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フランクルの「良心」は超越から [2026年02月20日(Fri)]

ヴィクトール・フランクル
 〜それでも人生には意味がある

第5回 「何か」に支えられて
 〜 フランクルの超越、ヤスパースの包括者(8)

 フランクルのテレビ放送の第5回は「「何か」に支えられて」です。フランクルの放送は、22日(日曜日)で、ヤスパースの放送は、23日(月曜日)ですが、先回りして少し読み込んでみます。放送が理解しやすくなるかもしれません。私(大田)は、この二人の超越、包括者は、西田哲学の絶対無、絶対的一者と同じことをさしているような気がします。

◆宗教、学問、良心、学者の良心 (3)

 「良心」については、フランクルと西田哲学についての「良心」を見ました。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5792
第3回 豊かさの中の「空虚」
〜(その5)「良心」は「心理」の次元になく「精神」次元で働く

◆良心の働きは、どこから起こるか

 もう一度、とりあげたのは、この良心はどこから起きるのかという別の問題を確認したいからです。良心は「精神」の次元で働くが、自我、自分からではない、「超越」からであるというのが、フランクルと西田哲学です。

◆フランクルの「良心」 〜良心は直観の中で働く

 フランクルは良心を「道徳的本能」といいます。そして、良心の根源は、超越だというのがフランクルです。フランクルは、深い宗教を認めています。精神科医は、非宗教的領域で治療するが、超越、宗教レベルは宗教者にまかせるというほど、深い超越があることを認めています。

 「人間の現存在」における大きな、真正の(実存的に真正の)いろいろな決断は、いかなる場合にも非反省的に、またそれゆえ無意識になされるものなのだ。良心はその根源において、無意識へと潜入しているものなのである。」(注10,p32)

 良心は無意識になされる、ということは、自己が意識されない「精神作用」、西田哲学でいえば、「意志作用」ではなくて、価値実現の「行為的直観」の時に、良心が働くというのです。 各人の行為が、善か悪かわかって行為しなければなりません。
 たとえば、報道で、多くのひとが悪事を訴えられます。犯罪、ハラスメント、自殺させた、など、みな、仕事中のことです。犯したひとは、行為的直観の行使です。そこでの、行為が「悪」だったと訴えられます。本人は、その行為の前に自分がこうすれば(先取です)、「悪」だと訴えられるだろうから、やめようというのが「良心」です。フランクルは、次のように述べています。

 「意識に対しては存在者が開かれている・・・しかし良心に対して開かれているものは、存在者 ではなく、むしろ、まだ存在していないもの、これから存在すべきものだ、ということである。」
 「良心がわれわれに開示するものが、これから実現されるものであり、これから実現されるべきものである以上、・・・」
 「それが実現されるためには、まず一度なんらかの形で精神的に先取されることによる・・・・この先取、この精神的な先取は、一般に直観と呼ばれているものの中で生ずる。 精神的な先取は観るという一つの行為の中で起こるのである。」(注10,p34)

 良心は、直観の中ではたらくというのです。

◆良心は「道徳的本能」

 良心は、個体、具体的人格、つまり、行為する「自分」に向けられます。そして、生活時、ということは、仕事など行為的直観で価値実現の行為をする時、つねに、悪をせず善をなすように、良心が働かなければなりません。「良心に導かれた生活」です。常に、良心を働かせての生活です。だから、直観(価値実現の生活)の中です。

 「ところが「道徳的本能」の有効性は、それが一般的なものには向けられず、いつもただ個体にのみ向けられることによって保証されている」(注10,p37)

 「良心のみが「永遠の」法則、一般的な意味での道徳律をそのつどの具体的人格の具体的状況にいわば同調させることができるのである。つまり、良心に導かれた生活とはつねに、絶対的に具体的な状況へと向けられた絶対的に人格的個人的な生活である。」(注10,p38)

 次に、フランクルは、良心の根源は超越だといいます。「精神」の次元ではないのです。

◆良心は自己を超越している

 良心が自分よりも超越したものでないと、良心に従う、良心の僕になることはできません。

 「私が「私の良心の僕」たるべきであるとするならば、・・・ここでいう良心とは私自身とはおそらく幾分異なったもの、私自身より以上のものでなければならない。この良心はおそらく人間よりもいくらか高いものであって、人間は「良心の声」をただ聞きとるだけのものにすぎないのであろう。つまり、良心は人間の外にあるものでなければなるまい。」(注10,p63)

 「良心は超越の声であり、その限りにおいてそれ自体超越的なのである。非宗教的人間とは、この良心の超越ということを認めることのできない人のことにほかならない。というのは、非宗教的な人間とても良心は「もっている」のであって、非宗教的な人も責任はもっている。彼はただそれ以上問いを進めようとしないだけなのだ。」(注10,p66)

 以上のように、フランクルは、良心は「精神の次元」、行為的直観の時に善をなし悪をしない自己への監視の働きであり、良心は超越から働くというのです。宗教的な人間は超越からの声をきくのです。

◆良心に導かれた生活

 上記の言葉に「良心に導かれた生活」とありますね。ここに、つねに自分の独断的な評価基準を発動させて他者の価値を崩壊させて不幸にしないように、常に「自己洞察」の生活をすると言う「第2世代のマインドフルネス」(常に評価する良心を働かせている)に類似する生活をフランクルは示唆しています。すなわち、ロゴセラピーも「精神療法」にとどまらず、すべてのひとのすべての場面での良心的な生活があると思われます。これは、自己洞察瞑想療法、SIMTがそういうものです(注3)。生活指針は「至誠」です。常に良心を働かせて生活していく提案です。哲学は、後期西田哲学(注12)にあります。その具体化の一つ(ひとつの提案にすぎません。多数開発できるでしょう)の実践の提案です。

◆ニーチェの「知的良心」は
 フランクルは、こうですが、前の記事でみたニーチェの「知的良心」は、超越の声ではないようですが、それは、非宗教者にも、知的良心をもつ哲学者になってもらいたいからでしょう。他者に従うばかりの多数派の大衆的人間ではなくて、孤独でも先をいく人間であれ、というのです。宗教者でなくても、畜群良心の他者についていく人間ではなさけない、孤高に先をすすむ知的良心の人間になれというのでしょう。
 これに類する批判を時々、見ることがあります。

【注】

(注1)NHKこころの時代 テキスト 『ヴィクトール・フランクル 〜それでも人生には意味がある』勝田芽生、NHK出版

(注2)大田健次郎(2013)『うつ・不安障害を治すマインドフルネス』佼成出版社
SIMT:Self Insight Meditation Therapy(SIMT)、自己洞察瞑想療法

