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NHKこころの時代 〜 遠藤周作 [2021年10月31日(Sun)]
【連続記事】
マインドフルネス心の世界遺産ー2021


NHKこころの時代 〜 遠藤周作

 本日の放送は、遠藤周作でした。没後25年。キリスト教を日本人らしい見方にした人。 すべてを受け入れる深い自己、異なる思想国籍人種であっても共生していく、エゴイズムの抑制、至誠。

 深い自己の洞察にあたった人ですので、「マインドフルネス心の世界遺産」として、 ここにとりあげています。

http://mindfulness.jp/shoki-nihonbunka.htm

 2回のシリーズです。再放送をご覧ください。「深い河」のモデルは、井上洋治氏だそうですが、私も深い禅(自己根底の超個の指摘)との類似性を感じて「マインドフルネス心の世界遺産」の一つにとりあげています。

 「深い河」の中の言葉。

 「この世は集団ができると、対立が生じ、争いが作られ、相手を貶(おとし)めるための謀略が生まれる。」

 日本でも、いまだに、小さなグループに独裁者がおり、とりまきがおり、弱いメンバーをいじめ、ハラスメントし、苦しめて、批判者を排除している状況「があちこちにあります。大学でさえも(上野千鶴子氏指摘のアカデミック・ハラスメント)。私も見聞きし、体験しました。

 https://blog.canpan.info/jitou/archive/2787
  ★みな自分の利のために他者を排除しようとする

 他者を苦しめ、学問の自由さえも奪うエゴイズム。うつ病や自殺にまで追い込むエゴイズム。自己のエゴイズムに気づき、自覚し、抑制して、すべてのひとの幸福が奪われない国でありたい。

 遠藤周作の「深い河」。背景に、キリスト教、エゴイズムがありますが、仏教でこのような「深い河」の小説がありますか。 仏教という「宗教」は何なのでしょうか。

大江健三郎 『燃えあがる緑の木』
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4369

 そして、武者小路実篤も深いです。

 どうして、宗教者や宗教学は、このように深いものをお寺や大学で教えてくれないのでしょうか。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4859


https://blog.canpan.info/jitou/archive/4865
遠藤周作 『深い河』(2)

【連続記事】マインドフルネス心の世界遺産
 ー2021
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4862


https://blog.canpan.info/jitou/archive/4747
★平塚らいてう
 〜女性差別解放運動につとめた人
【ホームページやブログで紹介する「マインドフルネス心の世界遺産」】

今、索引が2か所に分かれています。

http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/sekai-isan/mokuji-sekaiisan.htm

http://mindfulness.jp/shoki-nihonbunka.htm

2022年に最も深い日本のマインドフルネス、超個、絶対無、空、悟りまで実践する書籍を刊行します。
これを記念して、「マインドフルネス心の世界遺産」の索引を一つにまとめます。
そして、これらを鑑賞するツアー、深いマインドフルネス実践会を始めます。

平塚らいてうも深い禅を極めて、人間の共通の絶対平等を説いたひとです。そのゆかりの土地の一つ、栃木県佐久山を訪問しました。建物がとりこわされていました。形あるものは消滅しますが、その人の生きた証は永遠に消えません。マインドフルネス心の世界遺産として、保存しましょう。

お寺とマインドフルネス総合研究所とのパートナーシップでの事業

★あなたの生きた証を残しましょう
死に際の人、がん患者さんの中には、 各人が生きた証を残したいという人がいます。

生きた証を残す活動をしませんか。

墓を持っていない人や身寄りのないひとは樹木墓、
生きた証を冊子に記録しオンラインにも保管庫、
生きているうちから、マインドフルネス心の世界遺産のパートナーになり
がん哲学マインドフルネスの実践会、
マインドフルネス心の世界遺産探訪ツアー、・・・。

ご協力いただけるお寺さん、ご連絡ください。
樹木墓、継続実践会の会場、ツアーの立ち寄り実践の会場、・・・。
Posted by MF総研/大田 at 09:04 | 深いマインドフルネス | この記事のURL
女性哲学者・池田晶子さんー「100分de名著」 [2021年03月29日(Mon)]

女性哲学者・池田晶子さんー「100分de名著」

 若松英輔さんが、NHK Eテレビの「100分de名著」の番組で、池田晶子さんを紹介しました。 今夜、22時25分から、再放送があります。ご覧になりませんか。 深い自己の哲学です。西田哲学にも類似しています。

