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こどもと本ジョイントネット21・山口


〜すべての子どもに本との出会いを〜

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どんど焼きに行きました @ 今八幡宮 [2020年01月14日(Tue)]
「どんど焼き」は、小正月の1月15日に行われる行事ですが、今年は、15日が平日なので、今八幡宮や山口大神宮では、13日にも行われるというので、
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1月13日(月)、我が家の正月飾りを持って、
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今八幡宮のどんど焼きに行きましたぴかぴか(新しい)
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ちょうど、宮司さんがお祓いをしていました。
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まだ松の内なので人出が少ないからか、火の勢いがそれ程でもないような気がしました。
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こちらは境内社の恵比寿神社の狛犬。
昔はなかったと思いますが、小さな陶器の狛犬が置かれています。
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そして、大発見ひらめき
境内社の八柱神社の狛犬の向きが変わっていました。
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元はこんな向きでした。
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変わったところが、どこかわかりますか?
以前は、神社に背を向けて参拝者に正対する形で置かれていました。
今は向き合う形で置かれています。
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これは、1月1日に撮った写真ですが、既にこの時点で変わっていました。
灯籠と狛犬の配置も換わっています。
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こちらは、神石と思っていましたが、
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どうも切り倒した神木を祀った石のようです。
下の方に大きな木の切り株がありました。
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萩反射炉 @ 世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、 石炭産業」A [2020年01月09日(Thu)]
【前回の続き】

萩市椿東にある反射炉は、2015年に登録された世界遺産の「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、 石炭産業」の構成資産の一つですぴかぴか(新しい)

説明板。
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結構急な階段を登ってみました。

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パンフレット


萩反射炉は道の駅「萩しーまーと」のすぐ近くにあります。
嬉しいことに、お正月だというのに営業していたので寄ってみました。
なんと、萩市沖で捕れたマグロがありました。
萩のよこわまぐろ」といい、「見島」海域の本マグロの若魚(2〜5kgサイズ)です。
帰って、刺身にして食べましたが、とっても美味しかったですわーい(嬉しい顔)
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(萩しーまーとに隣接する萩漁港より海を臨む)
郡司鋳造所遺構広場 @ 松陰神社にお詣りに行きましたC [2020年01月08日(Wed)]
【前回の続き】

松陰神社の北側に、萩藩のお抱えの鋳物師だった郡司家の鋳物工房の遺構を移築復元整備した郡司鋳造所遺構広場がありますぴかぴか(新しい)
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郡司鑄造所址の碑。
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江戸時代の鋳物(金属をとかし、型に流しこんでつくった製品)の作業場です。
鋳造を行ったのは、江戸時代、防長二か国を代表する長州(萩)藩専属の鋳物職人の郡司家一族です。犂の先や鍋などの農具・生活用具、鐘などの仏教の行事で使う道具のほか、幕末には長州藩の求めにより、大砲、砲弾などの兵器もつくりました。(山口県埋蔵文化財センター2018年展示「維新前夜の山口県− 出土品にみる長州メソッド −」より引用)

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大砲鋳型のレプリカ。
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こしき炉のレプリカ。
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大砲のレプリカ。
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松下村塾と吉田松陰幽囚ノ旧宅 @ 世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、 石炭産業」@ [2020年01月07日(Tue)]
松陰神社の境内にある松下村塾は、2015年に登録された世界遺産の「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、 石炭産業」の構成資産の一つですぴかぴか(新しい)
(松下村塾が松陰神社にあるという表現は正確ではなく、1890(明治23)年8月、 松下村塾出身者などにより松下村塾の改修が行われ、松陰の実家である杉家により私祠として村塾の西側に土蔵造りの小祠が建立されたのが松陰神社の初めですから……。)


「世界遺産 明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、 石炭産業 構成資産 松下村塾」プレート。
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「明治維新胎動之地」石碑
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吉田松陰歌碑
大鳥居をくぐり、石段を上がり、石畳の参道を正面に向かって進むと、楓の木の下に和歌を彫った高さ120p、横230pの石碑が建っています。
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親思ふこゝろにまさる
  親こゝろ
   けふの音つれ
  何ときくらん
        寅二郎


歌碑説明板。
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孝行竹
吉田松陰歌碑の後ろにあります。
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孝行竹
蓬莱竹(漢名―観音竹・孝順竹)、インドシナ原産。株張り竹の一種。
この竹は横走地下茎が発達せず、横にはびこらず、親竹の周りのみ竹の子が育つ。
したがって、親を守る竹という意味で「孝行竹」という。
松陰先生は親孝行であり竹を愛した記録もあり、記念として寄贈された。
(参考・門人集の「移竹記」には、松陰先生が竹を愛したことが書かれている。)

(「孝行竹」説明板より)


松下村塾
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吉田松陰と松下村塾の塾生たち。
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写真左から、久坂玄瑞、高杉晋作、吉田松陰、前原一誠、木戸孝允、山田顕義、品川弥二郎、野村靖、山県有朋、伊藤博文、境二郎、飯田吉次郎、河北義次郎 です。 

講義室。
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「松下村塾」説明板。
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「史蹟 松下村塾」石碑。
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吉田松陰幽囚ノ旧宅
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「松陰先生實家杉家𦾔宅」石碑。 ※「𦾔」は「萑+旧」
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「吉田松陰幽囚の旧宅」説明板。
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井戸。
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玄関。
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「吉田松陰幽囚旧宅」説明板。
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茶室。
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杉家東側。
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吉田松陰幽囚室。
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「吉田松陰幽囚ノ旧宅」説明板。 
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幽囚室の掛軸。
 三余読書
 七生滅賊

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 三余読書(さんよどくしょ)…勉強に利用すべき三つの余暇。 冬は年の余り。 夜は日の余り。 雨の日は時の余り。時間がある限り勉強をしようということ。
 七生滅賊(しちせいめつぞく)…何度もこの世に生まれ変わって外賊を滅ぼすこと。