(注3)大田健次郎『「死」と向き合うためのマインドフルネス実践』佼成出版社

(注4)NHK E テレビ「100 分 de 名著」、『ヤスパース哲学入門』戸谷洋志

(注5)フランクル『人間とは何か』山田邦男監訳、春秋社

(注6)山口尚『幸福と人生の意味の哲学』トランスビュー

(注10)フランクル『識られざる神』佐野利勝・木村敏訳、みすず書房

(注11)竹内綱史「ニーチェ哲学における良心という問題」(『宗教哲学研究(第20号)』北樹出版

(注12)後期に属する西田哲学の論文が「実践哲学序論」、および、「ポイエシスとプラクシス」にまとめられている。 →
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3582
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3329
★後期西田哲学の実践論

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5750
【目次】ヴィクトール・フランクルと後期西田哲学の実践論
 〜それでも人生には意味がある
Posted by MF総研/大田 at 20:24 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL
100分de名著」では、ドイツの哲学者、ヤスパースも深い「超越」を言う [2026年02月06日(Fri)]

100分de名著」でドイツの哲学者、ヤスパースも深い「超越」を言う
 フランクルもヤスパースも人間の根底に人間を包む超越をいう

 日本では、大変多くの宗教者、哲学者、芸術家が指摘してきた

★NHK Eテレビの「こころの時代」のフランクルの次回、第5回(2月22日、日曜日)は「超越」とか、西田哲学では「絶対」と言われているものを扱います。

★一方、NHK Eテレビの「100分de名著」は、ドイツの哲学者、ヤスパースを放送しています。その第4回(2月23日、月曜日)は、「包括者とは何か?」を話題にしています。

 ふたりは、同時代のヨーロッパの精神科医と哲学者です。フランクルの「超越」と、ヤスパースの「包括者」は、同じようなことをさしているようなきがします。
 日本の宗教者、マインドフルネスや精神療法を研究、実践しているかたは、ご覧になってほしいです。
 日本では、西田幾多郎、鈴木大拙、秋月龍a、竹村牧男氏など。小説家では、遠藤周作、三浦綾子など。芸術家や宗教者にも、昭和の時代はたくさんいました。
  このうちの多くの人々が超越的なこと を言います。
 日本の哲学者では、井筒俊彦、青山卓央氏、山口尚氏が「超越」をいうようです。
【ターミナルケア】
 このレベルは宗教的なのですが、最近の日本の宗教者、精神科医が言わなくなったようです。ここのレベルの宗教でないと、癒されない(フランクルはいう「がんという病気」を治すのではなくて、魂の癒し)日本人が多いのです。死を意識したがん患者が、魂の癒しを支援する宗教者を見つけられず、わからずに最後まで苦悩したり、がんで死ぬのでなくて、無気力となり自殺されているのではないでしょうか。
 自殺防止の対策なのですが。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5750
【連続記事】ヴィクトール・フランクル
 〜それでも人生には意味がある
Posted by MF総研/大田 at 19:27 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL
自分の「死」をどう受け入れるか [2026年01月29日(Thu)]

ヴィクトール・フランクル
 〜それでも人生には意味がある

第4回 人生という「砂時計」
〜(その4)過去は保存されている
 「今、ここ」しかないという教えとの関係は?

自分の「死」をどう受け入れるか

 前半は、「愛する人の死」の苦悩についてでしたが、後半は、「自分に迫る死」についてです。

◆自分の死の問題

「私たちはどのような態度で受け入れればよいのでしょうか。」(p95)
「死」が近くなった時、どうすればいいのかが、述べられます。

「その態度いかんによって、人生の最後の時間が、意味のあるものになるかどうかが決まります。」(p95)

 では、どうすればいいと、フランクルはいうのか、彼の言葉が紹介されます。

「今、ここ」の行動が、過去となって保存されるから「今」最善の行動を

◆「私たちの人生が死によって限られているということは、今このときを有効に過ごそうという、ポジティブな意味でのプレッシャーにもなります。」(p97)
 「私たちが実現したことが「永遠化される」とすれば、「今、ここでどのような行動を取るべきか」という決断が、より重要になります。」(p98)

 人生は、逃げられない(p98)、いつも「ここでどう決断するか」、「最善の手を探し出すように常に人生から問われているのです。」(p99)。

 「過去は保存される」ということが強調されていましたが、「今、ここ」とつながりました。 いつも、今、ここで、最善の手をさがして「決断」実行です。

 SIMT(注6,後期西田哲学の実践論の解釈です)では、人生には、つらい出来事が押し寄せてくるが、いつも価値実現の行動を決断して生きていこうといいますが、同じなのでしょうか、ちがうのでしょうか。

 それでも、「死」が意識されない健康な時はまだしも、「がんです」と告知されたり、余命何か月となった時、どうするのでしょうか。
テキストは、そこにはいります。

死の恐れ、嫌悪、そして受容

◆死の恐れ、嫌悪

 「人間は「死」を魔物のように恐れ、嫌悪してきました。」(p100)

 「だからフランクルは、死が・・・・・「私たちを眠りから覚ましてくれる」「優しい手」だと表現したのでしょう。」 (p100)。
 ここにはフランクルの喩ばなしが紹介されていますが、理解しにくいです。比喩が違う箇所なのでは?

◆死の受容

 死はおそれなくていい、受容できるといいます。
 「この考え方は、アメリカ人神経科医エリザベート・キューブラー・ロスが発表した 「死の受容」 のプロセスと通じるところがあります。」(p101)

 「キューブラー・ロスは、1960年代に200人以上の末期がん患者と対話して、個々の状況に共通する「死を受容するまでの心理の変化」があると発見しました。それは、 「@ 否認と隔離、A怒り、B取引、C抑うつ」の四段階を経て、「D受容」に至るというものです。(p101)

  「このような考え方を知れば、私たちは「死を恐れる必要はない」と信じられるのではないでしょうか。」(p101)

 「人間は、生きている間はいくらでも変わる可能性があります。」(p103)
 しかし、「私たちの人生は、死と同時に消滅するのではなく、完成したまま存続していきます。」(p103)

