CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

こどもと本ジョイントネット21・山口


〜すべての子どもに本との出会いを〜

子どもと本をむすぶ活動をしています


検索
検索語句
<< 2021年01月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
最新記事
カテゴリアーカイブ
プロフィール

こどもと本ジョイントネット21・山口さんの画像
月別アーカイブ
最新コメント
タグクラウド
日別アーカイブ
https://blog.canpan.info/jointnet21/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/jointnet21/index2_0.xml
シランが花盛りです [2020年05月29日(Fri)]
シランはランの中ではとてもポピュラーで、鮮やかな赤紫色で春を彩る花の一つですが、我が家にはありませんでした。
そのシランを4本いただき、枯れてはいけない、と別々の場所に2本ずつ植え、その一つに今年やっと花がつきましたぴかぴか(新しい)
77BB5F28-E366-47FB-8F76-1BBD6D20AA64.jpeg

維新記念公園(5月1日)に行ってみると、あちこちで咲き誇っていました。
維新記念公園はシランの名所ですわーい(嬉しい顔)
9FF4E31D-5972-4EF3-B0E2-97F0AE54BE31.jpeg

花が紫色の蘭ということから紫蘭(シラン)という名前がついたようです。
別名は、ベニラン(紅蘭)、シュラン(朱蘭)、シケイ(紫宦jといいます。
AF184CCD-7EB7-4711-832F-79AABD812770.jpeg

国立東京国立博物館が所蔵する重要文化財に紙本墨画「蘭專ッ芳図」というのがあります。
南北朝時代に、建仁寺や南禅寺の住持をつとめた名僧 玉畹梵芳(ぎょくえんぼんぽう)(1348〜1424)が描いたものです。
蘭專ッ芳図 (2).jpg
▲「蘭專ッ芳図」(玉畹梵芳/筆)(国立東京国立博物館蔵)


「蘭專ッ芳」は、蘭と宸ェともによい香りを発するので、優れた人徳のたとえに用いられることに由来します。
この宸ェ、シランのことです。

日本最古の漢詩集『懐風藻』(751(天平勝宝3))の「暮春於弟園池置酒」(従三位兵部卿兼左右京大夫藤原朝臣万里〈藤原麻呂〉)に

絃歌迭奏、蘭專ッ欣
絃歌迭奏し、蘭專ッじく欣ぶ

とあります。
前賢故実 巻第2 藤原朝臣麻呂 62-25 (2).png
▲「藤原朝臣麻呂」(『前賢故実 巻第2』(菊池容斎 (武保)/著 雲水無尽庵 明1)(国立国会図書館蔵)


万葉集には「(けい)」という名で登場しますかわいい
ただ、歌の中には読み込まれていませんが、
巻17ー3967,3968の題詞にあります。
[曼朱院本]萬葉集 巻17-3967,3968 (2).jpg
『[曼朱院本]萬葉集』巻17-3967,3968(京都大学附属図書館蔵)

万葉集(清水浜臣 国立国会図書館蔵)巻17-3967,3968 (2).png
『万葉集』巻17-3967,3968(清水浜臣 国立国会図書館蔵)

忽辱芳音翰苑凌雲 兼垂倭詩詞林舒錦 以吟以詠能蠲戀緒春可樂 暮春風景最可怜 紅桃灼々戯蝶廻花儛 翠柳依々嬌鴬隠葉歌 可樂哉 淡交促席得意忘言 樂矣美矣 幽襟足賞哉豈慮乎隔藂琴趨ウ用 空過令節物色軽人乎 所怨有此不能黙已 俗語云以藤續錦 聊擬談咲耳


『畫本野山草』(橘保国/作)には「紫宦@しらん シケイ」という名前で載っています。
畫本野山草 巻1 シラン 31-6 (2).png
『畫本野山草』巻1「紫宦v(国立国会図書館蔵)

畫本野山草 巻1 シラン 31-9 (2).png
『畫本野山草』巻1「志らん」(国立国会図書館蔵)

塊茎を漢方で白及(びゃっきゅう)といい止血薬にします。


維新記念公園のシランは5月27日現在は殆ど刈り取られていていました。葉もとてもいいのに残念ですもうやだ〜(悲しい顔)



参考文献:
「蘭專ッ芳図」(玉畹梵芳/筆)
  ※東京国立博物館「研究情報アーカイブズ」でインターネット公開されています。
『[曼朱院本]萬葉集』
  ※京都大学貴重資料デジタルアーカイブでインターネット公開されています。
『前賢故実』(菊池容斎 (武保)/著 雲水無尽庵 明1)
『万葉集』(清水浜臣)
『畫本野山草』
  ※以上3点は国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。
続きを読む...
ホオノキA [2020年05月26日(Tue)]
前回の続き

『西の魔女が死んだ』から少し離れます。

ホオノキは、山口県内の山地にも自生するモクレン科モクレン属の落葉高木です。
07DAE1A9-0184-432A-A916-EF9E9469A373.jpeg

木材は狂いが少なく、細工物やまな板などに利用されるそうです。
昔はマッチの軸木、下駄の歯(朴歯下駄)、鉛筆材、木版材(浮世絵の下絵に用いられました)、日本刀の鞘はホオノキを加工して作られていました。
216C6890-9F9B-4454-905F-E0F7BDD50C3B.jpeg

葉は20cmから40cmと大きいです。
153562A7-8AF5-482E-B21D-73E4DB51E635.jpeg

枝先に集まって付くので、輪生(1か所から3つ以上、輪のように葉が出ること)のように見えます。
86E7E255-ECAC-4D10-801B-338C02D2E46A.jpeg

こういうのを偽輪生というのだそうです。
A1CEB42A-AE00-4EFA-8F55-96FA0A4D6730.jpeg 

よく見ると、ちょっとだけ葉っぱの出る所がずれています。
D9B5CD8F-D651-4BE8-9FD2-9E61AA6F8A46.jpeg

互生です。
526D2AE8-898E-456C-B90B-D0C200763B8D.jpeg

葉の裏側は白い粉を吹いたような白っぽい色です。
6B00A84C-D493-40C7-98A3-090959265DD0.jpeg

ホオノキの大きな葉は「朴葉(ほおば)」とも呼ばれ、食べ物を盛るための器として利用され、包んだりするのに使われてきました。
福井で「朴葉飯」、高山で「朴葉味噌」「朴葉焼き」を食べたことがあります。

ホオノキの別名ホオガシワのカシワは、古来、食物を盛るのに用いる葉の総称です。

万葉集には「保寶葉」「保寶我之婆」「保寶我之波」(ほほがしは)として登場します。

万葉集巻19-4204、4205に「見攀折保寶葉歌二首」(攀(よ)ぢ折(を)れたる保寶葉を見る歌二首)です。
4204番は「講師僧恵行」(講師(国分寺の僧)である僧恵行)、4205番は「守大伴宿祢家持」(越中国守である大伴家持)の歌です。
万葉集 巻19-4205 [20]-41-36 (3).png 万葉集 巻19-4204 [20]-83-35 (3).png
『万葉集』巻19-4204〜5(清水浜臣)(国立国会図書館蔵)

吾勢故我 捧而持流 保寶我之婆 安多可毛似加 青盖
わがせこが ささげてもてる ほほがしは あたかもにるか あをききぬがさ
我が背子が 捧げて持てる ほほがしは あたかも似るか 青き盖
あなた様が高く差し上げて持っている(さしかざしている)ホオガシワはあたかも貴人にかざす青い蓋(きぬがさ)に似てますね。

「捧(ささ)ぐ」は「両手で高く差し上げる」こと。
「蓋(きぬがさ)」は「絹で張った長い柄の傘」で、貴人が外出の際、従者が背後からさしかざしました。
補注によると、蓋は、三位以上の者が用いることになっており、一位の者は「深緑色」であったとあります。
家持が青々としたホオノキの葉を持っている様子を、一位の人の「蓋」のようだと、僧恵行は讃えています。

