• もっと見る
« 種々の悩み | Main | 人をあやつるカルト»
川端康成・没後50年 [2022年11月13日(Sun)]

川端康成・没後50年

 神奈川近代文学館で、川端康成の展覧会を開催しています。

https://www.kanabun.or.jp/
◆神奈川近代文学館

 川端康成は日本の深い心をえがいた作家です。

 「マインドフルネス心の世界遺産」

 こんなひとでした。

https://www.asahi-net.or.jp/~im5k-oot/fl13-kawabata/kawabata-ikikata.pdf
◆川端康成の生き方

 川端康成から、円谷幸吉さんのことを教えてもらいました。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/559
★「円谷幸吉記念館」閉館へ

https://blog.canpan.info/jitou/archive/635
★幸吉さんの実家に行く

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3016
★「円谷幸吉記念館」閉館へ

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3430
★新資料発見

【川端康成の話題】
★「千羽鶴」飯田高原の文学碑
 死ぬところをさがして阿蘇のそばの飯田高原にいった女性が、高原の雄大な風景にふれて回心。 死ぬことをやめて生きていく決心をしたところ。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2387

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/511738/
★川端康成ゆかりの客室 保存へ 宮崎観光ホテル 朝ドラの取材で滞在

http://urawa0328.babymilk.jp/miyazaki/tamayura.html
★川端康成「たまゆら」文学碑
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4905
マインドフルネス心の世界遺産ー2022
Posted by MF総研/大田 at 10:48 | こころを描く文学 | この記事のURL
NHK Eテレビで井上洋治さん紹介 [2014年04月27日(Sun)]
石巻で5月からのグループカウンセリングと講座。
★3月の講演会でお申し込みの方も、あらためてご連絡ください。

NHK Eテレビで井上洋治さん紹介

 3月逝去したカトリック司祭の井上洋治さんの話をNHKが放送した。NHKのホームページによれ ば、西洋で育まれたキリスト教を、日本人の心情に基づいてとらえ直し、イエスの教えを心に響く形で伝 えることに生涯を捧げたという。井上さんの神は、日本の阿弥陀仏信仰に類似しています。自分の悪も善もすべて神に包まれています。神のふところの中で安心して生きていけそうです。日本人の体にあった洋服に仕立て直したのだといいます。
 やはり、マインドフルネスと関係がある。いま、怒涛のごとく、西洋からのマインドフルネスが流れ込 んでいます。独特の哲学、精神風土を持つ日本人に真に根付くのでしょうか。  再放送があるので、ぜひご覧ください。

 NHKのホームページに「死」の問題にふれています。 「「死」の問題をきっかけに虚無感に苦しめられた井上さん」 「ローマで神学を学ぶが、西洋人の神や信仰のあり方がどうしても自分の身に合わない。」 「独特の信仰を見いだしていく。」

 同様のことを文学でしたのが遠藤周作です。私はその小説は共感できます。

 日本人は、マインドフルネスもまた同じことを実験していくでしょう。西洋流のマインドフルネスそのままで日本人が深い問題を解決 できるのかどうか。作り変えていくのか。
 マインドフルネスは哲学が理論の背景にあります。西洋哲学によるマインドフルネスを本当に日本人がなじめるのか、同じ歴史が繰返されようとしています。

 私も同じ道をたどっているようです。西洋哲学にはなじめません。日本の襌を実践してきた身には対象的なマインドフルネスになじめません。魂の底から救済される気がしません。もう長くない生命である私は学問的知識などは要りません。逆に現実に生き、死に行く生々しい実践する哲学がほしい、納得して実践し死にゆける哲学がほしい。
 マインドフルネスでも、東洋哲学を背景にしたというジョン・カバト・ツィンにはなじめます。ロゴセラピーのV・E・フランクルもなじめます。 ツィンやフランクルの哲学は東洋哲学、西田哲学に類似するからです。ただし、ツィンもフランクルも宗教レベルは扱っていません。だが、今の日本人には、死の問題のマインドフルネスも研究開発、提案すべきであると思います。東日本大震災で家族を失った悲しみ、定年後に多いうつ病・自殺、がん患者の自殺、終末期の死のメンタルな救済を必要とする人が多いようだから。

