マインドフルネス瞑想療法士の講座
〜自己洞察瞑想療法 第4世代の認知行動療法SIMT [2024年03月01日(Fri)]
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後期西田哲学を背景にした
自己洞察瞑想療法、SIMTのカウンセラー育成講座 [2023年10月17日(Tue)]
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東京での講演 [2022年10月29日(Sat)]
東京での講演 〜 うつ病を治す、予防する日本的マインドフルネス
私の著書の2冊(下記注)を出版してくださっている佼成出版社の企画で、10月29日、講演会を開催させていただきました。
内容は次のとおりでした。
☆私のうつ病体験からSIMTが生まれた
☆マインドフルネスとは?
☆どこまで観察するか
☆観察の範囲
☆SIMTと他のマインドフルネス
☆自己・自分まで観察するSIMT
☆呼吸法の実際
☆セロトニン仮説でなく、免疫細胞からの炎症性サイトカイン説
☆ストレス反応(HPA系、免疫細胞から炎症性サイトカイン)
☆島皮質の機能低下
☆つらい思考を渦まかせる本音
☆どんな効果があるか
☆うつ病を治す・予防する
コロナ感染症の以前は、「マインドフルネス」とは何かという演題での希望が多かったので、
ブームになっていた「マインドフルネス」の実際をお伝えすることが重点でした。歩く瞑想、食べる瞑想、正座瞑想でも本音の観察なしの瞑想、でした。
しかし、今回は、本の読者が参加されるということで、日本的マインドフルネスの核心であ
る本音の観察の方法を重視しました。内容の説明は、本に書いてあるということで実践を重視しました。
蓮田市で、11月12日
次は、埼玉県蓮田市で11月12日、蓮田市教育委員会の企画です。
内容は、かなり違います。演題が「うつ病・自殺予防の心得」です。実践ではなくて、講話です。そして、うつ病の予防と、自殺の予防の心得です。内容はおよそ次のとおりです。
☆うつ病は、こうした悩みや過労からストレス反応が起きて発症する。
☆治療法として薬物療法があり、このような機序である。
(セロトニン仮説でなく、免疫細胞からの炎症性サイトカイン説を詳細に説明)
☆薬物療法を受けよう、しかし、完治率は高くないこと。その理由。
☆治らなくても、死にたくなっても「死なないでください」。マインドフルネス心理療法SIMTで完治する事例があるから。
☆SIMTで治る原理はこういうことです、と詳しく説明。
☆支援してくださるマインドフルネス瞑想療法士がおられる。
☆自殺の前に兆候がある、家族、生徒の兆候を見逃さない
こうしたことをお話しします。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5040
★申し込みは、こちらのリンクから、蓮田市のご担当に
まだ、余裕がありますので、ご希望のかたは、蓮田市のホームページをご覧になって、お申込みください。
この講演の後、実践の希望があれば、蓮田駅(JR宇都宮線、大宮から3つ目)のそばの会場で、1月から毎月、開催します(2023年限定です)。地方創生SDGsで、何か所かで行いたいので簡便法を試験的に行うつもりです。会場での対面のみです。(オンラインでの支援は、別にマインドフルネス瞑想療法士がおられるので)
これで治るかどうか、了解を得て実施させていただきます。これで改善せず不足のクライアントさんは、この後、他のマインドフルネス瞑想療法士の手厚いカウンセリングを受けていただきます。
蓮田市でのその後は、マインドフルネス瞑想療法士による支援を期待します。
または、予防的な実践の会に参加していただきます。30年継続の会。
マインドフルネス心の健康クラブ
12月は仙台で
全国で、取り組んでいただきたい。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4921
★マインドフルネス心理療法SIMTを付加した種々のプログラム
=うつ病の予防、治りにくい人の改善支援を通して自殺の防止
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4714
★地方創生SDGs3.4 自殺の減少
これに活用できるマインドフルネス心理療法SIMT(自己洞察瞑想療法)
注
大田健次郎(2013)『うつ・不安障害を治すマインドフルネス』佼成出版社
大田健次郎(2022)『「死」と向き合うためのマインドフルネス実践』佼成出版社
