柳櫻をこきまぜて @ 一の坂川逍遥C
[2019年04月04日(Thu)]
一の坂川逍遥を楽しんでいたらこんなものもありました
「鴻南に寄する歌」碑
鴻南に寄する歌
柳櫻をこきまぜて
春も錦となりくれば
後河原の枝並みに
若き思も寄する哉
平成27年12月12日(土)、山田洋次監督の最新作映画「母と暮せば」が公開されました。
監督の山田洋次さんは山口大学の前身である旧制山口高等学校に1年間在籍されており、今回の映画ではその要素が随所に現れています。
(略)
母親・伸子役を吉永小百合さん、息子の浩二役を嵐の二宮和也さんが演じています。
二宮(和也)さん演じる浩二は、旧制山口高等学校卒業の設定となっており、映画の中では高校時代のエピソードや、学生帽、校旗など、旧制山口高等学校ゆかりの品も数多く登場しています。
必見は二宮さんが旧制山口高等学校の学生寮「鴻南寮」の寮歌「鴻南に寄する歌」を歌うシーン。寮歌指導は山田監督が二宮さんに直接行っており、山田監督の強い思いが感じられます。
(山口大学HPより)
1919(大正8)年に山口高等学校ができ、第一回生が東大に進みました。
「鴻南に寄する歌」は、彼らが第一回東大文甲会で本郷に集まって即席で作詞、作曲したといわれ、1924(大正13)年、それを母校に寄贈した寄贈歌です。
8番までありますが、碑にはその1番が刻まれ、
1989(平成元)年、一の坂川に架かる琴水橋の西側に建てられました。
山口高等学校は鴻ノ峰の南麓に位置したこと(山口市糸米。現在の山口県立山口高等学校の場所)から「鴻南」が代名詞として用いられ、寄宿舎は「鴻南寮」と命名され、同窓会も「鴻南会」です。
その名は今でも受け継がれ、山口大学人文学部の同窓会は「鴻文会」、理学部は「鴻理会」です。
ところで、古今和歌集によく似た歌があります
古今和歌集 巻一 春上 56 の 素性法師 の歌です。
【詞書】花さかりに京を見やりてよめる
そせい法し
みわたせは柳桜をこきませて宮こそ春の錦なりける
見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける
桜の花ざかりに京を眺め渡して詠んだ歌
(はるか都の方を)眺め渡すと、(芽吹いた)柳(の新緑)と、(満開の)桜(の紅色)とを混じり合わせて、ほかならぬこの都こそ春の錦(の織物)だったのだ。
柳桜をこきまぜた風景を一の坂川で探してみました。
桜はもちろんですが、柳もたくさんあって、新緑がとてもきれいでした。
過去に京都で撮った桜柳の写真を探してみましたが、
意識して柳と桜を撮ったことが今までなかったので、一緒に写っている写真はこれ位でした。
もちろん和歌のような遠景ではありません。
円山公園のしだれ桜。
(▲2016年4月5日撮影)
「山口講堂跡」記念碑
2014(平成26)年3月25日(火)、山口大学の淵源にあたる「山口講堂」の跡(山口市中河原)に記念碑が建立されました。
一の坂川に架かる御茶屋橋の袂の元の公設市場(今の一の坂川交通交流広場:2017(平成27)年7月2日オープン)のところです。
山口大学は、1815(文化12)年4月、長州藩士 上田鳳陽によって設立された私塾「山口講堂」を前身とし、創基200周年記念として建てられました。
因みに、山口高等商業学校の同窓会は「鳳陽会」(現山口大学経済学郡の同窓会として継承)といい、寮は「鳳陽寮」(現山口大学の学生寮として継承)といいました。
一の坂川交通交流広場のところのヤマザクラが満開でした。
ヨウコウ(陽光)(葉桜でした!)やギョイコウ(御衣黄)(今からが見頃です)も植えてあります。
「鴻南に寄する歌」碑
鴻南に寄する歌
柳櫻をこきまぜて
春も錦となりくれば
後河原の枝並みに
若き思も寄する哉
平成27年12月12日(土)、山田洋次監督の最新作映画「母と暮せば」が公開されました。
監督の山田洋次さんは山口大学の前身である旧制山口高等学校に1年間在籍されており、今回の映画ではその要素が随所に現れています。
(略)
母親・伸子役を吉永小百合さん、息子の浩二役を嵐の二宮和也さんが演じています。
二宮(和也)さん演じる浩二は、旧制山口高等学校卒業の設定となっており、映画の中では高校時代のエピソードや、学生帽、校旗など、旧制山口高等学校ゆかりの品も数多く登場しています。
必見は二宮さんが旧制山口高等学校の学生寮「鴻南寮」の寮歌「鴻南に寄する歌」を歌うシーン。寮歌指導は山田監督が二宮さんに直接行っており、山田監督の強い思いが感じられます。
(山口大学HPより)
1919(大正8)年に山口高等学校ができ、第一回生が東大に進みました。
「鴻南に寄する歌」は、彼らが第一回東大文甲会で本郷に集まって即席で作詞、作曲したといわれ、1924(大正13)年、それを母校に寄贈した寄贈歌です。
8番までありますが、碑にはその1番が刻まれ、
1989(平成元)年、一の坂川に架かる琴水橋の西側に建てられました。
山口高等学校は鴻ノ峰の南麓に位置したこと(山口市糸米。現在の山口県立山口高等学校の場所)から「鴻南」が代名詞として用いられ、寄宿舎は「鴻南寮」と命名され、同窓会も「鴻南会」です。
その名は今でも受け継がれ、山口大学人文学部の同窓会は「鴻文会」、理学部は「鴻理会」です。
ところで、古今和歌集によく似た歌があります
古今和歌集 巻一 春上 56 の 素性法師 の歌です。
【詞書】花さかりに京を見やりてよめる
そせい法し
みわたせは柳桜をこきませて宮こそ春の錦なりける
見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける
桜の花ざかりに京を眺め渡して詠んだ歌
(はるか都の方を)眺め渡すと、(芽吹いた)柳(の新緑)と、(満開の)桜(の紅色)とを混じり合わせて、ほかならぬこの都こそ春の錦(の織物)だったのだ。
柳桜をこきまぜた風景を一の坂川で探してみました。
桜はもちろんですが、柳もたくさんあって、新緑がとてもきれいでした。
過去に京都で撮った桜柳の写真を探してみましたが、
意識して柳と桜を撮ったことが今までなかったので、一緒に写っている写真はこれ位でした。
もちろん和歌のような遠景ではありません。
円山公園のしだれ桜。
(▲2016年4月5日撮影)
「山口講堂跡」記念碑
2014(平成26)年3月25日(火)、山口大学の淵源にあたる「山口講堂」の跡(山口市中河原)に記念碑が建立されました。
一の坂川に架かる御茶屋橋の袂の元の公設市場(今の一の坂川交通交流広場:2017(平成27)年7月2日オープン)のところです。
山口大学は、1815(文化12)年4月、長州藩士 上田鳳陽によって設立された私塾「山口講堂」を前身とし、創基200周年記念として建てられました。
因みに、山口高等商業学校の同窓会は「鳳陽会」(現山口大学経済学郡の同窓会として継承)といい、寮は「鳳陽寮」(現山口大学の学生寮として継承)といいました。
一の坂川交通交流広場のところのヤマザクラが満開でした。
ヨウコウ(陽光)(葉桜でした!)やギョイコウ(御衣黄)(今からが見頃です)も植えてあります。