月見松 @ 築山跡H
[2021年07月12日(Mon)]
【前回の続き】
築山跡に「大内氏月見之松紀念」石碑があることは述べましたが、もう一度、月見松について述べさせていただきます
月見松というのは、大内公遺愛の老樹で名木でした。
『大内氏時代山口古図』(山口県文書館蔵 軸物史料218)を見ると、「大内御殿」のところに「月見松」が描かれています。
▲山口ふるさと伝承総合センター前にある地図より
『山口名勝旧蹟図誌』(近藤清石/著 宮川博古堂 明26,27)「月見松址」に
▲『山口名勝旧蹟図誌』「月見松址」(国立国会図書館蔵)
芳樹
この松は。大内氏の月見の松とて。野田といふ處にてたりけるか。ころの葉月の十一日の夕。なる神おちかゝりて枯れにけり。かの時より残りとゝまれるもの。かれたれなきにしもあらさりしかと。おふかた皆年ふるまゝにやふを損はれはゝ。昔のなこりのこせるいとすくなくなりけるに此一木しも翠のこけ常盤にて。千とせもかはらぬ色を見せはゝ。まことにそのかみのかたみなりけれは。砕きて薪になさんと事を惜みて。某等かくうの形を繪がゝさせ根より三丈はかり上なる所を圓くくりなし。褖にてうして。枯しときの大きさを後にはたふるになん。
めくりあふ秋はあらしと枯れにけり
月の名おへる古郷の松
てる月も雲のよそよりなけくらん
やとりなれにし木の間たつねて
上宇野令村鎮座今八幡宮楼壇□掲扁額
蕉齊縮拲
某氏□筆有月見松園再模寫之時歳安政四丁巳八月十有五日
尾張 湟宏
『防長旧族の館跡防長古城趾の研究』(御薗生翁甫/著 山口県地方史学会 1962)に、
月見松一名管弦松というのは、大内公遺愛の老樹とて名木であったが、安政三(1856)年八月十一日雷火の為焼けて枯れた。根より三丈計り上りて皮付きのところを遺して中を丸く刳り、それを縁として額を造り、その松を画き由来を記して今八幡宮に奉納した。絵は尾張の人湟宏、文は近藤芳樹にて、左の和歌二首を添えた。
めぐりあふ秋はあらじと枯れにけり月の名おへるふるさとの松
てる月も雲のよそよりなげくらむ宿しなれにし木の間たずねて
とあります。
「今八幡宮に奉納」とあるので、今八幡宮に行ってみましたが、
今八幡宮
見当たりませんでした
築山跡にある八坂神社楼拝殿に
八坂神社
松で造った額に入った松の絵が飾ってあります。
確かに立派な松が描いてありますが、近藤芳樹(1801(享和元)〜1880(明治13))の添えた文は確認できません。
果たしてこれなのでしょうか?
今八幡宮の隣に鎮座する豊栄神社と野田神社の絵馬堂に
松の額に松の絵が飾ってありました
こちらは近藤清石(1833(天保4)〜1916(大正5))が文を書いています。
高いところに飾ってあるので、全文を読み取ることができませんが、「月見松」「今八幡」など読めます。
月見松に関わる伝説として、1546(天正15)年9月13日夜、大内義隆が築山館で月見の宴を開いているとき現れた妖獣を松原隆則が退治したという「築山の山姥退治」の話があります。
松原隆則は大寧寺の乱で大内義隆を守って戦い、築山神社に祀られています。
伝説の方は、『山口名勝旧蹟図誌』と『山口市史 各説篇』では、少し違いますが、さくっと要約すると、
1546(天正15)年9月13日夜、大内義隆が築山館で月見の宴を開いているとき、館の塀の上に黒いものがたっていました。義隆は急ぎ宿直の者を呼びつけて、松原隆則にこれを撃つように命じます。は弓矢を取り出してヒューッとと射放つと、矢は見事に命中し、怪物はどーっと庭へと落ちてきました。が、また起き上がり逃げようとするので、今度は太刀で横に払うと確かに手応えがあり、そこには、片足のみ転がっていました。血の跡をたどると、天花畑の山奥に潜む山姥の姿で、これを見事退治した松原隆則は大いにその面目を施したといいます。
というようなお話です。
▲『山口名勝旧蹟図誌』「月見松址」(国立国会図書館蔵)
参考文献:
『大内氏時代山口古図』(山口県文書館蔵 軸物史料218)
※山口県文書館デジタルアーカイブで見ることができます
『山口名勝旧蹟図誌』(近藤清石/著 宮川博古堂 明26,27)(国立国会図書館蔵)
P30〜32「月見松址」
※国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開(保護期間満了)されています
『防長旧族の館趾古城趾の研究』(御薗生翁甫/著 1962(昭和37))
『防長古城趾の研究』(新防長叢書)(御薗生翁甫/著 マツノ書店 1975)
『山口市史 各説篇』(山口市史編纂委員/編 山口市 1971.3)
P467〜469「築山の山姥退治」
【次回に続く】