 たとえば、若松さんは、次の言葉を紹介しています。
    私の中に心があるのではない、心の中に私があるのだとは、ユングも行き着いた壮大な逆説である。

    自分は死ぬということはない、自分は死なない、ということなるんじゃなかろうか。
 禅の久松真一(京都大学の名誉教授)は「私は死なない」といったそうです。

 時間があれば、いつか、詳しく見ていきたい。

若松英輔『100分de名著 災害を考える』NHK出版


https://blog.canpan.info/jitou/archive/3569
★科学は自己を解明できない
 真の自己は対象的ではない
Posted by MF総研/大田 at 21:04 | 深いマインドフルネス | この記事のURL
(5)母親の愛、絶対の愛 [2019年11月14日(Thu)]
この記事にある「後期西田哲学の実践論」(抜き刷り、24ページ)を抽選で、30名様に贈呈します。
葉書で、「後期西田哲学の実践論がほしい」と書いて、住所、お名前をおしらせください。 抽選で、30名様にお送りします。締め切り、11月25日(当日消印有効)。
葉書の送り先は、こちらのトップに表示しています。
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/jimu/jigyou.htm
〒349-0144 埼玉県・・・・・17番5号
大田健次郎、あてに、
(注)今期、マインドフルネス瞑想療法士🄬の認定講座を受講中のひとは、申し込み不要です。

(5)母親の愛、絶対の愛

もう一度学問にある専門家多数派のエゴイズムを考える
(5)母親の愛、絶対の愛

 仏教や禅の研究をする研究者(大学に多い)が、深い自己の哲学を理解できず、否定することによって、学生や市民は深い自己、深い実践、深いマインドフルネスを知らされなくなると言いました。
 大竹晋氏が大乗仏教の核心が見失われているといった3つのうち、「自内證」といったものがあります。自己洞察の継続によって深い自己を体験することです。禅では、悟り、見性といいます。大乗仏教は、無生法忍という語が経典に出てきます。唯識では、真見道といいます。欧米の人でも体験することがあります(下記)。

 西田哲学の次のこととも関係があります。我々は、意識現象、意識作用を体験的に観察できます。最も深い体験が、絶対無の体験です。自内證、見性です。その時に、自己の意識現象も意識的自己も、絶対無(絶対者、神、阿弥陀仏)に包まれていることを知るのです。「このようなつまらない自分が絶対者の愛に包まれている」と実感するのです。哲学者西田幾多郎の最後の論文の言葉です。

 「絶対者はどこまでも我々の自己を包むものであるのである、どこまでも背く我々の自己を、逃げる我々の自己を、どこまでも追い、これを包むものであるのである、すなわち無限の慈悲であるのである。・・・・ どこまでも自己自身に反するものを包むのが絶対の愛である。どこまでも自己矛盾的存在たる意志的自己は、自己成立の根底において、矛盾的自己同一的に自己を成立せしめるものに撞着するのである。」 (「場所的論理と宗教的世界観」旧全集11巻435頁)

 西田哲学は、こうして場所的論理、逆対応の論理で、論理的に説明しているのです。 こうした深い哲学でないと、救済されないひとが多いのです。自分は生きる価値がないとか、自分とは何ものなのかという苦悩、死ぬしかないという深刻な苦悩などを持つ人たち、 多くの母親の愛は下記のように深いのに実の母に愛されなかったという苦悩を持つ人たちです。

我が子に対する母の愛

 私は、マインドフルネスSIMTを用いたカウンセリングをしていますが、母親がわが子の悩むのを解決してあげたいと訪問なさいます。
 母親の我が子に対する「愛」は絶対の愛に似ています。子どもが、うつ病とかひきこもりとかで苦しんでいて、何とか解決してあげたいと思って来談されます。
    (注)カウンセリングでは、深い哲学の理解は必要ありません。浅い意識の範囲のものが多いです。拙著「うつ・不安障害を治すマインドフルネス」の意志的自己レベルの浅いマインドフルネスSIMTで間に合う問題が多いです。自己とは何かという深い悩みのひとは来談されません。普通のうつ病、不安症、PTSD、過食症など、ご相談ください。
 母は子を人格レベル全体で包みこんでいます。目前にいる時も、外出していて目前にいない時でも、我が子の幸福を願っています。愛を注いでいます。母の愛は、空間に制約されません。 どこにいても愛します。遠くで倒れたと連絡があれば、かけつけます。 そして子が生きていく支援をします。子が、「こう考えるから愛する」「こういう行動をするから愛する」というのではありません。何を考えようと、何をしようとも愛します。まれですが、子が犯罪を犯しても愛します。災害や病気、事故で亡くなった子がいれば、母の愛は死後も続きます。母の愛は死も超えています。
 ここに青山卓央氏の「愛」の特徴が記述されています。存在の祝福です。
  https://blog.canpan.info/jitou/archive/4196

