国宝本殿造営・寄進650年記念特別展 住吉神社―護り伝えられた文化財 @ 下関市立美術館A
[2020年07月23日(Thu)]
【前回の続き】
会場は3部構成でした
第1章 大内氏と長門一宮
パネル「第1章 大内氏と長門一宮」
01 大内弘世書下
複製ですが、敵対していた厚東氏の打倒を住吉神社(長門一宮)に祈り、祈願成就のあかつきには社殿を修造すると誓う文書は、弘世の息づかいが伝わるようで感動しました。
大内弘世像(山口市香山公園内)
パネル「西国の雄・大内氏」
パネル「大内氏略系図」
02 大内道階(弘世)願文案
「住吉神社文書」は、住吉神社に伝えられた文書で、1247(宝治1)年の寄進状を最古に、鎌倉時代のもの9点、南北朝時代8点、室町時代66点、安土桃山時代〜江戸時代初め34点、計117点からなります。
「大内政弘奥書写本」「櫟木家旧蔵文書」とともに、「住吉神社文書」として山口県指定文化財に指定されています。
03 大内道階(弘世)奉加状案
05 長門国守護職次第
「長門国守護職次第」は、歴代長門守護のリストで、歴代守護は次の通りです。
(略)
廿五 厚東太郎入道殿(武実) 1334〜1348
廿六 厚東駿河権守武村 1348〜1349
廿七 兵衛佐(ひょうえのすけ)殿直冬 1349〜1351
廿八 厚東長門守武直 1351〜1353
廿九 厚東長門左衛門義武 1354〜1358
卅代 大内介弘世 1358(正平13)〜1374
三十一代 大内左京権大夫殿義弘 1375(永和元)〜1399
三十二 大内新介殿弘茂 1400(応永7)〜1401
三十三 大内六郎御曹司盛見 1401(応永8)〜1431
三十四代 大内刑部少輔殿持世 1430(永享2)〜1431
三十五代 大内新介殿持盛 1432(永享4)〜1432
三十六代 大内刑部少輔殿持世 1432(永享4)〜1441
三十七代 大内介殿教弘 1441(嘉吉元)〜1454
三十八代 大内亀童御曹司(政弘) 1454(享徳3)〜1495
三十九代 大内権大夫殿義興 1495(明応4)〜1528
これをみると足利直冬が長門国守護だった時期があるのですね!
「代官仁科左近大夫将監、守護代柳田太郎左衛門」となっています。
足利直冬の父は尊氏で、尊氏の同母弟 直義の養子となりました。
▲『英雄百首』(国立国会図書館蔵)
左兵衛佐直冬 梓弓 われこそあらめ ひきつれて 人にさへうき 目をぞ見せつる
弘世については展示されていましたが、それ以降の歴代守護の住吉神社関係記事を一部抜粋すると、
【義弘】 御社参永和元(1375)年三月廿一日
【盛見】 応永八年ヨリ御管領、同九(1402)年三月九日社参
【持世】 永享四(1432)年壬子六月九日御社参
永享十二(1440)年庚申四月二日当社上葺御遷宮時、持世御出仕
【政弘】 左京大夫殿教弘御社参 享徳四(1455)年乙亥四月廿二日
同廿四日有御 参宮
亀童御曹司御社参
長禄三(1459)年乙卯二月二十一日
同時教弘殿様同道有
左京大夫殿政弘御社参 文明十(1478)年戊戌十二月六日
【義興】 御社参 明応六(1497)年丁巳正月廿二日 午剋
と社参を欠かさなかったようです。
また、「長門国守護職次第」の系統は、展示してあった住吉神社に伝わる長門一宮本の他、三系統があります。
@長門一宮系本
A長門二宮系本
B山口内藤家系本
C長府上田家系本
このことからも、長門一宮本の展示はとても興味深く、ぜひ、来場され、実物をみていただきたい、と思います。
ただ、全部が開示されていなかったのは、少しばかり残念でした。
参考文献:
『続群書類従』 第4輯ノ上 補任部 巻第九十一「長門国守護職次第」(塙保己一/編)
※国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。
『山口県文書館研究紀要』第1号(1972.3)
「長門守護代の研究」(田村哲夫)
『英雄百首』(緑亭川柳(5世川柳)/編 歌川(橋本)貞秀/画 山口屋藤兵衛 1844(天保15))
※国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開(保護期間満了)されています。