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4893
【連続記事】地方創生SDGs 3.4 自殺の減少 ー 2022年
今年こそマインドフルネスSIMTで実現を
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ついに西田哲学の地に実践するカウンセラーが
[2019年07月04日(Thu)]
ついに西田哲学の地に実践するカウンセラーが
倫理学と言う学問があります。
「倫理学とは「倫理について批判的に考える学問である。すなわち、よりよく生きるために、社会の常識やルールをきちんと考えなおすための技術である。」(「功利主義入門」児玉聡、ちくま新書、カバー)
「倫理学は、単に理論を学んで終わりというものではなく、その理論を実践に活かせなければ意味がない。本書は倫理について批判的に考え、その結論に応じて生き方を変える覚悟のある人のための入門書である。」(同、p10)
実践しなければ意味がない学問が倫理学であるという。西田哲学もそうであると、西田幾多郎の孫のかたが言われた。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3495
★上田薫氏の嘆き
西田哲学は読まれるだけでは価値がない
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3930
★仏教の学問もまだ遅れていて、仏教の学問は、大乗仏教が本来持っていた利他、自内證、人間完成の実践の核心が失われていることを批判していない。学問が不十分な状況を批評しないできた。ようやく、大竹晋氏が仏教の現状と仏教の学問を批判した。
西田幾多郎の西田哲学は、複雑な人間の哲学であるが、内外の多くの大学で研究されている。しかし、実践されているだろうか。西田哲学も倫理学も実践されなければ意味が薄い。自己の心を知り、よりよき生き方をするのでなければ、貴重な時間を失う。一生は短い。私もあと数年だろう。時間が貴重だ。
西田哲学は文献を読むことはできる。それは「思考作用」を用いる。西田哲学の実践は、マインドフルネスSIMT、自己洞察瞑想療法(SIMT)である。これは、思考作用ではなくて、行動である。意志作用、行為的直観、創造的直観であり、みな行動レベルである。世界創造である。実際に生き方を変えるのである。これまでは、西田哲学の実践で利他を行うことはなかったであろうが、これからは、西田幾多郎の生誕地で、うつ病などの人の支援活動を開始される。これこそ、大乗仏教でいう「利他」に通じるだろう。慈悲の瞑想という思考レベルではなく、行動レベルである。慈悲、利他は行動レベルである。社会、世界を創るのである。このことは、大竹晋氏などの仏教学が教えてくれる。
西田幾多郎の故郷、石川県かほく市に、ついに、西田幾多郎の西田哲学を実践して利他と人間完成(まだ初歩ではあるが=*注)をめざすカウンセラーが現れた。
(*注:西田哲学で「至誠」でないことが、我利我執であるが、マインドフルネスSIMTでは「本音」といって、初心から生涯、観察して、価値実現、利他(他者支援)を志す。)
自殺がまちかまえている「うつ病」「不安障害」のかたの支援は容易ではない。
あたたかく、見守っていただきたい。
always mindfulness
石川県かほく市=西田幾多郎の生誕地、墓地がある。現在西田幾多郎記念哲学館がある。
(不安障害も治らないと社会生活に支障、ひきこもりなどをきたして悩み苦しみ、うつ病、非定型うつ病を併発して自殺の危険があります。社交不安、パニック症、広場恐怖、場面緘黙など)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4269
★こういうとろころにも講演、体験会などで学習、体験していると予防、改善に貢献できます。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4243
★マインドフルネスSIMT 2019
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すべての人間の自己は絶対無の場所に於いてある
[2018年11月25日(Sun)]
すべての人間の自己は絶対無の場所に於いてある
アインシュタインの言葉を見た記事に関連して西田哲学の言葉をご紹介しました。
『人間的存在』とはどういものであるか、説明したものです。