 「フランクルの特徴的な死生観」(p104)が紹介されました。

 テキストの文脈は以上です。

 上記のように、フランクルは、「過去は永遠に保管される」と説明されました。 これならば、がん患者の支援ができそうです。患者が納得できればですが。

 テキストではありませんが、フランクルの書籍(注5、p403)に、実例が紹介されています。「神」を信じている宗教の信者が手術もできないほどに重いがん患者に対して、「治す」のではないが、精神的に苦悩しないような助言をすることです。精神療法は「治療」ばかりでなく「慰め」を与えることができる例としてです。

 「精神療法は慰めを与えるべきではない、たとえ精神療法(あるいは医学一般)の治療がもはや不可能であるとしても慰めを与えるべきでないーーこのような反論は通用しない。」(注5,404)

 なぜなのでしょうか。そうしないと、患者が自殺するおそれがあるからではないでしょうか。
 死が近い患者が、そばにいる医師に助言を求めることは多いでしょう。「死んだら終わりだ」と苦悩する(はずの)患者に、フランクルはロゴセラピーの思想で「慰め」の助言をしたのです。

 日本では、がん患者が深刻な精神的な苦悩に対しての支援が不足しているようです。がん患者の自殺があります。医師による支援も宗教者による支援も少ないです。

◆自殺対策をロゴセラピーで「がん患者」を支援

日本では、「がん患者」の自殺が多いです。受容できていないから、自殺なさるのです。 ロスの「C抑うつ」から「D受容」ではなくて、「C抑うつ」から、「自殺」です。

 たしかに、比率から言えば受容する人のほうが多いのですが、日本では、受容できずにがん患者の自殺が目立っています。もし、受容できる支援法があるならば、ロゴセラピーの方々が、この方法でがん患者の自殺防止の支援ができないものでしょうか。

 後期西田哲学でも、類似の世界観を言いますが、以上の説明から受け止められる意味は違うような気がします。

 フランクルの死生観を見て、皆様は、どういうふうに解釈しましたか。過去がどこにどのように保存されていると思いましたか。考古学的に地下などに、でしょうか。文章、言葉でしょうか、写真でしょうか。あの世に保存なのでしょうか。
 過去はなにもかもそのままで今もなお存在すると解釈すると、古代インドの初期仏教と類似しているようにみえます。反社会的なカルトの思想にも似ているように見えてきます。
 フランクルはそれと同様のことをいうのでしょうか。
 現在のほかに、「過去」が別に存在するというと、過去を「実体化」した見方になりますね。大乗仏教では、過去も「空」です。フランクルの真意はどこにあるのでしょうか。

 西田哲学では、自己・他者の生命、は「存在」の問題である。愛する人の死、自分の死の苦悩は、本来は「存在価値」の消滅であり、創造価値、体験価値とは比較できない価値である。創造、体験は、ほかのものに取り換えられるが、愛する人、自己は、取り替えられない。 だからこそ、死は、特に深刻な苦悩になっているのである。
 フランクルも承知していながら、「過去は保存される」ということで生きることを大切にしてほしいための説明は、彼の生きた国の事情から苦労したように見える。
 精神療法は、法律で医師しか提供できなかったこと、彼の周囲の世界では、生命の価値の問題は宗教問題であり、キリスト教やユダヤ教のように生命は神から与えられたものであるいう状況では、宗教者のみが言及できるのであろう。「生命」を存在価値といわないで、愛する人と自己の生命の救済の理論の説明を作り上げたように見える。
 日本のように、精神療法の提供が法律で医師に限定されていないこと、宗教者であっても精神療法を提供できる環境ならば、愛する人と自己自身の「生命」は、当為価値(創造、体験、態度)とは次元が違う特別な「存在価値」として扱う精神療法の研究が求められるのではないか。

(次の記事にします)

(注1)NHKこころの時代 テキスト 『ヴィクトール・フランクル 〜それでも人生には意味がある』勝田芽生、NHK出版

(注5)フランクル『人間とは何か』山田邦男監訳、春秋社

(注6)SIMT=Self Insight Meditation Therapy。自己洞察瞑想療法。 公刊された書籍は、3つです。ほかに、マインドフルネス瞑想療法士の 講座に使用されるテキスト が多数あります。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5348
★自己洞察瞑想療法、SIMT ブームになった「マインドフルネス」(第1世代マインドフルネス)とは、違います

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5750
【目次】ヴィクトール・フランクルと後期西田哲学の実践論
 〜それでも人生には意味がある
Posted by MF総研/大田 at 08:21 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL
【セッション2の意図】意志作用で働くすべての作用を観察  [2026年01月09日(Fri)]

マインドフルネス心理療法SIMTの構造

【セッション2の意図】意志作用で働くすべての作用を観察 

 クライエントは、機能が低下しているので、その低下した状態でできること(回避、逃避、休息など)しかしないが、それも機能低下した主体が、回避、逃避、無行動などを欲求して、そのような行動、無活動を「目的」に設定してそのとおりにしていると意志作用の行使なのである。

(図)意志作用は逃避回避もするし治療効果のある行動も
KN-02c-作用の階層セッション2.jpg

 だが、それでは、活動活発な「意志作用」を行使できない状態(前頭前野などの機能低下)が継続してしまう。これが、治らない、完治しない状況である。筆者は、健康な意志作用を動かさないといつまでも健康な意志作用にならないおそれがあると、たとえ話で、クライエントの動機づけとすることがある。(注3)

 セッション2では、意志作用を体験的に知り、後に行為的直観を習得するために、意志作用、行為的直観で意識されるすべての事象(感覚、思考、欲求など)の違いを理解する。そのために、作用に名前づけする。
 ゆっくりとした行動時(休職、療養中が多いだろう)にも、作用に名前づけするが、まず、瞑想時に行い、そこで理解した名前づけを家族との行動時にも行う。のちに、各作用の前後関係を理解するための前段階の観察、名前づけである。
 「注意作用を自由に使う」トレーニング(注1,p53)は、行動時に、衝動的な「感情」が起きた時、すぐ逃避的な「目的」接待から衝動的行動を抑制して、意識を別のものに転じる能力を向上させる。このことによって、意志作用でも、衝動的な反応でなくて、建設的な反応(後に、価値実現の反応とよぶ)ができることを現実に学ぶ。
 クライエントは、どういう目的、行動が、治す方向の「意志作用」行使になるのか知らないことが多いので、具体的な例を「行動活性化手法」(注1,p50)にあげている。クライエントができることをしてもらう。このことによって、機能低下した脳の部位を活発に動かすはずである。

 こうして、西田哲学の論理からいえば、病気が治らない行動は、「よくない」「悪」ということになるであろう。治る方向への行動は、「良い」「善」ということになるであろう。欲求が起きた瞬間に、評価判断すべきであろう。

