中原中也を読む会「蓄音機で中原中也と同時代の音楽を聴く」に参加しました(1)
[2026年03月09日(Mon)]
2月27日(金)、山口市湯田地域交流センターで開催された中原中也を読む会「蓄音機で中原中也と同時代の音楽を聴く」に参加しました

中原中也旧蔵ではありませんが、中原中也記念館所蔵のコロムビア製の蓄音機でSPレコードを聴きました。

中原中也記念館には、中原中也または中原家旧蔵の他、安原喜弘文庫と山口市児童館旧蔵のSPレコードがあるそうです。
山口市児童館のレコードには、「山口市教委」のラベルが貼ってあります
その中から2月生まれの作曲家
3日 フェリックス・メンデルスゾーン(1809〜1847)
ドイツ
のロマン派作曲家で、ピアノ曲「無言歌集」や「ヴァイオリン協奏曲」などが有名です。
23日 ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル (1685〜1759)
ドイツ
生まれのバロック音楽の作曲家で、オラトリオ「メサイア」などの作品で知られています。
29日 ジョアキーノ・アントーニオ・ロッシーニ (1792〜1868)
イタリア
生まれの作曲家で、歌劇「セヴィリアの理髪師」が有名です。
の3人の作品の中から中原豊中原中也記念館館長がセレクトされた曲を聴きました
ロッシーニ
歌劇 『セヴィリアの理髪師』より
「序曲」(The Barber of Seville Overture)
指揮
アルトゥーロ・ トスカニーニ(Arturo Toscanini)
演奏
ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団(the Philharmonic-Symphony Society of New York) ※後に、ニューヨーク・フィルハーモニックへ改称
録音
1929年11月21日
発売
日本ビクターレコード株式会社
原作は18世紀フランスの喜劇作家ボーマルシェのいわゆる「フィガロ三部作」と呼ばれる『セビリアの理髪師』、『フィガロの結婚』、『罪ある母』の第一作にあたります。
・
メンデルスゾーン
『無言歌集』(Songs without Words)より
第5巻6番「春の歌」
第4巻4番「心の悲しみ」
ピアノ
カール・ウルリッヒ・シュナーベル(Karl Ulrich Schnabel) オーストリア生まれ
録音
1934年
「無言歌集」はメンデルスゾーンが生涯にわたって作曲したピアノ独奏のための作品集で、全8巻からなり、各巻6曲ずつで合計48曲が収められています。
今回聴いたのは12インチ盤のSPレコードで、これは中原館長の所蔵だそうです。