 友人や職場の人はこういう愛は持ちません。言葉や行動ですぐに嫌われ、絶交、排除、いじめです。
 母は、子の過去、現在、未来にわたって、愛します。時間に制約されません。母は子が眠っている時、つまり、子が意識していない時にも、風邪などひかないかを見守っています。子の意識を超えて愛で包んでいます。

すべての人に対する根底から働く絶対者の愛

 こうした人間の母の愛を参照して、上記の西田哲学の絶対者の愛を何とか理解できないでしょうか。
 西田哲学の絶対者は「自分」の外から見守っているのではなくて、自己の精神(内在)の奥底から包んで働いているのです。自分の感覚、考え、行為のすべて、そして意識的自己までのすべてを包んで、生かしています。自分の悪や悩みを受容、否定しています。自分の決断し行為することをささえてくれています。 絶対者は自己の意識や自己と別なものではなくて、そういう自分の意識が絶対者そのものの表現です。絶対者と自己とが一つです。西田哲学は「射影」だともいっています。
 絶対者と自我は相反して働きます。絶対にまかせて至誠で行為すれば、自己の行為が絶対者のものとなります。絶対を自覚しなければ、すべてが自己のものです。エゴイズムで自己他者を苦しみ、苦しめるでしょう。逆対応です。逆対応は最終論文で、至誠は「実践哲学序論」で詳しく説明しています。  こうした自覚ができると、自分は何なのかという苦悩から救われるのです。どう生きるかということは、いきがいをみつける問題であり、自己存在は問題にならないのです。だいたい、大学人は、職を得て満足しているので、こうした自己存在の深い苦悩を理解しにくいのでしょう。
 幸福の哲学も多くの著名人や哲学者が論じていますが、たいてい、働くことや人を愛することが幸福だといいます。では、職もなく愛する家族もなき人は不幸なのか、幸福はないのか、という重大な問題に応えてくれません。うつ病で自殺していく人も、自己が絶対者の愛に包まれていることを自覚できれば、死なないですむでしょう。極めて重要な哲学です。理解できないからといって否定するのは、救済を邪魔することになるかもしれません。宗教的だから排除するというのもおかしいでしょう。
 ここで、前の小坂井敏晶氏の記事につながります。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4419
 自分が理解できなくて不安にされる哲学的な主張に接して、正面から理論的に批評することなく否定する言説だけを言う。市民を浅く狭い知識に閉じ込める危険性がある。

 絶対者の愛に包まれているなら、職や愛するひとがなくなっても、絶対者の愛があります。 山口尚氏の「超越的幸福」が似たところがあります(「幸福と人生の意味の越学」)。 西田博士は、職が不安定な時がありました。妻や兄弟、子をなくすことがたくさんありました。不幸ななかで、西田哲学は徹底的に考えられました。この人には自内證の体験があると考えられます。
 根底の絶対無は、単に思想ではなくて、事実だといいます。精神、内在では意識できないが、もっと深い事実であり、鈴木大拙の言葉を使って「心霊上の事実」であるといいます。
 「哲学者が自己の体系の上から宗教を捏造すべきではない」(同p371)といいます。哲学者や仏教学者が、自分の学問体系(それは対象論理)から、または無宗教をほこりとする自分の見解から、こういう深い体験的事実を妄想だなどと否定してはいけないというのです。

 こういう深い自己は、大乗仏教や禅の自己洞察の末に体験するというのです。 日本では、芸術家でも体験した人がいます(河井寛次郎、東山魁夷など)。欧米には、この訓練方法(深い禅修行、人格的自己レベルの深いマインドフルネスSIMT)がないので、多くはいませんが、偶然に体験した人がいます。最近では、フランスの哲学者アンドレ・コント=スポンヴィル。「精神の自由ということ〜神なき時代の哲学」(紀伊国屋書店)に詳細に述べられています。
 現在の人々も、自己とは何か、人生の意味とか強い関心を持っています。類書がかなり売れているようですが、西田哲学とは違うものも多いようです。

