産後うつ病の母親が子を殺害 [2025年05月09日(Fri)]
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うつ病になると治りにくい
〜 深刻であると自殺する症状がある [2025年01月12日(Sun)]
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深い人間哲学を探求した人びと 〜 マインドフルネス心の世界遺産 [2025年01月10日(Fri)]
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【全体展望のリンク目次】今年も「孤独・孤立対策・自殺防止対策・教育」 [2025年01月05日(Sun)]
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(6)何もできなくてもすべてのひとに「存在価値」 [2025年01月04日(Sat)]
どんなひとでも生きる価値がある
どんなひとでも生きる意味がある
(6)何もできなくてもすべてのひとに「存在価値」
以上が、人生において何かできること(価値、意味)を見つけて生きていくと、「幸福」だと感じます。「生きがい」を感じます。
ところで、別な価値があります。創造、体験、態度の価値は、行動や態度が伴います。行動することで、価値を充足します。
これらを「当為価値」といいます。ほかに、「存在価値」があります。
創造、体験、態度のすべて、そして、9つ(7つ)のカテゴリーのすべては、「当為価値」です。「自己」によって、自己の行動によって、作られるものです。だから、自己は無限の可能性を持つものです。それだけで、存在するだけで「価値」があります。
当為価値は、「自己」の働き(作用)によって、作りだされたもの(対象)です。取り換え可能です。年代、場所などが変われば、別の価値に向けて行動すればいいのです。
しかし、「自己」は、取り換え不能です。何百憶年つづくかしれない「人類」の歴史のなかで、この「自己」はたった1回きりです。取り換え不能、代替不能です。それほどに貴重な「存在」です。
だから、苦悩する人に向けて、ロゴセラピーや西田哲学の精神療法化したものは、次のような(一例にすぎません)アドバイス、助言があるでしょう。
1)家族から愛される存在であること。
うつ病や自殺を防止するために考慮すべき一つは、家族の「愛」や社会の「愛」です。仕事ができなくても、「生きていてくれる」だけでもいいと言ってくれる家族の「愛」です。「存在価値」を強く意識できる場合です。自分の存在を「価値」といってくれる家族がいること。
仕事がうまくいかないとか、ハラスメントや犯罪の被害を受けて、うつが深刻になって、死にたくなっている場合の人には、家族の愛があることを思い起こしてもらいたいのです。死なないで、家族に相談して、再起を期してもらいたいのです。
これは、家族でもできること。家族がいるのに、ハラスメントや犯罪被害で自殺する人がおられるが、その人は「家族」の愛が見えなくなっている。だから、「希死念慮」をもっていることを家族に告げてほしい。家族は、必死に「死なないで」と告げるはずです。
2)社会から愛される=社会の愛。社会から必要とされる存在であること。
あなたを必要とするところが別なところにあるということ。あなたがしたいと思うことがきっとあること。それを見つけてほしいこと。
3)それでも、そうとは思えないという深刻な人には、宗教的なものから愛されている存在であること。
自己を包み、自己を生かしているものがあること、宗教的です。1)2)でも説得できない時には、宗教的な「愛」があります。これは、このことをアドバイスできる宗教者やカウンセラーしかできません。(注1)
どんなひとでも生きる価値があります。
どんなひとでも生きる意味があります。
(注1) 深い宗教はわかりにくいですが、三浦綾子(北海道の小説家)は、不治の病といわれて病臥していた時に、キリスト教徒の男性に宗教的な対話で説得されて自死しなかった。それがよかった。何年か生きていくうちに治った。治らなくても、宗教的な「愛」に包まれて天寿をまっとうするひとがいるだろう。
支援してくれる人が身近にいない場合、西田哲学の論理によって、自分で実践するとしたら、こうなるという方法を書いたのが、これである。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4917
◆大田健次郎『「死」と向き合うためのマインドフルネス実践』佼成出版社
マインドフルネス、SIMTは、理論(哲学、生理学など)と実践方法をできるだけ「言葉」で説明して、深く自己を探求することであるから。
【参考記事】
存在価値については、以下の記事で述べています。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2676
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2677
