多数決で決めてはいけないことがあるのに学者もそうする [2024年09月12日(Thu)]
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MF総研/大田
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(4)千本倖生さんの嘆き〜進取の気概、利他の心、『社会のため』という大義、 間違いを認め謝れる人間性 [2024年06月24日(Mon)]
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MF総研/大田
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(3)西田幾多郎の孫の嘆き 〜 西田哲学が現実に活かされていない [2024年06月22日(Sat)]
西田幾多郎の孫の嘆き
〜 西田哲学が現実に活かされていない
〜 西田哲学が「先細り」(3)
西田哲学が先細り、というニュースが走った。
https://www.asahi.com/articles/DA3S15957450.html
(朝日新聞ニュース)
西田哲学は、ヴィクトール・フランクルの人間哲学に似ているのです。産業、政治、文化、すべて人間のすることですから、人間哲学をいかした行動がされてもいいはずなのですが、西田幾多郎の孫、上田薫氏が嘆いていました。現実に活かされていないと。二度ほど取り上げたことがあります。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2367
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3495
「日本の学問 の最悪なところだと思います。祖父の哲学は、絶対にそれをやらないということに意味があった のだと思うのです。」
西田哲学のすばらさしが学生に教えられないのですから、先細りになるのは当然です。
種々の領域に活かされるはずだと上田氏はいっておられます。
たとえば、仏教や禅について西田は言っていますが、それの神髄を学生に教えると、カルト宗教の被害が少なくなったかもしれません。カルト宗教教団だけではなくて、れっきとした仏教教団で女性をマインドコントロールにかけて苦しめていた事件が報道されています。
仏教の若手に西田哲学による宗教観を教育すれば、ハラスメント行為をすること、「利他」をしないのが仏教でいいはずがないと気づく若手が多く出現したかもしれません。
空海、道元も良寛も深い根底を言っていたと竹村牧男氏が解明しました。浅い命題を「開祖」のものと押し付けることをしなければ、若者が学問の自由を享受して、竹村牧男氏のような深い学説が外部から出てくるようなこともないかもしれません。もっと仏教が活用されたかもしれません。
種々の領域に、仏教が活用されたかもしれませんといいましたが、「マインドフルネス」は「坐禅するだけ」というのと類似します。あまり深い問題の貢献=「利他」になりません。大乗仏教は「利他」を強調しますが、深い問題の解決ができると主張したのではなかったのでしょうか。
第一世代の「マインドフルネス」は、MBCTには、批判も起きたとはいえ、MBSRはかなりの効果が見られます。「マインドフルネス」は日本から生まれず、アメリカのジョン・カバットジン氏が開発しました。
日本の仏教者は、開発できませんでした。
ヴィクトール・フランクルは、長老などが、一つの側面だけを抽出したものを真理だと全体に押し付け、批判を許さないやりかたを還元主義、
画一主義、全体主義と批判しました。日本の多くの集団でそれが行われている可能性があります。学問の自由、宗教の自由がないわけです。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2670
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2672
★一つに還元して、集団のメンバーに画一のものを押し付ける全体主義を批判
メンバーに自由がない
集団の外部からは、異様に見えるのです。「共生」の思想に違反します。集団内に種々の信念、学問解釈を許せば、一つの集団が、多様なものを外部に提供できるのです。企業で言えば、多種の製品を製造販売するか、単一の製品を売り続けるかにたとえられます。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4417
★小坂井敏晶氏
「重箱の隅をつつくことばかりに夢中」「哲学の議論や認識論の考察に耳を塞いではいけない」