 以上のように、セッション2は、行動中に、意志作用のうちの、すべての作用に名前づけできる訓練をする。後で、価値実現の反応を習得するための準備になる。

(注1) 大田健次郎(2013)『うつ・不安障害を治すマインドフルネス』佼成出版社

(注2)10段階を一覧表にしたのが、次である。
http://mindfulness.jp/katudou/2023-10session.pdf

(注3)動機付け
 腕の関節付近の骨を骨折した時に、ギブスをして1か月ほど動かさない。1か月たって、ギブスを外すと、動かせない。しかし、痛くても少しづつ関節を動かすリハビリをすると段々と動くようになる。それと似て、意志作用は、脳の神経が動きにくくなっている状態である。本来のありかたのように動かすと、神経細胞が再生したり、シナプスが増えて、健康な意志作用のあり方が活性化するようになる。このような動機づけである。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5814
【目次】マインドフルネス心理療法SIMTの構造

Posted by MF総研/大田 at 10:11 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL
(2)各セッションの意図を意志作用、行為的直観の哲学で構成 [2026年01月08日(Thu)]

マインドフルネス心理療法SIMTの構造

(2)各セッションの意図を意志作用、行為的直観の哲学で構成

 うつ病や不安症などになって、なかなか治らなくても、大切な人生だから、意義あるように生きていきたい。

 西田哲学で教えているのは、ひとはみな自分の人生価値の世界を持ち、それを実現しようとする。そのような価値実現の行為が行為的直観である。人は、世界の中にいるので、世界から生きていくのに必要なものを世界からもらう。大人になったら、自分も自分のできることで、物やサービスを提供して、世界に貢献していくような仕組みになっている。
 それぞれが自分のできること(職業としての価値など)が違う。自分のしたいこと、できることを見つけて、そこが人生の生きる世界になる。その場所には、その世界を共に関係していく人がいる。いっしょに物やサービスを作っていく。
 人が長期的に継続して、大切にしていくものが人生価値であるが、職業のほかに家庭・家族、趣味などがある。フランクルや西田哲学で教える価値を次で説明した。なお、西田哲学では、存在価値も重要である。
 価値の詳細
 https://blog.canpan.info/jitou/archive/5774

うつ病になると意志作用も機能低下

 うつ病や不安症などになると、この「価値」への実現行動(行為的直観を使う)ができなくなる。 価値実現行為を断念して、短期の思いつきで欲求を起こし「目的」の行動をする「意志作用」の生活を余儀なくされている。その欲求、目的が、回避、逃避、ひきこもり、依存などの短期目的で暮らす状態になると推測される。重症化すると、最も大切な自分の生命(存在価値である)さえも放棄するような意識になる。

(図)意志作用―善悪判断なし
KN-02c-作用の階層-善悪なし.jpg  生きがいを感じる価値の実現ができていないので、人生に、自己に満足していない。つらい思いをしている。 この状態にあるのが、うつ病、不安症、過食症、依存症など、価値が部分的に実現できないで、苦悩しているのである。フランクルによれば、価値がみつけられていない「実存的空虚感」の状態の人もいる。以上が、西田哲学のSIMT的な解釈である。

 そこで、精神療法としてのSIMTは、最終的には行為的直観ができるようになることを目標とする。すると、症状が消失するひとがいる。多少、症状が残っても、価値実現行動がさまたげられないまでになることを目標とする。
 10か月かけてここまで成長させる(注2)が、一気には、できないので、やさしい価値実現行動から練習する。少しずつ価値実現行為である「行為的直観」ができるように、訓練していくように構造化した。
 理論、すなわち、意志作用、行為的直観を説明して、理解しても、すぐにその理論どおりにできないのは、これを遂行する脳の各種の領域に炎症が起きていて、本来の働きができない状態にあると思われる。実際、脳画像の研究から、背外側前頭前野、眼窩前頭皮質、前部帯状回、海馬、島皮質などの機能低下が報告されている。

(編集中です)

(注1) 大田健次郎(2013)『うつ・不安障害を治すマインドフルネス』佼成出版社

(注2)10段階を一覧表にしたのが、次である。
http://mindfulness.jp/katudou/2023-10session.pdf

SIMT:Self Insight Meditation Therapy。自己洞察瞑想療法。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5814
【目次】マインドフルネス心理療法SIMTの構造

Posted by MF総研/大田 at 08:16 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL
【目次】マインドフルネス心理療法SIMTの構造 (1)SIMT開発の経緯 [2026年01月06日(Tue)]

マインドフルネス心理療法SIMTの構造
(1)SIMT開発の経緯

 人の意識の働きには、視聴覚などの5感覚、思考、感情、記憶、欲求、行為などがあるが、 西田哲学(後期)によれば、意志作用もあり、行為的直観もあり、これらの人の意識には階層があるという。脳神経科学では、行為的直観という作用は、議論されないかもしれない。しかし、西田によれば、すべての人がこの行為的直観も行使しているが、それを理解しているひとは少ないだろう。それは、対象的には観察できないからである。

 うつ病や不安症などの精神疾患の治療法として、薬物療法があるが、これの完治割合はそれほど高くはない。うつ病は希死念慮、自殺念慮という深刻な症状があり、長期間完治しないで推移すると、何かの出来事でつらい状況になると、自殺を実行してしまうリスクがある。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4848
★うつ病の治療法の現在と問題
 完治は6−7割

 筆者自身も40年ほど前にうつ病になったことがあり、当時は薬もあまりなかっただろうが、あったとしても、仕事や対話に必要な思考が回転しない、だから、人にもあいたくない、この奇妙な症状が薬などで治るものではないような感じがしていた。抑うつ感なら、身体的感覚に近いのか、薬で軽くなるかもしれないが、思考が回転しないという奇妙な症状は、薬で治るような感じはしなかった。

 ただ、あれから、40年であり、薬が開発されてきた。それでも、完治割合が高くないのは、抑うつ感は軽くなっても、意志作用や行為的直観(注4)に該当する脳の領域が十分に回復しないせいかもしれない。