その説明書。
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こんなものもありました。
「薩長土連合密議之処」石碑
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「薩長土連合密議之処石碑」説明板。
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【次回に続く】
傘みくじと松陰だんご @ 松陰神社にお詣りに行きましたB [2020年01月06日(Mon)]
【前回の続き】

松陰神社では、「傘が開く」と「運が開く」をかけた傘みくじが大人気ぴかぴか(新しい)
おみくじ自体が小さな番傘になっていて、傘を開くと傘に「快晴(大吉)」などと、運勢が天気で表されていて、お告げが書いてあります。
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Kちゃんが引いてみました。
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「曇(吉)」でした曇り
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持って帰りたいところですが、木に結びました。
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快晴が大吉晴れ、晴が中吉、曇が吉曇り、雨が小吉小雨、大雨が末吉雨です。
凶は何なのでしょう?
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もう一つの名物が、大鳥居の近くの松陰食堂の
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松陰だんご
炭火で焼いた、自家製のゆず味噌の甘辛だれがたっぷりと塗られた、アツアツの大きな団子は、かなりの食べごたえがあります。
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松門神社と勧学堂 @ 松陰神社にお詣りに行きましたA [2020年01月05日(Sun)]
【前回の続き】

松陰神社に並んで松門神社があります。
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「松門神社」説明板。
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松門神社の内部。
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狛犬。
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傍に「明治九年萩の変七烈士殉難之地」碑があります。
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「明治九年萩の変七烈士殉難之地碑」説明板。
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松陰神社の右隣に勧学堂があります。
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「勧学堂」説明板。
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楷の木
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今年久し振りに紅葉したそうです。
3枚だけ葉が残っています。
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「楷の木」説明板。
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【次回に続く】
松陰神社にお詣りに行きました@ [2020年01月04日(Sat)]
1月2日(木)、萩市の松陰神社にお詣りに行きましたぴかぴか(新しい)
吉田松陰を祭神としています。

境内と神社前の交通公園と神社横には無料駐車場があるのですが、どこも満杯で、椿東小学校のグランドが臨時駐車場になっていました。
おかげで、マンホールの写真が撮ることができました。
白壁と夏みかんで、萩らしい風景が描かれています。
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参道。
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大鳥居。
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この先はとても混んで長い列ができていました。実に参拝するまで45分かかりました晴れ

松陰と久坂玄瑞が描かれた特大絵馬があります。
萩の学生さんたちが、松陰とその年の年男の門下生を描くそうです。
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今年は、萩市立須佐中学校の生徒さんが松陰と子年生まれの久坂玄瑞を描きました。
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列は続きますが、見どころ満載であきないです。
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宝物殿 至誠館の池。
「迎春 子」― 石アートです。
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木の鳥居。
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社殿。
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狛犬。
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拝殿内部。
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拝殿。
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本殿。
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厚東常吉翁之像。
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厚東常吉翁頌徳記。
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【次回に続く】
初詣は今八幡宮へ [2020年01月03日(Fri)]
初詣は毎年、今八幡宮へ行きます晴れ
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今年も1月1日、参拝することができましたぴかぴか(新しい)
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お正月なので、輪飾りや鏡餅がお供えしてありました晴れ
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神馬は耳に輪飾りをし、
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神石もおめかししていますわーい(嬉しい顔)
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そして、境内の恵比寿神社も、
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稲荷神社も、
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八柱神社も鏡餅がお供えしてありますかわいい
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お隣(?)の野田神社の手水舎。
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野田神社。
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豊栄神社。
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実は、山口大神宮にも行きかけたのですが、大鳥居のところで、やめました。
行列ができていたので……がく〜(落胆した顔)


通っている病院もお正月らしくおめかししていました。
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そして、子年らしいこんなお菓子をいただきました。
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(@ABは2019年1月14日に、CDEは2017年1月1日に、Fは2020年1月7日に撮影したもの)
山口市大浦一般廃棄物最終処分場 @ 山口県セミナーパーク 環境学習推進センター 環境学習講座「持続可能な3R循環型社会づくり」B [2019年12月31日(Tue)]
【前回の続き】

山口市大浦一般廃棄物最終処分場を見学しましたぴかぴか(新しい)
山口市江崎にあります。
山口市不燃物中間処理センターに持ち込まれた山口市内全域の燃やせないごみ及び粗大ごみから、危険物、資源化できるもの、燃やせるものを取り除いて細かく砕いたもの(中間処理した残さ)のみを平成29年度から埋め立てています。

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(パンフレット 山口市HP) 

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実は、ここには、やまぐちエコ倶楽部の研修視察で約1年前の2018年9月18日(火)に来ました。
以下はその時の写真です。
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(株)西日本グリーリサイクル 阿知須緑のリサイクルプラント @ 山口県セミナーパーク 環境学習推進センター 環境学習講座「持続可能な3R循環型社会づくり」A [2019年12月30日(Mon)]
【前回の続き】

山口県セミナーパーク 環境学習推進センター 環境学習講座「持続可能な3R循環型社会づくり」は、環境への負荷の少ない循環型社会の形成に向け、3R(廃棄物の発生抑制・再使用・再生利用)についての学習、廃棄物処理・リサイクル施設の見学等を通じて、県民総参加による3Rの推進について理解を深めるという講座でした。
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30名の定員に対して47名の応募があったそうですが、全員受け入れてくださいました。(当日42名の参加。)

まず、山口県セミナーパークで、山口大学名誉教授の浮田正夫先生より「持続可能な3R・循環型社会づくりに向けて」という講義がありましたぴかぴか(新しい)
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■循環型社会づくりについて
●製造業など製品を生み出す「動脈産業」とその廃棄物を回収して再生・再利用、処理・処分などを行う「静脈産業」による循環として認識すること
●クローズドサイクルが成立していなくてはならないこと
●土に還る自然物と簡単に還らない人工物(特に放射性物質)を安易に混ぜないこと
●地球温暖化、大気汚染や生物多様性との関連として総合的にとらえること

■食べ物ごみの処理とリサイクルについて
●福岡県大木町のバイオガスシステム
●水俣市の生ごみ堆肥化
●香川県三豊市のコンポストRDF
●美祢市のRDF
●徳島県上勝町のゼロ・ウェイスト
●環境省が進める 「地域循環共生圏」の概念について紹介

