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山口祇園祭2023(1) [2023年07月19日(Wed)]
7月20日(木)より27日(木)までの8日間、山口祇園祭が開催されますぴかぴか(新しい)

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山口市上竪小路にある八坂神社の祭礼で、京都の祇園会(祇園祭)を模したものです。
社殿が水の上に遷った1459(長禄3)年が始まりといわれています。約565年の歴史があります。

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祭りの準備で、幟旗や提灯が飾られていました。

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昨年までの3年間、新型コロナウイルス感染拡大防止のため縮小して開催されていましたが、今年は、「裸坊」による御神輿の巡行、女神輿、山鉾(眞車山(しんぐりやま)と菊水鉾(きくすいぼこ))での祇園囃子の演奏、鷺の舞、浦安の舞、市民総踊り、御旅所(山口市駅通り1)での鷺替行事(福引き)、少林寺拳法の演武など、各種の神事・行事が4年ぶりに完全開催されるとのことで、心が躍ります。

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鷺の舞が舞われる「扇の芝」も幕が張られたりして準備がされていました。

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拝殿では、大殿小児童が「浦安の舞」の練習をしていました。
浦安の舞は、市内の大殿小と白石小の5年生女子が毎年持ち回りで披露します。

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ご祭神は、素盞嗚尊(すさのをのみこと)・稲田姫命・手名槌命・足名槌命。

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南北朝時代の1369(応安2)年大内弘世(1325〜1380)が京都の祇園社(現在の八坂神社)から勧請し、1370(応安3)年に祇園社を建立したといいます。最初の鎮座地は、竪小路と伝えるが詳らかではありません。

1459(長禄3)年大内教弘(1420〜1465)のとき上宇野令向水の上に移設。香積寺門前・一の坂川の木町橋から下流右岸一帯にかってエノキの森があり、そこが祇園社の古跡だったといいます。

1519(永正16)年大内義興(1477〜1529)が高嶺太神宮(現在の山口大神宮)の創建にあたり、鴻ノ峯の麓の大神宮境内に社殿を移設。翌1520(永正17)年に社殿を新築(一部は従前のもの)。
『高嶺太神宮御鎮坐伝記』には、「水の上は家が多く、穢れの恐れあり」とあります。
※義興が伊勢皇太神宮のご分霊を勧請したのは、1520(永正17)年です。

幕末の1863(文久3)年毛利敬親(1819〜1871)が萩より山口に藩庁を移す(山口移鎮)に際し、警備上の問題から、1864(元治元)年社殿を旧築山館跡で当時畑であった現在地に遷座、本殿は解体移設し、拝殿と楼門は新築。

社号は長く「祇園社」でしたが、「神仏判然令」を受け1869(明治2)年に「八坂神社」と改称しました。

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神紋は「五瓜に唐花(ごかにからはな)」(「木瓜(もっこう)」)。
模様が、キュウリを輪切りにしたものと似ているので、関係者は8日間キュウリを食べません​。

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上記にあるように、本殿は、室町時代の1520(永正17)年に大内義興が建てたものです。
永正17年の棟札が残っています。
1917(大正6)年特別保護建造物に編入され、1929(昭和4)年国宝建造物となり、1950(昭和25)年国指定重要文化財となりました。
本殿の周囲に配されている13個の蟇股は、優美な形で、室町時代特有の厚みと精緻な彫刻を良く表わしています。また、変化に富んだ他に類例の少ない珍しい図柄(花や果物、雲など)が彫刻されています。

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室町時代の延徳4年(1492)の大内家壁書に、「祇園会の時築山に上っての見物は禁止する」とあることから、すでにその頃には、大がかりで賑やかな祭礼であったようです。

▼パンフレット「山口祇園 八坂神社」
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かわいい2023年7月18日(火)、八坂神社にて撮影かわいい
山口祇園祭の前夜祭・御神輿遷霊祭 [2022年07月24日(Sun)]
7月19日(火)20:00より山口市上竪小路の八坂神社において執り行われた山口祇園祭前夜祭・御神輿遷霊祭に氏子総代の皆様と参列させていただきましたぴかぴか(新しい)

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前夜祭・御神輿遷霊祭は、提灯の炎だけがほのかに揺らめく浄闇の中、本殿から御神霊を四角、六角、八角の三基の御神輿に遷(うつ)す神事です。

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小方宮司以下神職の方5人でご奉仕されていました。

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まず、祝詞が奏上されました。

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「低頭(ていとう)ください。」と言われ、参列者は眼を閉じ、頭を深く下げました。
目を閉じていても暗くなったのが分かります。
笙の音色が響く中、「ぎぃ〜」と神殿の扉が開くような音がし、宮司が「おぉぉ〜」という声を発します。これは、「神おろし」というものではなく、「警蹕(けいひつ)」といって、神殿から御神輿へ神様の分霊がお遷りになるとき、神様が自らお出ましになりますよ、神様がお通りになられますよ、ということをお伝えする蹕(さきばらい)です。
こうして、本殿から、神輿庫に並べてある「六角神輿」に出雲で八岐大蛇を退治した「素盞嗚尊(スサノオノミコト)」、「四角神輿」に素盞嗚尊の妻「稲田姫命(イナダヒメノミコト))」、「八角神輿」に 素盞嗚尊の両親「手名槌命(テナヅチノミコト)・足名槌命(アシナヅチノミコト」の分霊がお遷りになられました・・・・・・。
そうして、また、扉が閉じられるよう音がしました。
そして「頭」を上げてください、と言われました。

