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こどもと本ジョイントネット21・山口


〜すべての子どもに本との出会いを〜

子どもと本をむすぶ活動をしています


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花まつり @ 龍福寺 & 法界寺 [2021年04月09日(Fri)]
4月8日は花まつりですぴかぴか(新しい)

大内氏館の跡地に建つ大内義隆の菩提寺である龍福寺さん。
本堂は、以前は自由に中を拝観できたと思うのですが、今は檀家さんのみが入ることができます。
「甦れ歴史空間 〜大内文化まちづくり〜」さんのサイトの「龍福寺」では、復原の様子や内陣なんどもアップされていますので、詳しいことはそちらを参考にしてください。

でも、花まつりということで、入れていただきましたわーい(嬉しい顔)
お寺にある木から採ったという文旦をいただきました……。
甘酸っぱくて美味しかったです。

お釈迦様の厨子にも大内菱があしらってあり、感激しました。
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その御近所の法界寺(山口市下竪小路)さんの花まつり。
法界寺は大内氏の頃から存在した古い寺です。
「大内氏時代山口地図」(山口県立文書館)にもその名前があります。
ちょうど住職さんの読経があり、こんなご時世、身に沁みました。
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参考文献:
『大内氏時代山口古図』(山口県文書館蔵 軸物資料218)
 ※山口県文書館の高画質画像ダウンロードで公開されています。

山口ヒストリア講演会5「応仁の乱と山口 ―雪舟が生きた時代―」 [2021年01月15日(Fri)]
2月6日(日)、山口県教育会館で、山口ヒストリア講演会5「応仁の乱と山口 ―雪舟が生きた時代―」が開催されますぴかぴか(新しい)

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ベストセラー『応仁の乱』の著者で、国際日本文化研究センター助教の呉座勇一先生が、山口を語る!

るんるん日 時るんるん 2021年2月6日(日)14:00〜16:00 (開場 13:30)
るんるん場 所るんるん 山口県教育会館 ホール 
       山口市大手町2-18
るんるん演 題るんるん 「応仁の乱と山口 ―雪舟が生きた時代―」
るんるん講 師るんるん 呉座勇一(国際日本文化研究センター助教)
るんるん対 象るんるん 250人(事前申込・先着順)
るんるん受講料るんるん 無料
るんるん申込法るんるん メールまたはハガキで、(1)郵便番号、(2)住所、(3)氏名、(4)電話番号を明記の上、下記へ申込。受付後に聴講券を送付。当日会場に持参。
るんるん備 考るんるん 駐車スペースが限られているので、公共交通機関を利用。
るんるん申込先るんるん 山口市交流創造部文化交流課
       歴史文化のまちづくり推進室(分室)
       〒754−8511 山口市小郡下郷609番地1
       電話 083-973-2438
       mail to s-hensan@city.yamaguchi.lg.jp


かわいい呉座勇一(ござ・ゆういち)かわいい
1980年生まれ。国際日本文化研究センター助教(日本中世史)。
著書に『戦争の日本中世史「下克上」は本当にあったのか』(新潮社〈新潮選書〉 2014.1)『日本中世の領主一揆』(思文閣出版 2014)『一揆の原理』(筑摩書房〈ちくま学芸文庫 コ 44-1〉 2015.12)『応仁の乱―戦国時代を生んだ大乱』(中央公論新社〈中公新書 2401〉 2016.10)『陰謀の日本中世史』(KADOKAWA〈角川選書〉 2018.3)『日本中世への招待』(朝日新聞出版〈朝日新書〉2020.2)。
編著に『南朝研究の最前線』(洋泉社〈歴史新書y〉 2016)。
雪舟回廊 @ 常徳寺庭園に行きました@ [2020年11月29日(Sun)]
山口市阿東蔵目喜にある常徳寺にある伝雪舟作庭の庭園を山口市が整備したというので、行ってみましたぴかぴか(新しい)

国道9号→県道11号のルートで行きました。
県道11号萩篠生線を三谷・生雲方面から行くと右手に大きな看板があります。
そこから道を下ると小さな集落があり、入ってからも、道案内板が分かりやすく立っていて、迷わず行くことができました。
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車で行けそうですが、「道幅が狭くなります」とあったので、車を停めて歩いていくことにしました。

車から降りるとネコ集会(?)を開いていたネコが一斉に寄って来て、歓待。もふもふモテ期キタ〜exclamation×2
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川沿いに石像や石碑やお花を眺めながらのんびり登って行きます。
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紅葉もきれい。そういえば、途中、長門峡すごい人出でした。
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少し歩くと「常徳寺庭園(雪舟庭)」というのが見えてきました。
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大きな看板が立っています。
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雪舟回廊
国土交通省のガーデンツーリズム(庭園間交流連携促進計画)に登録されました。
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雪舟回廊のテーマは「雪舟の作品に出合うことができる旅」で、「伝雪舟作の庭園」、「絵画作品を鑑賞できる空間」、「雪舟ゆかりの地」の3つの視点から雪舟が見たであろう風景や雪舟の世界観を追体験できるツーリズムです。
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県内では、構成庭園として、「雪舟が山口に滞在していた際に、守護大名大内氏によって作庭を命じられたと伝わる常栄寺庭園(山口市)や、
常栄寺 雪舟の庭2.jpg常栄寺雪舟庭 常栄寺 雪舟の庭.jpg

