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多数決で決めてはいけないことがあるのに学者もそうする [2024年09月12日(Thu)]

多数決で決めてはいけないことがあるのに学者もそうする

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4646
民主主義的に見える多数決で決めてはいけないことがある

 宗教はそうだが、大学の研究室、学会、種々の組織で、多数決で決めているところがある。科学、学問の問題はそうしてはならないはずだ。

 学者が多くいる集団で。

 「ここでは「無評価で観察」に賛成できない、お前は不要だ。」
 「薬物療法以外は不要だ」

 こういうのは、学問的態度ではない。人間は複雑だ。少数の人も大切な人生、生命だ、 救済を待っている。

 国、民族の違いで、すさまじい争い、殺し合いが起きているが、国内でも、あらそい、殺し合い、いじめ、誹謗中傷、排除、ハラスメントがすさまじい。
 他者の痛みや苦の共感がない。自分の利になりさえすればいい。
 うつ病、PTSD、自殺に追い込む。

 子どもが若い世代がそれを見て、まねている。ああいうふうに強くやれば、偉くなるのだ、と。

 ほかのこともそうだ。多数決だけで決めてはいけないことがある。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3638
◆慢心

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4952
◆誹謗中傷、暴力、殺されるのは「嫌だ」と厳しく「評価」


https://blog.canpan.info/jitou/archive/5472
【目次】力ある者のエゴイズム・ハラスメント等ー2024年

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5482
★ひとはみな違う世界に住む
 宗教者も学者も他者の苦を共感しない

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5472
★他者を苦しめるエゴイズム・ハラスメントの一覧表

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5470
★多数決で決めてはいけないことがあるのに学者もそうする
Posted by MF総研/大田 at 09:46 | エゴイズム | この記事のURL
(4)千本倖生さんの嘆き〜進取の気概、利他の心、『社会のため』という大義、    間違いを認め謝れる人間性 [2024年06月24日(Mon)]

千本倖生さんの嘆き
  〜 進取の気概、利他の心、
    『社会のため』という大義、
    間違いを認め謝れる人間性
  〜 西田哲学が「先細り」(4)

 西田哲学が先細り、というニュースが走った。
https://www.asahi.com/articles/DA3S15957450.html
(朝日新聞ニュース)

 京都大学が「西田哲学の先細り」の危機感をいだき、卒業生の 千本倖生さんに相談したという。千本さんの言葉に、こうある。
     「松下幸之助さんや稲盛さんらから学んだ経営者の資質とは、「進取の気概、利他の心、『社会のため』という大義、間違いを認め謝れる人間性」
 「利他」をしない団体もあり、それを合理化する学問もある日本。松下さん、稲盛さん、千本さんらは、それではいけないというのだ。
 「利他」をしないということは、社会への貢献をしないことだから、社会はそういう団体に好感を持たないから、そういう団体は当然衰退するだろう。やがて、メンバーは路頭に迷うことになる。
 社会への貢献を放棄するとトップがいい、違反することを許さない団体は、社会から遊離しているから、長い年月の間に衰退するだろう。
 千本さんがいうのも、そこだろう。社会貢献を考えない団体は衰滅することを、西田哲学も教えていた。 次の記事でも、見た。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3475
★個人の自律性を抑圧する組織は衰退

 企業に限らず、変化してゆく社会環境に貢献できるように団体はメンバーに「進取の気概」、変わりゆく社会にあった「利他」のためになるように求めた いだろう。つまり、時代環境に合わせて団体の方針、理念、思想、製品サービスが変化していくことが必要だろう。メンバーに、研究、行動の自由を認めないと、それはできない。つまり、一時代前の方針は時代遅れとなる。時代遅れのものを若いメンバーにも押し付けるならば、還元主義、画一主義、全体主義となる。異質なものの共存、共生を許さない団体である。民主主義的ではないだろう。
 現代の日本での、共生思想にも背く。西田幾多郎、鈴木大拙も「共生」を主張していた。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4635
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5375
★鈴木大拙の「共生」
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4902
★大拙の共生。「禅者の社会観」(竹村牧男氏がとりあげた。2022年大田の拙著で詳しく説明)

 このことは、次の記事でも見ていた。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4935
★末木文美士氏=同化、排除でなく相互理解、共存共生

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4894
★未来をつくる力は多様性のなかにあるというのに大学から革新説を排除するのは困る
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3199
★西田や鈴木よりも自分が優れていると思う知識人

 このように、現代にも西田哲学、鈴木哲学は正しく理解され、社会の隅々まで、実践化されるべき哲学なのである。先細り、衰滅などさせてはならない。それなのに、日本人が否定すれば、日本の若者が、全体主義に抑圧されて、諦めて日本に失望して、日本全体が沈没していくのだろう。
 次の記事もこういうところを指摘しているのではないか。

「多数決は少数派に対する暴力」…「しようがない」で受け入れないで!大人も気付かない「多数決の問題点」
https://gendai.media/articles/-/131807
 団体のメンバーに諦めさせる