築山跡に「大内氏月見之松紀念」石碑があることは述べましたが、もう一度、月見松について述べさせていただきます
月見松というのは、大内公遺愛の老樹で名木でした。
『大内氏時代山口古図』(山口県文書館蔵 軸物史料218)を見ると、「大内御殿」のところに「月見松」が描かれています。
▲山口ふるさと伝承総合センター前にある地図より
『山口名勝旧蹟図誌』(近藤清石/著 宮川博古堂 明26,27)「月見松址」に
▲『山口名勝旧蹟図誌』「月見松址」(国立国会図書館蔵)
芳樹
この松は。大内氏の月見の松とて。野田といふ處にてたりけるか。ころの葉月の十一日の夕。なる神おちかゝりて枯れにけり。かの時より残りとゝまれるもの。かれたれなきにしもあらさりしかと。おふかた皆年ふるまゝにやふを損はれはゝ。昔のなこりのこせるいとすくなくなりけるに此一木しも翠のこけ常盤にて。千とせもかはらぬ色を見せはゝ。まことにそのかみのかたみなりけれは。砕きて薪になさんと事を惜みて。某等かくうの形を繪がゝさせ根より三丈はかり上なる所を圓くくりなし。褖にてうして。枯しときの大きさを後にはたふるになん。
めくりあふ秋はあらしと枯れにけり
月の名おへる古郷の松
てる月も雲のよそよりなけくらん
やとりなれにし木の間たつねて
上宇野令村鎮座今八幡宮楼壇□掲扁額
蕉齊縮拲
某氏□筆有月見松園再模寫之時歳安政四丁巳八月十有五日
尾張 湟宏
『防長旧族の館跡防長古城趾の研究』(御薗生翁甫/著 山口県地方史学会 1962)に、
月見松一名管弦松というのは、大内公遺愛の老樹とて名木であったが、安政三(1856)年八月十一日雷火の為焼けて枯れた。根より三丈計り上りて皮付きのところを遺して中を丸く刳り、それを縁として額を造り、その松を画き由来を記して今八幡宮に奉納した。絵は尾張の人湟宏、文は近藤芳樹にて、左の和歌二首を添えた。
めぐりあふ秋はあらじと枯れにけり月の名おへるふるさとの松
てる月も雲のよそよりなげくらむ宿しなれにし木の間たずねて
とあります。
「今八幡宮に奉納」とあるので、今八幡宮に行ってみましたが、
今八幡宮
見当たりませんでした
築山跡にある八坂神社楼拝殿に
八坂神社
松で造った額に入った松の絵が飾ってあります。
確かに立派な松が描いてありますが、近藤芳樹(1801(享和元)〜1880(明治13))の添えた文は確認できません。
果たしてこれなのでしょうか?
今八幡宮の隣に鎮座する豊栄神社と野田神社の絵馬堂に
松の額に松の絵が飾ってありました
こちらは近藤清石(1833(天保4)〜1916(大正5))が文を書いています。
高いところに飾ってあるので、全文を読み取ることができませんが、「月見松」「今八幡」など読めます。
月見松に関わる伝説として、1546(天正15)年9月13日夜、大内義隆が築山館で月見の宴を開いているとき現れた妖獣を松原隆則が退治したという「築山の山姥退治」の話があります。
松原隆則は大寧寺の乱で大内義隆を守って戦い、築山神社に祀られています。
伝説の方は、『山口名勝旧蹟図誌』と『山口市史 各説篇』では、少し違いますが、さくっと要約すると、
1546(天正15)年9月13日夜、大内義隆が築山館で月見の宴を開いているとき、館の塀の上に黒いものがたっていました。義隆は急ぎ宿直の者を呼びつけて、松原隆則にこれを撃つように命じます。は弓矢を取り出してヒューッとと射放つと、矢は見事に命中し、怪物はどーっと庭へと落ちてきました。が、また起き上がり逃げようとするので、今度は太刀で横に払うと確かに手応えがあり、そこには、片足のみ転がっていました。血の跡をたどると、天花畑の山奥に潜む山姥の姿で、これを見事退治した松原隆則は大いにその面目を施したといいます。
というようなお話です。
▲『山口名勝旧蹟図誌』「月見松址」(国立国会図書館蔵)
参考文献:
『大内氏時代山口古図』(山口県文書館蔵 軸物史料218)
※山口県文書館デジタルアーカイブで見ることができます
『山口名勝旧蹟図誌』(近藤清石/著 宮川博古堂 明26,27)(国立国会図書館蔵)
P30〜32「月見松址」
※国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開(保護期間満了)されています
『防長旧族の館趾古城趾の研究』(御薗生翁甫/著 1962(昭和37))
『防長古城趾の研究』(新防長叢書)(御薗生翁甫/著 マツノ書店 1975)
『山口市史 各説篇』(山口市史編纂委員/編 山口市 1971.3)
P467〜469「築山の山姥退治」
【次回に続く】
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