築山神社
[2021年06月19日(Sat)]
山口市上竪小路にある築山神社は、
2020年4月8日撮影
2020年7月13日撮影
2018年7月15日撮影
築山跡にあり、
▲「史跡大内氏遺跡築山跡」の碑
八坂神社の隣にあります。
▲現地案内板「築山跡平面図」
▲八坂神社
築山跡や八坂神社についての現地説明板はあっても、
残念なことに、現地に築山神社の案内板はありません。
本殿が2017(平成29)年8月22日に「山口市指定文化財 〜 建造物 〜」に指定され、拝殿が2020(令和2)年10月1日に追加指定されました。
築山神社のある築山跡の築山館の往時の居館の位置、規模を示す遺構として、現在はわずかに北西隅の西面および北面にL字型に土塁築地跡が遺っています。
竪小路から築地跡と築山神社を撮影してみました。
2020年4月16日撮影
築山神社は、1605(慶長10)年に毛利輝元が上宇野令村(現山口市)の多賀神社旧地の境内にて大内義隆や諸公卿諸士28人(1551(天文20)年の大内氏滅亡時に殉じた配下)などの霊を祀った「宝現霊社」がはじめと伝えられています。
宝現霊社は、その後、同村龍福寺境内に遷されましたが、
1828(⽂政11)年に片岡に遷りました。1832(天保3)年6月、新築正遷の式を行いました。その当時、伊勢小路を挟んで向かいに多賀社があったことが、「幕末山口市街図」(1865(慶応元)年〜1868(明治元)年頃)(山口ふるさと伝承総合センター 古地図シリーズC )で分かります。
1869(明治2)年、氷上山興隆寺境内から八坂神社そばに移転した東照宮社殿を、1870(明治3)年12月に本殿として、築山神社と改称し、徳川家康、市川少輔七郎等が合祀されました。
主祭神は大内義隆、配祀は大内義尊(よしたか)(大内義隆の嫡子)以下、天文20年の大内氏滅亡時に殉じた諸公卿諸士28人(二条尹房・三条公頼・二条良豊・持明院基規・冷泉隆豊・黒川隆像・岡部隆量・天野隆良・大田隆通・小幡義実・岡屋隆秀・高橋右延・陶隆康・杉興運・貫隆仲・相良武任・松原隆則・官務伊治・岡崎氏久・東儀兼康・園広忠・岡昌歳)、相殿に大内氏代々の霊・徳川家康・市川元教を祀りました。
天花にある雲谷庵には、宝現霊社拝殿の柱が使われています。
雲谷庵は、明治時代の初めに取り壊され跡地は畑になっていましたが、1884(明治17)年に郷土史家の近藤清石が中心となって有志と図り、大内時代の古材を集めて一宇を再建しました
氷上東照宮(興隆寺東照宮)は、藩政期に、毛利氏により、大内氏の氏寺である氷上山興隆寺の境内に勧請されました。
築山神社の本殿、拝殿はともに、興隆寺の境内に東照宮の社殿として建てられたもので、明治初期に移築したものです。
創祀の年代は明らかではありませんが、興隆寺真光院の御霊殿に日光門主天真法親王筆の御神号を安置したのに始まる、と伝えられています。
興隆寺は周防国では唯一の天台宗の寺で、それだけに宗派では力を入れてその護持に努めました。形の上では毛利氏が奉斎しましが、東照宮を勧請した主体は興隆寺であったと、大内氏遺跡指定60周年記念バスツアー2019で伊藤幸司先生や真木隆行先生が話されていました。
社殿は1742(寛保2)年に建立され、宝殿・釣屋・拝殿のほかに、中門・随身門・鳥居・総門・御供所・番所・宝庫などがあり、かなりの規模であったことが古図(バスツアー配付資料)で分かります。
本坊(真光院)のあった跡には、1888(明治21)年、県立山口農学校が建設されました。1890(明治23)年に開校式が行われ、1910(明治43)年に小郡へ移転しました。
「農学校の跡」の碑が建てられています。
古図によると、池があって、橋が架かっていてその向こうに氷上山東照宮がありました。
池の名残はあります。
氷上山東照宮の跡は今はゴルフパター練習場になっています。
築山神社の本殿は総檜造りで桁行(けたゆき)三間、梁間(はりま)二間、入母屋造、拝殿は桁行三間、梁間二間、入母屋造、向拝一間、向唐破風造です。
2020年3月26日撮影
建物の細部意匠等には18世紀中期の特徴が見られ、入母屋造の本殿は県下でも例が少なく、拝殿にはかつて接続していた釣屋の痕跡があり、釣屋の存在を後世に伝えています。
現存する社殿は、素木造りで、参道の入り口には葵紋の付いた石灯籠と鳥居があるそうで(まだ、確認していません)、いずれも社殿とともに移築されたものと考えられるそうです。
2020年7月13日撮影
本殿の千木(ちぎ)が落ちています
賽銭箱には大内菱が描かれています。
2018年7月15日撮影
★「宝現霊社」についてはこちらに記事を書いています。
大内氏館(16)龍福寺V宝現霊社 @ 大内氏遺跡指定60周年記念バスツアー2019㉛
★「八坂神社」についてはこちらに記事を書いています。
八坂神社 @ 山口祇園祭@
参考文献:
『山口市史 各説篇』(山口市編纂委員会/編 山口市 昭和46年)P356「築山神社」