 団体、研究室、〇〇のトップが若手にハラスメント行為をする
 https://blog.canpan.info/jitou/archive/2993
  パワハラによりメンバーが自殺していく
 https://blog.canpan.info/jitou/archive/4590
  フランクル、西田幾多郎がいった「良心」「至誠」の心がない
 https://blog.canpan.info/jitou/archive/3329
 https://blog.canpan.info/jitou/archive/3497
  西田哲学の「実践論」=至誠で世界や他者のために行動して生きていくこと。
  坐禅や瞑想ではない。

 日本の多数の団体、大学、研究室にあるのではないか。日本全体が沈没していく。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3461
★見て見ぬふりをする社会

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4413
★専門家多数派のエゴイズムを考える

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4128
★「大衆」は議論を軽視
 =多数派の驕り、「大衆の反逆」スペインの哲学者オルテガ

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4839
★団体幹部、研究者も自己防衛のために新しい行動を排除

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3034
★革新説を排除するので、教育が古い伝統説多数説に偏ってしまう

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3658
★「ソラリス」個人悪と組織悪
   日本もあちこちに起きています

◆後期西田哲学の実用化の試みとしてのマインドフルネス心理療法SIMT
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5348
★自己洞察瞑想療法、SIMT
 Self Insight Meditation Therapy(SIMT)
 第4世代の認知行動療法。
 後期西田哲学の認識論、実在論、実践論をやさしい精神療法にしようという最初の試み。全く初歩段階の試みであり、今後も研究と臨床実験を重ねて改善、適応領域を広げたいところだが、推進する者は、高齢で、このまま、SIMTも衰滅しようしています。
◆マインドフルネス総合研究所のプログラムにSIMTが用いられるが、このSIMTの背景に、後期西田哲学の認識論、実在論、実践論がある。やさしい段階から入門していくように構成されている。

マインドフルネス総合研究所のプログラム2024年
http://mindfulness.jp/kodokukoritu/kodokukoritu-2024.htm

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5317
★マインドフルネス学の研究者から西田哲学が再検討されるか
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5450
【目次】西田哲学が先細り

Posted by MF総研/大田 at 20:08 | エゴイズム | この記事のURL
(3)西田幾多郎の孫の嘆き 〜 西田哲学が現実に活かされていない [2024年06月22日(Sat)]

西田幾多郎の孫の嘆き
  〜 西田哲学が現実に活かされていない
  〜 西田哲学が「先細り」(3)

 西田哲学が先細り、というニュースが走った。
https://www.asahi.com/articles/DA3S15957450.html
(朝日新聞ニュース)

 西田哲学は、ヴィクトール・フランクルの人間哲学に似ているのです。産業、政治、文化、すべて人間のすることですから、人間哲学をいかした行動がされてもいいはずなのですが、西田幾多郎の孫、上田薫氏が嘆いていました。現実に活かされていないと。二度ほど取り上げたことがあります。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2367
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3495
 「日本の学問 の最悪なところだと思います。祖父の哲学は、絶対にそれをやらないということに意味があった のだと思うのです。」

 西田哲学のすばらさしが学生に教えられないのですから、先細りになるのは当然です。 種々の領域に活かされるはずだと上田氏はいっておられます。
 たとえば、仏教や禅について西田は言っていますが、それの神髄を学生に教えると、カルト宗教の被害が少なくなったかもしれません。カルト宗教教団だけではなくて、れっきとした仏教教団で女性をマインドコントロールにかけて苦しめていた事件が報道されています。
 仏教の若手に西田哲学による宗教観を教育すれば、ハラスメント行為をすること、「利他」をしないのが仏教でいいはずがないと気づく若手が多く出現したかもしれません。
 空海、道元も良寛も深い根底を言っていたと竹村牧男氏が解明しました。浅い命題を「開祖」のものと押し付けることをしなければ、若者が学問の自由を享受して、竹村牧男氏のような深い学説が外部から出てくるようなこともないかもしれません。もっと仏教が活用されたかもしれません。
 種々の領域に、仏教が活用されたかもしれませんといいましたが、「マインドフルネス」は「坐禅するだけ」というのと類似します。あまり深い問題の貢献=「利他」になりません。大乗仏教は「利他」を強調しますが、深い問題の解決ができると主張したのではなかったのでしょうか。
 第一世代の「マインドフルネス」は、MBCTには、批判も起きたとはいえ、MBSRはかなりの効果が見られます。「マインドフルネス」は日本から生まれず、アメリカのジョン・カバットジン氏が開発しました。 日本の仏教者は、開発できませんでした。
 ヴィクトール・フランクルは、長老などが、一つの側面だけを抽出したものを真理だと全体に押し付け、批判を許さないやりかたを還元主義、 画一主義、全体主義と批判しました。日本の多くの集団でそれが行われている可能性があります。学問の自由、宗教の自由がないわけです。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2670
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2672
★一つに還元して、集団のメンバーに画一のものを押し付ける全体主義を批判
 メンバーに自由がない