 自分が、うつ病になった時に、深い自己を探求する坐禅(注2)に2年ほど取り組んだことで完治した。さらに数年継続して自立して、支援を始めた。

 試行錯誤を重ねて、現在の方法に整理されたのは、2000年代の中ごろだった。支援や講演をするうちに、出版社の眼にとまり、公刊を提案されて、2013年に出版(注1)された。
 この時までに、支援経験から完治までに1年近くかかることがわかったので、1年近く実践できる方法を体系化したいと考え、やさしい感覚、思考などの観察から始めて、少しづつ深い意志作用、行為的直観にあたる作用を訓練実行できるように構造化した。
 こうすれば治るという機序がわかって開発したわけではない。ひとが社会で生きていくために、どんな意識の働きをするのか調べてみると、後期西田哲学が教える意志作用、行為的直観にあたる心の使い方を繰り返しトレーニングすれば、精神疾患の生理学が解明されていない現代でも、かなり完治する事例がみられたということだ。すなわち、うつ病、不安症が、「こういう脳の領域に炎症がきているから、こうすればいい」として開発されたわけではない。
 西田哲学(後期)が教える意志作用、行為的直観の使い方を日常生活で実際に用いていくと、うつ病や不安症が治るという現実があるから、それをやさしく記述したのが、現在のSIMTである。

 精神疾患でない人の場合、哲学的には、意志作用や行為的直観が活発である(注3)わけである。うつ病や不安症になると、この作用が渋滞するかのように感じられる。この作用を動かす訓練を継続すれば、やがて活発な状態に回復する。

 最初は、うつ病などの神経生理学などわからない時代だったから、詳細な指導法もなく、坐禅を中心として、自分の経験から、みだりに「思考」を回転させないように注意することから始めた。 しかし、禅の方法では、途中を飛ばして、究極(悟り)を目指す方法なので、精神疾患を治す支援には、高跳びするような感じであった。そこで、西田哲学の意志作用、行為的直観のありかたで説明して、その作用をそのまま参照して、自分の意識を観察して、それが習慣化するように訓練すると、うつ病や不安症が治るという事例が増えた。
 こうすれば、上記の疾患が治る人がいるが、炎症を起こしていた部位が回復するのであろうが、現在の段階では、その正確な機序は確認されていない。セロトニン神経系、背外側前頭前野、眼窩前頭皮質、島皮質、前部帯状回などの機能低下が報告されているが、うつ病それ自体の研究が、まだ正確にはわかっていない。セロトニン仮説、神経炎症説などがある。
 いずれにしても、意志作用、行為的直観の訓練にあたると思われる観察と生活で、SIMTでの支援では、1年近くから2年近くかかる。
 その10回のセッションに、私なりの工夫を加えた。将来、炎症部位が正確にわかれば、その部位を活性化させるトレーニングをすれば、治るかもしれないから、新しい精神療法の開発が期待できる。

 10回の実習内容は、公刊の書籍(注1)のとおりである。全く、宗教レベルではない。これを一覧表にしたのが、次である。

http://mindfulness.jp/katudou/2023-10session.pdf
うつ病・不安症などを治すための自己洞察瞑想療法
10段階のトレーニング
標準の期間:毎月一つのセッション、10カ月で完治
 この10セッションが、意志作用、行為的直観とどう関連するか、次の記事で述べよう。

【参考記事】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4794
★一人のマインドフルネス瞑想療法士が支援できるのは年間4,50人

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2474
★自己洞察瞑想療法(SIMT)による10段階のトレーニング

(注1) 大田健次郎(2013)『うつ・不安障害を治すマインドフルネス』佼成出版社

(注2) ただ、3,40分、坐禅するだけではない。深い境地を目標とする。方法も、支援者は、禅の語録で講話したり、必ず座談会があり、質疑応答できた。個別の相談もできた。支援者は、精神疾患のことを研究しているわけではなく、ただ坐禅の指導法である。現代のうつ病の患者には、参加し続けることは難しいだろう。

(注3)ただし、健康なひとは、意志作用、行為的直観を用いているが、本人は、その哲学を知らない。例えれば、子どもは、見る働きを用いているが、視覚作用の神経生理学を知らない。しらないでも使っている。うつ病でない人は、行為的直観をもちいているが、その哲学的な意味は知らない。

(注4)次に説明がある。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5809
★意志作用
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5810
★行為的直観
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5814
【目次】マインドフルネス心理療法SIMTの構造

(以下、セッション10まで掲載の予定)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5830
【セッション8の意図】価値崩壊への意志作用・連鎖の解消
  〜あるべき意志作用、行為的直観の全貌の確認

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5829
その5) 価値にも執着しない

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5828
その4)必然と自由意志

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5827
その3)非二元観=世界の中に自己、自己の中に世界

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5826
その2)作られたものから作るものへ

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5825
その1) 創造的世界の創造的要素

【セッション7の意図】 必然の世界で自由意志で生きる 〜 自己と世界はひとつ・非二元観

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5824
【背景の西田哲学の核心の一つ】実践指針は「至誠」

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5823
【セッション6の意図】 価値実現に影響する「本音」の意識化

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5822
【セッション5の意図】 日常生活が治す意志作用の活用の場に
〜半年で復帰したい患者がいるので日常の生活の場が「意志作用」の実験の場

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5821
【背景の西田哲学の核心の一つ】ポイエシスとプラクシス
 〜行動時にエゴイズムでない自己に成長
 〜行動時に自己他者組織世界を苦しめない行為

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5820
【セッション4の意図】価値の確認と常時の観察発動
 〜不快な状況でも衝動的反応の意志作用にしないために

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5819
【セッション3の意図】症状を悪化させる不快な感情が起きるプロセスを観察

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5818
【セッション2の意図】 意志作用で働くすべての作用を観察

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5817
【セッション1の意図】 意志作用で働く作用のうち感覚、思考を観察

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5816
★(2)各セッションの意図を意志作用、叡智的直観の哲学で構成

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5814
★(1)SIMT開発の経緯

Posted by MF総研/大田 at 20:33 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL
高齢者向の介護予防のための「心の健康体操」 [2025年10月29日(Wed)]

昨日は「こころの健康体操」でした  〜蓮田市立老人福祉センター

 高齢者の孤独・孤立が社会問題になっています。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5738
★高齢者の自殺が多い

 種々の領域からの支援が求められます。
 マインドフルネス心理療法、SIMTは、うつ病などの「治療法」が、真骨頂ですが、孤独感・うつ病・認知症・介護状態などの「予防」医学の領域にも 活用しています。予防も(A)高齢者向けと、(B)働き盛りの人向けと、(C)がん患者向けとがあります。

高齢者向の介護予防のための「心の健康体操」(A)