 東日本大震災の後、被災地の人々がフランクルをよく読まれると報道されました。 この未曾有の震災による深い苦悩を解決できる鍵がフランクルの実践的セラピーにあるかもしれないと直観され たのだろう。フランクルのように 深い哲学を日本人は生きてきた人が多かったのに、見捨てているように見えます。マインドフルネス者が再発見するのではないでしょうか。  日本にあった宝が埋没している。平面的な「心理学」でなく立体的な「精神学」「哲学」を応用したマインドフルネスが さまざまな問題を解決できる可能性があることをアメリカのマインドフルネスのセラピスト、ヨーロッパのV・E・フランクルが教えてくれた。深い精神療法には西洋哲学のものと東洋哲学のもの がある。 今こそ、東洋哲学が生かされるべき時であるという思いが強い。  マインドフルネスを日本人に根付かせるのはどうしたらいいか、心理や医療、福祉、教育、経済(企業社員のうつ病、自殺予防対策)の専門家が問われ ている。V・E・フランクルがいうように、人生から問われているのだろう。
 5月から被災地にいく。関東ではまだマインドフルネスを継続的に学び、治療を受けられるところは少ない。関東には根付いていない。東北地方にはマインドフルネスが根付くのではないかと思う。問題が深刻であり幅広いからである。
Posted by MF総研/大田 at 06:43 | こころを描く文学 | この記事のURL
河井寛次郎-至誠の人 [2013年04月22日(Mon)]

河井寛次郎-至誠の人

 NHK Eテレビで、昨日、陶芸家、河井寛次郎について放送した。
 河井寛次郎の誠実さにうたれた人が多い。直接お会いしていないが、彼 の伝記や、彼の言葉、彼の生きざまを知ると、現代の良寛さまと言ってよ いくらい至誠の人である。
 言っている言葉とやっている行動がずれている人が多いのであるが、言 行一致の希有の人である。次のようにみられている。
 「単なる民芸作家ではなく、詩人であり、哲学者であり、宗教にまで高 められた信念の人であった。誰からも 愛され、親しまれた歓びの人であ った」(橋本喜三氏、A34)

 「作家としては自分を捨ててひたすら造化の神に仕えるが、社会人とし ての自覚は道学者のように謹厳であっ た。立派な作品は立派な人間でな いと作れないと常に考えていて、まず自分の暮らしの筋目をきちんと立て る のである。」(橋本喜三氏、A181)

 彼の言葉は、深い自己を現す詩である。テレビが見せた「球体」は、 西田哲学で出てくる「無限球」(宇宙を映す自己)ではないだろうか。

 「心の美しい、生まれのたくましい詩人」(保田与重郎、文芸評論家、 A110)

 「河井は天性詩人である。自由律俳句で知られる尾崎放哉や種田山頭火 の代表作と比べて、河井よりすぐれて いると言う評家は信用しない」( 寿岳文章、英文学者、A109)

無位無冠・栄誉を辞退

 仕事において自分のはたす役割はごく小さく、しかも仕事の真っ最中に は、自分が完全に忘れ去られている。仕事は、自然の摂理と伝統と社会の 仕組みなどの重々無尽の恩恵のおかげで仕上がっていく。自分の力は全く 小さい。河井は、作品に自分の名を入れないようになる。
 自己を脱落した河井は、賞をもらうこともしなくなる。住む精神世界が 違うから、人間国宝というレッテルや文化勲章を「自分」がもらうという 欲がない。

グランプリ受賞を喜ばない

 「河井は、三十二年に「白地草花絵扁壷」(昭和十四年作)でミラノの トリエンナーレ国際工芸展でグランプリを受賞した。(中略)十二年のパ リ万国博のグランプリ受賞作と同様、川勝堅一が自己蔵品の中から出品し ていたのであった。受賞の喜びを聞くために陶房を訪ねると、河井はいつ になく不機嫌で、「その栄誉は作品がもらったもので、私がもらったもの ではないですよ。私の作品というのもおこがましい」と一こと語ったきり であった。」(A139)

 立派な額に入れた賞状が届く。

 「日本の伝統的な仕事が外国の人に喜ばれるのは、河井にもうれしいが 、自分が無心に作ったものへの賞状などみるのも恥ずかしい。新聞紙にく るんで押し入れのふとんの奥にそっとかくしてしまった。名誉ぎらいの潔 癖な創造者であった。」(A140)

文化勲章を辞退

 「松下幸之助が文化勲章の選考委員だったとき、受賞の申請書を書いて 欲しいと使いのものを寄こした。河井は手土産にもらったトランジスタラ ジオをとても喜び、「ご趣旨はたいへんありがたいが、このラジオこそ勲 章を貰うべきで私の仕事なんか恥ずかしいものですよ」といってその推薦 を断った。
 「一番うれしいことは仕事に精出すこと、一番きらいなのは、無形文化 財とか名誉賞の話、これなどは頭からふとんをかぶって寝込みたいくらい 」という。」(A177)

