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こどもと本ジョイントネット21・山口


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大内氏館(10)宴 @ 大内氏遺跡指定60周年記念バスツアー2019㉕ [2020年04月14日(Tue)]
【前回の続き】

廃棄土坑の出土品や残留物を調査することにより、どれくらいの規模で、どんな食べ物が食べられていたのかを解明することができ、当時の書類と照合することで、大内氏の宴の様子を知ることが可能となりましたぴかぴか(新しい)

土師器皿が埋まっていた土をふるいにかけ水洗いをすると、食材の骨や貝殻が大量に発見されることがあるそうです。

第30次調査の土坑1から持ち帰った土から多量の食材残渣が見つかりました。
1500枚もの土師器皿の見つかった土坑2のそばです。
土坑1では、土師器もたくさん見つかりましたが、土坑2が在来系だったのに対して、こちらは京都系だったそうです。
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わずか数mmのものを顕微鏡で観察し、その種類や部位を特定する動物考古学の調査も行われています。その結果、最も多かったのはサメやエイ、アワビなどの魚介類だそうです。とりわけ、マダイが多く、頭から尾までの骨も見つかり、尾頭付きで流通していたと考えられています。出土した魚介類の大半は、近隣の海や河川で採集したものようですが、大内氏の献立記録には、カズノコやホッケなど北国の海産物も記されて、大内氏の財力がうかがいしれます。


『明応九年三月五日将軍御成雑掌注文(しょうぐんおなりざっしょうちゅうもん)(毛利博物館蔵)によると、1500(明応9)年3月5日、義興は、室町幕府の前将軍 足利義尹(よしただ)を大内館に招き、式三献の杯事(さかずきごと)の料理・膳数を除き、「初献」〜「三献」14品(初献「五しゅ」を5品とカウント)、「供御」〜「五御台」32品・「御菓子」9種・「四献」〜「廿五献」68品(五献「三ほうせん」を3品とカウント)、計31膳123品の料理でもてなすという中世最大級の宴を催しました。

こちらが接待された室町幕府の前将軍 足利義尹。
十代将軍の義材(よしき)(在位:1490(延徳2)〜1493(明応2))、義稙(よしたね)(在位:1508(永正5)〜1522(大永元))です。
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(九州国立博物館 特別展「室町将軍 ― 戦乱と美の足利十五代 ― 」にて撮影)

こんな贅をつくした宴をして、室町幕府への挑戦ですよね。
 

『元就公山口御下向之節饗応次第(もとなりこうやまぐちごげこうのせつきょうおうしだい)(山口県文書館蔵 毛利家文庫)は、1549(天文18)年2月から5月にかけて、毛利元就が大内氏との親睦関係緊密化のため、次男元春・三男隆景を伴い、義隆を表敬訪問し2か月余りの山口滞在期間中の饗応記録です。奥書に「天文十八年五月十七日 持主粟屋刑部左衛門尉方泰(花押)右筆重顕(花押)」とあります。
そこには、義隆やその家臣たちが開いた約20回の饗宴のうち6回分の献立が記されています。宴の場所や日付・料理・膳の数がわかります。

義隆の催した天文十八年三月朔日大内館での宴では、「式三献」の記述は省かれていますが、「一之膳」〜「之膳」23品・「御菓子」7種・「初献」〜「十献」33品、計14膳63品でした。

その上、一献ごとに、配膳したお膳の種類の添え書きが、下方に記載されています。
膳の上での器の位置を示すために、料理名が前後左右にばらされて記されています。
料理名の横には盛った器などについての添え書きがあり(料理名の下に書いてあるのも、記載のないものもあり)、「小中(こじゅう)」・「大中(おおじゅう)」・「三度入」・「あいの物」・「五度入」などの京都系土師器皿を料理によって使い分けていることが分かります。

三之膳には、「上おきめしたるミ 白鳥」、「獺二大こん入」というのが見えます。ハクチョウやカワウソを食べていたのですね。
実際にカワウソの骨も見つかっています。



参考文献:
『山口市史 資料編 大内文化』(山口市 2010)
 「明応九年三月五日将軍御成雑掌注文」P206〜10
 「元就公山口御下向之節饗応次第」P213〜6
『大内氏館跡13』(山口市埋蔵文化財調査報告第103集)(山口市教育委員会文化財保護課/編 山口市教育員会 2012)巻頭図版14〜15、本文「大内氏の宴を再現する」P207〜34、図版48〜9
『大内氏館跡12』(山口市埋蔵文化財調査報告第102集)(山口市教育委員会文化財保護課/編 山口市教育員会 2011)巻頭図版15〜16、本文「大内氏館跡第34次調査出土の動物依存体」P208〜18、図版73
『室町戦国日本の覇者 大内氏の世界をさぐる』(大内氏歴史文化研究会/編 勉誠出版 2019)
 「大内氏の宴―その器と配膳方法―」P150〜7
 「大内文化を科学する 二発掘されたゴミから食生活をさぐる」P164〜9
『大内氏の宴 (うたげ) 〜出土品にみる中世山口の食文化〜』(山口市教育委員会文化財保護課 2012.3)



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