■プラスチックごみの処理とリサイクルについて
●2017 年には 27%がマテリアルリサイクル、58%が熱利用、単純焼却 8%、埋立が 6%になっていること
●宇部市・山口市・美祢市のプラスチック処理の紹介
●マイクロプラスチックごみの問題の現状と取組などの説明

などの話がありました。


お昼から施設見学。順番が前後しますが、(株)西日本グリーリサイクル阿知須緑のリサイクルプラントへ行きましたぴかぴか(新しい)
山口市阿知須の宇部72カントリークラブ用地内にあります。
(株)宇部興産開発と(株)日本グリーンリサイクルの合弁会社です。
平成14年1月、ゴルフ場用地の遊休地を活用し、ゴルフ場内および周辺自治体等から発生する剪定枝、刈草、刈芝等ならびに建設工事に伴う伐採樹木・除根材等をなどの植物廃材をウッドチップや堆肥等に再生利用する目的で設立されました。
平成19年から各排出事業者において一次処理(乾燥)した食品廃棄物の受け入れを開始しました。
木質系廃棄物と食品廃棄物(乾燥処理されたもの)を原料として、良質な堆肥を製造し、県内の農家に提供することにより、地域資源循環のしくみ Food & Green Recycle(FGR)を進めています。

また、木くずを破砕したウッドチップは化石燃料の代替として宇部興産(株)をはじめ、県内の火力発電所に出荷しています。

破砕 → 切り返し・潅水 → ふるい分け → 堆肥の工程。
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(株)日本グリーンリサイクルHP

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山口県HP)

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【次回に続く】
(株)広島企業 宇部テクノリサイクルセンター ブラスチックリサイクルラインを見学しました @ 山口県セミナーパーク 環境学習推進センター 環境学習講座「持続可能な3R循環型社会づくり」@ [2019年12月29日(Sun)]
少し前のことになりますが、9月26日、山口県セミナーパーク 環境学習推進センター 環境学習講座「持続可能な3R循環型社会づくり」で、山口市のプラスチック製容器包装が持ち込まれている(株)広島企業 宇部テクノリサイクルセンターブラスチックリサイクルラインを見学しましたぴかぴか(新しい)
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宇部市の宇部テクノパークにあります。
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山口県HP

使用済みのプラスチック製の容器や包装を、別のプラスチック商品の原材料として再利用(再生)するマテリアルリサイクル(材料リサイクル)処理を行う工場です。
プラスチック製容器包装から、ポリエチレン(PE)、ポリプロピレン(PP)、ポリスチレ
ン(PS)を分離回収し、再生樹脂原料化し、
回収残渣(他工程利用プラスチック)も、熱回収とセメント原料化を行っている工程の見学です。
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まず、ビデオで事業内容の説明を受けました。
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@投入コンベア・粗破砕機
原料はコンベアより粗破砕機に投入され、梱包を解きほぐして粗切りします。

Aエプロンコンベア
粗切りした原料を運びます。

Bロールスクリーン
原料に混入した砂等の細かい異物を、除去します。

C磁力選別機
原料に混入した金属を、除去します。

D手選別コンベア
発泡・異物除去をします。

E細破砕機
異物を除去した原料を、細かく砕きます。

F-1浮上選攪拌機
原料と水を攪拌し、浮上選タンクに移動します。

F−2
EPS回収・脱水装置撹拌機上に浮上選別されたPS(発泡)を回収・脱水します。

F−3 PS分離装置
脱水されたPS(発泡)を風力選別し、乾燥させます。 

G浮上選タンク
水に沈む重物を、除去します。

H脱水機
脱水をします。(2回)

Iスラリータンク
再び水と原料を攪拌し、スラリーポンプで一定量送り、遠心選別機に入ります。

J遠心選別機
水と、原料の軽物と重物の3つに選別します。

K乾燥サイクロン
気流乾燥します。

L押出機
温度・圧力等を調節しながら、原料を溶融させて押し出します。
軽物は乾燥工程へ、水はスラリータンクに戻り、重物は除去します。

M水中カッター
押出機から押し出された原料を粒状にカットし、水中で冷し固めます。

N脱水機
製品に付着した水分を、取り除きます。

O計量器 ペレット
製品を、500sごとに計量し、フレコンに詰めます。
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いよいよ工場見学。
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山口市はもとより、宇部市や佐賀県からもプラスチック容器包装が搬入されます。
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9256C8DE-2F45-4D9C-9482-B6BB9CE75795.jpeg原料搬入コンベア 
D13D6938-5CB2-4D63-B7E3-E9F2EC8CFEDE.jpeg向こうは光学式選別機 
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3C01169D-17BB-4078-AFF7-BE5EE3876291.jpeg磁力選別機 
C35B12D3-E63E-425A-BE94-906DF437EDA9.jpeg細破砕機室 
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38A1ECD2-6E8B-47C4-8A12-708690DCD885.jpeg押出機 
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94828FE5-D8F6-402B-BC84-992340F31FA4.jpeg製品のペレット 
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まず、私達が取り組まなくてはいけないことは、家庭から排出する廃棄物の量を減らす(reduce)ことです。
■詰め替え可能な商品を選ぶ。
■容器包装の少ない商品を選ぶ。
■繰り返し使える容器(リターナブル)の商品を選ぶ。
■過剰包装を断る。
■買い物にはマイバッグを持参する。

そして、プラスチック容器包装を排出する場合は、
■中身が付いていないよう、軽く洗って乾かして排出する。
■ボトル・チューブ類のふたは外し、別々にして排出する。
■識別マーク(ここでは、プラスチック製容器包装マーク(プラマーク))に従う。
■異物が混入しないように気をつける。(置き場所など)
■地域のルールに従って(山口市では、透明または中身の見える半透明の袋にいれて、口を結んで)出す。

