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●「鳩居堂」 (きゅうきょどう)

JR熊本駅前の電車通りで少々うるさく振動もある狭い住処を
じょうちゃんの「鳩居堂」と名付けました。
明治維新の頃、大村益次郎という人がいました。
その人は自分の住処を「鳩居堂」と言っていました。
その住処名にならいました。どうぞ、お立ち寄り下さい。

          住人 じょうちゃん


じょうちゃんの「ぼそぼそ」
今日は「リプリー、あいにくの宇宙ね」を観るためにお江戸日帰り
鳩居堂の部屋名
鳩居堂のかかわり先
QRコード
2020年も終わりですねぇ [2020年12月31日(Thu)]
今年は元日の親父様の誤嚥にはじまり入院→介護(三食・就寝)→骨折→入院手術→転院→HCU→死亡とあっという間の4月半ばだった

HCUで三日処方し改善の見込みがないときは一般病棟に移すと言われて「あと一二日の寿命」と宣告され三日間生き延びた
実質6日間で亡くなってしまった

そのころ社員さんからは「会長より社長がいつ倒れるかわからない」状態に見えていたらしい
事実いろいろポカもあったし睡眠時間も連続二時間取れるようなことはなく絶えず神経を張り詰めた状態だったと思う
良く持ちこたえたなぁ・・・というか 親父様は母親様と息子のぎりぎりを悟っていたのかなぁというタイミングで骨折してしまった


2012年10月母親様の骨折入院から親父様の面倒を見る生活が続いてて親父様の真の姿と向き合いいろんなことも話していたし準備もしていたし滞ることなく進めることができた
当然心残りはあるしあの時こうしておけばもっと長生きしただろうに…と思うことはあるが ここ7年半で十分なことはできたと思っている
親父様も同じ気持ちだろうと思う

残った母親様を親父様に代わってどれだけ長生きしてもらえるかは新たな宿題となったが南高江の自宅で同居することが今出来ることだと思っている


たま〜に「ほぅ」ということをいうやつのお陰で会社の方向性が見えた
そのための努力をし続けるのがこれからのお努めとなった
腰を据えてやっていかねばならないことだから焦らず淡々と進めていくことにしよう


近頃「余裕」という言葉を考えている
アタシは「余裕」がある生き方をしてこなかった
それだけに「余裕」というものがわからない

友達には会社を終わらせるものも出てきた
定年になったのもいる
人それぞれの高齢化への生き方をし始めている
アタシも「余裕」を持って生きて行けるように取り組んでいきたいものだ


ここ数年知らないことがあるとわくわくしてくる
以前だと「めんどくさいなぁ」と投げやりになっていたのだが 投げ出すこともなく取り組めるようになった
「初めて」を楽しむようにしたいものだ
この年になって「初めて」があるというのは楽しいもんだ


来年はどんな初めてと出会うのか楽しみにしておこう

201231_1600.jpg

この景色が一番落ち着くなぁ。。。
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