雪舟と同時代の庭園大内氏館跡枯山水庭園
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大内氏館跡池泉庭園
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雪舟山水画の最高傑作とされる国宝「四季山水図」を鑑賞できる毛利博物館・毛利氏庭園(防府市)が指定されています。
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雪舟のアトリエとされる雲谷庵善生寺庭園は、構成庭園に入っていませんが、
D9938FEB-88FE-42F2-AAFD-E786B6584F58.jpeg雲谷庵

雲谷庵は、「構成庭園以外で庭園間交流連携促進計画を構成する施設」となっています。

山口市文化交流課のサイトには、リーフレット『雪舟回廊』がアップされています。
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ここ常徳寺は、『防長風土注進案』

古蹟 雪舟之築庭、常徳寺境内にあり 但年月不詳

と記されています。


【次回に続く】
「常栄寺雪舟庭秋のライトアップ」に行きました [2020年11月27日(Fri)]
11月20〜22日、常栄寺雪舟庭秋のライトアップがあり、初日の20日(金)に訪れましたぴかぴか(新しい)

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平日の夜だからか、余り人も多くなく、静かに鑑賞できました。

常栄寺雪舟庭は、「伝雪舟作庭園」と言われ、雪舟作であることを示す同時代史料はないものの、近世の地誌や伝承などで“雪舟が作庭した”と現代に伝わっています。

常栄寺の地には、もともとは、大内氏の当主・大内政弘の母の菩提寺であった妙喜寺がありましました。
政弘に命じられ、雪舟が妙喜寺の庭園を作庭したと伝えられています。

ここの地にあったお寺の変遷は、こんな感じなのでしょうか。
妙喜寺【政弘の母(妙喜寺殿宗岡妙正大姉)の菩提寺】

妙寿寺【毛利隆元夫人尾崎局(妙寿寺殿仁英妙寿大姉)の菩提寺】(毛利氏が長州藩に移封の際、安芸(広島)吉田の郡山城内より移る)

常栄寺【毛利隆元(常栄寺殿花渓常栄大居士)の菩提寺】

常栄寺も3度場所を変えています。
広島県安芸高田市吉田(元就が長男隆元の菩提を弔うために1563(永禄6)年、竺雲彗心(じくうんえしん)を開山として、安芸国吉田の郡山城内に創建)

山口市水の上町(毛利氏が長州藩に移封の際、慶長年間(1596~1615)に国清寺【大内盛見の菩提寺】を常栄寺とする)

山口市宮野下(長州藩が萩城から山口政事堂に移転した際に、萩にあった洞春寺【元就の菩提寺】を移転させたため、1863(文久3)年にこの地に移る)


雪舟像。
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雪舟像と鐘楼門。
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山門と受付と鐘楼門。
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聴松軒より。ここが一番の撮影スポットです。
池に映る紅葉が綺麗です。
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三日月がきれいでした。
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遊歩道を歩いてみました。
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本堂へ上がってみました。
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本堂から見る雪舟庭。
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窓越しの庭園。
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南溟庭(なんめいてい)。
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本堂に座り瞑想していたら、すっかり体が冷えました。
長門国一宮 住吉神社に行きましたC本殿 [2020年08月03日(Mon)]
前回の続き

長門一の宮・住吉神社は、福岡県の住吉神社、大阪府の住吉大社と並び「日本三大住吉」に数えられます。

本殿
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  九間社流造、正面五ヵ所千鳥破風附、檜皮葺
  附 玉殿 五基
    棟札 四枚
 応安三年(一三七〇)長門国守護大内弘世が再建、以後、何度も修理が施されていますが、再建当時の室町初期の神社建築形式をよく留めています。
 祭神を祭る本殿は、一間社流造の五つの社殿を相の間(あいのま)で連結し九間社流造の形式を採っていますが、正面に千鳥破風が設けられ、流造としては異例です。身舎(もや)側面は一間で、正面には浜床(はまゆか)および浜縁(はまえん)が取りついています。
 また、組物、軒廻り、蟇股(一部後補)などの構造意匠は非常にまとまりがよく、優れています。


桁行22.8m、梁間4.6mあります。
五つの社殿の各正面には、千鳥破風という小さい屋根がつけてあります。
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千鳥破風とは、屋根の流れ面に設けた三角形の破風のことをいいます。
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各社殿内には玉殿があり、五基とも同一意匠で、本殿の建築と同時代のものと思われ貴重だそうです。また内部の板壁には、彩色された絵が施されています。
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2010年11月2日から8日、極彩色の板絵が施された社殿内部と玉殿が公開されました。その時の写真を見ると、玉殿の左右と背面施された板絵には、弓矢を持った武将などの人物画、竹やぶを飛ぶスズメなどの風景画が精密な筆致で描かれています。

