自殺と自死の表現の違い。
自殺予防団体-SPbyMD-主催
「こころの通う対話のできるゲートキーパー養成講習」
講師陣の蓬生さつきです。
私はこう思います。
自殺という言葉の場合。
自殺とは「自分」を「殺す」という行為です。
「殺す」ということは、絶対に、「被害者」と「加害者」が出てきます。
自殺の場合は、「自分自身が」被害者で逆に加害者でもあるわけです。
もし、身内の方や友達、周りが自殺をして亡くなった場合、
じゃあ、誰れを憎めば、報われるのでしょうか?
誰れを悲しめば、救われるのでしょうか?
誰れも、報われないし、救われません。
実際は、自殺は法で罰せられることはありませんが、
もし、法があれば、それは決して軽い刑ではないと、思います。
それほど、「自殺」という行為は、重くて悲しいことなのです。
でも、自殺の方向に傾いてしまっている人は、そんなことは考えていません。
考える余地がないくらい追い詰められています。
だからこそ、私たち、ゲートキーパーがいるのです。
「あなたが死んだら、少なくとも私は悲しむよ」
「私は、あなたを被害者にも加害者にもしたくない、
そんな悲しい思い、したくないし、されたくないよ」
「自殺して良いことなんで、これっぽちもないよ」
「あなたの命は、尊くて、重い。決して軽い命では、ないよ」
「その重い命をどうか、軽く見ないで、自分の命を見捨てないで」
死の瀬戸際まで陥っている人に、声かけて命の重みを
わかってもらえるように、訴えかけれるのが
私たち、「ゲートキーパー」の役目ではないでしょうか。
自死という言葉の場合。
「自死」というのは、自殺でも自然死でも
「死んでしまった」事実をいうことだと思います。
自死は、もう何言っても、もう帰ってこない。
もうどうしようもない、空虚感だけが残った、
悲しみに特化した言い方だと、私は思います。
自殺を敢えて咎めずに自死という真実を、無理やり受け止め、
浄化していくための言葉だと、私は思います。
いずれにしても、自殺・自死は、とても悲しい死です。
自殺者がピークの3万人をきっている今でも、
自殺は、まだまだ多い世の中です。
自殺者が多いってことは、それを悲しむ人は何倍もの人がいます。
遺族、遺友、上司、部下、同僚、ご近所さん、
ドクター、薬剤師、看護師、恋人、パートナー、恩師、、、。
1人が自殺をしてしまうことで、これほど、いやこれ以上の人が
悲しむことになります。
その「悲しさ」を訴え、呼び止めることができるのが
私たち、ゲートキーパーの役目ではないでしょうか。
昨日の質疑応答の時間では、うまく伝えられなかったので、
文章で、返させていだだきました。
読んでくれて、ありがとうございました。
令和7年3月24日
自殺未遂当事者の会-芯-
会長 蓬生さつき