疫病除け呪文「きしおつ」が刻まれた地蔵尊を拝みに仁保上郷に行きましたA
[2020年07月22日(Wed)]
【前回の続き】
※「きしおつ」は、漢字で「キ(竹かんむりに車へんと”疑”のつくり部分)シ(竹かんむりに厮)乙」と表記しますが、漢字辞典等に該当する字がないので、前回同様「きしおつ」とします。
「きしおつ」について書物で調べてみました。

『日本石仏図典』(日本石仏協会/編 国書刊行会 昭和61.8)のP70に、
きのと(漢字で「キ(竹かんむりに車へんと”疑”のつくり部分)シ(竹かんむりに厮)乙」表記)
土地の博学の住僧である大久保見瑞氏はこれを「きのと」と読まれた。
すなわち十干の乙(きのと)である。『漢字類編』によれば「乙は骨器の形、」乙は乙形の骨ベラで、糸の乱れを解くものであろう。乱はおさめると読むべき字である」という。
右の意に従えば「きのと」(きのと)と自然石に刻んで路傍に建てているのは、博学の僧が、これの呪力によって村を悪霊の侵入から塞ぎ、平和に治ることを祈念したものであろう。〔大護八郎〕
「きのと」と読ませて、末尾に埼玉県秩父郡皆野下日野沢にある石塔の写真が併せて記載されています。その石塔は、明らかに仁保にある石仏と同じ「きしおつ」の字を読むことができます。
『山口市の石仏・石塔(4)―宮野・仁保―』(山口の文化財を守る会/編 山口市教育委員会 2012.3)のP189「仁保の地蔵」No.104には上記の記事が採用されています。
大阪府立中之島図書館に『保古帖』という幕末大阪のスクラップブックといえるものがあります。この巻六に、浪華翠栄堂刊行の一枚刷りに仕立てられて、納められています。
『ふるさと山口』(平成24年6月 通巻33号)(山口の文化財を守る会 2012.6)に所収されている内田伸の「呪文を彫った石仏」には、この刷り物の写真が掲載されています。
「きしおつ」
〇この「きしおつ」の三字を紙に書かきて門戸に張はれば、疫鬼悪病あくびやうを除よけと云。是は群談採余ぐんだんさいよに曰、唐土もろこし予章よしやうの南に粟渡ぞくとといへる処あり、宋の乾道けんだう八年の春、一人の僧来り渡子わたりもりに告つげていふ、追付おゝつけ此処へ異相なる者五人来るべし、彼等を渡しなば忽ち災わざはひあるべしとて、此符を与へ去る、渡子怪しく思ふ処へ、果はたして黄きなる袗ころもを着し愧あやしき籠を負おひたる者五人来りて船に乗のらんとせしかば、驚破すはやと思ひ拒こばみて渡さず、彼の者は急ぎわたらんと争ひけるうち、已前いぜんの僧与へし符を出いだし見せしがは、恐れまどひて、各おのおの笈おひを捨て逃にげ去さりけり、其笈を開き見るに、小ちいさき棺くはんを数す百入たり、渉人わたしもり其棺を残らず焼やき捨すてける、扨さて其符を書て人々に伝へ与ふ、其後津渡わたしの南に当あたれる地は疫病流行はやりて、人多く損じ死する物半なかばに過すぎたり、亦北にあたる予章の方は病やめる者一人もなしとぞ、夫それより此符の奇瑞きずいあることを感じ、所々に伝へ門戸に張はりて悪病の難を逃れしと云々
〇去る午むま未ひつじの二年ふたとせ、続つづいて悪病流行せし時、専もっぱら此符を人家の門戸に張はりて、禍を逃れし人少すくなからず、然れども、此符の来由わけを知る人稀なり。故に、今是に其大畧りやくを述しるして、已来倍ますます世上に用ひて災害わざはひを避さけ玉はんことを偏ひとへに願事爾しかり。
安政七庚申春
浪華 翠栄堂松川安信誌 施印
@「きしおつ」の三字を紙に書いて門戸に張れば、疫病除となる。
A中国の粟渡というところの渡し守が、旅の僧から「きしおつ」というお札を授けられたので、五人の疫病の神の渡ろうとするのをしりぞけることができたとの由来がある。
B安政5年から6年にかけて、家々の門戸にこのお札を張って、悪病の難をのがれた。
と書かれています。
『疫神と福神』(大島建彦 三弥井書店 2008.8)の「「きしおつ」という呪符」の項には、『保古帖』にある「きしおつ」の一枚刷りについて取り上げ、

「きしおつ」のいわれは、いかにも中国の故事のように記されているが、やはり日本人の生活に即したものであったといってよい。
として、類似事例を紹介しています。
また、本書では、
小林主水藤原広宗門人小山平馬藤原於春
大山祇命
安政二年十月上旬
極弖汚毛滞無礼波穢者有羅之内外乃
玉垣清浄登申寿
「きしおつ」 疫神除符
新田岩松満次郎様御許
という「疫神除符」が紹介され、写真も掲載されています。群馬県高崎市に伝わるものだそうです。
「安政二年」(1855年)といえば、仁保に彫られてものと同じです。