普段の生活でできることを徹底していきたい、と思います。


容器包装リサイクル法では再商品化の合理化の寄与度(「品質」基準と「低減額」貢献度)に応じて市町村に再商品化合理化拠出金が支払われることになっていますが、プラスチック製容器包装については、平成30年度分は、「現に要した費用」が「想定額」を上回り、拠出金はありませんでした。平成29年度分もありませんでしたね。


【次回に続く】
大内義長「大道寺創建裁許状」碑 @ 12月、山口市はクリスマス市になる。 [2019年12月28日(Sat)]
サビエル記念聖堂を正面にみる亀山の中腹に
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「大内義長裁許状碑」は建っていますぴかぴか(新しい)
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併設の説明板には、次のように書いてあります。
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 大内義長の裁許状
大内義隆の庇護のもとに山口においてキリスト教の布教に当たつていたフランシスコ・サビエルは一五五一年後事を弟子の(コスメ・デ・)トルレスらに託して九州に渡つた。その後山口では陶晴賢の乱が起り義隆は討死した。晴賢は大内氏の後つぎとして九州の大友義鎮(のちの宗麟)(異母)(母は大内義興の娘で義隆の姉)、義長を迎えて大内氏をつがした。義長は九州でサビエルに会つていたので一五五二年山口に来ると早速トルレスに教会建立許可の裁許状を与えた。これにより山口に日本最初のキリスト教会が建立されたのであつた。
その裁許状は当時写してヨーロッパに送られたが、それが、(1570年にコインブラ版『イエズス会日本書翰集』に初めて印刷され)、一五七四年のケルン版ラテン語『東洋イエズス会書簡集』に掲載されている。
この碑はその本から複製したものである。


碑文をそのまま書き写してみますクリスマス
漢文の行間に単語ごとにポルトガル語の訳が付されています。

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大道寺創建裁許状 1552(天文21)年、周防
国の領主大友義長が宣教師にあたえたもの

 敷國周
 郡吉防

 爲朝域従寺大山
 佛之来西事道口
  僧    縣 

所望由家彼創隆法
令之任寺之建可紹
裁旨之

寺御周廿一天件許
住判防八年文 之
持當介日八廿 状
    月  如


碑にある説明文が「大内義長」ではなく「大友義長」とあるのが気になります。
併設の説明版「大内義長の裁許状」に「後山口では陶晴賢の乱が起り義隆は討死した。晴賢は…」とありますが、晴賢は、天文20年(1551年)の大寧寺の変のときは「陶隆房」と名乗っていて、その後、大友晴英(のちの大内義長)から一字拝領して「晴賢」と改めたので、「陶晴賢」とあるのも気になります。

また、裁許状の方、ただでさえ漢文は苦手なのに、ほとんど二字ずつでわかりにくいので、わかりやすく書き換えてみます。(区切り方については自信がありませんがく〜(落胆した顔)

周防國吉敷郡山口縣大道寺事 従西域來朝之儈 爲佛法紹隆 可創建彼寺家之由 任請望之旨 所令裁許之状如件
天文廿一年八月廿八日
周防介 御判
當寺住持


送り仮名を入れてみましたクリスマス

周防國吉敷郡(こほり)山口縣(あがた)大道寺事 
(より)西域來朝之(ノ)儈 爲佛法紹隆(しょうりゅう) 
(ベ)創建寺家(じか)(ノ)由 任請望之(ノ)(むね) 
所令(せし)ムル裁許之(ノ)状如(くだん)


書き下し文にしてみましたクリスマス

周防國吉敷郡山口縣大道寺
西域より來朝儈、佛法紹隆
寺家創建べき請望
裁許せしむる状件


現代語訳にしてみましたクリスマス

周防の國吉敷郡山口縣にある大道寺において、西域よりこの国に来た僧(パードレ・司祭)達が、仏法(キリスト教)発展のために、寺家(教会・修道院)を創建するという要望に対し、その許可を与えることを証する。
天文21年8月28日(1552年9月16日)
周防介(大内義長)加判
當寺(この寺つまり大道寺)住持(住職つまりパードレ・司祭)


その大道寺がどこにあったかについては、次の機会に揺れるハート
防府バイオマス・石炭混焼発電所 @ 温暖化とめるっちゃネットワークやまぐち「先進地事例視察研修」 [2019年12月16日(Mon)]
11月26日(火)、温暖化とめるっちゃネットワークやまぐち先進地事例視察研修に参加し、防府バイオマス・石炭混焼発電所を見学しました。
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今何かと話題となっている石炭火力発電所であり、木質バイオマスの混焼によりどれだけCO2の排出量削減に貢献しているのか、など山口市民の皆さんの関心が深いからでしょう、『市報やまぐち』No.334(2019.10.15)で先着25人で募集したところ、たくさんの方から参加申込があり、急遽大型バス2台を連ねての視察研修となりました。
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それでも10名強の方が参加できなかったそうです。
E3EAB973-4CD8-49AC-8F09-F4F68E4CCB5C.jpeg車窓から 

