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こどもと本ジョイントネット21・山口


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洞春寺A観音堂 @ 香山公園G [2018年10月14日(Sun)]
【前回の続き】

観音堂

山口市水の上町の洞春寺の境内にあります。

説明版
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この観音堂は、永享二年(一四三〇)大内持盛を開基とする滝の観音寺の仏殿として創建されたものであるが、大正四年にこの洞春寺の境内に移されたものである。
 桁行三間、梁間三間、一重もこし付き 入母屋造り、こけら葺(昭和二五年の解体修理の際、銅板葺に変更)の唐様の建物で、正面に桟唐戸さんからど、左右に花頭窓があり、外部下層の棰のない化粧板軒は、全国的にも例が少なく珍しいものである。上層の化粧軒は大疎棰おおまばらだるきであるが、これは下層の板軒に対し、上を軽く見せる工夫である。内部の構造は簡素であるが、細部の斗栱ときょうや絵様などに見るべきものがある。床は唐様の四半敷瓦である。岩屋造り厨子は当時のままのもので、本尊は聖観音菩薩である。


桁行三間(7.97m)、梁間三間(7.51m)の一重裳階(もこし)付の建物で、入母屋造りです。
もとは杮(こけら)葺《木材の薄板を用いて施工する板葺のこと》でしたが、昭和25年の解体修理の際、銅板葺に変更されました。
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建物の手法は禅宗様です。
柱の上下に粽(ちまき)《柱の上下端が細まり丸められたもの》
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窓が特殊な曲線をもつ華頭窓(かとうまど)《上部が尖頭アーチ状の窓》
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扉が桟唐戸(さんからど)《框(かまち)の中に桟を組み、その間に薄板や連子をはめた扉》
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内部の床は土間で、床は「四半敷瓦」、
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木鼻には渦巻きの彫刻など、従来の和様の寺とは違う手法が見られます。
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また下層の軒が板軒であること、上層の垂木が大まばら垂木であることなども特異です。
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内部の須弥壇(しゅみだん)および岩屋造りの厨子(ずし)も建物と同時代のものとされ貴重です。
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内部に塑造竜岡玄珠禅師坐像があります。
竜岡玄珠は、1430(永享2)年に大内持盛が観音寺を創立したとき、開山として迎えられました。
像は観音寺に祀られていましたが、1915(大正4)年に観音堂を洞春寺に移築した時、移されました。
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写真ではよく見えませんが、木造石屏子介禅師坐像がその左側にあります。
ヒノキ材の寄木造です。
石屏子介は、香積寺の開山となりました。

木造大内義弘坐像木造大内盛見坐像木造大内持盛坐像も置かれている筈ですが、今はいらっしゃいませんでしたもうやだ〜(悲しい顔)
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七如来(南無宝勝如来、南無妙色身如来、南無廣博身如来、南無離怖畏如来、南無甘露王如来、南無阿弥陀如来)が刻まれた碑
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手水
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ボダイジュ
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かわいい観音堂の歴史かわいい

観音堂は、

坊州路吉敷郡大梅山観音禅院永享二年開闢開山竜岡玄珠大和尚
同開起大内持盛公法名芳林道継大禅門


と、厨子裏板墨書銘にあるように、1430(永享2)年に大内持盛が開基となり、開山を竜岡玄珠とする観音寺の仏殿として建てられました。観音寺は後に勝音寺と改まりました。
その境内は山口市瀧(滝)(山口県警本部裏手)にありました。
1433(永享5)年、持盛が豊前国篠崎で戦死した後、菩提寺となりました。

江戸時代に毛利熙元(ひろもと)(元就の曽祖父)の菩提寺となり、大通院と改称されましたが、幕末には衰退して当堂一宇だけが辛うじて残っていました。

その後荒廃が甚だしくなったので、1915(大正4)年に現在地に移築され、現在に至っています。



【次回に続く】
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