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こどもと本ジョイントネット21・山口


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師成親王の墓 @ 大内政弘の墓&法泉寺跡に行きましたC [2020年05月12日(Tue)]
【前回の続き】

政弘の墓の近くに師成(もろなり)親王の墓があるというので、行ってみましたぴかぴか(新しい)

現地に標識などないので、要注意です。
こんな時に先ほどあった現地案内図が役に立ちますわーい(嬉しい顔)
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大内政弘の墓を左手に見て右折して進みます。
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道らしきものがないので、少し不安です。
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しばらく草叢(?)を進むと、杉林の中、左手に墓が見えてきます。
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ありましたひらめき
こちらが師成親王の墓所です。
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師成親王の墓。
宝篋印塔です。
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師成親王(1361(正平16/康安元)〜)は、後村上天皇の第五皇子で、南朝の親王です。
出家して臨済宗仏光派に属し、竺源恵梵(じくげん えぼん)と号しました。
1399(応永6)年10月義弘が足利幕府軍と戦った「応永の乱」では、義弘と共に堺で戦いました。12月義弘は堺で討死し、翌1400(応永7)年2月山口に逃れ、法泉寺に入り、同寺に住した後、伊勢南陽寺に住し、後また、山口に帰り、薨去したといいます。
歌人としても優れていた師成親王は教弘の和歌の師となり、自分の叔父の宗良親王の遺した歌集『李花集』を自ら書写し、1452(享徳元)年教弘が賜ったというがことが、『李花集』の奥書に書かれています。

此本書、先師兵部卿師成親王出家号恵梵筆跡也、教弘相伝之、
  旹享徳改元仲冬廿日
      多々良朝臣(大内教弘)印判


李花集 宗良親王 (2).png
『李花集 : 宗良親王御集』(宗良親王/著 紅玉堂書店/出版 昭和2)国立国会図書館蔵)

伊勢の南陽寺にいたというのは、『新葉和歌集』の奥書でわかります。

応永卅年三月書写之、于時勢州安芸郡栗真庄南陽寺泉昌庵、行年六十三
同四月三日、以耕雲自筆本校合了、
(略)
  応永卅弐年月日  釈竺源叟恵梵志之


山口で薨去したという周防説は、現在では有力ではないようですが、師成親王が書写した『新葉和歌集』や『李花集』は大内氏に相伝され、その文芸活動に少なからず影響を与えたことに間違いありません。

師成親王の墓でないとすれば、誰の墓でしょうか?


参考文献:
御薗生翁甫 「師成親王と崇光院三ノ宮法泉寺方丈」(『大内氏史研究』(山口県地方史学会 1959))
『山口市史 史料編 大内文化』(山口市 2020)
  P617〜8「新葉和歌集富岡本」
  P618「李花集」
『李花集 : 宗良親王御集』(宗良親王/著 紅玉堂書店/出版 昭和2))
  国立国会図書館デジタルアーカイブでインターネット公開されています



【次回に続く】
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