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2678
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2679
「3つの価値は、能動的であるが、これができない人にもなお存在価値がある。態度価値を遂行できない人でも家族から何もしなくていい、いるだけで価値があると愛される存在価値がある。さらに、家族から見放されているとか、家族がいないための、存在価値がないと思う人には、さらになお存在価値がある。死なないということは、何か人間を越えたもの(絶対者?)に、生きること、存在することを許され、愛され、生かしつづけるものがあることは確かである。」
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2767
「フランクルの3つの価値、つまり、創造価値、体験価値、態度価値のど れにも入りそうもないが、現実には、深い意味で(創造という意味にはいりきらない)家族のために生きる人も多いだろう。実は 創造価値、体験価値、態度価値のほかに、すべての人がこれをもつだろう。セラピー(医療、心理療法)を超えたマインドフルネスでは、これ をも高く評価したい。セラピーではあまり問題にならないから、フランクルは、創造価値に含めて、別に立てなかったのだろう。」
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2873
「夫婦、親子の 愛という存在価値は、創造価値、体験価値を遂行していくときにも、根底に存在しており、見守っている。愛という存在価値は特別の価値である。何かの事情で創造価値、体験価値を遂行できなくなってもなお私の存在を受け入れてくれる。」
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4196
「愛されることによる重要感の充足は、自分の美点への賞賛というより、自分の存在への 祝福(存在そのものの肯定)としてなされます。自分という人間がいることはーーたとえ特 別な美点などなくともーーそれ自体として祝福されるべきことだと、他者からの愛は感じさせてくれるのです。」(青山拓央(2016)『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』太田出版、p120)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5548
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(5)「態度価値」は、「創造価値」「体験価値」の中での行為も [2025年01月03日(Fri)]
どんなひとでも生きる価値がある
どんなひとでも生きる意味がある
(5)「態度価値」は、「創造価値」「体験価値」の中での行為も
フランクルは、態度価値があるといいました。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2648
★人間は最期まで生きる意味がある
フランクルの「態度価値」は、次のようなものです。前の記事
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5549
に述べました。
「われわれの考えによれば、さらに第三の可能な価値カテゴリーが存在する。・・・・・ このさらなる価値グループは、人間が自分の制限された生活に対して取る態度によって実現されるものである。人間が自分の狭められた可能性に対して、みずから態度を決めるというまさにそのことによって、新たな独自の価値領域、しかも確実に最高の価値に属するような価値領域が開かれるのである。」(ヴィクトール・フランクル『人間とは何か』山田邦男、p112)
このような「態度価値」が、9つ(または7つ)の価値カテゴリーに含まれているのか。生きがいを感じるの「態度だという、これがあれば生きる意味がある「態度」だといいます。わかりにくいですね。
「こういう態度でいれば生きる意味がある」と感じるというのですが、一般の私たちには、9つ(または7つ)のカテゴリーで考えますよね。フランクルがいいたいことを検討しましょう。
9つのカテゴリーはフランクルの高弟ルーカスの論文(注1)でみました。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5550
フランクルは、余命宣告を受けたようなつらい状況における「態度」に、価値、意味があるといいます。しかし、
ルーカスは、この検証において、「態度価値」と分類されそうなことをあげた人が少なかったので、「態度価値」は独立した「価値」として扱うべきかどうかということについて、次のようにいいます。「態度価値」は、創造も体験もできないような、病気や深刻な悩みのある状況の中だけではなくて、ロゴセラピーを健康な「通常の生活条件への適応」「成功」しつつある人の価値の中にまで「態度価値」を拡張したいといいます。