皇神祖之 遠御代三世波 射布折 酒飲等伊布曽 此保寶我之波
すめろきの とほみよみよは いしきをり きのみきといふぞ このほほがしは
皇神祖の 遠御代御代は い重き折り 酒飲みきといふぞ このほほがしは
皇祖の遠い昔から代々、葉を折り重ねて酒を飲んだということですよ、このホオガシワは。

「皇神祖(すめろき)」は「皇祖以来の歴代諸天皇」を指します。他に「天皇」「皇祖神」「皇祖」等とも表記されます。
「いしく」の「い」は接頭辞です。
「しき」は動詞「し(頻)く」で「くりかえし」「たびたび」の意で使われており、「いしきおり」で「くりかえし折る」の意です。
また、動詞「敷(し)く」で「(食物を盛るために、木の葉を)平らに広げる」の意で使われ、「いしきおり」で「平らに広げて折る」とも考えられます。
家持は、僧恵行の詩に対して、ホオノキの葉で酒を飲んだ昔を述べて葉を讃えました。


ホオノキの幹や枝の皮は、漢方の生薬として使われ、「厚朴(こうぼく)」と呼ばれています。
『本草図譜』巻82 喬木類1には「厚朴」として載っています。
本草図譜 第11冊 巻82喬木類1 厚朴 (2).png
『本草図譜』巻82 喬木類1「厚朴」

いわゆるホオノキです。日本産のものは「和厚朴」と呼ばれています。
本草図譜 第11冊 巻82喬木類1 ホオノキ 27-10 (2).png
『本草図譜』巻82 喬木類1「厚朴 一種」

そして、中国産の厚朴である「ほゝのき 唐厚朴」も載っています。
本草図譜 第11冊 巻82喬木類1 ホウノキ 27-9 (2).png
▲『本草図譜』巻82 喬木類1「ほうのき 唐厚朴」



参考文献:
『万葉集』(清水浜臣)
『本草図譜』(岩崎常正(潅園)/著)(巻5〜10 須原屋茂兵衛、山城屋佐兵衛/刊 1830(文政13) )(巻11〜96 筆彩の写本)
  ※以上は国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。


【次回に続く】
シャクヤク × 和菓子 [2020年05月24日(Sun)]
シャクヤクの一重咲きで、雄蕊が大きく発達して盛り上がったを花を「金蕊咲き」と呼ぶそうです。
5AD73D1B-A8F1-4AB6-958D-CC077C4A0A28.jpeg

その雄蕊を見ていると、上生菓子を想い起しますぴかぴか(新しい)
735B7783-CD64-4016-BD80-3A001BA84DF7.jpeg

イメージでいうと、上生菓子のきんとん(金団)です。
餡・求肥などの芯に、練切り餡のそぼろをきせた生菓子です。
86D06619-6EA9-4972-AE67-F645177C57EA.jpeg

国立国会図書館の「あれもこれも和菓子」というサイトで、『御蒸菓子図』という江戸時代、菓子屋から出された和菓子のカタログを見つけました。
その中から、シャクヤクの蕊に似た御菓子を自分なりにセレクトしてみました。(達筆過ぎて読めないところもありますもうやだ〜(悲しい顔)

金飩は「きんとん」のことです。
御蒸菓子図2 53-4  (2).png黄金飩

毛毬栗とは「いがぐり」のこと、毛毬餅はイガグリをイメージしたのでしょうか。
御蒸菓子図2 53-10 (2).png毛毬餅

御蒸菓子図2 53-17 (2).png□春 
御蒸菓子図2 53-20 (2).png八重正□ 
御蒸菓子図2 53-29 (2).png□錦 
御蒸菓子図2 53-30 (2).png初紅葉 
御蒸菓子図2 53-36 (2).png千代□ 
御蒸菓子図2 53-37 (2).png□千代
▲『御蒸菓子図』(国立国会図書館蔵)

『船橋菓子の雛形』には、「黄巾頓」と他のお菓子との三種盛の見本がありました。
船橋菓子の雛形1 41-32 (2).png 船橋菓子の雛形1 41-36 (2).png
▲『船橋菓子の雛形』(国立国会図書館蔵)

その他『御蒸菓子図』(虎屋伊織)(東京国立博物館蔵)や『御蒸菓子絵形』(東京都立中央図書館特別文庫室蔵)などのいろいろな菓子見本帳を眺めていると楽しくなります。

シャクヤクの花弁を飴細工で作って、蕊は鶏卵素麺で作ったらどうかなどと、妄想しています。

28291284-7A92-4159-B29D-E156C36E0FED.jpeg DB99CC23-2D32-4E0B-8492-B4BFA992E5EF.jpeg 0551FD6C-2165-4B41-9E7A-5A2E67341436.jpeg 
(2020年5月22日撮影)



参考文献:
『御蒸菓子図』
『船橋菓子の雛形』
  ※国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。
『御蒸菓子図』(虎屋伊織)
  ※国立公文書館デジタルアーカイブでインターネット公開されています。
テイカカズラが咲いていますB [2020年05月22日(Fri)]
【前回の続き】

もちろん自生しているものばかりでなく園芸種も豊富です。
CADEDD02-76B5-4732-8B9F-4A82C1A2EB02.jpeg
(2018年5月22日撮影) 
F9E6A62F-F2FA-40AE-A988-1A92DAB91F66.jpeg BED8C8B1-DFA9-4198-8C48-A86EC1C67B38.jpeg 735A5A02-9017-443C-AA4C-7A1DED3FD603.jpeg 728E6F7C-E9BD-4E9E-9575-405F2D787DAC.jpeg

ハツユキカズラ
BEF9CD7B-791C-4354-AAD8-91FBA7DE2CD3.jpeg 8B419DFE-EB90-40E6-94BD-CCB50A7B0872.jpeg

何カズラかな?我が家のです。何年も刈り込んだこともないのに花も実もなりません。
今、新芽がきれいです。
0A690D81-EFA1-4DAA-8805-C4EBE938E7D3.jpeg E8593556-B2B7-42AD-ADA1-D74689A024B7.jpeg EE69D01B-26C2-4466-8914-55657A06DE12.jpeg 7F55E8FD-78E3-4A2F-A286-D9CC2AF3B35A.jpeg


維新百年記念公園にある陸上競技場には、テイカカズラの仲間スタージャスミンの生垣が造られていまするんるん
DD6F5FC1-C25B-4FC5-9AC4-91DCFE87E3FD.jpeg D47EFD13-1947-47A0-AE5D-D5725FE5C66D.jpeg 74EA8C4C-79DF-450A-B02D-205CDE1B77DD.jpeg E163CD9C-71B4-4FD7-9FA4-9FE25BA584BE.jpeg
(2018年6月1日撮影)


万葉の時代は、テイカカズラは
都多(ツタ)・綱・津田(ツタ)・角(ツノ)・
石綱(いはつな)(イワツナ)・石綱(いはつた)(イワツタ)・石葛(いはつな)(イワツナ)
などと呼ばれていました。

『万葉集』巻6-1046に石綱を詠った歌があります。
平城京から恭仁京(くにのみやこ)に遷都した後、奈良の都が荒廃していくのを悲しんで詠んだ歌、三首のうちの一首です。

万葉集巻6ー1046(近衛文庫 京都大学附属図書館蔵)
万葉集 巻6-1046 近衛文庫 892-265 (2).jpg

[曼朱院本]萬葉集 巻6-1046(京都大学附属図書館蔵)
[曼朱院本]萬葉集 巻6-1046 849-254 (2).jpg

『万葉集』巻6-1044〜6(清水浜臣)(国立国会図書館蔵)
万葉集 巻6 1046 [7]-99-48 (2).png

傷惜寧楽京荒墟作歌三首
作者不審
ならのみやこのこうきょをいたみおしみてつくれるうたさんしゅ 

『万葉集』巻6-1046(清水浜臣)(国立国会図書館蔵)
万葉集巻6 1046 [7]-99-49 (2).png

石綱乃 又變若反 青丹吉 奈良乃都乎 又将見鴨
いわつなの またをちかえり あおによし ならのみやこを またもみむかも
石綱の また変若かえり 青丹よし 奈良の都を またも見むかも
イワツナのようにまた若返って、奈良の都が栄えるのをまた見ることができるでしょうか。