内田伸によれば、今のところ
@『保古帖』に所収された浪華翠栄堂刊行の一枚刷り「きしおつ」
A群馬県高崎市に所在する「疫神除符」
B埼玉県秩父郡皆野下日野沢にある石塔に刻まれた「きしおつ」
の三例あるのみで、地蔵菩薩に彫った例は、金坪以外には知られていないといいます。

疫病除け呪文「きしおつ」が刻まれた地蔵尊を拝んだ帰りは、金坪の村社と疣地蔵を拝んで帰りました

風篠村の山中よりここに遷座しました。

棟札も集められています。

庚申様。

厳島神社。

河内大明神、大歳大明神。

仁保88ケ所 大師様二五番。

仁保88ケ所 大師様二七番・二八番。


引地村のあちらこちらの山裾に点々として鎮座していた神仏を集めたものです。

笠森様。

八王子神社。

阿弥陀如来。

石仏・石塔も集められています。

地蔵。
丸彫半跏像。高さ63cm。

清明金剛童子。

右の清明金剛童子。
自然石。62cm。「文政七(六)未歳」「八月吉日敬白」

左の清明金剛童子。
自然石。64cm。「文政七甲年」

?

手水。

「疣地蔵」という看板があります。

金剛地蔵堂。

「金剛地蔵」と表示されていますが、疣地蔵として信仰されています。

いぼができた時本人が祈願しても治らないけれど、他人に頼んで祈願してもらうとすぐとれると言われています。

高さ28cmの光背型浮彫の小さな地蔵です。

左右の2体は弘法大師像です。

仁保の名所の写真が飾られています。

参考文献:
『山口市史 史料編 民俗・金石文』(山口市 2015)
「史料編 民俗」P452〜3
『ふるさと山口』平成24年6月(通巻33号)(山口の文化財を守る会 2012.6)
P1〜6「呪文を彫った石仏」(内田伸)
『日本石仏図典』(日本石仏協会/編 図書刊行会 昭和61.8)
P70「きのと」(大護八郎)
『疫神と福神』(三弥井民俗選書)(大島建彦 三弥井書店 2008.8)
P188〜193「「きしおつ」という呪符」
『保古帖』(巻六)(大阪府立中之島図書館蔵)
「きしおつ」
『ふるさと仁保』(仁保自治会 2017)
P51
『山口市の石仏・石塔(4)―宮野・仁保―」(山口の文化財を守る会/編 山口市教育委員会 2012.3)
P182,188,189「仁保の地蔵」No.82,No.102,No.104
P324「仁保の庚申」No.23,No.24
※「きしおつ」は、漢字で「キ(竹かんむりに車へんと”疑”のつくり部分)シ(竹かんむりに厮)乙」と表記しますが、漢字辞典等に該当する字がないので、前回同様「きしおつ」とします。
「きしおつ」について書物で調べてみました。

『日本石仏図典』(日本石仏協会/編 国書刊行会 昭和61.8)のP70に、
きのと(漢字で「キ(竹かんむりに車へんと”疑”のつくり部分)シ(竹かんむりに厮)乙」表記)
土地の博学の住僧である大久保見瑞氏はこれを「きのと」と読まれた。
すなわち十干の乙(きのと)である。『漢字類編』によれば「乙は骨器の形、」乙は乙形の骨ベラで、糸の乱れを解くものであろう。乱はおさめると読むべき字である」という。
右の意に従えば「きのと」(きのと)と自然石に刻んで路傍に建てているのは、博学の僧が、これの呪力によって村を悪霊の侵入から塞ぎ、平和に治ることを祈念したものであろう。〔大護八郎〕
「きのと」と読ませて、末尾に埼玉県秩父郡皆野下日野沢にある石塔の写真が併せて記載されています。その石塔は、明らかに仁保にある石仏と同じ「きしおつ」の字を読むことができます。
『山口市の石仏・石塔(4)―宮野・仁保―』(山口の文化財を守る会/編 山口市教育委員会 2012.3)のP189「仁保の地蔵」No.104には上記の記事が採用されています。
大阪府立中之島図書館に『保古帖』という幕末大阪のスクラップブックといえるものがあります。この巻六に、浪華翠栄堂刊行の一枚刷りに仕立てられて、納められています。
『ふるさと山口』(平成24年6月 通巻33号)(山口の文化財を守る会 2012.6)に所収されている内田伸の「呪文を彫った石仏」には、この刷り物の写真が掲載されています。
「きしおつ」
〇この「きしおつ」の三字を紙に書かきて門戸に張はれば、疫鬼悪病あくびやうを除よけと云。是は群談採余ぐんだんさいよに曰、唐土もろこし予章よしやうの南に粟渡ぞくとといへる処あり、宋の乾道けんだう八年の春、一人の僧来り渡子わたりもりに告つげていふ、追付おゝつけ此処へ異相なる者五人来るべし、彼等を渡しなば忽ち災わざはひあるべしとて、此符を与へ去る、渡子怪しく思ふ処へ、果はたして黄きなる袗ころもを着し愧あやしき籠を負おひたる者五人来りて船に乗のらんとせしかば、驚破すはやと思ひ拒こばみて渡さず、彼の者は急ぎわたらんと争ひけるうち、已前いぜんの僧与へし符を出いだし見せしがは、恐れまどひて、各おのおの笈おひを捨て逃にげ去さりけり、其笈を開き見るに、小ちいさき棺くはんを数す百入たり、渉人わたしもり其棺を残らず焼やき捨すてける、扨さて其符を書て人々に伝へ与ふ、其後津渡わたしの南に当あたれる地は疫病流行はやりて、人多く損じ死する物半なかばに過すぎたり、亦北にあたる予章の方は病やめる者一人もなしとぞ、夫それより此符の奇瑞きずいあることを感じ、所々に伝へ門戸に張はりて悪病の難を逃れしと云々
〇去る午むま未ひつじの二年ふたとせ、続つづいて悪病流行せし時、専もっぱら此符を人家の門戸に張はりて、禍を逃れし人少すくなからず、然れども、此符の来由わけを知る人稀なり。故に、今是に其大畧りやくを述しるして、已来倍ますます世上に用ひて災害わざはひを避さけ玉はんことを偏ひとへに願事爾しかり。
安政七庚申春
浪華 翠栄堂松川安信誌 施印
@「きしおつ」の三字を紙に書いて門戸に張れば、疫病除となる。
A中国の粟渡というところの渡し守が、旅の僧から「きしおつ」というお札を授けられたので、五人の疫病の神の渡ろうとするのをしりぞけることができたとの由来がある。
B安政5年から6年にかけて、家々の門戸にこのお札を張って、悪病の難をのがれた。
と書かれています。
『疫神と福神』(大島建彦 三弥井書店 2008.8)の「「きしおつ」という呪符」の項には、『保古帖』にある「きしおつ」の一枚刷りについて取り上げ、

