CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

こどもと本ジョイントネット21・山口


〜すべての子どもに本との出会いを〜

子どもと本をむすぶ活動をしています


検索
検索語句
<< 2021年01月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
最新記事
カテゴリアーカイブ
プロフィール

こどもと本ジョイントネット21・山口さんの画像
月別アーカイブ
最新コメント
タグクラウド
日別アーカイブ
https://blog.canpan.info/jointnet21/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/jointnet21/index2_0.xml
スペースパンプローナ 〜 RNCON DE LA AMISTAD(友情の地) [2020年12月29日(Tue)]
2020年は、山口市とスペイン・ナバラ州パンプローナ市が姉妹都市になって40周年ですぴかぴか(新しい)

1552年にナバラ州出身のフランシスコ・サビエルが山口市を訪れ、キリスト教を日本で初めて布教したという歴史から、1980年2月に山口市はナバラ州の州都であるパンプローナ市と姉妹都市縁組を締結し、様々な交流事業を実施してきました。
大内義隆.png

山口市では、秋に「HOLA!やまぐちスペインフィエスタ」が毎年行われていますが、第14回の今年は、コロナ禍のため中止になりました。

パンプローナ市には、やまぐち公園、やまぐち図書館、やまぐち広場、やまぐち映画館、ホテルヤマグチなどがあります。
982EDB81-74AD-4294-AE2F-90D151AFFFDC.jpeg


山口市には、サビエル記念聖堂(亀山町)やサビエル記念公園(金古曽町)の他、
571C80D4-C252-499C-8C2B-FA27BAFC5908.jpegサビエル記念聖堂 
BCC29E51-4CCF-44DB-B4C9-4DA3F22A0198.jpegサビエル記念公園

スペースパンプローナという広場があります。
萩山口信用金庫本店(道場門前1丁目)と山口中央郵便局の間を流れる一の坂川えびす橋という橋が架かっていて、「えびす橋ガーデンブリッジ」と呼ばれています。
8C4E50CA-73EB-4B4D-9391-ED3540A7974D.jpeg

そこに、1993年、パンプローナ市をイメージしたからくり時計やあずまやが設置されました。
67548272-9BFB-4DD5-8506-1977340F737A.jpeg

山口市立大殿小学校児童と交換したパンプローナ市の児童の絵も飾ってあります。
55D57FBB-4E57-4A1B-9ECC-D9416D586678.jpeg DA6137E0-DBCD-4359-80F7-91DC649D1CE0.jpeg A5969C83-1089-4F79-9656-D855BA472233.jpeg F22243BE-A99A-4E6E-AD7B-B5CB0B7CF67D.jpeg

1994年、広場の愛称は公募により「スペースパンプローナ 〜 RNCON DE LA AMISTAD(友情の地)」と名付けられました。
4AE5F22F-3DBC-4B87-A393-3CD004473A58.jpeg 3B34C3F8-51D3-4BE5-B748-473ED8DAB70F.jpeg

あずまのやのテーブルにはすてきなモザイクが施されています。
6DC90DCC-192F-4126-98C6-0A388FCC2614.jpeg

からくり時計は、パンプローナ市で7月に行われる世界でも有名な「牛追い祭り(サン・フェルミン祭り)」がモチーフになっています。
8時〜21時の正時毎に幕が上がり、バスク地方風のメロディーに合わせ、人形が動きます。
0D63B779-0FA2-4A92-8808-8222B60E383F.jpeg 

お時間があれば、正時にスペースパンプローナを訪れてみてください。
今年は、時の記念日制定100年でもあります。
スタジオイマイチ13周年記念感謝祭「さんぽで○○」 [2020年12月21日(Mon)]
12月20日(日)、スタジオイマイチ13周年記念感謝祭「さんぽで○○」に参加しましたぴかぴか(新しい)

スタジオイマイチ.jpg

スタジオイマイチのある山口市商店街周辺をパーフォンマンス楽しみながらの「さんぽ」です。

駅通りの中村ビルのスタジオイマイチを出発し、新町商店街の千歳橋にある休憩所で、まず、パーフォーマンスが始まりました。
タイコの音に合わせて、橋の向こう側に行ったりの素晴らしいダンスに圧倒されました。
D1E78311-77D5-4DA1-A8D4-54A79E60E7FC.jpeg A86D03C4-3852-4A09-9F68-63B6BA24894A.jpeg E377C252-5C52-4E3D-ABF2-D57FC4B37FE2.jpeg C0B2BB11-5C9F-4E0D-BB86-49B0D7CF878D.jpeg

テクテク歩き、山口県立美術館の田辺武さん作のオブジェを見たりしながら、次は、山口県立美術館横ミニシアター周辺でパーフォーマンス。
B6C5C1AB-5057-42C1-9085-5561EA47BC0B.jpeg 061E4627-AEA3-42D1-BAAF-5AAD2B584DD2.jpeg CAA298D4-C7D3-4E78-869E-1F2DF67EFE88.jpeg 8C1CD4E0-6833-4DCB-A653-1EE61FF75DFA.jpeg 0FE8AAF9-CA78-44AE-8FA5-FE6BF3BD46C1.jpeg D62BE2EA-D51B-48A0-A53D-4FD470077C21.jpeg

階段を登って行き、亀山山頂広場へ。
483FB059-EF9B-4A32-ABD3-1F9C71E2EB06.jpeg

しばらく休んで、亀山を降り、県立博物館横の噴水広場のところで、また、パーフォーマンス。
B2D3CD0C-C77D-467D-8862-30A5528D3C96.jpeg 839E09E8-A8C4-4F13-A316-C76744592ADD.jpeg 8876A7DC-F0C0-44D3-A11F-5CD59ED43A4A.jpeg 5AC3B23C-FA02-4775-8988-7E429A995C03.jpeg 6695C487-758D-4696-B130-5F35A2D1E620.jpeg 6F905ABD-5786-44A5-A07A-8FF499486FC1.jpeg 3AB0F831-0996-4AD8-BB08-5CDBA68527D1.jpeg 414CA51A-DAA8-42D4-A4E1-89D25FADF66A.jpeg 65361E8F-45D1-40A8-9336-BE8A711DF632.jpeg 4805F1A5-17CF-4477-9DE2-1551D40DF9D9.jpeg

一の坂川に向かって歩いて行く途中何度も、サンタ自転車に出会いました。
68DA3FC6-A771-41C0-8CC7-CD1B60F8DD96.jpeg

最後は、一の坂川の櫻橋でパーフォーマンス。
98EC0FBB-2DE2-45C0-BA89-B0A5D5B246C5.jpeg 919E3D58-7F56-4CB3-9B16-99586D7DA09D.jpeg

一の坂川ほたる広場で解散でした。
パーフォーマンスを楽しみながらの2時間のお散歩でした。
歴史散歩、文学散歩などの街歩きの大好きな私もこんな散歩は初めてで、すごく楽しくて、私もちょっぴりパーフォーマンスをしたくなりました。

散歩をしながら見つけたものにチェックを入れる「さんぽで○○BINGO」も面白かったです。
CCA33747-ADDC-45B7-9E3C-5EE6CA77D372.jpeg

パーフォーマーは、大脇理智さん、イフクキョウコさん、宮ア萌美さん、 別府僚太さんの4人でしたひらめき
旧ザビエル記念聖堂シンボルモニュメント @ 日本のクリスマスは山口からイルミネーション [2020年12月18日(Fri)]
12月1日(火)〜31日(木)、山口県立美術館横から鳳陽会辺りまでの亀山公園では「旧ザビエル記念聖堂シンボルモニュメント」「亀山周辺ゾーン灯りの丘プロジェクト」のイルミネーションで彩られていますぴかぴか(新しい)

EF12D9B0-C7D4-441A-AADF-0CA208D81C0F.jpeg

日本で初めてクリスマスが祝われ、「日本のクリスマスは山口から」とされ、その縁で「12月、山口市はクリスマス市となる。」ことから、各所でイベントが催されますクリスマス

