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こどもと本ジョイントネット21・山口


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法泉寺跡 @ 大内政弘の墓&法泉寺跡に行きましたD [2020年05月13日(Wed)]
【前回の続き】

次は、来た道を戻り、法泉寺跡を目指しますぴかぴか(新しい)
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林の間からシンパクが見えるので、どこかに行く近道がないか、探しましたが、ありませんでした。
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結局、分岐点まで戻りました。
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     多々良朝臣政弘
 はなれがたきはまじはりの中
折れわびぬはふ木あまたの藤のはな


『新撰菟玖波集』の政弘の歌です。
この時期本当にフジがきれいです。
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五十鈴川の水は清らかです。
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この標識が目印です。
車の場合は、このまま直進すると堰堤下に数台程度の駐車場があります。
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左手にあるこの道を入って行きます。
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登りついたところは、石垣で檀が造ってあります。
「檀」とは 土を小高く盛り、上を平らにした場所です。

近藤清石の『大内氏実録』「巻九 世家第九 政弘」に

法泉寺舊址(きゅうせき)には古栝(かつ、「いぶき」のこと)の大樹一株残りて。仏殿檀。経蔵檀。方丈嶽。風呂谷。山門檀。御廟野等の字あり。

とあり、この辺りは、山門檀というようです。
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さらに上に登ってみました。
すっかり藪になっていますが、やはり「檀」になっています。
この辺りを、「仏殿檀」それとも「経蔵檀」というのでしょうか。
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「山口県の文化財」HPでは、同じサイトであるもかかわらず、法泉寺の創立について異なることが書いてあります。

法泉寺は応永年間(1394〜1427)頃に大内氏が建立した寺で、大内氏滅亡後は廃絶した。このシンパクは、(略)法泉寺の山門の側に植えたものといわれ、現在でもこの地は「山門の壇」と呼ばれている。
(「山口県の文化財」HP「法泉寺のシンパク」より抜粋)

応永年間(1394〜1427)というと、義弘(1356〜1400)または盛見(1377〜1431)が創建したということになります。

 法泉寺という寺号は、大内氏29代政弘(1446〜95)の法号に由来する。すなわち大内氏30代義興(1477〜1529)は父政弘(法泉寺殿直翁正大禅定門)の菩提を弔うために自らが建立した凌雲寺(現在跡地は国指定史跡)の東南瀧の地に七堂伽藍の美をつくした臨剤宗法泉寺を建立した。
 しかし、天文20年(1551)8月28日、陶氏の山口攻め入り、大内氏滅亡によって寺は焼失し、今は山門付近にあったというシンパク(国指定天然記念物)が周辺の石垣とともに住時をしのばせている。

(「山口県の文化財」HP「法泉寺厨子」より抜粋)

と、こちらでは「義興が建立」とあります。


『大内氏実録』には、
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『大内氏実録』「巻九 世家第九 政弘」(近藤清石/著 中元荘作 明18)(国立国会図書館蔵)

秋七月病む。重り。九月十八日の夜卒す。享年五十歳なり。(※1)遺命にして薄葬にせしむ。(※2)十九日。吉敷郡上宇野令瀧の法泉寺に殯(ひん(もがりのこと))す。(※3)廿二日。法泉寺の後山に葬り。(※4)法泉寺(※5)直翁(※6)直正を法名す。従三位を贈らる。(※7)政弘深く和歌に志をよせ。終焉の夕まで猶吟詠せしめば。秀逸ども多かるる。(※8)一重なる人もぞあると世を知れば薄き衾もさゑぬ夜半哉。と云ふ歌ハ。もとも人の賞する所なり。また連歌に技巧にて。宗祇の新撰菟玖波集ハ。政弘のすゝめによりての撰なりと云ふ。(※9)

※1 系図。長禄三年(1459年)氷上山上宮参詣目録に。十四歳とあり。本年五十歳なり。
※2 朝迺雲(『あしたの雲』)
※3 同上。
※4 同上。
※5 系図。古文書。幻松院古位牌。
※6 系図古位牌。
※7 公卿補任。系図。大系図。扶桑拾葉集作者目録。新撰菟玖波集。
※8 朝迺雲。
※9 朝迺雲。


とありますが、ほぼ、「大内政弘の墓」のところに『奉悼法泉寺殿辞(あしたの雲)』を揚げましたが、ほぼその記述通りで、政弘が死去した際には、すでに法泉寺があったことが読み取れます。

法泉寺についての註にさらにこうあります。

法泉寺は開山を圓悟碩溪と云ふ。創建年月知れず応永年中道朴と云ふ僧あり。其名氷上山興隆寺蔵経勧進帳に見えたり。またこれより先に。応永七年二月兵部卿師成親王本寺にて御落飾の叓と南朝編年記略に見えたれば。古刹なるや。(略)御廟野ハ。やや距たれり。古墓あまたありて。其中におもたちたるもの二あり。一を政弘興の墓。一を兵部卿師成親王の御墓と云へり。(略)


法泉寺の寺号は棯小野に伝えられたようです。

法泉寺厨子 (棯小野)
法泉寺は禅宗で、大内政弘の菩提寺として山口にあったが、天文20年(1551年)の陶氏の反乱の時、捻小野龍岩山に避難し、その後毛利輝元によって弘治3年(1557年)にそこで復興された。元和7年(1621年)に浄土真宗に改宗し、現在地に移ったのは宝永2年(1705年)である。 法泉寺には山口県指定の仏を納める厨子と、宇部市指定の「銅造浮彫菩薩形半像」の文化財がある。これらは大内氏の祈願所寿明院にあったもので、厨子は大内文化建築の特色を残しており、銅仏は大内氏の祖の琳聖太子が渡来時に持参したものと伝えられる。

(防長風土注進会「山口県史跡かわらばん」HP『ふるさと小野 史跡案内』(小野地区部落長会/制作 小野郷土史懇話会/編集 宇部市教育委員会/発行 2009(平成21)年3月))

法泉寺は明応年間(1492〜1501)に、大内氏によって山口に建立された禅宗寺院で、大内氏滅亡後は小野に移されました。また大内氏は享禄年間(1528〜32)に棯小野に寿明院観音堂も建立していました。この厨子は観音堂にあったといわれ、寿明院が廃寺後に、大内氏ゆかりということから法泉寺に移されたと考えられます。
(宇部市HP「法泉寺厨子」より引用)

宇部市のHPでは、法泉寺は義興が建てたという説のようです。


義興の凌雲寺といい、政弘の法泉寺といい、寺跡はあるのに詳しいことがわからないとは……。


 あしたの露ハ夕の風に残る事なく(、)宵のいなつ(づ)まは暁の雲にとゝ(ゞ)まるためしなし(。)谷の菊をもてあそひ(び)(、)園の桃を愛せし人も(、)皆むかしか(が)たりにそ(ぞ)成にける(。)常なき世の消息(、)今更おと(ど)ろくもおろかなるに似たり(。)
猪苗代兼載『奉悼法泉寺殿辞』(『大内氏実録土代』巻二十 「近藤清石文庫」 山口県文書館)より)



参考文献:
『大内氏実録』(近藤清石/著 中元荘作 明18)
  ※国立国会図書館のデジタルコレクションでインターネット公開されています。
『奉悼法泉寺殿辞』(『大内氏実録土代』巻二十 「近藤清石文庫」 山口県文書館)
  ※山口年文書館のサイトで(『大内氏実録土代』巻二十の58画面〜)公開されています。

   

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