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こどもと本ジョイントネット21・山口


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詩と声と音楽と @ 中原中也記念館 公開対談 [2023年01月09日(Mon)]
2月4日(土)、カリエンテ山口(山口県婦人教育文化会館)で、中原中也記念館 公開対談「詩と声と音楽と」が開催されますぴかぴか(新しい) 

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詩のことば、声、音楽をめぐるトークとパフォーマンス
今年は中原中也の末弟・伊藤拾郎(いとうじゅうろう)さんが世を去って20年。晩年の拾郎さんはハーモニカ奏者として活躍し、演奏を通じて兄・中也とその詩への思いを表現しました。
第1部では、第4回中原中也賞受賞詩人である和合亮一さんをお迎えして、中原中也記念館の館長・中原豊とともに、拾郎さんの残した演奏を聴き、同じ表現者としての精神に思いを馳せながら、詩のことばと声や音楽との関わりについて語り合います。
第2部では、拾郎さんの音色を受け継ぐ奏者の皆さんのハーモニカ演奏と、和合さんと中原館長の朗読をお聴きいただきます。


るんるん日時るんるん 2023年2月4日(土)14:00〜16:00
るんるん会場るんるん カリエンテ山口 第4研修室(山口県婦人教育文化会館 3階)  
      山口市湯田温泉5丁目1-1 電話 083-922-2792
るんるん出演るんるん 和合亮一(詩人)
      中原豊(中原中也記念館館長)
      山口県ハーモニカクラブ
るんるん入場料るんるん 無料(要申込)
るんるん申込方法るんるん 予約フォーム、電話、FAXのいずれかで
   1:お名前/2:人数/3:電話番号/4:居住地(都道府県)を知らせる
るんるん申込先るんるん ホームページ https://chuyakan.jp/news/3378/ の予約フォーム
   電話 083-932-6430 fax to 083-932-6431
るんるん主催るんるん 中原中也記念館


かわいい和合亮一(わごう・りょういち)かわいい
詩人。国語教師。中原中也賞、晩翠賞、みんゆう県民大賞、NHK東北文化賞など受賞。東日本大震災後に福島から発信した詩をまとめた『詩の礫』がフランスにて詩集賞受賞(日本文壇史上初)。2019年には詩集『QQQ』が萩原朔太郎賞受賞。福島県教育復興大使。福島大学応援大使。

かわいい中原豊(なかはら・ゆたか)かわいい
中原中也記念館館長。中原中也を中心とする日本の近代詩や、夏目漱石、芥川龍之介らの近代小説に関する研究論文を発表している。著書(共著)に佐藤泰正編『中原中也を読む』(笠間書院)などがある。詩誌「あるるかん」同人。
第43回やまぐち朗読Cafe 〜朗読と蓄音器ジャズの夕べ〜 A 第2部 自由朗読 [2022年12月30日(Fri)]
前回の続き

第2部 自由朗読

1、原明子さん
高村光太郎「冬が来た」(詩集『道程』より)

  冬が来た

きつぱりと冬が来た
八つ手の白い花も消え
公孫樹(いてふ)の木も箒(ほうき)になった

きりきりともみ込むような冬が来た
人にいやがられる冬
草木に背そむかれ、虫類に逃げられる冬が来た

冬よ
僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食(ゑじき)だ

しみ透れ、つきぬけ
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のやうな冬が来た


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2、山口智子
更科源蔵「蒼鷺」(第二詩集『凍原の歌』より)
「七戸の自由民」『北海道・草原(くさはら)の歴史』(佐藤忠良/装画・カット 新潮社 1975)より)

『凍原の歌』は、戦争中の1943年10月にフタバ書院成光館から出ました。1934年、文圃堂から出た中原中也の第一詩集『山羊の歌』と同じく、装幀は高村光太郎です。
さすがに実物は見たことがない、と言うと、 中原中也記念館の中原豊先生が持っていらっしゃるそうで、機会があったら見せてくださるとのこと🥳 ラッキーわーい(嬉しい顔)揺れるハート

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ところで、詩に

耳毛かすかに震へ

胸毛を震はす絶望の季節か

とありますが、ここにある「耳毛」は側頭から後頭部に長く伸びる黒い「冠羽」、「胸毛」は首下部から胸の下に長く伸びる白い「飾り羽」のことと思われます。

なお、『北海道・草原の歴史』に、

これを読むと蒼鷺は留鳥のように書いているが、実は渡り鳥である。

とありますが、確かにアオサギは北海道では夏鳥ですが、山口県では留鳥です。

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(2022.12.10 山口県立美術館で撮影)

さて、「蒼鷺」には曲が付けられています。
一つは、伊福部昭作曲でソプラノのための歌曲(伴奏はピアノ、オーボエ、コントラバス)、もう一つは、長谷部匡俊作曲の合唱曲(混声四部)です。

後者では、

蝦夷榛に冬の陽があたる

出だしの「蝦夷榛」を「エゾハンノキ」ではなく「エゾハル」と唱い、また、

凍れる川の(そこ)流れの音か

の部分が、

凍れる川の底流(ていりゅう)の音か

と変えられていてちょっと残念ちっ(怒った顔)



3、M・Tさん
北原白秋「クリスマスの晩」

  クリスマスの晩

雪の教会、クリスマス
なんときれいなあのあかり
   なかでおいのりきこえます
   今夜オルガン弾いてます。

雪の教会、クリスマス
ここは街角、ふきさらし
   僕はこごえて佇[た]つてます
   なにかしんしんしてきます。

雪の教会、クリスマス
星も出ました、あの屋根に
   はいつてみよか、どうしよか
   僕は無いんだ 母さんが。

雪の教会、クリスマス
あゝら、誰だか出てきます
   マリヤさまではないかしら
   かわいい赤さん抱いてます。

         
『子供之友』(婦人之友社)1933(昭和8)年に掲載された深澤紅子の「クリスマスの晩」の画に添えられた詩です。
雪の積もった街。赤い帽子をかぶった少年が、柵の外から教会を見ています。明りのともった教会。教会の扉の向こうに黒いシルエットの聖母マリア像が見える……そんな絵です。


8月11日(木・祝)、秋吉台国際芸術村のラルゴで「チャイコフスキー「四季」に寄せて 十二の詩の朗読」が開催されました。その際「12月 クリスマス」で朗読されたそうです。チョイスされたのは中原豊 中原中也記念館館長です。



4、M・Aさん
小川たまか「自分と向き合い掘り出した言葉」
伊藤詩織『裸で泳ぐ』(岩波書店 2022.10)書評
(『赤旗』文化面 2022年12月18日掲載)
https://blog.goo.ne.jp/uo4/e/c0a60ae734721c4d7d7c4d24be5f4232

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5、H・Mさん
自作ショートストーリー「砂糖菓子」



6、N・Mさん 
「一匹の馬」
『原民喜のガリバー旅行記』(晶文社 1977.12)より)

  一匹の馬

 五年前のことである
 私は八月六日と七日の二日、土の上に横たわり空をながめながら寝た、六日は河の堤のクボ地で、七日は東照宮の石垣の横で――、はじめの晩は、とにかく疲れないようにとおもって絶対安静の気持でいた、夜あけになると冷え冷えして空が明るくなってくるのに、かすかなのぞみがあるような気もした、しかし二日目の晩は、土の上にじかに横たわっているとさすがにもう足腰が痛くてやりきれなかった。いつまでこのような状態がつづくのかわからないだけに憂ウツであった、だが周囲の悲惨な人々にくらべると、私はまだ幸福な方かもしれなかった、私はほとんど傷も受けなかったし、ピンと立って歩くことができたのだ
 八日の朝があけると私は東練兵場を横切って広島駅をめざして歩いて行った、朝日がキラキラ輝いていた、見渡すかぎり、何とも異様なながめであった
 駅の地点にたどりつくと、焼けた建物の脇で、水兵の一隊がシヤベルを振り回して、破片のとりかたずけをしていた、非常に敏ショウで発ラツたる動作なのだ、ザザザザと破片をすくう音が私の耳にのこった、そこから少し離れた路上にテーブルが一つぽつんと置いてある、それが広島駅の事務所らしかった、私はその受付に行って汽車がいま開通しているものかどうか尋ねてみた
 それから私は東照宮の方へ引かえしたのだが、ふと練兵場の柳の木のあたりに、一匹の馬がぼんやりたたずんでいる姿が目にうつった、これはクラもなにもしていない裸馬だった、見たところ、馬は別に負傷もしていないようだが、実にショウ然として首を低く下にさげている、何ごとかを驚き嘆いているような不思議な姿なのだ
 私は東照宮の境内に引かえすと石垣の横の日陰に横臥していた、昼ごろ罹災証明がもらえることになったので、私はまた焼津の方へ向う道路を歩いて行った、道ばたの焼残った樹木の幹を背に、東警察署の巡査が一人、小さな机をかまえていた
 罹災証明がもらえて戻ってくると今度はまもなく三原市から救援のトラックがやって来た
 私は大きなニギリ飯を二つてのひらに受けとって、石垣の日陰にもどった、ひもじかったので何気なく私は食べはじめた、しかしふとお前はいまここで平気で飯を食べておられるのか、という意識がなぜか切なく私の頭の片隅にひらめいた、と、それがいけなかった、たちまち私は「オウト」を感じてノドの奥がぎくりと揺らいできた


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米文学者 柴田元幸さんの翻訳の『ガリバー旅行記』(ジョナサン・スウィフト/原作 朝日新聞出版 2022.10)が書籍化されたことから、大好きな「馬」つながりで、原民喜訳の本著を図書館で借りてきて朗読されたそうです。

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原民喜訳『ガリバー旅行記』は、青空文庫で全文を読むことができます。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000912/files/4673_9768.html
「一匹の馬」だけも読むことができます。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000293/files/4780_6649.html

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随筆「一匹の馬」は、書き出しに「五年前」とあることから、1950(昭和25)年に書かれたと推測できますが、初出未詳の作品で、民喜没後14年に出版された『原民喜全集』(全二巻)(芳賀書店 1965(昭和40).8)に収録されました。

『ガリバー旅行記』は、主婦之友社より『少年少女名作家庭文庫』の一冊として1951(昭和26)年6月に出版されました。死の3ヶ月後のことで、民喜は出版された本を手にすることはありませんでした。
遺された遺書の一つに、

ガリバーの本が出たら 別記の人々に送って頂きたいので お願ひ致します

とあります。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000293/files/4788_7030.html

広島市立図書館のWEB広島文学資料室「原民喜の世界」の画像ギャラリー「手書きで味わう原民喜の世界」で、民喜の自筆原稿で『ガリバー旅行記』を読むことができます。
https://www.library.city.hiroshima.jp/haratamiki/07gallery/gallery01.html#01



7、K・Kさん
『種田山頭火 うしろすがたのしぐれてゆくか』(種田山頭火/句 石寒太/文 石井昭/影絵 新日本教育図書 1999.4)より

あの雲がおとした雨にぬれてゐる

山あれば山を観る
雨の日は雨を聴く
春夏秋冬      
あしたもよろし
ゆふべもよろし


越えてゆく 山また山は 冬の山

うしろすがたのしぐれてゆくか

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8、S・Rさん
「月とうさぎ」
(朝日新聞「天声人語」令和4年12月14日)

 新しい手帳やカレンダーが店に並び、年末の到来を告げている。残り2週間余りで、さて、どうやって仕事を片付け、部屋のほこりを払い、新年の支度をしようか。暦とにらめっこが続く。
 カレンダーの語源にはお月さまが関係していると『暦と占い』(永田久著)に教わった。古代の人は、細い月が昇るのを1カ月の始まりとした…
(略)

来年7歳のウサギになるというSさんはスケジュール管理を2年前からスマホでされているそうですexclamation×2



9、T・Hさん
室生犀星「あにいもうと」

T・Hさんの室生犀星「あにいもうと」の朗読は今回が3回目、最終回でした。

『日本近代短篇小説選 昭和篇1』(岩波文庫)
(紅野敏郎・紅野謙介・千葉俊二・宗像和重・山田俊治/編 岩波書店 2012.8)
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10、O・Yさん
中原中也「雪が降つてゐる……」 (未刊行誌篇より)

  雪が降つてゐる…
    
雪が降つてゐる、
  とほくを。
雪が降つてゐる、
  とほくを。
捨てられた羊かなんぞのように
  とほくを、
雪が降つてゐる、
  とほくを。
たかい空から、
  とほくを、
とほくを
  とほくを、
お寺の屋根にも、
  それから、
お寺の森にも、
  それから、
たえまもなしに。
  空から、
雪が降つてゐる
  それから、
兵営にゆく道にも、
  それから、
日が暮れかゝる、
  それから、
喇叭がきこえる。
  それから、
雪が降つてゐる、
  なほも。
     (一九二九・二・一八)