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最後に、榊を供えて、神事は終わりました。

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その後、直会(なおらい)がありました。 直会は神様にお供えした神饌を神様と共に頂くのですが、コロナ禍でもあり、お茶をいただくだけで済ませました。

祭りは20日から27日まで続きますが、今年も新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、縮小して開催されます。御神幸行列・御還幸行列・鷺替(福引き)及び市民総踊りなどは中止となります。

山口祇園祭は、室町時代に大内弘世が京都から勧請した八坂神社(もともとは祇園社)の例祭で約600年続いている伝統ある祭りです。
祇園祭はそもそも疫病を鎮めるために始まったもので、疫病退散の本義があるとし、神事は通常通り行われますが、御神輿はトラックにて御旅所に運搬されます。

来年こそはコロナ禍以前のお祭りに戻したいですね、とみんなで話しました。
山口祇園祭が終りました [2019年07月28日(Sun)]
山口祇園祭が27日で終わりましたぴかぴか(新しい)
山口にも本格的な夏が訪れます晴れ

27日の御還幸は、晴天に恵まれ、
女神輿を見るためにたくさんの人が集まっていましたかわいい
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女性が担ぐのは女の神様(稲田姫命(イナダヒメノミコト))を遷した四角神輿です。
揃いの鉢巻と法被を着け、重量が1トン近い神輿を担ぎます揺れるハート
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27日に山口祇園祭・御還幸が執り行われます [2019年07月27日(Sat)]
今年の山口祇園祭の御神幸は、激しい雨と強風の中、決行されましたぴかぴか(新しい)

眞車山と菊水鉾も、
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太鼓も、
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猿田彦も、
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宮司さんも、
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鷺舞の一行も、
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八角も、
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六角も、
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四角も、
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ずぶ濡れになりながら、皆さん頑張っていらっしゃいました。

今日27日の御還幸は晴天に恵まれそうです。
女神輿もあります揺れるハート

19:00 御還幸お旅所祭  (浦安の舞奉納)
19:30 御還幸式 御神輿出発
21:00 御還幸本殿祭
山口祇園祭の鷺替 [2019年07月26日(Fri)]
山口祇園祭の期間中、駅通り(今市)のお旅所で「鷺替」が行われていますが、これは明治43年に始まったものですぴかぴか(新しい)

「防長新聞」明治43年7月3日の記事に

【 ●祇園会の鷺替 】
 山口祇園祭の余興として鷺替の賑ひあるべきことは前号に記せしが初日より廿七日まで今市に事務所をおき鷺壱個を五銭に売出し廿八日上竪小路本社境内に於て午後八時より十一時まで鷺替を為す筈にて当選者へ渡すは第一金鷺壱個、第二銀鷺壱個宛二人、第三鏡餅宝付にして一個宛五人なりと聞く

「防長新聞」明治44年7月7日にも

【 ●山口祇園会 】
 有名なる当地八坂神社例祭は来二十日より廿七日迄執行する事なるが廿八日夜上立小路本社に於て鷺換の奉納あり
 鷺籤は祭事期間中今市町にて希望者に頒つべしと


「防長新聞」明治45年7月6日に

【 山口祇園会鷺替 】
 山口祇園祭は来る二十日より二十七日迄執行し同期間は今市事務所に於て木製鷺三千個を限り壱個五銭にて売出し(其買上金は八坂神社へ寄附す)廿八日午後八時より十時迄上立小路八坂神社境内に於て鷺替を行ひ神官御籤を上げ其番号に符号せしものは金製鷺壱個銀製鷺十三個御鏡餅二重を其翌日八坂神社に於て神授し番号に該当せざるものゝ木製鷺は神前に奉納するをよしとす 右は今市町藤井判四郎中河原町大島安治郎御局小路中村利介外七名の発起に係るものにて午後十時より抽籤に移り左の順序に依り当籤者を発表すべしと云ふ
 御籤順序   神授品
 第一御籤上  御鏡餅一重
 第二同    銀製大判一個
 第三同    同 中判一個
 第四同    同 同 一個
 第五同    同 同 一個
 第六同    同 同 一個
 第七同    同 同 一個
 第八同    同 大判一個
 第九御籤上  銀製中判一個
 第十同    同 同 一個
 第十一同   同 同 一個
 第十二同   同 同 一個
 第十三同   同 同 一個
 第十四同   同 大判一個
 第十五同   金製小判一個
 第十六同   御鏡餅一重


