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こどもと本ジョイントネット21・山口


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神福寺に行きました@ [2020年06月20日(Sat)]
八幡馬場にある神福寺に行きましたぴかぴか(新しい)
大内氏の時代は、神宮寺神光寺と呼ばれていました。
足利義稙(当時は、義尹)が山口下向の折、滞留していたということで知られています。

足利義稙像 東京国立国会図書館 (2).jpg
足利義稙像(摸本)(東京国立博物館蔵)

『大内氏時代山口古図』(大正12年写)(山口県文書館蔵 軸物史料219)には、「七尾山」の麓に「神光寺」と示され、

後ニ足利義稙ノ滞留地ナリ
明應九年足利義澄二打負ケ山口ニ敗走大内義興取立
永正五年中国九州二於攻登リ義澄ヲ再攻シテ亡シテ
義尹ハ義稙公ト成テ四海ヲ納
之ヨリ大内義興執見トナリ日本ヲ暫ク納メル


と添書きがあります。

『大内氏實録』巻十 世家十 義興によると、
大内氏実録 巻第10 世家第十一 義興 (2).png
▲『大内氏実録』巻十 世家十 義興(国立国会図書館蔵)

(明応)癸丑の歳(1493)、将軍足利義尹(始義材)細川右京太夫政元の幽する所なりしが、後北国に奔り、丁巳の歳(1497)兵を挙げ政元等を討伐せしに、反て彼に敗られて遂に来奔し、偏に大内家の忠勤を頼み思召すとの事となりければ、山口の請じ今八幡宮の宮司坊神光寺を其居館とす。

神光寺は上宇野令村江良の七尾山の麓に在り、明治三年長山平蓮寺を合併して今は神蓮寺と云ふ。当時は今八幡宮鎮座の亀山の右側の地に在りて、其後面の地宮野下村の内にかけて字を御屋敷と云ふ。義尹卿の館址なりと云ひ伝ふ。按るに当時神光寺大地なりといへども、将軍の居館には猶狭小なりしかば、地つゞきに建築しそへし故にこの名あるらん。

九年庚申春三月五日、(略)本日、将軍を居館に迎へ饗す。

将軍内書を中西国九州の諸族に賜ふ。義興これに添書して将軍家に忠勤のことを申達す。

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▲足利義稙像(等持院蔵)((九州国立博物館 特別展「室町将軍 ― 戦乱と美の足利十五代 ― 」にて撮影)

『義隆記』(『群書類従』巻394 合戦部26)にも、
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▲『群書類従』巻394 合戦部26「義隆記」(国立国会図書館蔵)

明応十年三月十六日ニハ恵林院殿御下向アル永正四年八月マテ九年ノ間御滞留マシマシテ御上洛

とあります。
『明応九年三月五日将軍御成雑掌注文』(毛利博物館蔵)は、明応9年3月5日(1500年、現在の4月)、大内氏館にて、義興が足利義稙(室町幕府第10代前将軍)をもてなした記録です。
『義隆記』の「明応十年」は間違いだとしても、下向の年月は定かではないようです。

寺の由緒や将軍滞留のことなどの案内板がどこにもなく、残念でしたもうやだ〜(悲しい顔)

神福寺は、(大内弘盛により)建久年間(1190〜98)の創建といわれております。 開山上人に舜誉宥玄僧正を招き、神宮寺と号しました。後に大内弘家公により再建され、日輪山神光寺に改められました。大内氏は、盛見公や政弘公をはじめとして、愛染明王の信仰に篤く、毎年六月朔日に近隣の密教寺院の僧を集め、愛染講を修めていたと、寛文元年の寺伝に記されています。
この神光寺の時代が、明治初年まで続き、長久山平蓮寺(長山(亀山)にあった寺です)と合併して、神蓮寺 。
明治41年に先代の宮城真雄僧正の再建により岩国の妙福寺と合併して神福寺になりました。昭和4年に山号も日輪山から西高野山へ変わりました。

神福寺HPより)

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「木造十一面観音立像(神福寺)」案内板。
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 この仏像は、中国唐代の作で大内氏の祖、百済国の琳聖太子がから来朝の際、持ってきたものと伝えられています。総高45センチメートル程の立像ですが、山口県内では一番古く、彫法の精緻なことで有名です。十一面観音は千手観音と同じく変化観音の一つで現世利益の菩薩です。十一面観音は頭上に十一面の化仏を載くが、この像では多くが脱落してわずかに五面を残すだけです。国の重要文化財に指定されています。
 なお、秘仏であるので、いつもは堂の奥深くにまつられていて、直接拝することはできません。

 
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昔、母に連れられてよくお詣りに来ていたお寺です。
すっかり新しくなっていてこんなお寺だったのか、一カ所を除いて全く記憶がないのですが、境内はとてもきれいにされいて気持ちのいいお寺です。
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ソテツがあります。ソテツを見ると、大内氏ゆかりのお寺って気がしますね。
ソテツについては「大内氏館(12)ソテツとシャクヤク」を読んでください。
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本堂は建て替えられていました。
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屋根瓦には大内菱が入っています。
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C934C4D2-8DA4-434ほ7-B5E5-AF497512B1FE.jpeg本堂 
5F1F8FA6-741D-470D-B0F4-A150AC0503FD.jpeg位牌堂 

灯籠。
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鐘楼。
鐘がありません!
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参考文献:
『足利義稙像』(松尾文友(模)明治7)(東京国立博物館蔵)
  ※東京国立博物館「研究情報アーカイブズ」でインターネット公開されています。
『大内氏時代山口古図』(山口県文書館蔵)
  ※「軸物史料218」は山口県文書館の「高画質画像ダウンロード」サイトでインターネット公開しています。
『郷土読本 ふるさと山口』(郷土読本「ふるさと山口」編集員会/編 山口市教育委員会 1991)
  P51図版「山口古図」
『山口県文書館蔵「山口古図」』(マツノ書店 1975.1)
『山口市史 史料編 大内文化』(山口市 2010)
  P206〜10「明応九年三月五日将軍御成雑掌注文」
『大内氏実録』(近藤清石/著 中元壮作、宮川臣吉 1885)(国立国会図書館蔵)
『群書類従』巻394 合戦部26「義隆記」(国立国会図書館蔵)
  ※以上2点は国立国会図書館のデジタルコレクションでインターネット公開しています。



【次回に続く】
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