 「石綱の」  「をちかへる」に懸かる枕詞 
 「青丹よし」 「なら」に懸かる枕詞
 「変若」   をち→復ち。もとにかえること。

ここで思い出すのが、「藤波の花は盛りになりにけり @ フジ@」で紹介した太宰府に赴任中の大伴旅人の歌(巻3-331)です。

吾盛 復将變八方 殆 寧樂京乎 不見歟将成
わがさかり またをちめやも ほとほとに ならのみやこを みずかなりなむ
我が盛り また変若めやも ほとほとに 寧楽の京を 見ずかなりなむ
わが権勢を誇っていた頃にまた復帰できるだろうか。いやいや、このまま奈良の都を見ずじまいになりそうだ。


巻2-135に「角」、巻3-282に「角」、巻3-423「葛」、巻9-1804に「都多」、巻13-3291に「津田」、巻13-3324・3325に「角」、巻17-3991に「都多」、巻19-4220に「都多」などと出てきます。



参考文献:
『万葉集』(近衛文庫)
『[曼朱院本]萬葉集』
  ※以上2冊は京都大学貴重資料デジタルアーカイブでインターネット公開されています。
『万葉集』(清水浜臣)
  ※国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。
テイカカズラが咲いていますA [2020年05月21日(Thu)]
【前回の続き】

テイカカズラは、日本自生種だけあって、本当にあちこちに自生していますぴかぴか(新しい)

禅昌寺 参道(山口市小鯖)
D5A3C8C9-5823-48DA-BDD5-AABE16F03DEA.jpeg C024DA85-A71E-4541-8042-F98213832A2A.jpeg
(2018年5月27日撮影)


禅昌寺 賽の河原(山口市小鯖)
141BEF7E-ED31-4427-8F1E-D46BED712667.jpeg
(2018年6月3日撮影)


玉祖神社 本殿裏の杜(防府市大崎)
7A46F04F-E1CC-41EF-9434-4B1A93338B88.jpeg C82C14C5-0E31-4FFC-B1A8-60F31ACA846D.jpeg
01EC5BB8-90C6-4366-BC43-8040A6493B8A.jpeg
(2018年6月3日撮影)


鴻ノ峰(山口市)
D14395F8-5756-4028-992A-82FD628B2999.jpeg 69DC4B84-9D6B-4E4C-B2A7-744B18B2B154.jpeg 34A2CFF8-ED7E-44A0-AC31-0B18CEA3A09C.jpeg
(2018年6月13日撮影)


馬庭(山口市朝田)
53480C19-F659-48FE-9F7D-8C41EDE6C5B2.jpeg CD7602A1-AC1F-4E8A-9140-C57E81BD731C.jpeg B9A3B276-CF99-41E1-8B17-61D12E67609C.jpeg
(2018年6月23日撮影)


玉祖神社に種田山頭火の句碑がありました。
テイカカズラのことを詠った句ではありませんが、まして、テイカカズラは草本類ではありませんが、高木に立ち上っている様子がなんだか相応しい気がして・・・・・・。

雑草礼賛  
生えよ 伸びよ 咲いてゆたかな 風のすずしく 
山頭火



【次回に続く】
テイカカズラが咲いています@ [2020年05月20日(Wed)]
5月19日、ご近所のテイカカズラがきれいに咲いていますぴかぴか(新しい)
C0E4D325-5487-44DD-B691-66C1935EB5F2.jpeg

人知れず樹木に咲く花に興味を持ってから、上を見て歩くことが多くなりました。
C81EBCE7-00E7-489E-9648-A5C4C852263A.jpeg

そんな樹木にまつわりついて咲いているのがテイカカズラ。
18846B43-5C17-4AC2-9F77-37F8ED32CF18.jpeg

付着根を出して周りの木や石垣などによじ登ります。
D0EB64E4-7852-4A3C-9A99-1978554AED49.jpeg

キョウチクトウ科テイカカズラ属のつる性常緑低木です。
7E11B3A2-5EB4-4B65-9F1D-7B781B201BB2.jpeg

基部は筒状で、先端は5裂して広がり、全体としてプロペラ状になった直径2〜3cmの小花を多数付けます。
咲き始めは真っ白ですが、やがて淡い黄色に変化し、ジャスミンに似た芳香があります。
A72F0E6A-1815-497A-9AD7-EDF3079C2DE8.jpeg


一番最初に意識して見たのが、萩城下町です。
E67274B8-E25A-403D-BC5D-8AA4B22F765B.jpeg 35A325EA-0DC6-4C47-8BDA-C58AB3C9449A.jpeg 6DEED4CA-008B-488A-ABF8-51CFC2FF6E67.jpeg
(2018年5月23日撮影)

武家屋敷の築地塀とあまりにマッチしていたので、帰って調べてみると、
「テイカカズラ」だということが分かりました。
「テイカ」とは、あの、藤原定家exclamation×2

式子内親王(1149(久安5)〜1201(建仁元))を愛した藤原定家(1162(応保2)〜1241(仁治2))が、死後も彼女を忘れられず、ついに葛に生まれ変わって彼女の墓に絡みついたという伝説に由来します。
この伝説を脚色したものが金春禅竹(1405(応永12)〜1471(文明3)以前)の謡曲『定家』です。

式子内親王は、藤原定家の父である藤原俊成に師事していたことや、定家の日記『明月記』にはしばしば式子内親王に関する記事が登場することから、そのような伝承が生まれたのでしょう。

藤原定家が京都・小倉山の山荘で選んだとされる『小倉百人一首』には、二人の歌があります。
小倉百人一首 菱川師宣 画 式子内親王 倍率50% (2).png 小倉百人一首 菱川師宣画 藤原定家 56-52 (2).png
『小倉百人一首』「式子内親王」「権中納言定家」(菱川師宣/画 本問屋 1680(延宝8))(国立国会図書館蔵)

89番歌  式子内親王
玉の緒よ たえなば絶えね ながらへば
忍ぶることの 弱りもぞする
 たまのをよ たえなばたえね ながらへば
 しのぶることの よはりもぞする


97番歌  権中納言定家
来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ
 こぬひとを まつほのうらの ゆふなぎに
 やくやもしほの みもこがれつつ



『和漢三才図会』巻第69 蔦草類「絡石」(寺島良安尚順/編 江戸時代)には、「「黄門定家卿の古墳の石に生ず」ことから「定家葛」の名前が付いた」と記されています。
和漢三才図絵 巻69 絡石(テイカカズラ)[75]-44-34 倍率25% (2).png
▲『和漢三才図会』巻第69 蔦草類「絡石」(国立国会図書館蔵)

絡石 ていかかつら
 石鮫 懸石 耐冬 雲花 雲丹 雲英 石皿 雲珠 石龍藤


椄絡石 和名豆太 俗云定家葛 相伝 黄門定家郷之古墳之 葉似薮柑ヤブコウジ 而無刻歯 無花実又蔓白汁

椄絡石。和名豆太。俗に定家葛と云ふ。黄門定家卿(藤原定家のこと)の古墳の石に生ず、因って之を名づくと相伝ふ。葉は藪柑子の葉に似て而も刻歯無く、花実無し。又蔓白汁も無し。


『本草図譜』第4冊 巻31 蔓草類7には、「絡石 テイカカズラ」が、近縁種「チリメンカズラ」(縮緬葛)、「セキダカズラ」(雪駄葛)、「ハツユキカズラ」(初雪葛)、「ツルクチナシ、チョウジカズラ」等とともに紹介されています。

絡石らくせき
いはつな 万葉集、ていかかつら、さいのつの 尾州

本草図譜 第4冊 巻31蔓草類7 絡石 19-10 倍率50% (2).png
▲『本草図譜』第4冊 巻31 蔓草類7「絡石」(国立国会図書館蔵)