「防長新聞」明治45年7月30日に

【 ◎祇園の鷺替 】
 例年の通り当地八坂神社境内にて廿八日夜八時過より鷺替を始め同九時より抽籤を開始し同十時三十分終了したり
 参詣者約四千余名境内に充満し上り籤を今や遅しと待つ内に紋付羽織袴掛の世話人は扇子に恭しく籤を乗せて群衆の前に現はれ片手に籤を取り上げて番外一番(二、四六五号)と大声に読み上げたるを初め以下十六の籤を抽き最後に第十六番札二、二三九号を読み終るや一同鯨波をあげ籤外れの鷺札は雨霰の如く拝殿に向つて飛び乱れ同夜十一時に全く解散せり
 今当籤札の番号及び当籤者を挙ぐれば左の如し
 尚当籤者不明の者四個あり
 昨年不明の二個は番外として本年再び抽籤に附したるが若し今年の分にして申出でざる時は来年廻しとなるべきも第十六番上り札の鏡餅は処分凝議中なり
 因に今回の当籤者当地石原小路久保作太郎は昨年も当籤せし由
 幸運者と云ふべし


とあります。
当時の鷺替は、木製の鷺を買った人のなかから抽選で金鷺・銀鷺などが当たる一種の福御籤で、祭時期間中、御旅所で鷺籤を販売し、祭の終わった28日に八坂神社で抽籤(ちゅうせん)していたようです。
現在の鷺替とは少し違いますね。

鷺替のところに鷺の人形が2種類、飾ってありました揺れるハート
昔の景品だそうです。

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触らせていただきましたが、金属(青銅?)でできているようでとても重いです。
いつ頃の景品なのか関係者の方もわからないようです。
ただ、上の写真の鷺の方が古いとのことでした。

そんな人形も飾ってある山口祇園祭、いよいよ今日と明日になりました。
夕涼みがてら、おいでませ。
「京都の祇園祭と山口の祇園祭」 @ 大内氏遺跡指定60周年記念講演会 [2019年07月20日(Sat)]
山口の守護大名大内氏が京都から勧請した山口祇園祭の初日 御神幸にあわせ、大内氏遺跡指定60周年記念講演会「京都の祇園祭と山口の祇園祭」が開催されますぴかぴか(新しい)

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るんるん日 時るんるん 2019年7月20日(土)13:30〜16:00(開場13:00)
るんるん場 所るんるん 山口県立山口図書館レクチャールーム(山口市後河原150-1)
るんるん講 師るんるん 河内将芳氏(奈良大学文学部史学科教授)
るんるん聴講料るんるん 無料
るんるん申 込るんるん 不要 ※手話通訳・要約筆記有
るんるん問合先るんるん 山口市教育委員会文化財保護課
       電話083-920-4111
       fax to083-920-4112
       mail tobunkazai@city.yamaguchi.lg.jp
るんるん主 催るんるん 山口市教育委員会文化財保護課


山口祇園祭の初日今日 7月20日は「御神幸」@が行われます。

18:00〜 例祭御神幸本殿祭浦安の舞奉納A) <八坂神社>
18:30〜 御神輿発輿祭 のち鷺の舞奉納B <八坂神社>
19:00〜 御神幸式御神輿出発C <八坂神社>
21:00〜 御神幸お旅所祭(鷺の舞・浦安の舞奉納)D <お旅所>

@「御神幸」とは、神の行幸のことで、祭事や遷宮などのとき、ご神体がその鎮座する神社から他所へ赴くことです。
A「浦安の舞」は、扇の舞、鈴の舞の2部からなります。
B「鷺の舞神事」は、鷺に見立てた頭と羽をつけて雌雄の鷺に扮した成人男性2人が優美に舞います。鷺舞が現在も伝承される例は少なく、弥栄神社(島根県津和野町)に伝わる鷺舞いも、山口から伝えられたものです。京都から伝わった当時のままといわれる演舞を地元住民が代々守り伝えてきています。山口県指定無形民俗文化財です。鷺の舞の初舞は、17:00からの萬福寺(堂の前町1)黒地蔵前の舞です。続いて頭屋前、札の辻で披露され、八坂神社は4回目の舞になります。
C祇園囃子をのせた眞車山(しんぐりやま)と菊水鉾(きくすいぼこ)を露払いに、裸坊(はだかぼう)と呼ばれる上半身裸に晒を巻いた男衆が担ぐ三基の神輿が、八坂神社から御旅所まで練り歩きます。
D神輿がお旅所に渡御すると、鷺の舞と浦安の舞が奉納されます。
山口祇園祭 [2019年07月19日(Fri)]
京都の祇園祭・前祭(さきまつり)の山鉾巡行が17日ありましたぴかぴか(新しい)
7月1日の各山鉾町「吉符入」に始まり、31日の境内摂社「疫神社夏越祭」で幕を閉じるまで、1ヶ月にわたって各種の神事・行事が繰り広げられます。
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(▲7月18日付読売新聞)

一方、山口祇園祭は、7月20日から27日までですぴかぴか(新しい)