 集団の外部からは、異様に見えるのです。「共生」の思想に違反します。集団内に種々の信念、学問解釈を許せば、一つの集団が、多様なものを外部に提供できるのです。企業で言えば、多種の製品を製造販売するか、単一の製品を売り続けるかにたとえられます。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4417
★小坂井敏晶氏
 「重箱の隅をつつくことばかりに夢中」「哲学の議論や認識論の考察に耳を塞いではいけない」 「心理学は重心を失い、一貫性もなくなろうとしている。それぞれの分野ごとに固有の組織が生れ、その内部だけでしか通用しない理論枠に縛られている」「研究発表も内輪でしか行われない」
 「自分の頭で考えることがない」「先入観を捨てない」「名誉白人症候群」(=舶来重視、日本のよきものをみず、欧米だけをみている)

 日本の多くの集団で長老によるメンバーの自由の束縛、批判的学説の排除があり、その雰囲気を感じて自分がいじめられることを恐れて忖度し、いきがいは別のところに求めることが起きているかもしれません。
 第一世代の「マインドフルネス」は、アメリカの一部の研究者から、社会問題を見て見ぬふりをすることを助長するおそれがあると、倫理的な批判があるそうです。日本では、そういう反省は起こらないのでしょうか。
 西田哲学もフランクルも学問の装いによる還元主義、画一主義、全体主義を批判しています。こういうものが、大学で学生に、社会教育で国民におしえられれば、すこしは、日本の若手の学問が発達したかもしれません。
 西田哲学が先細り、だそうです。確かに。若手の新説を許さず、いよいよ、日本の科学学問が衰退していくのでしょうか。
 西田哲学は、自己の心理現象を観察してうつ病、不安症を「治療」する精神療法になるのではないかと研究しているのが、自己洞察瞑想療法、SIMTです。第4世代の認知行動療法の一つに該当します。(注1)。宗教的レベルまで西田哲学で記述してみたのが、拙著です。
 大田健次郎(2022)『「死」と向き合うためのマインドフルネス実践』佼成出版社

 がん患者はうつ病になり自殺も多いのです。がん患者のメンタルケアに活用したいと思います。上田薫氏は、西田哲学は種々の領域に活かせるはずだと思っておられるのです。政治にも経営にも学問にも、ハラスメント行為の批判のための教育、カルト宗教の被害防止にも、戦争殺戮の批判などにも。

 うつ病が治らないと苦しいです。自殺も起きます。精神療法も研究して国民の生命を守れないものでしょうか。

(注1)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5348
【関連記事】第4世代の認知行動療法、自己洞察瞑想療法

【関連記事】

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3032
★井筒俊彦の哲学と道元と西田哲学

この記事は次の一部です。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5450
【目次】西田哲学が先細り

Posted by MF総研/大田 at 20:42 | エゴイズム | この記事のURL
メディアの沈黙 [2023年10月08日(Sun)]

メディアの沈黙

 「メディアの沈黙」が指摘されています。「学者の沈黙」もあります。

 うつ病の治療法の実態も、NHKがずっと前に行って以来、沈黙のように見えます。
 仏教という宗教のありかたについても、沈黙のように見えます。

 心の問題多発。

 不登校。
 こどもの暴力、いじめ、その険悪化。
 ひきこもりの長期化。
 虐待による家庭内暴力、虐待。
 カルトによる被害。
 うつ病がなおらない、自殺が減少しない。


 もうすぐ引退します。日本の未来が心配です。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4903
★ジャーナリズムの権力批判2期

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3002
【ジャーナリズムの権力批判 1期】 ジャーナリズムの権力(政治、学問、専門家)批判、自己批判

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5259
【目次】専門家のエゴイズムー2023
  〜 宗教者、学者、種々の専門家


Posted by MF総研/大田 at 09:54 | エゴイズム | この記事のURL
禅、仏教の学者が深い仏教、深い禅哲学を否定、排除するのは残念 [2023年06月24日(Sat)]
★6月25日、講演会〜  孤独・孤立の背景にあるうつ病、不安症、PTSD、過食症、双極症・・。

★7月から開始、SDGs・孤独・孤立対策の支援者育成講座〜マインドフルネス瞑想療法士

禅、仏教の学者が深い仏教、深い禅哲学を否定、排除するのは残念
 〜 国民の苦しみ悲しみの解決を妨害することになる

 禅やマインドフルネスには、障害を負った人やがん患者の死との葛藤を乗り越える宗教的な苦悩とか、うつ病の人を改善に導くほどの観察手法もあります。学者が自分の学説を超えて貢献をしそうだと脅威を覚えるからといって、自分がそういうつらい状況でないからといっても、排除しないでもらいたい。難治性の苦悩(主に精神疾患)を持つ少数の人が救済を必要とするのです。苦悩する少数のひとへの共感をもってほしい。特に、学者に。学生に教え、著書を出版して影響が大きいので。
以前、倫理学の指摘がありましたように。

 多種の支援者、支援法が共生すべきです。多数派の学説で、少数派の学説を「無用」と評価し、 排除するようなことはやめてほしい。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/4343
★倫理学―こう考え・行動すべきだ・当為の学問

 障害を負った人が、つらくて死にたくなったが、深い宗教で救われた例として、星野富弘さんや三浦綾子さんを紹介している本があります。キリスト教で救われたのです。(「宗教を「信じる」とはどういうことか」石川明人、ちくまプリマ―新書)。
 仏教や禅には、そういう深みはないでしょうか。仏教や禅の宗教者が、同じような苦悩をかかえた人を救済しないのですか。学者も、救済の哲学を読めないのでしょうか。仏教や禅は、救済できなくて、何を目指すのでしょうか。
 西田哲学、鈴木禅哲学も、お二人ほどの苦悩をも救済できそうなほどに深くも見えます。日本の深い禅、大乗仏教を、実践化する「マインドフルネス」があっていいはずでは?