 西田哲学を肯定する人、大乗仏教に似たところがあること、幸福の哲学も類似したことを主張する少数意見を表明する人がおられるので、そういう真摯な少数派の学問を知る機会がなければならないと考えます。そういうなかから、ゆきづまりを見せる従来の 還元主義、画一主義、全体主義的な見解実践学問、幸福論の哲学など( フランクルが批判) を超えて、新しい解決のヒントを得ることができるかもしれません。自己洞察では、欧米になく、日本に窮極まで検討されたものがあります。

【参考】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3262
★アインシュタイン・絶対の愛

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3118
★絶対矛盾的自己同一
連続記事目次
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4413
もう一度学問にある専門家多数派のエゴイズムを考える
(参照)「答えのない世界を生きる」小坂井敏晶、祥伝社


https://blog.canpan.info/jitou/archive/3288
★日本には深い自己観察の哲学と実践がある。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3789
★仏教者の「思想的な怠惰」
Posted by MF総研/大田 at 21:41 | 深いマインドフルネス | この記事のURL
大江健三郎 『燃えあがる緑の木』(2)祈り、集中、注意 [2019年09月22日(Sun)]

大江健三郎 『燃えあがる緑の木』(2)祈り、集中、注意

 =マインドフルネス心の世界遺産

 HKH Eテレビが、ノーベル文学賞を受けた大江健三郎さんの小説を紹介しています。もう、3回目が終わりました。明日、最終回 です。
 『燃えあがる緑の木』神のない信仰がありうるかを探索した物語。

 この小説の中の、重要な言葉として「集中」があります。祈り、瞑想も関連します。だから、この小説は、マインドフルネス、宗教(仏教、キリスト教)、自己とは何かという哲学との関係が深いのです。

 3回目は、テレビとテキストとでは、かなり重点のおきかたがちがっていました。テレビは、筋の展開が中心でした。「集中」については簡単な説明でした。 テキストのほうでは、かなり詳細な解説があります。

 燃えあがる緑の木の教会で、メンバーの分裂騒動が起きます。最も重要な「集中」も理解がバラバラのようです。

「集中の対象に何があるのかは、「救い主」とされたギー兄さん自身にもわかりません。」 (p92)

 「きみの教会に、神はいないんだって!」
 「空屋のごとき教会」と形容もします。ギー兄さんは、その「空屋」という比喩を「繭」にたとえて、ザッカリーに同意します。」(p92)

 「その繭に向けて集中する強さということは、把握しえていると思う。 しだいに手ごたえの確実になる、生きることの習慣として。」

 ブームの「マインドフルネス」も「集中」といいますね。ただし、ギー兄さんのものは次のようなものです。かなり違うようです。オウム真理教の予言のようだという評価がありましたが、「マインドフルネス」の予言でもあるようです。実践はさまざまな解釈が可能であり、仏教も分派しました。

 「空屋の教会でどうしてよくないだろうか?」 そのなかを充たすのは、またそこから現れるのは、さきにもいったけれど、ソレのというか神のというか、先方の仕事でね。こちら側の責任ではないはず、と私は思っているんだ。」(p93)

 とても深いことを言っています。キリスト教のエクハルトが似たことを言っているのです。

 解説の小野さんは、このように言います。

 「大切なのは、集中することを、生きる習慣とすることなのです。そのような生き方こそが、ギー兄さんにとって魂のことをすることにほかなりません。このとき、集中するとは、あるものに対して注意を深く強く傾けることです。」(p93)

 マインドフルネスと似ていますが、静かな場所で感覚などに集中ではなくて、生きる価値あるもの、人生の意味にであろうと思います。
 その時に、我(が)、独断、エゴイズムが問題になります。我があれば、先方の働きが現れないでしょう。我がない時に、「神のというか、先方の仕事でね。こちら側の責任ではないはず」ですから。

 作者の大江健三郎さんは、日本では親鸞聖人や道元禅師の教えに似たことを言っているように見えます。「生きる習慣」という言葉がありますが、西田哲学の「行為的直観」に似ています。「人生の習慣」です。この時に、我をもちだすか、我を捨てるかを、ギー兄さんは言っているようです。西田哲学は、我がある人の現れは行為的直観で、我がない時に「創造的直観」といっています。