予定ではバスの中でビデオ観ての視察だったらしいのですが、バス2台ということで、工場内を歩いて見学することができ、とてもラッキーでしたひらめき
ただ、そのためか、質疑応答の時間がなくちょっと物足りなくもありましたふらふら
8C176701-635C-4B82-BE14-0E2CDCF72582.jpeg構内地図 
8922C2D4-2F96-478E-915F-4BE861F7FDC0.jpegボイラー架構 
708CE204-B2FC-473A-AA5E-05EC4BFA8739.jpeg向こう側は隣の工場 
CA566F57-9704-484B-8C69-169B1BC4CBED.jpeg冷却塔とタービン建屋 
C5BE87C3-03C2-4838-A3E1-CCA70F05DEEC.jpegFAタンク 
88E4BBB6-5FC2-4130-ABFE-C645340C7A09.jpegバグフィルタ 
42773FE5-D1F9-40F9-AC9A-A263B529AC08.jpeg重油タンク 
9CF705A9-D935-44B0-8A8F-4FDAF7AD1DCF.jpeg誘因通風機室 
5B4BB7F7-262F-43CE-BFD4-BF96FDFFB227.jpegバイオマスサービスタンク 
764B24DD-C454-444E-A6A1-F76CDB8A414D.jpeg国内バイオマス受入ホッパ  
130AF541-B13B-4FA9-89C7-7076498F6487.jpeg国内バイオマスを投入 
B87E71A2-6647-4211-80B5-3760A0D8EFED.jpeg噴射機 
C26B0CFC-B864-4B60-9253-DA5C22C9DF56.jpeg箒も使います 
E64CA394-FC2D-490B-A0FB-D7E2EC378A65.jpeg国内バイオマス受入ホッパ建屋 
5675F5CA-970B-46FE-B327-969D98E6AB3D.jpeg左のB-バイオマスサービスタンクがPKS 右のA-バイオマスサービスタンクが国内木質チップ 
BF2158A8-A410-4CA3-A299-0B492AFE907E.jpegPKSバンカ 
3B6351B0-73B8-4681-8472-0B8489DB4B08.jpeg苛性ソーダ・凝集剤・塩酸のタンク 
0084CC06-AA57-4C31-AA0F-0DBE44781F30.jpeg 3DA3F530-82EB-49FE-AA81-7AD90B04D5CE.jpeg 
1007C936-F9FB-4C2E-A420-351CD1B698BB.jpeg高い煙突は排気筒 
AC9E78C3-FE76-40D3-8EFC-F2B3BCE249AC.jpegコンベア 
C266016C-ED05-42B1-9D6B-88B9B1EF3B95.jpegこの先に三田尻港 
FD37BC82-B0C9-45F9-BE9E-C7561435B64F.jpeg 
811CE218-8438-4702-9EF7-9A90D8CF783C.jpegコンベア 
46EA7368-881D-4B7E-B5C6-301408A3B264.jpeg左がPKS、右が石炭の貯蔵バンカ 
FE5C66B3-3B87-43B3-BE5D-842EC800035A.jpeg貯蔵バンカの間に石炭サービスタンク
757FCB88-ED8E-4A60-8FE5-4D450E488414.jpeg石炭バンカ 
FCFFB23E-AB26-42E8-B527-AF04ADE2FBD3.jpeg鉄塔 
D82492F8-E0B8-4C52-BDDE-4EC68D7076D4.jpeg変電・発電設備 
95992844-6854-4E0E-A335-0E5830834C1C.jpegBAタンク・砂タンク 
6F245A6B-9AEE-47C4-A819-9DC062C9B2D0.jpeg蒸気タービン・発電機 
BD1B0359-EC5C-4AEF-98EA-C1DED3A40084.jpeg中央制御室 
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2E3EBA05-2E57-416E-92E4-99537347178B.jpeg冷却塔・事務所棟 
C458DCCF-0D2A-4607-9997-A9F2ED38B4B9.jpeg CDAF9C91-01B4-4DFB-A9B9-3B74E14E6EFA.jpegタービン建屋 
7B534EB6-C7C5-4DF4-A2CF-A059E7FA41EA.jpeg右は押込通風機室
  

防府バイオマス・石炭混焼発電所は、防府市鐘紡町のエア・ウォーター株式会社 防府工場の敷地内にあります。
2017年6月に建設工事を開始し、2019年7月21日(日) に営業運転を開始したばかりのホヤホヤの発電所です。

鐘紡町の地名から分かるように、もとカネボウ防府工場の跡地にあります。
昔この町を何度か訪れたことがあるのですが、構内もそうですが、周りも様変わりしていました。

また、「AW エア・ウォーター」というマークのあるトラックは日頃からよく見かけていましたが、エア・ウォーター株式会社が、もともとは、空気から酸素や窒素を主に製造する産業ガスの会社だ、ということを今回の説明で初めて知りました。酸素や窒素を造るにはたくさんの電気を使い、2011年の震災の際の電力不足で、電気の安定供給の必要性を感じ、発電事業に乗り出されたそうです。

火力発電所の運転、保守および電力の販売を行っているのは、火力発電事業会社エア・ウォーター&エネルギア・パワー山口株式会社(略称:AWEP山口)です。

エア・ウォーター株式会社(本社:大阪府大阪市中央区)と中国電力株式会社(本社:広島県広島市)の共同出資の会社です。
株式は、エア・ウォーター株式会社が51%、中国電力株式会社が49%保有しています。

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デザインは背景に溶け込むように留意し、基本的な色も灰色にしたとのことです。

発電出力は約11万2千kWで、一般家庭約24万世帯分で、防府市全体の電気を賄うことができるそうです。
年間の発電量は約8億kWhの予定で、得られた電力は再生可能エネルギー固定価格買取制度(FIT制度)を活用して売電しています。

発電方式は循環流動層ボイラ(CFB:Circulating Fluidized Bed)を採用しています。
ボイラ下部から流れ込んだ空気で燃料を浮遊・循環させながら燃焼させる特徴があり、荒く砕いた燃料を使用することがで、燃料の多様性に優れており、木質系バイオマスの混焼を高めることが可能で、また、低温燃焼(800〜900℃)のため、窒素酸化物の発生を抑制することが可能だそうです。

排ガス中の硫黄酸化物(SOx)、窒素酸化物(NOx)低減のために、ボイラ炉内への石灰石の吹き込みによる炉内脱硫と、尿素注入による無触媒脱硝を行っています。

ボイラ架構は60mで、排気筒を入れても、90m以下です。

燃料は山口県内から調達する未利用間伐材や、海外から輸入するPKS等の材木質バイオマスと石炭。年間、県内産木材 4万t、PKS 24万t、 石炭 18万t 使います。
混焼率は熱量ベースでバイオマス最大50%、石炭50%です。

未利用間伐材は、間伐等により伐採され、これまで使用用途がなく森林内に放置されていた未利用木材を粉砕してチップ化し、山口県内のバイオマスセンター各工場(飯森木材株式会社森林バイオマスセンター宇部工場・下関工場、山口県森林組合連合会山口北部木材センター、和泉木産業株式会社周南バイオマスセンター)から運搬しトラック運搬しています。