11、F・Kさん
新川和江「わたしを束ねないで」

『わたしを束ねないで』(新川和江/詩 童話屋 1997.9)
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12、中原豊さん
和田健「初冬」「父病む」

山口ひとものがたりセミナー「雑誌『詩園』の軌跡 ー 中原中也・種田山頭火とやまぐちの若き詩人たち ー 」の第1回目「雑誌『詩園』とその時代」で講師を務められ、この作品を紹介されたそうです。

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第43回やまぐち朗読Cafe 〜朗読と蓄音器ジャズの夕べ〜 @ 第1部 蓄音器ジャズ [2022年12月25日(Sun)]
12月22日(木)、ジャズ スポット ポルシェで開催された「第43回やまぐち朗読Cafe 〜朗読と蓄音器ジャズの夕べ〜」に参加しましたぴかぴか(新しい)

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進行は中原中也記念館の中原豊館長です。 参加者は、スタッフ2名入れて12名。

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第1部 蓄音器ジャズ

クリスマスといえば、やまぐち朗読Cafeでは、Bing Crosby(ビング・クロスビー)特集ですクリスマス
DECCA Record です。

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(1)The Emperor Waltz(皇帝円舞曲)

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パラマウント映画『皇帝円舞曲』(The Emperor Waltz)(ビリー・ワイルダー監督、ビング・クロスビーとジョーン・フォンテイン主演、1948年のミュージカル映画)からで、音楽監督を務めたヴィクター・ヤング(Victor Young)の Victor Young & His Orchestra が演奏しています。
ヨハン・シュトラウス2世(Johann Strauss)の曲にジョニー・バーク(Johnny Burke)が作詞しました。


ここで、蓄音器のストッパーの調子が悪いため、ポータブル蓄音器と交替です。

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手軽に持ち運んでいつでもどこでも音楽を聴きたいというニーズが高まりポータブル蓄音器が登場したということですが、このトランク型のポータブル蓄音器すごく重いそうです。
蓋の裏にはレコードを格納できるレコードホルダーが付いています。

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ポータブル蓄音器は、音は背後の開口部から出て、蓋に反響させる仕組みになっています。

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蓋が反射板の役割を果たすので、演奏中は蓋は閉じられません。

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ぜんまいを巻くハンドルは手前にあり、小さいので、回すのが大変だそうです。

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サウンドボックスの扱いは同じ。

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レコードに刻まれた溝から、針が振動を拾い上げ、サウンドボックスで音を再生し、アームを通って箱の中に内蔵されたホーンを通り、と、ここまでは、今までの卓上型蓄音器と同じ仕組みです。

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(2)I Kiss Your Hand, Madame(奥様お手をどうぞ)

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同じく、パラマウント映画『皇帝円舞曲』(The Emperor Waltz)からで、音楽監督を務めたヴィクター・ヤング(Victor Young)の Victor Young & His Orchestra が演奏しています。
ラルフ・アーウィン(Ralph Erwin)、フリッツ・ ロッター(Fritz Rotter) 、サム・M・ルイス(Sam M. Lewis)、ジョー・ヤング(Joe Young)の曲です。

原曲は、1928年にフリッツ・ ロッターが作詞、ラルフ・アーウィンが作曲したドイツ製のタンゴ 「Ich küsse Ihre Hand, Madame」です。映画のためにサム・M・ルイスとジョー・ヤングが英語詩をつけました。



(3)Now Is the Hour(Maori Farewell Song)

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邦題は「今し別れの時」です。
マエワ・カイハウ(Maewa Kaihau)、クレメント・スコット(Clement Scott)、ドロシー・スチュワート(Dorothy Stewart)によって書かれ、ケン・ダービー合唱団(Ken Darby Choir)がコーラスをつとめています。
ニュージーランドの原住民のマオリ族の別れの歌(Maori Farewell Song)とあります。
Wikipedia に

「Now Is the Hour」は 20世紀初頭のポピュラー ソングです。 伝統的なマオリの歌と誤って説明されることがよくありますが、その作成者は通常、クレメント・スコット (音楽)、マエワ・カイハウ 、ドロシー・スチュワート (編曲と歌詞) など、複数の人物の功績によるものです。

とあります。



(4)White Christmas(ホワイト・クリスマス)

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アーヴィング・バーリン(Irving Berlin)作詞・作曲。
伴奏はジョン・スコット・トロッター楽団(John Scott Trotter and His Orchestra)、コーラスはケン・ダービー・シンガーズ(Ken Darby Singers)です。




クリスマスクリスマスということで、ママさんから小さなチョコレートケーキのプレゼントがありましたプレゼント
我が家のクリスマスケーキはこちらバースデー 強めのバタークリームです。

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次回に続く
第41回やまぐち朗読Cafe 〜朗読と蓄音器ジャズの夕べ〜A第2部 自由朗読 [2022年11月11日(Fri)]
前回に続く

第2部 自由朗読

1、山口智子
柳田國男「浜の月夜」
(東京朝日新聞『豆手帖から』)

 あんまり草臥(くたび)れた、もう泊まろうではないかと、小子内(おこない)の漁村にただ一軒ある宿屋の、清光館と称しながら西の丘に面して、わずかに四枚の障子を立てた二階に上がり込むと、はたして古くかつ黒い家だったが、若い亭主と母と女房の、親切は予想以上であった。まず息を切らせて拭き掃除をしてくれる。今夜は初めて還る仏様もあるらしいのに、しきりにわれわれに食わす魚のないことばかりを歎息(たんそく)している。そう気をもまれてはかえって困ると言って、ごろりと囲炉裏(いろり)の方を枕に、臂(ひじ)を曲げて寝ころぶと、外は蝙蝠(こうもり)も飛ばない静かな黄昏(たそがれ)である。
 小川が一筋あって板橋がかかっている。その板橋をカラカラと鳴らして、子供たちがおいおい渡って行く。小子内では踊りはどうかね。はア、今に踊ります。去年よりははずむそうで、といっているうちに橋向こうから、東京などの普請場(ふしんば)で聞くような女の声が、しだいに高く響いて来る。月がところどころの板屋に照っている。雲の少しある晩だ。
 五十軒ばかりの村だというが、道の端には十二、三戸しか見えぬ。橋から一町も行かぬ間に、大塚かと思うような孤立した砂山に突き当たり、左へ曲がって八木の湊へ越える坂になる。曲がり角の右手に共同の井戸があり、その前の街道で踊っているのである。太鼓も笛もない。寂しい踊りだなと思って見たが、ほぼこれが総勢であったろう。後からきて加わる者が、ほんのふたりか三人ずつで、少し永く立って見ている者は、踊りの輪の中から誰かが手を出して、ひょいと列の中に引っぱり込んでしまう。次の一巡りの時にはもうその子も一心に踊っている。
 この辺では踊るのは女ばかりで、男は見物の役である。それも出稼ぎからまだ戻らぬのか、見せたいだろうに腕組でもして見入っている者は、われわれを加えても二十人とはなかった。小さいのを負ぶったもう爺が、井戸の脇から、もっと歌え、などとわめいている。どの村でも理想的の鑑賞家は、踊りの輪の中心に入って見るものだが、それが小子内では十二、三までの男の子だけで、同じ年ごろの小娘なら、皆列に加わってせっせと踊っている。この地方では、稚児輪みたような髪が学校の娘の髪だ。それが上手に拍子を合わせていると、踊らぬ婆さんたちが後から、首をつかまえて、どこの子だかと顔を見たりなんぞする。
 われわれには、どうせ誰だかわからぬが、本踊り子の一様に白い手拭で顔を隠しているのが、やはり大きな興味であった。これが流行か、帯も足袋も揃いの真白で、ほんの二、三人の外は皆、新しい下駄だ。前掛は昔からの紺無地だが、今年初めてこれに金紙で、家の紋や船印を貼り付けることにしたという。奨励の趣旨が徹底したものか、近所近郷の金紙が品切れになって、それでもまだ候補生までには行き渡らぬために、かわいい憤懣(ふんまん)がみなぎっているという話だ。月がさすと、こんな装飾が皆光ったり翳(かげ)ったり、ほんとうに盆は月送りではだめだと思った。一つの楽器もなくとも踊りは目の音楽である。四周(まわり)が閑静なだけにすぐに揃って、そうしてしゅんでくる。
 それに、あの大きな女の声のいいことはどうだ。自分でも確信があるのだぜ。一人だけ、見たまえ、手拭なしの草履だ。何て歌うのか文句を聞いて行こうと、そこら中の見物と対談してみたが、いずれも笑っていて教えてくれぬ。中には知りませんといって立ち退(の)く青年もあった。結局手帖を空しくしてもどって寝たが、何でもごく短い発句ほどなのが三通りあって、それを高く低く繰り返して、夜半までも歌うらしかった。
 翌朝五時に障子を明けてみると、一人の娘が踊りは絵でも見たことがないような様子をして水を汲みに通る。隣の細君は腰に籠を下げて、しきりに隠元豆をむしっている。あの細君もきっと踊ったろう、まさかあれは踊らなかったろうと、争ってみても夢のようだ。出立の際に昨夜の踊り場を通ってみると、存外な石高路でおまけに少し坂だが、掃いたよりもきれいに、やや楕円形の輪の跡が残っている。今夜は満月だ。また一生懸命に踊ることであろう。
 八木から一里余りで鹿糠(かぬか)の宿へくると、ここでも浜へ下る辻の処に、小判なりの大遺跡がある。夜明け近くまで踊ったように宿のかみさんは言うが、どの娘の顔にも少しの疲れも見えぬのはきついものであった。それから川尻(かわじり)・角浜(かどはま)と来て、馬の食べつくした広い芝原(しばはら)の中を、くねり流れる小さな谷地(やち)川が、九戸(くのへ)、三戸(さんのへ)二郡の郡境であった。青森県の月夜では、私はまた別様の踊りに出遭った。
  (大正九年八月・九月「東京朝日新聞」)


 柳田國男が三陸海岸北部に位置する陸中八木を訪問し 「清光館」 に宿泊したのは1920(大正9)年8月のことでした。
 「浜の月夜」は貴族院を辞して朝日新聞社の客員となった柳田が、「東京朝日新聞」に1920(大正9)年8月15日〜9月22日同紙に連載した『豆手帖から』の最終話です。
 この「豆手帖から」の旅は、1920年8月2日の仙台から8月29日八戸までの東北の旅です。
 その6年後に再訪した際に書かれた随想「清光館哀史」とともに、『雪国の春』(岡書院1928(昭和3).2.10)に収録されました。
 私は、『旅ゆけば物語』(ちくまの森13)(安野光雅・森毅・井上ひさし・池内紀/編 筑摩書房 1989)で読みました。
 


 「清光館哀史」は、昭和40〜59年まで現代国語の教科書(筑摩書房)に採録されていたそうです。ちょうどその時代、高校生活を送りましたが、覚えてないので、私の高校は筑摩の教科書ではなかったのでしょうね。

『名指導書で読む 筑摩書房 なつかしの高校国語』(ちくま学芸文庫)
(筑摩書房 2011.5)
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2、K・Kさん
吉野弘「虹の足」

K・Kさんは、赤れんがで開催された写真展に出品されていました。

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https://blog.canpan.info/jointnet21/archive/1873



3、原明子さん                 
川端康成「心中」
『掌の小説』より)

『掌の小説』(新潮文庫)
(新潮社 1971.3)
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『掌の小説』は、川端康成の掌編小説集で、「たなごころのしょうせつ」と一般に読まれますが、「てのひらのしょうせつ」とルビが付されている場合もあります。川端が20代の頃から40年余りにわたって書き続けてきた掌編小説を収録した作品集です。書影は、1971(昭和46)年に111編収録し、新潮文庫より刊行されたもので、のち1989(平成元)年の改版から11編追加されて122編収録となっています。
洗練された技法の凝縮で、川端の才能が余すことなく発揮されています。

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彼女を嫌って逃げた夫から手紙が来た。二年ぶりで遠い土地からだ。
(子供にゴム毬をつかせるな。その音が聞こえてくるのだ。その音が俺の心臓を叩くのだ。)
彼女は九つになる娘からゴム毬を取り上げた。


で始まる「心中」は、その後も、不思議な夫からの手紙が続き、妻はそれに従い、最後には衝撃的な結末へと導かれるのですが、読書の楽しみを奪ってしまうので、ネタバレをここで記すのはやめます。

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4、T・Hさん
室生犀星「あにいもうと」

『日本近代短篇小説選 昭和篇1』(岩波文庫)
(紅野敏郎・紅野謙介・千葉俊二・宗像和重・山田俊治/編 岩波書店 2012.8)
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5、N・Mさん
原摩利彦「始原の夜」
『新潮』2022年11月号(新潮編集部/編 新潮社 2022.10.7)より)

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6、桑原滝弥さん
エッセイ「ラヴ遺書」、詩「記憶」
(自伝詩集『詩人失格』(桑原滝弥/詩 私誌東京 2022.7))

