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こどもと本ジョイントネット21・山口


〜すべての子どもに本との出会いを〜

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『そもそもオリンピック』 @ アーサー・ビナードが下竪小路にやってくる!C [2020年08月09日(Sun)]
前回の続き

休憩中はサイン会です。
アーサーは一人ひとりと真摯に向き合います。
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第三部は、絵本『そもそもオリンピック』(アーサー・ビナード/文 スズキコージ/画 玉川大学出版部 2020.2)です。
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最新刊です。
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スズキコージさんとの『ドームがたり』(アーサー・ビナード/作 スズキコージ/画 玉川大学出版部 2017.3)に続く第2弾です。
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広島の隣町 海田町の高台にある海田総合公園に行った時、地元出身のオリンピック選手 織田幹雄が三段跳びで金メダルを取った時の記録 15m21cmを示す板のオブジェ(「体感ゾーン」と呼ばれているそうです)がありました。アーサーは試みますが、とうてい及びません。

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調べてみると、そもそも日本語の「三段跳」と名付けたのは、織田幹雄でした。当時は、「ホップ・ステップ・アンド・ジャンプ」を略し、「ホ・ス・ジャンプ」と呼ばれていました。

織田幹雄に興味を持ち、『ドームがたり』でタッグを組んだスズキコージさんに話すと、スズキも夢中になり、二人で絵本を作ろう、ということになりました。

二人で、大学生の日隅健太郎さんから、三段跳びの指導を受けました。
「ホップ」と「ステップ」は同じ足で、「ジャンプ」は反対の足で跳ぶ、とアーサーは跳んでみせてくれました。

「何が一番大事?」と尋ねると「風が大事。」と日隅は答えました。
助走を始める瞬間を風が指示してくるし、風とともに跳べるかどうかで、記録が決まるといいます。

こうして、風が主人公になりました。

海田町の青木義和さんから織田幹雄の資料を見せてもらったそうです。

「そもそもオリンピック」というタイトルは、織田幹雄が遺した日記を読み込んで湧いてきたのだそうです。

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原始時代、
千年以上続いた古代オリンピック、
近代オリンピックが開かれたころ、
そして、三段跳びのこと、
織田幹雄の生い立ちと、すぐれた身体能力と鋭い感覚、そして陸上競技、三段跳びとの出合い、
・・・・・・1920(大正9)年、広島一中3年時にアントワープ五輪陸上十種競技代表の野口源三郎が開いた広島での講習会で織田は走高跳で自分の身長(当時155cm)より高く飛んでみせ、それを見た野口から褒められたことが陸上へ進むきっかけとなりました。・・・
1928年のオリンピックまでの苦労と金メダルの快挙、
そもそもの始まりから見つめてきた風が語ります。

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NHKの大河ドラマでオリンピックについて取り上げることになった時、海田町の人達は「織田幹雄が取り上げられる」と喜びましたが、でも、結果は違っていました。

「織田幹雄は本質の素晴らしさを示した人。」とアーサーは言います。

アーサーによる「風とともに跳びぬ」と題されたあとがきでは、1924年のパリオリンピックや1928年のアムステルダムオリンピック等で活躍した織田幹雄の言葉が紹介されています。

「スポーツにはスポーツの論理がある。オリンピックにはオリンピックの考え方がある。それを大切にしなければならない。政府や周りの思惑でどうのこうのと左右されることはない。それが貫けないようならやる意味もない」

「ぼくは国旗国歌はやめた方がいいと思う」

「オリンピックは平和運動だとみんないうが、何もやっていない。世界の若人が集ってブレーするから平和だ、というが負けた人は翌日帰国してしまう。これでは平和も何もあったものではない」

「とにかく平和運動なら平和運動らしくするようIOCは努力すべきです。国威高揚だ、メダルをとった、と大騒ぎするのは、オリンピック精神に反すると思います」


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日本では、こんな歌も歌われていた、とアーサーは歌ってくれました。
1938(昭和13)年8月16日.「ナチ黨公認の独逸青少年団 ヒトラー・ユーゲント」が横浜に入港し、大いに歓迎されました。大日本連合青年団の依頼で北原白秋が「萬歳ヒットラー・ユウゲント 獨逸青少年團歡迎の歌」(北原白秋/作詞 高階哲夫/作曲 藤原義江/唄 1938)を作詞しました。

(さん)たり輝く ハーケン・クロイツ
ようこそ遙々 西なる盟友
いざ今見(まみ)えん 朝日に迎へて
我等ぞ東亞の 青年日本
 萬歳 ヒットラー・ユウゲント
 萬歳ナチス

聽けわが歡呼を ハーケン・クロイツ
響けよその旗 この風この夏
防共ひとたび 君我誓はば
正大爲すあり 世紀の進展
 萬歳 ヒットラー・ユウゲント
 萬歳ナチス

感謝す朗らに ハーケン・クロイツ 
交驩かくあり 固有の伝統 
相呼び應へて 文化に盡さん 
我等が選士も 幸あれその旅
 萬歳 ヒットラー・ユウゲント
 萬歳ナチス
 
燦たり輝く ハーケン・クロイツ
勤勞報國 またわが精神
いざ今究(きは)めよ 大和の山河を
卿等(けいら)ぞ榮(はえ)ある ゲルマン民族
 萬歳 ヒットラー・ユウゲント
 萬歳ナチス


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なんと、参加者の中に、織田幹雄から直接教えを受けたという方がいらっしゃっいました。

「織田先生は「健康な肉体に、健全な精神が宿るのが望ましい」と言われていました。」

と誇らしそうに話されたのが印象的でした。


【次回に続く】
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