国内バイオマス受入ホッパに、毎日150tのチップが運び込まれます。
粉塵がでないような様々な工夫をしています。

PKSとは、Palm Kernel Shellのことで、パーム椰子の種から搾油した後の殻を乾燥して燃料としたものです。
主にインドネシアやマレーシアなどの東南アジアから徳山港に運搬され、その後、防府三田尻港へ移送し、陸揚げされています。
PKS問題については別の項で述べたい、と思います。

敷地が狭いため、石炭やPKSの野積みができないので、石炭・PKS運搬内航船「維新」(約3000トン)が周南バルクターミナル(石炭)、PKS荷揚げ・保管場所(徳山港)と下松石炭中継基地の間を月24〜5日 内航輸送しています。
石炭 1300t、PKS 1400tを朝積み込み、午後には三田尻港に着きます。

「維新」は荷物の積み降ろしを自動で行う「セルフ・アンローダー」という設備を備えています。船上に揚げ荷装置を持つ船を「セルフアンローダー船」と呼びます。
荷降ろしは船の中に設置されたコンベアが行います。船底から垂直に立ち上がる「垂直コンベア」と「従動ベルト」で石炭やPKSを挟み込んで「コンベアタワー」の高さまで持ち上げ、「ブームコンベア」上に落とし、陸側に搬出される作りになっています。

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三田尻港から発電所までを結ぶ、全長約450mのコンベアがあります。「維新」に積載された石炭・PKSは三田尻港で荷揚げされた際、受入ホッパに投入され、コンベアで各バンカへ運ばれます。

発電所ではボイラで大量の蒸気を発生させ、タービンを動かした後、冷却塔で外気と熱交換し、水の状態に戻しボイラ内に送り込み循環運転しています。
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その冷却塔で熱交換する媒体として、海水を取水する水路を引くのが難しかったこともあり、山口県中部を流れる一級河川 佐波川の豊富な水を使用します。
1日9,400㎥(25mプール約26杯分)取水します。運ばれた水は工水受水槽という貯水用の建物に一時的に溜められます。その内、冷却塔で約9割にあたる8,800㎥を消費します。
そのため海水の取水、温排水を排水しない構造の冷却塔を使用しています。

FAタンクには、Fly Ash(フライアッシュ)(石炭を燃焼する際に生じる細かな灰)を貯蔵し、埋め立て用・リサイクルセメント・土壌改良に使います。1日80t〜100tです。

重油タンクがありますが、重油は立ち上げのときに使います。


構内のあちこちにカネボウの遺構があります。
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カネボウの跡地にある隣接している工場。
株式会社 FILWEL。人工皮革等の製造販売の会社。

防府エネルギーサービス株式会社。
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株式会社ベルポリエステルプロダクツ。合成樹脂(PET樹脂)の製造販売・研究の会社。
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覚苑寺 → 忌宮神社 @ 下関市長府A [2019年12月08日(Sun)]
【前回の続き】

和銅橋
覚苑寺の参道途中に流れる逢坂川に架かる石橋は和同橋といいます。
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日本最古級の貨幣「和同開珎」の鋳造が行われた地が、この付近であることから名づけられたのでしょう。
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高欄の束石には和同開珎文様が刻されています。
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その先に覚苑寺の標示がありました。
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国分寺跡
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  国分寺跡(長府宮の内町)
 聖武天皇が天平十三(七四一)年国家平安を祈り諸国に建立した国分寺の一つ 当地から北にかけた一帯がその境内地跡 地形上他国のものより寺域が小さく方一町程度と推定されている
 中世は大内・毛利両氏 近世は長府毛利氏の庇護をうけていたが維新後次第に寺勢が衰退 明治二十三(一八九〇)年本市南部町の大隆寺跡に移転した 国分寺跡からは創建時の軒丸瓦や土器などが出土 長府博物館や教育委員会で保存しているまた寺宝の「不動明王立像」「十二天曼荼羅図」は国分寺に現存し ともに重要文化財に指定されている
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 俳人種田山頭火が昭和八年(一九三三)この近隣を散策したときに読んだ句 このときよく知られる山頭火のうしろ姿の写真が撮影された
 平成八年三月三十一日
   城下町長府まちづくり協議会
   長府観光協会



吉岡家長屋
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  吉岡家長屋(長府宮の内町)
   下関市指定有形文化財
    指定年月日 昭和五十二年二月十六日
 建物の所在位置は 江戸時代中期の長府屋敷割図に大久保五郎左衛門の屋敷地として記録されている なお 大久保家は長府藩馬廻として藩の要職に就いていた
 間口三間(五.四五b)奥行六間(一〇.九一b)のこの建物一棟は長屋として用いられたものらしく建設年は不詳であるが 外観や構造は文化・文政期(江戸時代後期)の特徴をよく残している また大壁を厚く堅固にした造りなどから城下町特有の防衛的性格が窺える
 平成八年三月三十一日
  城下町長府まちづくり協議会
  長府観光協会



練塀をみながら出発地の忌宮神社に向かいます。
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集童場場長室
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 明治維新に活躍した門下生
福田扇馬 集堂場場長
乃木希典 陸軍大将 学習院長
桂 弥一 尊攘堂(長府博物館)創立者
服部潜蔵 日本海軍創立功労者 海軍大佐
瀧川辨三 マッチ王 神戸商工会議所会頭
諸葛信澄 官立師範学校初代校長
福原和勝 陸軍参謀 陸軍大佐 
横畠武二 長府高等女学校初代校長
岡崎章介 漢学者 豊浦中学(高校)教官
原田政佳 長府初代町長