山中に自生せり。細茎さいけい蔦生まんせい木石もくせきを絡まとい四時凋しぼまず。葉は胡頽子こたいし(ぐみ)に似て対生す。茎は白汁しるあり。夏月なつに花あり。五弁白色香あり。後細長さいちょうの角つのを結ぶ。長さ六七寸。(略)

一種 ちりめんかつら
本草図譜 第4冊 巻31蔓草類7 絡石一種 19-11 縮緬葛 倍率50% (2).png
▲『本草図譜』第4冊 巻31 蔓草類7(国立国会図書館蔵)

葉絡石より小さくして皺あり、花実共に同じ  

一種 せきたかつら
本草図譜 第4冊 巻31蔓草類7  絡石一種 19-11 雪駄葛 倍率50% (2).png
▲『本草図譜』第4冊 巻31 蔓草類7(国立国会図書館蔵)

山中の木石に貼す。形状絡石に似て小なり。夏月は緑色。冬月に至れば紅紫色(略)石皿なり。

一種 はつゆきかつら
本草図譜 第4冊 巻31蔓草類7 絡石一種 19-12 初雪葛 倍率50% (2).png 
▲『本草図譜』第4冊 巻31 蔓草類7(国立国会図書館蔵)

葉はていかかつらにより濶ひろく水蝋樹いぼたに似て深緑色。嫩葉(若い葉のこと)白色なるをはつゆきかづらと云。花は前條と同じ。実は一蔕てい両角下垂す。長さ一尺計ばかり。

一種 つるくちなし 丁子かつら
本草図譜 第4冊 巻31蔓草類7 絡石一種 19-12 丁字葛 倍率50% (2).png
▲『本草図譜』第4冊 巻31 蔓草類7(国立国会図書館蔵)

藤蔓とうまん絡石の如し。葉は山梔子くちなしに似て小く花も亦山梔子にて小なり。白色黄心実亦細長の角あり。

一種 はうらいかつら
本草図譜 第4冊 巻31蔓草類7 絡石一種 19-13 (2).png
▲『本草図譜』第4冊 巻31 蔓草類7(国立国会図書館蔵)



参考文献:
『小倉百人一首』(菱川師宣/画 本問屋 1680(延宝8))
『和漢三才図会』巻第69 蔦草類「絡石」(寺島良安尚順/編 江戸時代)
『本草図譜』(岩崎常正(潅園)/著)(巻5〜10 須原屋茂兵衛、山城屋佐兵衛/刊 1830(文政13) )(巻11〜96 筆彩の写本)
  ※以上は国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。



【次回に続く】
シャクヤクが咲きました [2020年05月19日(Tue)]
今年も我が家のシャクヤクが咲きましたぴかぴか(新しい)
A3F405B6-F4AE-48E5-9A1C-CECC4E68A391.jpeg 985C9087-8459-4AE4-9492-9AAEF28EC510.jpeg 8B832246-D5EA-4598-AA61-CD3ED29DE1F5.jpeg 48BE03BD-7EA7-45AD-9F3A-B68FA2198430.jpeg C17E7558-EB03-4A79-8CBA-E9B6017C485A.jpeg


2020年5月1日に維新百年記念公園で撮影したものです。
D24D7F33-B076-4D91-99EE-33313E91261C.jpeg 0C8884DD-87D6-48AC-BA82-3FE8F2500E17.jpeg CB86014A-CE40-4BA1-BE79-D16FBB618D21.jpeg


シベリア、中国、モンゴルの原産で、日本には古く中国から渡来しました。室町時代には大内氏館に植えられていました。(「大内氏館(12)ソテツとシャクヤク」参照)


小野小町の「百夜通い(ももよがよい)」伝説の一つに、小町を慕う深草少将に、毎晩芍薬を一株ずつ通い路に植えて百株になったら契りを交わす、と約束するものがあります。

『三十六歌仙像』「小野小町」(京都大学附属図書館蔵)
三十六歌仙像 小野小町 京都大学 (2).jpg 三十六歌仙像 小野小町 (2).jpg

『前賢故実』巻第4「小野小町」(国立国会図書館蔵)
前賢故実 巻第4 小野小町 (2).png

いろいろなバージョンのお話があるようですが、シャクヤクは、歌人としても絶世の美女としても知られる小野小町に相応しい気がします。


『畫本野山草』2巻「芍薬」(橘保國/畫圖 芸艸堂)(国立国会図書館蔵)
江戸時代の「絵本」は、画業志望者用の絵手本でした。この『畫本野山草』もその一つで、大坂の絵師橘保国(号、後素軒)(1715〜92)の描いた草木画集です。
図の脇に「花朱 生エンシ クマ」などと絵具の使用法があるものもありますが、「芍薬」のページには指示がありません。
絵本野山草 2巻芍薬. 倍率25% (2).png


『本草図譜』第1冊 巻9芳草類上之上「芍薬」(国立国会図書館蔵)
本草図譜 第1冊 巻9芳草類上之上 芍薬 (2).png


『梅園草木花譜夏之部』巻1「芍薬」(毛氏江元寿梅園直脚(毛利梅園)/書画并撰著)(国立国会図書館蔵)
「花譜」とは、花を、四季の順や分類などに従って記録した図譜です。
梅園草木花譜夏之部1 芍薬 54-15 (2).png 梅園草木花譜夏之部1 芍薬 54-16 (2).png

唐代に牡丹が愛好されるようになると「木芍薬」と言われていた牡丹は「花王」になり、芍薬は「花相」となり、草本なので「草牡丹」とも呼ばれました。

『梅園草木花譜春之部』巻3「草芍薬」(毛氏江元寿梅園直脚(毛利梅園)/書画并撰著)(国立国会図書館蔵)
「草芍薬」は「ヤマシャクヤク」のことです。
梅園草木花譜春之部3 草芍薬 53-36 (2).png


『あづまにしきゑ』「楳嶺花鳥画譜 芍薬・鸛」(楳嶺/作 明治16)(国立国会図書館蔵)
楳嶺花鳥画譜 芍薬・鸛 (2).png


『三十六花撰』「東京百花園芍薬」(喜斎立祥/作)(国立国会図書館蔵)
東京百花園芍薬 (2).png


『芍薬花譜』(賀集久太郎/編 朝陽園 明31.9)(国立国会図書館蔵)
本当は彩色の花譜で、すごく素敵な本なのですが、カラーではないのが残念です。
芍薬花譜 倍率100% (2).png



参考文献:
『三十六歌仙像』
 ※京都大学貴重資料デジタルアーカイブ でインターネット公開されています。
『前賢故実』(菊池容斎 (武保)/著 雲水無尽庵 1868(明治1) )
『畫本野山草』(橘保國/畫圖 芸艸堂)
『梅園草木花譜夏之部』『梅園草木花譜春之部』(毛氏江元寿梅園直脚(毛利梅園)/書画并撰著)
『本草図譜』(岩崎常正(潅園)/著)(巻5〜10 須原屋茂兵衛、山城屋佐兵衛/刊 1830(文政13) )(巻11〜96 筆彩の写本)
『あづまにしきゑ』
『三十六花撰』
『芍薬花譜』(賀集久太郎/編 朝陽園 明31.9)
 ※以上は国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。
シュロの花が咲きました [2020年05月18日(Mon)]
5月1日、ご近所でシュロの花が咲いていましたぴかぴか(新しい)
C8D83F17-A606-408E-8F8E-A0F64675CC76.jpeg

ヤシ目ヤシ科シュロ属で、普通は雌雄異株・雌雄異花です。
大型の苞から花序が出ています。
43739E9C-2EE6-4091-8E36-6085351BD21D.jpeg

今年の花序の下には、枯れた昨年の花序が見えます。
98297E66-B8C7-4CF2-988A-B5C172595013.jpeg

上の写真の木はトウジュロ、下の写真の木は、ワジュロといわれるものだと思われます。
580863D0-0D35-41FA-8744-EEB1EDCCFD70.jpeg