中原中也(1907〜1937)には、「言葉なき歌」という詩があります。
1936年の『文学界』12月号に発表されました。
言葉なき歌
中原中也
あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼(あを)く
葱(ねぎ)の根のやうに仄(ほの)かに淡(あは)い
決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女(むすめ)の眼(め)のやうに遥かを見遣(みや)つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい
それにしてもあれはとほいい彼方(かなた)で夕陽にけぶつてゐた
号笛(フイトル)の音(ね)のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない
さうすればそのうち喘(あへ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいてゐた
ポール・ヴェルレーヌには詩集『言葉なき恋歌』(Romances sans paroles)があります。
ランボーとの旅の間に制作された24の詩篇よりなり、ランボー傷害事件で入獄中に1874年に出版されました。
中也の「言葉なき歌」はヴェルレーヌの『言葉なき恋歌』が意識されていると思われます。
また、中也は「河上に呈する詩論」にこう記しています。
子供の時に、深く感じてゐたもの、――それを現はさうとして、あまりに散文的になるのを悲しむでゐたものが、今日、歌となつて実現する。
元来、言葉は説明するためのものなのを、それをそのまゝうたふに用うるといふことは、非常な困難であつて、その間の理論づけは可能でない。
大抵の詩人は、物語にゆくか感覚に堕する。
短歌が、ただ擦過するだけの謂はば哀感しか持たないのは、それを作す人にハーモニーがないからだ。彼は空間的、人事的である。短歌詩人は、せいぜい汎神論にまでしか行き得ない。人間のあの、最後の円転性、個にして全てなる無意識に持続する欣怡の情が彼にはあり得ぬ。彼を、私は今、「自然詩人」と呼ぶ。
真の「人間詩人」、(ベルレーヌの如き)と、自然詩人の間には無限の段階がある。それを私は「多くの詩人」と呼ばう。
「多くの詩人」が其他の二種の詩人と異るのは、彼等にはディストリビュションが、詩の中枢をなすといふことである。
彼等は、認識能力或は意識によつて、己が受働する感興を翻訳する。この時「自然詩人」は感興の対象なる事象物象をセンチメンタルに、あまりにも生理作用で書き付ける。又此の時、「人間詩人」は、――否、彼は、常に概念を俟たざる自覚の裡に呼吸せる「彼自身」なのである。
五年来、僕は恐怖のために一種の半意識家にされたる無意識家であつた。――暫く天を忘れてゐた、といふ気がする。然し、今日古ぼけた軒廂が退く。
どうかよく、僕の詩を鑑賞してみて呉れたまへ。そこには、穏かな味と、やさしいリリシスムがあるだらう。そこに利害に汚されなかつた、自由を知つてる魂があるだらう。
そして、僕は云ふことが出来る。
芸術とは、自然の模倣ではない、神の模倣である!
(なんとなら、神は理論を持つてはしなかつたからである。而も猶、動物でもなかつたからである。)
千九百二十九年六月二十七日
Glorieux 中也
※ 「中原中也を読む会「蓄音器で聴く中也ゆかりの音楽」に参加しましたAメンデルスゾーン「無言歌ニ長調 作品109」」という記事を投稿しています
【次回に続く】
中原中也旧蔵ではありませんが、中原中也記念館所蔵のコロムビア製の蓄音機でSPレコードを聴きました。
中原中也記念館には、中原中也または中原家旧蔵の他、安原喜弘文庫と山口市児童館旧蔵のSPレコードがあるそうです。
山口市児童館のレコードには、「山口市教委」のラベルが貼ってあります
その中から2月生まれの作曲家
3日 フェリックス・メンデルスゾーン(1809〜1847)
ドイツ
23日 ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル (1685〜1759)
ドイツ
29日 ジョアキーノ・アントーニオ・ロッシーニ (1792〜1868)
イタリア
の3人の作品の中から中原豊中原中也記念館館長がセレクトされた曲を聴きました
歌劇 『セヴィリアの理髪師』より
「序曲」(The Barber of Seville Overture)
指揮
演奏
録音
発売
原作は18世紀フランスの喜劇作家ボーマルシェのいわゆる「フィガロ三部作」と呼ばれる『セビリアの理髪師』、『フィガロの結婚』、『罪ある母』の第一作にあたります。
『無言歌集』(Songs without Words)より
第5巻6番「春の歌」
第4巻4番「心の悲しみ」
ピアノ
録音
「無言歌集」はメンデルスゾーンが生涯にわたって作曲したピアノ独奏のための作品集で、全8巻からなり、各巻6曲ずつで合計48曲が収められています。
今回聴いたのは12インチ盤のSPレコードで、これは中原館長の所蔵だそうです。
中原中也(1907〜1937)には、「言葉なき歌」という詩があります。
1936年の『文学界』12月号に発表されました。
言葉なき歌
中原中也
あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼(あを)く
葱(ねぎ)の根のやうに仄(ほの)かに淡(あは)い
決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女(むすめ)の眼(め)のやうに遥かを見遣(みや)つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい
それにしてもあれはとほいい彼方(かなた)で夕陽にけぶつてゐた
号笛(フイトル)の音(ね)のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない
さうすればそのうち喘(あへ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいてゐた
ポール・ヴェルレーヌには詩集『言葉なき恋歌』(Romances sans paroles)があります。
ランボーとの旅の間に制作された24の詩篇よりなり、ランボー傷害事件で入獄中に1874年に出版されました。
中也の「言葉なき歌」はヴェルレーヌの『言葉なき恋歌』が意識されていると思われます。
また、中也は「河上に呈する詩論」にこう記しています。
子供の時に、深く感じてゐたもの、――それを現はさうとして、あまりに散文的になるのを悲しむでゐたものが、今日、歌となつて実現する。
元来、言葉は説明するためのものなのを、それをそのまゝうたふに用うるといふことは、非常な困難であつて、その間の理論づけは可能でない。
大抵の詩人は、物語にゆくか感覚に堕する。
短歌が、ただ擦過するだけの謂はば哀感しか持たないのは、それを作す人にハーモニーがないからだ。彼は空間的、人事的である。短歌詩人は、せいぜい汎神論にまでしか行き得ない。人間のあの、最後の円転性、個にして全てなる無意識に持続する欣怡の情が彼にはあり得ぬ。彼を、私は今、「自然詩人」と呼ぶ。
真の「人間詩人」、(ベルレーヌの如き)と、自然詩人の間には無限の段階がある。それを私は「多くの詩人」と呼ばう。
「多くの詩人」が其他の二種の詩人と異るのは、彼等にはディストリビュションが、詩の中枢をなすといふことである。
彼等は、認識能力或は意識によつて、己が受働する感興を翻訳する。この時「自然詩人」は感興の対象なる事象物象をセンチメンタルに、あまりにも生理作用で書き付ける。又此の時、「人間詩人」は、――否、彼は、常に概念を俟たざる自覚の裡に呼吸せる「彼自身」なのである。
五年来、僕は恐怖のために一種の半意識家にされたる無意識家であつた。――暫く天を忘れてゐた、といふ気がする。然し、今日古ぼけた軒廂が退く。
どうかよく、僕の詩を鑑賞してみて呉れたまへ。そこには、穏かな味と、やさしいリリシスムがあるだらう。そこに利害に汚されなかつた、自由を知つてる魂があるだらう。
そして、僕は云ふことが出来る。
芸術とは、自然の模倣ではない、神の模倣である!
(なんとなら、神は理論を持つてはしなかつたからである。而も猶、動物でもなかつたからである。)
千九百二十九年六月二十七日
Glorieux 中也
※ 「中原中也を読む会「蓄音器で聴く中也ゆかりの音楽」に参加しましたAメンデルスゾーン「無言歌ニ長調 作品109」」という記事を投稿しています
【次回に続く】
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