 この小説は、人生の生き方、宗教について問題にしているようです。「神のない生き方、神仏のない宗教があるかないか」もテーマでしょう。フランスの哲学者、アンドレ・コント=スポンヴィルも「神なき時代の哲学」を提案しています。西田哲学の最奥の絶対無、そして日本の深い禅の真の自己は「対象的な絶対者」ではないので、大江さんと似ているかもしれません。
 明日が最終回です。テキストは内容がわかりますが、テレビはどこに焦点をあてるのか楽しみです。

参照
「100分で名著 燃えあがる緑の木」小野正嗣、NHK出版

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4369
【1】

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4373
【2】
★「マインドフルネス心の世界遺産」の索引です
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/sekai-isan/mokuji-sekaiisan.htm

【目次】このようなところに活用できそう
 マインドフルネスSIMT 2019

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4243
Posted by MF総研/大田 at 12:10 | 深いマインドフルネス | この記事のURL
松本サリン事件被害者・河野義行さん・最も深いマインドフルネス [2019年08月03日(Sat)]

松本サリン事件被害者・河野義行さん・最も深いマインドフルネス

自己の利益、自己保身、独断的見解、エゴイズムで他者を苦しめる人が多い社会。自分のエゴイズムは気づきにくいもの。 自分の心を観察する「マインドフルネス」。そのもっとも深いエゴイズムの気づき、観察、評価、衝動の抑制、自分を傷つけた人を許容する寛い心、社会貢献実践を体現なさっておられる人。

https://www.asahi.com/articles/DA3S14125263.html?iref=pc_ss_date

記事の全文をご覧になっていただきたい。西田哲学がいう実践指針である「至誠」を信じることができます。対人交流場面(ポージェス)ではなく、世界創造(西田哲学)の場面ではない、瞑想の場にはないと西田哲学がいう、対人場面の現場の「至誠」。少しでもこちらの方向にすすんでいきたい。

「現場」は、瞑想や坐禅時ではなくて、家庭、職場、出かけた場所、体験の場所、病院や施設でお世話を受けている場所。世話する場所、世話を受ける場所。政治、外交、産業、教育、ほかすべての場所。

☆今日は、 マインドフルネスSIMTの初心者向けの体験会。傷ついた人、その保護者、支援する人、お見えになるでしょう。
【目次】このようなところに活用できそう
 マインドフルネスSIMT 2019

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4243
Posted by MF総研/大田 at 10:01 | 深いマインドフルネス | この記事のURL
NHK E テレビ「こころの時代」 [2019年07月25日(Thu)]

NHK E テレビ 「こころの時代」

 NHK Eテレビの「心の時代」 臨済宗の山川宗玄老師のお話。 最近、本でもテレビでも、悟り、見性をいう学者、宗教者があまりみられません。 久しぶりに、ありました。
釈尊の弟子のなかでも、説法を理解できない人が「ちりをはらう」と繰り返し実践して、悟りの体験をして、阿羅漢になった、と紹介されました。しかし、現代の宗教者や学者がそういう体験を否定するひとがあります。自分で体験できないこと、理解できないものは否定せずに、一生探求すれば成長するのでしょう。西田幾多郎、井筒俊彦、ほか多くの哲学者が説明しています。

https://www4.nhk.or.jp/kokoro/2/
再放送をご覧ください。27日、土曜日、です。

哲学者、鈴木大拙などがいう、自己を観察して最も内奥の自己の根源を自覚する絶対無の体験です。大竹晋氏が自内證というものです。大乗仏教では、無生法忍、道元は身心脱落というものです。はやりの言葉でいえば、最も広く深いマインドフルネスの基礎です。
しかし、一般人には、深い実践、深い実存、深い体験が伝わっていません。どうして、こんなことになるのでしょうか。

 大乗仏教は、確かに、悟りの自内證を強調します。しかし、それだけではありません。悩み苦しむ人の心理的な救済支援(利他という)、自己の成長(つまり、エゴイズム、強欲、自己保身の自我の観察抑制)も強調したのです。このことも、現代の宗教者、学者が強調しません。悩む人は、医師、カウンセラー、カルトなどへ。解決すればいいですが。でも、「自己成長」は、扱わないでしょう。西田哲学では「至誠」といった内面の実践、プラクシス。すべての人が対人行動時(ポイエシス)に、同時に観察実践するもの。このことは大乗仏教でも強調された。煩悩の観察抑制。これが、見られない。自内證、利他、自己成長。しないでいいことを弁護する学問。