「「態度」価値を示した回答の割合が低いからといって、この価値カテゴリーを独立したカテゴリーとして扱うことには疑問があるということではなく、むしろこの概念の適用範囲が狭すぎると考えるべきではないかということである。」(p195)
「非常に肯定的で、精神衛生上も非常に健康的な態度というものは、たとえその人の生活が(もっとも広い意味で)成功であっても不成功であっても同等の価値を有しているに違いない。」(p195)
「成功に対する態度とはどのようなものであろうか。」(p195)
「自分の成功は、それが悩んでいる人びとの助けになり、その人たちの悩みを和らげるのに役立つ限りでのみ成功といえるのである。・・・・この二つの態度、つまり苦しみの中で勇敢に耐えることと幸せの中で誰かを助けようとすることは精神的に強い決意を要するものであり、そのゆえにこそこれら二つの態度は人間の大きな内面的業績に数えられるのである。」(p195)
以上で、「態度価値」の意義が見えてきました。
◆苦しい中で、創造も体験もできないような中にあっても、ある「態度」が考えられる
◆自分でも他者から見ても、「成功」しているひとが見せる、尊敬すべき、崇高な、そのような「態度」があり、創造、体験という分類にはなじまないもの。
実例を考えます。
◆「苦しみの中で勇敢に耐えること」の例としては、余命宣告されたひとがみせる態度、障害を持つひとが耐える姿、すばらしいスポーツ、芸術などに取り組む姿、などが考えられます。
性的犯罪の被害者が、実名を出して告発する行動には、「苦しみの中で勇敢に耐えること」を伴いますので、「態度価値」と言えます。
◆「幸せの中で誰かを助けようとすること」の例としては、収入が目当ではない「ボランティア活動」や、大乗仏教がいう在家仏教者の「利他」の行動にみられる「態度」があるでしょう。宗教者ではないから「本務」ではありませんから。
それから、慈善団体への寄付する行為も「態度価値」でしょう。著名な芸能人が、被災地に寄付していることが報道されますが、それもそうです。
そして、成功しても、おごらない態度もそうでしょう。河井寛次郎の「態度」もそうでしょう。力あるものが、弱い立場の人を抑圧しない態度もそうでしょう。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5539
★河井寛次郎
その対極は、成功しているはずの者が犯す「ハラスメント」や他者をみくだす「態度」などです。「態度価値」の反対で、非倫理的です。他者を苦しみに、価値崩壊に陥れる態度です。
「態度価値」をこのように拡張すると、9つ(7つ)のカテゴリーの中に、「態度価値」に該当するものがあるといえます。そして、ほとんどすべての人の「創造価値」「体験価値」を持つひとに、上記のような「態度価値」が、その遂行中や、間にあることになります。ボランティア活動、寄付、などの「態度価値」とされることをすると、生きがい価値を感じるでしょう。
大乗仏教や西田哲学は、苦悩する他者に対して「利他」をすすめますし、すべての人に「至誠」で生きるようにというのが、深い生き方だといいますが、「態度価値」をすすんで行うことになると言えるでしょう。それだけを強調した「価値カテゴリー」のうち、「信条への奉仕」のうち、「宗教」があります。その意味を含む「自己教育」、「愛」もあるかもしれません。
SIMTの7つの「価値」のうち、「精神面の成長」は、この「態度価値」です。つらい人も成功している人も、「至誠」と言われる「態度」で、判断し、行動していく精神を成長させようとします。
以上のように、抽象的な3つの価値と、具体的に9つ、7つが多くのひとが価値ある人生、意味ある人生と考えることは確かなことと言えます。ほかの哲学者も「幸福とは」について、同様のことをいいます(注2)。
ひとはみな、3つの価値、具体的な9つ(7つの)カテゴリーを実行できれば、「生きがい」「人生の意味」を感じるのです。
これを失うと、無気力感の継続、精神疾患、自殺もありえるのです。
他者からみれば、仕事を持つひとの中でも、内心では、生きる意味の喪失を感じるひともいて、違法薬物をとり、家庭内暴力をふるい、希死念慮をもっているかもしれません。フランクルはいいます。上記の「価値」は、親や団体から押し付けられたものではなく、それをしていて心底、幸福感を感じるものであることが条件になるようです。
「彼がどのような人生の意味をも知らない場合には、たとえ外見上はどんなにうまくいっていようとも、彼には人生なんてどうでもいいことであり、事と次第によっては人生を投げ出しもします。・・・・
事実、カリフォルニアの合衆国国際大学にいる私の共同研究者は、自殺も麻薬中毒も、その原因は結局のところ無意味感に帰せられることをテストと統計によって証明することができました。」
(フランクル『意味による癒し』山田邦男監訳、春秋社、p130)