常緑高木で、高さ6メートルにも達します。
8D081EB9-74DE-4C58-829F-42ABDE8F0B39.jpeg

日本ほか中国からミャンマーまで分布しています。
温暖な九州地方の原産とされており、早くから観賞用に栽培されていたようです。


清少納言『枕草子』37(40)段「花の木ならぬは」

姿なけれど、すろの木、唐めきて、わるき(わろ)家の物とは見えず。

趣のあるようすはないけれど、シュロの木は唐風で、下賤の家のものとは見えない。

 すがた【姿】外見。外形。かっこう。趣のあるようす。
 わる・い【悪い】(品質や程度などが)劣っている。上等でない。いやしい。
 わろ・し【悪し】(品質や程度などが)劣っている。上等でない。いやしい。貧しい。
  ※前田家本枕草子木は「唐めきて、―・き家のものとは見えず」
 から−め・く【唐めく】中国風に見える。


家紋に「棕櫚紋」というのがあります。
幹の頂上に、長い柄を持つ固い葉が数本つきますが、この葉が一見熊手のようで形が面白いので、紋章化されたと思われます。
CD6B31CF-E265-4885-A863-340632B00ABA.jpeg

その起源は明らかではありませんが、室町時代には既に家紋になっていたようです。
棕櫚紋 (2).jpg


『本草図譜』第11冊 巻85喬木類4「椶櫚」があります。
本草図譜 第11冊 巻85喬木類4 椶櫚 (2).png 本草図譜 第11冊 巻85喬木類4 シュロ (2).png 本草図譜 第11冊 巻85喬木類4 木の形、トウシュロ 倍率50% (3).png
▲『本草図譜』第11冊 巻85喬木類4(国立国会図書館蔵)

樹直聳(ちょくしょう)(真っ直ぐに聳(そび)える)して枝なく梢に月々に新葉を生し四時(しじ)(しぼ)まず。一葉の形手を開くが如し。夏の初梢の葉の間に房を生ず。外皮ありて形蜀忝(黍)(モロコシ)の実の如く長ざれり。外皮落て顕る形魚子(なのこ)(魚の腹子)の如し。初黄色、花開く時は淡黄色となる。花弁苞微にして見易からず。後実を結ぶ形いんげんまめに似て短し。熟されば黒褐色となる。(略) 

「とうしゅろ」
本草図譜 第11冊 巻85喬木類4 木の形、トウシュロ 倍率50% (2).png 本草図譜 第11冊 巻85喬木類4 トウシュロ (2).png
▲『本草図譜』第11冊 巻85喬木類4(国立国会図書館蔵)

木の形しゅろと同じく葉も形同じといえども短く厚く硬くして年を重といえども下垂せずして直立す。花、実も前條と同じ。外皮の毛をとり用いるを此亦前に同じ

トウジュロは、葉が垂れ下がらない、と書いてあります。


「棕櫚の花」は夏の季語です。

梢より放つ後光やしゆろの花 蕪村 「新花摘」

異人住む赤い煉瓦や棕櫚の花  夏目漱石 明治二十九年
敷石や一丁つゞく棕櫚の花  夏目漱石  明治二十八年
世はいづれ棕櫚の花さへ穂に出でつ  夏目漱石 明治三十年
ぬきんでゝ雑木の中や棕櫚の花  夏目漱石 明治三十六年

吾も亦愛す吾廬や棕櫚の花  政岡子規
村落に洋館ありて棕櫚の花  政岡子規
棕櫚の花梯子とゞかぬ高さかな  政岡子規
棕櫚の花闇の夜頃を匂ひけり  政岡子規
棕櫚の花闇の空より匂ひけり  政岡子規


枝がなく、まっすぐに伸びた幹は俗に「シュロの毛」と呼ばれる古い皮で覆われています。
シュロ皮の繊維は縄、敷物、ホウキ、タワシなどになります。


5月17日に見に行くとずいぶん様子が変わっていました。
D9CDAA7D-EBDD-4334-9600-3258019AACA0.jpeg D4D554EB-8758-4FFE-ABAE-4E9372099C67.jpeg 76B03D01-7384-40F8-A531-8448B60FBCB5.jpeg

C266D912-D6DB-40E7-85F3-4D87D563C38F.jpeg ABC0C3EF-CDC4-465A-B48A-4C64D02E8902.jpeg 

3830886E-3170-4149-9C35-46C703E24EB8.jpeg 377B5601-EF67-4492-BD42-E8C0FE935E4B.jpeg


秋には小さな実がいっぱい実るそうです。
実は生薬になるとのことです。



参考文献:
『本草図譜』(岩崎常正(潅園)/著)(巻5〜10 須原屋茂兵衛、山城屋佐兵衛/刊 1830(文政13) )(巻11〜96 筆彩の写本)(国立国会図書館蔵)
  ※いずれも国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。
  ※『本草図譜』巻1〜4は、国立国会図書館デジタルコレクションでは抜けていますが、国立公文書館デジタルアーカイブで閲覧できます。
瓶にさす 藤の花ぶさみじかければ 畳の上にとどかざりけり @ フジC [2020年05月08日(Fri)]
【前回の続き】

正岡子規(1867(慶応3)〜1902(明治35))の『墨汁一滴』にフジを描いた句があります。
子規は死を迎えるまでの約7年間 脊椎カリエスを患っていました。
『墨汁一滴』は新聞「日本」に、1901(明治34)年1月16日〜7月2日に掲載された晩年の随筆です。

子規居士自画肖像(正岡子規/画 国立国会図書館蔵)
子規居士自画肖像B (2).png

夕餉したため了りて仰向に寝ながら左の方を見れば机の上に藤を活けたるいとよく水をあげて花は今を盛りの有様なり。艶(えん)にもうつくしきかなとひとりごちつつそぞろに物語の昔などしぬばるるにつけてあやしくも歌心なん催されける。この道には日頃うとくなりまさりたればおぼつかなくも筆を取りて

(かめ)にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり
33B856DD-2E0E-4D74-893B-07ACFE254FA2.jpeg

瓶にさす藤の花ぶさ一ふさはかさねし書(ふみ)の上に垂れたり
BE91113E-A802-4F57-BCA7-1E162FBF3102.jpeg

藤なみの花をし見れば奈良のみかど京のみかどの昔こひしも
59472980-F1F7-4C60-8C64-CADA08CA3135.jpeg

藤なみの花をし見れば紫の絵の具取り出(い)で写さんと思ふ
F2187742-46F8-4B97-B17D-743EA2060561.jpeg

藤なみの花の紫絵にかゝばこき紫にかくべかりけり
7352B0F6-3D15-4240-84D8-A7BDD67B9116.jpeg

瓶にさす藤の花ぶさ花垂(た)れて病の牀(とこ)に春暮れんとす
018349B2-D22F-4D97-A2B9-4234B1B097E4.jpeg

去年こぞの春亀戸に藤を見しことを今藤を見て思ひいでつも
50EC7403-495F-47C6-BAB4-008A1267E962.jpeg 0D345CDE-069B-44B9-AC37-30305C21CDE6.jpeg

くれなゐの牡丹(ぼたん)の花にさきだちて藤の紫咲きいでにけり
A7CFFA30-8862-427C-B3D2-1C51158C4379.jpeg B37412DC-2862-4536-A53F-DE34292FFC71.jpeg

この藤は早く咲きたり亀井戸(かめいど)の藤咲かまくは十日まり後
5E3FD980-8434-4B6A-86A1-7CF280FDEBBC.jpeg

八入折(やしおおり)の酒にひたせばしをれたる藤なみの花よみがへり咲く
6B8AB3BF-B748-41BC-A547-3FC83D4C5C7E.jpeg

おだやかならぬふしもありがちながら病のひまの筆のすさみは日頃稀(まれ)なる心やりなりけり。をかしき春の一夜や。
      (四月二十八日)