玉殿は櫓皮ぶき入母屋造で、御神体を奉安しています。
西の第一殿表筒男命・中筒男命・底筒男命(住吉大神)の荒魂を主神として祀り、
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西の第二殿応神天皇
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▲「古画類聚 後集 古画 人形服章 肖像1 応神天皇像」(松平定信/編 寛政7年(1795))(原本:応神天皇像(河内国誉田八幡旧蔵))(東京国立博物館蔵)

中の第三殿武内宿禰命
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▲『武者かゞみ 一名人相合 南伝二』「武内宿禰」(一猛斎芳虎/画 山庄 〔安政6〕)(『慶応頃錦絵帖』より)(国立国会図書館蔵)

東の第四殿神功皇后
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『武者かゞみ 一名人相合 南伝二』「神功皇后」(一猛斎芳虎/画 山庄 〔安政6〕)(『慶応頃錦絵帖』より)(国立国会図書館蔵)

東の第五殿建御名方命を配祀します。

祭神については、『住吉開基造営等之覚書』は「応神天皇・武内宿祢・神功皇后は、聖務天皇の神亀年中、筑紫の宇美から勧請。建御名方命は後世に奉祭」、
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▲宇美八幡宮(福岡県糟屋郡宇美町)

『長門国一宮略記』には、「応神天皇・神功皇后は、聖務天皇の神亀年中。武内宿祢・建御名方命は、朱雀天皇の承平年中の奉祭」、『長門国志』は「応神天皇・神功皇后は、聖務天皇の神亀年中、筑前より勧請。武内宿祢・建御名方命は、勧請年不詳。」

『日本書紀』巻第九「氣長足姬尊 ~功皇后」によれば、三韓征伐の際、新羅に向かう神功皇后に住吉三神(住吉大神)が「和魂服王身而守壽命、荒魂爲先鋒而導師船(和魂は玉身に服いて寿命を守り、荒魂は先鋒となりて師船を導かん)」と神託してその渡海を守護し、
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『日本書紀』巻第九「気長足姫尊 神功皇后」(国立国会図書館蔵)

帰途、三神が「我荒魂、令祭於穴門山田邑也(我荒魂は穴門の山田邑に祀れ)」と再び神託し、穴門直践立(あなとのあたえほんだち)を荒魂を祀る神主として、「祠立於穴門山田邑(社を穴門(長門)の山田邑に建てた)」のを起源としています。
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『日本書紀』巻第九「気長足姫尊 神功皇后」(国立国会図書館蔵)

他方、和魂を祀ったのが摂津国一宮の住吉大社です。

927(延長5)年成立の『延喜式』巻10「神名帳」では「長門国」「豊浦郡」に「住吉坐荒御魂神社三座 並名神大」と記載され、三座が名神大社に列しています。
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『延喜式』巻十 神祇十(藤原時平他)(日本古典全集刊行会 昭和4)(国立国会図書館蔵)

天安3(859)年1月27日、「住吉荒魂神」の神位が従五位下から従五位上になったことが、『日本三代実録』にみえます。その後も、貞観17(875)年10月8日、従五位上から正五位下 (「住吉荒御影神」『日本三代実録』)、貞観17(875)年12月5日、従四位下から従四位上 (「住吉荒魂神」『同』)、仁和2(886)年11月14日、従四位上から正四位下 (「住吉荒魂神」『同』)に進められています。
寛平3(891)年8月21日、「住吉荒御魂神」の神位が正四位下から正四位上になったことが『日本紀略』にみえます。

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普通、社殿は中央に第一祭神を祀るのですが、ここ住吉神社では左端に第一祭神の住吉三神が祀ってあります。1370年建立の現在の社殿は南面していますが、それ以前は第一殿の場所に社があり、西の方(新羅の方)を向いており、そこまで、海が迫っていたそうです。(神職の方のお話)

蟇股の大内菱ですが、2つあり、東端の第五殿(前回紹介済)と西端の第一殿のところにあります。
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参考文献:
『山口市史 史料編 大内文化』(山口市 2010)
  P659〜63「住吉神社」
  P115〜19「長門国守護代記」
『武者かゞみ 一名人相合 南伝二』(一猛斎芳虎/画 山庄 〔安政6〕)(『慶応頃錦絵帖』より)
『延喜式』巻9・10「神名帳」
『日本書紀』
  ※以上3点は国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています
『古画類聚 図版篇』後集
  ※東京国立博物館の研究情報アーカイブズでインターネット公開しています。
長門国一宮 住吉神社に行きましたB拝殿 [2020年08月02日(Sun)]
前回の続き