【次回に続く】
会場は3部構成でした
第1章 大内氏と長門一宮
パネル「第1章 大内氏と長門一宮」
01 大内弘世書下
複製ですが、敵対していた厚東氏の打倒を住吉神社(長門一宮)に祈り、祈願成就のあかつきには社殿を修造すると誓う文書は、弘世の息づかいが伝わるようで感動しました。
大内弘世像(山口市香山公園内)
パネル「西国の雄・大内氏」
パネル「大内氏略系図」
02 大内道階(弘世)願文案
「住吉神社文書」は、住吉神社に伝えられた文書で、1247(宝治1)年の寄進状を最古に、鎌倉時代のもの9点、南北朝時代8点、室町時代66点、安土桃山時代〜江戸時代初め34点、計117点からなります。
「大内政弘奥書写本」「櫟木家旧蔵文書」とともに、「住吉神社文書」として山口県指定文化財に指定されています。
03 大内道階(弘世)奉加状案
05 長門国守護職次第
「長門国守護職次第」は、歴代長門守護のリストで、歴代守護は次の通りです。
(略)
廿五 厚東太郎入道殿(武実) 1334〜1348
廿六 厚東駿河権守武村 1348〜1349
廿七 兵衛佐(ひょうえのすけ)殿直冬 1349〜1351
廿八 厚東長門守武直 1351〜1353
廿九 厚東長門左衛門義武 1354〜1358
卅代 大内介弘世 1358(正平13)〜1374
三十一代 大内左京権大夫殿義弘 1375(永和元)〜1399
三十二 大内新介殿弘茂 1400(応永7)〜1401
三十三 大内六郎御曹司盛見 1401(応永8)〜1431
三十四代 大内刑部少輔殿持世 1430(永享2)〜1431
三十五代 大内新介殿持盛 1432(永享4)〜1432
三十六代 大内刑部少輔殿持世 1432(永享4)〜1441
三十七代 大内介殿教弘 1441(嘉吉元)〜1454
三十八代 大内亀童御曹司(政弘) 1454(享徳3)〜1495
三十九代 大内権大夫殿義興 1495(明応4)〜1528
これをみると足利直冬が長門国守護だった時期があるのですね!
「代官仁科左近大夫将監、守護代柳田太郎左衛門」となっています。
足利直冬の父は尊氏で、尊氏の同母弟 直義の養子となりました。
▲『英雄百首』(国立国会図書館蔵)
左兵衛佐直冬 梓弓 われこそあらめ ひきつれて 人にさへうき 目をぞ見せつる
弘世については展示されていましたが、それ以降の歴代守護の住吉神社関係記事を一部抜粋すると、
【義弘】 御社参永和元(1375)年三月廿一日
【盛見】 応永八年ヨリ御管領、同九(1402)年三月九日社参
【持世】 永享四(1432)年壬子六月九日御社参
永享十二(1440)年庚申四月二日当社上葺御遷宮時、持世御出仕
【政弘】 左京大夫殿教弘御社参 享徳四(1455)年乙亥四月廿二日
同廿四日有御 参宮
亀童御曹司御社参
長禄三(1459)年乙卯二月二十一日
同時教弘殿様同道有
左京大夫殿政弘御社参 文明十(1478)年戊戌十二月六日
【義興】 御社参 明応六(1497)年丁巳正月廿二日 午剋
と社参を欠かさなかったようです。
また、「長門国守護職次第」の系統は、展示してあった住吉神社に伝わる長門一宮本の他、三系統があります。
@長門一宮系本
A長門二宮系本
B山口内藤家系本
C長府上田家系本
このことからも、長門一宮本の展示はとても興味深く、ぜひ、来場され、実物をみていただきたい、と思います。
ただ、全部が開示されていなかったのは、少しばかり残念でした。
参考文献:
『続群書類従』 第4輯ノ上 補任部 巻第九十一「長門国守護職次第」(塙保己一/編)
※国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。
『山口県文書館研究紀要』第1号(1972.3)
「長門守護代の研究」(田村哲夫)
『英雄百首』(緑亭川柳(5世川柳)/編 歌川(橋本)貞秀/画 山口屋藤兵衛 1844(天保15))
※国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開(保護期間満了)されています。
【次回に続く】