実は、山口祇園祭は、1909(明治42)年まで6月7日から14日まで行われていました。
1910(明治43)年6月30日の防長新聞に

当地八坂神社例祭は陰暦六月七日より十四日まで執行し来りしが今年より陰暦廃止に付太陽暦七月二十日より同二十七日までに変更の認可あり

とあり、この年より今と同じになりました。
1873(明治6)年より太陽暦が公式に使用されるようになりましたが、庶民生活ではずっと太陰暦が使用されていました。それが1910(明治43)年より暦に太陰暦が掲載されないことになり、全般に太陽暦に切り替わることになりました。全国的にもこの年より祭礼は太陽暦にあわせて行うようになりました。

山車についても

尚ほ古式として山口各町より飾山奉納は神幸の道筋電話線架設のため本年より上竪小路八坂神社境内半分と今市町御旅所の前へ半分を造り奉納の上廿六日より三日間参拝者の観覧に供することゝなり

とあります。
また、鷺替え行事も

其外鷺替の賑も執行することゝなりし由

とあり、この年より始まったようです。

C2AA992C-FBE9-49B8-9405-8654AF194403.jpeg鷺替え行事

0480CBD8-4B38-4295-8A85-422959FF7F4F.jpeg真車山

495A9DA9-CB6C-4836-A0A0-CC83CA763340.jpeg菊水鉾

51D7E570-0B45-4B40-9C36-71E0F8A598F7.jpeg鷺の舞

FD521AFC-04B1-4DF7-BE9A-1D2311258D9E.jpeg浦安の舞 鈴の舞


今日、7月19日(金)20:00より山口市上竪小路の八坂神社において、神輿遷霊祭が行われます。
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提灯の炎だけがほのかに揺らめく浄闇の中、本殿から「四角 稲田姫命(イナダヒメノミコト))」「六角 素盞嗚尊(スサノオノミコト)」「八角 手名槌命(テナヅチノミコト)・足名槌命(アシナヅチノミコト」の神輿三基へ神様の分霊がお遷(うつ)りになられます。
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山口祇園祭 主要行事 日程表。
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(以上写真は昨年の山口祇園祭に撮影)
浦安の舞 鈴の舞が奉納されました @ 山口祇園祭J [2018年07月28日(Sat)]
【前回の続き】

檜扇を鈴に持ち替え、浦安の舞 鈴の舞が舞われましたぴかぴか(新しい)

この鈴は、「鉾鈴」と呼ばれ、柄に20cm程の鉾と鍔が付けられ、鍔の部位に6個、または8個の鈴が付いています。これは三種の神器を模したもので、鉾は天叢雲剣、鍔は八咫鏡、鈴は八尺瓊勾玉とされるそうです。柄の端には5尺ほどの五色の鈴緒が付けられています。

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「浦安の舞」は、1940(昭和15)年11月10日に開かれた「皇紀二千六百年奉祝会」に合わせ、全国の神社で奉祝臨時祭を行うに当たり、祭典中に奉奏する神楽舞として新たに作曲作舞された神楽舞です。

(2018年7月24日撮影)
御中日祭で浦安の舞が奉納されました @ 山口祇園祭I [2018年07月27日(Fri)]
24日御旅所で御中日祭がありましたぴかぴか(新しい)

祝詞の奏上、大祓いなどの神事があり、

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そして、浦安の舞が奉納されました揺れるハート

浦安の舞を舞うのは、白石小学校5年の4名の巫女さんです。
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まず、扇の舞るんるん

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鈴の舞は次回。


今日27日は、いよいよ最終日。
御還幸るんるん

19:00〜 御還幸御旅所祭
浦安の舞が奉納されます。

19:30〜 御還幸式。御神輿出発
女神輿も練り歩きます揺れるハート

21:00〜 御還幸本殿祭 八坂神社


(2018年7月24日撮影)
御神幸御旅所祭で鷺の舞が奉納されました @ 山口祇園祭H [2018年07月26日(Thu)]
7月20日、山口祇園祭の御神幸御旅所祭で鷺の舞を初めてみましたぴかぴか(新しい)
古式ゆかしい舞に感動しました揺れるハート

雌雄のに扮装した二人が、白帷子の長着に白襦袢、白帯、白袴で白脛巾をあて、鷺の頭の作り物を被り、背と両腕に羽翼をつけ、笛太鼓の囃に合わせながら、片翼を開いたまま大きく円形に左回り、雌雄向かい合って止まれば両翼をバタバタと羽ばたかせて、また、回ります。

その2羽の鷺を追って、それぞれの鷺の後へ赤熊髪(シャグマ)が二人、赤毛の頭を被り、濃浅黄色の麻地の鷺定紋入白貫染長着に縦縞袴および白帯、浅黄白段染の襷をかけ、釣太刀を佩(は)き、長い楉(しもと)を持ち、横に構えながら鷺の後をつけて円形に回ります。

