「大岡昇平と中原中也」を観に行きましたC @ 中原中也記念館
[2018年08月24日(Fri)]
【前回の続き】
大岡は、「ケンカ大岡」と呼ばれるほど文壇有数の論争家であったことで有名で、井上靖、海音寺潮五郎、松本清張、江藤淳、森鴎外等々相手がどんな大家であっても、言葉に対して妥協しませんでした。
中原中也の評価について、篠田一士と論争したことが1Fにパネル展示してあります。
中原中也についての間違った認識を正そうとして「「なかはらなかや」は止めて貰いたい」(「群像」1958年9月号初出)、「篠田一士氏に抗議する――「傍役の詩人中原中也」をよんで――」(「文学界」1959年5月号初出)などの文章を書きました。
2Fに興味深い書簡が展示してありました。
大岡が所蔵していた中也記念館館長の中原豊氏が大学院生のときに送った論文に添えられた手紙と中原館長の所蔵の大岡からの返信です。
館長の手紙の日付が1984〈昭和59〉年7月13日、大岡の返信の消印が15日です。
大岡は、届くとすぐに、100数枚の論文に目を通して、その返事を書き、投函したことになります。
この時、既に余り大岡は目がよくなかったといいます。
相手が若い大学院生であっても、真摯に向き合う大岡の姿が見えてきます。
【続きはまた…】
▼今回の展示とは関係ないですが、中原中也記念館のアプローチにある詩碑です。
大岡は、「ケンカ大岡」と呼ばれるほど文壇有数の論争家であったことで有名で、井上靖、海音寺潮五郎、松本清張、江藤淳、森鴎外等々相手がどんな大家であっても、言葉に対して妥協しませんでした。
中原中也の評価について、篠田一士と論争したことが1Fにパネル展示してあります。
中原中也についての間違った認識を正そうとして「「なかはらなかや」は止めて貰いたい」(「群像」1958年9月号初出)、「篠田一士氏に抗議する――「傍役の詩人中原中也」をよんで――」(「文学界」1959年5月号初出)などの文章を書きました。
2Fに興味深い書簡が展示してありました。
大岡が所蔵していた中也記念館館長の中原豊氏が大学院生のときに送った論文に添えられた手紙と中原館長の所蔵の大岡からの返信です。
館長の手紙の日付が1984〈昭和59〉年7月13日、大岡の返信の消印が15日です。
大岡は、届くとすぐに、100数枚の論文に目を通して、その返事を書き、投函したことになります。
この時、既に余り大岡は目がよくなかったといいます。
相手が若い大学院生であっても、真摯に向き合う大岡の姿が見えてきます。
【続きはまた…】
▼今回の展示とは関係ないですが、中原中也記念館のアプローチにある詩碑です。