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桑原滝弥さんは、山陽小野田市立中央図書館で「オープンマイク」を開催されます。

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https://blog.canpan.info/jointnet21/archive/1879

また、山口県立大学の「地方移住をめぐる公開シンポジウム」で、プレゼンをし、パネリストを務められます。

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7、M・Yさん
桑原滝弥「space turbo」
『詩人失格』(桑原滝弥/詩 私誌東京 2022.7)より )



8、K・Hさん
中村つよし「愛のカタチ」



9、H・Mさん
自作ショートストーリー「心模様」



10、中原豊さん
萩原朔太郎「殺人事件」「春夜」
(詩集『月に吠える』より)

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  殺人事件       

とほい空でぴすとるが鳴る。
またぴすとるが鳴る。
ああ私の探偵は玻璃の衣裝をきて、
こひびとの窓からしのびこむ、
床は晶玉、
ゆびとゆびのあひだから、
まつさをの血がながれてゐる、
かなしい女の屍體うへで、
つめたいきりぎりすが鳴いてゐる。

しもつき上旬(はじめ)のある朝、
探偵は玻璃の衣裝をきて、
街の十字巷路(よつつぢ)を曲がった。
十字巷路に秋のふんすゐ。
はやひとり探偵はうれひをかんず。

みよ、遠いさびしい大理石の歩道を、
曲者(くせもの)はいつさんにすべつてゆく。



  春夜

淺蜊のやうなもの、
蛤のやうなもの、
みぢんこのやうなもの、
それら生物の身體は砂にうもれ、
どこからともなく、 
絹いとのやうな手が無數に生え、 
手のほそい毛が浪のまにまにうごいてゐる。
 
あはれこの生あたたかい春の夜に、 
そよそよと潮みづながれ、 
生物の上にみづながれ、 
貝るゐの舌も、ちらちらとしてもえ哀しげなるに、 
とほく渚の方を見わたせば、 
ぬれた渚路には、 
腰から下のない病人の列があるいてゐる、 
ふらりふらりと歩いてゐる。
 
ああ、それら人間の髪の毛にも、 
春の夜のかすみいちめんにふかくかけ、 
よせくる、よせくる、 
このしろき浪の列はさざなみです。


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「詩人・萩原朔太郎の没後80年にあたる2022年は、朔太郎を介した企画展「萩原朔太郎大全2022」が全国52か所の文学館や美術館、大学等で開催されます。
 中原中也記念館では、その一環として「萩原朔太郎と中原中也―朔太郎大全2022」と題し二人の詩人の献呈署名入り詩集を11月27日(日)まで展示しています。」
と紹介されていました。
第41回やまぐち朗読Cafe 〜朗読と蓄音器ジャズの夕べ〜@第1部 蓄音器ジャズ [2022年11月10日(Thu)]
10月25日(火)、ジャズ スポット ポルシェで開催された「第41回やまぐち朗読Cafe 〜朗読と蓄音器ジャズの夕べ〜」に参加しましたぴかぴか(新しい)

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進行は中原中也記念館の中原豊館長です。 参加者は、スタッフ2名・見学者1名を入れて11名。


第1部 蓄音器ジャズ

Keynotes Recordingsのアルバム「Lennie Tristano」
「Keynote album 147」とあります。
3枚組6曲入りのアルバムで、1946〜1947年にニューヨークで録音したものです。
演奏は、アメリカ合衆国の盲目のジャズ・ピアニストで作曲家 Lennie Tristano(レニー・トリスターノ)(1919〜78)の率いるLennie Tristano Trio(レニー・トリスターノ・トリオ) 。
Lennie Tristano Trioのメンバーは、ピアノがLennie Tristano、ギターがBilly Bauer(ビリー・バウアー)、ベースがClyde Lombardi(クライド・ロンバーディ)、Bob Leininger(ボブ・レイニンガー)です(曲によってベースが違います)。

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@ I Can’tGet Started (言いだしかねて)

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作曲: Vermon Duke(ヴァーノン・デューク) 作詞:Ira Gershwi(アイラ・ガーシュウィン)
演奏:Clyde Lombardi(Bass)
録音:1946年


A Out on a Limb

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作曲:Lennie Tristano
演奏:Clyde Lombardi(Bass)
録音:1946年


B I Surrender Dear(アイ・サレンダー・ディア)

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作曲: Harry Barris(ハリー・バリス) 作詞:Gordon Clifford(ゴードン・クリフォード)
演奏:Clyde Lombardi(Bass)
録音:1947年


C Atonement(償い)

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作曲:Lennie Tristano
演奏:Bob Leininger(Bass)
録音:1947年


【次回に続く】
第40回やまぐち朗読Cafe 〜朗読と蓄音器ジャズの夕べ〜A第2部 自由朗読 [2022年10月02日(Sun)]
【前回の続き】

第2部 自由朗読


1、原明子さん                 
種田山頭火「白い花」

 私は木花よりも草花を愛する。春の花より秋の花が好きだ。西洋種はあまり好かない。野草を愛する。

 家のまわりや山野渓谷を歩き廻って、見つかりしだい手あたり放題に雑草を摘んで来て、机上の壺に投げ入れて、それをしみじみ観賞するのである。
 このごろの季節では、蓼、りんどう、コスモス、芒、石蕗つわぶき、等々何でもよい、何でもよさを持っている。
 草は壺に投げ入れたままで、そのままで何ともいえないポーズを表現する。なまじ手を入れると、入れれば入れるほど悪くなる。
 抛入花はほんとうの抛げ入れでなければならない。そこに流派の見方や個人の一手が加えられると、それは抛入でなくて抛挿だ。
 摘んで帰ってその草を壺に抛げ入れる。それだけでも草のいのちは歪められる。私はしばしばやはり「野におけ」の嘆息を洩らすのである。

 人間の悩みは尽きない。私は堪えきれない場合にはよく酒を呷ったものである(今でもそういう悪癖がないとはいいきれないが)。酒はごまかす丈で救う力を持っていない。ごまかすことは安易だけれど、さらにまたごまかさなければならなくなる。そういう場合には諸君よ、山に登りましょう、林に分け入りましょう、野を歩きましょう、水のながれにそうて、私たちの身心がやすまるまで逍遥しましょうよ。

 どうにもこうにも自分が自分を持てあますことがある。そのとき、露草の一茎がどんなに私をいたわってくれることか。私はソロモンの栄華と野の花のよそおいを対比して考察したりなんかしない。ソロモンの栄華は人間文化の一段階として、それはそれでよいではないか。野の花のよそおいは野の花のよそおいとして鑑賞せよ。
 一茎草を拈ねんじて丈六の仏に化することもわるくないが、私は草の葉の一葉で足りる。足りるところに、私の愚が穏坐している。

 死は誘惑する。生の仮面は脱ぎ捨てたくなるし、また脱ぎ捨てなければならないが、本当に生き抜くことのむずかしさよ。私は走り出て、そこらの芒の穂に触れる。……

 若うして或は赤い花にあこがれ、或は「青い花」を求めあるいた。赤い花はしぼんでくずれた。青い花は見つからなかった。そして灰色の野原がつづいた。
 けさ、萩にかくれて咲き残っている花茗荷をふと見つけた。人間の残忍な爪はその唯一をむしりとったのである。
 葉や株のむくつけきに似もやらず、なんとその花の清楚なことよ、気高いかおりがあたりにただようて、私はしんとする。
 見よ、むこうには茶の花が咲き続いているではないか。そうだったか――白い花だったか!
萩ちればコスモス咲いてそして茶の花も
   (「愚を守る」初版本)



『山頭火句集』(ちくま文庫)
(村上護/編 小崎侃/絵 筑摩書房 1996.12)
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2、Uさん
まど・みちお『幼年遅日抄U』
谷川俊太郎編『まど・みちお詩集』(岩波文庫)より)


「幼年遅日抄」は『文藝台湾』1巻5号(台湾文芸家協会 1940)に掲載されました。
まどさんが5歳の時の1915(大正4)年、母が彼の兄と妹を連れて父のいた台湾に移住し、1919(大正8)年、9歳で台湾へ渡るまでの4年間、祖父との2人の生活を送りました(祖母は1916年に死亡)。それを回想したのが「幼年遅日抄」です。

『まど・みちお詩集』(岩波文庫)(谷川俊太郎/編 岩波書店 2017.6)
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『山羊的信』
谷川俊太郎編『まど・みちお詩集』を中国語に翻訳したもの。
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3、山口智子
坂口安吾「復員」

 四郎は南の島から復員した。帰つてみると、三年も昔に戦死したことになつてゐるのである。彼は片手と片足がなかつた。
 家族が彼をとりまいて珍しがつたのも一日だけで翌日からは厄介者にすぎなかつた。知人も一度は珍しがるが二度目からはうるさがつてしまふ。言ひ交した娘があつた。母に尋ねると厄介者が女話とはといふ顔であつた。すでに嫁入して子供もあるのだ。気持の動揺も鎮つてのち、例によつて一度は珍しがつてくれるだらうと訪ねてみることにした。
 女は彼を見ると間の悪い顔をした。折から子供が泣きだしたのでオムツをかへてやりながら「よく生きてゐたわね」と言つた。彼はこんな変な気持で赤ン坊を眺めたことはない。お前が生きて帰らなくとも人間はかうして生れてくるぜと言つてゐるやうに見える。けれども女の間の悪さうな顔で、彼は始めてほのあたゝかいものを受けとめたやうな気がして、満足して帰つてきた。


「復員」は、1946年11月4日付朝日新聞大阪版及び名古屋版第四面の「けし粒小説」の欄に掲載された後、長く存在が知られていませんでしたが、2018年初頭、研究者により発掘され、雑誌『新潮』2018年4月号(2018.4.7)、単行本『「文豪とアルケミスト」文学全集第二期』(2018.10)、文庫本『不良少年とキリスト』(2019.5)に収録されました。

『新潮』2018年4月号(第115巻第4号)(新潮社 2018.4.7(2018.3.7発売))
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『「文豪とアルケミスト」文学全集第二期』(神楽坂ブック倶楽部/編 新潮社 2018.10)
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『不良少年とキリスト』(新潮社 2019.5)
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4、S・Mさん
中原中也「別離 T」

さよなら、さよなら!
  いろいろお世話になりました
  いろいろお世話になりましたねえ
  いろいろお世話になりました

さよなら、さよなら!
  こんなに良いお天気の日に
  お別れしてゆくのかと思ふとほんとに辛い
  こんなに良いお天気の日に

さよなら、さよなら!
  僕、午睡(ひるね)の夢から覚めてみると
  みなさん家を空(あ)けておいでだつた
  あの時を妙に思ひ出します

さよなら、さよなら!
  そして明日(あした)の今頃は
  長の年月見馴れてる
  故郷の土をば見てゐるのです

さよなら、さよなら!
  あなたはそんなにパラソルを振る
  僕にはあんまり眩(まぶ)しいのです
  あなたはそんなにパラソルを振る

さよなら、さよなら!
さよなら、さよなら!