拝殿
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屋根は一重切妻造で、妻側が正面になっています。
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神額には、「住吉荒魂本宮」とあります。
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古文書に、1539年(天文8)に毛利元就が建立したとあります。
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  桁行三間(6.9m)、梁間一間(4.9m)、一重切妻造、妻入、檜皮葺
 天文八年(一五三九)、安芸国(広島県)の戦国大名毛利元就が建立した、四方吹放ちの建物です。木鼻、蟇股、組物などの細部手法に創建時の特徴が見られます。
 この種の拝殿を縦長に配置する例は少なく、本殿とともに貴重な文化財です。


拝殿は本殿の正面中央に接して、これに直角に建てられています。
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参考文献:
『山口市史 史料編 大内文化』(山口市 2010)
  P660〜1「住吉神社」「拝殿」


次回に続く
長門国一宮 住吉神社に行きましたA南参道・西参道・社叢 [2020年07月31日(Fri)]
前回の続き

南参道
南の大鳥居。
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厳島神社。
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説明板「国宝「本殿」造営・寄進六五十年」。
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説明板「長門一の宮住吉神社社叢」。
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由緒書。
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楼門。
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国登録有形文化財です。
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1901(明治34)年に建てられました。
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狛犬。
マスクをしています。
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西参道
鳥居(明和六年(1769))、灯籠(寛政十一年(1799))、社号「住吉神社」、手水鉢(文化十一年甲戌(1814))。
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あちらこちらに幡「守護大名 大内弘世公 本殿造営・寄進六五〇年」が立てられています。
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神庫。
神紋の水巴がついています。
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神籠石(こうごいし)。
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宮地築(きづき)始(はじめ)紀念碑
東の斎宮(いわいのみや)の旧跡と相応ずるもの
東に祀る祭りの庭のしるしである



検非違使社。
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鐘楼。
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銅鐘は新羅時代のもので、重要文化財ですが、ここにはさげられておらず、宝物館に収蔵されています。
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この建物は、四方囲いの吊鐘堂で垂直に立つ四本の太柱は豪壮、古記録に天文八年(一五三九)毛利元就が拝殿・鐘楼を修造とある。
四隅に突出た挙鼻の刳形文様に室町時代の古式様相をとどめている。なお、古鐘(重要文化財・銅鐘は高麗時代初期・約九百年前)宝物殿収蔵 
高さ 一四二、二センチ 口径 七八、五センチ 厚さ 五センチ 重さ 八〇〇キロ 
渡来された銅鐘では巨大なもの。



西神門。
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東社叢
厄割玉お祓い所。
厄割玉を厄割石に投げて割ることにより厄を落とします。
投げる場所は、「厄」により、地面の石版で決められています。
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鳥居。
蛭子神」の神額があり、「天保十三年(1842)四月吉日  奉寄進 一ノ宮氏子」と彫られています。
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田尻社・若宮神社、蛭子社、七社。
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高元社。
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稲荷神社。
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御神霊樹 大楠。
案内板「御神霊樹 大楠」。
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石柱「武内大臣手植楠」。
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今は立っていませんが、以前はこのような説明板が立っていたようです。
武内宿禰命は孝元天皇(人皇第八代)の曽孫で、景行、成務、仲哀、応神、仁徳の五朝に仕えたといわれる。仲哀天皇の従って熊襲を征ち、天皇が崩御になると、神功皇后をたすけて、新羅を服えるなどの偉功があった。本社では第三殿に祀られている。その手植の楠の古株から新根が生え、根廻りは六〇メートル余にも及ぶ大木となっている。

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東神門の辺りにありました。
誰を祀っているのでしょうか?
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次回に続く
住吉神社で修復された本殿板戸絵を拝観しました@ [2020年07月30日(Thu)]
前回の続き

下関市立美術館で「国宝本殿造営・寄進650年記念特別展 住吉神社―護り伝えられた文化財 」を観た後は、修復された本殿板戸絵を観に住吉神社に行きましたぴかぴか(新しい)

板戸絵は、国選定保存技術保持者である馬場良治氏により復元されたそうです。


「ここより先には入らないでください」と表示がありますが、今回は日頃一般の人が入ることのできない「ここより先」に入ることができますわーい(嬉しい顔)
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本殿を囲む菱格子の透塀からコーン見え、そこが拝観場所です。
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神職の方にお祓いしていただき、塀の中の神域 内庭に入りましたひらめき
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大内菱と毛利の一文字三星の入った蟇股もチエックしましたexclamation×2
そして、いろいろなところに大内菱が使われているのを確認できて大感激揺れるハート 
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次回に続く
夏越大祓 @ 古熊神社に行きましたF [2020年06月30日(Tue)]
【前回の続き】

古熊神社では、6月30日16:00より夏越大祓がありますぴかぴか(新しい)

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▲『サンデー山口』第7244号(2020年6月27日)