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5166
【連続記事】現実の世界は「無評価」ではない
 自分さえよければいいいというエゴイズムの充満する社会、評価するされる世界で自己の意識をどう観察すればいいのか、そういう自己観察が社会を救う
Posted by MF総研/大田 at 06:08 | エゴイズム | この記事のURL
弱者に自由のない、民主主義の国、日本 [2023年05月19日(Fri)]
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2367
★70年前、種々の領域での専門家の自己中心性に嘆いた西田幾多郎。政治にも、学問にも宗教にも。現代も同じ傾向が。

弱者に自由のない、民主主義の国、日本

 自由のない覇権主義の国家。
 民主主義国家としての日本。しかし、自由なのは、大小の集団のトップのみという集団も多い日本です。 映画界、芸能界でも、苦しめられる弱者。 パワハラ、セクハラ、・・・。
 ハラスメントはよくない、犯罪だ、悪だ。自分のエゴイズムの欲望を発動前に観察して自己「評価」しないといけない。

 教える役割のあるはずの、大学にもハラスメントがある、教団にもある。
 一体、だれが教えるのだろう。

 加害側も自殺があるだろうが、被害によってうつ病、自殺が多いだろう。



https://blog.canpan.info/jitou/archive/4753
★地方創生SDGs Goal  16.平和と公正をすべての人に
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5144
【目次】孤独孤立の対策にうつ病、不安症ー2023年
Posted by MF総研/大田 at 07:48 | エゴイズム | この記事のURL
(18)集団のトップが内外の人権を侵害  〜 専門家の倫理はいかにあるべきか(2) [2022年09月04日(Sun)]
地方創生SDGs官民連携プラットホーム 
3.4 自殺の減少 の事業


内閣府 SDGs官民連携プラットフォームに登録の「ソリューション」

★内閣府、埼玉県、さいたま市のSDGsパートナーです

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5020
◆募集しています!

http://www.city.hasuda.saitama.jp/syogaikyoiku/documents/chirashi.pdf
(p5に詳細)

◆1日講座、11月12日、「うつ病・自殺予防の心得」 会場:蓮田市中央公民館
(蓮田市広報9月号でおしらせ。蓮田市ホームページに詳細が掲載(上記pdf)。同様のことを全国どこでも開催しますので、おしらせください。)


(18)集団のトップが内外の人権を侵害  〜 専門家の倫理はいかにあるべきか(2)

 個人は集団に属して、集団全体としては個人以上の能力を発揮できる。 たとえば、個人では自動車を製造できないが、会社という集団に属して、各人のできる力を発揮すれば、会社として自動車を製造して社会に提供できる。個人は、集団(西田哲学では「種」とか「全体的一」という)に属すれば、全体として大きな力を発揮できる。

 だから、各自は、何かの集団に属することで生きる。現代では、無数の集団、種、全体的一がある。 しかし、集団が個人の人間としての自由をうばってはならないという。他の集団の人間であっても、集団内と集団外の生命を軽んじてはならない。あるカルトは、信者の家族を自殺に追い込むようなことをするのは、いかなる理由があろうとも許されない。ある国(これも種、全体的一である)がある世界観、歴史観で、自分の国の人間や、他の国の人間を殺すことは許されない。これは、西田哲学でも、ガブリエルでも共通である。

 西田幾多郎も、投獄を覚悟で、侵略を批判する論文を書いた。「日本文化の問題」

 全体主義的な集団が、個人の人権を否定するような事件が起きるが、西田幾多郎の弟子であった西谷啓治もそういう傾向を指摘し、批判していた。ガブリエルも西谷啓治の名をあげている。 京都学派の一部も、戦時中の日本の「全体主義」を批判していた。西田哲学を全否定するようなことをすべきでない。
 次がわかりやすいであろう。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3491
★西谷啓治・組織が個人を抑圧

 個人の自由を侵害してはならないことは、生命だけではないだろう。日本は民主主義の国であるから、学問の自由も制限してはならないだろう。日本では、学問の自由が人権として認められているはずである。学者も弟子や学生の学問の自由という人権を否定してはならないことは当然である。
 大学、研究室も「種」であるから、そのトップが弟子や学生の学問の自由、批判意見の自由を抑圧すると社会の発展を妨害する。ガブリエルはハイデガーを批判した。

