「幸福」の要素=幸福だと思えるならば「生きがい」を感じる
[2019年08月10日(Sat)]
「幸福」の要素=幸福だと思えるならば「生きがい」を感じる幸福であるならば、依存症になるようなことはしないだろう、うつ病にならないだろう。幸福ならば、自殺しないだろう。だから、生きる価値は幸福と密接な関係がある。だれもが幸福になりたい。「なぜ」という問いをする人は少ないだろう。幸福になりたたいから幸福になりたい。そういう重大なものが「幸福」だ。 では「幸福」であることはどういうことであるか、哲学者はどういっているのか。 現代哲学にける幸福の議論には、3つの代表的な説がある。 (1)快楽説 肉体的、精神的な快楽こそが幸福を形成するという説。 (2)欲求充足説 快楽を得ることではなく欲求を満たすこと(選好を充足すること)が幸福であるという説。 以上の2つは、主観的なものである。 (3)客観的リスト説 幸福な人生には満たされるべき「客観的なよさ」のリストが存在するという説。 (注)下記参考書による。 (1)(2)は短期的、瞬間的な幸福感を得るであろう。しかし、(3)に反するもの(たとえば、反社会的なもの、健康を害するもの、家族を苦しめるものなど)であれば、幸福は長く続かず、不幸になるだろう。 アルコール依存は、短期的に(1)(2)を満たすが、(3)を満たさない。 子どもが学校に行きたくないのに、うつ病になっていて、自殺する不幸がある。以前は(1)(2)(3)を満たしていたが、何かの出来事でこの3要素とも満たされなくなった。不幸になった。不幸の度合いが弱いとひきこもり、不登校で生き延びるが、不幸度が強いと自殺も起きるだろう。 さて、上記の3つは、単独では、幸福にはなれないという。どうなれば、幸福なのか。 西田哲学では、叡智的自己が無限の喜び(=幸福)だというが。類似するか。叡智的自己は、自分が好きで(2)選択した社会貢献の領域(3)で、実現できていて快感(喜び)を得ている。類似する。 そして、自分の幸福を優先するので、自分中心のエゴイズム(自己の利益、収入の部、名誉、地位などを優先)の悪をおかすこともある点も類似するのだ。だから、エゴイズムの心理(大乗仏教は煩悩、我利我執という、SIMTは本音という)を観察し抑制しなければならないと大乗仏教、西田哲学はいうのだ。深い仏教、西田哲学のマインドフルネス(観察気づき抑制)は、それを要求する。自己保身から市民の利益、救済を妨害することが起きる。悪いことをしているという良心が働かない。学問する学者にもそれが起きる。最も科学らしく見える医学に携わる医師にも起きる。 (続く記事で青山氏の説明をみる) 参考書)青山卓央「幸福はなぜ哲学の問題になるのか」太田出版,2016 (続く) https://blog.canpan.info/jitou/archive/4333 【目次】生きがい、生きる意味、依存症、うつ自殺・・・ |
Posted by
MF総研/大田
at 22:52 | カウンセラーのストレス | この記事のURL