大祓は、日常で犯した罪や心身のけがれを除き去ることを目的に6月と12月のみそか(30日)に行われる行事。6月の大祓を「夏越の大祓」と呼び、くぐることで心身を清め災厄を払うとされる「茅の輪」が設置される。山口市内の各神社では、6月28日と30日(火)に開催。主な実施内容や時間は次の通り。(略)
古熊神社(山口市古熊1)
 30日午後4時から。参列者はおはらいを受けた後、境内にある茅の輪をくぐり、日ごろの罪やけがれを清め、下半期も明るく元気に過ごせるよう祈る。「参列の際は間隔を空け、マスクの着用を」と同神社。
(『サンデー山口』第7244号(2020年6月27日)より)


茅の輪
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「夏越大祓 茅の輪くぐり」説明看板。
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茅の輪をくぐる時は『後拾遺和歌集』 (292 詠み人しらず )にある
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『拾遺和歌集』00292(国立国会図書館蔵)

水無月(みなづき)の 夏越し(なこし)の祓(はらへ)する人は
    千歳の命 延ぶというなり


という歌を唱えながら左回り、右回り、左回りと8の字を書くように茅の輪を3度くぐりぬけるのが一般的です。
回るごとに「水無月の 夏越の祓 するひとは 千歳の命 延ぶというなり」「思ふ事 皆つきねとて 麻の葉を きりにきりても 祓へつるかな」「宮川の 清き流れに 禊せば 折れることの 叶わぬはなし」と唱える、
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『二十一代集』(国立国会図書館蔵)

蘇民将来 蘇民将来」、「祓い給ひ 清め給へ 守り給へ 幸へ給へ」と唱えるなど、神社によっていろいろあるようです。

この神事は神話上の人物である蘇民将来(そみんしょうらい)がスサオノミコトから「もし疫病が流行したら茅の輪を腰につけよ」といわれ、その通りにしたら疫病から免れることが出来たという故事に由来すると伝えられています。


そういえば、神戸の高羽丹生神社で7月半ばに行われる「夏越祭」に行ったとき、茅で作った茅の輪をいただいたことがあったことを思い出しました。


「夏越大祓」の説明看板。
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夏越の花手水
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いつもはチェーンがかかっている場所も、草刈りをして臨時駐車場として準備されています。


茅の輪くぐりは山口大神宮でもあります。
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青々とした茅と白木の鳥居が印象的です。
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古熊神社に戻って・・・・・・。
ところで、放生池に詩碑があったのですが、説明もなく、字も立派すぎて誰の句か分かりませんでした。
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参考文献:
『拾遺和歌集』20巻
『二十一代集』400巻(吉田四郎右衛門尉 正保4)
  ※国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。
三森神社・眼力さま・放生池・芭蕉句碑 @ 古熊神社に行きましたE [2020年06月29日(Mon)]
【前回の続き】

社殿に向かって左手に行ってみましょう。
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古神牛
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放生池
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きれいな花が咲いています。
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瀧が造られています。
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水神様
二重燈籠。148cm。
放生池に流れ込む水の水神として祀られているそうです。
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道真歌碑
放生池の中には、道真が蟄居中に詠んだ歌の石碑が建てられています。
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 海
海ならずたたへる水の底までにきよき心は月ぞてらさむ
    御祭神 菅原道真公御詠

 
池に架かる石橋@。
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池に架かる石橋A。
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三森神社
元は市内惣太夫町(JR山口駅裏辺り)に鎮座していた三つの神社(大歳森社・深田森社)が、明治41年に境内に合祀されました。三つの森が合わさったため、三森神社と呼ばれています。
御祭神は 大歳神・高龗神・闇龗神・柿本神。
御祭神の内の一柱、柿本人麻呂の大神の御神徳より、身体健全・脱腸封じのためお参りされる方が多いそうです。
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眼力さま
眼の神さまが祀られています。
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古くはこの祠前に湧き水があり、それで目を洗うと視力が衰えない、とされていました。
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確かに水が湧いていたような痕跡があります。
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め阿らい水。
角柱。49cm。
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眼力薬師姫大神。
角柱。54cm。
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眼力大神。
角柱。48cm。
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芭蕉句碑
山口有数の桜の名所ということから、芭蕉の桜の句碑が建てられています。
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鸛の巣に嵐の外の桜かな

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猿林を求めて、山の方へ行ってみました。

猿田彦大神
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往古は市内札の辻にあり大市町内会の人々によって守護されていたものを神社境内に何かの理由(道路整備等?)により移鎮したものだそうです。
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石が組んであるところがあります。
庭だったのでしょうか。
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下を見ると、社殿が見えます。
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放生池が見えます。
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三森神社が見えます。
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林の奥の
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開けたところに紅雪碑がありました。
境内案内図では「紅霊碑」となっていますが、「紅雪碑」の間違いだと思います。
そのことについては後日また。
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参考文献:
『山口市の石仏・石塔(2)―大殿・白石・湯田―』(山口の文化を守る会/編 山口市教育委員会 2004)
  P110「大渡の庚申」No.4
  P125「大殿の神」No.8,No.9,No.10
  P141「大殿のその他」No.2
『山口市史 各説篇』(山口市史編纂委員会/編 山口市役所 昭和46.3)
  P316「祭神別神社一覧」「大歳社」