かんこという二人の少年が、濃浅黄色の麻地に鷺の定紋入白貫染長着に、薄青色袴および紅白段染の襷をかけ、白黒段付烏帽子を被り、鼓を前方に吊るし、これを打つ短い棒を両手に持ち、腰鼓をトントンと打ってはねます。
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その傍らで、上下袴をつけた太鼓一人、二人が囃し立てます。

簡単にいうとそんなような舞です。


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(2018年7月20日撮影)
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御神幸があり、御旅所に御神輿が御鎮座されました @ 山口祇園祭G [2018年07月25日(Wed)]
7月20日、山口祇園祭の初日、御神幸がつつがなく行われましたぴかぴか(新しい)

私は、御旅所で、御神幸を見せていただきました。
まず、子ども神輿が来ました。
子ども達が元気よく御神輿を担いでいます。

真車山(しんぐりやま)がきました!
囃子の笛と太鼓がのっています。
この真車山は戦後に作られたものですが、車輪が松の木で出来ています。
松の幹を輪切りにしたものです。
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菊水鉾
こちらには囃子の鉦が乗っています。
菊水鉾をひくのは地元の小学生たちです。
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鼻高」と呼ばれています。
猿田彦の神の面です。
御神輿に乗った神様に順路を示す役割があり、怖い顔をしているのは道中の不心得者を威嚇するためです。
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鷺の舞と浦安舞の巫女さん。
神輿が来るまで、巫女さんたちは神主さんの代わりにご奉仕。
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鷺の舞の人たちは休憩タイム。
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横屋六右衛門栄徳の1714(正徳4)年の『周防国山口祇園絵鷺之一巻』に

当代迄御座候鷺のかしら同羽の儀ハ、其昔雲谷の家中興等顔(俗名原次郎兵衛年代慶長年中ノ頃)堂の前町内に住宅ニて御座候時、右雲谷等顔の自作ニて候

また、1844(天保15)年に書かれた『風土注進案 山口宰判 上宇野令之二 廿一(周防国吉敷郡 上宇野令志 弐)』の「祇園社」の記事にも、

今の鷺の頭ハ慶長の頃等顔(雲谷家俗称原次兵衛尉)堂の前町に居(スミ)し時畫(エ)模(カタ)せし彫刻なりといへり

と「等顔」とあったので、マジマジと観察。

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そんなこんなしていたら、神輿がやっと来ましたexclamation×2

大殿地区の担ぐ四角です揺れるハート
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白石地区の人の担ぐ八角です揺れるハート
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宮野地区の人の担ぐ六角です揺れるハート
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こうして、三基とも無事御旅所に鎮座されました。
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時間が押していたので、すぐに、御神幸御旅所が執り行われました。
それは次回…


(2018年7月20日撮影)
御神輿遷霊祭が行われました @ 山口祇園祭F [2018年07月24日(Tue)]
7月20日から始まった山口祇園祭。

それに先立って、19日20:00〜八坂神社で御神輿遷霊祭が執り行われましたぴかぴか(新しい)

提灯の炎だけがほのかに揺らめく浄闇の中、本殿から三基の神輿に神様の分霊をお遷りになられました揺れるハート


八坂神社の社紋「五瓜に唐花」が描かれている赤い提灯に灯りがともっています。
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八坂神社の総代など御神輿遷霊祭に参列する人が神社に集まって来ています。
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社殿の中では、神職の方が準備をされています。
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拝殿も明るく、飾り物が垣間見れます。
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本殿は、今日のお昼間に見た雪洞(ぼんぼり)にも灯りがともっています。
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神倉の扉が開いており、三其の御神輿が見えます。
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ご神霊がお遷りになれるように御神輿の扉?が開いています。
初めてみました。
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神倉の提灯にも灯りがともりました。
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手名槌命・足名槌命は8角へ、素盞嗚尊は6角へ、稲田姫命は4角へとそれぞれお遷りになられるのですね。
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その後の神事は、私は参加できませんので、参列された方からのお話です。

祝詞が奏上され、蝋燭の灯りのみとなりました。

参列者は眼を閉じ、低頭(ていとう)といって、頭を深く下げました。
宮司が「おぉぉ〜」という声を発します。
これは、「神おろし」というものではなく、「警蹕(けいひつ)」といって、神殿から御神輿へ神様の分霊がお遷りになるとき、神様が自らお出ましになりますよ、神様がお通りになられますよ、ということをお伝えする蹕(さきばらい)です。

その後、直会(なおらい)がありました。
直会は神様にお供えした神饌を神様と共に頂きます。

というような話でした。


(2018年7月19日撮影)
御中日祭・御還幸 @ 山口祇園祭E [2018年07月23日(Mon)]
20日から始まった山口祇園祭。

御旅所には三基の御神輿と
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(左から、4角(稲田姫命)、6角(素盞嗚尊)、8角(手名槌命・足名槌命))

子ども神輿と
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猿田彦が祀られています
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24日(火)は、御中日祭が行われますぴかぴか(新しい)

19:30〜20:45 市民総踊り
中心商店街を舞台に「大内の殿様」の曲に合わせ、28団体・約1400人が踊り歩きます。

るんるん大内の殿様 恋をして
 京の姫を 嫁にした
 恋に燃えてる 築山御殿 (略)