旧サビエル記念聖堂は1952(昭和27)年にサビエル山口来訪400年を記念して建てられたカトリック教会でした。1991(平成3)年に火災で焼失し、近代的なデザインの現在の教会に再建されました。
市民は未だに旧聖堂に対して深い愛着を抱いており、毎年、旧聖堂をイメージした「旧ザビエル記念聖堂シンボルモニュメント」(山口商工会議所青年部)が点灯されますクリスマス

76772AC9-F2CD-40DD-9626-45FF918939A2.jpeg

上に乗ると、色が変わりますクリスマス
37AD9D89-F649-4B7F-B3ED-50B9129D2201.jpeg E5C98F84-637B-4980-ACA7-D2F69BF0DD49.jpeg 

子ども達が楽しそうに遊んでいましたクリスマス
D4893A5B-7481-42B7-A2D4-B84F0327C797.jpeg

それをC新聞のH記者さんとカメラマンさんが取材していました(見えにくいけれどこの2つの黒い影です)クリスマス
61F3E0AE-DF27-4D2F-8FE6-D22DC705C8E9.jpeg


鳳陽館の辺りまでは、「亀山周辺ゾーン灯りの丘プロジェクト」(山口市観光交流課)ですクリスマス

D9ECD2D7-7901-4B1E-99BA-438D9574EEDD.jpeg 
EAC4B89B-F724-439F-A5A5-784584983643.jpeg 
65D63EC1-436B-48AE-BF8E-9F18E06A4EEA.jpeg 
73E89096-4664-47D2-9F51-2AF21942B808.jpeg

派手さはありませんが、静かな灯りをお楽しみくださいクリスマス
12月、日クリバッジをつけてクリスマス市民になる。 [2020年12月08日(Tue)]
猫が、「日本のクリスマスは山口から」(略称:日クリ)への協賛の意味を込めて、日クリバッジを買ってくれました。

日クリバッジ.PNG

これで、私も「12月、日クリバッジをつけてクリスマス市民になる。」ですぴかぴか(新しい)

3BAD9A23-2AFC-41C6-9D93-31A137791422.jpeg

12月6日(日)、長谷川義史クリスマス絵本ライブで初披露しましたが、誰も気づいてくれませんでしたもうやだ〜(悲しい顔)

FAA20FA1-1A5B-486C-9E0F-23D45DA12B9D.jpeg

山口市道場門前2丁目のKO SILVERの佐伯和章さんの作品だと聞いたのですが・・・・・・。



山口市では、「12月、山口市はクリスマス市になる。」ということで、

2E7AA84D-A0BB-49D3-8D65-33A8D5F50CB8.jpeg市役所

毎年、日本のクリスマスは山口から実行委員会が組織され、参加団体がクリスマス市の12月に様々なイベントを開催しています。

nichikuri2020_logo.jpg

今年はコロナ禍で、イベントを取りやめた団体さんも多かったようです。
例年作られるパンフレットも少し寂しい感じですふらふら

2020.PNG日クリパンフレット裏面

こどもと本ジョイントネット21・山口では、2011年から日本のクリスマスは山口から実行委員会のメンバーとしてイベントを開催してきました。
2011年は「絵本作家武田美穂さんとつくろう「きらきらバッチ」」でした。
2012年からは「長谷川義史クリスマス絵本ライブ」として毎年として実施しています揺れるハート

絵本作家 長谷川義史さんとはデビュー当時からのお付き合いで県内各地で絵本ライブを開催していただいてきましたが、今では、長谷川義史クリスマス絵本ライブがクリスマス市の恒例行事の一つとなっていますクリスマス

チラシ2020長谷川義史クリスマス絵本ライブ 日クリロゴ.pngチラシに入った日クリロゴ

今年は、直前まで開催できるから危ぶまれていましたが、感染対策を実施して、長谷川義史クリスマス絵本ライブを開催することができましたひらめき

2020日クリパンフレット.PNG日クリパンフレット

コロナ禍の中、会場にお運びいただいたお客様、学生スタッフや県内各地から集まってくれたジョイネットの仲間、そして、何より大阪から来てくださった長谷川さん、そんな皆様のおかげで、なんとか開催することができました。
本当にありがとうございました。
(まだまだ気が抜けないのですが・・・・・・。)
鴻ノ峰散歩A [2020年10月13日(Tue)]
【前回の続き】

登っていくと、急に視野が開け、山口市内が一望できるところがあります。
BC8C62BC-9045-47D3-A289-3A1CE1326956.jpeg 51B11F72-AA83-47F8-8A57-A325B7A89A06.jpeg C6FB5206-4C50-482B-942B-708E50AD3E97.jpeg 31EAAD8A-6023-4CAB-9C5A-5CB24119EF73.jpeg

ここにはアサギマダラが来るらしく掲示板が設置されていました。
EB20B376-8636-4E0A-BCB6-72FF6347B6FA.jpeg EC61F398-5A97-46F1-B68A-5D585B0BB266.jpeg

アサギマダラは大好きな温度20度を求めて南下する、とありますが、只今の温度21℃でした。
0FA486D8-0629-4357-BA03-6CCD5F7DCF4F.jpeg

確かにアサギマダラの集まるフジバカマ(藤袴)が咲いていましたかわいい
B019D182-1DF8-4263-9EEB-7F8553F62713.jpeg D9C5D127-8027-4C58-A558-41698B8F452A.jpeg

イヌホオズキ(犬酸漿)かわいい
19E1A664-7F58-4A50-8AD2-5A9562F32845.jpeg

クサギ?かわいい
1F2407E5-447D-46B4-8B86-BAA69DB8664E.jpeg 1B42B9F2-EBE3-436A-9677-EEF57EA58365.jpeg

キノコ諸々かわいい
CFC57F48-ADE2-4FD3-B48C-0D58A44B2089.jpeg 5135D41C-7D51-4EC9-888C-9E97A29C7F28.jpeg 910A6A22-8CF6-4B29-BBBD-95A315ACF7D6.jpeg 0B02DAFC-261F-407E-B60B-D53A880A4526.jpeg

セキダカズラ?かわいい
2FE36C5E-3258-4385-9A0C-A224476F98B3.jpeg

大内義長が築城した高嶺城跡がある山頂まで行かずに、中腹のテレビ・ラジオ中継局「山口鴻ノ峯」の辺りで引き返しました。 
鴻ノ峰散歩@ [2020年10月12日(Mon)]
10月7日(水)、秋の空がきれいな日、Fさんと何ヶ月ぶりかの鴻ノ峰散歩を楽しみましたぴかぴか(新しい)

796EE703-AC57-4A44-BC55-5AE4F6CA4A18.jpeg

集合場所の木戸公園は秋の花が咲き誇っていました。
コスモス(秋桜)かわいい
99FF50FF-C54F-4162-9241-D8F76C803059.jpeg

ホトトギス(杜鵑)かわいい
2063C387-2E87-4370-815E-9E697CFE22F8.jpeg

ハマユウ(浜木綿)かわいい
夏の花ですが。
FC3EF5F0-AEC5-40D2-ABFA-A9FD8C592423.jpeg

サンビタリア(蛇目菊)かわいい
3EE34D9F-35D2-47D6-85F0-6DFDCB7AE9E4.jpeg

秋の花を楽しんでいると、Fさん到着。
distance を保ちながら歩き始めます。

弟山。
490F90CC-D84F-4D78-BCC4-B21F7D3BE205.jpeg

このクリーム色の実は?
葉は全縁です。キミノシロダモ?
87BBB0EA-BA02-4318-8E5F-9E48A7AC4C4F.jpeg D6F85633-831E-4C32-BA6D-76AFBC6D4E54.jpeg
 
ドングリ。
おそらくアラカシの樹だと思います。
3ECE97D5-4DDB-494F-A29D-D5523F9FFB45.jpeg 5599CBC4-8EF0-4041-ABC5-BF3DF4D91FFD.jpeg

手前が弟山と向こうが兄山。
DC87A22B-DC19-4697-9027-F2098D37A62D.jpeg


【次回に続く】
小郡宰判勘場跡 @ 正護寺番外編A [2020年09月17日(Thu)]
正護寺の山門が、小郡代官所の門を移築したものだというのを知ってから、
70140711-248F-4AF6-9642-BDCD3E046741.jpeg 4DA02ADD-2AB2-4470-9670-E9B610A16E14.jpeg

