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こどもと本ジョイントネット21・山口


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大道寺跡に行きました [2020年06月19日(Fri)]
金古曽にある大道寺跡に行きましたぴかぴか(新しい)

大道寺とは、1552(天文21)年8月28日、大内義長がイエズス会宣教師コスメ・デ・トレスに与えた書状(大道寺裁許状)の写しにある教会です。
フランシスコ・ザビエルの手紙にも

(略)領内で神の教えを説教する許可、信者になりたい者が信者となる許可を与えていただくこと以外に何も望まないと申しあげました。領主は大きな愛情をもって私たちにこの許可を与えてくださり、(略)これと同時に、学院のような一宇の寺院を私たちが住むようにと与えてくださいました。私たちはこの寺院に住むことになり、普通、毎日説教しましたが、神の教えの説教を聞きに大勢の人がやって来ました。(略)
(『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』「書簡九六」より抜粋)

とあり、当時すでに廃寺となっていた大道寺をザビエル一行の住居兼教会として与えたそうです。
その大道寺跡といわれているところが、今はサビエル記念公園になっています。

「聖ザビエル記念公園」石碑。
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「サビエル記念公園」案内板。
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 フランシスコ・サビエル(一五〇六〜一五五二)は天文十八年(一五四九)に、キリスト教を布教するために鹿児島に上陸、天文十九年(一五五〇)十一月、京都へ布教に行く途中山口に立ち寄り、京都へ向かったが、戦乱で乱れていたため、天文二十年(一五五一)四月、政情の安定した山口に再び訪れ、大内義隆に布教の許しを願いでました。義隆は許可を与え、サビエルの住居に廃寺であった大道寺を与えました。ここを宿所として、サビエルは毎日街に出て布教に当たっていたといわれています。
 明治二十二年(一八八九)フランス人アマトリウス・ビリヨン神父は、山口におけるサビエルの遺跡、特に大道寺跡について探求し、現在の公園の地をその跡と考え、有志の協力で土地を買い求めました。現在の山口市湯田温泉に生まれ、文学史上に大きな足跡を残した近代詩人中原中也の祖父で、医師中原政熊もその一人でした。
 そして大正十五年(一九二六)十月十六日、高さ十メートルにも及ぶ花崗岩にサビエルの肖像をはめ込んだサビエル記念碑が建立されました。
 しかし、この碑のサビエル肖像の銅板は、第二次世界大戦中に供出されました。現在の肖像は、昭和二十四年(一九四九)サビエル来山四百年記念祭を期し、サビエル遺跡顕彰委員会より委嘱された彫刻家河内山賢祐氏により作成されたものです。



聖サビエル記念碑
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昭和24年に作られた二代目のサビエル肖像の銅板です。
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平生町出身の彫刻家河内山賢祐制作です。
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湯田温泉の井上公園にある井上馨像と同じ作者です。
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亀山にも大道寺裁許状の碑がありますが、ここにもあります。
「大内義長の裁許状」碑
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「大内義長の裁許状」説明板。
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 天文二十年(一五五一)九月サビエルは弟子トルレスらに後事を託し九州へ去りました。その後陶氏の乱が起こり大内義隆は討死しました。陶晴賢が大友義鎮の弟をむかえ大内義長と名のらせて大内家を継がせました。
 この碑は、大内義長がトルレスに寺院建立の許可を与えた書状を銅板にしてつくられたものです。


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周防國吉敷郡山口縣大道寺事 
従西域來朝之儈 爲佛法紹隆
可創建彼寺家之由 任請望之旨 
所令裁許之状如件
 天文廿一年八月廿八日
  周防介 御判


周防の國吉敷郡(こほり)山口縣(あがた)の大道寺の事
西域より來朝の儈、佛法紹隆(しょうりゅう)の爲
彼の寺家(じか)を創建すべき、請望の旨(むね)に任せ 
裁許せしむる所の状件(くだん)の如し

周防の國吉敷郡山口縣にある大道寺において、西域よりこの国に来た僧(パードレ・司祭)達が、仏法(キリスト教)発展のために、寺家(教会・修道院)を創建するという要望に対し、その許可を与えることを証する。
 天文21年8月28日(1552年9月16日)
  周防介(大内義長)加判


