大内義隆主催の和歌会の短冊 @ 手鑑『仮御手鑑』
[2021年06月11日(Fri)]
6月13日(日)まで、山口県立山口図書館 ふるさと山口文学ギャラリーで「山口県新指定文化財 小展示 〜手鑑『仮御手鑑』と大内文化〜」が開催され、

『仮御手鑑』が公開されています

山口県立山口図書館が所蔵する『仮御手鑑』が、2021年4月9日に新たに山口県指定有形文化財(書跡)に指定されました。
手鑑とは、古筆の断簡を貼り込んだ折本装丁のスクラップブックのことで、歴史上の人物などの筆跡を手軽に鑑賞できることから、安土桃山時代以降、江戸期にかけて盛んに作成されました。
『仮御手鑑』は、大型(44cm×38cm)の折本仕立て(両面折帖装)の手鑑で、短冊163点、色紙4点、古筆切7点、やまと絵を伴う色紙12点の計186点が納められています。
そのなかには、室町時代に大内義隆(1507〜1551)が開催した和歌会の短冊45点が含まれています。
主催者の大内義隆作の和歌短冊もあり、小槻伊治(おづきのこれはる)(1496〜1551)が代筆しています。小槻伊治は、朝廷の公文書の管理を司る「官務」の任にありましたが、1532(享禄5)年に山口に下向し、1551(天文20)年に亡くなるまで義隆に庇護されていました。義隆の継室であるおさいの方の父親、義隆の嫡男である義尊の祖父です。

義隆公 小槻官務伊治代筆
社頭霞
春の色は今そみかさの山高ミ
かけてかすめる峰の松原 義隆
その他は、「周防山口連歌師」、「大内殿内連歌師」、義隆の家臣や、支配下にある神職者達が詠んだ和歌です。製作年次は不明ですが、一連の打曇(うちぐもり)料紙を裁断して用いられ、後世の写しではなく、義隆当時のものであり、貴重な資料です。
なお、「打曇」とは、料紙の加飾技法で、紙の上下の端に雲がたなびくように染めた繊維を漉きかけたものです。
室町時代に連歌師の宗祇(1421〜1502)が大内氏の本拠地である山口を1480(文明12)年と1489(延徳元)年に2度訪れて以来、山口では連歌が大変盛んになりました。
「周防山口連歌師」「大内殿内連歌師」が37名あり、義隆時代の連歌の隆盛を伝えるという意味でも大変貴重なものです。
短冊163点のうち、104点(大内氏関連の短冊45点を含む)は、古歌の写しではなく、室町時代から江戸時代初期にかけてのオリジナルの歌や句だそうです。
手鑑の各短冊・古筆の右角には「琴山」の黒印を押した極札(きわめふだ)が添えられています。「琴山」は江戸時代の古筆鑑定家が使用した極印ですが、詳細は不明です。
紺色厚表紙で、折帖自体には題箋はついていません。

『仮御手鑑』に所収された古筆類の目録である「仮御手鑑入記御根帳」(かりおてかがみいれきのおねちょう)と記した別冊も付随していて、「仮御手鑑入記御根帳 一冊」を付(つけたり)指定されました。
「仮御手鑑入記御根帳」は
@極札(鑑定書)の有無
A極札が判定した古筆の筆者
B「口ノ字」(古筆の書き出し、冒頭部分)
について記した台帳です。
表紙には「安永二年巳十二月」(1773年)とも記されています。
『仮御手鑑』は「仮御手鑑」と記した包紙に包まれ