小郡代官所が気になって、気になって・・・。

本堂正面の門は、小郡代官所の正門を北川清助代官の配慮により移設されたものである。
(「正護寺」案内板より)

代官所ではなく、「勘場」といっていたようです。

萩藩を治めるために宰判[さいばん]という行政区画がされていましたが、それぞれの宰判に1つずつ置かれた役所が勘場です。(防府市歴史用語集)

長州藩は、藩内統治のため周防で9区・長門で8区の行政区に分け宰判勘場を設置しました。
小郡宰判勘場は、正保年間(1644〜1649.1)に設置され13ヶ村を支配しました。

各宰判はおおむね20〜30ヵ村を含み,大庄屋が各村庄屋を統轄した。各宰判の中心役所を勘場といい,大庄屋はそこに詰めて勘場の諸役人を指揮した。大庄屋の多くは永代苗字帯刀御免で,その民政上の実力は藩の下級役人よりも強かった。(『世界大百科事典』「大庄屋」(平凡社)より)


小郡宰判勘場は旧山陽道の北側に位置し現在のJR山口線の周防下郷駅の西側に設けられていた、ということなので、周防下郷駅に行ってみました。一度も降りたことがなかったので、行ってみてびっくり。駅舎がないのは理解できますが、駅前というものが存在しないのです。こんな駅もあるのですね。近くに高校もあり、乗降はそれなりだと思うのですが。
そして、駅の辺りには、それらしい案内板などなく・・・・・・。

もう一度、よく調べてみると、新丁公民館の前に案内板が立っている、ということなので行ってみました。
5DF199AF-3BF0-417C-A152-90FC8D230A89.jpeg

案内板が立っています。
953F7675-EE76-4740-BB37-D15386B88CDE.jpeg

「お茶屋跡・勘場跡」案内板。
543ABBE8-C083-487C-A82A-3FC725EA94C0.jpeg

■ 御茶屋(おちゃや)跡
 御茶屋は、藩の公的な宿泊施設であって、もともと藩主の参勤道中や国内巡行の便宜のため、藩内各地に設けられたものであった。しかし、山陽道筋の五カ所の御茶屋(当所を含む)は、幕府役人や九州諸大名の参勤交代の通行時に利用される藩外交上の大切な施設でもあった。
 幕末期の記録によると、建坪は一三八坪(約四五六平方メートル)であった。表方は土塀で囲まれ、門は二重に設けられていた。建物の真ん中には中庭があり、それを二三の部屋が取り囲んでいた。建物の右方にある御座の間(殿様の宿泊場所)の屋根は茅葺きであり、表門の近くに駕籠蔵があった。

■ 勘場(かんば)跡
 勘場は、萩から出張して来る代官の勤務する所で御茶屋に隣接し、建坪が一〇五坪(約三五〇平方メートル)で、付設の物品蔵などの建物が三軒あった。 勘場には大庄屋が毎日出勤し、算用師などの勘場地下(じげ)役人を指図して、行政を取り仕切っていた。

  平成一三年三月三一日  山口市教育委員会



江戸寛永年間に初代代官が任命されており、1650年ころには、小郡宰判勘場が設置されたものと思われます。その後、旧小郡町役場となり、現在は、新丁公民館・消防車庫や付近の民家一帯、道路(ふれあい道路)等になっています。

「小郡勘場(代官所)・御茶屋配置図(江戸時代中頃)」。
5FF4F3EC-EF75-4B8B-9827-3AB50BC19B2D.jpeg


北西隅に勘場の建物があったようです。
「勘場の門」とはどこを指すのでしょうか?
正護寺の山門はあまり大きな門ではないので、この地図の「御恵門」だったのでしょうか?

0DB3CCD7-2463-4E54-85AB-9016BAABB83B.jpeg

長州ファイブの一人 山尾庸三は、1937(天保8)年に周防国吉敷郡二島村(現在の山口市秋穂二島)長浜で生まれましたが、数え年の10歳には、小郡宰判勘場で仕事(手子(書記役))をしていたそうです。

幕末には玉木文之進(吉田松陰の叔父)や井上馨らが代官をつとめました。
1864(元治元)年、四国連合艦隊との和議方針を決めた御前会議はここで行われ、高杉晋作や井上馨、伊藤博文も同席しました。井上馨が藩首脳部の無定見を非難し切腹しかかりましたが、杉晋作がこれを止める事態もありました。


現地には、遺構は残っておらず、今は、年代を重ねたクスノキが残っているだけです。
A2B98B84-81E5-45E7-876F-3EA61E302098.jpeg


正護寺の山門をここに移設、いえ、戻したら、と思っている今日この頃です。
「コウモリラン」 & 「コウホネ」の鉢 in 大殿 @ 正護寺番外編@ [2020年09月16日(Wed)]
9月14日(月)、爽やかな秋晴れの中、正護寺さんの火鉢の嫁ぎ先を訪ねながら大殿散歩を楽しみました晴れ

まず、大殿大路のファブラボ山口さんに行きましたぴかぴか(新しい)
0254EF90-0B95-4571-9D49-C54EDF510027.jpeg

ファブラボ山口さんが、米屋町から大殿ロビーの後に引っ越してから初めてです。
0375486E-E11D-4DA7-89B3-D01F436532D9.jpeg

ファブラボ山口さんは、
「自分たちに必要なものを自ら考え、自らの手でつくる、ものづくり人材の育成」を目的とした、オープンな市民工房です。 誰もがものづくりができる環境をサポートすることにより、ここ山口から新しい産業や、新しい学びの場をつくりだし、世界に発信することをめざして日々活動ファブラボ山口HPより)
されています。

F2A7017E-393B-4621-8A9E-662FFA6E9AE8.jpeg 76315DBF-EEE3-4B58-A670-86B988C14D7E.jpeg

中に入ると、観葉植物がずらっと並んでいて癒やしの空間になっていまするんるん
02C660E6-F1B8-4E00-BA8E-6BE001E210A5.jpeg 66910A1F-57FE-4FA5-9290-E730BF61F495.jpeg 12A0B4D1-F59C-476D-8683-9A2E4AF4751A.jpeg 
E06D85FD-6016-4F9B-9F7D-81850D048C61.jpeg E09B5095-9247-4904-810D-853941A01C19.jpeg


これですexclamation×2 正護寺さんの火鉢を再利用した鉢カバーですひらめき
A53B6A90-D5BD-44F2-8A60-B68AB6935BED.jpeg

元々、火鉢だったなんて思わせない程、渋くっておしゃれで、植物になじんでいて、古民家にピッタリです。
7462C15E-9299-4A7B-AFB6-59E814D3852F.jpeg 6356E0CD-4A4C-4393-825F-7599CF4C510E.jpeg 4F453929-8CA1-4AC0-A017-2C825FFAB92F.jpeg


ところで、この植物の名前知っていますか?
07C97E4F-B78E-4D88-8362-F6B87E35D47B.jpeg

「コウモリラン」というのだそうです。
大きく広がった葉がコウモリが羽を広げたように、または、垂れ下がる葉がコウモリが羽ばたくように見えることから、この名前がついたと言われています。
F893B09F-84B8-469F-9EAC-CEBD1291F15A.jpeg

私には鹿の角のように見え、「ビカクシダ(麇角羊歯)」というもう一つの名前がしっくりきます。「麋角」とは「ヘラジカの角」のことです。
E578315B-DAB3-4017-BC9A-9CA0087EBB80.jpeg



次は、築山小路のイタリア食堂ベケ!?さんに行きましたぴかぴか(新しい)
C2BA7283-DDB2-41F0-B7EC-146F22E1E3E5.jpeg

ここは、メダカを飼うのに、正護寺さんの火鉢を睡蓮鉢として再利用していますひらめき
ロベルトが丹精を込めて世話しています。
前回来た時、水が満々と入っていたので、「雨が降ったら水が溢れて、メダカ、逃げない?」って、ロベルトに聞いたら、「大丈夫、雨の日は、メダカは鉢底にいるから。」って、言っていました。イタリア語と日本語となんとなく通じるから、不思議です。
DBD53E73-FE81-45C9-A273-43E3872BC60C.jpeg