「超越的なるものという語は、色々の誤解を惹起するかも知れないがそれはるるいったごとく絶対矛盾の自己同一として、意識的自己、知的自己に超越的であるということである。行為的自己、制作的自己に対してはかえって直接であり、我々はこれに於いてあるということができる。・・・・
宗教は過去の迷信とか愚民の阿片とかいうものでなく、歴史の底にはいつも宗教的なるものが動いているのである。」(『人間的存在』旧全集9巻66頁)
「宗教的体験というものは、自己というものが死にきって、絶対が出て来ることである。そこに言語思慮を入る余地がない。故に宗教には生命の転換、いわゆる回心というものがなければならない。」(『人間的存在』旧全集9巻67頁)
文章をていねいに読んで、再確認します。意味をとりにくいところを・・・にして省略すると、次のとおりです。
「超越的なるものという語は、・・・絶対矛盾の自己同一として、意識的自己、知的自己に超越的であるということである。行為的自己、制作的自己に対してはかえって直接であり、我々はこれに於いてあるということができる。
「超越的なるものという語は、・・・絶対矛盾の自己同一として、意識的自己、知的自己に超越的であるということである。」は、こうなります。
「超越ということは、それよりも内奥に働いていて、浅いものでは意識できないということです。パソコンでいえば、ワードやパワーポイントなどのアプリケーションソフト(AS)で作業しますが、その底に基幹システム(OS)が動いています。しかし、ASの操作からは絶対にOSのことを操作できません。OSは深いところで動いていて、浅いASを動かしています。
そのように、意識する自己、知る自己は同じ場所で働いているが(絶対矛盾的自己同一)、超越的なるもの(絶対無、大乗仏教は仏性といった、初期仏教にはない)が、意識的自己、知的自己の内奥に働いているが、浅い自己にはわからない。
「我々はこれに於いてある」というのは、こういうふうに読めます。
「歴史の底にはいつも宗教的なるものが動いている」に行きます。
「歴史」は、世界の動きですが、それは(やはり絶対矛盾的自己同一的に)世界が自己と一つですが、そうであるから、その世界の底に絶対無(宗教的なるもの)が動いていると言っています。このブログを見ておられる「あなた」と「あなたが見る世界」も「このブログの底にも、OSばかりでなく、さらにその内奥底に、絶対無が動いている。
絶対無、宗教的なるもの(科学で対象的には絶対に見えないので宗教的なるものといいます)は、すべての人に事実です。嫌っても、無視しても、動いています。
「マインドフルネス」は、宗教を排除したといっても、そういう人にも動いているのです。真に自己を知るということはそこまでいくのです。
しかし、うつ病や不安症、人間関係の改善などのためには、このような「宗教レベル」のマインドフルネスは必要ありません。本で発表したのは、その程度の宗教的でない自己観察の方法です。意志的自己のSIMTです。「死」の問題、真の自己の問題、宗教の問題でなければ、これで
充分です。
自己の階層は、この記事で触れています。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3572
自己の階層によって、「マインドフルネス」の仕方、範囲が違います。意志的自己、叡智的自己は現在進行形で、見て考えて「働く自己」です。働く自己は無評価ではすみません。自己の言動、他者の言動に、不正、パワハラ、セクハラなどがないかも、現在進行形で「評価」しなければなりません。家族、同僚、上司、部下、顧客、先生生徒、医師患者の間で、頻繁に感情が起こります。それはどうしてであるか「評価」しなければなりません。この領域の「マインドフルネス」もあります。
「マインドフルネス」は、まだ歴史が浅いために、日本の深い実践(後期の西田哲学の実践論)までは参照されていません。やがて、欧米のマインドフルネス専門家も参照するでしょう。
鈴木大拙の著書も西田幾多郎の著書も外国に翻訳されていますから。まもなく、深いマインドフルネスも欧米で発表されるでしょう。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4013
【誤解だらけの瞑想、坐禅、マインドフルネス】
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2019年の講座
[2018年11月23日(Fri)]
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マインドフルネス精神療法研究会の定例会