「無意味感」を予防したり、解決するためには、「ひきこもり」の人のなかにも、精神疾患ではないが、「価値」「意味」を失っている人がおられるでしょう。精神疾患(うつ病、PTSDなど)と診断されるものを発症して治らず、価値、意味を失っているひともおられるでしょう。「意味」の発見や治療の支援が必要です。
薬物療法だけでは不足することがわかります。
(注1)『意味による癒し』 に収録されている論文。
「第五章 ロゴセラピーの有効性」エリザベート・S・ルーカス
(注2)ヘルマン・ヘッセ、ヒルティ、アラン、ラッセルを紹介しました。
大田健次郎『「死」と向き合うためのマインドフルネス実践』佼成出版社
今、つらい状況にあるかた
上記のような、何をしたらいいかわからないで踏み出せない方、孤独感を感じておられるとか、「死にたく」なっているかたは、相談機関(自治体や国、NPOなど)に相談なさってほしいと思います。
今、行われている、次の記事の「内閣府のチラシ」もその一つです。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5546
★「孤独・孤立相談ダイヤル #9999」及び「チャット相談」「メール相談」が始まっています
内閣府のホームページ
https://www.notalone-cao.go.jp/
(続く)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5548
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(4)9とか7つの生きがいカテゴリーは、創造・体験価値と同じとみなしてよい [2025年01月02日(Thu)]
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(4)9とか7つの生きがいカテゴリーは、創造・体験価値と同じとみなしてよい
前の記事で、フランクルは、3つの価値をいいますが、一般の人にきくと、そういう言葉で言わずに、7つとか9つに分類されるような言葉で表現します。「仕事」と「趣味」とかです。
この2つのものが、同じといってよいと思われます。「仕事」は、自分の行為によって、なにかを作ります。製品やサービスです。だから、「生産」であり、「創造」です。
西田哲学では「生産」と「消費」は、矛盾するようだが、「同一」であるといいます。つまり、「生産」されたものは、他者によって「消費」されます。「生産」は、製品・サービスを外に向かって出すこと、「消費」は、他のひとが生産した製品・サービスを「受けとる」「鑑賞する」「参加する」などです。
◆「仕事」は「創造価値」
「仕事」は、創造、生産の意味がありますが、その時、同時に、生産に必要な材料を買う、サービスを利用しますが、そこは「消費」の側面です。
「仕事」においては、この材料を買うとか、サービスを利用しないと、生産ができません。仕事においては、生産と消費の側面の両方が、順調にすすむことが「幸福」です。生きがいを感じます。
◆「趣味」は「体験価値」
趣味の中には、生産の意味が濃いものと、消費の意味が濃いものがあります。趣味で、スポーツ鑑賞、芸術鑑賞、旅行しているのは「消費」の意味が強いです。しかし、その趣味で得たものを本に書いて出版するとか、インターネットで紹介すると、そこは、「生産」の側面が強いです。
「趣味」においては、自分にとっては、他の人の製品・サービスを消費させてもらうことが多いです。「体験価値」の意味が強いですが、その時には、他の人が「仕事」で「生産」した「製品・サービス」を消費します。たとえば、「旅行」は「体験価値」でしょう。「旅行」が趣味だと、交通機関に乗り、ホテルに宿泊します。交通業、旅館業を「仕事」とするひとの製品・サービスを消費します。
以上のように、他の7つとか、9つのカテゴリーは、「創造価値」「体験価値」の意味があるといえます。ほかのカテゴリーもそうです。みなさん、考えてみてください。
この「創造価値」「体験価値」の意味を持った「何か」をもっていて、それが、順調に実現すれば、「生きがい感」を得て、生きていくことができます。これが、実現しないと、「生きる意味」を感じないで、「ひきこもり」、深刻に悩むと「うつ病」になるおそれがあります。
ただ、ほかの「価値」が大きいと、一つの価値を失っても生きていけるひとがいます。あとでいう「存在価値」を強く感じる場合です。
「孤独・孤立対策基本法」が施行されました。強く「孤独」を感じる人にも、仕事や趣味があっても、ひきこもり、うつ病になるひとが多いでしょう。対策を考える時に、考慮すべきです。
今、つらい状況にあるかた
上記のような、何をしたらいいかわからないで踏み出せない方、孤独感を感じておられるとか、「死にたく」なっているかたは、相談機関(自治体や国、NPOなど)に相談なさってほしいと思います。
次の記事の「内閣府のチラシ」もその一つです。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5546
