鳥の詩 @ 中原中也記念館 屋外展示
[2020年06月23日(Tue)]
今年度の中原中也記念館の屋外展示は「鳥の詩」です
前期(5月〜10月)は、「夏と私」「閑寂」「夜明け」の三つの詩が展示されています
「夏と私」
真ツ白い嘆かひのうちに、
海を見たり。鷗[かもめ]を見たり。
高きより、風のただ中に、
思ひ出の破片の翻転するをみたり。
夏としなれば、高山に、
真ツ白い嘆きを見たり。
燃ゆる山路を、登りゆきて
頂上の風に吹かれたり。
風に吹かれつ、わが来し方に
茫然[ばうぜん]としぬ、……涙しぬ。
はてしなき、そが心
母にも、……もとより友にも明さざりき。
しかすがにのぞみのみにて、
拱[こまね]きて、そがのぞみに圧倒さるる。
わが身を見たり、夏としなれば、
そのやうなわが身を見たり。
(一九三〇・六・一四)
初出は『桐の花』第15号(昭和5年10月)。昭和5年6月14日書かれた原稿が「ノート小年詩」に残されている。
深い悲しみを抱える〈私〉には、心の内の嘆きと、目の前に広がる夏の風景とが重なり合うように見えている。過去を思い悲嘆に暮れ、希望を前に何もなしえない自分、夏になるたび、そのような自分を見つめる〈私〉がいる。〈鷗〉の姿は、〈真ッ白い〉と表現された響きや、〈思ひ出の破片〉が翻るさまと呼応するかのようである。
「閑寂」
なんにも訪(おとな)ふことのない、
私の心は閑寂だ。
それは日曜日の渡り廊下、
――みんなは野原へ行つちやつた。
板は冷たい光沢(つや)をもち、
小鳥は庭に啼[な]いてゐる。
締めの足りない水道の、
蛇口の滴(しづく)は、つと光り!
土は薔薇色(ばらいろ)、空には雲雀(ひばり)
空はきれいな四月です。
なんにも訪(おとな)ふことのない、
私の心は閑寂だ。
初出は『歴程』第二次創刊号(昭和11年3月)。詩集『在りし日の歌』収録。
〈私の心〉を乱すものは何も無く、その心境を映すように静かな春の日の情景が断片的に描かれている。〈小鳥〉や〈雲雀〉の姿はわずかに音や動きを感じさせるが、それらも静けさの一部として存在する。(略)
「閑寂」は『サンデー山口』(第7225号 2020(令和2)年4月18日㈯号)の「詩の栞」No.13に掲載されていました。
▲2020年4月18日付『サンデー山口』(第7225号)「詩の栞」No.13
ぽっかりと空いた時間。屋外にはのどかな春の風景が広がっていますが、詩人はむしろ無為を楽しんでいるようです。俳人の山頭火は中也と直接会うことがなかったのですが、この詩の〈蛇口の滴は、つと光り!〉の一行について「これは俳句だ」と言ったと伝えられています。
中原中也記念館館長 中原 豊
「夜明け」
夜明けが来た。雀の声は生唾液(なまつばき)に似てゐた。
水仙は雨に濡れてゐようか? 水滴を付けて耀[かがや]いてゐようか?
出て、それを見ようか? 人はまだ、誰も起きない。
鶏(にはとり)が、遠くの方で鳴いてゐる。――あれは悲しいので鳴くのだらうか?
声を張上げて鳴いてゐる。――井戸端はさぞや、睡気(ねむけ)にみちてゐるであらう。
槽[おけ]は井戸端の上に、倒(さかし)まに置いてあるであらう。
御影石[みかげいし]の井戸側は、言[こと]問ひたげであるだらう。
苔は蔭[かげ]の方から、案外に明るい顔をしてゐるだらう。
御影石は、雨に濡れて、顕心[けんしん]的であるだらう。
鶏(とり)の声がしてゐる。遠くでしてゐる。人のやうな声をしてゐる。
おや、焚付[たきつけ]の音がしてゐる。――起きたんだな――
新聞投込む音がする。牛乳車(ぎうにうぐるま)の音がする。
《えー……今日はあれとあれとあれと……?………》
脣(くち)が力を持つてくる。おや、烏(からす)が鳴いて通る。
(一九三四・四・二二)
未発表詩篇。昭和9年4月22日制作。中也没後に『創元』第1輯(昭和21年12月)に掲載。
まだ誰も起きていない夜明けの風景。詩人は庭にあるさまざまな物たちが、それぞれに朝を迎える様子を思い描いている。そこへ〈雀〉〈鶏〉〈烏〉の声が入り込むことで、想像の世界に現実味が加わっていく。次第に人々が目覚め、賑やかになっていく一日の始まりを、想像と聞こえてくる音だけで表現した作品である。
中也の詠うたわいのない朝の情景のなんと愛おしいことか。
何気ない日常がどんなに大切なものであるか、今回のことで身にしみました。
5月18日までの1ヶ月余り鉄柵が閉まっていた中原中也記念館・・・傍を車や徒歩で通る度、とても寂しく思っていました。
自由に入ることのできる中庭は観光客や市民の皆さんの憩いの場でした。記念館に入るでもなく、椅子に座って本を読んだりしてくつろぐ人、中にはランチをする人もいたり・・・・・・そんな光景が戻るといいですね。