人間国宝を辞退

 「河井にも当然に(人間国宝の)指定の話があったが断った。「われわれ の仕事は個人ではなく、みんなの協力でやっているが、地方にゆけば名前 は知られていなくても、自分なんかよりうんと立派な腕を持って宝物を作 っている方がまだまだおられる。その方たちが先で自分の順番はまだこな いんだよ。それに人間を国宝と呼ぶなどナンセンスだし、民芸の仲間がも らうのはちょっとおかしいな」と親しい友人に話している。」(A138 )

 自己の無、自己の脱落という宗教的境地を得た河井にとって、作品は自分の力で作 ったものではなく、他力が作ってくれたからである。しかし、作品そのも のは自己を越えたものが作ったものだから、それを人々が喜ぶのは嬉しい。ものは 自己が作ったものでない、自分がないのだから自分は何もやっていない、自分はほめられるいわれはない。河井は 無我に徹した芸術家である。世間の賞賛などあてにならないのだろう。河井は俗世間にほめら れて喜ぶ人ではない。住む世界が違う。一方、世の中には社会のために大 事をなして、世間から認められていない人も多い。道元、良寛、白隠、 宮沢賢治、金子みすずなども当時の世間には認められなかった。当時、ほこりもしなかった。世間に知 られずして、しかし自分の役割をちゃんとはたしていく無名の大勢の民衆 。その人たちこそ、おごらず、つつましく、誠実であるから、背後の大き なものが見守っているのだろう。
 人はすべて「創造的世界の創造的要素」である。無名の無数の人が等し く創造的世界の創造的要素である。無限の過去から名もない無数の祖先や世界中の人々の働きのおかげで、この住みやすい日本が作られてきた。河井もそう思っていたのだろう。

参考文献
    A「陶工河井寛治次郎」橋本喜三、朝日新聞社
    B「火の誓い」河井寛治次郎、講談社
    Baその中の「火の願い」
    Bb「いのちの窓」
    Bc「自解」「後記」
    C「板散華」棟方志功、講談社
    D「棟方志功」日本図書センター
    E「浜田庄司」浜田庄司生誕百年記念実行委員会


http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/kikansi/hp-03/106-kawai-zenbun.pdf
★機関誌3号の記事ー至誠の陶芸家 河井寛次郎
Posted by MF総研/大田 at 22:07 | こころを描く文学 | この記事のURL
日本画家・高山辰雄 [2013年01月30日(Wed)]

日本画家・高山辰雄画伯
 生命を描いた日本画家

NHK Eテレビの日曜美術館(1月27日)で、日本画家の高山辰雄画伯 (1912-2007、大分市生まれ)を紹介しました。

 彼は、生命の根源的な姿を描こうとしたと言われます。私もこれを感じました 。 2,3指摘してみます。
 彼は、物を書こうとしておらず、その物が於いてある場所、心の根源的な場所 を描こうと努めていたと思います。版画で表現しようとした時、刷り方を版画の摺り師、尾崎正志さんに幾度も 刷り直しを求めたそうです。なかなか納得せず、人物そのものではなく余白をよく刷られたものを「いやーこれなんだ」と言ったそうです。
 人やものの周囲の「空気のような感じ」を描きたいといっていたといいます。 彼の描くものは、人や風景が周囲、背景の空白のような部分と境目を明確にして いません。やはり、物の於いてある心の場所とそこにあるものの萌芽の姿を描こうとしているのだと思います。ものと、自己の心の場所が一体です。西田幾多郎がいった、「内的生命の流れ」がある、根源の場所と、そこにあるものの分別以前の姿です。人も風景 も内的生命の流れに生じる映像だというのでしょう。
 彼の絵の黄色一色に見える部分を顕微鏡的に拡大してみると、赤や青の微細な岩絵の具 の粒が置かれているそうです。内的生命の流れ、いまだ色の区別の分別が生じてい ない「純粋経験」のところ、すべてがそこから出てくるところの生命の原像ともいうべきものを見えないようなところに表現しているように見えます。
 人は、世界の中で生きている、世界は自分の外にあるのではない、という哲学、自分は世界の中にある、世界は自分の中にある、そうした生命哲学を描こうとしていたように見えます。
 このように、東洋的哲学、西田哲学の視点から見れば、高山辰雄画伯が描こうとし ていた方向に類似するところがあるように思えます。高山画伯は、自己と自己が生まれ生き死に行く創造的世界の根源的な哲学を描いた人でした。そういえるのではないでしょうか。