「きしおつ」のいわれは、いかにも中国の故事のように記されているが、やはり日本人の生活に即したものであったといってよい。
として、類似事例を紹介しています。
また、本書では、
小林主水藤原広宗門人小山平馬藤原於春
大山祇命
安政二年十月上旬
極弖汚毛滞無礼波穢者有羅之内外乃
玉垣清浄登申寿
「きしおつ」 疫神除符
新田岩松満次郎様御許
という「疫神除符」が紹介され、写真も掲載されています。群馬県高崎市に伝わるものだそうです。
「安政二年」(1855年)といえば、仁保に彫られてものと同じです。

内田伸によれば、今のところ
@『保古帖』に所収された浪華翠栄堂刊行の一枚刷り「きしおつ」
A群馬県高崎市に所在する「疫神除符」
B埼玉県秩父郡皆野下日野沢にある石塔に刻まれた「きしおつ」
の三例あるのみで、地蔵菩薩に彫った例は、金坪以外には知られていないといいます。

疫病除け呪文「きしおつ」が刻まれた地蔵尊を拝んだ帰りは、金坪の村社と疣地蔵を拝んで帰りました



風篠村の山中よりここに遷座しました。

棟札も集められています。

庚申様。


厳島神社。


河内大明神、大歳大明神。



仁保88ケ所 大師様二五番。



仁保88ケ所 大師様二七番・二八番。





引地村のあちらこちらの山裾に点々として鎮座していた神仏を集めたものです。

笠森様。


八王子神社。

阿弥陀如来。



石仏・石塔も集められています。

地蔵。
丸彫半跏像。高さ63cm。

清明金剛童子。

右の清明金剛童子。
自然石。62cm。「文政七(六)未歳」「八月吉日敬白」

左の清明金剛童子。
自然石。64cm。「文政七甲年」


?

手水。

「疣地蔵」という看板があります。

金剛地蔵堂。

「金剛地蔵」と表示されていますが、疣地蔵として信仰されています。

いぼができた時本人が祈願しても治らないけれど、他人に頼んで祈願してもらうとすぐとれると言われています。

高さ28cmの光背型浮彫の小さな地蔵です。

左右の2体は弘法大師像です。

仁保の名所の写真が飾られています。

参考文献:
『山口市史 史料編 民俗・金石文』(山口市 2015)
「史料編 民俗」P452〜3
『ふるさと山口』平成24年6月(通巻33号)(山口の文化財を守る会 2012.6)
P1〜6「呪文を彫った石仏」(内田伸)
『日本石仏図典』(日本石仏協会/編 図書刊行会 昭和61.8)
P70「きのと」(大護八郎)
『疫神と福神』(三弥井民俗選書)(大島建彦 三弥井書店 2008.8)
P188〜193「「きしおつ」という呪符」
『保古帖』(巻六)(大阪府立中之島図書館蔵)
「きしおつ」
『ふるさと仁保』(仁保自治会 2017)
P51
『山口市の石仏・石塔(4)―宮野・仁保―」(山口の文化財を守る会/編 山口市教育委員会 2012.3)
P182,188,189「仁保の地蔵」No.82,No.102,No.104
P324「仁保の庚申」No.23,No.24
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