 大内の殿様 おもしろい
 祇園の夜に 町人と
 ごちそう食べて 愉快な踊り (略) るんるん

参加団体は次の通りです。
陸上自衛隊山口駐屯地(41人)・山口大(70人)・山口銀行(84人)・山口県庁(39人)・日本赤十字社県支部(27人)・山口赤十字病院(67人)・県赤十字血液センター(25人)・中国電力山口営業所(122人)・山口井筒屋(40人)・すまいるフラワーズ(46人)・萩山口信用金庫(86人)・青藍会(100人)・おおすみグループ「絆」(14人)・山口市役所(92人)・済生会山口地域ケアセンター(68人)・西京銀行(45人)・県立大地域共生演習(30人)・とっぱらっちゃい隊(20人)・市地域自立支援協議会「施設支援部会」 (20人)・みんなで踊り隊(30人)・山口民踊ほたる会(10人)・秋穂民謡同好会(9人)・中清水子ども会(25人)・西糸米子ども会(73人)・西白石子ども会(51人)・龍王子ども会(30人)・東糸米子ども会(28人)・チーム白石小(65人)  計1357人参加予定

今年初めて募った個人での参加者の方は、「みんなで踊り隊」のメンバーと踊ります。

20:00〜 浦安の舞奉納 御旅所
白石小5年生4名が優雅に舞います。
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26日 (木) 19:00〜 奉納演武 御旅所
山口西京道院のメンバーが少林寺拳法の演武を奉納します。


27日(金)は、最終日ですぴかぴか(新しい)
御還幸女神輿が登場します。

19:00〜 御還幸御旅所祭 御旅所
「浦安の舞」が奉納されます。

19:30〜 御還幸式 御旅所
1997(平9)年の初登場以来すっかり定着した女神輿が登場します。
法被姿の約100人の女性たちが4角(稲田姫命、600キロ)を担ぎ、8角(手名槌命・足名槌命、700キロ)、6角(素盞嗚尊、650キロ)とともに御旅所を出発し、
再び市中を練り歩き、八坂神社をめざします。

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4角(稲田姫命)(2018年7月20日御神幸にて)

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8角(手名槌命・足名槌命)(2018年7月20日御神幸にて)

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6角(素盞嗚尊)(2018年7月20日御神幸にて)

21:00〜 御還幸本殿祭 八坂神社
神輿三基から本殿に分霊を戻します。

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八坂神社(2018年7月19日前夜祭・御神輿遷霊祭にて)


期間中御旅所では、約110年続く伝統の鷺替え行事(福引き)もあります。
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黒地蔵と鷺の舞 @ 山口祇園祭D [2018年07月20日(Fri)]
今日20日から27日までいよいよ山口祇園祭です。

そこで、19日は、祭の準備をしているところに行ってみました。

まず、「鷺の舞」が出発する万福寺からぴかぴか(新しい)

場所がわからなかったので、大殿地域交流センターさんで聞きました。
センターにもちゃんと大内菱が揺れるハート
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かわいい万福寺かわいい
小さなお寺で、石州街道に面しています。
何度も通ったことがあったのに、全く気づきませんでした。
龍福寺の末寺だそうです。
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るんるん堂の前町と鷺の舞の関わりについての説明版
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堂の前町にあります。
「堂の前」という町名の由来は、かって地蔵堂があったからだそうです。

笠鉾もと左義長の行列にハあらす抑堂の前町よりこれを出す事其謂れなきにしもあらす、京祇園会の笠鉾は壬生より出つれハなり大内弘世朝臣平安城の景勝を模されし時、此堂の前を京の壬生に準へ給ひしといへり、其は壬生に名たゝる地蔵あり堂の前町にも名地蔵あり、其堂の前という事より名つけしほどの所なれは壬生に準へしというも理りあるにちかからん歟
(1844(天保15)年に書かれた『風土注進案 山口宰判 上宇野令之二 廿一(周防国吉敷郡 上宇野令志 弐)』の「祇園社」の記事)

「笠鉾は鷺の行列のように考えられていますが、そうではありません。そもそも堂の前町から笠鉾を出す事は、これはいわれのないことではありません。京都の祇園会の笠鉾は壬生より出すことかららです。大内弘世公が平安の京を模されてまちづくりをされた時、この堂の前を京の壬生になぞらえられたといいます。それは壬生には名だたる地蔵があり、堂の前町にも名地蔵があり、その地蔵堂の前という事で「堂の前」と名づけれたほどの場所であるので、壬生になぞらえたとういのも理にかなっています。」

1714(正徳4)年4月に山口町人 横屋(難波)六右衛門永徳が堂の前間中のために書き残した『周防国山口祇園会鷺之一巻』に

鷺舞大市より譲り、堂之前町中より調出候、 最初ハ年號慶長之始ニて可有御座様ニ存候、 先年古老のものへも相尋候ても年代不極候、 然共前後之段諸事見合、宮ニ相考へ申候へハ右之分ニ可有御座候事。

