大内氏館(26)惣門 @ 大内氏遺跡指定60周年記念バスツアー2019㊶
[2020年05月04日(Mon)]
【前回の続き】
『大内氏時代山口古図』(山口県文書館蔵 軸物)を見ていて気になるのが「惣門」です。
竪⼩路の北と南の⼆箇所にあるのです
この門の内側が大内家当主が住む大内氏館を中⼼とした武家地を示すのでしょうか。
一つは木町から一の坂川を超えて竪小路に入る辺り。⽊町橋の南側です
ここは、いかにも、町のはずれを示す門のような気がします。
もう一つは、法界寺の先の竪小路と久保小路との交差点です。
久保=窪だったようです。
こちらは、町方との境界に設け、往来を制限していたのでしょうか。
久保小路
平瀬直樹さんの『大内氏の領国支配と宗教』(塙書房 2017)(第2部 第1章「山口の都市空間」P115〜142)にそのことが少し書いてあります。
どんな門だったのか、想像しています。
参考文献:
『大内氏時代山口古図』(山口県文書館蔵 軸物資料218)
※山口県文書館の高画質画像ダウンロードで公開されています。
【次回に続く】
『大内氏時代山口古図』(山口県文書館蔵 軸物)を見ていて気になるのが「惣門」です。
竪⼩路の北と南の⼆箇所にあるのです
この門の内側が大内家当主が住む大内氏館を中⼼とした武家地を示すのでしょうか。
一つは木町から一の坂川を超えて竪小路に入る辺り。⽊町橋の南側です
ここは、いかにも、町のはずれを示す門のような気がします。
もう一つは、法界寺の先の竪小路と久保小路との交差点です。
久保=窪だったようです。
こちらは、町方との境界に設け、往来を制限していたのでしょうか。
久保小路
平瀬直樹さんの『大内氏の領国支配と宗教』(塙書房 2017)(第2部 第1章「山口の都市空間」P115〜142)にそのことが少し書いてあります。
どんな門だったのか、想像しています。
参考文献:
『大内氏時代山口古図』(山口県文書館蔵 軸物資料218)
※山口県文書館の高画質画像ダウンロードで公開されています。
【次回に続く】