学問にも抑圧、忖度、自己保身があるのでしょう。
「祖国の姿 いま如何に」
前途ある若い人をひきこもらせ、自殺させる。

次の時代の日本をになう、 青年が、大乗仏教や日本仏教の真実を学問的にあきらかにして、様々な社会問題の解決に貢献していただきたいです。一般庶民の悩み(うつ病、不安症になるような心理的な葛藤、対人関係など)を無視したはずがない。大乗仏教や日本仏教の開祖はそこを言っていないのか。本当に「ただ〇〇するだけだ」と言っているのか。現代には貢献できないのか。
令和の時代は、若い人たちが作っていくべきです。

(編集中です)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2544
★インド、中国、日本の仏教は、出離的=現代の一般人向けか?
Posted by MF総研/大田 at 20:49 | 深いマインドフルネス | この記事のURL
至誠の人・大山忠作画伯 [2019年06月28日(Fri)]

至誠の人・大山忠作画伯

 西田幾多郎によれば、日本人は「至誠」を求めたといいます。

 西田哲学によるマインドフルネス=自己洞察の指針は、一言でいえば、「至誠」です。 それを生きた人がたくさんいます。

「マインドフルネス精神療法」第5号で紹介したのは、大山忠作画伯です。禅に詳しい日本画家です。

http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/kikansi/hp-05/57-ohta-zen.pdf

 意識の浅い、深いを表わしています。
 また、ここに紹介したように「「八ずの戒め」をモットーとしていたのです。これは、とても難しいことです。至誠をあらわしています。家庭でも職場でも学校でも、自分中心のエゴイズムが渦巻き、いじめが多い世界です。「八ず」が実践されていません。「八ず」が実践されれば、家庭も職場も学校も居心地いい場所になります。
 禅で探求する最も深いこころ、人間の根源は、差別以前であり、こういう「八ず」もないからです。画伯の画は、こうした深い日本の精神生活に裏付けされています。現代の日本では、失われようとしています。

 また展示替えがありました。ご覧になりませんか。
http://www.nihonmatsu-ed.jp/oyama/index.html
 福島県二本松の大山忠作美術館で、その画を鑑賞することができます。岳温泉には、ゆかりの「十二支めぐり」ができます。散歩しながら、みつけて、スタンプを押します。スタンプ用の台紙を観光案内所で求めることができます。健康にいいです。
https://blogs.yahoo.co.jp/happy04020728/27320774.html

 岳温泉の旅館に、大山画伯の画があるところもあります。二本松には、智恵子記念館も。
http://www.city.nihonmatsu.lg.jp/page/page003220.html
 大山忠作記念館、岳温泉十二支めぐり、智恵子記念館のツアーはいかがですか。希望があれば、旅行代理店に企画をもちこみますが。「マインドフルネス心の世界遺産めぐりツアー」です。

http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/sekai-isan/mokuji-sekaiisan.htm
★マインドフルネス心の世界遺産

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3309
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3329
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3359
★後期西田哲学の実践論、「至誠」

http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/kikansi/kikansi-mokuji.htm
★「マインドフルネス精神療法」の目次
Posted by MF総研/大田 at 19:09 | 深いマインドフルネス | この記事のURL
金子みすゞ(日本文化の根底にあるもの) [2019年02月10日(Sun)]

金子みすゞ
 =日本の文化の根底にあるもの

 日本的霊性(鈴木大拙の言葉)を詩にした女性詩人金子みすゞ。 金子みすゞの詩に「蜂と神様」があります。

http://www.geocities.jp/cnrhs806/misuzu/Bee_God.html
(全文はここに)

 「蜂」を「自分」「私」に置き換えてくだい。 最後近くの「神様」を「絶対無」または「仏(ほとけ)」に置き換えて ください。大乗仏教は「ほとけ」と言います。西田哲学は「絶対無」「絶対的一者」といいます。

 今日の「マインドフルネス精神療法研究会」では 叡智的自己、人格的自己、オルテガを学習しますが、 この詩も味わいます。
 言葉や画は何を表現しているのだろうかと「評価」「判断」を用います。無評価では、芸術も味わうことができません。創作もできないでしょう。

はお花のなかに、
お花はお庭の中に
・・・
日本は世界のなかに、
世界は絶対無(ほとけ)のなかに。
そうして、そうして、絶対無(ほとけ)は、
小ちゃな「私」のなかに。


https://blog.canpan.info/jitou/archive/2336
★金子みすゞの詩を味わう

http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/program/nihonbunka.htm
★日本文化の根底にあるもの
Posted by MF総研/大田 at 10:35 | 深いマインドフルネス | この記事のURL
欧米型マインドフルネスの限界をいうポージェス/ポリヴェーガル理論 [2018年12月26日(Wed)]
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3976?1541731623
★2019年1月26日、宮城県大崎市のお寺(真言宗)で、マインドフルネスSIMTの体験、説明会。
 (お申込みがありましたので、開催決定です=12月12日、付記)