 日本の大学、病院、宗教、NPOなどの集団はどうだろうか。国が認めたはずの人権を集団のトップと追従忖度するものとが、弱い立場の弟子、学生、看護師、信者などを支配、人権を抑圧していないのだろうか。自殺させるようなことをしていないだろうか。

(続く)

(注)
 深い哲学のある「禅」には、全体主義批判、共生社会の実現の面もあることは、鈴木大拙、竹村牧男氏が指摘した。これを実践化しようというのが、日本的マインドフルネスである。大田の本(2022年)である。(PRさせていただく)
大田健次郎(2022)『「死」と向き合うためのマインドフルネス実践』佼成出版社
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4917

【関連記事】

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5034
★西田哲学も理解せずして否定する学者
 仏教でさえも「全体主義」的だといわれています。それならば、無評価で観察も似ていますね。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5035
★ガブリエルによる批判〜全体主義的な学者、宗教者も
 ならば、マインドフルネス者も全体主義的?

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5036
★マルクス・ガブリエルは西田幾多郎を否定していない
 世界中で注目されているガブリエル、「全体主義」を批判する。多くの点で西田哲学と似ています。カルトは全体主義です。わかりやすい科学、テクニックで、知らず知らず、似たようなこと(カルト的)をする。わかりにくい者、違う者、批判者を排除する。
「マインドフルネス」が、全体主義を克服するにはどうしたらいいのか。

【関連記事】

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3762
★西田哲学を理解せずして否定すること
=西田哲学の社会貢献への活用を妨害されることになり残念

https://blog.canpan.info/jitou/archive/1872
★西田哲学の最終的立場(板橋勇仁「歴史的現実と西田哲学」)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3765
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2476
★西田は形式的な坐禅を重視しない、エゴイズムの観察を重視

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2218
★我執・独断 科学は本来、独断と我執を否定すべき

地方創生SDGs 4 質の高い教育をみんなに


この記事は、次の記事の一部です。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5018
【連続記事】専門家の倫理〜学者・医師・宗教者・マインドフルネス者
宗教者や学者の良心
Posted by MF総研/大田 at 15:24 | エゴイズム | この記事のURL
(17)大学人、宗教者、医師などの専門家はエゴイストになりやすい [2022年09月03日(Sat)]

(17)大学人、宗教者、医師などの専門家はエゴイストになりやすい
 〜 専門家の倫理はいかにあるべきか(1)

 哲学者、大学人(教授)、宗教者などの専門家はエゴイストになりやすいと哲学者や医師が言っています。専門家は、自分のスキルによって自分の価値の世界を展開しています。そこには、弱い立場のクライアント、学生がいるからです。 ビジネスならば、顧客の利益を重視しないと、顧客を失い倒産しますが、上記のような専門家は、地位が保障されているからでしょう。西田哲学が教えるのは、次のような理由です。

  専門家は、自分の価値世界だけを生きていく叡智的自己です。 他の世界を知らないで、自分の世界だけを知っています。

 叡智的は他者の苦に共感が弱いとか共生していこうという精神がない(=良心が弱い)と、 自分だけの利益、地位、名誉を死守しようとして、 周囲にいるひとを「差配・支配」する欲望が強まる といいます。
  大学人については、オルテガ の批判が有名です。 ここでも述べました。研究室、組織内からは指導者を超える革新説は生まれない傾向になります。ガブリエルも研究の自由を制限されました。
 フランクルはやさしいものに還元して教育することを批判しました。それを超えるものを理解できないこと、または、理解してあえて還元主義で教育する。

 医師からは、次が指摘されています。
粟野氏
 傲慢なトップ、そして利益をもらう幹部、自由を抑圧されるあわれな子羊。カルトの信者がその典型でしょうが、多くの団体で、この構図がおこりそうです。医師からの警告です。

 宗教では「マインドフルネス」に似た坐禅を強調しますが、次の人たちは坐禅への執着を批判しています。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3140
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2476
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3765
 重要なことは、坐禅、瞑想という行為の形ではなくて、エゴイズムの抑制という内面の誠実さだからです。坐禅を50年やっても、他者の自由を抑圧するエゴイズムの行為をするようでは、全く方向が違うというのです。
 広く専門家や権力者にありがちなエゴイズムは、数多く指摘されています。マインドフルネス瞑想でも同様です。大学人が「マインドフルネス」瞑想を教えても、その人物が瞑想の哲学を議論すべきだという人をそれだけで嫌悪し、集団から排除すれば、社会の損失です。本人は、集団でしばらくは大将としての地位を維持しますが、やさしいものはすぐに学外に競争者が現れます。大学で教えるようなものであるか疑問です。
 専門家のエゴイズムの特徴は、批判・革新説と 議論しないで排除することです。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5022
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4884

 ある定義、見方などに留まることです。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4417
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2369

 それを超える問題を見て見ぬふりです。自分は幸福ですが。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3461
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4651
https://blog.canpan.info/jitou/archive/1812

