CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

こどもと本ジョイントネット21・山口


〜すべての子どもに本との出会いを〜

子どもと本をむすぶ活動をしています


検索
検索語句
<< 2020年11月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
最新記事
カテゴリアーカイブ
プロフィール

こどもと本ジョイントネット21・山口さんの画像
月別アーカイブ
最新コメント
タグクラウド
日別アーカイブ
https://blog.canpan.info/jointnet21/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/jointnet21/index2_0.xml
山口市の市章 @ 司馬遼太郎『街道をゆく1 甲州街道、長州路ほか』より「瑠璃光寺など」 [2018年09月20日(Thu)]
【昨日の続きです】

B8944658-4977-4411-AA78-A4F8009A769A.jpeg

そして、『街道をゆく』を読み返してみて、さらに、あれ?という箇所を見つけました。

 山口市の市章は、大内氏の紋所であった大内菱(おおうちびし)である。毛利氏の前の時代の国主だった大内氏の首都だったために、いまも山口市民にとってはその公家くげふうの文化が誇りであるようであった。

山口市の市章は、大内菱ではありません。少なくとも司馬遼太郎が訪れた当時は。

司馬遼太郎『街道をゆく』第1巻第5章は、「週刊朝日」の1971年5月14日号から7月9日号に連載され、旅の時期は1970(昭和45)年6月10日前後、だそうですから、当時は、お馴染みの山に口をデザインしたものでした。
山口市章.jpg


確かに山口市内のいたるところで、「大内菱」を見かけますが…。

▼大内菱
大内菱.jpg

▼大殿地域交流センターにある大内菱
FE35FCC7-BABB-4E82-BC1C-05E83D3BCD64.jpeg 

▼汚水のマンホールの蓋
58CCAA1F-C88B-4A32-AD8D-F7FA3CEC8830.jpeg

▼五重塔(第二層)
493A039D-4575-4AF9-84FA-121556A7B347.jpeg
D8003049-6621-4CCB-A497-2A271971716B.jpeg

▼築山神社の賽銭箱
IMG_7371.JPG

▼興隆寺・北辰妙見社(大内御堀)
F8F57C07-D929-4F5C-9EE9-8FD529BCD6C2.jpeg

FE534CEA-8F42-4154-9E73-93C4FE5F13D9.jpeg

▼大内弘世像(山口市香山公園内)
AD8FD03D-8886-4875-8C78-986E53E901F7.jpeg

▼大内塗
396C221E-BF23-4AB5-BCDD-963BC04C2D05.jpeg


司馬遼太郎は、どうして、大内菱を山口市の市章として認識したのでしょうか? 
誰かが伝えた?何か資料を見た?
疑問がふくらみます。

司馬遼太郎が「街道をゆく」を週刊朝日に連載していた当時、実家で、週刊朝日をとっていました。
(当時、週刊誌や月刊誌を自宅に配本してもらう、というのはそんなに珍しくなかった、と思います。)
で、リアルタイムに読んでいたのに、特に、市章の箇所で、「あれ?」と思った記憶もないし、熱心に読んでいた父も何も言っていなかった、と思います。

市のHPには、

市名「山口」をかたどり、太い円は広くすべてを抱擁する大和の精神と市勢発展に市民がたがいに協力する気持ちを表わしています。

とあるのみで、制定年などの情報は載っていません。
wikipediaによると、

旧・山口市制時の1944年11月5日に制定され、市制施行後に継承される
2代目の市章である


とあります。(正しくは1944年11月15日だと思います。(市章の制定 告示第33号))
じゃあ、1代目の市章は何?

そこで、私の大好きな『山口市史』を調べたのですが、よくわかりませんでした。
で、初めて、山口市立中央図書館のレファレスサービスを利用してみました。

とっても親切に対応してくださいました。

今の段階で、わかったこと。
「市報やまぐち」No.1000(1989年3月15日号)の4面に
「山口市公報 誕生 ■創刊号・昭和14年4月」と題して、創刊号の写真が掲載されているのですが、な、なんと、そのタイトルのバックシルエット(?)に大内菱が使われているのです!
もしかしたら、大内菱が市章として使われていたのかも?

さらに、調べてくださって、
「2代目市章とあるが、山口市が広域合併した際、旧山口市の市章を使用したことを、2代目という可能性もある」
とのことでした。
つまり、昭和19年以前は、市章がなかった可能性がでてきました。
ただ、なかったことを証明するのは、大変難しい……。

引き続いて、調べてくださるそうです。
トラックバック
※トラックバックの受付は終了しました
コメント