2011年(平成23年)の感想
[2011年12月31日(Sat)]
2011年(平成23年)も終了です。
普通に今までだったら「あっという間の一年でした」と言うところですが、今年の1年は1月1日と12月31日では全く違う感覚であり、1年間とはかくも本当に様々な変化をもたらすものだを実感し、「2011年(平成23年)の1年間は本当に長かった」です。
社会的には、3月11日の震災によって、社会の仕組みと意識が一変したと感じています。
しかし、年内に“けり”がついたことはほとんど無く、問題自体が山積した年の瀬となったのではないかと思っています。
それは、“社会”だけでなく、“個人”でもそうだと実感しています。
「因果応報」という言葉がありますが、それも実感したものです。
「因果応報」とは、基本的に良い意味だと思いますが、悪い意味でもあると思います。
しかし、それは自分の仕掛ではなく、他者の思惑に振り回されてのことです。
普通に解決方法を考えれば、自然の流れに委ねた方が良いと思いますが、常識では対処できないこともある、というのも実感しました。
細かいことは書けませんが、毅然として態度が必要なときだと思っています。
ちょっと苦手なことですが、年明け早々から自分の態度として対処しなければならないことだと思っています。
それ以外の「仕事」や「しごと」や「個人的なこと」に関しては、年の瀬でも解決していないことであり、解決方法すら見つかっていないものもあります。
それは、しかし、そのなかを精査していくと、自分で出来ること・決めなければならないことが多々あるとも感じています。
とりあえず方向だけでも決めておかなければならないことがたくさんあります。
このお休みでは、それを一つ一つ整理していくことでスタートが切れるように整理しておかなければならない・・・と思っています。
1年間は本当に様々な変化をもたらすものです
その準備をしなくてはならない年の瀬であり・年の元なんですね
普通に今までだったら「あっという間の一年でした」と言うところですが、今年の1年は1月1日と12月31日では全く違う感覚であり、1年間とはかくも本当に様々な変化をもたらすものだを実感し、「2011年(平成23年)の1年間は本当に長かった」です。
社会的には、3月11日の震災によって、社会の仕組みと意識が一変したと感じています。
しかし、年内に“けり”がついたことはほとんど無く、問題自体が山積した年の瀬となったのではないかと思っています。
それは、“社会”だけでなく、“個人”でもそうだと実感しています。
「因果応報」という言葉がありますが、それも実感したものです。
「因果応報」とは、基本的に良い意味だと思いますが、悪い意味でもあると思います。
しかし、それは自分の仕掛ではなく、他者の思惑に振り回されてのことです。
普通に解決方法を考えれば、自然の流れに委ねた方が良いと思いますが、常識では対処できないこともある、というのも実感しました。
細かいことは書けませんが、毅然として態度が必要なときだと思っています。
ちょっと苦手なことですが、年明け早々から自分の態度として対処しなければならないことだと思っています。
それ以外の「仕事」や「しごと」や「個人的なこと」に関しては、年の瀬でも解決していないことであり、解決方法すら見つかっていないものもあります。
それは、しかし、そのなかを精査していくと、自分で出来ること・決めなければならないことが多々あるとも感じています。
とりあえず方向だけでも決めておかなければならないことがたくさんあります。
このお休みでは、それを一つ一つ整理していくことでスタートが切れるように整理しておかなければならない・・・と思っています。
1年間は本当に様々な変化をもたらすものです
その準備をしなくてはならない年の瀬であり・年の元なんですね