★「孤独・孤立相談ダイヤル #9999」及び「チャット相談」「メール相談」が始まっています
内閣府のホームページ
https://www.notalone-cao.go.jp/
(続く)
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(3)「価値」「意味」とは? 具体的にいうと [2024年12月30日(Mon)]
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(3)「価値」「意味」とは? 具体的にいうと
フランクルと西田幾多郎は、人はみな人生に「価値」「意味」をみるといいますが、抽象的でわかりにくいです。
実際に、人はどう表現しているか、フランクルの高弟の研究(注1)を紹介した文献があります。
実際に、1000人に次のように質問した時に、得られた回答です。整理して、9つの「内容カテゴリー」にまとめられました。
「あなたが生きていることに意味があると思えるような、何か個人的に価値のあることがおありでしょうか。もしおありでしたら、短い言葉であなたの人生の意味を表現していただけますか?」
(VEフランクル「意味による癒し」山田邦男監訳、春秋社、P179)
一般の人に問うと、創造、体験、態度、という言葉ではなく、表のような言葉です。フランクルのいうことと同じでしょうか。論文の著者は、こう考えています。
「これに対して筆者は次のように考えている、すなわち、これら三つの価値は現実に存在するものを理論的に使用可能なように抽象化したものであって、それらの価値の実際に具体化されたものは内容的にさまざまな領域で見出される、ということである。
それゆえ、価値志向と内容カテゴリーはもともと同一のものであると言ってよいであろう。」(p197)
「抽象化する理論家の立場から」と「ごく普通の平均的な人間のもっている思考体系に適合したもの」という。
現実の臨床の場で、精神科医と患者との間では、9つのカテゴリーで対話がすすむのです。自己洞察瞑想療法(SIMT)(注2)でも、同様です。
これらの「価値」が実現しない状況と「うつ病」「自殺」は密接な関係があります。
うつ病(フランクルの著作では「神経症」となっていることが多い)から回復するためには、患者がすでに「価値」を持っているが、病気になって、その実現がそこなわれている場合と、「価値」がわからなくなったひとがいます。前者は、症状の回復のみの支援となります。後者は、症状の回復の支援と、患者が望むならば、「価値」の発見の支援になります。
上記の「価値カテゴリー」(9つ、7つ)が、どうして、3つの価値と言えるでしょうか。
哲学的、理論的には、具体的カテゴリーは、創造、体験、態度の意義があるということです。
これらの価値、意味の一つか複数個を強く持つならば、抑うつ状態を脱し、自殺しないですむはずです。「家族」がありながら、自殺するひとがとても多いです。どうしてでしょうか。
(注1)『意味による癒し』 に収録されている論文。
「第五章 ロゴセラピーの有効性」エリザベート・S・ルーカス
(注2)自己洞察瞑想療法(SIMT)は、西田哲学の臨床、実践化ですが、SIMTによる「価値」
は、やはり、「具体的な言葉」にしています。P111の最上部の(表1)で、7つの価値にしています。
(図)
(大田健次郎『「死」と向き合うためのマインドフルネス実践』佼成出版社、P111)
(続く)
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(2)創造価値、体験価値、態度価値 [2024年12月30日(Mon)]
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(2)創造価値、体験価値、態度価値
人はこの世に生を受けて、寿命を生きていきます。たいていの人間は、自分で生きがいを感じる仕事をして、社会に貢献できることで幸福感を得ます。そういう仕事(創造価値)がない人には、いきがいがないかというと、そうではないといいます。
フランクルは、人間は3つの価値のどれかをできることで、人生にいきがい価値、意味を見出すといいます。この3つのどれも持てないひとは、絶望、うつ病になります。フランクルは、価値を3つに分類しているのでわかりやすいかと思います。 創造価値、体験価値、態度価値です。
(フランクルは、意味と価値を使い分けていますが、ここでは厳密には使い分けません。)
「創造を通して実現される価値――われわれはこれを「創造価値」と名づけたい――が存在するだけではなく、さらに、体験において実現される価値、すなわち「体験価値」も存在する。この価値は、世界を受容すること、たとえば自然や芸術の美しさに没入することによって実現される。
この価値が人生に与えうる豊かな意味は過少評価されてはならない。」(ヴィクトール・フランクル『人間とは何か』山田邦男、p111)
「われわれの考えによれば、さらに第三の可能な価値カテゴリーが存在する。・・・・・