 私たちは、蓮田市立老人福祉センターで、毎月2回、介護予防のために、メンタルな視点からのプログラム「心の健康体操」(Aに該当)を10数年、実行させていただいています。 第2世代マインドフルネスを背景にした「心の健康体操」ですから、多分、日本で、ここでしか行われていないでしょう。
 仙台講演から帰って、昨日、開催しました。

 目標は、高齢者の孤独対策、うつ病、認知症、生活不活発病、要介護予防です。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5469
★本日は「心の健康体操」でした 〜孤独孤立対策、自殺予防対策、災害関連死予防に

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5395
★マインドフルネス心の健康体操 〜孤独・孤立対策と地方創生SDGs3.4自殺防止のために

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4699
高齢者向けマインドフルネス心の健康体操の再開
=うつ病、自殺、介護、生活不活発病、自律神経失調 症などの予防

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2535
【目次】高齢者のためのマインドフルネス

 高齢者の孤独、うつ病、認知症、生活不活発病、などの予防を目指しますが、 毎回、このテーマに関する動機づけのために、科学的なデータとして公表されている資料を図解にした会報『こころの健康』で簡単な説明を毎回、行います。

 9月は、膝が痛くなると外出が困難になるので、膝関節の痛みの予防の体操を学習しました。足の衰えの予防からの介護予防になるでしょう。
 昨日は、イギリスのランセット委員会が発表した、認知症のリスク要因、14個のうち、「高コレステロール血症」は7%で、高いリスクであるから、これを予防する心得を学習しました。 コレステロールは神経細胞の材料になる必須のものであるけれど、とり過ぎると、血管の硬化を起こし、心筋梗塞や脳梗塞などの病気をもたらすことを学習しました。そして、認知症になるリスクも高めることを学習しました。

 そして、上記の種々の問題(うつ、認知症、要介護状態など)の予防によい効果があるとされる、呼吸法(第2世代)、膝の痛み予防(軟骨再生)の体操、脳活性化トレーニング、ゲーム、フリフリグッパー体操、動作法などを実行しました。
 長期的な価値として、上記の問題の予防のために実行するのだと眼窩前頭皮質の活性化、その方向を受けての、今は、「このプログラムを実行するという短期目的を実行する意志作用は、背外側前頭前野を 活性化するというつもりで、実施しましょうといいます。
 動機づけになり、何年も通い続けているひとがいます。ここは「通いの場」であり、風呂、囲碁将棋、カラオケ、そして「健康体操」ほかのプログラムも種々あるセンターです。 高齢者の「居場所」になります。孤独・孤立対策になります。
 うつ病の予防にもなり、認知症のリスク要因14個のうち、社会的孤立(5%)、運動不足(2%)、抑うつ(3%)の改善になりそうです。研究所の会報『こころの健康』による予防の科学的なデータの学習は「教育歴」(5%)に多少貢献するでしょう。

 9月からの『こころの健康』の内容は、これです。
http://mindfulness.jp/kodokukoritu/naiyou-2025-kouki.pdf

 これ以前の『こころの健康』は、下記のリンクから見ることができます。

 最近の「心の健康体操」の記事へのリンクは、ホームページでご紹介しています。
現在のプログラム(マインドフルネス総合研究所)
http://mindfulness.jp/kodokukoritu/kodokukoritu-2025.htm
【心の健康体操】 
継続の心の健康の学習と実践。心の健康・うつ病・認知症・自殺予防。今年も継続します。
こちらに詳細説明
こちらにも
【ブログで説明】心の健康体操
【学習内容2024】毎回このような精神と身体の健康について学習
【学習内容】2025年後期の内容 (9月から)
【学習内容】2025年中期の内容 (7月まで)
【学習内容】2025年前半の内容 
【学習内容】2024年後半の内容
【学習内容】2024年前半の内容 
【認知症の学習】認知症の予防に関する学習
☆蓮田市立老人福祉センターでの『心の健康体操』
☆蓮田市椿山自治会館での『心の健康クラブ』
☆蓮田市のホームページにも案内の情報誌へ(p2)
社会教育>健康・医療・介護 のところに当研究所のご案内
【ブログで説明】マインドフルネス心の健康体操(うつ病でない人のマインドフルネスSIMTの実践会・居場所)
孤独・孤立の予防、がん闘病の人、楽しく学習。2つあり、ともに10年以上継続(まだ、心の病気でない人の居場所)


https://blog.canpan.info/jitou/archive/5555
【目次】 今年も「孤独・孤立対策・自殺防止対策・質の高い教育」
 〜孤独・孤立対策にうつ病の視点を ー 2025年
Posted by MF総研/大田 at 10:14 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL
日本にあった(禅や仏教など)のに、死んでしまった日本文化としての実践 [2025年08月07日(Thu)]
【カルトに触れた記事】
https://news.yahoo.co.jp/articles/83ea152412b8c8945999c630646839377002a837
◆北原みのりさん

日本にあった(禅や仏教など)のに、死んでしまった日本文化としての実践
 〜自分の見方、考え方、行動が価値実現かどうか観察しようという実践
 〜宗教者や仏教学者も教えてこなかった

 ハラスメント、誹謗中傷、いじめなどで、学校、職場、各種の団体で、うつ病、不安症、PTSDなどに追い込まれる人、治らずに不登校、引きこもりになる人もいる、一部のひとが自殺していく。

 うつ病、不安症、PTSDなどの精神疾患が治りにくい。

 次のことがわかってきたが、学校教育でも、社会教育でも、教えてこなかった。
 実は、仏教には、その予防、回復になるような実践があった。

 うつ病になった人は、なぜうつ病になったかわからないひとがいる。(私も40年前そうだった)
 どうして、うつ病になったのかわからないと、薬物療法で寛解(軽くなる)しても、また、同じような現場に戻ると、再発しやすい。前と同じストレスがあり、同じような心の使い方をするならば、再発するのは当然である。
 できれば、薬物療法を受けながら、感情の観察、対処法を教える認知行動療法を受けたほうが、再発しにくい。なぜ、うつ病になったのかわかり、新しい認知の仕方、行動のしかたを習得するからである。おなじような現場に戻っても、再発しにくい。
    (私も、深い坐禅で治り、証明者となる。その坐禅は、ただ40分坐るものではなかった。そのほかに、座談会、一対一の質疑応答があり、どうしてストレスにしてしまったか、理解して、見方考え、行為が変わっていった。もう、師もお亡くなりになった。その指導手法も場所も消滅した。それは、宗教であった。自己洞察瞑想療法は、絶対は無用で、かなり違う精神療法である。西田哲学 が、叡智的自己の行為的直観という作用の習得で、宗教以前である。誰でも習得できる。このような自己の階層を西田哲学が教えている。宗教レベル以前と宗教的なことを。次の記事でもう一度みておく。)
 陰性の感情を起こすと、ミクログリアから炎症性サイトカインが分泌されて、これが、脳内の神経細胞を 傷つけて、うつ病になることが、最近の学説。