5、M・Tさん
Jacques Prévert(ジャック・プレヴェール)「Les Feuilles Mortes(枯葉)」(原詞と日本語訳)



6、F・Kさん
谷川俊太郎「死んだ男の残したものは」



7、N・Mさん
森絵都「文体は奪えない」
『BOOKMARK』20号「緊急特集 2022 Books and Wars 戦争を考える」 より)


『BOOKMARK』は、金原瑞人さん発行の無料の海外文学紹介小冊子で、いつもは海外の翻訳作品を紹介していますが、今回の20号は、ひこ・田中さんが『ぼくがラーメンたべてるとき』(長谷川義史/作・絵 教育画劇)を紹介したり、特別に日本のものや絵本など、ジャンルや国を問わずに取り上げています。

森絵都さんは、『日本大空襲 本土制空基地隊員の日記』(原田良次/著 筑摩書房 2019.7)を紹介しています。昭和19年11月1日初めての東京大空襲から敗戦までを一人の整備士が綴った日記です。森さんは、

『これは何だ?』と瞠目した。記録の域を超えて文章が美しいのである。(略)彼らにとって不都合な言葉を奪ってゆくかもしれない。しかし、文体は奪えない。文体とは、即ち、生きる姿勢である。

と綴っています。

『日本大空襲 本土制空基地隊員の日記』(ちくま学芸文庫)
(原田良次/著 筑摩書房 2019.7)
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『BOOKMARK』20号「緊急特集 2022 Books and Wars 戦争を考える」
(金原瑞人・三辺律子/編 2022.6)
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8、K・Kさん
田中貢太郎「這ってくる紐」

 某(ある)禅寺に壮(わか)い美男の僧があって附近の女と関係しているうちに、僧は己(じぶん)の非行を悟るとともに大(おおい)に後悔して、田舎へ往って修行をすることにした。関係していた女はそれを聞いてひどく悲しんだが、いよいよ別れる日になると、禅宗の僧侶の衣の腰に着ける一本の紐を縫って持って来て、「これを、私の形見に、いつまでもつけてください」
 と云ってそれを僧の腰へ巻いて往った。僧はそこで出発して目指す田舎の寺へ往ったが、途中で某(ある)一軒の宿屋へ泊った。そして、寝る時になって、衣を脱いで帯といっしょに衝立へ掛けて寝たが、暫く眠って何かの拍子に眼を醒してみると、有明の洋灯(ランプ)が微暗く点っていて室の中はしんとしていた。その時何か物の気配がしたのでふと見た。今まで衝立に掛っていた紐がぼたりと落ちたが、それがそのまま蛇のように、よろよろと這って寝床の中へ入って来た。僧はびっくりしたが紐はやはり紐でべつに蛇にもなっていなかった。しかし、不思議は不思議であるから、翌日になって鋏を借りてその紐を断ってみた。紐の中には女の髪の毛をつめてあった。これは明治三十七八年比(ごろ)、田島金次郎翁が叡山に往っている時、某(ある)尼僧に聞いた話である。



『文豪ノ怪談 ジュニア・セレクション第一期第四巻「呪 小泉八雲・三島由紀夫ほか」』
(岡本綺堂・三遊亭圓朝・久生十蘭・小泉八雲・田中貢太郎・柳田国男・小松左京・三島由紀夫・吉屋信子・郡虎彦/著 東雅夫/編 羽尻利門/絵 汐文社 2017.3)
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9、T・Hさん
樋口一葉「わかれ道」

(略)
 お京は家に入るより洋燈(らんぷ)に火を點(うつ)して、火鉢を掻きおこし、吉ちやんやお焙(あた)りよと聲をかけるに己れは厭やだと言つて柱際に立つて居るを、夫れでもお前寒からうでは無いか風を引くといけないと氣を附ければ、引いても宜いやね、構はずに置いてお呉れと下を向いて居るに、お前は何うかおしか、何だか可笑しな樣子だね私の言ふ事が何か疳にでも障つたの、夫れなら其やうに言つて呉れたが宜い、默つて其樣な顏をして居られると氣に成つて仕方が無いと言へば、氣になんぞ懸けなくても能いよ、己れも傘屋の吉三だ女のお世話には成らないと言つて、寄かゝりし柱に脊を擦りながら、あゝ詰らない面白くない、己れは本當(ほんと)に何と言ふのだらう、いろ/\の人が鳥渡好い顏を見せて直樣つまらない事に成つて仕舞ふのだ、傘屋の先(せん)のお老婆(ばあ)さんも能い人で有つたし、紺屋(こうや)のお絹さんといふ縮れつ毛の人も可愛がつて呉れたのだけれど、お老婆さんは中風で死ぬし、お絹さんはお嫁に行くを厭やがつて裏の井戸へ飛込んで仕舞つた、お前は不人情で己れを捨てゝ行し、最う何も彼もつまらない、何だ傘屋の油ひきなんぞ、百人前の仕事をしたからとつて褒美の一つも出やうでは無し朝から晩まで一寸法師の言れつゞけで、夫れだからと言つて一生立つても此背が延びやうかい、待てば甘露といふけれど己れなんぞは一日一日厭やな事ばかり降つて來やがる、一昨日半次の奴と大喧嘩をやつて、お京さんばかりは人の妾に出るやうな腸の腐つたのでは無いと威張つたに、五日とたゝずに兜(かぶと)をぬがなければ成らないのであらう、そんな嘘つ吐きの、ごまかしの、欲の深いお前さんを姉さん同樣に思つて居たが口惜しい、最うお京さんお前には逢はないよ、何うしてもお前には逢はないよ、長々御世話さま此處からお禮を申ます、人をつけ、最う誰れの事も當てにする物か、左樣なら、と言つて立あがり沓ぬきの草履下駄足に引かくるを、あれ吉ちやん夫れはお前勘違ひだ、何も私が此處を離れるとてお前を見捨てる事はしない、私は本當に兄弟とばかり思ふのだもの其樣な愛想づかしは酷からう、と後から羽がひじめに抱き止めて、氣の早い子だねとお京の諭(さと)せば、そんならお妾に行くを廢めにしなさるかと振かへられて、誰れも願ふて行く處では無いけれど、私は何うしても斯うと決心して居るのだから夫れは折角だけれど聞かれないよと言ふに、吉は涕の目に見つめて、お京さん後生だから此肩(こゝ)の手を放してお呉んなさい。
  (明治二十九年一月「國民之友」)



『日本近代短篇小説選 明治篇1 』(岩波文庫)(岩波書店 2012.12)
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10、M・Aさん
沢村貞子「遊ぶって、なに?」
『寄り添って老後』より)

『寄り添って老後』(新潮社 1992.3)
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11、N・Aさん
中原中也「玩具の賦」「秋の夜に、湯に浸り」「四行詩」

玩具の賦
  昇平に

どうともなれだ
俺には何がどうでも構はない
どうせスキだらけぢやないか
スキの方を減[へら]さうなんてチヤンチヤラ可笑[をか]しい
俺はスキの方なぞ減らさうとは思はぬ
スキでない所をいつそ放りつぱなしにしてゐる
それで何がわるからう

俺にはおもちやが要るんだ
おもちやで遊ばなくちやならないんだ
利得と幸福とは大体は混(まざ)る
だが究極では混(まざ)りはしない
俺は混(まざ)らないとこばつかり感じてゐなけあならなくなつてるんだ
月給が増(ふ)えるからといつておもちやが投げ出したくはないんだ
俺にはおもちやがよく分つてるんだ
おもちやのつまらないとこも
おもちやがつまらなくもそれを弄[もてあそ]べることはつまらなくはないことも
俺にはおもちやが投げ出せないんだ
こつそり弄べもしないんだ
つまり余技ではないんだ
おれはおもちやで遊ぶぞ
おまへは月給で遊び給へだ
おもちやで俺が遊んでゐる時
あのおもちやは俺の月給の何分の一の値段だなぞと云ふはよいが
それでおれがおもちやで遊ぶことの値段まで決まつたつもりでゐるのは
滑稽[こつけい]だぞ
俺はおもちやで遊ぶぞ
一生懸命おもちやで遊ぶぞ
贅沢[ぜいたく]なぞとは云ひめさるなよ
おれ程おまへもおもちやが見えたら
おまへもおもちやで遊ぶに決つてゐるのだから
文句なぞを云ふなよ
それどころか
おまへはおもちやを知つてないから
おもちやでないことも分りはしない
おもちやでないことをただそらんじて
それで月給の種なんぞにしてやがるんだ
それゆゑもしも此の俺がおもちやも買へなくなつた時には
写字器械奴(め)!
云はずと知れたこと乍[なが]ら
らおまへが月給を取ることが贅沢だと云つてやるぞ
行つたり来たりしか出来ないくせに
行つても行つてもまだ行かうおもちや遊びに
何とか云へるがものはないぞ
おもちやが面白くもないくせに
おもちやを商ふことしか出来ないくせに
おもちやを面白い心があるから成立つてゐるくせに
おもちやで遊んでゐらあとは何事だ
おもちやで遊べることだけが美徳であるぞ
おもちやで遊べたら遊んでみてくれ
おまへに遊べる筈はないのだ

おまへにはおもちやがどんなに見えるか
おもちやとしか見えないだらう
俺にはあのおもちやこのおもちやと、おもちやおもちやで面白いんぞ
おれはおもちや以外のことは考へてみたこともないぞ
おれはおもちやが面白かつたんだ
しかしそれかと云つておまへにはおもちや以外の何か面白いことといふのがあるのか
ありさうな顔はしとらんぞ
あると思ふのはそれや間違ひだ
北叟笑(にやあツ)とするのと面白いのとは違ふんぞ

ではおもちやを面白くしてくれなんぞと云ふんだろう
面白くなれあ儲かるんだといふんでな
では、ああ、それでは
やつぱり面白くはならない写字器械奴(め)!
――こんどは此のおもちやの此処ンところをかう改良(なほ)して来い!
トツトといつて云つたやうにして来い!
  (一九三四・二)



  秋の夜に、湯に浸り
 
秋の夜に、独りで湯に這入ることは、
淋しいじやないか。

秋の夜に、人と湯に這入ることも亦、
淋しいじやないか。

話の駒が合つたりすれば、
その時は楽しくもあろう

然しそれといふも、何か大事なことを
わきへ置いといてのことのやうには思われないか?

――秋の夜に湯に這入るには……
独りですべきか、人とすべきか?

所詮は何も、
決ることではあるまいぞ。

さればいつそ、潜つて死にやれ!
それとも汝、熱中事を持て!



  四行詩

おまへはもう静かな部屋に帰るがよい。 
煥発する都会の夜々の燈火を後に     
おまへはもう、郊外の道を辿るがよい。     
そして心の呟きを、ゆつくりと聴くがよい。



オカリナの演奏までありました。



12、中原豊さん
アマンダ・マクブルーム「The Rose」(原詞と日本語訳)


アマンダ・マクブルーム作詞・作曲の「The Rose」は、アメリカ映画『ローズ』(原題:The Rose)の主題歌で、ジャニス・ジョプリンをモデルとするヒロインを演じたベット・ミドラーが歌っています。

『ローズ オリジナル・サウンドトラック』
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第40回やまぐち朗読Cafe 〜朗読と蓄音器ジャズの夕べ〜@第1部 蓄音器ジャズ [2022年09月30日(Fri)]
9月27日(火)、ジャズ スポット ポルシェで開催された「第40回やまぐち朗読Cafe 〜朗読と蓄音器ジャズの夕べ〜」に参加しましたぴかぴか(新しい)

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進行は中原中也記念館の中原豊館長です。 参加者は、スタッフ2名・見学者1名を入れて13名。

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第1部 蓄音器ジャズ

今回は男性ヴォーカル特集です。
コロムビアとデッカのレコードです。

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1.Bing Crosby(ビング・クロスビー)
演奏:Lennie Hayton and His Orchestra(レニー・ヘイトン楽団)
レーベル:Columbia
発売:日本コロムビア

1933年にロサンゼルスで録音され、Brunswick(ブランズウィック)からリリースされています。

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@「Home on the Range(峠の我が家)」

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編曲:David W. Guion(デビッド・ギオン)

アメリカ合衆国の民謡で、1947年にカンザス州の州歌に制定されました。
「range」は「範囲・領域」という意味で、原題の「range」は「峠」というより「平原」のような広い場所をイメージしているようです。


A「The Last Roud-up(最後の巻狩)」

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作:Billy Hill(ビリー・ヒル)



2.Louis Armstrong(ルイ・アームストロング)
演奏:Orchestra Directed by Sy Oliver(サイ・オリヴァー)
レーベル:DECCA  
レコード番号:DE-41
制作:テイチク

バンドリーダーのSy Oliver(サイ・オリヴァー)は、トランペット奏者です。

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B「I Get Ideas(When We Are Dancin')」

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作曲:Julio Cesar Sanders(フリオ・サンデルス) 1927年
英語の作詞:Dorcas Cochran(ドーカス・コクラン) 1951年
リリース:1951年

元歌はタンゴの「Adiós muchachos(アディオス・ムチャーチョス)(邦題:さらば友よ)」です。


C「A Kiss to Build a Dream On(夢を描くキッス)」

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Bert Kalmar(バート・カルマー)、Harry Ruby(ハリー・ルビー)、Oscar Hammerstein II(オスカー・ハマースタインII世)が作曲した曲。