このさらなる価値グループは、人間が自分の制限された生活に対して取る態度によって実現されるものである。人間が自分の狭められた可能性に対して、みずから態度を決めるというまさにそのことによって、新たな独自の価値領域、しかも確実に最高の価値に属するような価値領域が開かれるのである。」(同p112)
働き盛りの年代の人は、「創造価値」が実現すれば、幸福感を感じて、力強く生きていくでしょう。しかし、日本では最近、働き盛りの人もうつ病になり、自殺も多いです。
子どもも高齢者も、不登校、自殺が増加しています。生きる意味を失った、生きる価値を見つけられないか、みつけていてもうまく実現できないのでしょう。
子どもと高齢者には、創造価値を見つけなさいという支援ではすまないかもしれません。孤独・孤立対策基本法が施行されました。
孤独のところにも、生きる価値、生きる意味の喪失があります。そうでなければ、孤独からうつ病、自殺は起こらないでしょう。
【関連記事】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5491
★ストレスが多い、労働環境が過酷、ハラスメントする幹部
〜うつ病になり、自殺していく国民
「ならばどうしたらいか」を考える
〜 和田秀樹氏の提言を見る前に
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5461
★うつ病が薬で治らないし認知行動のできる心理士も少ない
〜 メンタルクリニックが「治らない患者」であふれ返る深刻な理由
(ほか、多数、おいおい、追記します)
(続く)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5548
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どんなひとでも生きる意味がある [2024年12月29日(Sun)]
どんなひとでも生きる価値がある
どんなひとでも生きる意味がある
生きる価値がないと、苦悩し、引きこもり、不登校状態になり、うつ病になったり、死にたくなったり、そういう人が多いと思います。
高齢者も仕事がないと、生きがいを失い、悩む人も多いでしょう。高齢者のうつ病、自殺も多いです。
アドラー、フランクル、西田幾多郎が言っています。
どんなひとでも生きる価値がある
どんなひとでも生きる意味がある
アドラー心理学の岸見一郎氏のお話しがありました。
アドラー心理学の哲学者、岸見一郎が「老後に不安を覚える」すべての人に送るメッセージ
このことは、ヴィクトール・フランクルや西田幾多郎の哲学も同様のことを言います。
フランクルの「生きる価値」と、西田幾多郎の「価値」は、次の記事でみました。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2828
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2829
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2830
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2833
自己洞察瞑想療法SIMTでは、セッション4で「価値」を確認します。
フランクルは、価値を3つに分類しているのでわかりやすいかと思います。
創造価値、体験価値、態度価値です。
仕事をしたいというような若い人のうつ病、生きる価値があるのに「できない」
うつ病になった人が、SIMTで「治す」ことを期待して、セッションにおいでになります。
たいてい、仕事や家事(主婦)をしていたのに、うつ病になったが、治らないというひとが多いですが、それならば、「仕事をする」という「価値」をもっていたのです。「創造価値」です。そうすると、今は、病気であるから、「創造価値」を実行できないので、「喜び」「生きがい」を感じないということです。
(以下の説明で、自己洞察瞑想療法(SIMT)は、西田幾多郎の西田哲学の実践化したものとさせてください。西田哲学は、宗教以前の自己、自己の行動、世界の見方と、宗教的視点からの自己、行動、世界観を論理的に説明しています。西田哲学の実践化として、SIMTも宗教以前と、宗教的なものとがります。)
「治す」期間、1年ほどの間は、「治す」ということを「価値」「生きる意味」にしていただく。「治すというのが(暫定的な)価値」とおいて、このために重要とされている課題を実践する。そうすると、「価値のために」「今、この課題をする」ということになる。これが
眼窩前頭皮質を活発に用いるので、うつ病が治るのでしょう。眼窩前頭皮質は、価値実現に関係する脳部位です。(うつ病の患者はそこも縮小している。背外側前頭前野、前部帯状回も。別の記事に述べた)
アドラー、フランクル、西田幾多郎の哲学は似ているところがあるようです。読んで理解するだけでは、生きる意味、生きる価値は感じられないはずです。「実践」しなければ。