「心理学は重心を失い、一貫性もなくなろうとしている。それぞれの分野ごとに固有の組織が生れ、その内部だけでしか通用しない理論枠に縛られている」「研究発表も内輪でしか行われない」
「自分の頭で考えることがない」「先入観を捨てない」「名誉白人症候群」(=舶来重視、日本のよきものをみず、欧米だけをみている)
日本の多くの集団で長老によるメンバーの自由の束縛、批判的学説の排除があり、その雰囲気を感じて自分がいじめられることを恐れて忖度し、いきがいは別のところに求めることが起きているかもしれません。
第一世代の「マインドフルネス」は、アメリカの一部の研究者から、社会問題を見て見ぬふりをすることを助長するおそれがあると、倫理的な批判があるそうです。日本では、そういう反省は起こらないのでしょうか。
西田哲学もフランクルも学問の装いによる還元主義、画一主義、全体主義を批判しています。こういうものが、大学で学生に、社会教育で国民におしえられれば、すこしは、日本の若手の学問が発達したかもしれません。
西田哲学が先細り、だそうです。確かに。若手の新説を許さず、いよいよ、日本の科学学問が衰退していくのでしょうか。
西田哲学は、自己の心理現象を観察してうつ病、不安症を「治療」する精神療法になるのではないかと研究しているのが、自己洞察瞑想療法、SIMTです。第4世代の認知行動療法の一つに該当します。(注1)。宗教的レベルまで西田哲学で記述してみたのが、拙著です。
大田健次郎(2022)『「死」と向き合うためのマインドフルネス実践』佼成出版社
がん患者はうつ病になり自殺も多いのです。がん患者のメンタルケアに活用したいと思います。上田薫氏は、西田哲学は種々の領域に活かせるはずだと思っておられるのです。政治にも経営にも学問にも、ハラスメント行為の批判のための教育、カルト宗教の被害防止にも、戦争殺戮の批判などにも。
うつ病が治らないと苦しいです。自殺も起きます。精神療法も研究して国民の生命を守れないものでしょうか。
(注1)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5348
【関連記事】第4世代の認知行動療法、自己洞察瞑想療法
【関連記事】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3032
★井筒俊彦の哲学と道元と西田哲学
この記事は次の一部です。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5450
【目次】西田哲学が先細り
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メディアの沈黙 [2023年10月08日(Sun)]
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禅、仏教の学者が深い仏教、深い禅哲学を否定、排除するのは残念 [2023年06月24日(Sat)]
禅、仏教の学者が深い仏教、深い禅哲学を否定、排除するのは残念
〜 国民の苦しみ悲しみの解決を妨害することになる
禅やマインドフルネスには、障害を負った人やがん患者の死との葛藤を乗り越える宗教的な苦悩とか、うつ病の人を改善に導くほどの観察手法もあります。学者が自分の学説を超えて貢献をしそうだと脅威を覚えるからといって、自分がそういうつらい状況でないからといっても、排除しないでもらいたい。難治性の苦悩(主に精神疾患)を持つ少数の人が救済を必要とするのです。苦悩する少数のひとへの共感をもってほしい。特に、学者に。学生に教え、著書を出版して影響が大きいので。
以前、倫理学の指摘がありましたように。
多種の支援者、支援法が共生すべきです。多数派の学説で、少数派の学説を「無用」と評価し、
排除するようなことはやめてほしい。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4343
★倫理学―こう考え・行動すべきだ・当為の学問
障害を負った人が、つらくて死にたくなったが、深い宗教で救われた例として、星野富弘さんや三浦綾子さんを紹介している本があります。キリスト教で救われたのです。(「宗教を「信じる」とはどういうことか」石川明人、ちくまプリマ―新書)。
仏教や禅には、そういう深みはないでしょうか。仏教や禅の宗教者が、同じような苦悩をかかえた人を救済しないのですか。学者も、救済の哲学を読めないのでしょうか。仏教や禅は、救済できなくて、何を目指すのでしょうか。
西田哲学、鈴木禅哲学も、お二人ほどの苦悩をも救済できそうなほどに深くも見えます。日本の深い禅、大乗仏教を、実践化する「マインドフルネス」があっていいはずでは?