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  集童場(しゅうどうじょう)場長室
 集童場は、長府藩士福田扇馬(ふくだせんま)が文久二年(一八六二)、南之浜の自宅に開いた私塾 桜柳亭(おうりょうてい)を母体とし、元治元年(一八六四)三月、藩士熊野則之(くまののりゆき)が中心となり、古江小路(ふるえしょうじ)の益田宅を集童場と命名、身分の別なく広く藩内年少の子弟(十〜十七才位)の教育を行ったいわば長府の松下村塾とも言われた。
 総督(場 長)熊野則之
 総監(相談役)福原和勝
 教授     福田扇馬
        熊野九郎
        金子四郎
 設立当時は三十数人で発足したが、一年後には百数十人にも増えた。
 慶応元年(一八六五)二月、裏侍町にあった旧藩校敬業館跡に移転。名実とも長府藩の学校となったのである。さらに明治二年(一八六九)藩校敬業館に併合され明治五年二月まで存続した。
 集童場で学んだ子弟は、乃木希典(のぎまれすけ)をはじめいずれも明治・大正時代に様々な分野で活躍した。
 この建物は古江小路に在った集童場の場長室を昭和三年(一九二八)所有者伊藤氏から寄贈を受けここに移築保存したものである。
  平成五年三月
   下関市教育委員会


熊野則之君紀念之碑
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萩の松下村塾に相当するのが「長府藩集童場」で多くの有為な人材を育てた。
場長熊野則之先生を顕彰するこの碑は、乃木希典ら門下生によって明治二十年に建てられた。
揮毫は元勲山県有朋、碑文は門人金子豪介である。


原田政佳政佳翁彰功碑
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「蚕種渡来之地」記念碑
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  「蚕種渡来之地」記念碑
いまから約千八百年のむかし中国より秦の始皇十一世の子孫功満王(こまおう)が来朝帰化しここ豊浦宮(とよらのみや)にご滞在の仲哀(ちゅうあい)天皇に蚕種(カイコの卵)を献上したのが、わが国養蚕の始まりと伝えられる。生糸の輸出の最も盛んであった昭和八年に養蚕関係者によってこの碑が建立された。


山桑の木。
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昭和八年(蚕種渡来之地)記念碑の建立と同時に野生の桑の木を移植したもので樹齢約六十年この地方では貴重な木である。


忌宮神社の境内にいつもいる鶏が見当たらないので捜したら、植込みの中にいました。
寒いからでしょうか?
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忌宮神社のすぐ傍の美味しいと評判のケーキ屋 Mさんでケーキを買って食べましたわーい(嬉しい顔)
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忌宮神社 → 覚苑寺 @ 下関市長府@ [2019年12月07日(Sat)]
12月4日(水)、下関市長府の 法輪山覚苑寺 に行きましたぴかぴか(新しい)

忌宮神社より覚苑寺に向かって歩きました。
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これが歩いた道。
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旧松岡家長屋門
江戸時代に長府藩医を努めた松岡家の長家門で、江戸時代後期の建築と推定されています。城下町長府を象徴する長家門の一つであるため、文化財保護の見地から解体修理を行い、当初の位置から三m後退させて、練堀とともに整備しました。
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下関市立長府中学校を左手に見ながらしばらくすると、右手に曲がり少し歩くと法輪山覚苑寺です。ゆっくり歩いて10分足らず。

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  覚苑寺 安養寺町
 黄檗宗 元禄十一年(一六九八)長府藩主毛利綱元が 宇治黄檗山万福寺七世・悦山道宗禅師(中国福建省の人)を招き創建 功山寺・笑山寺とともに長府藩の菩提寺となる 
 悦山以来学僧相次ぎ 藩士の中から従学する者多く 長府藩文教興隆の拠点となった 堂宇は明の黄檗流の様式を備え庫裏は明治六年に勝山御殿の一部を移したもの
 境内地は わが国最初の金属貨幣「和同開珎」を鋳造した長門国鋳銭所の跡地で 国の史蹟指定を受け鋳銭遺物は重要文化財として現在長府博物館に寄託展示されている
 春の梅 桜 秋の紅葉の名所として知られる
 平成六年三月三十一日 長府観光協会
            城下町長府まちづくり協議会


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雑賀以空(さいがいくう)句碑
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而して櫻は塵となりにけり 


山門。
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狩野芳崖像
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近代日本画の傑作「悲母観音」で有名な狩野芳崖(1828-1888)は、長府印内で、長府藩の御用絵師 狩野晴皐の子として生まれ、初め父に画技を学び、19歳のとき、江戸に出て狩野勝川院雅信のもとに入門して画事を学びました。明治初期、フェノロサに見いだされ、日本画革新運動の強力な推進者となりました。東京美術学校(現東京芸大)創立に尽力しましたが開校を待たずして死去しました。
当山は狩野家の菩提寺で、芳崖は幕末期の名僧霖龍和尚のもとで参禅し、大きな精神的感化を受けました。のちに「芳崖」の画号のもとになった「禅の極致は法に入りて法の外に出ること(法外)」という言葉も霖龍和尚から与えられたもので、当初「法外」と号していたのを「芳崖」と改めたのもまた和尚の勧めだったと言われています。
1923年に芳崖の銅像は、1923年に一度建てられましたが、1943年に戦時供出の憂き目に遭い、現在の像(左画像)は1979年に生誕150年を記念してつくられたものです。
覚苑寺HPより)


杉聴雨先生頌徳碑
杉聴雨とは杉孫七郎のことです。
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長門鋳銭所跡
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  国指定史跡 長門鋳銭所跡(ながとのじゅぜんしょあと)
   指定年月日 昭和四年十二月十七日
 「長門鋳銭所跡」は、奈良・平安時代に長門鋳銭司(使)が置かれ、銭貨の鋳造を行った官営工房跡です。
 江戸時代前期の寛永年間(一六二四〜一六四三年)には鋳銭遺物の出土が記録されており、現在まで、数度におよぶ発掘や調査が行われ、「和同開珎(わどうかいちん)」 銅銭やその鋳型、坩堝(るつぼ)、鞴羽口(ふいごはぐち)などの銭貨鋳造用具のほか、貨幣鋳造に伴う副産物である銅滓(どうさい)などが多数出土しています。このことから、最も著名な古代流通貨幣である 「和同開珎」 の鋳造場所であることが明らかであるとして、その一部が 「史跡長門鋳銭所跡」 として国の史跡指定を受けています。また、長門鋳銭所跡の出土品の内、下関市立長府博物館所蔵品のほか一部の出土品が、「長門国鋳銭遺物(ながとのくにちゅうせんいぶつ)」として国の重要文化財に指定(昭和三十九年(一九六四)一月二十八日指定 考古資料)されています。
 さらに、平成二十二年五月、史跡長門鋳銭所跡の近接地で、和同開珎をはじめ大量の鋳造遺物と共に、数百点以上の古代木簡を発見しました。
 この内一点には、「天平二年(七三〇)五月四日」の墨書が認められ、『続日本紀』天平二年三月十三日条に、長門国での銅銭鋳造の目的で、周防国から送られたと記される銅の行き先が、ここ長門鋳銭所跡であり、鋳造された銭貨が和同開珎であることが明らかとなりました。
 また、このことから、「長門鋳銭司(ながとのじゅぜんし)」の所在と操業時期が改めて明らかとなりました。
    下関市教育委員会