【次回に続く】
第39回やまぐち朗読Cafe 〜朗読と蓄音器ジャズの夕べ〜A第2部 自由朗読 [2022年09月29日(Thu)]
【前回の続き】

第2部 自由朗読

1.山口
坂口安吾「桜の森の満開の下」 抜粋+中原中也記念館特別企画展「坂口安吾と中原中也――風と空と」パンフレット(P.25 「桜の森の満開の下」要約)より

(略)
 彼の目は霞んでゐました。彼はより大きく目を見開くことを試みましたが、それによつて視覚が戻つてきたやうに感じることができませんでした。なぜなら、彼のしめ殺したのはさつきと変らず矢張り女で、同じ女の屍体がそこに在るばかりだからでありました。
 彼の呼吸はとまりました。彼の力も、彼の思念も、すべてが同時にとまりました。女の屍体の上には、すでに幾つかの桜の花びらが落ちてきました。彼は女をゆさぶりました。呼びました。抱きました。徒労でした。彼はワッと泣きふしました。たぶん彼がこの山に住みついてから、この日まで、泣いたことはなかつたでせう。そして彼が自然に我にかへつたとき、彼の背には白い花びらがつもつてゐました。
 そこは桜の森のちやうどまんなかのあたりでした。四方の涯は花にかくれて奥が見えませんでした。日頃のやうな怖れや不安は消えてゐました。花の涯から吹きよせる冷めたい風もありません。たゞひつそりと、そしてひそひそと、花びらが散りつゞけているばかりでした。彼は始めて桜の森の満開の下に坐つてゐました。いつまでもそこに坐つてゐることができます。彼はもう帰るところがないのですから。
 桜の森の満開の下の秘密は誰にも今も分りません。あるいは「孤独」といふものであつたかも知れません。なぜなら、男はもはや孤独を怖れる必要がなかつたのです。彼自らが孤独自体でありました。
 彼は始めて四方を見廻しました。頭上に花がありました。その下にひつそりと無限の虚空がみちてゐました。ひそひそと花が降ります。それだけのことです。外には何の秘密もないのでした。
 ほど経て彼はたゞ一つのなまあたゝかな何物かを感じました。そしてそれが彼自身の胸の悲しみであることに気がつきました。花と虚空の冴えた冷めたさにつゝまれて、ほのあたたかいふくらみが、すこしづゝ分りかけてくるのでした。
 彼は女の顔の上の花びらをとつてやらうとしました。彼の手が女の顔にとゞかうとした時に、何か変つたことが起つたように思はれました。すると、彼の手の下には降りつもつた花びらばかりで、女の姿は掻き消えてたゞ幾つかの花びらになつてゐました。そして、その花びらを掻き分けようとした彼の手も彼の身体も延した時にはもはや消えてゐました。あとに花びらと、冷めたい虚空がはりつめてゐるばかりでした。



T・Hさんのように上手に要約できないので、今、中原中也記念館で開催中の「坂口安吾と中原中也――風と空と」のパンフレットにあった文章を本文を朗読する前に読ませていただきました。
今回のパンフレット、コロナ禍で万が一特別展が中止になって展示を鑑賞することができなくても、読み物として楽しめるように配慮して作られたそうです。ぜひ、ご一読ください。

『坂口安吾と中原中也―風と空と』
(中原中也記念館/編集・発行 2022.7.28)
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2.N・Mさん
宮沢賢治「あすこの田はねえ」
(『震災学』Vol.14 第5章 震災と文学 「言葉のありか、心のありか、震災9年、10年へ。」で和合亮一さんが紹介)

『震災学』Vol.14
(東北学院/発行 荒蝦夷/発売 2020.3)
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一〇八二  〔あすこの田はねえ〕
   一九二七、七、一〇、

あすこの田はねえ
あの種類では窒素があんまり多過ぎるから
もうきっぱりと灌水(みづ)を切ってね
三番除草はしないんだ
  ……一しんに畔を走って来て
    青田のなかに汗拭くその子……
燐酸がまだ残ってゐない?
みんな使った?
それではもしもこの天候が
これから五日続いたら
あの枝垂れ葉をねえ
斯ういふ風な枝垂れ葉をねえ
むしってとってしまふんだ
  ……せはしくうなづき汗拭くその子
    冬講習に来たときは
    一年はたらいたあととは云へ
    まだかゞやかな苹果のわらひをもってゐた
    いまはもう日と汗に焼け
    幾夜の不眠にやつれてゐる……
それからいゝかい
今月末にあの稲が
君の胸より延びたらねえ
ちゃうどシャッツの上のぼたんを定規にしてねえ
葉尖を刈ってしまふんだ
  ……汗だけでない
    泪も拭いてゐるんだな……
君が自分でかんがへた
あの田もすっかり見て来たよ
陸羽一三二号のはうね
あれはずゐぶん上手に行った
肥えも少しもむらがないし
いかにも強く育ってゐる
硫安だってきみが自分で播いたらう
みんながいろいろ云ふだらうが
あっちは少しも心配ない
反当三石二斗なら
もうきまったと云っていゝ
しっかりやるんだよ
これからの本当の勉強はねえ
テニスをしながら商売の先生から
義理で教はることでないんだ
きみのやうにさ
吹雪やわづかの仕事のひまで
泣きながら
からだに刻んで行く勉強が
まもなくぐんぐん強い芽を噴いて
どこまでのびるかわからない
それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ
ではさやうなら
  ……雲からも風からも
    透明な力が
    そのこどもに
    うつれ……

 
   (『春と修羅 第三集』より)



3.原明子さん
坂口安吾「ピエロ伝道者」

 空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。
 屋根の上で、竹竿を振り廻す男がいる。みんなゲラゲラ笑ってそれを眺めている。子供達まで、あいつは気違いだね、などと言う。僕も思う。これは笑わない奴の方が、よっぽどどうかしている、と。そして我々は、痛快に彼と竹竿を、笑殺しようではないか!
 しかし君の心は言いはしないか? 竹竿を振り廻しても所詮はとどかないのだから、だから僕は振り廻す愚をしないのだ、と。もしそうとすれば、それはあきらめているだけの話だ。君は決して星が欲しくないわけではない。しかし僕は、そういう反省を君に要求しようと思わない。又、「大人」になって、人に笑われずに人を笑うことが、君をそんなに偉くするだろうか? なぞとききはしない。その質問は君を不愉快にし、又もし君が、考え深い感傷家なら、自分の身の上を思いやって悲しみを深めるに違いないから。
 僕は礼儀を守ろう! 僕等の聖典に曰く、およそイエス・ノオをたずぬべからず、そは本能の犯す最大の悪徳なればなり、と。又曰く、およそイエス・ノオをたずぬべからず。犬は吠ゆ、これ悲しむべし、人は吠えず、吠ゆべきか、吠えざるべきかに迷い、迷いて吠えず、故に甚しく人なり、と。
 竹竿を振り廻す男よ、君はただ常に笑われてい給え。決して見物に向って、「君達の心にきいてみろ!」と叫んではならない。「笑い」のねうちを安く見積り給うな。笑い声は、音響としては騒々しいものであるけれど、人生の流れの上では、ただ静粛な跫音である時がある。竹竿を振り廻す男よ、君の噴飯すべき行動の中に、泪や感慨の裏打ちを暗示してはならない。そして、それをしないために、君の芸術は、一段と高尚な、そして静かなものになる。

 日本のナンセンス文学は、行詰っていると人々はいう。途方もない話だ。日本のナンセンス文学は、まだナンセンスにさえならない。井伏氏や中村氏の先駆者としての立派な足跡は認めなければならない。そして彼等はよき天分をもつ芸術家である。しかし正しい見方からすれば、あれはナンセンスではない。ことに中村氏は、笑いの裏側に、常に心臓を感じさせようとする。そして或時は奇術師のように、笑いと涙の混沌をこねだそうとする。ナンセンスは「意味センス、無しノン」と考えらるべきであるのに、今、日本のモダン語「ナンセンス」は「悲しき笑い」として通用しようとしている。此の如き解釈を持つモダン人種のために、「悲しき笑い」は美くしき奇術であるかも知れない。そして中村氏のナンセンスは彼等を悲しますかも知れない。しかし、人を悲しますために笑いを担ぎ出すのは、むしろ芸術を下品にする。笑いは涙の裏打ちによって静かなものにはならない。むしろその笑いは、騒がしいものになる。チャップリンは、二巻物の時代だけでも立派な芸術家であったのだ。
 いつであったかセルバンテスのドン・キホーテは最も悲しい文学であると、アメリカの誰かが賞讃していたのを記憶している。アメリカらしい悪趣味な讃辞であると言わなければならない。成程、空想癖のある人間ならば、ドン・キホーテの乱痴気騒ぎを他人ごとでは読みすごせない。我々は、物静かな跫音に深く心を吸われる。それでいい。なぜ「笑い」が「笑い」のまま芸術として通用できぬのであろうか? 笑いはそんなにも騒々しいものであろうか? 涙はそんなにも物静かなものであろうか?

 すべて「一途」がほとばしるとき、人間は「歌う」ものである。その人その人の容器に順って、悲しさを歌い、苦しさを歌い、悦びを歌い、笑いを歌い、無意味を歌う。それが一番芸術に必要なのだ。これ程素直な、これ程素朴な、これ程無邪気なものはない。この時芸術は最も高尚なものになる。素直さは奇術の反対である。そして、この素直さから、その人柄にしたがって、涙の裏打をした笑いがほとばしるなら、それはそれで一番正しい。そして中村氏は、かなり本質的に、「悲しき笑い」の持ち主ではある。しかし中村氏は、往々にして無理な奇術を弄している。それはいけない。

 日本では、本質的なファースとして、古来存在していたものは、寄席だけのようである。勝れた心構えの人によって用いられたなら、落語も立派な芸術になる筈である。昔は知らない。少くとも今の寄席は、遺憾ながら話にもならない。僕の知る限りで、「莫迦々々しさ」を「歌」った人は、数年前に死んだ林屋正蔵。今の人では、古今亭今輔。それだけ。

 日本のナンセンス文学は、涙を飛躍しなければならない。「莫迦々々しさ」を歌い初めてもいい時期だ。勇敢に屋根へ這い登れ! 竹竿を振り廻し給え。観衆の涙に媚び給うな。彼等から、それは芸術でない、ファースであると嘲笑されることを欣快とし給え。しかしひねくれた道化者になり給うな。寄席芸人の卑屈さを学び給うな。わずかな衒学をふりかざして、「笑う君達を省みよ」と言い給うな。見給え。竹竿を振り廻す莫迦が、「汝等を見よ!」と叫んだとすれば、おかしいではないか。それは君自身をあさましくするだけである。すべからく「大人」になろうとする心を忘れ給え。
 忘れな草の花を御存じ? あれは心を持たない。しかし或日、恋になやむ一人の麗人を慰めたことを御存じ?
 蛙飛び込む水の音を御存じ?


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4.F・Kさん
小池真理子「抱きしめ、抱きしめられたい」
「月夜の森の梟」36(朝日新聞土曜別刷り「be」2021年3月6日掲載)

『月夜の森の梟』
(小池真理子/著 朝日新聞出版 2021.11)
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5、T・Hさん
山川方夫「夏の葬列」

(略)
「なんの病気で死んだの? この人」
 うきうきした、むしろ軽薄な口調で彼はたずねた。
「この小母さんねえ、気違いだったんだよ」
 ませた目をした男の子が答えた。
「一昨日(おととい)ねえ、川にとびこんで自殺しちゃったのさ」
「へえ。失恋でもしたの?」
「バカだなあ小父さん」運動靴の子供たちは、口々にさもおかしそうに笑った。「だってさ、この小母さん、もうお婆(ばあ)さんだったんだよ」
「お婆さん? どうして。あの写真だったら、せいぜい三十くらいじゃないか」
「ああ、あの写真か。……あれねえ、うんと昔のしかなかったんだってよ」
 洟はなをたらした子があとをいった。
「だってさ、あの小母さん、なにしろ戦争でね、一人きりの女の子がこの畑で機銃で撃たれて死んじゃってね、それからずっと気が違っちゃってたんだもんさ」

 葬列は、松の木の立つ丘へとのぼりはじめていた。遠くなったその葬列との距離を縮めようというのか、子供たちは芋畑の中におどりこむと、歓声をあげながら駈(か)けはじめた。
 立ちどまったまま、彼は写真をのせた柩(ひつぎ)がかるく左右に揺れ、彼女の母の葬列が丘を上って行くのを見ていた。一つの夏といっしょに、その柩の抱きしめている沈黙。彼は、いまはその二つになった沈黙、二つの死が、もはや自分のなかで永遠につづくだろうこと、永遠につづくほかはないことがわかっていた。彼は、葬列のあとは追わなかった。追う必要がなかった。この二つの死は、結局、おれのなかに埋葬されるほかはないのだ。
 ――でも、なんという皮肉だろう、と彼は口の中でいった。あれから、おれはこの傷にさわりたくない一心で海岸のこの町を避けつづけてきたというのに。そうして今日、せっかく十数年後のこの町、現在のあの芋畑をながめて、はっきりと敗戦の夏のあの記憶を自分の現在から追放し、過去の中に封印してしまって、自分の身をかるくするためにだけおれはこの町に下りてみたというのに。……まったく、なんという偶然の皮肉だろう。
 やがて、彼はゆっくりと駅の方角に足を向けた。風がさわぎ、芋の葉の匂(におい)がする。よく晴れた空が青く、太陽はあいかわらず眩(まぶ)しかった。海の音が耳にもどってくる。汽車が、単調な車輪の響きを立て、線路を走って行く。彼は、ふと、いまとはちがう時間、たぶん未来のなかの別な夏に、自分はまた今とおなじ風景をながめ、今とおなじ音を聞くのだろうという気がした。そして時をへだて、おれはきっと自分の中の夏のいくつかの瞬間を、一つの痛みとしてよみがえらすのだろう……。
 思いながら、彼はアーケードの下の道を歩いていた。もはや逃げ場所はないのだという意識が、彼の足どりをひどく確実なものにしていた。