 こういうことを理解しておいて、陰性の感情を観察して、解決のない思考を回転させず、建設的な行為をするように、トレーニングしたい。そういうトレーニングは、脳内の神経回路に影響していく。うつ病の予防、回復の方向の心理の用い方になっていく。

 予防のためにも、治療のためにも、自分の心理現象を観察して、「これの扱いが違うと、うつ病になるな、悪化させるな。 そうではなくて、こういう考え、行動をしよう」という見方、反応の仕方を繰り返し、練習していくと、 半年くらいで、症状が軽くなり、1年ほどで、完治するひとが多い。

 傷ついた前頭前野、眼窩前頭皮質などを活発に動かすトレーニングになっており、その部位の神経細胞が再生することで、治るのであると推測している。

 次の記事に詳細がある。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4846
★ミクログリアから炎症性サイトカイン

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4786
【連続記事目次】なぜうつ病、なぜ自殺

 次の記事が、自分の感覚、思考、行為、価値などを観察する手法の一つ。 西田哲学、脳神経の科学、感情の科学、などを参照して構成した自己洞察トレーニングの 精神療法。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4850
★自己洞察瞑想療法(1)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4851
★自己洞察瞑想療法(2)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4852
★自己洞察瞑想療法(3)

 これは、ほんの一例に過ぎない。西田幾多郎、鈴木大拙などが解明したものは、自分は「至誠」であるか、つまり、自己、他者を苦しめないか常に評価判断し、すべてのひとが幸福になりたいはずだから、他者を尊重し共生していく社会を建設していくことに資する意識の使い方である。エゴイズムの観察、抑制が実行される。そうであるから、種々の領域に、精神療法の開発を可能にするはずである。
 残念ながら「マインドフルネス」まだ浅いものだけが大学などで教育されているようだが、アメリカではすでに激しい批判が起きている。
 それでも、用いたいひとがいるのだから、排除せず、共生でいいが、もっと別の観察手法も「排除」しないで、共存していくことを望みたい。ハラスメントや誹謗中傷、他者をうつ病、自殺に追い込むようなことは、共生に違反する「悪」であるから厳禁という方針だから。他者、自己を苦しめることを「悪」と評価して、変えていく。

 日本にあった文化、できれば、再生して、現代に活用したい。種々の問題領域に、種々の手法が考えられる。

 政治家、宗教者、学者の言葉、行為も、弱い立場の人をうつ病に追い込み、自殺させることが起きている。それが彼らにも理解されていない。

 これまでは、そういう観察、行為が、仏教や禅にあるという説は、否定、排除されてきたかもしれない。だが、このままで、宗教者、学問する人の若い世代は、それでいいのだろうか。よく、考えてほしい。
 しばしば、新しい学説、新しい精神療法は、アメリカから輸入されてきた。日本で独創されたものが少ない。若手の宗教者、学者のかた、これからもアメリカのものをまち、輸入するという姿勢でいくのか。期待できるのか。昔の日本にあったものだが。

(続く)

【検討中の文献】『日本文化は絶滅するのか』大嶋仁、新潮新書、2025年5月

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5688
【目次】日本文化は絶滅するのか

Posted by MF総研/大田 at 13:27 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL
死んでしまった日本文化 〜 宗教や学問における自由、共生 [2025年08月05日(Tue)]

死んでしまった日本文化
 宗教や学問における自由、共生

 鈴木大拙が「霊性」といったもので、人間共通の根底の存在論的なもの(「大智」)を基礎にして、倫理道徳的な行動原理(「大悲」)を含んでいます。

 鈴木大拙は、禅には「共生」があるといい、西田幾多郎は「至誠」をいいました。 異なるものが存在するのはあたりまえの世界なのですから、・・・。 他の宗教、学問の自由を尊重し(なぜなら、個人によって違うからです)、 他を排除せず、我利我執で行動せず、他を殺さず、共に生きていく世界の建設です。

 ところが、これは、日本の中でも死んでいますね。団体の中で、統一見解を作り、メンバーに強制していて、自由な異見を許していないのではありませんか。自由がないのは、「カルト」の中だけではありません。

 道元にも深いものがあったという学説が団体の中で許容されていたでしょうか。大学の研究室で教授の説を批判する学説をいう自由がありますか、戦後80年も、大智、大悲があったという説や実践が出てきません。学問も自由である日本とは言えないでしょう。  日本には、聖徳太子、道元、親鸞など、対立するものが「共存」「共生」すべきという文化があったのです。

 家庭でも、職場でも、政治の場でも、宗教の場、学問の場でも、異なるもの、対立するものが共存、共生する場所でありたいのです。 このことを、大嶋仁氏は、次のように言っています。

場所にあるものも、場所も自己否定

 「ヘーゲル弁証法を受けた西田は、彼独自の弁証法を提起しています。彼の弁証法は「場所」という独自の概念に根ざしており、そこに大きな特徴があります。
 彼のいう「場所」は、地理的な意味でも空間的な意味でもなく、いわば論理的な「場所」です。 論理的な場所とは、たとえばYESとNOが対面し、「矛盾」が生じる場所です。」(p186)

 「西田のいう「無」は「自己否定」によって成り立っています。場所が場所として存在するなら、それは決して「無」にならず、「存在」となってしまいます。もし、場所が自己否定をすることで、その場所に存在するあらゆるものが己の「存在」を否定するなら、それらの「共存」が可能になります。」(p187)

 たとえば、道元は坐禅を重視したという学説と、道元は、我利我執を捨てよといったという学説、道元は絶対無の体験(身心脱落)を重視したという説。それを主張するひとが「我」(が)を張らず他説の存在を許せば、その集団には、みな共生しています。

 道元は、排除されました。京都で新しい仏教を説法していたら、反対者から襲われて道場が破却されました。共生できなかったのです。
 道元には、波多野という武士の支援者がいて、福井に移りました。京都では共存できませんでした。
 現代では、我見我執を捨てる実践を教授すれば、うつ病などの苦悩は解決する可能性があるので、「大悲」の枠内であるはずですが、実際に支援活動があるとは思われません。西田がいうような至誠の実践による「大悲」はないように見えますが、これを大嶋氏が「死」んでいるという、大悲の「死」でしょうか。