前期(5月〜10月)は、「夏と私」「閑寂」「夜明け」の三つの詩が展示されています
「夏と私」
真ツ白い嘆かひのうちに、
海を見たり。鷗[かもめ]を見たり。
高きより、風のただ中に、
思ひ出の破片の翻転するをみたり。
夏としなれば、高山に、
真ツ白い嘆きを見たり。
燃ゆる山路を、登りゆきて
頂上の風に吹かれたり。
風に吹かれつ、わが来し方に
茫然[ばうぜん]としぬ、……涙しぬ。
はてしなき、そが心
母にも、……もとより友にも明さざりき。
しかすがにのぞみのみにて、
拱[こまね]きて、そがのぞみに圧倒さるる。
わが身を見たり、夏としなれば、
そのやうなわが身を見たり。
(一九三〇・六・一四)
初出は『桐の花』第15号(昭和5年10月)。昭和5年6月14日書かれた原稿が「ノート小年詩」に残されている。
深い悲しみを抱える〈私〉には、心の内の嘆きと、目の前に広がる夏の風景とが重なり合うように見えている。過去を思い悲嘆に暮れ、希望を前に何もなしえない自分、夏になるたび、そのような自分を見つめる〈私〉がいる。〈鷗〉の姿は、〈真ッ白い〉と表現された響きや、〈思ひ出の破片〉が翻るさまと呼応するかのようである。
「閑寂」
なんにも訪(おとな)ふことのない、
私の心は閑寂だ。
それは日曜日の渡り廊下、
――みんなは野原へ行つちやつた。
板は冷たい光沢(つや)をもち、
小鳥は庭に啼[な]いてゐる。
締めの足りない水道の、
蛇口の滴(しづく)は、つと光り!
土は薔薇色(ばらいろ)、空には雲雀(ひばり)
空はきれいな四月です。
なんにも訪(おとな)ふことのない、
私の心は閑寂だ。
初出は『歴程』第二次創刊号(昭和11年3月)。詩集『在りし日の歌』収録。
〈私の心〉を乱すものは何も無く、その心境を映すように静かな春の日の情景が断片的に描かれている。〈小鳥〉や〈雲雀〉の姿はわずかに音や動きを感じさせるが、それらも静けさの一部として存在する。(略)
「閑寂」は『サンデー山口』(第7225号 2020(令和2)年4月18日㈯号)の「詩の栞」No.13に掲載されていました。
▲2020年4月18日付『サンデー山口』(第7225号)「詩の栞」No.13
ぽっかりと空いた時間。屋外にはのどかな春の風景が広がっていますが、詩人はむしろ無為を楽しんでいるようです。俳人の山頭火は中也と直接会うことがなかったのですが、この詩の〈蛇口の滴は、つと光り!〉の一行について「これは俳句だ」と言ったと伝えられています。
中原中也記念館館長 中原 豊
「夜明け」
夜明けが来た。雀の声は生唾液(なまつばき)に似てゐた。
水仙は雨に濡れてゐようか? 水滴を付けて耀[かがや]いてゐようか?
出て、それを見ようか? 人はまだ、誰も起きない。
鶏(にはとり)が、遠くの方で鳴いてゐる。――あれは悲しいので鳴くのだらうか?
声を張上げて鳴いてゐる。――井戸端はさぞや、睡気(ねむけ)にみちてゐるであらう。
槽[おけ]は井戸端の上に、倒(さかし)まに置いてあるであらう。
御影石[みかげいし]の井戸側は、言[こと]問ひたげであるだらう。
苔は蔭[かげ]の方から、案外に明るい顔をしてゐるだらう。
御影石は、雨に濡れて、顕心[けんしん]的であるだらう。
鶏(とり)の声がしてゐる。遠くでしてゐる。人のやうな声をしてゐる。
おや、焚付[たきつけ]の音がしてゐる。――起きたんだな――
新聞投込む音がする。牛乳車(ぎうにうぐるま)の音がする。
《えー……今日はあれとあれとあれと……?………》
脣(くち)が力を持つてくる。おや、烏(からす)が鳴いて通る。
(一九三四・四・二二)
未発表詩篇。昭和9年4月22日制作。中也没後に『創元』第1輯(昭和21年12月)に掲載。
まだ誰も起きていない夜明けの風景。詩人は庭にあるさまざまな物たちが、それぞれに朝を迎える様子を思い描いている。そこへ〈雀〉〈鶏〉〈烏〉の声が入り込むことで、想像の世界に現実味が加わっていく。次第に人々が目覚め、賑やかになっていく一日の始まりを、想像と聞こえてくる音だけで表現した作品である。
中也の詠うたわいのない朝の情景のなんと愛おしいことか。
何気ない日常がどんなに大切なものであるか、今回のことで身にしみました。
5月18日までの1ヶ月余り鉄柵が閉まっていた中原中也記念館・・・傍を車や徒歩で通る度、とても寂しく思っていました。
自由に入ることのできる中庭は観光客や市民の皆さんの憩いの場でした。記念館に入るでもなく、椅子に座って本を読んだりしてくつろぐ人、中にはランチをする人もいたり・・・・・・そんな光景が戻るといいですね。
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