[2018年11月12日(Mon)]
マインドフルネス精神療法研究会の定例会
昨日は、マインドフルネス精神療法研究会でした。
★研究会のテキスト
『後期西田哲学の実践論』
『叡智的自己への課題』
参加者には、上記を贈呈。
さらに研究会に入会者には、機関誌創刊号、
および、『深い日本的マインドフルネス』を贈呈。
今回は、次の内容でした。
★我々は、日本的マインドフルネス精神療法である、自己洞察瞑想療法(SIMT)をすすめている。仏教やマインドフルネスは多数の流派にわかれている。
日本の哲学実践を好きでないひともいる。SIMTもすべて支援できるわけではない。
それぞれを選択する人の自由であるし、適応できる問題や関心あることが違うから「すみ分けて」、他を否定はせず、共生していく。みな、それぞれの価値を選択して世界を創造していく、皆を尊重する。
★また、初期仏教の本が出版された。家庭を捨てる、職業を捨てる、というものである。厳しい実践であるが、自分で選択した学問領域を紹介していく。叡智的自己のありさまである。人間世界からも解脱したいという目的を持つ。
一方、大竹氏の本もある。初期仏教と大乗仏教は別の宗教。大乗仏教は、家庭、職業を捨てない。そして、3つの核心を実行していく。人間世界で利他、人間完成を実行していくことを目指す。
★初期仏教と大乗仏教とは別の宗教であるという大竹氏の本の紹介。
日本仏教は、3つの核心が弱いと。利他、人間完成、自内證。
★西田哲学、SIMTでいう、自己の階層。判断的自己、知的自己、 意志的自己、叡智的自己、人格的自己。
★研究会は、意志的自己の熟練と、至誠の叡智的自己、至誠の人格的自己の研究と実践をめざしていく。それぞれの段階のSIMTで社会貢献していく。
★『福岡伸一、西田哲学を読む』(明石書店)の紹介。生命学者によって、西田哲学と類似する生命科学の発見があった。細胞の分解と合成が同時に起きている。これは、西田哲学がいう「絶対矛盾的自己同一」と類似するという。
自己と世界、自己と絶対的一者(神、仏など)、この人生と極楽、死と生、もそうである。
観ることと行為することもそうである。行為的直観という。これは叡智的自己の意識作用。
矛盾するものが、絶対現在においては、同時に一つである。このために、苦悩の解決の実践もある。
★哲学には、認識論、実践論、実在論がある。これまでの科学は、対象的な存在のみを扱い、実在を扱えなかった。福岡伸一氏が、対象にならない実在、生命をピュシスといい、西田哲学の絶対無と類似する。
★
実在論によって、認識論、実践論が違ってくる。仏教やマインドフルネス流派によって、
実在論が違うので、マインドフルネスの観察方法・範囲や修行のしかた、生き方が違ってくる。実在論の哲学の全くないマインドフルネスもある。輪廻転生の思想を持つ流派、言わない流派もある。
★「禅」が利他、人間完成、自内證を言わないならば、SIMTはそれとも違う。西田哲学の批判に賛同する。西田哲学にならって、生涯、社会的行動(ポイエシス、家庭、職業、ボランティア活動などの利他の行動)の陰で、内面の自己洞察(プラクシス)を続ける道も開かれている。うつ病や人間関係の苦悩を解決するのは、意志的自己の意志作用のSIMTで十分である。SIMTは、一時期だけ実践するものではない。生涯、家庭での家族との対面時に、職場で他のメンバーや関連の人々との対人関係の現場で実践するもの。単なる瞑想の時は、ポイエシス、世界創造ではない(西田哲学)。世界創造と人間完成が同時で一つである(ここも絶対矛盾的自己同一)。
★日本人は、深い人格的自己を経験したひと、(体験しなくても)これを言う人がおおい。芸術家、宗教者、哲学者、一般人など。今回は、禅僧の仙香i堪忍、〇△□)を鑑賞。機関誌で、河井寛次郎、武者小路実篤をとりあげた。
★そして、実践。現場で活かすための至誠の意志的自己、至誠の叡智的自己、至誠の人格的自己を目指しての瞑想。
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マインドフルネスによる専門家の倫理
[2018年11月10日(Sat)]
マインドフルネスによる専門家の倫理
今日は、マインドフルネス瞑想療法士🄬の認定講座の第6回です。
この講座では、道元禅、初期仏教、大乗仏教、西田哲学などについて学びます。マインドフルネス=自己の意識作用のすべてを観察しますが、エゴイズムの心理も観察します。
この記事は、大乗仏教の支援者の倫理です。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2425