その他にも、子規はたくさんのフジの句を詠んでいますが、その中からいくつか。

松の木に藤さがる画や百人首  『寒山落木』

藤の花長うして雨ふらんとす  『子規全集』

念仏に季はなけれども藤の花



写真は維新100年記念公園の藤棚ですかわいい
3B1B8A0B-F5CD-4C9F-A515-3F4FAD1E5B51.jpeg 3F299A75-0367-4D1F-9167-DDA6A125032D.jpeg

ここのフジはノダフジだそうです。
22772C3F-ABA3-4CDF-959E-6906A11687F5.jpeg 

フジには、つるが右巻き(上から見て時計回り)と左巻きの二種類があり、右巻きのフジは「フジ」または「ノダフジ」、左巻きの藤の標準和名は「ヤマフジ」または「ノフジ」といいます。
月に遠くおぼゆる藤の色香哉 @ フジB [2020年05月07日(Thu)]
【前回の続き】

藤棚が作られるようになったのは江戸時代元禄期からですぴかぴか(新しい)

国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所」からフジの花を描いた錦絵をピックアップしましょう。

江戸時代 フジといえば、亀戸天神のようです。

「東都名所合 亀井戸」(豊国 佐野喜 1854(安政1) 国立国会図書館蔵)
東都名所合亀戸 豊国 (2).png

「亀戸藤の景」(香蝶楼豊国,一陽斎豊国 古賀屋勝五郎 豊国国芳東錦絵 国立国会図書館蔵)
亀戸藤乃景 豊国.jpg

「東都名所亀井戸池中藤花之盛」(広重 藤彦 国立国会図書館蔵)
東都名所亀戸天神 (2).png

「名所江戸百景 亀戸天神境内」(広重 魚栄 安政3 名所江戸百景 国立国会図書館蔵)
名所江戸百景 亀戸天神境内 安政3 広重 (2).png

「江戸名所 亀井戸天神ふし」(広重 泉市 東都名所 国立国会図書館蔵)
江戸名所亀井戸天神ふし 広重 (2).png

「江戸名勝図会 亀井戸天神」(広重 江戸名勝図会 国立国会図書館蔵)
江戸名勝図会 亀井戸天神 (2).png

「東都三十六景 亀戸天満宮」(広重 相ト 国立国会図書館蔵)
東都三十六景 亀戸天満宮 広重 (2).png

亀戸天神の藤棚です。ただし11月初めに撮った写真なので、花が咲いていませんもうやだ〜(悲しい顔) 
2C3E1A78-EC08-47B5-A6A5-EAC4CE6C10AF.jpeg BCBAFE4B-9AE1-4F26-AA7B-A1406F0473AF.jpeg

藤を詠んだ句を適当に挙げてみました。

草臥て(くたびれて)宿かる比(ころ)や藤の花  松尾芭蕉『笈の小文』

水影やむささびわたる藤の棚  其角『皮籠摺』

蓑虫のさがりはじめつ藤の花  去来『北の山』

月に遠くおぼゆる藤の色香哉  与謝蕪村「連句会草稿」

山もとに米踏む音や藤の花 与謝蕪村

藤の花雲の梯(かけはし)かかるなり  与謝蕪村『落日庵句集』

行く春の後ろを見せる藤の花  小林一茶

藤棚の隅から見ゆるお江戸かな  小林一茶


【次回に続く】
色あひよく花房長くさきたる藤の花 松にかかりたる @ フジA [2020年05月06日(Wed)]
【前回の続き】

平安時代になると藤花の宴(とうかのえん)が催され、寝殿式庭園では、中庭のマツの木に絡ませてフジを鑑賞するのが流行りました。

清少納言『枕草子』の第39(42)段あてなるもの(上品なもの)の一つに「藤の花」を挙げています。
第34(37)段木の花はでも

藤の花は しなひ長く 色濃く咲きたる いとめでたし

「藤の花は、しなやかに曲がって垂れている花房が長く、色が濃く咲いているのが、たいそう素晴らしい。」と書いています。

第84(88)段では、めでたきものとして

色あひよく花房長くさきたる藤の花 松にかかりたる

「素晴らしいもの一つに、色合いに深みがあって、花房(はなぶさ)が長く咲いた藤の花が松にかかっている景色」を挙げています。


『春日権現験記』(板橋貫雄/模写 1870(明治3) 国立国会図書館蔵)第5軸にマツに絡まるフジが描かれています。
春日権現験記絵巻第5巻17 (2).png 春日権現験記絵巻第5巻17 (4).png

『春日権現験記』(かすがごんげんげんき)は、藤原氏の氏神である春日神(春日権現)の霊験を描いた鎌倉時代の絵巻物です。1309(延慶2)年に時の左大臣 西園寺公衡の発案で、宮廷絵所の長 高階隆兼によって描かれ、春日大社に奉納されました。
こちらは『春日権現験記』が奉納された春日大社。
IMG_2252.JPG IMG_2255.JPG

4月中旬だったのでフジは咲いていませんでしたちっ(怒った顔)
IMG_2256.JPG

いやいや、よく見ると咲いています揺れるハート
IMG_2256 (2).JPG IMG_2256 (3).JPG
▲以上5枚、2016年4月12日撮影


紫式部『源氏物語』でも、フジの花が登場する場面はいくつかあります。
第三十三帖「藤裏葉」では、藤花の宴がとりあげられています。
雲居の雁の父の内大臣は、藤花の宴に夕霧を招待し、相思相愛の二人の結婚を許します。

藤の花の枝に付けた内大臣から夕霧への贈歌。
わが宿の藤の色濃きたそかれに 尋ねやは来ぬ春の名残を
 わが家の藤の花の色が濃い夕暮れに訪ねていらっしゃいませんか、逝く春の名残を惜しみに。

※『和漢朗詠集』上巻「春」「三月尽」
惆悵す春帰って留むることを得ざることを紫藤の花の下に漸く黄昏たり

※白居易「三月三十日題慈恩寺」
慈恩春色今朝盡  慈恩の春色(しゅんしょく) 今朝(こんてう)尽く
盡日裴回倚寺門  尽日(じんじつ)徘徊(はいくゎい)して寺門(じもん)に倚(よ)る
惆悵春歸留不得  惆悵(ちうちゃう)す 春帰りて留め得ざるを
紫藤花下漸黄昏  紫藤(しとう)花下(かか) 漸(やうや)く黄昏(こうこん)

宰相中将(夕霧)の返歌。
なかなかに折りやまどはむ藤の花 たそかれ時のたどたどしくは
 かえって藤の花を折るのにまごつくのではないでしょうか、黄昏時のはっきりしない頃では。
 「(花を)折る」には結婚する、の意

内大臣の詞。
『後撰集』巻三「春下」一〇〇、読人しらず
春日さす藤のうら葉のうちとけて君し思はばわれも頼まん

内大臣の夕霧への贈歌。
紫にかことはかけむ藤の花 まつより過ぎてうれたけれども
 紫のせいにしましょう、藤が松の木を超えるほど(貴方の結婚申し込みを)待ち過ぎてしまったことはつらいことでしたが。
 「紫」は雲居雁をさす。
 「まつ」に「松」と「待つ」、
 「憂(う)れ」(つらいこと)に「末(うれ)」(木の枝の先端)を懸ける。
 「藤」と「末」は縁語。

頭中将(柏木)歌。
たをやめの袖にまがへる藤の花 見る人からや色もまさらむ
 うら若い女性の袖に見違える藤の花は、見る人の立派なためかいっそう美しさもまさることでしょう。

(略)この花のひとり立ち後れて 夏に咲きかかるほどなむ あやしう心にくくあはれにおぼえはべる 色もはた なつかしきゆかりにしつべし(略)
 藤の花だけが一歩遅れて、夏にまたがって咲くという点でいいものだと心が惹かれて、私はこの花を愛するのですよ。色だって人の深い愛情を象徴しているようでいいものだから(与謝野晶子訳)

(略)まだほのかなる梢どもの、さうざうしきころなるに、いたうけしきばみ横たはれる松の、木高きほどにはあらぬに、かかれるのさま、世の常ならずおもしろし。(略)
 春の花が皆散ったあとで若葉もありなしの木の梢の寂しいこのごろに、横が長く出た松の、たいして大木でないのへ咲きかかった藤の花は非常に美しかった。(与謝野晶子訳)