「実践」すると、その瞬間、達成感が感じられて、生きがい感を感じるのです。継続していると、症状が軽くなり、完治するひとが多いです。「完治」が困難とされている精神疾患のひとや、障害のひとは、SIMTの実践で、その病気、障害がありながらも生きる価値、意味を見つけて、生きていく心のスキル=価値実現の意志作用、叡智的行動を習得して生き抜いていかれます。
医師、教師、会社員、主婦などは、治ると、以前の仕事に復帰できます。創造価値への復帰です。
適応障害で、抑うつだった人は、治ったら別の仕事を見つけることになります。
「退職」しないで、うつ病等(ほかに、不安症やPTSDなども)を「治す」ために、SIMTを行う場合、仕事と治すためのSIMTを2つの価値として持ち、その都度、切り替えていきます。
家族、夫婦関係(これも価値、意味)が不和によるうつ病ならば、治ってから冷静に考えて、維持し続けるか、離婚するか決断するでしょう。
いずれにしても、このような価値、意味を理解していただいて、「治る」ために効果があると「評価」されていること(呼吸法、悩むだけの思考停止や運動など)を実行していきます。
仕事=創造価値への生きがいをもてそうもない状況
前記のような、典型的でないうつ病の場合はどうなるでしょうか。
仕事ではない生きる意味を感じない高齢者、難病や障害などで仕事を価値と思えない人はどうすればいいでしょうか。生きる価値がない、生きる意味を感じないというひとは、悩み続けるでしょう。価値、意味の哲学は、どう教えているでしょうか。これを乗り越えれば、高齢者、がん患者、難病の方々のうつ病、自殺を減少できるはずです。
アドラー、フランクル、西田哲学ではどう教えるでしょうか。考えていきますが、「実際」「行動」を起こさないと、生きがい感、幸福感は得られないのです。この「感」を「感じる」と、喜び、幸福感(陽性の「感情」の一つ)を感じるのですから、生きる価値、生きる意味を見出しています。
(決して、「無評価」ではありません。自分にとって、社会にとって、「価値」「意味」があるか、そうでないかを、瞬間瞬間「評価」して生きています。
SIMTは第1世代マインドフルネス(ブームになっている「無評価で観察」)ではありません。第2世代マインドフルネスです。
「認知行動療法(CBT)」でいえば、MBSR,MBCTを活用したものは、第3世代認知行動療法とされましたが、SIMTは、第4世代の認知行動療法です。
「第1世代マインドフルネス」は、倫理的な批判が起きています。他を排除したり、問題を見て見ぬふりを助長するおそれ、自傷自殺を増加させるリスクが報告されています。一部の問題に有用ではあるが、重大な「副作用」があるということです。
「マインドフルネス」が、評価が良くない状況が続けば、「マインドフルネス」から離れます。
SIMTは、もともと、「マインドフルネス」がブームになる以前に開発されました。また、フランクル、アドラー、西田哲学は、「マインドフルネス」以前からありました。
)
子どもの自殺が多い日本=子どもが生きる意味を失った
子どもが自殺が多くなっています。不登校もそうです。これも子どもの生きる意味についての問題です。
子どもは、どういうことに価値を見て、そじて、一部の子どもが不登校を選び、一部の子どもが自殺するのでしょうか。不登校も自殺も増加しています。
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どんなひとでも生きる価値がある
どんなひとでも生きる意味がある
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5554
(6)何もできなくてもすべてのひとに「存在価値」
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5553
(5)「態度価値」は、「創造価値」「体験価値」の中での行為も
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5552
(4)9とか7つの生きがいカテゴリーは、創造・体験価値と同じとみなしてよい
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5550
(3)「価値」「意味」とは? 具体的にいうと
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5549
(2)創造価値、体験価値、態度価値
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5548
(1)創造価値
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Posted by
MF総研/大田
at 07:54 |
さまざまなマインドフルネス |
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