とあり、鷺の舞はもともとは大市の人々が担当していたようです。
この文書の記された1714年から数えても300年になります。
300年以上もの間、堂の前の町の人々の力で継承されてきたことは、本当に頭がさがります揺れるハート

るんるん地蔵菩薩の説明版
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るんるん山門
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るんるん山門の柱
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るんるん山門の扁額
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るんるん地蔵堂
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るんるん地蔵堂の扁額
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るんるん屋根瓦にはもちろん大内菱
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るんるん蟇股
毛利の沢瀉文があります。
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るんるん黒地蔵
檜材寄木造で全身に黒漆が施されていることから「黒地蔵」と呼ばれています。
本当に真っ黒です。
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木造地蔵菩像の胎内には墨書があり、

(玉眼押木上方、額から頭頂にかけての部分の銘)
奉刻彫
  等身
  延命
地蔵像
右意趣
者衆病
悉除身心安楽
寿命長遠 
子孫繁昌 心中所願
皆令満足旨
如件
天文十九年庚戌三月九日
 従二位行兵部卿
 兼太宰第弐
 多々良朝臣
 義隆  

□□□加持
□□□闍梨
   法印大和尚
   位豪仁


(頚内孔内)
        一作之
一条源朝臣大仏師法印覚醒(花押)
  六十七歳作之


と入っていました。
(『山口市史 資料編 大内文化』(山口市 2010.9)P.876〜877「万福寺地蔵菩像胎内銘」より)
1550(天文19)年に、大内義隆(1507(永正4)〜1551(天文20))が願主となり、仏師 覚醒によって制作されたことがわかります。

な、なんと、鷺の被り物が準備してありました揺れるハート
この境内で最初の鷺の舞が奉納され、その後、当屋の前で舞われます。
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かわいいそして札の辻で舞われます。
札の辻は、石州街道と萩往還の合流地点で旧藩時代の高札場(法度・掟書を記した札を立てておく場)があったといわれています。
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そして、八坂神社まで竪小路を行列を組んで進みます。
竪小路は、街道らしい古い町並みが残っています。
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かわいい八坂神社
祇園祭の幟旗や赤いちょうちんが上がり、すっかり祭一色。
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本殿にはこの間はなかった灯明も準備されていました。わかりますか?
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鷺舞が奉納される扇形の芝も周りにロープが張られていました。
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かわいいそれから、御旅所まで神幸します。
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当然ですが、御旅所にはまだ何もありません。
ここの中で、鷺の舞が奉納されます。
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しばらくすると、ちょうちんが上げられました。
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鷺替えのちょうちんも上がっています。
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夕方、御神輿遷霊祭の準備の様子を見せていただきましたが、そのご報告はまたの機会に。

(2018年7月19日撮影)
鷺の舞 @ 山口祇園祭C [2018年07月19日(Thu)]
山口に夏の訪れを告げる山口祇園祭が、7月20日から27日まであります。

室町時代から560年の伝統を持つ山口祇園祭では、初日20日に鷺の舞が神社の社頭および神幸の途次、さらに御旅所で行われますぴかぴか(新しい)

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八坂神社の扇形の芝の上で鷺の舞が奉納されます。
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奉納するのは堂の前の「鷺の舞保存会」の皆さんです。
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山口大神宮所蔵の『高嶺太神宮御鎮坐伝記』(1520(永正17)年)には、祇園社の建立、御幸、神事の次第、鉾などのことが書かれているにもかかわらず「鷺の舞」につては一切記載がありません。

「鷺の舞」についての古文書での初出は、大市町の町人 横屋弥次郎昌信の1583(天正11年)の文書『山口祇園会毎年準員人数之事』(「多賀社文庫」山口県文書館蔵)で、

鷺舞事
さき【鷺】    二人    つえ【杖使い、赤熊】 二人
かつこ【鞨鼓】  二人    せうこ【鉦鼓】    二人
小つゝミ【小鼓】 一人    太子【太鼓】     一人
笛ふき【笛】   二人
天正十壱年六月吉日  (横屋弥次郎)昌信

とあります。
弥次郎の孫の横屋六右衛門栄徳の1714(正徳4)年の『周防国山口祇園絵鷺之一巻』にも

鷺舞事
さき 二人    つえ 二人
かつこ 二人   せうこ 二人
小つゝミ 一人  太子 一人
笛ふき 二人
正徳四申牛年卯月吉祥日  横屋六右衛門栄徳


とあります。
伴奏楽器は、もともとは鉦鼓、小鼓、太鼓、笛でしたが、現在では笛と太鼓のみです。

1844(天保15)年に書かれた『風土注進案 山口宰判 上宇野令之二 廿一(周防国吉敷郡 上宇野令志 弐)』の「祇園社」の記事には、

七日巳の上尅神幸なり、早朝左義長笠鉾の行列堂ノ前町を発し、祇園の本社にいたり楼門の前庭に舞ふ、 

とあり、
※この「左義長」は、赤熊やかつこのことを特に指していることが他の文章でわかります。
現代と時間は違いますが、

赤熊髪(シャクマ)を被り楉(シモト)もたるもの二人、次に烏帽子袴着たる少年二人、腰鼓をうちならしながらこれを逐ふ、次に肩衣袴着たるもの数輩連りて笛鼓もて拍子(ハヤ)す、今ハ鷺の頭を戴き、羽翼(うよく)をつけたる者二人、左義長にさきたてり、俗(ヨ)にハ鷺舞とそいふ