【次回に続く】
藤森稲荷社 @ 古熊神社に行きましたD [2020年06月28日(Sun)]
【前回の続き】

藤森稲荷社
元は市内相良小路に鎮座していた藤森さまと稲荷さまを、明治41年古熊神社境内に遷した神社です。
倉稲魂神・事代主神・住吉神が祀ってあります。五穀豊穣・商売繁盛の神さまです。
地元の有志により毎年春と秋に祭典を行う藤森稲荷講が古くからあり、現在講員は50名を超えます。
今年の春のお祭りは6月3日に行われました。

赤い鳥居の方をくぐって階段を上ってみましょう。
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狛狐。
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左像は宝珠(玉)、右は巻物を咥えています。
本来は巻物ではなく鍵のようですが、巻物は知恵を象徴しているといわれています。
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また、この狐像は左像が女性、右が男性と分かるように造られています。
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尻尾の形が面白いです。
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拝殿。
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賽銭箱。
消えかかっていますが、宝珠紋だと思います。
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神額「正一位稲荷神社」。
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他のところにあった藤森稲荷神社の看板。
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本殿。
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藤森稲荷社の裏山に石柱が9基ありました。
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庚申塔。
角柱。44cm。
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稲荷。
角柱。55cm。
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月代大神
 大正十一年十二月


稲荷。
角柱。45cm。
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豊武大神
豊丸大神
 三十四才女


稲荷6基。
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それそれ以下のように入っています。
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正一位□□稲荷大明神

藤森稲荷社からの景色はお薦めです。
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参考文献:
『山口市の石仏・石塔(2)―大殿・白石・湯田―』(山口の文化を守る会/編 山口市教育委員会 2004)
  P109「大歳の庚申」No.2
  P124「大殿の神」No.4,5



【次回に続く】
金刀比羅神社・水神さま・道真詩碑・黒城碑・若水碑 @ 古熊神社に行きましたC [2020年06月27日(Sat)]
【前回の続き】

社殿を正面に見て右手に行ってみましょう。
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何の祠でしょうか?
人形がたくさん入っていました。
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石碑。
本社前石段並道路改修事業に寄付された方々の名前が彫られていました。
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本社前石段並道路改修事業・・・・・・


道真詩碑
道真公が11歳の春の夕方、父より「月夜に梅花を見る」と題して詩作を命ぜられて初めて作った漢詩の詩碑です。
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  月夜見梅華  
月耀如晴雪 梅花似照星
可憐金鏡轉 庭上玉房香


「道真詩碑」説明板。
※説明板には『菅家文章』となっていますが、『菅家文草』の間違いです。
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『菅家文草』(全12巻)の巻頭を飾っています。
『菅家文草』とは、900(昌泰3)年、道真が醍醐天皇に献上した家集(漢詩文集)で、それまでの自己の作品を集めて時代順に配列してあります。
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『菅家文草』巻第一(国立国会図書館蔵)


古神馬
戦時中青銅製の神馬は供出され、代わりにこの石製の神馬が祀られていましたが、 新しい神馬が祀られたので、ここに置かれています。
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金刀比羅神社
御祭神は大歳神・大山祇神です。交通安全・海上安全の神さまです。
初代山口市長 八木宗十郎氏より懇願され、境内に鎮座されたそうです。
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木の傍に瓦。「梅紋」です。
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神庫
中には山口天神祭にて御祭神がお載りになる御網代車(おあじろぐるま)、備立行列にて使用される御弓や大内十文字槍などが納められています。
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鳥居
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天満宮」という神額がかかっています。
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水神さま
御祭神は罔象女神(みづはのめのかみ)です。水の神さまです。
市内を流れる一の坂川の源流近くにあった祠が、ある時下流の千歳橋(山口市早間田)まで流れ着き、千歳橋の近くで近所の人が長くお祀りしてきましたが、昭和40年代に現在地に遷されました。
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燈籠。
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明和元(1764)年申歳八月
竹部源左衛門景豊
再建立


以前は早間田町内在住の方が毎年7月最初に日曜日に集まり祭事を行っていました。現在も7月にお祭りが行われています。
『山口市の石仏・石塔(2)―大殿・白石・湯田―』(山口の文化を守る会/編 山口市教育委員会 2004)では、「河内様」となっています。
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水神さま手前の手水鉢。
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黒城碑
黒城とは岡村黒城(通称 圭三)のことです。
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『山口市史 各説篇』(山口市史編纂委員会/編 山口市役所 昭和46.3)に以下のようにあります。

岡村黒城(通称 圭三)
弘化三年(一八四六)二月八日近江国堅田浦北川氏の家に生まれ、後に木村家に入った。弱冠にして京都に出て折から滞留中の岡村簣斎に師事した。簣斎その慧悟を愛して養子とした。長州藩に来ては山口明倫館の教授、私塾敬止塾の経営をした。明治五年学制領布の時山口第一小学校長に任じ、後山口黒谷に黒城私塾を開いた。当時家塾中最も盛んであった。ほかに山口師範学校で書道の教授をした。晩年は詩と酒を愛し自適していたが、明治四十三年五月三十一日長崎で没した。行年六十五、墓は古熊天神境内にある。