『日本近代短篇小説選 昭和篇3』 (岩波文庫)
(紅野敏郎・紅野謙介・千葉俊二・宗像和重・山田俊治/編 岩波書店 2012.9)
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T・Hさんは、本文を朗読される前に、いつも読まれない部分の要約を話されるのですが、それが、すごくいいんです。物語のドアがギイと開かれ、朗読が始まる時には、物語の世界にどっぷりと引き込まれています揺れるハート



6、S・Tさん
小池昌代「抱擁」
(『図書』2020年8月号より)

『図書』2020年8月号(岩波書店 2020.8)
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7、M・Aさん
2022年8月14日付中国新聞「天風録」



8、K・Kさん
芥川龍之介「沼」

 おれは沼のほとりを歩いてゐる。
 昼か、夜(よる)か、それもおれにはわからない。唯、どこかで蒼鷺(あをさぎ)の啼く声がしたと思つたら、蔦葛(つたかづら)に掩(おほ)はれた木々の梢(こずゑ)に、薄明りの仄(ほの)めく空が見えた。
 沼にはおれの丈(たけ)よりも高い芦(あし)が、ひつそりと水面をとざしてゐる。水も動かない。藻(も)も動かない。水の底に棲(す)んでゐる魚も――魚がこの沼に棲んでゐるであらうか。
 昼か、夜か、それもおれにはわからない。おれはこの五六日、この沼のほとりばかり歩いてゐた。寒い朝日の光と一しよに、水の(にほひ)や芦(あし)の奄ミがおれの体を包んだ事もある。と思ふと又枝蛙(えだかはづ)の声が、蔦葛(つたかづら)に蔽(おほ)はれた木々の梢から、一つ一つかすかな星を呼びさました覚えもあつた。
 おれは沼のほとりを歩いてゐる。
 沼にはおれの丈(たけ)よりも高い芦が、ひつそりと水面をとざしてゐる。おれは遠い昔から、その芦の茂つた向うに、不思議な世界のある事を知つてゐた。いや、今でもおれの耳には、Invitation au Voyage の曲が、絶え絶えに其処(そこ)から漂(ただよ)つて来る。さう云へば水の奄竏ーの奄送つて来はしないであらうか。
 昼か、夜か、それもおれにはわからない。おれはこの五六日、その不思議な世界に憧(あこが)れて、蔦葛(つたかづら)に掩はれた木々の間(あひだ)を、夢現(ゆめうつつ)のやうに歩いてゐた。が、此処(ここ)に待つてゐても、唯芦と水とばかりがひつそりと拡がつてゐる以上、おれは進んで沼の中へ、あの「スマトラの忘れな艸(ぐさ)の花」を探しに行(ゆ)かなければならぬ。見れば幸(さいはひ)、芦の中から半(なか)ば沼へさし出てゐる、年経(としへ)た柳が一株ある。あすこから沼へ飛びこみさへすれば、造作(ざうさ)なく水の底にある世界へ行(ゆ)かれるのに違ひない。
 おれはとうとうその柳の上から、思ひ切つて沼へ身を投げた。
 おれの丈(たけ)より高い芦が、その拍子(ひやうし)に何かしやべり立てた。水が呟(つぶや)く。藻(も)が身ぶるひをする。あの蔦葛(つたかづら)に掩(おほ)はれた、枝蛙(えだかはづ)の鳴くあたりの木々さへ、一時はさも心配さうに吐息(といき)を洩(も)らし合つたらしい。おれは石のやうに水底(みなそこ)へ沈みながら、数限りもない青い焔が、目まぐるしくおれの身のまはりに飛びちがふやうな心もちがした。
 昼か、夜か、それもおれにはわからない。
 おれの死骸は沼の底の滑(なめら)かな泥に横(よこたは)つてゐる。死骸の周囲にはどこを見ても、まつ青(さを)な水があるばかりであつた。この水の下にこそ不思議な世界があると思つたのは、やはりおれの迷(まよ)ひだつたのであらうか。事によると Invitation au Voyage の曲も、この沼の精が悪戯(いたづら)に、おれの耳を欺(だま)してゐたのかも知れない。が、さう思つてゐる内に、何やら細い茎が一すぢ、おれの死骸の口の中から、すらすらと長く伸び始めた。さうしてそれが頭の上の水面へやつと届いたと思ふと、忽ち白い睡蓮(すゐれん)の花が、丈の高い芦に囲まれた、藻の奄フする沼の中に、的皪(てきれき)と鮮(あざやか)な莟(つぼみ)を破つた。
 これがおれの憧(あこがれ)てゐた、不思議な世界だつたのだな。――おれの死骸はかう思ひながら、その玉のやうな睡蓮(すゐれん)の花を何時(いつ)までもぢつと仰ぎ見てゐた。
  (大正九年三月)



『文豪ノ怪談 ジュニア・セレクション 第一期第一巻「夢 夏目漱石・芥川龍之介ほか 」』
(夏目漱石・内田百閨E中勘助・芥川龍之介・谷崎潤一郎・佐藤春夫・志賀直哉・夢野久作・北杜夫・小泉八雲/著 東雅夫/編 山科理絵/絵 汐文社 2016.11)
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9、W・Kさん
自作「わが暴走」



10、M・Tさん
中原中也「更くる夜」

 更くる夜
   内海誓一郎に

毎晩々々、夜が更(ふ)けると、近所の湯屋の
  水汲む音がきこえます。
流された残り湯が湯気となつて立ち、
  昔ながらの真つ黒い武蔵野の夜です。
おつとり霧も立罩(たちこ)めて
  その上に月が明るみます、
と、犬の遠吠がします。

その頃です、僕が囲炉裏(ゐろり)の前で、
  あえかな夢をみますのは。
随分……今では損はれてはゐるものの
  今でもやさしい心があつて、
こんな晩ではそれが徐(しづ)かに呟きだすのを、
  感謝にみちて聴(き)いるのです、
感謝にみちて聴(き)いるのです。




11、S・Mさん
西本喜美子「セルフポートレート」
(『ひとりじゃなかよ』より)

『ひとりじゃなかよ』
(西本喜美子/作 飛鳥新社 2016.7)
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12、中原豊さん
坂口安吾「ふるさとに寄する讃歌」より

(略)
 私は耳を澄ました。私は忍びやかに通りすぎた。私は窓を仰いだ。長くして、私はただ笑つた。私は海へ行つた。人気ない銀色の砂浜から、私は海中へ躍り込んだ。爽快に沖へ出た。掌は白く輝いて散乱した。海の深さがしづもつてゐた。突然私は死を思ひ出してゐた。私は怖れた。私の身体は、心よりも尚はやく狼狽しはぢめてゐた。私の手に水が当らなくなつてゐた。手足は感覚を失つた。私の吐く潮が、鋭い音をたてた。私は自分が今吹き出していい欲望にかられてゐることを、滑稽な程悲痛に、意識した。私は陸(オカ)へ這ひ上つた。私は浜にねた。私は深い睡りにおちた。
 その夜、病院へ泊つた。私は姉に会ふことを、さらに甚しく欲しなかつた。なぜなら、実感のない会話を交へねばならなかつたから。そして私は省るに、語るべき真実の一片すら持たぬやうであつた。心に浮ぶものは、すべて強調と強制のつくりものにみえた。私は偶然思ひ出してゐた。彼女に再び逢ふ機会はあるまい、と。それは、意味もなく、あまり唐突なほど、そして私が決して私自身に思ひ込ませることが出来ないほど、やるせない悲しみに私を襲ふのであつた。私は、かやうな遊戯に、この上もなく退屈してゐた。しばらくして、もはや無心に雲を見てゐた。
 姉も亦、姉自身の嘘を苦にやんでゐた。姉は見舞客の嘘に悩んで、彼等の先手を打つやうに、姉自身嘘ばかりむしろ騒がしく吐きちらした。それは白い蚊帳だつた。電燈を消して、二人は夜半すぎるまで、出まかせに身の不幸を欺き合つた。一人が真実に触れやうとするとき、一人はあわただしく話題を変へた。同情し合ふフリをした。嘘の感情に泪ながした。くたびれて、睡つた。
 朝、姉の起きぬうちに、床をぬけて海へ行つた。

 港に六千噸(トン)の貨物船がはいつた。耳寄りなニュースに、港の隆盛を町の人々が噂した。私は裏町に、油くさい庖厨(ほうちゅう)の香を嗅いだ、また裏町に、開け放された格子窓から、脂粉の匂に噎んでゐた。湯垢の香に私はしみた。そして太陽を仰いだ。しきりに帰心の陰が揺れた。
 東京の空がみえた。置き忘れてきた私の影が、東京の雑踏に揉まれ、蹂(ふ)みしだかれ、粉砕されて喘へいでゐた。限りないその傷に、無言の影がふくれ顔をした。私は其処へ戻らうと思つた。無言の影に言葉を与へ、無数の傷に血を与へやうと思つた。虚偽の泪を流す暇はもう私には与へられない。全てが切実に切迫してゐた。私は生き生きと悲しもう。私は塋墳(えいふん)へ帰らなければならない。と。
 バクダンがバクダン自身を粉砕した。傍に男が、爽快な空に向つて煙草の火をつけた。

 私達はホテルの楼上に訣別の食卓をかこんだ。街の灯が次第にふへた。私は劇しくイライラしてゐた。姉は私の気勢に呑まれて沈黙した。私達は停車場へ行つた。私達は退屈してゐた。汽車がうごいた。私は興奮した、夢中に帽子を振つた。
 別れのみ、にがかつた。



『ふるさとに寄する讃歌』 (角川文庫)
(角川書店 1971.10)
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第39回やまぐち朗読Cafe 〜朗読と蓄音器ジャズの夕べ〜@第1部 蓄音器ジャズ [2022年09月28日(Wed)]
8月30日(火)、ジャズ スポット ポルシェで開催された「第39回やまぐち朗読Cafe 〜朗読と蓄音器ジャズの夕べ〜」に参加しましたぴかぴか(新しい)

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進行は中原中也記念館の中原豊館長です。 参加者は、スタッフ2名を入れて11名。

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第1部 蓄音器ジャズ

今回はあまりメジャーでないビッグバンド特集です。

1.Harry James & His Orchestra(ハリー・ジェイムス・オーケストラ)
 「I Need You Now」

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バンドリーダーのHarry James(ハリー・ジェイムス)(1916〜1983)は、トランペット奏者で、ベニー・グッドマンの伝記映画『ベニイ・グッドマン物語』などに俳優として本人役で出演しています。



2.Hal Kemp and His Orchestra(ハル・ケンプ・オーケストラ)
  「Lucky」

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「Tango」とあるようにタンゴのリズムです。



3.Ralph Flanagan and His Orchestra(ラルフ・フラナガン楽団) 
  「Dexie Jump」(ディキシー・ジャンプ)

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バンドリーダーのRalph Flanagan(ラルフ・フラナガン)は、ピアノ奏者です。



4.Les Elgart and His Orchestra(レス・エルガート・オーケストラ)
  「Mister Sandman」(ミスター・サンドマン)

作曲:Pat Ballard

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バンドリーダーのLes Elgart(レス・エルガート)(Lester Elliott Elgart) (1917〜1995)は、トランペット奏者です。

「Mister Sandman」は、The Chordettes(ザ・コーデッツ)という女性4人のボーカル・グルーによって1954年に大ヒットします。
また、日本でも1985年に公開され大ヒットした映画「Back to the Future(バック・トゥ・ザ・フューチャー)」で、主人公マーティ・マクフライがデロリアンで過去(1955年)へタイム・スリップし、Hill Valley(ヒルバレー)の街に入ったところで、The Four Aces(フォー・エイセス)という男性4人のボーカル・グループの歌う「Mister Sandman」が流れます。


【次回に続く】
未発表詩篇を読む @ 中原中也の会 第27回大会・第21回セミナー [2022年09月15日(Thu)]
9月17日(土)〜18日(日)、中原中也の会 第27回大会・第21回セミナー「未発表詩篇を読む」が開催されますぴかぴか(新しい)

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るんるん日 時るんるん
  大  会 2022年9月17日(土)14:00〜18:00
       ※総 会 同日13:00〜13:30(会員のみ)   

  セミナー 2022年9月18日(日)10:00〜12:00

るんるん会 場るんるん ユウベルホテル松政  
       〒753-0056  山口県山口市湯田温泉3-5-8        
       電話083-922-2000 fax to083-923-2938      

るんるんタイムテーブルるんるん

かわいい総 会 9月17日(土)(会場:ユウベルホテル松政 花鳥の間)
12:50     総会受付開始
13:00〜13:30 総会(会員のみ)

かわいい第27回大会 9月17日(土)(会場:ユウベルホテル松政 コンベンションホール芙蓉)
13:30 大会受付開始
14:00 開会
  開会の挨拶 中原豊(中原中也記念館館長、中原中也の会副会長)

14:10 講演「中原中也 未発表詩篇の可能性」
  講師 佐々木幹郎(詩人、中原中也の会理事)