=初心者向け体験のほか、専門家向けの「マインドフルネス」の問題点、講座のガイダンスも。
お寺を「マインドフルネス」のために解放してくださっています。
2019年に、講座を宮城県で希望がありますか。 2019年は、希望があれば、埼玉、宮城で開催。

★2019年1月13日は、専門家向けの講演
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/kouen/2019-1-13-kouen.pdf
 (お申込みがありましたので、開催決定です=12月12日、付記)

=僧侶、学者、マインドフルネスの推進者、医療関係者など
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3630
★人間のエゴイズムはすさまじい、生命までもうばう。
不正、うそ、いじめ、自殺、パワハラの蔓延する日本社会。マインドフルネスでさえも金儲け。 元来、人々の悩みを解決するためのヒントがあったはずなのに活用されていない、従来の仏教の問題を超えていくために
日本の社会問題の解決のための「マインドフルネス」
自分の役割は何か、自分の組織の使命は何か、それぞれにどういう方向があるか。
現代の日本的なマインドフルネスの展望。

2019年3月1日、アメリカの大学院心理学専攻の学生および教授へ、日本独自のマインドフルネスSIMTの講義。
(日本型マインドフルネスは欧米のものより深く、講義だけではわかりにくい。そこで、講義前に読んでいただくreading materialを作成し終え、英文に翻訳作業中。)

欧米型マインドフルネスの限界をいうポージェス/ポリヴェーガル理論

 ポリヴェーガル理論を提案しているポージェスは、「無評価で観察」のマインドフルネスは 限界があるといっています。
(この点については、上記の講演会、講義でも触れます。)

 「マインドフルネスにあるのは、「安全である」ということです。マインドフルネスとは、何事も評価したり批判したりしない状態にいることが含まれています。なぜなら安全な状態にいる限り、防衛システムを賦活することは難しいのです。
 自分自身のことが嫌いで、誰かに対して怒りを感じていると、人は防衛的になります。つまり、古い神経構造を採用しているのです。防衛反応と評価されるときの反応には共通するものがあります。 私たちが評価を受けるときは、防衛反応を引き起こす生理学的状態にあります。」(p139)

 「私は、マインドフルネス瞑想についても考えましたが、マインドフルネス瞑想もまた、安全な環境で行われる必要があることに気がつきました。・・・
 また交感神経の活性化に関連する防御システムの起用は、マインドフルネスとは両立しないということにも気づきました。 マインドフルネスは中立であることを必要とすることを思い出してください。何事も評価しない中立の状態は、生存のために良い評価を得なくてはいけないという防衛状態とは両立しません。」(ステファン・W・ポージェス、2018年『ポリヴェーガル理論入門』p245)

 痛みをかかえる患者が自宅で一人で瞑想、ヨーガ、ボディースキャンをする場面、坐禅堂やヨーガ道場は、「無評価」の場所かもしれません。しかし、家庭で対人関係の時や職場すべては評価しなければいけない場所のようです。無評価のマインドフルネスとは両立しないというのです。
 アメリカの科学者は「無評価で観察」のマインドフルネスの限界をもう知っているわけです。
 うつ病の患者が治って復帰していくのも職場であり評価の現場です。日本も、無評価で観察のマインドフルネスだけを研究しつづけるか、もっと拡大していくか来年こそ真剣に議論すべきです。うつ病になったひとは、良い評価を得なければいけない場所での心の観察のしかたが難しかったためのようです。職場は、環境の変化から乖離していないか、顧客を傷つけないか評価しなければなりません。セクハラ、パワハラ、ドクハラでないか評価しなければなりません。

 来年は、平成の時代のマインドフルネスから新しいマインドフルネスに移りかわる第1年でしょう。国内外で、自己中心、独断が激しくなっています。無評価ではなくて、どう評価して世界を作っていくのでしょうか。
【ポージェスの言葉】

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4056
★欧米型マインドフルネスは安全な場所で行うもの/ポリヴェーガル理論

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4054
★無評価のマインドフルネスは、生存のために良い評価を得なくてはいけないという防衛状態とは両立しません