 やはり、日本には、鈴木大拙がいった「日本的霊性」、西田哲学でいう絶対無の場所 、自他不二的根源の人格的自己、久松真一のいう東洋的無を自覚するひと、それを芸術的に表現し ようとする人が多いのですね。 ⇒この記事に書いてある人たちです。

 現在、大分で画伯の特別展が開催されているそうです。  見たいです。でも、埼玉から大分は遠いです、もうすぐ終わります、残念です。今度、どこか で開催されたら、見にいきたいです。
Posted by MF総研/大田 at 08:38 | こころを描く文学 | この記事のURL
謙虚と誠実と清純 [2012年11月28日(Wed)]

東山魁夷画伯(2)
 日本文化の背景にあるもの
 =誠実、謙虚、素朴、無我(自我を捨てる)


 自我を捨てる、そこに、大いなるものが働く。自他一如、しかも、鏡の内こそ真実 。東山さんは、外のもの、虚妄、を追いかけない。それは、俗的な集団の中での名誉 、地位、虚飾の交わりなどであろうか。すべて世界は自己の心の鏡に映る。それだけ が実在であり、外にあるのは虚影である。東山さんの芸術、画と文は自己の心である 真実を描こうとしているが、容易なことではない。ということは容易に理解されない のではないか。日本人は、別な方向へ向かっていた。そこに東山さんの孤独観があっ たのではないか。
 心の病気も、自我の判断で考え、逃避するから、長引く。自我をもちださず、あるがままを受け入れると、かえって治る。それがマインドフルネス心理療法への応用。

誠実、謙虚、素朴、無我

 「泉はいつも、
 「おまえは、人にも、おまえ自身にも誠実であったか」と、問いかけてくる。私は 答に窮し、心に痛みを感じ、だまって頭を下げる。
 私にとって絵を描くということは、誠実に生きたいと願う心の祈りであろう。謙虚 であれ。素朴であれ。独善と偏執を棄てよ、と泉はいう。
 自己を無にして、はじめて、真実は見えると、私は泉から教わった。
 自己を無にすることは困難であり。不可能とさえ私には思われるが、美はそこにの み在ると、泉は低いが、はっきりした声で私に語る。」(A14)

 深い心のマインドフルネスである。感覚や行動など表面のマインドフルネス、アク セプタンスでは見えない。自分のエゴ、汚い心。「誠実であったか」「謙虚であれ。 素朴であれ。独善と偏執を棄てよ」。これは、自分の心のあるがままを直視する 日本的マインドフルネスであろう。親鸞聖人も自分の罪悪を常に直視していた。それで も救済された。「自己を無に」しないで、エゴ、我を自分や周囲の人に押し付けて、 苦悩させる。自分の「魔」を直視するところに「美」があると。川端康成も美と欲と 罪を描いたのだと思う。画伯には泉が自分の悪、エゴを見よと語りかけてくる、とい う。
 東山さんは禅者ではない。禅を修行しなくて、このように自己を見ておられる。い つも(本当に、いつも、である。家でも、電車の中でも、職場でも)、奥底の何物か が、誠実であれ、自我に執着するなとささやく。たしかに、困難である。しかし、そ の自己の本質から離れたくないと、願い、すこしでもそちらへ向かうならば、泉がや さしい眼差しで見ていてくれるのだろう。
 誠実、いつも自分の小ささを自覚し心に痛みを感じる、自己を無にすると真実が見 える、いつもあちらからささやいている。これを、自己洞察瞑想療法にも取り入れる 。画伯は、心の病気のレベルのことではないが、心の病気のレベルや他者を苦しめる 人間関係にも通じる。自己を無にする、不安や症状、他者の言葉など自我による善悪 の評価をしない。他者に向かう自分のエゴに気づき、押し付けない。

