「常栄寺雪舟庭秋のライトアップ」に行きました
[2020年11月27日(Fri)]
11月20〜22日、常栄寺雪舟庭秋のライトアップがあり、初日の20日(金)に訪れました
平日の夜だからか、余り人も多くなく、静かに鑑賞できました。
常栄寺雪舟庭は、「伝雪舟作庭園」と言われ、雪舟作であることを示す同時代史料はないものの、近世の地誌や伝承などで“雪舟が作庭した”と現代に伝わっています。
常栄寺の地には、もともとは、大内氏の当主・大内政弘の母の菩提寺であった妙喜寺がありましました。
政弘に命じられ、雪舟が妙喜寺の庭園を作庭したと伝えられています。
ここの地にあったお寺の変遷は、こんな感じなのでしょうか。
妙喜寺【政弘の母(妙喜寺殿宗岡妙正大姉)の菩提寺】
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妙寿寺【毛利隆元夫人尾崎局(妙寿寺殿仁英妙寿大姉)の菩提寺】(毛利氏が長州藩に移封の際、安芸(広島)吉田の郡山城内より移る)
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常栄寺【毛利隆元(常栄寺殿花渓常栄大居士)の菩提寺】
常栄寺も3度場所を変えています。
広島県安芸高田市吉田(元就が長男隆元の菩提を弔うために1563(永禄6)年、竺雲彗心(じくうんえしん)を開山として、安芸国吉田の郡山城内に創建)
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山口市水の上町(毛利氏が長州藩に移封の際、慶長年間(1596~1615)に国清寺【大内盛見の菩提寺】を常栄寺とする)
⇓
山口市宮野下(長州藩が萩城から山口政事堂に移転した際に、萩にあった洞春寺【元就の菩提寺】を移転させたため、1863(文久3)年にこの地に移る)
雪舟像。
雪舟像と鐘楼門。
山門と受付と鐘楼門。
聴松軒より。ここが一番の撮影スポットです。
池に映る紅葉が綺麗です。
三日月がきれいでした。
遊歩道を歩いてみました。
本堂へ上がってみました。
本堂から見る雪舟庭。
窓越しの庭園。
南溟庭(なんめいてい)。
本堂に座り瞑想していたら、すっかり体が冷えました。
平日の夜だからか、余り人も多くなく、静かに鑑賞できました。
常栄寺雪舟庭は、「伝雪舟作庭園」と言われ、雪舟作であることを示す同時代史料はないものの、近世の地誌や伝承などで“雪舟が作庭した”と現代に伝わっています。
常栄寺の地には、もともとは、大内氏の当主・大内政弘の母の菩提寺であった妙喜寺がありましました。
政弘に命じられ、雪舟が妙喜寺の庭園を作庭したと伝えられています。
ここの地にあったお寺の変遷は、こんな感じなのでしょうか。
妙喜寺【政弘の母(妙喜寺殿宗岡妙正大姉)の菩提寺】
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妙寿寺【毛利隆元夫人尾崎局(妙寿寺殿仁英妙寿大姉)の菩提寺】(毛利氏が長州藩に移封の際、安芸(広島)吉田の郡山城内より移る)
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常栄寺【毛利隆元(常栄寺殿花渓常栄大居士)の菩提寺】
常栄寺も3度場所を変えています。
広島県安芸高田市吉田(元就が長男隆元の菩提を弔うために1563(永禄6)年、竺雲彗心(じくうんえしん)を開山として、安芸国吉田の郡山城内に創建)
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山口市水の上町(毛利氏が長州藩に移封の際、慶長年間(1596~1615)に国清寺【大内盛見の菩提寺】を常栄寺とする)
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山口市宮野下(長州藩が萩城から山口政事堂に移転した際に、萩にあった洞春寺【元就の菩提寺】を移転させたため、1863(文久3)年にこの地に移る)
雪舟像。
雪舟像と鐘楼門。
山門と受付と鐘楼門。
聴松軒より。ここが一番の撮影スポットです。
池に映る紅葉が綺麗です。
三日月がきれいでした。
遊歩道を歩いてみました。
本堂へ上がってみました。
本堂から見る雪舟庭。
窓越しの庭園。
南溟庭(なんめいてい)。
本堂に座り瞑想していたら、すっかり体が冷えました。