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こどもと本ジョイントネット21・山口


〜すべての子どもに本との出会いを〜

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桂弥一の旧宅を訪ねました @ 下関市長府 [2019年11月24日(Sun)]
下関市長府の檀具川そばにある桂弥一の旧宅に行きましたぴかぴか(新しい)

実は間違って、こちらの橋を渡って行ったものですから、たどり着くのに大変でした。
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こちらが玄関への道。
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家の前に説明板(石碑)があります。
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桂弥一旧宅
桂弥一は嘉永二年(一八四九)十一月、長府藩士桂助左衛門の子として、長府侍町に生まれた。
少年時代は、乃木無人(乃木希典)と共に私塾集童場に学び、二人は終生深い友情に結ばれた。
晩年に至り、功山寺境内に尊攘堂(現長府博物館)を建設。
また無名の志士の忠魂碑として、万骨塔を建立した。
この旧宅には桂を慕う各界の多数の知名士が訪れたが、昭和十四年彼は八十九歳の生涯をここで終えた。

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玄関横の「桂彌一翁之旧宅」の碑。
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玄関を入ると、「開山堂」という扁額にびっくりします。
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長府にある覚苑寺(かくおんじ)の開山の悦山禅師の筆らしいですが…。
悦山禅師は黄檗宗大本山萬福寺の第七代管長を務めています。
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そして、馬と鹿の彫刻。
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桂弥一が愛用した手押車。
パンフレット置きになっていました。
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桂が建立した尊攘堂(旧長府博物館)と万骨塔の写真。
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木戸孝允の軸。
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田中義一の額。
至誠一貫」。
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山縣有朋の額。
号の「含雪」が読めます。
千紫萬紅」。色とりどりに咲く花。
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尾崎行雄の額。
淵黙而雷聲」。
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この椅子は当時のままの椅子だそうで、乃木大将も座ったらしいです。
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報国隊の絵図を出してきてくださいました。
下関市郊外 椋野報国隊陣屋址□略図 慶應元年 起工
と書かれていますが、これは、後に書かれたものでしょう。
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『國郡全図』も出してきてくださいました。
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青生東谿翁著
國郡全圖
張府 書賈 東壁堂發兌


とあります。
青生東谿(あおうとうけい)は、尾張国の人で薬種商を営んだ豪商で、文政11年(1828年)および天保8年(1837年)にのちの分県地図の先駆けとなる『国郡全図』を刊行しました。
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マンシユ」「カンシユ」「長府」「前田」「赤間関」「下関」「ホソヱ」「竹崎」「椋野」「幡生」「住吉社」「一宮」「秋根」「熊野」「ヒエ田」など知っている下関の地名があります。
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桂弥一旧宅は、今は、Sさんという食事処になっています。
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帰りに忌宮神社の方へ歩いていると、桂弥一が学んだ集童場跡がありました。
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集童場設立の地
文久二年(一八六二)に福田扇馬が設けた家塾「桜柳亭」を母体とし 元治元年(一八六四)三月藩士熊野則之らが藩に請願 古江小路に藩校「集童場」が設立された。
 十五歳以上の藩士子弟を対象とした藩校「敬業館」に対し 集童場は十五歳以下の少年で 身分の別なく時勢の求める人材を育成しようとするもので 長府の松下村塾ともいうべき存在であった。
 塾に学んだ者の中には明治を代表する人物 乃木希典 長府博物館の設立者 桂彌一 日本のマッチ王と呼ばれた瀧川辨三などがある。
 のちに集童場は敬業館と統合 現在県立豊浦高校へと受けつがれている。

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その先に忌宮神社。
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