15:40 休憩

15:50 企画「未発表詩篇で編む、中也第三詩集」
  出演 阿毛久芳(都留文科大学名誉教授、中原中也の会会長)
     四元康祐(詩人、中原中也の会理事)
     蜂飼 耳(詩人、中原中也の会理事)
  司会 権田浩美(愛知大学他非常勤講師、中原中也の会事務局長)
  〇企画資料 開催前日までに公開予定
  
17:50 閉会の挨拶
  たかとう匡子(詩人、中原中也の会副会長)
18:00 閉会

  総合司会 加藤邦彦(駒澤大学准教授、中原中也の会理事)

かわいい第21回セミナー 9月18日(日)
(会場:ユウベルホテル松政 コンベンションホール芙蓉、中原中也記念館)
10:00 講師 池田誠(中原中也記念館 学芸担当職員)
11:00〜12:00 中原中也記念館 特別企画展「坂口安吾と中原中也――風と空と」見学
         ※要入館料

るんるんご案内るんるん
・対面開催で実施
・今回は試みとして、オンライン(Zoom)で大会の様子を配信
・社会状況によっては対面開催を取りやめ、オンラインのみでの開催に変更となる可能性があり


るんるん対 象るんるん 対面・オンライン配信ともに、会員外も参加可
るんるん参加費るんるん 無料(展示見学は要入館料)
るんるんオンライン配信の事前登録不要・視聴方法 https://chuyakan.jp/ntsarticle/2022taikai3/  に掲載

るんるん問合るんるん 中原中也の会事務局(中原中也記念館内)
    mail to nts[a]chuyakan.jp 
      ※[a]を@に変えてください。
    電話 083-932-6430 
    fax to 083-932-6431
るんるん主催るんるん 中原中也の会  
るんるん共催るんるん (公財)山口市文化振興財団



かわいい佐々木 幹郎(ささき みきろう)かわいい
詩人、中原中也の会理事。
1947年奈良に生まれ大阪で育つ。米国ミシガン州立オークランド大学客員研究員、東京藝術大学大学院音楽研究科音楽文芸非常勤講師を歴任。詩集に『蜂蜜採り』(書肆山田、高見順賞)、『明日』(思潮社、萩原朔太郎賞)、『鏡の上を走りながら』(思潮社、大岡信賞)など。評論集に『中原中也』(筑摩書房、サントリー学芸賞)、『アジア海道紀行』(みすず書房、読売文学賞)、『 東北を聴く―民謡の原点を訪ねて』、『中原中也―沈黙の音楽』(ともに岩波新書)など。『新編中原中也全集』全6巻(角川書店)責任編集委員。

かわいい阿毛 久芳(あもう ひさよし)かわいい
都留文科大学名誉教授、中原中也の会会長。
1949年、神奈川県横浜市に生れる。著書に『萩原朔太郎論序説−イデアを追う人の旅―』(1985年有精堂出版)、『風呂で読む中原中也』(1998 年世界思想社)、『都市モダニズム詩の大河U〈コレクション都市モダニズム詩誌12〉』(編著)(2010年ゆまに書房)ほか、『編年体 大正文学全集』全15巻(近代詩選定)通巻担当(2000年〜2003年ゆまに書房)や論文「《日本近代文学研究アーカイブ 萩原朔太郎》「愛憐詩篇ノート」から「浄罪詩篇」へ、再び」(2020年3月『湘南文学』第55号)等がある。

かわいい四元 康祐(よつもと やすひろ)かわいい
詩人、中原中也の会理事。
1959年生まれ。詩集に『現代ニッポン詩日記』『フリーソロ日録』、小説に『偽詩人の世にも奇妙な栄光』『前立腺歌日記』、翻訳に『ホモサピエンス詩集―四元康祐翻訳集現代詩篇』『月の光がクジラの背中を洗うとき 48か国108名の詩人によるパンデミック時代の連歌』など。最新刊は詩文集『龍に呑まれる、龍を呑む ―詩人のヨーロッパ体験』(港の人)。

かわいい蜂飼 耳(はちかい みみ)かわいい
詩人、中原中也の会理事。
1974年神奈川県生まれ。『いまにもうるおっていく陣地』で第5回中原中也賞受賞。『食うものは食われる夜』で第56回芸術選奨新人賞受賞。『顔をあらう水』で第7回鮎川信夫賞受賞。他の詩集に『現代詩文庫 蜂飼耳詩集』『顔をあらう水』。文集に『孔雀の羽の目がみてる』『秘密のおこない』『空席日誌』『おいしそうな草』など、書評集に『朝毎読』、絵本に『うきわねこ』(絵/牧野千穂)などがある。2020 年度から立教大学文学部教授。
中原中也「蛙声」 × アーサー・ビナード再話『ポチャッ ポチョッ イソップ:カエルのくににつたわるおはなし』 [2022年08月31日(Wed)]
前回の続き

アーサー・ビナード再話『ポチャッ ポチョッ イソップ:カエルのくににつたわるおはなし』のところで、福田百合子先生が取り上げられた中原中也「蛙声」ですが、中原中也記念館の前庭で今展示されていますぴかぴか(新しい)
中也の詩を紹介する「屋外展示」の今年度のテーマ「天気の詩」の3篇の中の一つとして、9月末までの展示です。

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  蛙声

天は地を蓋[おほ]ひ、
そして、地には偶々[たまたま]池がある。
その池で今夜一と夜さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであらう?

その声は、空より来り、
空へと去るのであらう?
天は地を蓋[おほ]ひ、
そして蛙声[あせい]は水面に走る。

よし此の地方(くに)が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶、余りに乾いたものと感(おも)はれ、

頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走つて暗雲に迫る。


「蛙声」は雑誌『四季』昭和12(1937)年7月号に発表されました。中也晩年(1937年10月22日死亡)の作品です。 

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〈暗雲〉は、地を蓋う〈天〉と呼応し詩に閉塞感をもたらすとともに、湿潤な〈此の地方〉を象徴している。乾きを癒やせず体の不調を訴える詩人をよそに、蛙の声はそれ自体が意志をを持っているかのように〈暗雲〉に迫る。


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中也が蛙を詠った以下の詩については、福田先生は取り上げられませんでしたが、参考までに記しておきます。


  蛙 声(郊外では)

郊外では、
夜は沼のやうに見える野原の中に、
蛙が鳴く。

それは残酷な、
消極も積極もない夏の夜の宿命のやうに、
毎年のことだ。

郊外では、
毎年のことだ今時分になると沼のやうな野原の中に、
蛙が鳴く。

月のある晩もない晩も、
いちやうに厳かな儀式のやうに義務のやうに、
地平の果にまで、

月の中にまで、
しみこめとばかりに廃墟礼讃の唱歌のやうに、
蛙が鳴く。



  (蛙等は月を見ない)
 
蛙等は月を見ない
恐らく月の存在を知らない
彼等は彼等同志暗い沼の上で
蛙同志いつせいに鳴いてゐる。

月は彼等を知らない
恐らく彼等の存在を思つてみたこともない
月は緞子(どんす)の着物を着て
姿勢を正し、月は長嘯(ちようしよう)に忙がしい。

月は雲にかくれ、月は雲をわけてあらはれ、
雲と雲とは離れ、雲と雲とは近づくものを、
僕はゐる、此処(ここ)にゐるのを、彼等は、
いつせいに、蛙等は蛙同志で鳴いてゐる。



  (蛙等が、どんなに鳴かうと)

蛙等が、どんなに鳴かうと
月が、どんなに空の遊泳術に秀でてゐようと、
僕はそれらを忘れたいものと思つてゐる
もつと営々と、営々といとなみたいいとなみが
もつとどこかにあるといふやうな気がしてゐる。

月が、どんなに空の遊泳術に秀でてゐようと、
蛙等がどんなに鳴かうと、
僕は営々と、もつと営々と働きたいと思つてゐる。
それが何の仕事か、どうしてみつけたものか、
僕はいつかうに知らないでゐる

僕は蛙を聴き
月を見、月の前を過ぎる雲を見て、
僕は立つてゐる、何時までも立つてゐる。
そして自分にも、何時かは仕事が、
甲斐のある仕事があるだらうといふやうな気持がしてゐる。



  Qu’est-ce que c’est?

蛙が鳴くことも、
月が空を泳ぐことも、
僕がかうして何時までも立つてゐることも、
黒々と森が彼方(かなた)にあることも、
これはみんな暗がりでとある時出つくはす、
見知越(みしりご)しであるやうな初見であるやうな、
あの歯の抜けた妖婆(ようば)のやうに、
それはのつぴきならぬことでまた
逃れようと思へば何時でも逃れてゐられる
さういふふうなことなんだ、あゝさうだと思つて、
坐臥常住の常識観に、
僕はすばらしい籐椅子にでも倚つかゝるやうに倚つかゝり、
とにかくまづ羞恥の感を押鎮(おしし)づめ、
ともかくも和やかに誰彼のへだてもなくお辞儀を致すことを覚え、
なに、平和にはやつてゐるが、
蛙の声を聞く時は、
何かを僕はおもひ出す。何か、何かを、
おもひだす。

Qu’est-ce que c’est?


以上4篇の蛙を詠った詩は、昭和8(1933)年5〜8月制作(推定)で「ノート翻訳詩」にあります。


  桑名の駅

桑名の夜は暗かつた
蛙がコロコロ鳴いてゐた
夜更の駅には駅長が
綺麗な砂利を敷き詰めた
プラットホームに只(ただ)独り
ランプを持つて立つてゐた

桑名の夜は暗かつた
蛙がコロコロ泣いてゐた
焼蛤貝(やきはまぐり)の桑名とは
此処のことかと思つたから
駅長さんに訊(たづ)ねたら
さうだと云つて笑つてた

桑名の夜は暗かつた
蛙がコロコロ鳴いてゐた
大雨(おほあめ)の、霽(あが)つたばかりのその夜(よる)は
風もなければ暗かつた
 (一九三五・八・一二)
 「此の夜、上京の途なりしが、京都大阪間の不通のため、臨時関西線を運転す」


妻 孝子と長男 文也と親子3人での上京時に関西地方で集中豪雨に見舞われ、「桑名の駅」で足止めされ、その際に制作されました。
桑名の駅には、詩碑があります。
「文学界」昭和12年12月号に発表されました。


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「屋外展示」の「天気の歌」は、「蛙声」の他には

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「六月の雨」と

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  六月の雨

またひとしきり 午前の雨が
菖蒲[しやうぶ]のいろの みどりいろ
眼(まなこ)うるめる 面長き女(ひと)
たちあらはれて 消えてゆく

たちあらはれて 消えゆけば
うれひに沈み しとしとと
畠(はたけ)の上に 落ちてゐる
はてしもしれず 落ちてゐる

      お太鼓叩いて 笛吹いて
      あどけない子が 日曜日
      畳の上で 遊びます

      お太鼓叩いて 笛吹いて
      遊んでゐれば 雨が降る

      櫺子(れんじ)の外に 雨が降る



「別離(抜粋)」です。

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  別離

  

さよなら、さよなら!
  いろいろお世話になりました
  いろいろお世話になりましたねえ
  いろいろお世話になりました

さよなら、さよなら!
  こんなに良いお天気の日に
  お別れしてゆくのかと思ふとほんとに辛い
  こんなに良いお天気の日に

さよなら、さよなら!
  僕、午睡[ひるね]の夢から覚めてみると
  みなさん家を空(あ)ておいでだつた
  あの時を妙に思ひ出します

さよなら、さよなら!
  そして明日(あした)の今頃は
  長の年月見馴れてる
  故郷の土をば見てゐるのです

さよなら、さよなら!
  あなたはそんなにパラソルを振る
  僕にはあんまり眩[まぶ]しいのです
  あなたはそんなにパラソルを振る

さよなら、さよなら!
さよなら、さよなら!

  2

 僕、午睡から覚めてみると、
みなさん、家を空けてをられた
 あの時を、妙に、思ひ出します

 日向ぼつこをしながらに、
爪(つめ)摘んだ時のことも思ひ出します、
 みんな、みんな、思ひ出します

芝庭のことも、思ひ出します
 薄い陽の、物音のない昼下り
あの日、栗を食べたことも、思ひ出します

干された飯櫃(おひつ)がよく乾き
裏山に、烏が呑気に啼いてゐた
あゝ、あのときのこと、あのときのこと……

 僕はなんでも思ひ出します
僕はなんでも思ひ出します
  でも、わけて思ひ出すことは
わけても思ひ出すことは……
――いいえ、もうもう云へません
決して、それは、云はないでせう

  3

忘れがたない、虹(にじ)と花
  忘れがたない、虹と花
  虹と花、虹と花
どこにまぎれてゆくのやら
  どこにまぎれてゆくのやら
  (そんなこと、考へるの馬鹿)
その手、その脣(くち)、その唇(くちびる)の、
  いつかは、消えてゆくでせう
  (霙(みぞれ)とおんなじことですよ)
あなたは下を、向いてゐる
  向いてゐる、向いてゐる
  さも殊勝らしく向いてゐる
いいえ、かういつたからといつて
  なにも、怒(おこ)つてゐるわけではないのです、
  怒つてゐるわけではないのです

忘れがたない虹と花、
  虹と花、虹と花、
  (霙とおんなじことですよ)

  4

 何か、僕に、食べさして下さい。
何か、僕に、食べさして下さい。
  きんとんでもよい、何でもよい、
  何か、僕に食べさして下さい!