また、P142に「黒城私塾」について次のようにあります。

明治十年以降になると(略)山口には特にこの家塾が多く存立した。
それらの中には、岡村圭三の黒城私塾、福永淑人の西鄙私塾、(略)の如く、高い教育理念を貫き、多数有為な人材を養成して、名声の高かったものも少なくなかった(略)


黒城私塾 主要学科:修・漢 所在地:今市町 創業年:明治一〇 学年:三 教員数:六 政党数:男九四 女五 設置者・塾主:岡村圭三

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若水碑
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白銀若水翁頌徳碑」と彫られています。
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第二代目山口市長である白銀市太郎の頌徳碑です。
白銀市太郎は、全国初の名誉市長で残した業績には見るべきものが多く、道路・水道・バス関係の他の事業に功績がありました。
『山口市史』(山口市史編集委員会/編 山口市 昭和57.12)のP474に

白銀は (略)多くの行政遺産を残した業績を永く後世に伝えるため、古熊神社境内に頌徳碑が建立された。

とあります。



参考文献:
『菅家文草』(菅原道真/著 野田藤八 1700(元禄13)跋)
  ※国立国会図書館のデジタルコレクションでインターネット公開されています。
『山口市の石仏・石塔(2)―大殿・白石・湯田―』(山口の文化を守る会/編 山口市教育委員会 2004)
  P123「大殿の神」No.3
『山口市史 各説篇』(山口市史編纂委員会/編 山口市役所 昭和46.3)
  P141〜144「家塾」
  P596「岡村黒城」
『山口市史』(山口市史編集委員会/編 山口市 昭和57.12)
  P469〜474「白銀市長の時代」
  P658〜660「家塾」


【次回に続く】
本殿 @ 古熊神社に行きましたB [2020年06月26日(Fri)]
【前回の続き】

本殿。 
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本殿の蟇股。
写真では上手く撮れていませんが、我が国最古の松竹梅の彫刻が施されています。
(古熊神社HPに写真があります。)

 御本殿の大きな特徴は、正面の向拝三間の斗拱間蟇股*の意匠(デザイン)です。まず中央には「梅に大内菱*」、向って右には「松に鳳凰」、向って左には「竹に鳳凰」となっています。この「松竹梅」となっている蟇股の彫刻は、我が国に現存する最古の松竹梅として有名です。
 松竹梅という組み合わせは今でこそ大変馴染みの深いものですが、庶民の間にも浸透したのは江戸時代に入ってからと云われ、当社が建てられた室町時代はまだ京の貴族の間のみの流行でありました。そんな中当社を創建された大内弘世卿は、社殿を造営するにあたり都の最先端の文化であるこの松竹梅を彫刻として取り入れたのです。その後、応仁の乱により京の神社仏閣がほとんど焼失してしまい、結果戦の少なかった山口に建てられた当社の松竹梅が、我が国で最も古いものとなった、といわれています。
 また、御本殿の木材のところどころに赤い染料が残っているところから、当初は全て赤色で染められた御社殿であったことも分かっています。

古熊神社HP「御本殿」

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本殿の随身。
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本殿の神殿狛犬。
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3E679E12-EC45-4F18-9D14-CDB246C63614.jpeg吽形

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A70934F4-2A10-4F18-AEDF-9921B885A9AE.jpeg阿形


本殿の裏の方には、テイカカズラの花がたくさん落ちていました。
上を見上げたけれど、どこに咲いているか全くわかりませんでした。
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こんなかわいい石仏も見つけました。
双体道祖神です。
自然石浮彫立像。48cm。
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参考文献:
『山口市史 史料編 大内文化』(山口市 2020)
  P653〜654,656〜657「古熊神社」「本殿」
『山口市の石仏・石塔(2)―大殿・白石・湯田―』(山口の文化を守る会/編 山口市教育委員会 2004)
  P109「大殿の庚申」No.3



【次回に続く】
拝殿・幣殿・神楽殿・神饌所 @ 古熊神社に行きましたA [2020年06月25日(Thu)]
【前回の続き】

社殿。
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山口地方の神社に多く見られる「楼拝造」という二層構造の特徴的な造りの拝殿です。
楼閣のような拝殿はもともと楼門として建築され、それを後の時代になって床を張り、拝殿として活用しました。