水草は、ホテイアオイだけだと思っていたのですが、コウホネもありました。
5A5E8510-A174-4CFE-B78E-CE60EAE8224B.jpeg

しかも、花が咲いていましたかわいい
6F9AC9A8-48F7-47C2-8331-1E70C13C9EC3.jpeg

コウホネについては以前アップしましたが、こんな間近で見たのは初めてだったので感激です揺れるハート
7FE468B3-668E-4BAE-B0B3-446097111B26.jpeg

花の外周の5枚の花びらのように見えるものは萼片です。
BBD3B450-7947-4282-B3C9-C4E769DC8A48.jpeg


ホテイアオイの花も咲いていましたかわいい
68DD88B5-71BD-4328-B9D7-DE0C3B3AC910.jpeg 8DFF395C-82E0-4196-96D5-5077DEE434EF.jpeg

「青い悪魔」と呼ばれているそうですが、綺麗な花です。
66A8C4F7-6CC9-47CC-9A8D-6B79774AB0B1.jpeg 37D3BEBE-E393-4505-865B-78915A0F699D.jpeg 0EA51094-E233-479F-853F-6D981278AFE0.jpeg

もちろん、この日もランチを食べましたるんるん
BE877547-1339-474C-868C-08A7755F4A1B.jpeg F6BB458F-5374-4107-96A9-C544F3EB9B8D.jpeg 1DD8E050-B08E-4F09-99D0-86051B96D5DF.jpeg 76C9266F-7C3F-47F7-A67D-B39F759F4C6A.jpeg
パークゴルフひくたにでパークゴルフをしました [2020年09月10日(Thu)]
9月9日(水)、山口市徳地引谷のパークゴルフひくたにパークゴルフをしましたぴかぴか(新しい)

(山口市内中心部を起点とします) 国道9号を仁保入口交差点で国道376号に入り、道の駅「仁保の郷」の前を過ぎ、「引谷」という道路標識で左折し県道26号を行きます。
3A141936-1946-4A78-A0BF-929A4C2D8D96.jpeg B5240D89-CC1E-4ADD-8A32-B0958B4B10C3.jpeg

途中で山道(離合はできます)になりますが、そこを抜けるとまた道は広くなり、やがて、「パークゴルフひくたに」の看板が見えてきます。そこを左折し、さらに看板で左折したところにあります。
FE439112-3D35-4E86-8455-75C09FD5AA90.jpeg

コースは全部で18ホールです。パー66、距離785m。
FA5C71C3-6868-4B02-B8E3-A9780CE21B46.jpeg 
A19699E9-971F-40DD-AC92-C3BF2FACA0E6.jpeg

パークゴルフは、プレー料金も安く、手軽にプレイできます。
パークゴルフひくたにでは、1日800円で好きなだけプレイできます。
1DFEE0C2-CA35-49F3-8AC1-ADC19FE59EB0.jpeg

パークゴルフの道具は、専用のクラブ1本、ボール1個とティー1本だけです。
こちらでは、レンタル料(クラブ+ボール)200円です。
BE2BA877-2767-4F01-9E74-08308EFDBDDF.jpeg C8030FC3-F5D2-45B8-8D25-816BF1C5DDCA.jpeg


最初の7ホールは段々畑を潰して作ったコースのようです。
508CE0A4-6815-42F0-90A9-D19585374E95.jpeg

かなり雨が降った後のようで、芝が重く、ショットによると水しぶきが上がっていました。
ベテランのYさんも、ボールが思うように行かないようでした。
87A75634-0FC7-481A-92BC-89841C42EB4F.jpeg 5EFE66E8-B57A-4E7F-9093-25F5661C3586.jpeg


8ホールから山側に回るようになっています。
9ホールを終わったところに鶏舎があり、ニワトリが平飼いされています。
77B23BF4-19AB-4FA8-880E-A6B26D476F66.jpeg 
86EF4344-6FB5-4EE6-BBBF-1C96126DE8BF.jpeg

クラブハウスでは産みたて卵も売っています。
A9A19889-8128-44F4-82A1-B58DBF73E38C.jpeg

6個入りで160円でした。要予約だそうです。
0BD8BD23-4C2D-4B11-B48F-492A888FC6BA.jpeg

クラブハウスでゆで卵、家に帰ってから卵かけご飯を食べましたがすごく美味しかったですひらめき
E19C482D-B1D0-475D-B94C-28397AE73AFD.jpeg

こちらがメニュー表です。その他アイスもありました。
21CEA944-40D7-48FE-BE23-810FA2ED8CB2.jpeg


8ホール以降は山を切り開いて作ってあります。
山の傾斜を利用した起伏のあるチャレンジしがいのあるコースです。
08126583-B921-4D6B-BAB6-BEEF56AAC880.jpeg 
FD2EB33C-0CD2-4042-B29D-CD605BC0B527.jpeg 85CC1687-0E1C-4A1B-82F0-06C4045E5C79.jpeg
A726BAEB-375E-4D82-B43E-B38CC15B4977.jpeg EDEAC931-2085-45E3-B79E-C9CA9350448B.jpeg
01FB5A98-5F7E-4A37-B59E-750FA3326016.jpeg

初心者でもその日から楽しめるのが人気の理由だと思います。
2028A24E-E1DD-494F-A57E-AFFD7A25F6AB.jpeg EB2E8D50-F93B-47B6-99F2-A61F3B78AE42.jpeg 
0BE522A2-B42F-4DB6-BC5C-8293CE450796.jpeg 7AF9D4E2-BB76-4AB9-8427-1BB32D767570.jpeg


ハギの花が咲いていました。もう、秋なのですね。
52F0FDB5-D1BD-49B2-BD43-9D310ADCA825.jpeg 

ヒメジソ。
F36B6F89-D317-4D4F-8417-037A9D224763.jpeg 

ツルボ(蔓穂)?
0715A05F-AD3C-4A6E-8CEF-5BF5A54AD539.jpeg E79DC26D-A24C-4820-90BB-7054EF5445D7.jpeg B1981FB3-F654-42E5-AECD-F36B271E450B.jpeg

サルノコシカケ。
87C1E127-AE9C-4D4C-B588-B56BE5827332.jpeg E8EF3723-5BB3-4523-8A41-3459ED5A0249.jpeg

シイタケのように見えるのですが、押さえるとスカスカで、シイタケではありませんでした。
5C4CF90A-E0AF-40C2-9761-64F164757FFB.jpeg

グリーンのいたるところに水道の蛇口が設けてあり、「池の水、飲めません」と表示してありました。ということは池があり、その池に生えていたホテイアオイでしょうか?
ホテイアオイは、普通にどこにでも見かけますが、重点対策外来種に指定されています。
7A07D0CF-287F-41FA-8682-90EC1B11C44B.jpeg


そうそう、ボールに黄色いチョウがまとわりついて・・・。
チョウが止まっているのがパークゴルフのボールです。合成樹脂でできていて、直径60mm、重量80〜95gです。(ゴルフボールが、42.67mm以上、45.93g以下なので、一回り大きいです。)
50A81AE8-E80A-4D14-8B70-3339F103C975.jpeg

なので、チョウの大きさは2cmくらい。小さなチョウです。
キチョウの仲間でしょうか?
74B1DB51-6C6C-4D80-AAC1-BF68BEBA3E3B.jpeg


Fさんより、美味しいイチジクのお土産まであり、戸外での一日を久しぶりに満喫しました。
75F5ABE9-F543-43ED-9A99-8ADD5A3FE855.jpeg 44FCA600-8054-45CD-BF77-F1F5CE1B9BAC.jpeg
脱隊兵の銃弾の跡 @ 正護寺C [2020年09月06日(Sun)]
【前回の続き】

正護寺の本堂の柱の2箇所に、明治初めの脱隊騒動のときの脱隊兵による鉄砲の弾の跡が残っていますぴかぴか(新しい)
16A676B8-830D-41A2-BBDD-4247C051A64B.jpeg

