鰐鳴八幡宮
[2021年09月12日(Sun)]
山口市上小鯖の鰐鳴八幡宮、通称 小鯖八幡宮は、参道の桜並木、彼岸花が有名です
9月10日に行ってみましたが、さすがにまだ、彼岸花は咲き始めというところでした
社伝によれば、平安時代中期、大分県の宇佐八幡宮から勧請したと伝えられ、神霊を宇佐に迎えに行っての帰途、山口湾から椹野川を遡り、山口の鰐石に上陸したとき、ここまで従い来ていた鰐が別れを惜しんで鳴いたという故事によって鰐鳴八幡宮といいます。
大内FANとしてのチェックポイントは、
@貞治6(正平22)(1367)年の銘のある板碑
A『防長風土注進案』に文安5(1448)年の大内教弘(1420〜1465)の社領安堵状がみえること
B楼門に大内義隆家臣の相良遠江守武任筆と伝わる三十六歌仙の歌が掛けられていること
小鯖の板碑
板碑は塔婆の一種で鎌倉時代から江戸時代初期頃まで多くつくられている。板状の石を使っているのが普通であるが、必ずしも板状のものばかりでなく厚みのある角柱状のものもある。
小鯖のこの板碑は自然石で、高さは約二メートルある。正面上部に三つの梵字があり、上が阿弥陀如来、右が聖観音、左が勢至菩薩である。下に貞治六年丁未九月甘六日と刻してあるが、貞治は北朝年号で、六年は南朝の正平二十二年(一三六七) に当る。
山口県下には記年銘のある板碑は少なく市内では最古唯一の板碑である。
地上100cm部分の断面は、前面及び背面各50cm、右側33cm、左側34cmでほぼ長方形で、下部に台座などはなく、地中に埋め込んであります。
はっきりは分かりませんが、正面上部に3つの梵字があり、その下に「僧国俊貞治六年丁未九月廿六日敬白」の刻銘があります。
2020年10月4日撮影
1367(正平22/貞治6)年といえば、大内弘世の治世の時代です。1363(正平18/貞治2)年、北朝の室町幕府に再び帰服しました。
三十六歌仙の歌(大内義隆家臣、伝相良遠江守武任筆)
相良武任(さがらたけとう)(1498〜1551)といえば大内義隆に対して弁明した「相良武任申状」が有名です。
文人として優れていたそうですから、もしかして・・・。でも、ほとんど消えかかっていていて、残念な状態です
「相良武任申状」については、「築山大明神U @ 築山跡G」で触れています。
https://blog.canpan.info/jointnet21/archive/1364
ところで、司馬遼太郎の短編小説『有隣は悪形にて』(『司馬遼太郎短篇全集 第12巻 1968.12〜76.9』(文藝春秋 2006.3))を読んでいたら、「小鯖」に「こさば」とルビが振ってありました。気になったので、『木曜島の夜会』(文藝春秋 1977.4)に所収されている『有隣は悪形にて』を調べてみましたが、やっぱり、「こさば」となっていました。
『有隣は悪形にて』の初出は「オール讀物」第27巻5号(文藝春秋 1972.5)。
司馬遼太郎が自分でつけたのか、編集部が組んだのか気になるところです🤔
再版するときは、「おさば」としてくださ〜い
鰐鳴八幡宮の境内の紹介は後日また。
9月10日に行ってみましたが、さすがにまだ、彼岸花は咲き始めというところでした
社伝によれば、平安時代中期、大分県の宇佐八幡宮から勧請したと伝えられ、神霊を宇佐に迎えに行っての帰途、山口湾から椹野川を遡り、山口の鰐石に上陸したとき、ここまで従い来ていた鰐が別れを惜しんで鳴いたという故事によって鰐鳴八幡宮といいます。
大内FANとしてのチェックポイントは、
@貞治6(正平22)(1367)年の銘のある板碑
A『防長風土注進案』に文安5(1448)年の大内教弘(1420〜1465)の社領安堵状がみえること
B楼門に大内義隆家臣の相良遠江守武任筆と伝わる三十六歌仙の歌が掛けられていること
小鯖の板碑
板碑は塔婆の一種で鎌倉時代から江戸時代初期頃まで多くつくられている。板状の石を使っているのが普通であるが、必ずしも板状のものばかりでなく厚みのある角柱状のものもある。
小鯖のこの板碑は自然石で、高さは約二メートルある。正面上部に三つの梵字があり、上が阿弥陀如来、右が聖観音、左が勢至菩薩である。下に貞治六年丁未九月甘六日と刻してあるが、貞治は北朝年号で、六年は南朝の正平二十二年(一三六七) に当る。
山口県下には記年銘のある板碑は少なく市内では最古唯一の板碑である。
地上100cm部分の断面は、前面及び背面各50cm、右側33cm、左側34cmでほぼ長方形で、下部に台座などはなく、地中に埋め込んであります。
はっきりは分かりませんが、正面上部に3つの梵字があり、その下に「僧国俊貞治六年丁未九月廿六日敬白」の刻銘があります。
2020年10月4日撮影
1367(正平22/貞治6)年といえば、大内弘世の治世の時代です。1363(正平18/貞治2)年、北朝の室町幕府に再び帰服しました。
三十六歌仙の歌(大内義隆家臣、伝相良遠江守武任筆)
相良武任(さがらたけとう)(1498〜1551)といえば大内義隆に対して弁明した「相良武任申状」が有名です。
文人として優れていたそうですから、もしかして・・・。でも、ほとんど消えかかっていていて、残念な状態です
「相良武任申状」については、「築山大明神U @ 築山跡G」で触れています。
https://blog.canpan.info/jointnet21/archive/1364
ところで、司馬遼太郎の短編小説『有隣は悪形にて』(『司馬遼太郎短篇全集 第12巻 1968.12〜76.9』(文藝春秋 2006.3))を読んでいたら、「小鯖」に「こさば」とルビが振ってありました。気になったので、『木曜島の夜会』(文藝春秋 1977.4)に所収されている『有隣は悪形にて』を調べてみましたが、やっぱり、「こさば」となっていました。
『有隣は悪形にて』の初出は「オール讀物」第27巻5号(文藝春秋 1972.5)。
司馬遼太郎が自分でつけたのか、編集部が組んだのか気になるところです🤔
再版するときは、「おさば」としてくださ〜い
鰐鳴八幡宮の境内の紹介は後日また。
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