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こどもと本ジョイントネット21・山口


〜すべての子どもに本との出会いを〜

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金刀比羅神社・水神さま・道真詩碑・黒城碑・若水碑 @ 古熊神社に行きましたC [2020年06月27日(Sat)]
【前回の続き】

社殿を正面に見て右手に行ってみましょう。
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何の祠でしょうか?
人形がたくさん入っていました。
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石碑。
本社前石段並道路改修事業に寄付された方々の名前が彫られていました。
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本社前石段並道路改修事業・・・・・・


道真詩碑
道真公が11歳の春の夕方、父より「月夜に梅花を見る」と題して詩作を命ぜられて初めて作った漢詩の詩碑です。
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  月夜見梅華  
月耀如晴雪 梅花似照星
可憐金鏡轉 庭上玉房香


「道真詩碑」説明板。
※説明板には『菅家文章』となっていますが、『菅家文草』の間違いです。
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『菅家文草』(全12巻)の巻頭を飾っています。
『菅家文草』とは、900(昌泰3)年、道真が醍醐天皇に献上した家集(漢詩文集)で、それまでの自己の作品を集めて時代順に配列してあります。
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『菅家文草』巻第一(国立国会図書館蔵)


古神馬
戦時中青銅製の神馬は供出され、代わりにこの石製の神馬が祀られていましたが、 新しい神馬が祀られたので、ここに置かれています。
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金刀比羅神社
御祭神は大歳神・大山祇神です。交通安全・海上安全の神さまです。
初代山口市長 八木宗十郎氏より懇願され、境内に鎮座されたそうです。
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木の傍に瓦。「梅紋」です。
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神庫
中には山口天神祭にて御祭神がお載りになる御網代車(おあじろぐるま)、備立行列にて使用される御弓や大内十文字槍などが納められています。
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鳥居
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天満宮」という神額がかかっています。
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水神さま
御祭神は罔象女神(みづはのめのかみ)です。水の神さまです。
市内を流れる一の坂川の源流近くにあった祠が、ある時下流の千歳橋(山口市早間田)まで流れ着き、千歳橋の近くで近所の人が長くお祀りしてきましたが、昭和40年代に現在地に遷されました。
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燈籠。
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明和元(1764)年申歳八月
竹部源左衛門景豊
再建立


以前は早間田町内在住の方が毎年7月最初に日曜日に集まり祭事を行っていました。現在も7月にお祭りが行われています。
『山口市の石仏・石塔(2)―大殿・白石・湯田―』(山口の文化を守る会/編 山口市教育委員会 2004)では、「河内様」となっています。
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水神さま手前の手水鉢。
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黒城碑
黒城とは岡村黒城(通称 圭三)のことです。
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『山口市史 各説篇』(山口市史編纂委員会/編 山口市役所 昭和46.3)に以下のようにあります。

岡村黒城(通称 圭三)
弘化三年(一八四六)二月八日近江国堅田浦北川氏の家に生まれ、後に木村家に入った。弱冠にして京都に出て折から滞留中の岡村簣斎に師事した。簣斎その慧悟を愛して養子とした。長州藩に来ては山口明倫館の教授、私塾敬止塾の経営をした。明治五年学制領布の時山口第一小学校長に任じ、後山口黒谷に黒城私塾を開いた。当時家塾中最も盛んであった。ほかに山口師範学校で書道の教授をした。晩年は詩と酒を愛し自適していたが、明治四十三年五月三十一日長崎で没した。行年六十五、墓は古熊天神境内にある。


また、P142に「黒城私塾」について次のようにあります。

明治十年以降になると(略)山口には特にこの家塾が多く存立した。
それらの中には、岡村圭三の黒城私塾、福永淑人の西鄙私塾、(略)の如く、高い教育理念を貫き、多数有為な人材を養成して、名声の高かったものも少なくなかった(略)


黒城私塾 主要学科:修・漢 所在地:今市町 創業年:明治一〇 学年:三 教員数:六 政党数:男九四 女五 設置者・塾主:岡村圭三

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若水碑
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白銀若水翁頌徳碑」と彫られています。
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第二代目山口市長である白銀市太郎の頌徳碑です。
白銀市太郎は、全国初の名誉市長で残した業績には見るべきものが多く、道路・水道・バス関係の他の事業に功績がありました。
『山口市史』(山口市史編集委員会/編 山口市 昭和57.12)のP474に

白銀は (略)多くの行政遺産を残した業績を永く後世に伝えるため、古熊神社境内に頌徳碑が建立された。

とあります。



参考文献:
『菅家文草』(菅原道真/著 野田藤八 1700(元禄13)跋)
  ※国立国会図書館のデジタルコレクションでインターネット公開されています。
『山口市の石仏・石塔(2)―大殿・白石・湯田―』(山口の文化を守る会/編 山口市教育委員会 2004)
  P123「大殿の神」No.3
『山口市史 各説篇』(山口市史編纂委員会/編 山口市役所 昭和46.3)
  P141〜144「家塾」
  P596「岡村黒城」
『山口市史』(山口市史編集委員会/編 山口市 昭和57.12)
  P469〜474「白銀市長の時代」
  P658〜660「家塾」


【次回に続く】
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