 どうして、それが勝つのかというと、傲慢人間と忖度する人間が多数派となるからです。形は、民主主義のようです。多数決です。深いもの、難しいものは、賛同者が少なくて少数派であり、多数決だけで決めるところでは、負けます。少数派をも包含して共生すればいいのに、傲慢人間、自己洞察の低い人間は、それができずに、少数派を排除します。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3881

 模範を示してくれそうで、社会をけん引してくれそうな学者や宗教者は人口数では一部であり、そうでない人口のほうが多数です。これでは、多数の国民の福祉や幸福が妨害されるでしょう。だから、「全体主義」的な小さい集団が多数あって、哲学者や社会心理学者などが批判するのです。倫理的に問題ある社会です。

 弱い立場の多数者が不幸にならないために、学者や宗教者の良心はどうあってほしいのか。ガブリエルや西田哲学をみます。

(続く)



(注) マルクス・ガブリエル(2022年3月『わかりあえない他者を生きる』PHP新書

【関連記事】

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5034
★西田哲学も理解せずして否定する学者
 仏教でさえも「全体主義」的だといわれています。それならば、無評価で観察も似ていますね。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5035
★ガブリエルによる批判〜全体主義的な学者、宗教者も
 ならば、マインドフルネス者も全体主義的?

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5036
★(この記事)
 マルクス・ガブリエルは西田幾多郎を否定していない
 世界中で注目されているガブリエル、「全体主義」を批判する。多くの点で西田哲学と似ています。カルトは全体主義です。わかりやすい科学、テクニックで、知らず知らず、似たようなこと(カルト的)をする。わかりにくい者、違う者、批判者を排除する。
「マインドフルネス」が、全体主義を克服するにはどうしたらいいのか。

【関連記事】

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★西田哲学を理解せずして否定すること
=西田哲学の社会貢献への活用を妨害されることになり残念

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★西田は形式的な坐禅を重視しない、エゴイズムの観察を重視

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★我執・独断 科学は本来、独断と我執を否定すべき

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この記事は、次の記事の一部です。

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【連続記事】専門家の倫理〜学者・医師・宗教者・マインドフルネス者
宗教者や学者の良心
Posted by MF総研/大田 at 14:01 | エゴイズム | この記事のURL
(16)マルクス・ガブリエルは西田幾多郎否定していないだろう [2022年09月01日(Thu)]
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募集しています!!
★「マインドフルネス」も、「仏教各宗派」も、宗教者も学者もマインドフルネス者も、簡単に「全体主義」的になり、メンバーの自由を蹂躙します。それを防ぐためには、幹部、メンバーはどうしたらいいのか。
宗教者や学者の良心

(16)マルクス・ガブリエルは西田幾多郎否定していないだろう
 〜 ガブリエルも西田幾多郎も
  全体主義を批判

 西田幾多郎は、投獄されかねない状況の中でも、独断的な世界観で個人の尊厳、自由を奪う、他国を侵略するような、全体主義を批判していました。マルクス・ガブリエルも全体主義を批判しています。ハンナ・アーレントもそうです。西田幾多郎もそうでした。
 カルト的組織は、独自の世界観を押し付けて全体主義的であり、個人の自由を奪ったり、人権を侵害するようなことをします。
    (注)マルクス・ガブリエル/中島隆博『全体主義の克服』集英社新書、2020年8月
    「ハイデガーと仏教というコンストレーション(星座配置)は、全体主義的です。」(p101)

    (注)「全体主義」とは、 こちらに詳しい説明がある。  「全体主義とは、個人の利益より全体の利益を優先し、個人が全体のために従属しなければならないとする思想」

    (注)仲正昌樹『悪と全体主義〜ハンナ・アーレントから考える』NHK出版新書
 日本、ドイツの研究者から、批判されたように、日本仏教は、全体主義的なのか、未来の生き残りをかけた重大な岐路に立たされている。

マルクス・ガブリエルは西田幾多郎を否定していない

 西田幾多郎は、戦争に協力した、他国侵略を肯定した、全体主義的だという誤解が日本人の学者にいると言いました。これは西田哲学を真剣に読まないでする誤解でしょう。
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 竹村牧男氏の反論を紹介しましたが、後で、西田哲学の専門家(藤田正勝氏や小坂国継氏など)が反論をしているのも紹介します。

 その前に、最近、世界中で注目されているマルクス・ガブリエルは、西田幾多郎を否定していないだろうということを述べておきたい。ガブリエルの哲学は、西田哲学にとてもよく似ているのです。 ガブリエルは「全体主義」を批判しています。西田幾多郎も全体主義を批判していました。 そして、次の記事で、両者は似ていることを確認しました。彼も似ているといっています。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4094

 そして、つい最近、発行された書籍(2022年)の中でも、似たところをたくさん述べています。ガブリエルは、倫理的資本主義を提案し、対話を重視し、誠実であることを主張しています。西田も後期の論文で、実践論の論文を述べていますが、実践指針は「至誠」です。自己の立場でなく、自己を尽くした立場で、見る、考える、行為することが、昔から日本に流れていた精神であったと述べています。
 こういうことですので、西田幾多郎が他国の侵略を肯定したというのは、誤解です。