と、ほぼ現代と同じ芸態だったことがうかがえます。
また、

太市横屋か家に天文の比の筆記といふものありとて其寫しを観るに、鷺棒つかひ(按是ハ赤熊髪を被り楉もたるものをいふなり)等の名あり、今の鷺の頭ハ慶長の頃等顔(雲谷家俗称原次兵衛尉)堂の前町に居(スミ)し時畫(エ)模(カタ)せし彫刻なりといへり

とあり、鷺の頭は慶長の頃画家雲谷等顔が堂の前町に居住していたとき作った彫刻であると伝えられています。
等顔(1547〜1618)といえば、毛利輝元より雪舟筆の『山水長巻』と雪舟の旧居『雲谷庵』を与えられ、途絶えていた雪舟画の再興を命じられ、雪舟の正当な継承者として、雲谷派を立ち上げた毛利氏の御用絵師です揺れるハート
また、

左義長祇園楼門の前庭で舞てのち、大神宮直会殿(なほらひてん)のまへに舞ふ、畢て左義岩の上に鷺の頭と羽翼とを脱き、己か舍り所に休らひて神幸の時尅をまつ、

とあるように、祇園社が高嶺にあった時は、本社の楼門の前で舞い、次いで大神宮の直会殿の前で舞い、舞い終ると鷺岩の上に鷺の頭と翼を脱いで置くのが慣わしであったようです。

その次に左義長笠鉾 八竿 渡る 

とあるように、笠鉾は古くは八竿でした。

笠鉾もと左義長の行列にハあらす抑堂の前町よりこれを出す事其謂れなきにしもあらす、京祇園会の笠鉾は壬生より出つれハなり大内弘世朝臣平安城の景勝を模されし時、此堂の前を京の壬生に準へ給ひしといへり、其は壬生に名たゝる地蔵あり堂の前町にも名地蔵あり、其堂の前という事より名つけしほどの所なれは壬生に準へしというも理りあるにちかからん歟

この笠鉾は鷺の行列のように考えられていますが、それとは別で、やはり堂の前から出しますが、これは京都の祇園会の笠鉾を壬生より出すことにならい、堂の前の黒地蔵を壬生地蔵になぞらえて行ったものといわれています。

左義長路次のほと拍(ハヤ)して所々を舞つゝ行なり、かくて神輿今市宿院 (御旅宮なり) に御安座ありぬれは左義長彼所の神楽殿の前に舞ふこと本社に同し、七日より十四日にいたるまで神輿御滞座の間、社家あまた宿直し神楽を奏す、

とあり、御旅所で舞うのも現代と同じです。

近藤清石の『山口名勝旧蹟図誌』(1893.10)「巻第一 八坂神社」の中の鷺舞の図です。
明治時中期の様子がわかります、
演者は鷺2、赤熊2、かんこ2、お囃子は笛2、太鼓1です。
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(『山口県指定無形民俗文化財 鷺の舞』(山口市教育委員会 1981.3)P.98〜99)



鷺は雌雄2羽であるといわれ、白帷子、長着、白襦袢、白帯、白袴で白脛巾をあて、鷺の頭の作り物を被り、翼の造り物を肩から腕にかけています。
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赤熊髪(シャクマ)
赤熊髪は一名鷺棒つかいといいます。
赤毛の頭を被り、濃浅黄色麻地に鷺定紋入白貫染長着、縦縞袴、白帯、浅黄白段染の襷をかけ、釣太刀を佩(は)き、長い楉(しもと)を持っています。
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かんこ
濃浅黄色鷺定紋入白貫染長着、薄青色袴に、紅白段染襷をかけ、白黒段付烏帽子を被り、鼓を前方につけ、これを打つ短い棒を両手に持っています。
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この外に囃子をする太鼓が1人、笛2人がいます。
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かわいい県指定無形民俗文化財「鷺の舞」のスケジュールかわいい
 るんるん17:45頃 万福寺境内にて「鷺の舞」
 るんるん18:00  万福寺出発
 るんるん18:05頃 札の辻にて「鷺の舞」
        頭屋へまわり、
        竪小路をとおって八坂神社へ。
 るんるん18:30  八坂神社扇形の芝にて「鷺の舞」奉納(「御神輿発輿祭」の後)
 るんるん18:50  八坂神社出発(「御神幸」
        米屋町交差点安部橋などで「鷺の舞」披露
 るんるん20:30頃 御旅所到着
 るんるん21:00頃 御旅所にて「鷺の舞」奉納(「御神幸御旅所祭」
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