神額「古熊神社」。
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拝殿。 
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拝殿内部。
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奉納額。
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菅原道真の生涯の絵でしょうか?
5歳で和歌、11歳で漢詩を詠み、18歳で文章生、26歳で秀才試に合格し、33歳で文章博士に讃岐の国司として赴任していた時に、日照りに悩む民衆のために雨乞いをして見事に雨を降らし、宇多天皇に認められ、55歳で右大臣になったという・・・・・・。
防府天満宮の「松崎天神絵巻」や大阪天満宮の「菅家廊下」のジオラマ?でも観た、弓術も上手く百発百中という場面がないようなので、違うかもしれません。
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拝殿左翼外観。
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拝殿右翼外観。
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拝殿と神楽殿。
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渡廊と幣殿。
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幣殿。
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翼廊。 
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幣殿と翼廊と神饌所。
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翼廊と神楽殿。
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神饌所。
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幣殿と神楽殿。
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神楽殿。
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神楽殿前の神馬。
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神饌所前の神牛。
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神饌所前の天神講碑。
篆額は「天神講之碑」で、花崗岩でできています。
明治二十三年一月」(1890年)と彫られています。
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手水鉢。 
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参考文献:
『山口市史 史料編 大内文化』(山口市 2020)
  P654〜6,8「古熊神社」「拝殿」
『山口市史 史料編 民俗・金石』(山口市 2015.3)
  P799〜801「天神講碑」



【次回に続く】
参道 @ 古熊神社に行きました@ [2020年06月24日(Wed)]
古熊神社に行きましたぴかぴか(新しい)

燈篭のある踏み切りを渡り椹野川にかかる赤い天神橋を過ぎると
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ほぼまっすぐ参道が伸びています。
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古熊神社は、山口の天神様、古熊天神とも呼ばれ、
菅原道真を主祭神とし、道真の子の菅原福部童子を配祀しています。
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『古画類聚』「後集 古画 人形服章 肖像1 菅原道真像」(原本 高野山寶積院旧蔵)(東京国立博物館蔵)

天神さまへの石段の手前左に東山嶽観音があります。
『山口古図』(山口県文書館蔵)にも「猿林ノ森」のところに「嶽観音堂」がありますひらめき
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御邉座四百年記念鳥居改修の碑。
2018(平成30)年で遷座400年になるのですね。
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一の鳥居の手前の神号碑。
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一の鳥居。
1701(元禄14)年建立です。こちらが御遷座400年記念事業で解体改修工事を行った石鳥居。
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​神額には古熊神社の旧社名である「今天神」と記されています。
『山口古図』(山口県文書館蔵)にも「今天神」とありますひらめきひらめき
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鳥居傍にある手水鉢。
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1373(応安6)年10月、弘世が京都の北野天満宮より勧請し、今の中市の山口井筒屋辺りに社殿を造営し、北野天神山口天満宮と称しました。前の通りは「天神通り」、横の通りは「北野小路」といいます。

その後、神託により長者山の麓、さらに御石の森に遷祀しました。
1618(元和4)年、初代長州藩主の毛利秀就が、現在の古熊の東山の麓に移建しました。また同時に神社名も「今天神」へと改められました。

1872(明治6)年に現在の社号である「古熊神社」と改名しました。

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市内がきれいに見えます。
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社務所。
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トイレ。
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「不浄」ではなく「可浄」となっています。
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境内図。
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狛犬。
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文政六年に造られたものです。
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案内板。
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国指定 重要文化財
 古熊神社本殿・拝殿
    大正六年八月一三日本殿 指定
    昭和二四年二月一八日拝殿 指定
   山口市古熊一丁目一〇番三号
本社は今から六二〇余年前(応安六年一三七三)に、大内弘世が京都の北野天神を勧請し、北野小路にまつっていたものを、元和四年(一六一八)に毛利秀就がこの地に遷宮した。祭神は菅原道真で福部童子を配神としている。
本社殿は、室町時代に建立されたものを、ここに移築したものである。本殿内にある宝殿の板に「天文十六年云々」の墨書があるので、本殿の建立もその頃と考えられる。本殿は三間社入母屋造り、拝殿は二重入母屋楼門造りでともに室町時代の様式をよく伝えている建物である。本殿の正面にある三つの蟇股にそれぞれ松竹梅の彫刻が見られるが、これはわが国で建築の装飾に松竹梅の組み合せをとりいれた最も時代の古いものとして有名である。 社宝として、重要文化財「紙本墨画天神図(昭和四八・六・六国指定)」がある。
本社の例祭は、一一月二五日で、二十三日からの神幸式には大拝司、花神子参向の古式神事が執行され、山口天神祭と称されている盛大な祭りである。
    山口県教育委員会
    山口市教育委員会


狛犬。
狛犬は平成2年のものですが、台座は戦前のものです。
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授与所。
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参集所。
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手水舎。
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絵馬を掛けるようになっています。
絵馬はもちろん道真様。
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参考文献:
『山口市史 史料編 大内文化』(山口市 2020)
  P653「古熊神社」
『大内氏時代山口古図』(山口県文書館蔵)
  ※「軸物史料218」は山口県文書館の「高画質画像ダウンロード」サイトでインターネット公開されています。
『古画類聚』(松平定信/編 1795(寛政7))
  ※東京国立博物館の研究情報アーカイブでインターネット公開されています。



【次回に続く】
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