「脱隊兵駐留所・正護寺」説明板。
66DE87F1-7FE9-4602-A49A-C3692EC13AAE.jpeg

 明治二年(一八六九)から始まる脱隊騒動では、脱隊兵は山口に入って藩庁を囲み、不正の多い上官による選抜を批判する藩に出された弾劾書の要求を通そうとしましたが、翌年、木戸孝允の指揮する常備軍がこれを制圧するため山口に向かって進軍し、小郡口、陶峠、鎧ヶ峠、勝坂などで戦闘が起こりました。陶・鋳銭司を経て三田尻に退却しましたが、再び攻め上がって鎮圧しました。
 正護寺は一時多くの脱隊兵が駐留していて、本堂の柱にはその時の銃弾の跡が残っています。


『写真と思い出でつづる明治・大正・昭和の陶』(陶地域交流センター完成記念事業会/編 陶連合自治会 2016.7)P110には、

明治の初めに、脱隊騒動という戦いがあった時、一時正護寺が脱隊兵の本陣になりました。今も本堂の柱に残っている鉄砲の弾の跡は、その時の脱隊兵がやるせない不満を爆発させ、柱をねらって撃ったものだろうといわれています。

とあります。隊士は農家の次男・三男で故郷に居場所などない人が多く、厳しいリストラに、不満を爆発させたのでしょう。


弾が柱にめり込んでいます。
5C6961CF-774C-494F-A5DB-50BB7D1F026A.jpeg

黒い弾がはっきりと見えます。
0FA4CF45-0123-47F5-9278-5EAF4DF55002.jpeg

こちらの跡は、弾が貫通していて、向こう側が見えます。
69EE3E86-4F91-44BF-A080-610E10B00BF9.jpeg A5C883BB-CFCF-4080-AB5B-FA191CC87A9F.jpeg


『木戸孝允日記』第一「明治三年二月八日」「明治三年二月九日」(妻木忠太編 早川良吉 昭和7)(国立国会図書館蔵)には、反乱軍を討つべく大道寺に本陣を構え、進軍させたことが書かれています。
なお、大道寺は、山口市名田島27にあり、正護寺のある陶の近くです。
木戸孝允日記. 第1 明治三年二月八日 (2).jpeg 木戸孝允日記. 第1 明治三年二月九日 (2).jpeg


脱隊諸士は鎮圧され、首謀者らは捕らえられて、柊刑場で斬首され、井戸に投げられたということです。正護寺に陣を構えていた脱隊兵の中にも斬首された人がいたのでしょうか。
諸隊の残党の探索も執拗に行われました。

柊刑場跡には、1893(明治28)年に建立された脱隊諸士招魂碑があります。合掌。

【脱隊騒動】
 明治維新の動乱も終わりを告げた明治2年(1689)、北越・奥羽・北海道の戦場より、奇兵隊をはじめとする約5千人の兵士が輝かしい戦功を立て、郷土へ凱旋してきました。
 しかし、彼らを待っていたのは厳しい現実でした。今まで費やした膨大な軍費により、山口藩政府の財政状況は逼迫していました。同年11月25日、藩政府は帰州した兵士の中から2250人を精選し常備軍を編隊。残りを解散させるという兵制改革に着手します。
 命を賭して国事に尽くしたにもかかわらず、精選から漏れた兵士たち。その半数は農家出身の次男、三男でした。彼らは帰農したところで耕す田畑もなければ、生活の保障もありません。
 改革に反対した兵士たちは、それぞれの陣営を脱走し、宮市(防府市)に集結します。その後も各地から同志が集まり、やがてその数は2千人にふくれ上がりました。中には常備軍に精選されたにもかかわらず、脱隊兵団に加わった兵士の姿もありました。
 不満に火が付いた彼らは武装し、小郡、勝坂、徳地など、各地に砲台や土塁を築き、戦闘準備を整えます。また、藩政府に対して、諸隊幹部の乱脈を衝いた弾劾書や、賞典、給与等に対する要求を記した嘆願書を突き付けます。
 翌明治3年(1870)1月24日、脱隊兵は山口藩庁を囲み、要求を貫くため、強硬手段に出ます。
こうした状況の中、昨年末より帰藩していた木戸孝允は、杉孫七郎らと共に武力討伐を決意。同年2月9日早暁、脱隊兵と、それに対する豊浦、徳山、岩国藩を主とした常備軍との軍で戦闘が開始され、陶峠、鎧ヶ峠、柳井田、勝坂などは激戦地となりました。
 昨日までは味方であった者が、今日は一転、敵に変わったこの戦い。百戦錬磨の脱隊兵も常備軍によって次第に追いつめられ、やがて投降、鎮圧されます。捕らえられた首謀者たちへの処分は厳しく、班内各地での刑死者は130余名を数え、ここ柊の地でも多くの兵士が処罰されました。

(脱隊諸士招魂碑傍に平成25年8月に大内倶楽部により立てられた「長州諸隊の反乱「脱隊騒動」」パネルより抜粋)


【次回に続く】
小郡代官所門 @ 正護寺B [2020年09月05日(Sat)]
前回の続き

正護寺の山門は、小郡代官所の門を移築したものです。
70140711-248F-4AF6-9642-BDCD3E046741.jpeg

「あれ?」何かが変です。昨年撮った写真と比較すると確かに違っています。
4DA02ADD-2AB2-4470-9670-E9B610A16E14.jpeg ABD28A8A-A5B1-4F1E-AB7F-13D83D07B845.jpeg
▲以上2枚、2019年7月2日撮影

何ということでしょう、鯱(しゃちほこ)が落ちていますふらふら
7C1E2A73-C75D-4D30-9497-AF838FD9479E.jpeg

『和漢三才図会』中之巻 第四十九 江海有鱗「魚虎」(寺島良安 (尚順) 編中近堂明17-21)(国立国会図書館蔵)に、鯱について載っています。
和漢三才図会. 中之巻 第四十九 江海有鱗 魚虎 (2).jpeg 

鯱とは、姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に空を向かって反り返り、背中には幾重もの鋭いとげを持っているという想像上の海獣です。火よけのまじないとされ、それを模した主に屋根に使われます。
和漢三才図会. 中之巻 第四十九 江海有鱗 魚虎 (3).jpeg

火事の際には水を噴き出して火を消すという鯱がこんなところにいては可哀想です。早く屋根にかえしてあげたいですね。


「陶富士」と呼ばれる陶ヶ岳がきれいに見えます揺れるハート
806299DB-CA4C-4CC8-960A-29BD4E2BD56B.jpeg


【次回に続く】
北川清助 @ 正護寺A [2020年09月04日(Fri)]
前回の続き

正護寺は、平安時代・南北朝時代・江戸時代・明治維新などの遺跡があり、見どころ満載のお寺です。
昨年、正護寺を訪ねた時、北川清助(きたがわせいすけ)の墓をお参りすることができなかったので、今日はお寺の方に場所を聞いて行ってみましたぴかぴか(新しい)

北川清助
文政九年(一八二六)〜明治三五年(一九〇二)。大島郡の貧家に生まれ、幼時陶村の北川家に養われ、その姓を継いだ。少年時代から武技を好み、特に西洋砲術や大砲製造法に通じていた。小郡代官所に勤め、文久年中諸隊を組織して訓練し、福田口に設立された鉄砲製造所の監督を命じられ、農兵頭取を兼ねた。維新後は陶村に居住し農業立国を理想とし、養蚕を奨励したり、また鶏を一千羽飼ったり、あるいは秋穂の竹島に山羊を放牧するなど、当時としては破天荒な近代的多角的農業経営を提唱し、自ら実践したが、その多くは時期尚早のため失敗し、晩年は不遇のうちに過ごした。

(『山口市史』(山口市史編集委員会/編 山口市 昭和57.12)「人物」P808〜9)

山門前の畦道を進んで行くと、墓地の一角に
42C48BAD-32DB-44EB-89C3-8D42CA1CB449.jpeg

北川清助墓所があります。
046A73AA-472D-4071-9C8D-70B6FBBB9436.jpeg 45481AF5-7332-44CA-8905-CC92C6440344.jpeg 41D32631-4325-46D5-A62A-8705D67A0F50.jpeg

