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こどもと本ジョイントネット21・山口


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大内氏館(16)龍福寺V宝現霊社 @ 大内氏遺跡指定60周年記念バスツアー2019㉛ [2020年04月20日(Mon)]
【前回の続き】

山門をくぐり、境内に入ります。
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左手に宝現霊社があります。
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「宝現霊社」説明板。
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宝現霊社は大内氏の祖琳聖太子から三十一代の大内義隆をまつる祀で、龍福寺の鎮守として、ここに建立されている。
この社殿は最初大内教弘公が築山館に創建したのが始まりで、敬神崇粗の念の篤い大内氏歴代当主によって、各忌日で祭祀がなされてきた。
江戸時代には毛利氏により祭祀がなされていたが、明治になって一時多々良神社と称したこともある。
現在の社殿は今から二百五十年余り前の江戸時代中頃の建築で、両側に大内氏の家紋大内菱がついている。


確かに大内菱、あります揺れるハート
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教弘が築山館に創建し、琳聖太子から義隆を祀る、とありますが、いや〜、確か、宝現霊社って、違ったような……。教弘は確かに築山館を造りましたが。

山口市文化財保護課の『山口市指定文化財概要 〜 建造物 〜』によると築山館跡にある「築山神社」の項に、

BA49AA49-119B-4140-83F2-6E72B4269B0E.jpeg築山神社 46E75DF2-53C3-4258-8205-4C3BF8EE2F52.jpeg

築山神社は、慶長10年(1605) 毛利輝元が上宇野令村(現山口市)の多賀神社境内にて大内義隆などの霊を祀った「宝現霊社」がはじめと伝えられている。その後、同村龍福寺境内、同村片岡に、さらに明治3年(1870)12月には現在地(筆者註:築山跡に移され、徳川家康、市川少輔七郎等が合祀された。 現在地は大内教弘が築いた大内氏の別邸の跡地である。

そうそう、宝現霊社は、
@1605(慶長10)年毛利輝元が大内義隆などの霊を祀り創建 
A多賀神社境内(創建) → 龍福寺境内 → 片岡 → 築山跡 と遷座 
B1870(明治3)年、大内義隆を祀る宝現霊社と氷上山興隆寺の境内にあった1742(寛保2)年の建立といわれている氷上東照宮の社殿を築山館跡地に移転し、合祀し、築山神社と改称
そうですよね。そう思っていました。

山口ふるさと伝承総合センター 古地図シリーズC 「幕末山口市街図」(1865(慶応元)年〜1868(明治元)年頃)には「宝現霊社」について、

慶⻑10年(1605)⽑利輝元が多賀社境内に大内義隆、公卿等を祀り創建。その後龍福寺境内に移転、⽂政11年(1828)この地に移りました。明治2年興隆寺境内から八坂神社そばに移転した東照宮社殿を、明治3年本殿として、築山神社と改称しました。市文化財指定される⾒込みです。
(※筆者註:築山神社は2018(平成29)年8月22日 市文化財に指定されました)

と説明があり、伊勢小路をはさんで、北側に多賀神社と南側に宝現霊社が記載されています。

『寺社由来』(1741(寛保元)年)の「山口町 竜福寺」(山口県文書蔵 寺社由来815)に

輝元公(略)尤義隆公を当寺の鎮守二被成候、宝現霊社の神号被仰請候て御崇敬被遊候、寺内え社を立今以て社領御付、毎年高橋数馬祭礼執行仕候て御札守差上申候

と、輝元が龍福寺内に義隆を祀る宝現霊社を建てたと書いてあります。

いずれも、龍福寺にある説明「大内教弘公が築山館に創建」とかなり違いますが……。

また、龍福寺にある龍福寺資料館には、宝現霊社に伝わる板絵の扁額が展示してあり、そこには、大内氏の祖といわれる琳聖太子を中心に大内氏歴代計27名の肖像が描かれています。義隆は手に杓を持たない束帯姿で描かれています。