「仮御手鑑 一折」と記した桐箱に収められています。

山口県新指定文化財 小展示 〜手鑑『仮御手鑑』と大内文化〜
期間
2021年5月29日(金)〜6月13日(日) ※山口図書館の開館日、開館時間
場所
山口県立山口図書館 2F ふるさと山口文学ギャラリー
※『仮御手鑑』は、山口県立山口図書館所蔵資料で、「WEB版明治維新資料室」で画像(著作権保護期間満了)が公開されています。
参考文献:
「山口図書館本『仮御手鑑』について」(田村哲夫)(『山口県文書館研究紀要』第4号 (1975))
「仮御手鑑」(『山口市史 史料編大内文化』(山口市/編集発行 2010))第4編 文芸 第一章 和歌 7 義隆とその周辺 (4) P444〜448)
『仮御手鑑』が公開されています
山口県立山口図書館が所蔵する『仮御手鑑』が、2021年4月9日に新たに山口県指定有形文化財(書跡)に指定されました。
手鑑とは、古筆の断簡を貼り込んだ折本装丁のスクラップブックのことで、歴史上の人物などの筆跡を手軽に鑑賞できることから、安土桃山時代以降、江戸期にかけて盛んに作成されました。
『仮御手鑑』は、大型(44cm×38cm)の折本仕立て(両面折帖装)の手鑑で、短冊163点、色紙4点、古筆切7点、やまと絵を伴う色紙12点の計186点が納められています。
そのなかには、室町時代に大内義隆(1507〜1551)が開催した和歌会の短冊45点が含まれています。
主催者の大内義隆作の和歌短冊もあり、小槻伊治(おづきのこれはる)(1496〜1551)が代筆しています。小槻伊治は、朝廷の公文書の管理を司る「官務」の任にありましたが、1532(享禄5)年に山口に下向し、1551(天文20)年に亡くなるまで義隆に庇護されていました。義隆の継室であるおさいの方の父親、義隆の嫡男である義尊の祖父です。
義隆公 小槻官務伊治代筆
社頭霞
春の色は今そみかさの山高ミ
かけてかすめる峰の松原 義隆
その他は、「周防山口連歌師」、「大内殿内連歌師」、義隆の家臣や、支配下にある神職者達が詠んだ和歌です。製作年次は不明ですが、一連の打曇(うちぐもり)料紙を裁断して用いられ、後世の写しではなく、義隆当時のものであり、貴重な資料です。
なお、「打曇」とは、料紙の加飾技法で、紙の上下の端に雲がたなびくように染めた繊維を漉きかけたものです。
室町時代に連歌師の宗祇(1421〜1502)が大内氏の本拠地である山口を1480(文明12)年と1489(延徳元)年に2度訪れて以来、山口では連歌が大変盛んになりました。
「周防山口連歌師」「大内殿内連歌師」が37名あり、義隆時代の連歌の隆盛を伝えるという意味でも大変貴重なものです。
短冊163点のうち、104点(大内氏関連の短冊45点を含む)は、古歌の写しではなく、室町時代から江戸時代初期にかけてのオリジナルの歌や句だそうです。
手鑑の各短冊・古筆の右角には「琴山」の黒印を押した極札(きわめふだ)が添えられています。「琴山」は江戸時代の古筆鑑定家が使用した極印ですが、詳細は不明です。
紺色厚表紙で、折帖自体には題箋はついていません。
『仮御手鑑』に所収された古筆類の目録である「仮御手鑑入記御根帳」(かりおてかがみいれきのおねちょう)と記した別冊も付随していて、「仮御手鑑入記御根帳 一冊」を付(つけたり)指定されました。
「仮御手鑑入記御根帳」は
@極札(鑑定書)の有無
A極札が判定した古筆の筆者
B「口ノ字」(古筆の書き出し、冒頭部分)
について記した台帳です。
表紙には「安永二年巳十二月」(1773年)とも記されています。
『仮御手鑑』は「仮御手鑑」と記した包紙に包まれ
「仮御手鑑 一折」と記した桐箱に収められています。
山口県新指定文化財 小展示 〜手鑑『仮御手鑑』と大内文化〜
※『仮御手鑑』は、山口県立山口図書館所蔵資料で、「WEB版明治維新資料室」で画像(著作権保護期間満了)が公開されています。
参考文献:
「山口図書館本『仮御手鑑』について」(田村哲夫)(『山口県文書館研究紀要』第4号 (1975))
「仮御手鑑」(『山口市史 史料編大内文化』(山口市/編集発行 2010))第4編 文芸 第一章 和歌 7 義隆とその周辺 (4) P444〜448)
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