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こどもと本ジョイントネット21・山口


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大内氏館(4)池泉庭園(2号庭園) @ 大内氏遺跡指定60周年記念バスツアー2019R [2020年04月08日(Wed)]
【前回の続き】

大内氏館跡の南東部では池泉庭園が発見されましたぴかぴか(新しい)

発掘の成果をもとに、遺構が損なわれることのないように埋め戻した後に、約50p嵩上げをし、史跡や周辺の発掘調査で出土した石を使用して復元し、2011(平成23)年8月から一般公開されています。
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水深は30p程度です。
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この庭を作るため、敷地が20m拡張されたことも分かっています。
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この辺りから鴻ノ峰がよく見えます。
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この池が造られた頃は高嶺城は築かれていませんでした。
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北側からの眺め。
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「池泉」説明板。
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 中島のあるひょうたんのような形をした池で、大きさは南北約40m、東西約20mあります。池の縁には護岸のための石が並べられた部分があります。水は土塁上から池へとつながる水路から引き込み、南西側に排水したものと考えられます。西側の護岸が直線的であることから、この付近に池をながめる建物があったと考えられます。この池は1400年代末につくられ、1500年代中頃まで使われました。

南東上空からみた発掘調査中の池泉。
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中島をいろいろな角度から見てみました。
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土塁の上に植えてあるツゲの部分には、当時は板塀がありました。
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池の水は東側の土塁の上から引かれています。
水はけがの良いため、邸外から水を引いて来るには多くの労力が必要だったそうです。
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水が橋をくぐって池に入り込むような仕組になっています。
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排水はこちらからのようです。
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池泉の北側の護岸の石組は室町時代からのものです。
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31次調査時の石組護岸と比べてみると・・・。
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植栽されている植物の種類は、中世の文献などを参考にしているそうです。
なかでも、ソテツは、『蔭涼軒日録(いんりょうけんにちろく)(京都相国寺塔頭鹿苑院蔭涼軒歴代の日記(1435〜1493年))の長享二年(一四八八)九月十六日の条に

興文首座話して云う。大内の庭にそてつと云う草あり。高麗より来たる。かぶより葉出でて、一間にはばかるほどなり。ぜんまいの大なるような者なり。

と「大内邸にソテツがあった」とあることから、池の東側に植えられていますひらめき
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史跡大内氏館跡 池泉庭園
大内氏館跡池泉庭園.jpg大内氏館跡池泉庭園A.jpg 
大内氏館跡池泉庭園B.jpg大内氏館跡池泉庭園C.jpg

 中世の周防山口を拠点として活躍した大内氏の館は、山口市大殿大路の地にありました。大内氏が領国経営を行う守護所としての政治的拠点であり、経済・文化の中心でもありました。昭和34年(1959)、館跡は大内氏遺跡のひとつとして国の史跡に指定され、昭和53年(1978)から発掘調査が行われています。
 館跡では、室町時代に作られた庭園の跡が少なくとも3か所で確認されています。現存する中世庭園は、後世の改修によって元の姿を留めない例が多いのに対し、大内氏館跡のような発掘庭園は、当時の庭園様式をうかがい知ることができ、きわめて重要です。
 史跡指定地の南東部に位置する池泉庭園(2号庭園)は、館内の庭園遺構としては最大規模を誇り、平成4・5年度(1992〜3)の第13・14発掘調査で発見され、平成18年度(2006)に再発掘されました。

調査の概要  
 1400年代おわり頃に作庭され、2度以上にわたる改修を経た後、大内氏が滅亡する1500年代中頃に廃絶したことが分かっています。
 南北39m、東西20m(約490u)で、ヒョ ウタン形の池の中ほどに中島が浮かび、東岸の石組水路から導水していました。排水施設や池底の防水施設は発見されていません。
 池の西岸が直線的となることから、庭園を眺める会所などの建物が存在したのかもしれません。また、南東岸で発見された石基礎建物は、池泉庭園の改修時に建てられており、庭を鑑賞する施設のひとつだった可能性があります。
 池泉の南西岸で発見された石組井戸からは、金箔を貼った京都系土師器皿が出土しました。

整備の概要
 発掘された遺構を埋め戻した後に嵩上げをし、水をたたえた庭園として復元整備しました。 整備対象としたのは、1500年代前半〜中頃の様子です。



【次回に続く】
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