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こどもと本ジョイントネット21・山口


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町並み資料館 @ 国木田独歩の足跡を訪ねてE [2020年08月23日(Sun)]
前回の続き

「柳井市古市金屋伝統建築物群保存地区」のプレート。
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町並み資料館(柳井ふれあい館)ぴかぴか(新しい)
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柳井市町並み資料館(松島詩子記念館)は、周防銀行本店として、長野宇平治の高弟 佐藤節雄の設計により、1907(明治40)年に建てられました。
周防銀行はその後合併を重ね、最後は、山口銀行柳井支店となりました。
(株)山口銀行から平成10年末に柳井市に寄贈され、平成13年から、1階は「町並み資料館」として、また、2階は柳井市出身の歌手 松島詩子さんの「松島詩子記念館」として公開されています。
明治期の銀行の重厚な姿を今に伝える洋風建物の一つとして、国の登録有形文化財となっています。

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「国木田独歩ゆかりの地」プレート
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明治の文豪、国木田独歩が柳井で過ごしたのは、明治25年から27年で、独歩が20歳から23歳の頃にあたります。多感な青年時代を過ごした柳井地方は独歩にとって第二の故郷であり、かつ独歩文学の揺籃の地でもありました。柳井地方を舞台にした作品も数多く残されており、光台寺周辺を散歩していた時によく出会った美しい少女をモデルにした名作『少年の悲哀』や『置土産』などがあります。独歩記念館として保存されている独歩旧宅のほか、「読書の戒」をはじめとした文学碑も、柳井での見どころのひとつとなっています。

資料館玄関の左右には、独歩ファン必見のものが!
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国木田独歩の像
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  国木田独歩の像
   山本辰昭・作
 明治の文豪・国木田独歩(1871〜1908)は、20歳から23歳までの多感な青年期を父母とともに、ここ柳井に過ごしました。「柳井」を国許と呼び、帰国するとか、帰省するなどと記しています。
 数ある作品の中で、短編「少年の悲哀」「置土産」は柳井での生活がモチーフとなっています。 
 ここに建つ像は、22歳の頃の写真をもとに制作したものです。銘板の「山林に自由存す」は、独歩の直筆を複製し刻んだものです。



台座「山林に自由存す」
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山口市亀山に建つ「山林に自由存す」詩碑と同じ字ですね。
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文学碑「読書の戒め」
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独歩が、田布施町麻里布の浅海家に仮寓していた1891(明治24)年、近所の石崎ゆり・みねの二少女に「よく勉強するように」と書き与えたのが『読書の戒』です。

独歩が浅海家にいたころユリは小学校三年生、ミネは一年生であった。ある日独歩は次の文章を書いて与えた

  読書の戒
書を読むは多きを貪るにあらず 唯章句熟読を要す 静思すること久しければ義理自然に貫通す

 二人とも小学校から帰ると独歩のいる部屋に入り込んで遊んだ。そのためよく勉強せよといって書いてくれたのではないかとユリ・ミネさんが語っていた。二人とも大切にもっていたが、浅海家の火災やユリの朝鮮引揚げのときに紛失した。

(『青年時代の国木田独歩』(谷林博/著 柳井市立図書館 昭和45.7.10))


資料館の受付の人に聞きました。
「独歩旧宅に行ってきたとこですが、他に、独歩関係のみどころありますか?」と聞いたところ、
「ああ、市山医院のところね・・・。独歩一家は、引っ越しを繰り返しているし・・・・・・。特に、ないですね。」
との言葉。盛り上がっているのは私だけでしょうか。でも、パンフレットはゲットしました。
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受付の人は素っ気なかったのですが、ここ、柳井市町並み資料館は、もともとは、周防銀行本店であり、それ以前は、独歩の両親が麻郷から柳井に転居して初めて借りた家が建っていた場所です。
1891(明治24)年12月のことです。

国木田家が初めて借りた家は、柳井津町第四百三十五番地(現在の金屋町の山口銀行柳井支店)の敷地内であった
(『青年時代の国木田独歩』(谷林博/著 柳井市立図書館 昭和45.7.10))

父専八は、独歩と収二はそのまま浅見家に残し、妻まんと二人で柳井町本町の堀江貞助(通称平貞、柳井津町第四百三十五番)方の別宅(現在の金屋町の山口銀行柳井支店の敷地内)に寄遇する。
(『国木田独歩―山口時代の研究―』(桑原伸一/著 笠間書房 昭和47.5.30)P.68)

平貞の店がまえは、暖簾をのき先に下げた昔風の店、右側の土間の奥へ通り抜けると誓光寺の麓に近く部屋があった。この部屋の前は中庭で、小池もあり、石のそり橋が架けられていた。部屋は八畳、六畳の二間、前廊下があって、なかなかこった建物であった。専八氏はこの部屋を借りて住んでいた。
(『柳井と独歩』(神田継治/著 昭和32.2))(神田継治「柳井と独歩」(『柳井地方史研究』柳井市立図書館 昭和44.6.25)))


後ろに見えるのが誓光寺
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1892(明治25)年2月下旬頃、独歩の両親は柳井津町山根 神田静治の借家に転居しました。

弟収二と共に両親の許柳井村第一千四十一番地(山根)の神田静治(現原田一恵住居広さ約十九・三坪)に移り、
(『国木田独歩―山口時代の研究―』(桑原伸一/著 笠間書房 昭和47.5.30)P.69)

ということから、ここに独歩の両親は約3ヶ月暮らしたことになります。


【次回に続く】
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