました。
 現在わが国における本種分布の北限地であります。
 捕らえないように保護しましょう。



詰丸跡に行くその途中に仰徳神社跡があります。
IMG_E1321.JPG

登山口を出発してすぐに平坦な場所に出ます。この付近が仰徳(こうとく)神社跡です。
1762(宝暦12)年、7代藩主重就によって建立され、毛利氏の始祖天穂日命(しそあめのほひのみこと)と元就・隆元・輝元・初代藩主秀就が祀られていました。
1863(文久3)年、宮崎八幡宮に合祀された後、元就の霊は山口の豊栄神社に、その他は東京の毛利邸に移され、土地神だけが残りました。その後、1908(明治41)年、志都岐山神社本殿の東側に移されました。現在、「重建大祖神廟記」碑と「奉寄進」と刻まれた自然石の石碑が残っています。

「奉寄進」石碑
IMG_E1317.JPG

重建大祖神廟記の碑
IMG_E1318.JPG

「重建大祖神廟記の碑」説明板。
重建大祖神廟記の碑 (2).jpg

 この石碑は、明和7(1770)年、第7代萩藩主毛利重就によって建てられ、萩城鎮護の社として毛利氏の崇敬を受けていた仰徳神社の由来を記したものである。仰徳神社は、もと春日神社の境内に祠(ほこら)があったが、火災に遭って100年ばかり祭祀を廃していたものを、宝暦12(1762)年、この石碑の右側の平地に、重就によって社殿が建立され、明和7(1776)年に仰徳大明神の社号を賜った。
 例祭は毎年9月末日と10月1日に執行され、身分の上下を問わず士庶の参詣が許され、社前では連歌や舞楽が奉納されて、多くの人々で賑わっていた。現在、社殿は志都岐山神社の東隣に移されている。



その先に詰丸への道が続いていますが、今日はここまでで引き返すことにしますもうやだ〜(悲しい顔)
IMG_E1320.JPG



西門跡(西高門跡)
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【次回に続く】
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