おごり無く、謙虚、自分を未熟と

 「芸術の道では幸福に恵まれるということは恐ろしいことではないだろうか。私の 芸術の立脚点は、謙虚と誠実と清純なところにあるべきではないか。世の中の拍手、 そして賞の栄誉、ということに、もし自分が喜んでいれば、私は最も大切なものを見 失うだろう。」(D107)
 世の中の拍手、そして賞の栄誉を喜ばない。謙虚と誠実と清純とは、人間の根底の 本質。宮沢賢治の『ひのきとひなげし』にも同様の言葉があった。自分に得意になる 者は、美しさの小さな泉を枯らしているのです、と。自分を偉いとおごる者、取り巻 き連中に偉いと言わせる者は最低の人間だという。東山芸術や宮沢賢治とは無縁の「 真っ黒い巨大な虚飾のもの」を作ろうとする。しかし、それは泉、自己を生かしてい るものによって永遠に賛美されるものではない。画伯に次の言葉がある。

無心の制作と奢り無き誠実

 「障壁画は私が描いたのではないということであります。森本長老の熱意と、その 背後の鑑真和上のお導きによって、私は無心で筆を動かしていたにすぎません。」( B67)
 唐招提寺の障壁画を描かれた後のご文章です。あれほどの傑作を描かれたのに、自 分が書いたものではない。西田幾多郎が、ものとなって働く、といったこと。自己が 脱落している。自分でうぬぼれず、おごらず、まさに深い宗教者を見る思い。
 それに比べて、自分を威張り、驕り、うぬぼれる者の多いのを見るのは、見苦しい ことです。自己を誇るものは美しさの泉を枯らしているのだ、とは宮沢賢治の言葉で ある。

無常

 「私はいまでも無常ということが人生の真実であって、人はそれを深く感じるとこ ろに生きる力が生じ、生きる態度が決められる者だと思うのである。」(C110)
 「いちばん喜んでくれるはずの両親も兄弟もいまは一人もいない。しかし、このさ びしさ、むなしさがあるために、その後、運命がどんなに私に微笑しても、いつも謙 虚でいることが出来るのかもしれない。」(D102)

芸術は死後に評価

 「結局、芸術作品は、その作家の死後に、正しい評価を下されるものである。」 (D186)
 どの分野でも、死後、評価されるものが本物なのだろう。画伯は生前もであったが 。
 日本のマインドフルネスは、こうした深い自己をみつめた多くの古人に導かれて、 さまざまな苦悩を乗り越えていく道を探る。青い鳥は、よそにはない。自分のところにある。
参考書
A=『泉に聴く』 講談社文芸文庫 
B=『日本の美を求めて』 講談社学術文庫
C=『美の訪れ』 新潮社
D=『旅の環』  新潮社


★東山魁夷(1)

(続く、いつか、また)
Posted by MF総研/大田 at 18:48 | こころを描く文学 | この記事のURL
つらい なぜ 希望 [2011年01月03日(Mon)]

つらい なぜ 希望

1.過去を悔い 未来をおびえ
心が痛い 心が寒い
夢もなく 希望もなくて
すべてがつらく 耐えられなくて
刹那の楽で まぎらすが
私は何か どう生きるのか わからない

2.投げていた 今だけの今
自分のこころ よくわからずに
元は夢 願いもあった
つらさのもとを 見ようとせずに
まぎらす後は むなしさが
知ることがなく 生きていること 私とは

3.今ここを 切に生きよう
ひとつひとつの こころを見つめ
ひとのため おのれのために
つらいことさえ 受け入れ耐えて
できることする ひとつから
すべて今ここ すべてがわたし 生きていく
Posted by MF総研/大田 at 14:05 | こころを描く文学 | この記事のURL
大山での直接経験 [2007年06月06日(Wed)]

大山での直接経験

 「暗夜行路」の小説には、妻の事件がトラウマとなって、心の葛藤を起こす謙作が、大 山での自己の小ささを自覚する体験によって、こころの平安をえる、そういう場面がある。  この小説を読んでから、この寺に行きたい、大山に登って、志賀直哉がみた風景をみた いとあこがれた。まだ、実現していない。歳老いてきて、足が弱くなっているから、登山 は無理だろうが、蓮浄院には、行ってみたい。
Posted by MF総研/大田 at 22:25 | こころを描く文学 | この記事のURL
小説の神様・志賀直哉も「うつ病」 [2007年06月06日(Wed)]