 ガブリエルの最近の書籍で、こういう文があります。これも、京都学派が一枚岩だったとは思っていません。京都学派には、戦争を否定したひともいれば、是認したひともいたでしょう。

 「さまざまな哲学思想の古典を紹介し、ブッダならこれについて何と言ったと思うか、子どもたちにたずねるのです。・・・プラトンなら、西谷啓治なら何と言ったか。京都学派はロックダウンを擁護しただろうか。良い問いかけになるでしょう。このように子どもたちを教育すれば、その子たちは現在よりも良い人間になると確認しています。」(p168)

 ここでは、京都学派も否定的ではないように感じられます。これが、たとえ、全体主義的な学派だと思っていたとしても、西谷啓治は別扱いになっています。

 本書を読めば、彼は人間の尊厳を尊重すること、誠実であることを強調しています。そして、西田幾多郎も、実践方針は「至誠」です。西田幾多郎が全体主義であるはずがありません。
 欧米の人々が高く評価する西田を日本の学者が否定するのは残念です。おかしな日本だと思われるでしょう。第一、日本の学生や一般人に、日本の宝を捨ててしまうことを心配します。
 日本の内外で、全体主義的な世界観、独断的な歴史観で人間の生命を軽視するおそろしいことが起きています。しかし、西田哲学は、その対極です。日本人なら大切にすべきです。
 何かをする時に、無評価ではなくて、「本気で相手の身になる」(p64)、「悪とは誰かを利用するために相手の尊厳を無視すること」(p50)、「他者の尊厳を軽視するときには、相手を利用する動機がある」(p50) とガブリエルも言っています。行動する時に、深く考えなければならないのです。さも ないと、いまもなお、全体主義的な組織、運動になるのです。私も、そういうグループをみました。学者と言われるひともそういうことをする。異説、批判を排除する、人物を排除する、それが政治的になり知らず知らず全体主義に加担することになる。

 西田幾多郎自身は、他国侵略を批判していたことは、藤田正勝氏が詳細に説明している。難しいので、別の機会にしたい。
 学者や宗教者、もちろん、すべての人の良心について、西田や大乗仏教が主張していることをまとめたい。

(注) マルクス・ガブリエル(2022年3月『わかりあえない他者を生きる』PHP新書

【関連記事】

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★西田哲学も理解せずして否定する学者
 仏教でさえも「全体主義」的だといわれています。それならば、無評価で観察も似ていますね。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5035
★ガブリエルによる批判〜全体主義的な学者、宗教者も
 ならば、マインドフルネス者も全体主義的?

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5036
★(この記事)
 マルクス・ガブリエルは西田幾多郎を否定していない
 世界中で注目されているガブリエル、「全体主義」を批判する。多くの点で西田哲学と似ています。カルトは全体主義です。わかりやすい科学、テクニックで、知らず知らず、似たようなこと(カルト的)をする。わかりにくい者、違う者、批判者を排除する。
「マインドフルネス」が、全体主義を克服するにはどうしたらいいのか。

【関連記事】

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★西田哲学を理解せずして否定すること
=西田哲学の社会貢献への活用を妨害されることになり残念

https://blog.canpan.info/jitou/archive/1872
★西田哲学の最終的立場(板橋勇仁「歴史的現実と西田哲学」)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3765
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2476
★西田は形式的な坐禅を重視しない、エゴイズムの観察を重視

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2218
★我執・独断 科学は本来、独断と我執を否定すべき

地方創生SDGs 4 質の高い教育をみんなに


この記事は、次の記事の一部です。

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【連続記事】専門家の倫理〜学者・医師・宗教者・マインドフルネス者
宗教者や学者の良心
Posted by MF総研/大田 at 20:32 | エゴイズム | この記事のURL
(15)宗教者や学者の良心〜ガブリエルによる批判 [2022年08月31日(Wed)]

(15)宗教者や学者の良心
 ガブリエルによる批判
   全体主義的な学者、宗教者も

 これまで、仏教学、禅学、マインドフルネス学、認知行動療法などの学問が停滞気味であること、従来の学問は変化しゆく現代の問題を解決できないのに、いつまでも革新説が出てこない状況を見ました。

 社会心理学者や哲学者、文学者などが、宗教者、学者のエゴイズムを批判してきたことをこの10年ほど、様々な文献で紹介してきました。 今、世界も日本も異常な状況が起きています。宗教者や学者のエゴイズム、そして、それを許してきた国民、人類全体の問題でもあります。宗教者も学者も「至誠」でない。自分の利益を重視しすぎる、良心が薄いということなど、哲学者、社会心理学者、精神科医などによって、指摘されてきました。
 もう一度、何回かにわけて、確認します。

 まず、マルクス・ガブリエルが、論文の自由を制限されたこと、他の著名な学者が発言を禁止したことを聞いた話し、学者が話を聞こうともしないエピソードなどから始めます。学者は、自分をおびやかしそうな革新説、理解できないものを排除したくなるようです。こういうことがあると、若手の革新説も排除されて、一つの学説が何十年もくつがえらないことも起きます。停滞です。 ガブリエルは、こういうことを厳しく批判します。 (私、大田は、学者ではありませんが、私も学者から排除されたことがあります)