2020年4月8日撮影
2020年7月13日撮影
2018年7月15日撮影
築山跡にあり、
▲「史跡大内氏遺跡築山跡」の碑
八坂神社の隣にあります。
▲現地案内板「築山跡平面図」
▲八坂神社
築山跡や八坂神社についての現地説明板はあっても、
残念なことに、現地に築山神社の案内板はありません。
本殿が2017(平成29)年8月22日に「山口市指定文化財 〜 建造物 〜」に指定され、拝殿が2020(令和2)年10月1日に追加指定されました。
築山神社のある築山跡の築山館の往時の居館の位置、規模を示す遺構として、現在はわずかに北西隅の西面および北面にL字型に土塁築地跡が遺っています。
竪小路から築地跡と築山神社を撮影してみました。
2020年4月16日撮影
築山神社は、1605(慶長10)年に毛利輝元が上宇野令村(現山口市)の多賀神社旧地の境内にて大内義隆や諸公卿諸士28人(1551(天文20)年の大内氏滅亡時に殉じた配下)などの霊を祀った「宝現霊社」がはじめと伝えられています。
宝現霊社は、その後、同村龍福寺境内に遷されましたが、
1828(⽂政11)年に片岡に遷りました。1832(天保3)年6月、新築正遷の式を行いました。その当時、伊勢小路を挟んで向かいに多賀社があったことが、「幕末山口市街図」(1865(慶応元)年〜1868(明治元)年頃)(山口ふるさと伝承総合センター 古地図シリーズC )で分かります。
1869(明治2)年、氷上山興隆寺境内から八坂神社そばに移転した東照宮社殿を、1870(明治3)年12月に本殿として、築山神社と改称し、徳川家康、市川少輔七郎等が合祀されました。
主祭神は大内義隆、配祀は大内義尊(よしたか)(大内義隆の嫡子)以下、天文20年の大内氏滅亡時に殉じた諸公卿諸士28人(二条尹房・三条公頼・二条良豊・持明院基規・冷泉隆豊・黒川隆像・岡部隆量・天野隆良・大田隆通・小幡義実・岡屋隆秀・高橋右延・陶隆康・杉興運・貫隆仲・相良武任・松原隆則・官務伊治・岡崎氏久・東儀兼康・園広忠・岡昌歳)、相殿に大内氏代々の霊・徳川家康・市川元教を祀りました。
天花にある雲谷庵には、宝現霊社拝殿の柱が使われています。
雲谷庵は、明治時代の初めに取り壊され跡地は畑になっていましたが、1884(明治17)年に郷土史家の近藤清石が中心となって有志と図り、大内時代の古材を集めて一宇を再建しました
氷上東照宮(興隆寺東照宮)は、藩政期に、毛利氏により、大内氏の氏寺である氷上山興隆寺の境内に勧請されました。
築山神社の本殿、拝殿はともに、興隆寺の境内に東照宮の社殿として建てられたもので、明治初期に移築したものです。
創祀の年代は明らかではありませんが、興隆寺真光院の御霊殿に日光門主天真法親王筆の御神号を安置したのに始まる、と伝えられています。
興隆寺は周防国では唯一の天台宗の寺で、それだけに宗派では力を入れてその護持に努めました。形の上では毛利氏が奉斎しましが、東照宮を勧請した主体は興隆寺であったと、大内氏遺跡指定60周年記念バスツアー2019で伊藤幸司先生や真木隆行先生が話されていました。
社殿は1742(寛保2)年に建立され、宝殿・釣屋・拝殿のほかに、中門・随身門・鳥居・総門・御供所・番所・宝庫などがあり、かなりの規模であったことが古図(バスツアー配付資料)で分かります。
本坊(真光院)のあった跡には、1888(明治21)年、県立山口農学校が建設されました。1890(明治23)年に開校式が行われ、1910(明治43)年に小郡へ移転しました。
「農学校の跡」の碑が建てられています。
古図によると、池があって、橋が架かっていてその向こうに氷上山東照宮がありました。
池の名残はあります。
氷上山東照宮の跡は今はゴルフパター練習場になっています。
築山神社の本殿は総檜造りで桁行(けたゆき)三間、梁間(はりま)二間、入母屋造、拝殿は桁行三間、梁間二間、入母屋造、向拝一間、向唐破風造です。
2020年3月26日撮影
建物の細部意匠等には18世紀中期の特徴が見られ、入母屋造の本殿は県下でも例が少なく、拝殿にはかつて接続していた釣屋の痕跡があり、釣屋の存在を後世に伝えています。
現存する社殿は、素木造りで、参道の入り口には葵紋の付いた石灯籠と鳥居があるそうで(まだ、確認していません)、いずれも社殿とともに移築されたものと考えられるそうです。
2020年7月13日撮影
本殿の千木(ちぎ)が落ちています
賽銭箱には大内菱が描かれています。
2018年7月15日撮影
★「宝現霊社」についてはこちらに記事を書いています。
大内氏館(16)龍福寺V宝現霊社 @ 大内氏遺跡指定60周年記念バスツアー2019㉛
★「八坂神社」についてはこちらに記事を書いています。
八坂神社 @ 山口祇園祭@
参考文献:
『山口市史 各説篇』(山口市編纂委員会/編 山口市 昭和46年)P356「築山神社」