【次回に続く】
藤波の花は盛りになりにけり @ フジ@ [2020年05月05日(Tue)]
我が家のフジの花が満開です。
鉢植のフジですが、この何年かで勢いを増して、すごい状態になっています。
749DBE83-26EA-4B97-8102-AD14FFF3733D.jpeg 03E5D7C1-DAD9-4BD3-884F-0C27981DB51E.jpeg 2AA1CB07-9C39-4B9F-B904-41F0A1EEBCC5.jpeg 2F025814-23F7-4034-B8DF-3074D9F1245A.jpeg

フジの花は古来より日本人に愛され続けています。

『万葉集』では26首に登場します。
〈巻八・「秋相聞」・一六二七 〉には、家の庭に移植したフジの花の咲く様子を愛でたのでしょう、こんな歌があります。

万葉集第8巻 1627 曼朱院本 京都大学図書館蔵 (2).jpg
『[曼朱院本]萬葉集 20巻』(京都大学附属図書館蔵)

万葉集巻8 1627 大友家持 近衛文庫 (2).jpg
『万葉集 20巻』(近衛文庫 京都大学附属図書館蔵)

大伴宿祢家持攀非時藤花并芽子黄葉二物贈坂上大嬢歌二首
吾屋前之 非時藤之 目頬布 今毛見壮鹿 妹之咲容乎  
(一首略)
 右二首天平十二年庚辰夏六月徃来

大伴宿祢家持 時じき藤の花 并(あは)せて萩の黄葉(もみち)の二つの物を攀(よ)ぢて、坂上大嬢(さかのうえのだいじょう)に贈る歌二首

大伴宿祢家持」つまり大伴家持(おおとものやかもち)が季節はずれの藤の花と萩の紅葉の二つをよじって折り取り、坂上大嬢に贈った歌二首のうち一首です。

わがやどの ときじきふぢの めづらしく いまもみてしか いもがゑまひを

  「咲容」は「えまい」と読みます。
  「咲」は「笑」の古字で、「咲(わら)う」「咲(え)み」と読みます。
  「乎」はここでは「を」と読みます。

我が宿の 時じき藤の めづらしく 今も見てしか 妹が笑まひを
  
  「我が宿の時じき藤の」は「めづらしく」を導く序詞です。
  「時じき」は形容詞連体形で、「その季節にはずれている」の意です。
  「めづらしく」季節はずれに咲く藤の花が清新であることと、「妹」の「笑まひ」がすばらしいことの両方にかかります。

我が家の庭に咲いた季節はずれの藤の花がめずらしいように、いますぐにでもみたいものです。あなたの笑顔を。

ちなみに、家持が贈ったもう一首はこちらです。

吾屋前之 芽子乃下葉者 秋風毛 未吹者 如此曽毛美照
わがやどの はぎのしたばは あきかぜも いまだふかねば かくぞもみてる
我が宿の 萩の下葉は 秋風も いまだ吹かねば かくぞもみてる
我が家の庭の萩の下葉が秋風もまだ吹かないというのに、ほれ、こんなに色づきました。
B065E990-4704-42D2-B218-6F7B770CD897.jpeg B0106F20-E105-49B2-B846-8CB6369B1710.jpeg
▲ハギ(2019年10月28日元興寺(奈良市)にて撮影)

大伴家持
(巻子『三十六歌仙像』 清家文庫 京都大学附属図書館蔵)
大伴家持 三十六歌仙 (2).jpg
    

〈巻三・「雑歌」・三三〇〉に
万葉集巻3 330 近衛文庫 (2).jpg
『万葉集 20巻』(近衛文庫 京都大学附属図書館蔵)

防人司佑大伴四綱謌二首
(一首略)
藤浪之 花者盛尓 成来 平城京乎 御念八君  

防人(さきもりの)司佑(つかさのすけ)大伴四綱(おおともよつな)の謌二首

歌い手は大宰府の防人の次官 大伴四綱。
奈良を離れて遠く大宰府に赴任している大宰府の長官 大伴旅人(おおとものたびと)に向けて詠んだ歌といわれています。

ふぢなみの はなはさかりに なりにけり ならのみやこを おもほすやきみ
 
 「尓」は「に」と読みます。
 「平城京」は「平城の京」つまり「ならのみやこ」です。
 「乎」は「を」と読みます。
 「念」は「おもほす」です。 

藤波の 花は盛りに なりにけり 平城の京を 思ほすや君

 「藤波」は、藤の花。藤の花房が風になびくさまを波に見立てていう語。
 「君」は、大伴旅人を指すと考えられます。

波打つように咲き誇る藤の花は今こそ盛りを迎えています。(長官は)奈良の都を思い出されておられますでしょうか。

これに答えるように、〈巻三・三三一〉から大伴旅人の望郷の歌が続きます。

帥大伴卿歌五首
吾盛 復将變八方 殆 寧樂京乎 不見歟将成

(以下四首略)

 「復」「を(つ)」(〈変若〉つ)(自動詞)もとに戻る。若返る。
 「殆」「ほとほと(に)」(副詞)@もう少しで。すんでのところで。危うく。Aおおかた。だいたい。

わがさかり またをちめやも ほとほとに ならのみやこを みずかなりなむ
我が盛り また変若めやも ほとほとに 寧楽の京を 見ずかなりなむ
わが権勢を誇っていた頃にまた復帰できるだろうか。いやいや、このまま奈良の都を見ずじまいになりそうだ。


「盛りになりにけり」と詠われている「藤の花」もおそらくは「藤原家」のことを遠回しに表現したのではないかとも言われています。
D5AC3DAD-97FC-4849-9687-FC95D38DE20F.jpeg


フジは鑑賞するだけでなく有用植物でもあります。
奈良時代、フジの蔓は、樹木を伐採し、運び、建物を建てるためにも使われました。
また、「藤布」といって、縄文時代から山野に自生するフジの蔓の外皮の繊維で織ってが作られていました。

0C6AF132-38D7-4621-817A-1D281D40D0D7.jpeg

そんな藤布を使って作った衣服を「藤衣」といい、織り目が粗く、肌触りが硬い。貧しい者の衣服とされていました。
粗末な作業着である藤衣を着た海女を詠んだ歌があります。

〈巻三・「譬喩歌」・四一三〉
万葉集巻3 須磨の海女 大綱公人主 (2).png
『万葉集』(清水浜臣 国立国会図書館蔵)

大網公人主宴吟歌一首
須麻乃海人之 塩焼衣乃 藤服 間遠之有者 未著穢

大網公人主(おおあみのきみひとぬし)が宴会の時に戯れて詠んだ歌です。

すまのあまの しほやききぬの ふぢころも まどほにしあれば いまだきなれず  

須磨の海女の 塩焼き衣の 藤衣 間遠にしあれば いまだ着なれず

須磨の海女の塩焼き作業に着る藤衣は織目が粗いので、まだ着慣れないです。

 「塩焼き衣の藤衣」の「の」は同格の格助詞。「塩を焼くときの作業着である藤衣」という意です。
 「藤衣」は、藤の皮の繊維で織った庶民の衣服。序詞として用いて、織り目が粗い意から「間遠に」に、衣のなれる意から「馴れる」にかかります。
 「間遠」は、織り目が粗いさま。衣の繊維の目が粗いことと、会う間隔が長い、つまり、逢える日の少ない意味を重ねています。
 「いまだ着なれず」は、まだ着古して身体になじんでいないことで、うち解けられない意味を重ねています。



参考文献:
『[曼朱院本]萬葉集 20巻』(京都大学附属図書館蔵)
『万葉集 20巻』(近衛文庫 京都大学附属図書館蔵)
巻子『三十六歌仙像』( 清家文庫 京都大学附属図書館蔵)
  ※以上3冊は京都大学貴重資料デジタルアーカイブでインターネット公開されています。
『万葉集』(清水浜臣 国立国会図書館蔵)
  ※国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。