いいえ、これは、僕の無理だ、
    こんなに、野道を歩いてゐながら
    野道に、食物(たべもの)、ありはしない。
    ありません、ありはしません!

  5

向ふに、水車が、見えてゐます、
  苔(こけ)むした、小屋の傍、
ではもう、此処からお帰りなさい、お帰りなさい
  僕は一人で、行けます、行けます、
僕は、何を云つてるのでせう
  いいえ、僕とて文明人らしく
もつと、他(ほか)の話も、すれば出来た
  いいえ、やつぱり、出来ません出来ません。
   (一九三四・一一・一三)
歴史の跫音 @ 河上徹太郎と中原中也 〜河上徹太郎生誕120年を記念して〜 [2022年08月30日(Tue)]
今日8月30日(火)まで、山口県立山口図書館 ふるさと山口文学ギャラリー企画展「河上徹太郎と中原中也 〜河上徹太郎生誕120年を記念して〜」が開催され、「河上徹太郎の生涯」「中原中也の生涯」「河上徹太郎と中原中也」「河上徹太郎とやまぐち」「中原中也と小林秀雄」「河上徹太郎と小林秀雄」のコーナーに分けて展示がされていますぴかぴか(新しい)
https://library.pref.yamaguchi.lg.jp/furusato_gallery/202205/
https://blog.canpan.info/jointnet21/archive/1772


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ふるさと山口文学ギャラリー企画展のいいところは、展示してある本の全てではないけれど、貸出コーナーがあり、気に入った本を借りて帰って、じっくり読めるところ。

今回私の借りたのは「河上徹太郎とやまぐち」のコーナー展示から『歴史の跫音』(河上徹太郎/著 新潮社 1977.2)。

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以前読んだ、やはり中也の友人 正岡忠三郎を描いた『ひとびとの跫音』(司馬遼󠄁太郎/著 中央公論社 1981)に名前が似ていることもあって借りました。

先祖の流した血の上に私の血の匂ひを嗅いだ。彼らの行動や愚行の中にただならぬ私の性癖を露に感じた。(略)
取材は決して一流人物を目指さないが、心温まる思ひで接しなかつた人物はいないつもりである。


とあとがきで述べているように、司馬遼太郎のいわゆる長州ものとは根本的に質が異なるように感じました。

内容は、

萩の挽歌・前原一誠
 1、松陰の陰に
 2、参議から叛徒へ
 3、萩の乱

下関遊記
 1、潮流に沿ふもの
 2、潮流に逆ふもの

 (下関に関連する人物(高杉晋作・白石正一郎・壇ノ浦合戦関係・大内氏など))
大内家の崩壊
 1、守護大名の愁
 2、大寧寺の煙
 3、瑠璃光寺の塔

 (山口の大内文化を歴代の人物と関連付けて) 
東沢瀉
 1、流謫(るたく)の儒者
 2、禅と陽明と

 (岩国の儒学者)
瀬戸内の「海賊」たち
 1、海賊の生成
 2、海賊の栄光と凋落

 (越智・村上などの「海賊」衆)

に分かれています。

故郷(父の赴任先の長崎市に生まれましたが、本籍地は岩国市)である山陽道の安芸あたりから周防長門を巡る歴史探訪の旅で、出会ったこと、旅先で感じたこと、読んだ文章、そこに生きた人々を綴ったエッセイ風の叡智に富んだ作品です。河上自身は、あとがきに「紀行文」であり「史伝」と記しています。

そして、ちょっとびっくりしたのは、旧仮名遣いの本だということ。河上の原稿どおりにしたのでしょうが・・・。
雑誌「新潮」に昭和50年5月から51年9月にかけて準連載の形で掲載されたものを一冊に纏めたものですが、「新潮」にはやっぱり旧仮名遣いで掲載したのだろうか、と疑問が湧きます。
今、中原中也記念館では、「坂口安吾と中原中也―風と空と」という企画展をやっていますが、そこに、展示してある「キング」第30巻第5号(大日本雄弁会講談社 昭和28(1953).4)掲載の作口安吾「人の子の親となりて」は、旧仮名遣いではありません!

濃い紺色の布でくるんだ素敵な本です!

さて、
森鷗外(18621922)生誕160年没後100年
樋口一葉(1872〜1896)・岡本綺堂(1872〜1939)・佐佐木信綱(1872〜1963)生誕150年
芥川龍之介(1892〜1927)・佐藤春夫(1892〜1964)生誕130年
吉川英治(18921962)生誕130年没後60年
正岡子規(1867〜1902)没後120年
横溝正史(1902〜1981)生誕120年
石川啄木(1886〜1912)没後110年
与謝野晶子(1878〜1942)・萩原朔太郎(1886〜1942)・北原白秋(1885〜1942)没後80年
久米正雄(1891〜1952)没後70年
柳田國男(1875〜1962)・室生犀星(1889〜1962)没後60年
川端康成(1899〜1972)没後50年
などなど・・・今年、周年記念を迎える文学者がいます。

中原中也記念館では、朔太郎を介した企画展「萩原朔太郎大全2022」(全国52ヶ所の文学館・美術館・大学等で開催)に参加されます揺れるハート
河上徹太郎の小企画展などは、開催されないのでしょうか?
蓄音器で聴く中也ゆかりの音楽 @ 2022年度「中原中也を読む会」 [2022年08月28日(Sun)]
9月23日(祝・金)、山口市吉敷地域交流センターで、2022年度中原中也を読む会「蓄音器で聴く中也ゆかりの音楽」が開催されますぴかぴか(新しい)

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▲2020年7月24日(祝・金)、中原中也を読む会「蓄音器で聴く中也ゆかりの音楽」にて

るんるん日 時るんるん 2022年9月23日(金・祝)13:30〜15:00
るんるん場 所るんるん 山口市吉敷地域交流センター 視聴覚室
るんるん参加費るんるん 無料
るんるん定 員るんるん 10名(要申込・先着順)
るんるん申込方法るんるん 手紙、電話、FAX、もしくはEメール、申込フォーム等で申込
るんるん主催・申込先るんるん 中原中也記念館
  山口市湯田温泉1-11-21
  電話 083-932-6430  fax to 083-932-6431
  https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfeHCsu2U1MvhR3ZTR1-B03yKycIwTgOEQ187ik8VpH2sAU7w/viewform
山口・福島 詩が結ぶ新たなきずな @ 福島県立博物館 特別講座「詩人のいる博物館 文学とミュージアム」  [2022年08月12日(Fri)]
9月3日(土)、福島県立博物館 令和4年度特別講座「詩人のいる博物館 文学とミュージアム」第1回「山口・福島 詩が結ぶ新たなきずな」がハイブリッド開催されますぴかぴか(新しい)

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るんるん日時るんるん 2022年9月3日(土)13:30〜15:30
るんるん場所るんるん 福島県立博物館 講堂 もしくは オンライン
    〒965-0807 福島県会津若松市城東町1-25
るんるん講師るんるん 和合亮一さん(詩人)、中原豊さん(中原中也記念館館長)
るんるん定員るんるん 来場・オンライン、それぞれ100名(要申込)

るんるん内容るんるん
今年度も福島市在住の詩人・ 和合亮一さんをホスト役講師にお招きし「詩人のいる博物館」 と題して3回に渡って開催します。今年度のテーマは「 文学とミュージアム」。

1回目となる今回は、中原中也記念館館長中原豊さんをゲストにお招きします。

中原中也記念館は、東日本大震災を契機に全国文学館協議会共同展示「3.11文学館からのメッセージ」の一環として、関東大震災など未曾有の事態に言葉で向きあった文学者の営みを紹介する企画展を開催してきました。また、中原さんは、被災地の文学館や諸団体と交流し、独自の震災復興応援企画においてその活動を紹介してきました。

山口県出身の詩人・中原中也のことはもちろん、 和合さんと中原館長が言葉で結んできた「山口と福島のきずな」に ついてもさまざまなお話をご紹介いただけそうです。

https://general-museum.fcs.ed.jp/page_events/special

るんるん参加費るんるん 無料 
るんるん参加方法るんるん 来場参加とオンライン参加
るんるん申込方法るんるん
 (1)会場参加の方
  福島県立博物館に電話または受付カウンターで申込
   電話 0242-28-6000
 (2)オンライン参加の方
  メールにて、@事業名、A参加者氏名、B電話番号、CZOOM 情報受け取り希望e-mail アドレスを明記の上、申込
   mail to general-museum@fcs.ed.jp
るんるん申込開始るんるん 2022年8月3日(水)
るんるん申込締切るんるん 2022年9月3日(土)12:00

るんるんその他るんるん
※新型コロナウイルスの感染拡大状況により予定が変更になる可能性もありますので、あらかじめご了承ください。
※ご参加の際はマスクの着用にご協力ください。当日体調に不安がある場合は参加をご遠慮ください。
『白痴 デジタルリマスター版』上映 & 坂口綱男トークイベント @ 中原中也記念館 特別企画展 「坂口安吾と中原中也―風と空と」関連上映 & イベント [2022年08月05日(Fri)]
8月7日(日)、山口情報芸術センターで、中原中也記念館 特別企画展 「坂口安吾と中原中也―風と空と」関連上映 & イベントとして、坂口安吾原作の映画『白痴 デジタルリマスター版』の上映と「坂口綱男トークイベント」が開催されますぴかぴか(新しい)

るんるん日時るんるん 2022年8月7日(日)
  10:30〜12:56 映画『白痴 デジタルリマスター版』上映
  13:00〜    坂口綱男トークイベント
るんるん会場るんるん 山口情報芸術センター 2F スタジオC
       山口市中園町7-7
るんるん料金るんるん 一般1,300円 any会員・特別割引・25歳以下800円
  ※特別割引:シニア(65歳以上)と障がい者および同行の介護者が対象


かわいい『白痴』(1999年/日本/146分)
 監督・脚色:手塚眞
 出演:浅野忠信、甲田益也子、橋本麗香、草刈正雄、藤村俊二、江波杏子
 
 YCAMシネマ『白痴』 その他の上映日程
  8月3日(水)12:15〜14:41
  8月4日(木)15:40〜18:06
  8月5日(金)13:55〜16:21
  8月6日(土)12:30〜14:56 
    ※上映終了後15:00〜、本作監督・手塚眞による舞台挨拶


かわいい坂口綱男〈さかぐち・つなお〉かわいい
1953年8月、群馬県桐生市に作家 坂口安吾の長男として生まれる。新潟市「安吾 風の館」館長、写真家、エッセイスト。


かわいい手塚眞(てづか・まこと)かわいい
1961年東京生まれ。高校時代から映画制作を始め、数々のコンクールで受賞。以後、映画・テレビ等の監督、イベント演出、本の執筆等、創作活動を全般的に行っている。 1985年『星くず兄弟の伝説』で商業映画監督デビュー。1999年『白痴』がヴェネチア国際映画祭で上映され、デジタル・アワード受賞。テレビアニメ『ブラック・ジャック』では2006年東京アニメアワードTV部門優秀作品賞受賞。2019年『ばるぼら』がFANTAFESTIVAL最優秀作品賞、LUSCA FANTASTIC FILM FEST監督賞受賞、 著作に『父・手恷。虫の素顔』(新潮社)他がある。


『白痴』(坂口安吾/著 中央公論社 1947(昭和22).5.10)
  初出:『新潮』第四十三巻第六号(1946(昭和21).6.1)
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かわいい三潴末雄〈みづますえお〉(ミヅマアートギャラリーエグゼクティブ・ディレクター)と 坂口綱男による公開対談も開催されますぴかぴか(新しい) 

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坂口安吾と中原中也を起点にして、芸術のこと、お二人のエピソードなど、ざっくばらんにお話しいただきます。文学に限らず、アート全般に興味のある方にもおすすめです。

るんるん日時 8月6日(土)18:00〜19:00予定(開場17:30)
るんるん会場 山口市菜香亭(山口県山口市天花1-2-7)
るんるん定員 50名(要予約・先着順)
るんるん申込方法 電話または下記申し込みフォーム
      電話 083-932-6430 
      https://forms.gle/E6J3nA58KwwTDMHS7
るんるん締切 8月4日(木)または定員に達した場合
 ※締切日を過ぎていますが、ご希望の方は問い合わせてみてください。
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