では、多賀神社の方はどうでしょうか。

多賀神社は近江の多賀大社の御分霊を勧請した古社で、創建年月は不明である。永和年間(1375〜78)に大内弘世が社殿を建立し、さらに大内義興が永正9年(1512)に重建した。永禄12年(1569)の大内輝弘の乱で社殿が焼失し、慶長15年(1610)に毛利輝元が再興した。
社殿はもと水の上にあったが、昭和24年、山口大神宮境内に遷座した。祭神が国生みの神であることから、延寿・安産の神として庶民に親しまれ、さらに縁結び、学業成就などの信仰を集めている。
山口大神宮「多賀神社」HPより引用)

ただ、『室町戦国日本の覇者 大内氏の世界をさぐる』(大内氏歴史文化研究会/編 勉誠出版 2019)「大内氏の都・山口」(増野晋次)P115「表2 中世の史料において確認できる山口の寺社」神社11に

多賀神社 建立年代:天文年間 一五三二〜五五 所在地:上竪小路 初見年代:天文二十? 一五五一? 初見史料:大内義隆記

とあったのが、気になります。
そこで、『大内義隆記』(『群書類従 巻第三九四 合戦部二六』(検校保己一集))を読んでみました。
義隆が、宇佐神宮再建したり箱崎宮を厳島神社など多くの寺社を手厚く保護したことが述べられ、続けて、

山口ニ於イテハ春日明神多賀ノ社大中モチノ神マテモ吉田ノ神主兼右ヲ召シ下レテ是ヲ勧請有テ天文十三年三月二ハ神道ノ行事ヲ(略)

とあります。ということは、やっぱり多賀社は義隆が勧請???

1569(永禄12)年に社殿が焼失し1610(慶長15)年再興した多賀神社境内に1605(慶⻑10)年に宝現霊社を建てるというのも、なんだかなあ、という感じでもありますがく〜(落胆した顔)
『大内氏館跡12』(山口市教育委員会 2011)P256には、

多賀社文庫『山口竜福寺宝現霊社御建立之事』(山口県文書館所蔵 多賀社395)によれば、大内義隆を祀る宝現霊社を龍福寺から多賀社に移したのは慶⻑10(1605)年のことであり、

同じく、P259にも、

当初は、毛利輝元が大内氏の顕彰に積極的に関わるものの、(略)益田元祥に寺社を与え、義隆を祀る宝現霊社を(龍福寺から)多賀神社へ移すなど、

とあり、1605年に既に建てられていたことになり、ますます???となってしまいますちっ(怒った顔)

同じく、P256に

『防長寺社證文』『防長寺社由来』巻3の龍福寺の項に、益田元祥が山口町奉行の児玉元友に宛てた書状(横折)を収録する。慶長12年の龍福寺復興以降の書状とみられ、慶長年間の龍福寺破却に直接関わるものではないが、多賀社に移された鎮守社を再び龍福寺にもどしてほしいとの寺の願いに対し、当職役として元祥が沙汰した旨が記される。

とあります。
きちんとした史料を読み込む必要がありそうです。


山口ふるさと伝承総合センターの地図で見ていくと……。
地図シリーズ@『山口古図』(山口県文書館蔵)(江戸時代に作成された原図の写しといわれる地図)を見ると、多賀神社は、「国清寺門前町」の角にあります。
地図シリーズA『山口市街古図』(山口県文書館蔵)(元禄3〜14年(1690 〜1702))にも、常栄寺への道そばに見えます。

多賀(社)
近江の多賀大社の分霊を勧請した古社で、永和年間(1375〜79)大内弘世が社殿を建⽴、⼤内⽒・⽑利⽒から厚く崇敬されました。昭和24年⼭⼝大神宮境内に遷座。延寿・安産の神様として親しまれてきました。


