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こどもと本ジョイントネット21・山口


〜すべての子どもに本との出会いを〜

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雲谷庵に行きましたA [2020年06月04日(Thu)]
【前回の続き】

雲谷庵は、明治時代の初めに取り壊され跡地は畑になっていましたが、1884(明治17)年に郷土史家の近藤清石が中心となって有志と図り、再建しましたぴかぴか(新しい)
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その際、大内時代の古材を集めて一宇を再建したそうです揺れるハート
 
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『雲谷菴誌』(近藤清石/著 1884(明治17).9/編集 1884(明治17).12/出版)(山口県文書館蔵 吉田樟堂文庫))を手がかりに一つずつ見ていきましょう。

かわいい仁平寺楼門の柱
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仁平寺については、「仁平寺跡に行きました」で紹介しましたが、『大内飯器』(近藤清石/著 1912(明治45))(山口県文書館蔵 近藤清石文庫)に

仁平寺ハ仁平年中ノ創建にて。年号を以て寺号にせりという旧刹にて。

とあるように仁平年間(1151〜54)に創建したといわれる寺です。現在別の場所に建つ仁平寺の案内板に

仁平寺は明治初年(一八六八)頃には全く荒廃して、僅かに観音堂のみ残り明治三年(一八七〇)十月一八日には小鯖村禅昌寺にひきとられた。

とあることから、近藤清石らが雲谷庵を再建した1884(明治17)年には仁平寺の塔宇はなかったはずです。
では、この柱はどこにあったのでしょうか。『大内飯器』に

寺のもの多く氷上山に伝はたりバ。蓋(けだし)楼門も仁平寺よりうつせるならん。

とあり、興隆寺に移築した仁平寺の楼門の柱を持って来たのでしょうか?
『雲谷菴誌』に次のようにありました。

楼門柱及び楼上窓扇。仁平寺廃後移氷上山。明治十五年頽破。本菴太柱及茶室戸是也。

AC1B7E8E-41FE-4034-A56C-25F9CAE8DD6D.jpeg現在の興隆寺中興堂(釈迦堂)


かわいい旧観音寺の窓
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観音寺は「洞春寺A観音堂 @ 香山公園G」で書いたことがあります。
5E842B02-CA78-441F-BB70-EF1F1D9A5AC0.jpeg滝の観音寺仏殿 
5A352E37-6A04-417A-861F-AB73D2A7801A.jpeg滝の観音寺仏殿花頭窓

1430(永享2)年大内持盛を開基とする滝の観音寺(後に勝音寺と改まり、さらに江戸時代になって、大通院と改まりました)の仏殿は、大正4年に洞春寺の境内に移築されました。


かわいい高嶺宮(山口大神宮)の蟇股
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かわいい興隆寺の僧房の扉
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かわいい大内氏別宅の菊水紋
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かわいい宝現霊社拝殿の柱
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宝現霊社については「大内氏館(16)龍福寺V宝現霊社」で触れました。
77276F48-0FDE-4513-9165-BDA6C6911F16.jpeg現在の宝現霊社


かわいい小野為八が描いた龍
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長州藩の砲術師範だった小野為八(1829(文政12)〜1907(明治40))は、等魁という画号を持つ雲谷派の絵師でもありました。
維新後写真家としても活躍し、小野為八の撮った萩城の写真は有名です。
1875(明治8)年山口に写真館を開いたといわれていました。
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だだ、今では明治20年前後に旧士族の松原繁が写真館として建築したと考えられ、その後現在の河村写真館に変わったというのが定説のようです。


かわいい板戸の絵。
この板戸のことはどこから持って来たのでしょうか?『雲谷菴誌』には載っていませんが・・・・・・。
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玄関のたたきは敷瓦になっていていました。
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庵敷地内には、一段高くなったところがあり、そこからは塀の上から瑠璃光寺五重塔が眺められます。
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五重塔がきれいに見えました!
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雪舟はここ雲谷庵の軒端に香積寺の五重塔を望みながら絵筆をふるっていたといいます。
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手水鉢。
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池。
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引き込み水路。
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今年は雪舟の生誕600年です。
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茅葺屋根の一部を新調したそうで、明らかに屋根の色が違います。
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『サンデー山口』第7213号 2020年3月7日「【やまぐち深発見紀行】No.183「大殿・『雲谷庵跡』改修工事経て再公開」


雲谷庵を出て、少し北を行くと祠がありました。
太師堂で山口八十八ヶ所の「第八十七番」です。
弘法大師像(30cm 丸彫坐像)が祀ってあります。
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参考文献:
『山口市の石仏・石塔(2)―大殿・白石・湯田―』(山口の文化財を守る会/編 山口市教育委員会 2004)
  P62「大殿の諸佛」No.28
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