 ガブリエルは、こう言っています。

 「科学者たちは、他なるものを理解できません。科学という神話の水準では、自分たちの世界観とは異なる見方をする他者はみな敵なのです。」(2020/8、p109)

 「わたしがハイデルベルク大学でシェリングとアドルノについての博士論文を書こうとしたのに、許されなかったことがあります。今ふたりで論じているようなテーマは当時は禁じられていたのです。」(p86)

 ハイデガーは、著名な哲学者ですが、ある教授が質問をした時、誠実でないところがあったという伝聞を述べています。
 「よい質問がされた大事な瞬間に、回答を得る代わりに、暴力を受けるわけです。」(p229)
 「彼はあるとき、一緒に教室にいたハイデガーとガダマーに、物理的な時間と実存的な時間との関係について尋ねたそうです。・・・
 ところがハイデガーはこう答えたそうです。「これはハイデガーの問いではない」と。 ・・・これはまさに全体主義的な思考法です。答えをもっていないとか、今考えているところだと認める代わりに、あるいは誠実で合理的な答えを与える代わりに、彼は推論の連鎖をブロックしたのです。これは普遍化していくプロセスとは正反対のやり方です。」(p230)

 西田哲学によれば、人はみな、自分の世界に生きます。それを叡智的世界と言います。他の世界を知りません。自分の世界で名誉、地位、収入をえると、その自分の世界と自分を守ろうとして、エゴイズム的になります。大乗仏教では、我利我執といったものです。 そういう自分が、叡智的自己です。地球上に、そのような人間が何億もいます。別々の世界を生きており、技術、スキル、生産する物が別です。 しかし、関係しあいます。他の世界から相互に物やサービスをもらい、与えます。

 すべてのひとが叡智的自己です。対象の方向(ノエマ)に自分が価値あると思う物、サービス、学問的成果を他に向かって表出します。成功しているものは、幸福を感じます。
 そのうちの一部の人間が、叡智的世界として生きるのだが、自分の犯す罪で自分を責めるひとがいます。それを西田は「道徳的自己」といいます。通常、叡智的自己の意識は、対象である世界と生産物(ノエマ)に向かっています。それを行為する自己自身を意識して責めるのを「良心」といいい、そういう自分が、道徳的自己です。

 上記のような学者は、「良心」が弱いことになります。他者の自由を認めない、自分の知らないことをいう者、批判する者を敵視したり、自分の周囲から排除しようとする。オルテガは、学者にも多いといいます。社会問題の解決、技術の発展を妨害するところがあります。意見や学問の違う人とも共生していく精神がないのです。自分の不足するところを他者にやってもらおうという寛大さが弱いです。若手に、革新的な発展を期待するのでなく、自分のものを賛同、維持させようとします。
 小さな集団での全体主義的傾向であり、トップの独裁です。
 ここは、研究の場ですから、人道的な悪はないでしょうが、別の組織、社会では、悪質な状況も起こります。
 トップは人事権、賞罰権を持つので、批判できず、不正があっても隠されます。
 全体主義的国家では、批判者を投獄、死刑までします。
 一般的には、若手の自由を奪います。
 時代環境にそぐわないところを解決する対策を排除します。
 難治性の病気の治療法ならば、開発が遅れます。

(続く)
    (注)マルクス・ガブリエル/中島隆博『全体主義の克服』集英社新書、2020年8月
    「ハイデガーと仏教というコンストレーション(星座配置)は、全体主義的です。」(p101)

    (注)「全体主義」とは、 こちらに詳しい説明がある。  「全体主義とは、個人の利益より全体の利益を優先し、個人が全体のために従属しなければならないとする思想」
    https://blog.canpan.info/jitou/archive/5031
    ★自分の意識を観察すること=昔は、仏教、そして大乗仏教、禅、とその時代の環境が求めるものに応えようとしてきた。現代は禅に失望して「マインドフルネス」になった。しかし、深い哲学で全体の方向を示さないものがある。それは、危険である。カルトの世界観が潜んでいるかもしれない。
【関連記事】

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5034
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3762
★西田哲学を理解せずして否定すること
=西田哲学の社会貢献への活用を妨害されることになり残念
この問題は、別に考察する予定です。

https://blog.canpan.info/jitou/archive/1872
★西田哲学の最終的立場(板橋勇仁「歴史的現実と西田哲学」)

https://blog.canpan.info/jitou/archive/3765
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2476
★西田は形式的な坐禅を重視しない、エゴイズムの観察を重視

https://blog.canpan.info/jitou/archive/2218
★我執・独断 科学は本来、独断と我執を否定すべき

地方創生SDGs 4 質の高い教育をみんなに


この記事は、次の記事の一部です。

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宗教者や学者の良心

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5036
★マルクス・ガブリエルは西田幾多郎否定していないだろう

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5035
★ガブリエルによる批判〜
   全体主義的な学者、宗教者も

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5018
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Posted by MF総研/大田 at 12:12 | エゴイズム | この記事のURL
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