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こどもと本ジョイントネット21・山口


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回天記念館に行きました @ 周南市大津島 [2018年08月16日(Thu)]
15日の終戦記念日に、前々から行ってみたかった周南市大津島回天記念館に行きましたぴかぴか(新しい)

徳山駅の南側の港から大津島行きの船が出ています。

港の近くには、回天の模型が展示してあります。
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映画「出口のない海」の撮影で使用された実物大の模型です。
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大津島のマップ。
「馬島」の港で降りればいいことを確認。
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大津島行きの切符を買い、船に乗船しました。
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20分位で馬島港に着きました。
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乗って来た「鼓海U」。
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観音様がありました。
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傍に「回天の母」の歌碑がありました。
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地図で今日の行程の確認。
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コンクリートの塀の建つ道をずっと進みます。
魚雷の整備工場と島の人々が往来する道との間に設けられた遮蔽物で、
現在も当時のままの状態で残っています。
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壁が途切れたところにある説明文。
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大津島小中学校のグラウンド。
整備工場がありました。
出撃する隊員はその東側にあった桟橋から内火艇に乗り、沖合に待機する回天を搭載した潜水艦に移乗して戦地に向かいました。
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変電所跡、危険物貯蔵庫跡。
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点火試験場後と地獄の階段。
階段は整備工場や回天搭乗員の本部を結ぶ通路として使われていた他、搭乗員の鍛錬の場としても使用されており、その鍛錬の厳しさから「地獄の階段」と呼ばれていたそうです。
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下士官搭乗員兵舎の跡地。
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大津島ルート案内。
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左に行けば展望広場、魚雷見張所跡があるそうです。
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いよいよ回天記念館に着きました。
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回天記念館には、回天の搭乗員の遺書や遺品などが展示してあります。
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回天の模型。
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九三式酸素魚雷のエンジン。回天の推進装置です。
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回天の碑。
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平和の鐘。
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トンネル。
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整備工場から訓練基地まで、回天をトロッコに載せて運んでいた運搬ルートです。
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回天訓練基地跡。
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回天訓練基地への橋は、5つの橋脚が確認できますが、ケーソン(箱型の中空のコンクリート構造物)を海中に設置することで造られています。
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「魚雷発射場跡」の碑。
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説明版。
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もとは、九三式酸素魚雷の発射試験場でした。
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その発射口です。
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回天昇降用クレーンの基礎跡。
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回天をクレーンで吊り下げ東側の海上に降ろしていました。
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15日の読売新聞に回天記念館の記事が掲載されていました。
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