墓の後ろには、功績石碑が建っていました。
5202FC92-FD93-4564-8457-BEA65FE00295.jpeg

自動車道から見るとこんな感じです。
FECABD3E-5BBD-488E-BE2A-F01921D815C8.jpeg

道路に「北川代官墓所」説明板が建っています。
454AD4D1-367D-498C-B7D5-2A43E230AB3A.jpeg

小郡宰判(江戸時代の郡役所)の最後の代官、北川清助の墓がこの後にある。
北川代官の屋敷跡は西陶にある。
当時の代官の家は、三階建の桧造りのりっぱな建物で、長い石垣をめぐらして、見晴らしもよかったと伝えられている。
今ではただ石垣と井戸だけが残っている。
北川清助は、文政9年(1862)に大島郡で生まれ、天保9年に陶の士族の北川半右衛門の養子になった
幼児から学問や、武芸に励み、当時は珍しかった西洋の砲術にもすぐれていた。慶応元年(1865)から明治2年までの5年間、小郡宰判の代官として、幕末から明治維新にかけての動乱の時代に大変りっぱな政治をして、人々のために働いた。
その功績により、毛利公から陣羽織や、おほめの沙汰書をたまわった。
陣羽織や沙汰書は正護寺に保存されている。



『木戸孝允日記』第一「明治元年五月八日」(妻木忠太編 早川良吉 昭和7)(国立国会図書館蔵)に「北川清助」等小郡の人が木戸孝允を訪ねて来たことが書いてあります。
木戸孝允日記. 第1 明治元年五月八日 (2).jpeg

同月八日 晴朝 北川清助 寺島□□□□等来る (略)等も亦来る 語已往談将来 小郡之人依舊而懇切 余不忘其厚也 三條 西三條 東久世三卿の短冊を諸子に分與す

「已往(《いおう》往時)を語り将来を談ず。小郡の人は依旧(昔のまま)でしかも懇切である。余はその厚(《こう》心づかいがねんごろ)を忘れざるなり。三條、西三條、東久世三卿の短冊を諸子(みんな)に分与す。」という趣旨のことが書いてあります。


西側の入口に「北川清助の墓」説明板があります。
30EAF01E-71BB-44EF-A466-5D79B9553466.jpeg

  北川清助の墓・正護寺
 北川清助は、文政九年(一八二六)、大島郡で生まれ、幼い時に陶の北川家に養われ、その姓を継ました。小郡代官所に勤め、文久三年(一八六三)、半が小郡の福田口に鉄砲製造所を設置するに当たり、その監督者となっています。元治元年(一八六四)から明治二年(一八六九)の間、代官であったこともあります。
 慶応元年(一八六五)の内訌戦においては、金穀諸隊の要請を入れて金穀援助し、また管内の庄屋・郷士と協力して軍夫を集めるなど諸隊を助け、大田絵堂の戦いで諸隊を勝利に導きました。明治三年脱隊騒動では小郡が戦乱の中心となり、この鎮圧に努力しました。同四年に官職を退きましたが、同十年の西南戦争の時には志願して軍夫を率い従軍しました。その後は陶の地に住んで官途につかず、ひたすら農業経営の改善に努力し、同三十五年に亡くなりました。



毛利公から賜った陣羽織や、おほめの沙汰書が正護寺にあるということですので、ぜひ、次回は見せていただきたい、と思います揺れるハート


【次回に続く】
ハスの花 @ 正護寺@ [2020年09月03日(Thu)]
8月29日(土)、山口市陶の正護寺に行きましたぴかぴか(新しい)
E906D8F8-2DD2-47C0-B9A2-26E44F9178F4.jpeg

正護寺には、ハス田があります。
DD5C2D0C-1796-4169-841A-61541016DADE.jpeg

8月末なので、満開ではありませんでしたが、とてもきれいでした。
5348F9CE-413B-4654-9283-26CB0B97759C.jpeg

けふも暑からう蓮の花咲ききつた 山頭火

BEE6E7AD-41AC-4B7C-A25F-D6E777B76041.jpeg 276251BB-C90D-4F74-B577-64292714B754.jpeg 7C8A1A0F-1447-4D18-9DB9-D3F60E05B95F.jpeg 
80B0E793-8858-44C6-9068-BE8BC2C16161.jpeg E1CDD96D-F80E-4908-8C2D-2296A6F93748.jpeg 3B0AE794-5A45-4156-B225-4DE58F43C01A.jpeg A6EFD2A6-4135-4129-9BC0-99A503300825.jpeg 612948F2-9B06-40B0-B40A-AB5454D6CD87.jpeg 28652650-6C25-4255-AF09-EF41FAA4C1D7.jpeg

ハスの古名「はちす」は、果実の入った花托の形が蜂の巣のように見えることに由来するともいわれます。その後、はちすが「はす」に変化しました。
「水芙蓉(すいふよう、みずふよう)」、「芙蓉(ふよう)」、「不語仙(ふごせん)」、「水の花」、「蓮華(れんげ)」などの異称があります。
漢字では「蓮」のほかに「荷」または「藕」の字をあてます。

わらべ歌『ひらいたひらいた』で歌われる「れんげの花」は「蓮華 (れんげ)」、つまり、「ハス」のことです。

るんるんひらいた ひらいた 
 なんの花が ひらいた
 れんげの花が ひらいた
 ひらいたと おもったら 
 いつのまにか つぼんだ

 つぼんだ つぼんだ
 なんの花が つぼんだ
 れんげの花が つぼんだ
 つぼんだと おもったら
 いつのまにか ひらいた
るんるん


畫本野山草. [5] 蓮花 (2).jpeg
『畫本野山草』五「荷葉めかへ・荷葉盛・蓮花盛」(橘保國/畫圖 芸艸堂 江戸時代)(国立国会図書館蔵)

畫本野山草. [5] 蓮房 (2).jpeg
『畫本野山草』五「蓮花風吹・蓮房」(橘保國/畫圖 芸艸堂 江戸時代)(国立国会図書館蔵)



昨年7月2日に訪ねた時は、時期が早く、夕方遅かったので、花があまり咲いていませんでした。
来年は、満開の時期・時間に訪れたいです。
261A1321-B9F6-4975-8020-DBE171C0BE5B.jpeg
正護寺 @ 山口市陶


【次回に続く】
疫病除け呪文「きしおつ」が刻まれた地蔵尊を拝みに仁保上郷に行きましたA [2020年07月22日(Wed)]
前回の続き

※「きしおつ」は、漢字で「キ(竹かんむりに車へんと”疑”のつくり部分)シ(竹かんむりに厮)乙」と表記しますが、漢字辞典等に該当する字がないので、前回同様「きしおつ」とします。

「きしおつ」について書物で調べてみました。
91869770-2CB2-46DD-A9C8-1C25F6ABD4FE.jpeg


『日本石仏図典』(日本石仏協会/編 国書刊行会 昭和61.8)のP70に、

 きのと(漢字で「キ(竹かんむりに車へんと”疑”のつくり部分)シ(竹かんむりに厮)乙」表記)
 土地の博学の住僧である大久保見瑞氏はこれを「きのと」と読まれた。
すなわち十干の乙(きのと)である。『漢字類編』によれば「乙は骨器の形、」乙は乙形の骨ベラで、糸の乱れを解くものであろう。乱はおさめると読むべき字である」という。
 右の意に従えば「きのと」(きのと)と自然石に刻んで路傍に建てているのは、博学の僧が、これの呪力によって村を悪霊の侵入から塞ぎ、平和に治ることを祈念したものであろう。〔大護八郎〕


「きのと」と読ませて、末尾に埼玉県秩父郡皆野下日野沢にある石塔の写真が併せて記載されています。その石塔は、明らかに仁保にある石仏と同じ「きしおつ」の字を読むことができます。
『山口市の石仏・石塔(4)―宮野・仁保―』(山口の文化財を守る会/編 山口市教育委員会 2012.3)のP189「仁保の地蔵」No.104には上記の記事が採用されています。 


大阪府立中之島図書館に『保古帖』という幕末大阪のスクラップブックといえるものがあります。この巻六に、浪華翠栄堂刊行の一枚刷りに仕立てられて、納められています。
『ふるさと山口』(平成24年6月 通巻33号)(山口の文化財を守る会 2012.6)に所収されている内田伸「呪文を彫った石仏」には、この刷り物の写真が掲載されています。