地図シリーズB『山口町村図』(山口県文書館蔵)(江戸時代・幕末頃)にも、常栄寺への道角に見えます。



かわいい古図を持って歩いてみようかわいい
まず片岡小路に行ってみましょう。
今回は、築山跡から出発です。
築山小路。
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この小路が、石原小路、片岡小路、春日山への道です。
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石原小路
上竪小路と下竪小路の境、築山跡前を西へ一の坂川へ抜ける道筋が石原小路です。
16646F6C-7D25-47B0-B860-3DBC3F9CEE34.jpeg竪小路側 ACE7D60C-2342-4E86-85B2-3E01F1A97778.jpeg

大内御殿に続く五番丁と六番丁の武家屋敷を石原氏の住居から石原小路と呼んだ。古くは八坂神社の大宮司松田氏が居住し松田殿小路ともいわれた。

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一の坂川に架かる春日橋を渡って
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片岡小路
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片岡小路はとても雰囲気のある通りで
『大内氏時代山口古図』(山口県文書館蔵 軸物史料218)には、

片岡小路 町屋
此町筋吉敷朝倉海道ト云


とあり、大内氏の頃は朝倉から吉敷に通ずる街道(地図の「海道」は「街道」の誤字?)で、重要な道だったと思われます。
大内氏の重臣には片岡氏という名前は見当たりませんが、それかどの人物が屋敷を構えていたような趣のある通りです。
面白い屋根瓦などあったり、ここに宝現霊社があったかも……、という感じです。
「長山・春日山」=「丘」=「岡」への道ということかもしれませんね。

では、多賀神社は、現在の洞春寺への道と県庁との間あたりということで、
次は、伊勢小路を目指して。

伊勢大路。
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大内義興が伊勢大神宮を勧請した山口大神宮への参道として命名された。古くからの参道に町屋敷が並び伊勢門前町ともいわれ一の坂川沿いには伊勢小路の名も残る。

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伊勢橋。
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伊勢小路。
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地図の宝現霊社の場所には、武徳殿(現在は、山口県警察体育館)が建っています。
大日本武徳会の柔剣道場として1930(昭和5)年に建設されました。老朽化したので建て替えたそうで、最初の建物はいつ建ったのか気になるところです。
住所は、「山口市後河原片岡」。そうなんです。片岡ですexclamation×2
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南方向を見れば、片岡小路です。
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向こう側が、多賀神社跡です。
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国道9号を渡って、多賀神社跡まで行ってみましょう。
武徳殿は現役の体育館なので頼もしい建物です。
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これが、洞春寺(かっての国清寺、常栄寺の時代もありました)への道。
「国清寺門前町」といっていた時代もありましたが、今は香山通りといいます。
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こちらが多賀神社跡。
住所表記は「水の上」です。
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歴史を感じさせる大きなソテツがあったのが印象的でした。
これって、大内氏が植えたもの? まさかですけど。
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築山跡が見えてきました。
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築山小路に帰ってきました。
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再び「錦の御旗」の地図を使わせていただいて地図を作ってみました。
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参考文献:
『幕末山口市街図』(山口県文書館蔵 袋入絵図178)
 ※山口県文書館のサイトでインターネット公開されています。
『大内氏時代山口古図』(山口県文書館蔵 軸物史料218)
 ※山口県文書館の「高画質画像ダウンロード」サイトでインターネット公開されています。
『大内義隆記』(『群書類従 巻第三九四 合戦部二六』(検校保己一集))
 ※国立国会図書館のデジタルコレクションでインターネット公開されています。
『山口町 竜福寺』(山口県文書館蔵 寺社由来815)
山口ふるさと伝承総合センター 古地図シリーズ@『山口古図』
山口ふるさと伝承総合センター 古地図シリーズA『山口市街古図』
山口ふるさと伝承総合センター 古地図シリーズB『山口町村図』
山口ふるさと伝承総合センター 古地図シリーズC『幕末山口市街図』



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