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4052
★臨床の現場と研究者とは大きな隔たり

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★専門家は自分の選んだ価値を実現して喜ぶが・・・・
 「科学者たちはこの分野を研究したくない」




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【誤解だらけの瞑想、坐禅、マインドフルネス】
Posted by MF総研/大田 at 21:09 | 深いマインドフルネス | この記事のURL
禅を画でやさしく伝えようとした仙 [2018年09月28日(Fri)]

禅を画でやさしく伝えようとした仙

 禅僧、仙高ヘ江戸時代の人です。この禅僧は禅のこころを画にしてやさしくつたえようとしました。「マインドフルネス心の世界遺産」の一つといえます。出光美術館で「仙漉邇^」展が開かれています。

http://idemitsu-museum.or.jp/exhibition/present/
「仙漉邇^」が開かれています。

解説もあります。
「今展の「列品解説」のテーマはズバリ「老後」。人生100年時代を見据えた生きるヒントを、"老後の達人" 仙高ウんのバイタリティー溢れる隠居生活から学んでみませんか?(約45分)」

 面白い画がたくさんありますが、「マインドフルネス」の視点から、2つコメントしておきます。

〇△□

 〇△□、不思議な画です。 「扶桑最初禅窟」という言葉がそえられています。 彼が住職となった聖福寺は、日本の臨済宗の栄西を開山とする寺です。禅の根本をあらわしたはずです。
 この画は、なにを表現したと解釈したらいいのか様々な解説が試みられてきたようです。

画はここにあります。
https://serai.jp/hobby/93438 〇△□

  http://artscape.jp/study/art-achive/10127048_1982.html
★ここに中山喜一郎氏の解説があります。

「ひとつ目は宇宙の根本を○△□の三つの形で表わしたとする宇宙原形説。二つ目は、○は無または無限、△は一、□は多、この三つを合わせたユニバース(宇宙の自然)説。三つ目は、・・・神道(□)・儒教(△)・仏教(○)の三教を表わした宗教融合説。四つ目は、天台(□)・真言(△)・禅宗(○)の三宗を表わした宗派合一説。五つ目は、・・・三密(仏の身体〔身密〕・言葉〔口密〕・心〔意密〕)と六大(風・水・土・火・空の五大と人間の意識の識大)を表わしたとする三密六大説。その他、六大を象徴する土(□)と火(△)と水(○)を表わしたとする真言密教説や、禅における悟りの端的表象とする解釈もある。」

 私の解釈は、この最後の「禅における悟りの端的表象」という解釈です。 禅は、昭和以来の研究者(西田幾多郎、鈴木大拙、井筒俊彦など)によれば、言葉以前の「対象とならない」自己の根源を体験して、そこから「対象的な」「言葉の世界」を知るものとされます。絶対無、無分節から、分節、対象的世界です。仙高フ画はこれを現わしているとみます。禅の「実在論」を表現しているとみます。
 禅哲学者の鈴木大拙にも〇△□の画があります。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3573
勝義諦が無分節でしょう。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3029
★井筒俊彦の「無分節」は、こちらにあります。

 一方、ロゴセラピーのフランクルの著作には、球、三角錐、円柱の図があります。
https://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/e94d0d90df181fc09eb275e3967d02de
★フランクルの〇△□

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2629
★フランクルのことはいろいろ取り上げました。

3次元の立体を二元的にすると〇△□に見えます。 フランクルの場合は、 宗教的根源を表したものではなくて、複雑な人間の意識現象を平板に画一主義、還元主義に単純化してしまうことの心理学などの学問への批判のようです。無分節ではないようです。

 解釈は各人のものです。実物をご覧になることをおすすめします。

堪忍

次に、禅の「実践論」の画のひとつとみるのが、「堪忍柳」の画です。

http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2007/1014/
★ここに画があります。

  「堪忍 気に入らぬ風もあらふに 柳哉 香v

という賛がありますので、画であらわしたいことがわかります。「気に入らぬ風」は、 自分の本音とくいちがう現実、5感覚を通して把握される外部世界、内的世界(病気など)。 しだれ柳のように流してしまう心の使い方。世界の動きに抵抗すると、苦しくなります、枝が折れたり、幹ごと倒壊するかもしれません。 世界が思いどおりでなくても、流してしまう。しかし、枝はしなやかに風を受けて流しています。ちゃんと幹は立っています。生きづらい人生を生きていく心得です。

Posted by MF総研/大田 at 07:54 | 深いマインドフルネス | この記事のURL
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