「きしおつ」
〇この「きしおつ」の三字を紙に書かきて門戸に張はれば、疫鬼悪病あくびやうを除よけと云。是は群談採余ぐんだんさいよに曰、唐土もろこし予章よしやうの南に粟渡ぞくとといへる処あり、宋の乾道けんだう八年の春、一人の僧来り渡子わたりもりに告つげていふ、追付おゝつけ此処へ異相なる者五人来るべし、彼等を渡しなば忽ち災わざはひあるべしとて、此符を与へ去る、渡子怪しく思ふ処へ、果はたして黄きなるころもを着し愧あやしき籠を負おひたる者五人来りて船に乗のらんとせしかば、驚破すはやと思ひ拒こばみて渡さず、彼の者は急ぎわたらんと争ひけるうち、已前いぜんの僧与へし符を出いだし見せしがは、恐れまどひて、各おのおのおひを捨て逃にげさりけり、其笈を開き見るに、小ちいさきくはんを数百入たり、渉人わたしもり其棺を残らず焼やきすてける、扨さて其符を書て人々に伝へ与ふ、其後津渡わたしの南に当あたれる地は疫病流行はやりて、人多く損じ死する物半なかばに過すぎたり、亦北にあたる予章の方は病やめる者一人もなしとぞ、夫それより此符の奇瑞きずいあることを感じ、所々に伝へ門戸に張はりて悪病の難を逃れしと云々
〇去る午むまひつじの二年ふたとせ、続つづいて悪病流行せし時、専もっぱら此符を人家の門戸に張はりて、禍を逃れし人少すくなからず、然れども、此符の来由わけを知る人稀なり。故に、今是に其大畧りやくを述しるして、已来倍ますます世上に用ひて災害わざはひを避さけ玉はんことを偏ひとへに願事爾しかり。
安政七庚申春
   浪華 翠栄堂松川安信誌 施印
 

@「きしおつ」の三字を紙に書いて門戸に張れば、疫病除となる。
A中国の粟渡というところの渡し守が、旅の僧から「きしおつ」というお札を授けられたので、五人の疫病の神の渡ろうとするのをしりぞけることができたとの由来がある。
B安政5年から6年にかけて、家々の門戸にこのお札を張って、悪病の難をのがれた。
と書かれています。

『疫神と福神』(大島建彦 三弥井書店 2008.8)の「「きしおつ」という呪符」の項には、『保古帖』にある「きしおつ」の一枚刷りについて取り上げ、
疫.jpg

「きしおつ」のいわれは、いかにも中国の故事のように記されているが、やはり日本人の生活に即したものであったといってよい。

として、類似事例を紹介しています。
また、本書では、

小林主水藤原広宗門人小山平馬藤原於春
  大山祇命
   安政二年十月上旬
極弖汚毛滞無礼波穢者有羅之内外乃
玉垣清浄登申寿
 「きしおつ」  疫神除符
         新田岩松満次郎様御許


という「疫神除符」が紹介され、写真も掲載されています。群馬県高崎市に伝わるものだそうです。
安政二年」(1855年)といえば、仁保に彫られてものと同じです。
92E7E2E2-11EE-4090-A7F6-7B7A36FAECE1.jpeg

内田伸によれば、今のところ
@『保古帖』に所収された浪華翠栄堂刊行の一枚刷り「きしおつ」
A群馬県高崎市に所在する「疫神除符」
B埼玉県秩父郡皆野下日野沢にある石塔に刻まれた「きしおつ」
の三例あるのみで、地蔵菩薩に彫った例は、金坪以外には知られていないといいます。

9BD41E87-3420-4BBF-86ED-5BD9D84CCC56.jpeg



疫病除け呪文「きしおつ」が刻まれた地蔵尊を拝んだ帰りは、金坪の村社と疣地蔵を拝んで帰りましたぴかぴか(新しい)

F5CF78B4-4C22-4814-B87F-CF336F5E4EAC.jpeg B3BC8E7B-49A0-4337-99D3-F5F271D88CE7.jpeg

風篠村の山中よりここに遷座しました。
27313A5A-E5B2-4F3E-B572-2707AABC0FDD.jpeg

棟札も集められています。
51218BAC-5591-4F82-9759-B8F43927220B.jpeg

庚申様。
61154F4F-2256-4781-AC6E-2309C121A6F9.jpeg FB868F70-7A96-447F-B06B-7C3743AA7F6F.jpeg

厳島神社。
3E5C4F86-9A87-4CB3-8E57-1196C1C2EB06.jpeg 855C9225-0CBE-4D60-BAA2-873161263B84.jpeg

河内大明神、大歳大明神。
CFFFBEB2-6791-4220-BFA7-45E059762713.jpeg 186E736B-E4CC-4DAC-9B84-C81C73E0BD89.jpeg 475DC687-775A-4CAF-9EA7-E9CC0E416AD1.jpeg

仁保88ケ所 大師様二五番。
1B3B0DE1-7C27-4C84-B36A-02835BC5D273.jpeg C5E1A979-1242-4DF7-9567-6AC3FB756E34.jpeg 9C7E0A41-FAFA-4B9F-B64D-6279D87CA0F2.jpeg

仁保88ケ所 大師様二七番・二八番。
29F5BFBD-18AF-4386-B02E-DE73B153B6EB.jpeg FB93020E-EDD8-426A-A143-EDC01D52A352.jpeg 97FE4CF6-0772-4202-BD28-F2D38AE1BE3E.jpeg


F5E82733-2774-4ECD-8958-FAA59462111F.jpeg 
CB2116D3-8191-40C3-9D58-C768B65A1901.jpeg

引地村のあちらこちらの山裾に点々として鎮座していた神仏を集めたものです。
9E3AECE2-E4C8-47ED-996D-DB3025AB4645.jpeg

笠森様。
12774FA5-8ABF-4E91-BD7C-0BC7EFE8BF37.jpeg 7F779856-7ED9-4722-9102-DE3B433DC2FF.jpeg

八王子神社。
8B9D90D5-9E52-4B42-B3A2-08D0D68CE550.jpeg

阿弥陀如来。
BA6646BF-1359-42C1-B8A8-E39451F87F7D.jpeg 714F6C2D-03BC-4CB4-8AA6-511C7189AC07.jpeg BD860C2A-1ED6-4DE7-B1B5-7A7ADB8F4117.jpeg

石仏・石塔も集められています。
C10D8EC9-9AB9-4190-B416-C8C50607766F.jpeg

地蔵。
丸彫半跏像。高さ63cm。
E9FAA01B-9381-481B-A7E5-892761D68CFD.jpeg

清明金剛童子。
029B6F64-68F9-400D-8381-FBD86EBCE9CA.jpeg

右の清明金剛童子。
自然石。62cm。「文政七(六)未歳」「八月吉日敬白
38E8C23F-8EE0-44E1-8530-C5F9924A30FF.jpeg

左の清明金剛童子。
自然石。64cm。「文政七甲年」 
424CB7F9-90E6-47A9-8E15-D1B2CCA33737.jpeg 23E3AD15-5CE9-4D22-951F-C13A51149578.jpeg


140BB282-37AB-41E3-AA7E-511E68BC152A.jpeg

手水。
BBC5A14C-ED80-4352-9BFD-588FDDD4B1AC.jpeg


「疣地蔵」という看板があります。
203BBC07-4559-4719-8CFC-6718AA24D6DB.jpeg

金剛地蔵堂。
2CEE9F29-9482-4750-A7D7-7F96B9CD6B73.jpeg

「金剛地蔵」と表示されていますが、疣地蔵として信仰されています。
C522CF8A-4F7B-4227-A704-504453AECC98.jpeg

いぼができた時本人が祈願しても治らないけれど、他人に頼んで祈願してもらうとすぐとれると言われています。
3021F96A-3567-422F-B4F3-3B3930DD87C4.jpeg