小説の神様・志賀直哉も「うつ病」

 「暗夜行路」の小説で知られる志賀直哉もうつ病だったことがあるようだ。こちらの記 事でふれている。  彼も、自殺することまで思いつめたのだ。
 「暗夜行路」は、彼の苦悩を一部、再現したかのようになっていて、興味深い。苦悩し た末に、大自然にふれて、自然と一体になっていた時に、自分の小さいこと(むしろ、無 というほどに)、そして、自分の思いのちいささ、つまらなさを自覚して、自我を放棄し た時に、救われる。川端康成の「千羽鶴」も同様だ。
 人は、自分の思いに固執して、自分を苦しめる。自我、固定観念への執着から離れるこ とができる時に、その苦悩が解決する。文学は、心理療法、特に、マインドフルネス心理 療法の視点からみると、面白い。
Posted by MF総研/大田 at 19:06 | こころを描く文学 | この記事のURL
心の川 [2007年02月26日(Mon)]
心の川

 人はみなこころに川を持っている

 幼子(おさなご)はただ清らかな川を持つ
 年重ね己が妄想(おもい)にまた他人(ひと)に
 振り回されて汚れを流す
 自らの足りぬを知らず人けなす裁きを川に流す人
 めぐまれた世界(くに)にいながら身の不遇 嘆きを川に流す人
 縁(えにし)あり身近き人を許さずに恨みを川に流す人
 真実(まこと)知る賢き人が目をそむく虚栄を川に流す人
 流すたび汚れた川は太くなり
 人を傷つけ生命(いのち)を壊す
 塵あくたこころの川に流さねば
 濁りの川は消えさりて
 心は清き大河のみ 

 人はみなこころに川を持っている
Posted by MF総研/大田 at 19:48 | こころを描く文学 | この記事のURL
田中正造の映画をみてきました [2006年09月20日(Wed)]
 足尾鉱毒事件で闘った田中正造の足跡をたどるドキュメンタリー映画「赤貧洗うがごとき−田中正造 と野に叫ぶ人々−」(池田博穂監督)が佐野市で公開されたので、みてきました。  足尾銅山で働く鉱夫は、粉塵公害のために、短命だった。夏目漱石の「坑夫」は、足尾銅山がモデル でしょう。足尾の鉱毒で、渡良瀬川が氾濫するたびに、田畑が汚染された。足尾銅山が廃業すれば、公 害は止むはずだったが、日露戦争に突入する国家権力は、公害が悪いこととは知りながら、企業と政府 は結託して、民衆の健康と命をそまつにして、操業を強行する政策をとった。下流の谷中村をつぶして 遊水地にする計画を強行した。田中は、国会議員の職を賭して、銅山の事業停止、谷中村の存続の活動 を続けた。
 意外にも、福沢諭吉は政府側だった。学者や政治家が政府側に回った。天皇への直訴事件が新聞で報道された。石川啄木は、田中正造を支援する寄付金を送った。志賀直哉は足尾鉱毒事件の見学会に参加しようとしたところ、祖父がかつて古河市兵衛と足尾銅山を共同経営していたという理由から父に反対された。この衝突以後、父と不和となる。
 田中は、国会議員の職を辞職して、無収入となっても、銅山の事業停止、谷中村の存続の活動を続け たが、結局、政府は、谷中村の住民の住まいを強制撤去した。村を追われた住民は、北海道の原野に移住した。「政府による棄民であった。」
 当時の政府のすることが正しいとは限らないし、政府の強行な政策で、国民の命が失われたことは多 い。国民が苦しむ一方で、うるおう役人や企業人がいた。足尾鉱毒事件、太平洋戦争、水俣病、ハンセ ン病、エイズ、アスベスト、北朝鮮やドミニカへの移住推進、・・・。時の政府のあとおしをした企業 、学者、役人、医者、作家、・・・。
 国家権力によって、多くの命が失われていった事件は多い。現在も、種々の政策によって、一部の役 人、政治家が税金の無駄使い、裏金、多額の退職金、給与などを受け、一部の企業や富裕層がいよいよ 太るかげで、弱い国民の命が失われていく。福祉関連の支出が削減された。リハビリが受けられない、 介護サービスが受けられない、生活保護費が削減される・・。困った人が、うつ病となり、薬物療法で 治らず、自殺、心中・・。
 国家権力や富裕層のエゴと、弱者がきりすてられていく構図は、現代も明治時代と違っていない。役 人、政治家、企業人は、みな、いつか、「おろかな者」になる。
 正確にはおぼえていないが、映画の中で、田中のこんな言葉があった。
 「自分がおろかであると自覚している者はおろかではない。自分が愚か者であることを自覚していな い者は愚か者である。」
【目次】田中正造 
★田中正造の映画
★田中正造の映画
Posted by MF総研/大田 at 21:18 | こころを描く文学 | この記事のURL
| 次へ