 臨済宗の公案禅は、悟りをいいましたから、「大智」はあるのでしょうが、国民からはわからないでしょう。大智を説くということはされませんでした。国民の精神社会的な種々の苦悩(たとえば、ハラスメント、自殺など)の解決の実践という点は、「大悲」でしょうが、やはりみられないでしょう。その点は「死んで」しまっているのでしょう。

 「マインドフルネス」は新しい学問であり、その歴史経過を見ることができます。「無評価で瞑想」という学説と、瞑想でない対人場面で評価する、とい学説とが、大学や研究団体で「共存」「共生」しているでしょうか。アメリカでは、批判が起きていますが、日本では、排除が起きていませんか。
 西田や鈴木が紹介した、自己を無にして異なる他者と共生するという日本文化は、もう、現代のどこでも実行されていないでしょう。死んでいるのです。

 日本だけではありません。独裁国家、他国の侵略、戦争、殺戮、・・・。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5691

 現代日本の仏教は、長老・幹部の選択した「宗教」でした。「目的のない坐禅が尊い」といいいました。だが、それで国民は、無宗教か、カルトを選択してきたのが、現代日本ではないのでしょうか。聖徳太子などが尊重した日本文化としての仏教は、江戸時代末期から「死んだ」のです(大嶋仁氏)。組織が残っているのは、その教えによるのではありません。他の多角的な事業で。それも時代の変化で寺院がもたなくなっています。
 どうすればいいのでしょうか。次の世代の動きにかかっています。

(続く)

【検討中の文献】『日本文化は絶滅するのか』大嶋仁、新潮新書、2025年5月

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5688
【目次】日本文化は絶滅するのか

Posted by MF総研/大田 at 20:38 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL
『後期西田哲学の実践論』の「おわりに」 [2025年08月04日(Mon)]

死んでしまった日本文化
 『後期西田哲学の実践論』の「おわりに」、および注

 鈴木大拙が「霊性」といったもので、人間共通の根底の存在論的なもの(「大智」)を基礎にして、倫理道徳的な行動原理(「大悲」)を含んでいます。

 西田幾多郎が指摘した実践論をまとめました。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3329
★後期西田哲学の実践論

この前は
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5698
至誠心(1) (72ページ)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5699
至誠心(2) (74ページ)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5700
至誠心(3) (75ページ)

おわりに

 以上のことから、西田の実践論は、こう要約できる。我々の自己の人生の目的は、各人が自己の価値と決めた産業領域で世界を創造する行為的直観で生産行為、すなわちポイエシスを実行しながら、同時に至誠の自己形成、プラクシスを行うことである。
 絶対の自己射影点であることを忘れず、自覚的直観の哲学を理解して、行為的直観でポイエシス的社会生産行動をしながら、同時に並行して自己を形成するプラクシスの実践をすることである。すなわち、至誠の実践、己を尽くす実践、特に対象論理的独断を捨てて見て考え行動することである。そうすると絶対無の自覚に至る。さらに創造的自己の自覚をもって、創造的直観的に世界創造と自己形成を継続する。
 東洋道徳の根本は至誠にある。自己の都合のよいところに止まらない心である。至誠ということは己を尽くすこと、対象論理的独断に見るのではなく、物を全体との関係において見ること、絶対の立場から見ることである。我々の自己は、いつも絶対に触れている。至誠とは自己が絶対者の自己射影点となることである。それを自覚して実践しゆくことが後期西田哲学の実践論である。

(続く)

【凡例】
西田幾多郎の著作からの引用は、岩波書店、西田幾多郎全集(昭和40年―41年)により、第九巻五四頁の場合【九巻五四頁】のように、巻数と頁を表示する。引用にさいしては、現代仮名遣い、現代漢字に書き改めている。

1)次の文献で世界中にマインドフルネスの研究がひろがっていることを知ることができる。越川房子 (二〇一四)「日本の心理臨床におけるマインドフルネスーこれまでとこれから」『人間福祉学研究』第七巻第一号:四七―六一頁、関西学院大学。 SC.ヘイズら(二〇〇五)『マインドフルネス&アクセプタンス〜認知行動療法の新次元』ブレーン出版。  筆者が開発したマインドフルネスの自己洞察瞑想療法も対象論理的な領域のマインドフルネスである。大田健次郎、二〇一三『うつ・不安障害を治すマインドフルネス〜ひとりでできる「自己洞察瞑想療法」』佼成出版社。

2)板橋勇仁、二〇〇八『歴史的現実と西田哲学』法政大学出版局。

3)西田には体験について次のような記述ほか多数ある。
「個物が個物自身の底に絶対の他を見るということは、自己自身の底に絶対に自己自身を否定するものに撞着するという意味をもっていなければならない。かかる意味において絶対の他と考えられるものは、私を殺すという意味をもっているとともに、我々の自己は自己自身の底にかかる絶対の他を見ることによって自己であるという意味において、それは私を生むものでなければならない」【六巻四〇一頁】。
「宗教的体験というものは、自己というものが死にきって、絶対が出て来ることである。そこに言語思慮を入る余地がない。故に宗教には生命の転換、いわゆる回心というものがなければならない」【九巻六七頁】。

4)道元の「我見我執己見を捨てよ」という言葉の例として次がある。
「一日、参学の次、示に云く、学道の人、自解を執することなかれ」(「正法眼蔵随聞記」、『道元全集』七巻六三頁、春秋社)。
「学人、第一の用心は、先、我見を離るべし。我見を離るとは、此の身を執すべからず」 (同一一七頁)。
「ただ暫く吾我を忘れてひそかに修す・・・。ゆえに六十二見は我をもって本となす。もし我見起るの時は静坐観察せよ。今我が身体内外の所有、何をもってか本とせんや。身体髪膚は父母にうく、赤白の二滴、始終これ空なり、所以に我にあらず。心意識智寿命を繋ぐ、出入の一息、畢竟如何、所以に我にあらず、彼此執るべきなきをや。迷う者はこれを執り、悟る者はこれを離る」 (「学道用心集」『道元全集』五巻一六頁)。

【出典】
大田健次郎「後期西田哲学の実践論」宗教哲学論叢(第一)、宗教と哲学研究会

【検討中の文献】『日本文化は絶滅するのか』大嶋仁、新潮新書、2025年5月

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5688
【目次】日本文化は絶滅するのか

Posted by MF総研/大田 at 18:30 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL
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