【次回に続く】
肥後国海中の怪(アマビエの図) [2020年04月29日(Wed)]
疫病退散パンチ アマビヱが話題になっていますが、
アマビヱの出現を伝える江戸時代後期の瓦版(1846(弘化3)年4月中旬)を京都大学附属図書館が収蔵していますぴかぴか(新しい)

京都大学附属図書館の貴重資料デジタルアーカイブ「新聞・絵」のサイトでその画像が公開されていて、資料名と所蔵先を明示しサイトにリンクするようにすれば、自由に使っていい、ということなので、「肥後国海中の怪(アマビエの図)」をアップさせていただきます揺れるハート

アマビエ.jpg

肥後国海中江毎夜光物出ル所之役人行
見るニづの如く者現ス私ハ海中ニ住アマビヱト申
者也當年より六ヶ年之間諸国豊作也併
病流行早々私シ写シ人々二見せ候得ト
申て海中へ入希り右ハ写シ役人より江戸江
申来る写也
  弘化三年四月中旬


変体かなを現代のひらがなに置き換え、句読点を入れてみました。

肥後国海中え[へ]毎夜光物出る。所の役人行(き)
見るに、づ(図)の如く者現す。「私は海中に住アマビヱと申(す)
者也。當年より六ケ年の間、諸国豊作也。併(し)
病流行。早々私し写し、人々に見せ候得」と
(し)て海中へ入けり。右は写し、役人より江戸え[へ]
(し)来る写也。
  弘化三年四月中旬

現代語訳してみました。

肥後の国の海中に毎夜光る物が出没するというので、そこの役人が行ってみると、図のようなものが姿を現した。「私は海中に住むアマビエと申す者なり。当年より6ヶ年の間、諸国で豊作が続く。併(しか)し疫病も流行する。早々に私を写し人々に見せなさい」と申して、海の中へ入っていった。アマビエを写し、役人より江戸へ伝えられた写である。
  弘化3年4月中旬(1846年5月上旬)

長髪に鳥のようなくちばし、うろこに覆われた胴、うろこのある耳、3本の足?または尾びれ?、そして、チャームポイントのキラリと輝く目……そんな姿で描かれたアマビエ。
アマビエの瓦版には除災の護符としての効能は明記されていませんが、
「疫病退散」を願って・・・揺れるハート

アマビエ (2).jpg「肥後国海中の怪(アマビエの図)」改変

厚生労働省もアマビエにすがっているようですかわいい

厚労省 アマビエ.jpg
大豊神社の狛ねずみ [2020年01月10日(Fri)]
今年は子年
京都 哲学の道にある大豊神社(おおとよじんじゃ)の末社の大国社(だいこくしゃ)には、今年の干支の狛子(鼠)(こまねずみ)が鎮座していますぴかぴか(新しい)
0344EE87-8B5C-4C42-A42C-731BA6661CC5.jpeg

大国社には大国主命(おおくにぬしのみこと) がお祀りされています。
大国社の狛子(鼠)は、大国主命を助けたというネズミの伝説がその起源になっています。
23C34E8A-6780-4008-953F-90F40DEA18AA.jpeg

左側の吽形狛子(鼠)が抱えているものは水玉でこれは豊穣や薬効を象徴し長寿を表しています。
6E6B270D-E54A-44A8-9567-4C8DBC42A8D6.jpeg

右側の阿形狛子(鼠)が抱え持っているものは学問を意味する巻物です。
434CF063-F12A-4972-9DAE-0E7FD02CC853.jpeg

 
大豊神社
B79D8029-02F9-4621-AA71-EE6A088EFF15.jpeg


境内には、狛子(鼠)の他にそれぞれの末社などに狛狐狛猿さる狛鳶狛巳ヘビが鎮座していますが、こんな木もありました揺れるハート
205F653C-F857-42C0-8F44-68658D7D0836.jpeg

難儀を祓い幸せを呼ぶ 夫婦 梛の木 (マキ科 ナギ)
04824A16-4104-419D-A4A1-CCFFD923D0C3.jpeg

ナギは、「梛」と書き、読み方が波のない穏やかな海のことを指す「凪」に通じることから、海の安全を司る木とされています。 また、針葉樹ですが、 広葉樹のような葉型で、葉の形は楕円状披針形で、葉っぱの表も裏も美しいことと、葉脈が縦方向のみにあるため、縦方向に引っ張っても容易に裂けにくいことから、裏表なく引き裂かれない夫婦をあらわし、良縁に恵まれるという葉や実が夫婦円満や縁結びのお守りとしても使われてきました。
BF7A93F4-45D5-4CD2-8F17-17A24FED7A15.jpeg

この木は二股の木で、「夫婦梛」と呼ぶにふさわしい木です。
夫婦円満や縁結びに霊験あらたかな木という気がしますね。
9DF5153B-5DB4-4F35-A9A6-F13E7A86DA21.jpeg


大豊神社は、哲学の道の
34B6D7E4-FAA6-48F8-B86E-9A787427243B.jpeg

南端近くにあります。
C18319FE-D18E-4E38-A1B9-08C81D28EDE8.jpeg

哲学の道から見た夕焼け。
2034151B-2788-487B-97C0-D6ADC850C63F.jpeg18:12


※ 「狛子(鼠)」は2018年12月11日のブログでも紹介
※ 「ナギ(梛)」は2018年6月11日のブログでも紹介
※ 写真の撮影は2016年4月6日
ヒカゲノカズラ? [2020年01月02日(Thu)]
2019年12月20日に開催したワークショップ親子で絵本とあ・そ・ぼ!2019 「長谷川義史さんと紙袋でおしゃれな帽子づくり ― 絵本の読み聞かせもあるよ」には、担当の徳山ベースキャンプの方がいろいろな材料を持ち寄ってくださいましたぴかぴか(新しい)
その中には、珍しいものがありました揺れるハート

綿(ワタ)もありましたexclamation×2
4A2124A9-DD7B-45A2-94BC-C23DD39097F8.jpeg

そして、みんなが、初めて見た、と言った植物がありました。
F9B57F21-A329-4D85-B56C-7BF4EDF30345.jpeg

それで、こんな帽子を作っていた人がいました。
2718C916-94E5-4B46-BDE3-AF5781B2CCC9.jpeg

私も、シンプルな帽子を作ってみました。
クリスマスにも、お正月飾りになるかな、なんて思いながら……。
8C8EE34E-81FF-40A4-8DE3-C809152F30CC.jpeg

それにしても、面白い植物です。
8D561779-DC4E-49A8-8FCC-A55EA9B6747A.jpeg 
9813013F-87C1-4F9D-88F4-0D6A30D0BF94.jpeg

調べてみると、「ヒカゲノカズラ」という植物によく似ています。
徳山ベースキャンプの担当者のMさんに、持って来てくださった方に聞いてもらったところ、近所に自生しているそうですが、自生の様子が、ネットでみた「ヒカゲノカズラ」とは違うそうです。
一度生えているところを見てみたいです。

一体何なのでしょう???

Wikipediaによれば、「ヒカゲノカズラ」は

一説によれば、天岩戸の前でアメノウズメ(天宇受賣命)が踊った際に、この植物を素肌にまとったとも云われる。古事記には「日影を襷にかけ」とあり、この日影がヒカゲノカズラであるというのである。万葉集にもヒカゲノカズラの名が見える。現在でも京都伏見稲荷大社の大山祭では参拝者にお神酒とヒカゲカズラが授与される。また、奈良の率川神社(いさかわじんじゃ)ではヒカゲカズラを頭に飾った舞姫が踊る「五節の舞」がある。また、大嘗祭や新嘗祭にもかつてはこれが用いられたと言う。

とあります。また、「日陰蔓卯杖飾り (ひかげのかずらうづえのかざり)」というものがあるそうなので、「ヒカゲノカズラ」なら正月飾りにぴったりと、今、我が家の玄関に鎮座しています。
3DE896C1-97D6-4E32-8101-60574A5543A2.jpeg
| 次へ