高さ28cmの光背型浮彫の小さな地蔵です。
48BAED73-158E-4C1E-B3E8-F6775E77B229.jpeg

左右の2体は弘法大師像です。
9DE1D49D-9E9E-4137-88D5-4F1A9EAA825C.jpeg

仁保の名所の写真が飾られています。
1CEC87EB-50B9-423D-8514-5AFD8401DC03.jpeg



参考文献:
『山口市史 史料編 民俗・金石文』(山口市 2015)
  「史料編 民俗」P452〜3
『ふるさと山口』平成24年6月(通巻33号)(山口の文化財を守る会 2012.6)
  P1〜6「呪文を彫った石仏」(内田伸)
『日本石仏図典』(日本石仏協会/編 図書刊行会 昭和61.8)
  P70「きのと」(大護八郎)
『疫神と福神』(三弥井民俗選書)(大島建彦 三弥井書店 2008.8)
  P188〜193「「きしおつ」という呪符」
『保古帖』(巻六)(大阪府立中之島図書館蔵)
  「きしおつ」
『ふるさと仁保』(仁保自治会 2017)
  P51
『山口市の石仏・石塔(4)―宮野・仁保―」(山口の文化財を守る会/編 山口市教育委員会 2012.3)
  P182,188,189「仁保の地蔵」No.82,No.102,No.104  
  P324「仁保の庚申」No.23,No.24
疫病除け呪文「きしおつ」が刻まれた地蔵尊を拝みに仁保上郷に行きました@  [2020年07月19日(Sun)]
山口市仁保上郷の金坪に、疫病除け呪文「きしおつ」が刻まれた地蔵尊(漢字は「キ(竹かんむりに車へんと”疑”のつくり部分)シ(竹かんむりに厮)乙」と表記。以下「きしおつ」とする。)があるというので、拝みに行きましたぴかぴか(新しい)

「行こう」と思ったきっかけは、『サンデー山口』第7236号 5月30日【やまぐち深発見紀行】 No.194「仁保・疫病除け地蔵尊『 (きし)乙(おつ )』」と、
3ABB3163-6A27-485C-9308-7B79E9B058EE.jpeg

人々に脅威を与える感染症。過去にコレラや天然痘などの感染症と闘ってきた人々の歴史を刻み、静かにたたずむ石仏がある。
 仁保上郷の金坪地区には、疫病除けの石仏がある。舟形をした光背を持つ地蔵で「■■(きし)乙(おつ)」「安政二歳立」と刻まれている。
この地蔵尊が建てられた江戸時代は、「美目定めの病」と呼ばれた天然痘やコレラが流行。それらの疫病から村を守るために石仏は、集落の入り口に安置されたと伝えられている。
 「疫神と福神」(大島建彦著)で紹介されている1860(安政7)年の刷り物には「此■■(きし)乙(おつ)の三字を紙に書て門戸に張ば、疫鬼悪病を除ると云」とあり、当時、厄除けの文句として使われていたことがわかる。


6月23日付読売新聞の記事ひらめき
73BCB10F-DFB9-46D7-BC24-6D2BD8EE97AF.jpeg

そして、仁保地区の方が作られたチラシが頼りです。
きしおつ (2).jpg

この地蔵尊には「きしおつ」というの呪文が刻まれています。厄病除けの文句で中国の故事に由来しています。
江戸末期の安政2年、コレラが全国的に流行した際、疫病から集落住民を守るために建立されました。
  車(セダン)仁保地域交流センター → 金坪公民館すぐそば
       7.5km 約12分 県道123号 


宮野方面から行く場合は、道の駅 仁保の郷の手前の交差点を左折し、仁保地域交流センターの前を通り大原湖・嘉村磯多生家方面へ県道123号を進みます。
仁保地域交流センターから10分足らずで、この標識が見えたら、右折し、金坪集落へ。
他に右折の道はここぐらいです。
70C2A5E6-6C9B-43BC-9CD8-9BB95F5C0EF7.jpeg

右折してしばらくすると、「村社」の看板が左手に見えます。
E7A1FAFD-5647-4DDF-A98A-8CF8609A8BA0.jpeg F5E82733-2774-4ECD-8958-FAA59462111F.jpeg

そのすぐ先に、金坪公会堂と
4EB102BC-3D96-4E2A-859F-698262DFCFDE.jpeg

「村社」の看板が左手に見え、そのそばに
F5CF78B4-4C22-4814-B87F-CF336F5E4EAC.jpeg

お目当ての地蔵尊はあります。
A7BAE36F-3EE0-4337-B82D-3B41F4077928.jpeg

地元の方の建てられた看板があるので、すぐ分かります揺れるハート
CCD87C18-BCCA-4A81-8CA7-9DF78C91A53C.jpeg

このお地蔵様には「きしおつ」という呪文が彫られており、全国的にも珍しいものです。
「きしおつ」というのは厄病除けの文句で、中国の故事に由来しています。
江戸末期の安政2年、コレラの疫病が流行した際、疫病から村落住民を守るため建立されました。


C60E93B9-5AA3-465A-AAC4-2F8085B0AA23.jpeg A7253955-4F77-45A7-B141-FAD7AF9D69C1.jpeg F0C54737-7ECC-4B69-9A4F-B534FE30C850.jpeg 
7234D340-CCBD-48BA-9842-C44CB42B2821.jpeg 9BD41E87-3420-4BBF-86ED-5BD9D84CCC56.jpeg CE3C1D1E-6E83-4C0F-8305-3871238CD315.jpeg 553FD8BB-1B9D-47B7-B3C3-E26677E0D1C9.jpeg
  
立像上部に「きしおつ」と彫られています。
91869770-2CB2-46DD-A9C8-1C25F6ABD4FE.jpeg

立像右には「安政二年立」とあります。
92E7E2E2-11EE-4090-A7F6-7B7A36FAECE1.jpeg

地蔵菩薩はおだやかなお顔をされています。
E99EE49E-9B8D-494C-BE93-6C8295D035C6.jpeg

右手に錫杖を
AB683C51-F2C5-4982-8951-B55F839105A5.jpeg

左手に宝珠を持たれています。
8F4B556F-C823-4A2F-BE32-68B01346C85C.jpeg


鋳銭司郷土館のチラシには「きしおつ」について詳しく書いてあります。
8C89111F-0F10-4C7C-A748-B7C078A1FBAD.jpeg 55EFDBAE-AD8C-4E0E-9970-D8F07C1D4B4B.jpeg

郷土史家内田伸氏は、石仏に刻まれた3文字を調査。「呪文」であることを解明されました。

「きしおつ」
平成20年(2008年)出版大島建彦著『疫神と福神』に読み方は「きしおつ」と書かれていることが分かった。同書から「きしおつ」は疫病よけ文句であり、大阪府立中之島図書館蔵の『保古帖』に説明が書かれている一枚刷の文書が存在するとして全文が紹介されていた。読み解くと
「中国の粟渡というところの渡し守が、旅の僧から5人の疫病神が渡るので、渡したくなければ、この符を使えばよいと「きしおつ(原文漢字)」と書かれたお札を授けられた。間もなくやってきた五人の疫病神が舟に乗せろと迫るので、お札を出して見せると、恐れおののいて退散した。その後、この渡しから向こうは疫病が流行せず病める者は一人もいなかった。」
とあった。
つまり、お札は悪い病気を防ぐ、まじないだったことが分かった。

「安政二年(1885年)立」
この頃は、コレラが流行し建立場所より奥にあった集落の人達が疫病から集落全体を守ろうと集落の入り口に建てたことが考えられる。



私も、「コロナ退散パンチ」をしっかりお祈りしましたかわいい



参考文献:
『山口市史 史料編 民俗・金石文』(山口市 2015)
  「史料編 民俗」P452〜3
『ふるさと山口』平成24年6月(通巻33号)(山口の文化財を守る会 2012.6)
  P1〜6「呪文を彫った石仏」(内田伸)
『疫神と福神』(大島建彦 三弥井書店 2008)
  P188〜193
『ふるさと仁保』(仁保自治会 2017)
  P51
『山口市の石仏・石塔(4)―宮野・仁保―」(山口の文化財を守る会/編 山口市教育委員会 2012.3)
  P189「仁保の地蔵」No.104



次回に続く
| 次へ