長門鋳銭所跡は古代の貨幣鋳造機関の遺跡。下関市長府国分寺跡の西北部にあたり、現在は覚苑寺(かくおんじ)境内及び畑地となっている。遺跡の地下60〜90pの土中から和同開珎を作ったときの遺物等が出土したことにより長門鋳銭所として国史跡に指定された。長門鋳銭所は、おそくとも奈良時代の730(天平2)年頃には鋳造を開始していたと考えられている。
史跡地内からは、708(和銅1)年から鋳造が開始された貨幣である和同開珎1枚とそれを作ったときの型、るつぼや鞴口などが出土しており、これも長門国鋳銭遺物として国の重要文化財に指定されている。
山口県の文化財HP) 


本堂(大雄宝殿)が見えてきました。
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下関市指定有形文化財(建造物)
  覚苑寺本堂
   指定月日 昭和61年(1986)5月10日
   建築面積 159.239㎥(裳階側柱内側面積)
 法輪山覚苑寺は、元禄11年(1697)に創建された黄檗宗寺院。開基は黄檗宗に帰依した長府藩第三代藩主毛利綱元で、黄檗大本山である萬福寺第7代悦山道宗(えっさんどうしゅう)を開山とする。
 この建物は、周防三田尻(現・防府市)にあった黄檗宗寺院の醍醐寺の本堂として寛政6年(1794)に建立されたもので、明治8年(1875)、廃寺となっていた醍醐寺から覚苑寺に移築された。以後、当寺の本堂(大雄宝殿)として利用されている。
 本堂は、乱石積の基壇上に建ち、入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺、桁行三間・梁間三間の身舎(もや)に裳階(もこし)が付く、前面の裳階を吹放ちとする。柱は全て面取が施された角柱とし、角形の石造礎盤の上に建つ。柱頭は粽形(ちまきがた)、足元は丸面をつける。床は土間とする。身舎は、中央間四面及び両脇間を虹梁(こうりょう)で繋ぐ。身舎の虹梁上に角形の大瓶束(だいへいづか)を立てて各天井(かくてんじょう)を支え、天井高の高い内部空間を構成している。内陣中央後方に禅宗様須弥壇を置く。組物は、身舎は出三斗(でみつと)、裳階は大斗(だいと)拳鼻付肘木(ひじき)とする。
 この建築は、虹梁、台輪などに見られる禅宗様の形式や細部の大斗肘木などに和様の影響が見られるものの、裳階前面を吹放ちとする点や角形の石造礎盤に江戸時代の黄檗建築の特徴が表れており、建築史の上で高い価値を有している。
          下関市教育委員会


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内陣。
釈迦三尊像が祀ってあります。

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中央に釈迦牟尼仏、両脇侍に迦葉、阿難の両尊者。
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覚苑寺第四代素岳禅師像。
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鐘楼
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庫裡(方丈)
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  勝山御殿玄関跡(移築)
 現在当山の庫裡として使われている当建物は、元々勝山御殿本丸の玄関部分として建てれられたものであり、明治初期、勝山御殿解体の後、此処に移築された。
 幕末期、長州藩は攘夷運動の高まりを受け、関門海峡を通る外国船に砲撃を加えたが、その報復を恐れた長府毛利家は、藩邸を海の側(現在の豊浦高校一帯)から急遽内陸部勝山の地へ移す必要に迫られ、わずか五ヶ月の工事で完成させた。
 幕府の築城禁止令に触れないよう勝山御殿と称したが、実態は総石垣造りの本格的な城であったという。


黄檗普茶料理」とありますが、やっているのでしょうか?
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「三十三か所観音菩薩 巡拝の御案内」説明板。
長府毛利家墓所もあります。
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乃木希典像
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乃木希典像台座前面碑文。
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武士(もののふ)は 玉も黄金(こがね)も なにかせむ いのちにかへて 名こそをしけれ


生田蝶介歌碑
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ふるさとの赤松山のおもひでの松の匂ひをしのぶ秋の日
   蝶介



寺の縁起。
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   縁起
 当山は禅宗の一派、黄檗宗の寺院である。(略)
 当山の前身は市内綾羅木にあった元享山利済寺という古刹であるが、長府藩主第三代毛利綱元公が元禄十年(一六九八年)、それを当地へ移し替え名を法輪山覚苑寺と改め、悦山道宗禅師(黄檗山万福寺の第七代住持であった中国僧)を勧請開山として創建された。歴代藩主の崇敬厚く、寺禄百二石を有し、長府毛利家菩提寺の一つとなった。創建以来、学僧高僧が集まり、藩中の士の従学する者も多く、藩の学問所的な性格も兼ね備えていたという。また、黄檗宗別格地の寺格を有し、地域における黄檗宗寺院の中心として大いに栄えた。
 江戸地代に描かれた絵図によると、かつては七堂伽藍を有していたが、明治に入り寺禄を失い、(略)諸堂は取り壊された。しかし、明治六年には、解体された勝山御殿が解体された後、当山の庫裏として、また、明治八年には、三田尻(防府市)の廃寺となっていた黄檗宗寺院、醍醐寺の本堂が解体され当山の本堂として、それぞれ移築され今日に至る。
 境内には、長府毛利家(三代綱元公 六代匡広公 十三代元周公 元周正室)の墓があり、県の文化財に指定されている。

 (略)

【次回に続く】
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