これは、今日、勉強します。日本でも各種分野の専門家がエゴイズムによって、人々を苦しめています。自殺させる、うそ、改竄、不正、パワハラ、セクハラ、アカハラなど
が頻発しています。
ひとは、自己中心的な見方をもちます。執着、嫌悪、行動基準を持っています。無評価で観察するのは無理です。現実には、評価は避けられません。自分のみかた、考えかた、行為が、エゴイズムでないか「評価」しなければなりません。
初期仏教は、家庭、職業を捨てて修行して六道輪廻から解脱することをめざすように構成されています。大乗仏教は、家庭、職業を捨てずに、人間完成を目指します。
大乗仏教では、推進者の倫理がきびしいです。家庭や職務の中での人間完成をめざしたので、エゴイズムが起こります。それで、自分のエゴイズム、自己中心の心理を観察評価するのです。
日本のマインドフルネス、自己洞察瞑想療法(SIMT)は、これを「本音」として、観察、評価します。無評価では家庭、職場で、生きていくことはできません。
これを今日、勉強します。マインドフルネスも洗練されてきました。SIMTでは、西田哲学が従来の仏教、禅などの観察が不十分であるとして、「至誠」が実践指針であるという西田哲学を参照して、現代的なマインドフルネスを研究しています。
【参照】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3611
★マインドフルネスの悪用乱用も
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(15)日本の仏教は「マインドフルネス」どころではない? [2018年10月09日(Tue)]
(15)日本の仏教は「マインドフルネス」どころではない?
=大乗仏教の核心が失われ存在意義が問われている
次の本は、日本の仏教者が信じているという大乗仏教は
ブッダの仏教ではない、別の宗教だと指摘しています。そして、日本仏教は、大乗仏教の本道から乖離しているという。「利他」が弱い、人間完成がない、自ら証明する「自内證」がない。とすれば、日本の仏教の存在意義は何なのか。
西田幾多郎も70年前から批判していた。仏教の学問は遅れているようだ。真剣に自己批判に向き合わないところがあった。
『大乗非仏説をこえて』大竹晋、国書刊行会
科学と称する「マインドフルネス」が日本でブームですが、本書は、法華系、浄土系、曹洞宗の一部の僧侶が
「マインドフルネス」にならうことを批判しています。目的、哲学が違うと、手法が違うのです。ACTも別の哲学です。
「現在、日本に進出してきている上座部仏教団体周辺の人々からは、しばしば、
「仏教は宗教ではなく科学である」という考えかたが発せられている。」(p232)
「「仏教は宗教ではなく科学である」という考えかたは、一種の科学崇拝であると考えられる。
科学的であることは、少なくとも、人としての完成にとっては、あまり意味がない
(科学的な知識を持っていても、人としての完成に至っていない人はいくらでもいる)。
大乗仏教は、あくまで、人としての完成や、人を超えたブッダへの無限の向上を
目ざすものであるから、ことさら科学的である必要はない。」(p232)
(ただし、日本の仏教は、ただ坐禅するだけで利他にも弱く、「人としての完成」の精進も弱い。西田哲学では、至誠に生きよというのが日本の精神だというが、日本仏教はそれを言わない。=大田)
「こんにち、都市部においては、新来の上座部仏教団体が、変動する社会において救いを求めて浮遊する人々を、
瞑想を教えることによって惹きつけつつある。
そのような人々のうち、科学崇拝との親和性が高い人は「仏教は宗教ではなく科学である」という
考えかたに親近感をいだきがちである。ただし、それはかならずしも多くの日本人ではあるまい。
(中略)
仮に「仏教は宗教ではなく科学である」という考えかたが日本を席捲する時が来るとすれば、それは
日本が日本でなくなる時であろう。」(p233)
「法華系と浄土系との諸宗や禅系の曹洞宗を中心として、上座部仏教を摂取して瞑想を広めようとする人々もいる。あるいは、
諸宗の教えを上座部仏教に引きつけるかたちで改変して広めようとする人々もいる。」(p240)
仏教が科学ならば宗教教団の存在意義が弱い。科学そのものはエゴイズムをやめようとか、人間の完成をいうこともない。
「マインドフルネス」が、東南アジア系の仏教教団の宣伝になっているようではおかしい。マインドフルネスは科学ということで、マインドフルネスの「科学」?が特定の宗教への入口となると問題である。上座部の実践は、古代インドの六道輪廻からの解脱を求めるもので、現世で強く生きていこうという心得が弱い。