この辺りを大道寺跡と比定したのは、1889(明治22)年に山口天主公教会に赴任したフランス人アマトス・ビリオン(羅:Amatus Villion)ことエメ・ヴィリヨン(仏:Aimé Villion)(1843〜1932)です。
彼は、山口におけるサビエルの遺跡、特に大道寺跡について探求し、1893(明治26)年頃、道場門前の阿部家旧蔵でその当時は光福寺の僧が所蔵する古地図のことを知りました。その地図に「大道寺」の書き込みがあることを見つけ、これを借り受け、複写させたといいます。
その時の原図は現在、所在不明で、複数の写本(『大内氏時代 山口古図』)のみ現存しています。

ヴィリオン神父像
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こちらも河内山賢祐の制作。
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なお、説明板には、「ピリヨン神父」と書かれていますが、碑には「ヴィリオン神父像」と入っています。
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中也(1907〜1938)の母フクは叔父中原政熊の養女で、政熊夫妻はカトリックの信徒でした。
中也の弟 中原思郎の『兄中原中也と祖先たち』(審美社 1970.7)には、ビリヨン神父の思い出や、中也が23歳(1930)の時に、友人安原喜弘と京都、奈良で遊んだ折に、奈良にいたビリヨン神父を訪ねたことが書かれています。
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 私の家にはビリオン神父がよくやってきた。蝙蝠のような黒い衣服を大きくひろげて、「おばけがきた!」とか「あーりがたい」とかいって玄関から入ってきた。私たち子供を見つけると、後ろ向きにさせて、首筋から何物かを入れる。それは背中をすべり落ち帯のあたりでとまる。飴玉であったり、ビスケットであったり、時には五厘銭であったこともある。
(略)
 東京時代、二十三歳のとき、友人安原喜弘さんと一緒に奈良に遊び、同地のカトリック教会にビリオン神父を訪ねたとき、祭壇の前で礼拝する身ぶり手ぶりは型にはまっていたといわれる安原さんの証言はうなずける。
(『兄中原中也と祖先たち』「兄中原中也」「聖体」P.80〜81)
(注:中原思郎は「ビリオン神父」と表記しています。)


公園はきれいに管理されていて、花壇の花もきれいでした。
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山口赤十字病院と仁壁神社の間、石州街道沿いに「ザビエル公園」道標があり、石碑が公園への目印になっています。
石碑に彫られている字は、山口市出身の俳人 兼ア地橙孫によるものだそうです。
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ザビエル公園
日本最初の教会大道寺址
聖師像 裁許状碑 ビリヨン像



傍には「五拾壱番お大師様」の祠がありました。
山口八十八ヶ所の一つです。
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1998(平成10)年度、山口市教育委員会は、サビエル記念公園内で「大道寺」に関わる調査をしました。その結果、キリスト教関係の遺物は一点も出土しなかったそうです。
なお、その報告書の中で『山口古図』の大道寺の位置は、陸上自衛隊山口駐屯地の南端に近い部分だと推定されるとしています。
陸上自衛隊山口駐屯地の中には「日本のクリスマス発祥地」の説明板があります。
4052C9C7-6949-4535-BB8C-ACB18532F9B5.jpeg陸上自衛隊山口駐屯地内

1552年(天文21年)12月24日、山口の宣教師コスメ・デ・トルレスは、山口の司祭館に日本人信徒を招いてクリスマスの祝いを催しました。その場所が、現在の陸上自衛隊山口駐屯地付近であっただろうと推測されています。トルレスらにとっては来日して以来4回目のクリスマスでしたが、初めて日本人信徒とともに祝ったこの日は、日本初のクリスマスといわれています。



参考文献:
『山口市史 史料編 大内文化』(山口市 2010)
  P299「聖フランシスコ・ザビエル全書簡」書簡九六
  P997〜1000「大道寺跡」
  付録「山口古図」(「山口県文書館蔵 軸物史料218」の復刻)「解説」(国守進)  
『山口県文書館蔵「山口古図」』(マツノ書店 1975.1)
  ※安部家旧蔵図転写本(山口県文書館蔵 軸物史料219)の複製
  「解説」(石川卓美) 
『大内氏時代山口古図』(山口県文書館蔵)
  ※「軸物史料218」は山口県文書館の「高画質画像ダウンロード」サイトでインターネット公開しています。
『ビリヨン神父の生涯』(狩谷平司/著 稲畑香料店・稲畑商店 昭和13)(復刻版 大空社 1996)
  「大道寺の遺跡」「貴重なる地図」
『山口市の石仏・石塔(2)―大殿・白石・湯田―』(山口の文化財を守る会/編 山口市教育委員会 2004)
  P58「大殿の諸佛」No.17
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