山口祇園祭2023(1)
[2023年07月19日(Wed)]
7月20日(木)より27日(木)までの8日間、山口祇園祭が開催されます
山口市上竪小路にある八坂神社の祭礼で、京都の祇園会(祇園祭)を模したものです。
社殿が水の上に遷った1459(長禄3)年が始まりといわれています。約565年の歴史があります。
祭りの準備で、幟旗や提灯が飾られていました。
昨年までの3年間、新型コロナウイルス感染拡大防止のため縮小して開催されていましたが、今年は、「裸坊」による御神輿の巡行、女神輿、山鉾(眞車山(しんぐりやま)と菊水鉾(きくすいぼこ))での祇園囃子の演奏、鷺の舞、浦安の舞、市民総踊り、御旅所(山口市駅通り1)での鷺替行事(福引き)、少林寺拳法の演武など、各種の神事・行事が4年ぶりに完全開催されるとのことで、心が躍ります。
鷺の舞が舞われる「扇の芝」も幕が張られたりして準備がされていました。
拝殿では、大殿小児童が「浦安の舞」の練習をしていました。
浦安の舞は、市内の大殿小と白石小の5年生女子が毎年持ち回りで披露します。
ご祭神は、素盞嗚尊(すさのをのみこと)・稲田姫命・手名槌命・足名槌命。
南北朝時代の1369(応安2)年大内弘世(1325〜1380)が京都の祇園社(現在の八坂神社)から勧請し、1370(応安3)年に祇園社を建立したといいます。最初の鎮座地は、竪小路と伝えるが詳らかではありません。
1459(長禄3)年大内教弘(1420〜1465)のとき上宇野令向水の上に移設。香積寺門前・一の坂川の木町橋から下流右岸一帯にかってエノキの森があり、そこが祇園社の古跡だったといいます。
1519(永正16)年大内義興(1477〜1529)が高嶺太神宮(現在の山口大神宮)の創建にあたり、鴻ノ峯の麓の大神宮境内に社殿を移設。翌1520(永正17)年に社殿を新築(一部は従前のもの)。
『高嶺太神宮御鎮坐伝記』には、「水の上は家が多く、穢れの恐れあり」とあります。
※義興が伊勢皇太神宮のご分霊を勧請したのは、1520(永正17)年です。
幕末の1863(文久3)年毛利敬親(1819〜1871)が萩より山口に藩庁を移す(山口移鎮)に際し、警備上の問題から、1864(元治元)年社殿を旧築山館跡で当時畑であった現在地に遷座、本殿は解体移設し、拝殿と楼門は新築。
社号は長く「祇園社」でしたが、「神仏判然令」を受け1869(明治2)年に「八坂神社」と改称しました。
神紋は「五瓜に唐花(ごかにからはな)」(「木瓜(もっこう)」)。
模様が、キュウリを輪切りにしたものと似ているので、関係者は8日間キュウリを食べません。
上記にあるように、本殿は、室町時代の1520(永正17)年に大内義興が建てたものです。
永正17年の棟札が残っています。
1917(大正6)年特別保護建造物に編入され、1929(昭和4)年国宝建造物となり、1950(昭和25)年国指定重要文化財となりました。
本殿の周囲に配されている13個の蟇股は、優美な形で、室町時代特有の厚みと精緻な彫刻を良く表わしています。また、変化に富んだ他に類例の少ない珍しい図柄(花や果物、雲など)が彫刻されています。
室町時代の延徳4年(1492)の大内家壁書に、「祇園会の時築山に上っての見物は禁止する」とあることから、すでにその頃には、大がかりで賑やかな祭礼であったようです。
▼パンフレット「山口祇園 八坂神社」
2023年7月18日(火)、八坂神社にて撮影
山口市上竪小路にある八坂神社の祭礼で、京都の祇園会(祇園祭)を模したものです。
社殿が水の上に遷った1459(長禄3)年が始まりといわれています。約565年の歴史があります。
祭りの準備で、幟旗や提灯が飾られていました。
昨年までの3年間、新型コロナウイルス感染拡大防止のため縮小して開催されていましたが、今年は、「裸坊」による御神輿の巡行、女神輿、山鉾(眞車山(しんぐりやま)と菊水鉾(きくすいぼこ))での祇園囃子の演奏、鷺の舞、浦安の舞、市民総踊り、御旅所(山口市駅通り1)での鷺替行事(福引き)、少林寺拳法の演武など、各種の神事・行事が4年ぶりに完全開催されるとのことで、心が躍ります。
鷺の舞が舞われる「扇の芝」も幕が張られたりして準備がされていました。
拝殿では、大殿小児童が「浦安の舞」の練習をしていました。
浦安の舞は、市内の大殿小と白石小の5年生女子が毎年持ち回りで披露します。
ご祭神は、素盞嗚尊(すさのをのみこと)・稲田姫命・手名槌命・足名槌命。
南北朝時代の1369(応安2)年大内弘世(1325〜1380)が京都の祇園社(現在の八坂神社)から勧請し、1370(応安3)年に祇園社を建立したといいます。最初の鎮座地は、竪小路と伝えるが詳らかではありません。
1459(長禄3)年大内教弘(1420〜1465)のとき上宇野令向水の上に移設。香積寺門前・一の坂川の木町橋から下流右岸一帯にかってエノキの森があり、そこが祇園社の古跡だったといいます。
1519(永正16)年大内義興(1477〜1529)が高嶺太神宮(現在の山口大神宮)の創建にあたり、鴻ノ峯の麓の大神宮境内に社殿を移設。翌1520(永正17)年に社殿を新築(一部は従前のもの)。
『高嶺太神宮御鎮坐伝記』には、「水の上は家が多く、穢れの恐れあり」とあります。
※義興が伊勢皇太神宮のご分霊を勧請したのは、1520(永正17)年です。
幕末の1863(文久3)年毛利敬親(1819〜1871)が萩より山口に藩庁を移す(山口移鎮)に際し、警備上の問題から、1864(元治元)年社殿を旧築山館跡で当時畑であった現在地に遷座、本殿は解体移設し、拝殿と楼門は新築。
社号は長く「祇園社」でしたが、「神仏判然令」を受け1869(明治2)年に「八坂神社」と改称しました。
神紋は「五瓜に唐花(ごかにからはな)」(「木瓜(もっこう)」)。
模様が、キュウリを輪切りにしたものと似ているので、関係者は8日間キュウリを食べません。
上記にあるように、本殿は、室町時代の1520(永正17)年に大内義興が建てたものです。
永正17年の棟札が残っています。
1917(大正6)年特別保護建造物に編入され、1929(昭和4)年国宝建造物となり、1950(昭和25)年国指定重要文化財となりました。
本殿の周囲に配されている13個の蟇股は、優美な形で、室町時代特有の厚みと精緻な彫刻を良く表わしています。また、変化に富んだ他に類例の少ない珍しい図柄(花や果物、雲など)が彫刻されています。
室町時代の延徳4年(1492)の大内家壁書に、「祇園会の時築山に上っての見物は禁止する」とあることから、すでにその頃には、大がかりで賑やかな祭礼であったようです。
▼パンフレット「山口祇園 八坂神社」
2023年7月18日(火)、八坂神社にて撮影
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