日本の仏教者が、上座部の宗教を称賛するようで、居心地が悪い。自分の宗教はマインドフルネスにどう対応するか、困っているだろう。その前に、大乗仏教は、利他、人間完成、自内證などが核心であるはずなのに、科学的な「マインドフルネス」をいっている時ではないだろう。
日本の仏教は、「マインドフルネス」の前に、自分たちは何であるのかが問われている。
古代インドの輪廻を恐怖していた時代の仏教、家族や職を捨てて、在家からの布施に依存しながら六道輪廻からの解脱を目指す初期仏教では、現代日本の状況とは全く違う。
大乗仏教は、家族仕事を持つ者が利他、人間完成を目指し、それを自内證で確認するというが、日本の自分の宗教はそれをしているか。
大変、難しい状況にある。現状を招いたのは、長老方であり、それを「学問的」に支援した学者である。また、おかしいと声をあげなかったメンバー全員の問題である。長い伝統があり、内部で反対意見をいいにくい「空気」や、恐怖から「忖度」「あきらめ」が予想される。どうやって、誰が、現状を打開するのか。大きな組織は変わりにくい。
自滅していくのか。本書も、それも一つの予測としている。
「実のところ、もはや立ち返れない地点にまで至ってしまっていると思われる。諸宗はいずれ行き着くところまで行き着くしかない。」(p241)
日本の仏教に、同情を感じる。何とかしたい。「瞑想」が悪いわけではない。うつ病などを改善できる瞑想もある。瞑想する智慧(哲学)次第である。大乗仏教の六波羅蜜にも瞑想がある。禅定波羅蜜がある。ここに突破口があるだろう。利他と人間完成の自己洞察である。ビパッサナー瞑想に習うのではなくて、大乗仏教の六波羅蜜として構成できないか、検討するのである。
長い期間、信じられてきた教団の公式見解が変わるのは、検討期間が必要であり、10年かかるかもしれない。末端の人はそれを待たず、自発的に大乗仏教の気概をもって、現世の苦悩を解決したい国民のために利他のためのマインドフルネスの活動に先行参加していいのではないか。たった一回きりの人生、自分の頭で決めていいのではないか。組織全体は変われなくても、個人や少数のグループで本道に戻ることはできるだろう。
【書籍紹介】『大乗非仏説をこえて』大竹晋、国書刊行会
【連続記事】【日本では、なぜうつ病などの心理療法が普及しないのか】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3889
【自己保身、「空気」を読む、忖度する】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3866
『忖度社会ニッポン』(片田珠美、角川新書)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3873
『「空気」の研究』(山本七平、文春文庫)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3875
阿部欣也の「世間」。記事の本のほか『「世間」とは何か』(講談社現代新書)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3853
【目次・書籍紹介】「正しさをゴリ押しする人」(榎本博昭、角川新書)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3918
『日本型組織の病を考える』村木厚子、角川新書
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3916
『異端の時代 〜 正統のかたちを求めて』森本あんり、岩波新書
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3461
『見て見ぬふりをする社会』マーガレット・ヘファーナン、河出書房新社
【連続記事】【日本では、なぜうつ病などの心理療法が普及しないのか】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3889
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働く人のためのマインドフルネスSIMT・心の健康クラブ
[2018年09月29日(Sat)]
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