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5166
【連続記事】現実の世界は「無評価」ではない
自分さえよければいいいというエゴイズムの充満する社会、評価するされる世界で自己の意識をどう観察すればいいのか、そういう自己観察が社会を救う
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MF総研/大田
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弱者に自由のない、民主主義の国、日本 [2023年05月19日(Fri)]
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(18)集団のトップが内外の人権を侵害
〜 専門家の倫理はいかにあるべきか(2) [2022年09月04日(Sun)]
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(17)大学人、宗教者、医師などの専門家はエゴイストになりやすい [2022年09月03日(Sat)]
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(16)マルクス・ガブリエルは西田幾多郎否定していないだろう [2022年09月01日(Thu)]
宗教者や学者の良心
(16)マルクス・ガブリエルは西田幾多郎否定していないだろう
〜 ガブリエルも西田幾多郎も
全体主義を批判
西田幾多郎は、投獄されかねない状況の中でも、独断的な世界観で個人の尊厳、自由を奪う、他国を侵略するような、全体主義を批判していました。マルクス・ガブリエルも全体主義を批判しています。ハンナ・アーレントもそうです。西田幾多郎もそうでした。
カルト的組織は、独自の世界観を押し付けて全体主義的であり、個人の自由を奪ったり、人権を侵害するようなことをします。
(注)マルクス・ガブリエル/中島隆博『全体主義の克服』集英社新書、2020年8月
「ハイデガーと仏教というコンストレーション(星座配置)は、全体主義的です。」(p101)
(注)「全体主義」とは、
こちらに詳しい説明がある。
「全体主義とは、個人の利益より全体の利益を優先し、個人が全体のために従属しなければならないとする思想」
(注)仲正昌樹『悪と全体主義〜ハンナ・アーレントから考える』NHK出版新書
日本、ドイツの研究者から、批判されたように、日本仏教は、全体主義的なのか、未来の生き残りをかけた重大な岐路に立たされている。
マルクス・ガブリエルは西田幾多郎を否定していない
西田幾多郎は、戦争に協力した、他国侵略を肯定した、全体主義的だという誤解が日本人の学者にいると言いました。これは西田哲学を真剣に読まないでする誤解でしょう。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5034
竹村牧男氏の反論を紹介しましたが、後で、西田哲学の専門家(藤田正勝氏や小坂国継氏など)が反論をしているのも紹介します。
その前に、最近、世界中で注目されているマルクス・ガブリエルは、西田幾多郎を否定していないだろうということを述べておきたい。ガブリエルの哲学は、西田哲学にとてもよく似ているのです。
ガブリエルは「全体主義」を批判しています。西田幾多郎も全体主義を批判していました。
そして、次の記事で、両者は似ていることを確認しました。彼も似ているといっています。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4094
そして、つい最近、発行された書籍(2022年)の中でも、似たところをたくさん述べています。ガブリエルは、倫理的資本主義を提案し、対話を重視し、誠実であることを主張しています。西田も後期の論文で、実践論の論文を述べていますが、実践指針は「至誠」です。自己の立場でなく、自己を尽くした立場で、見る、考える、行為することが、昔から日本に流れていた精神であったと述べています。
こういうことですので、西田幾多郎が他国の侵略を肯定したというのは、誤解です。
ガブリエルの最近の書籍で、こういう文があります。これも、京都学派が一枚岩だったとは思っていません。京都学派には、戦争を否定したひともいれば、是認したひともいたでしょう。
「さまざまな哲学思想の古典を紹介し、ブッダならこれについて何と言ったと思うか、子どもたちにたずねるのです。・・・プラトンなら、西谷啓治なら何と言ったか。京都学派はロックダウンを擁護しただろうか。良い問いかけになるでしょう。このように子どもたちを教育すれば、その子たちは現在よりも良い人間になると確認しています。」(p168)
ここでは、京都学派も否定的ではないように感じられます。これが、たとえ、全体主義的な学派だと思っていたとしても、西谷啓治は別扱いになっています。
本書を読めば、彼は人間の尊厳を尊重すること、誠実であることを強調しています。そして、西田幾多郎も、実践方針は「至誠」です。西田幾多郎が全体主義であるはずがありません。
欧米の人々が高く評価する西田を日本の学者が否定するのは残念です。おかしな日本だと思われるでしょう。第一、日本の学生や一般人に、日本の宝を捨ててしまうことを心配します。
日本の内外で、全体主義的な世界観、独断的な歴史観で人間の生命を軽視するおそろしいことが起きています。しかし、西田哲学は、その対極です。日本人なら大切にすべきです。
何かをする時に、無評価ではなくて、「本気で相手の身になる」(p64)、「悪とは誰かを利用するために相手の尊厳を無視すること」(p50)、「他者の尊厳を軽視するときには、相手を利用する動機がある」(p50)
とガブリエルも言っています。行動する時に、深く考えなければならないのです。さも
ないと、いまもなお、全体主義的な組織、運動になるのです。私も、そういうグループをみました。学者と言われるひともそういうことをする。異説、批判を排除する、人物を排除する、それが政治的になり知らず知らず全体主義に加担することになる。
西田幾多郎自身は、他国侵略を批判していたことは、藤田正勝氏が詳細に説明している。難しいので、別の機会にしたい。
学者や宗教者、もちろん、すべての人の良心について、西田や大乗仏教が主張していることをまとめたい。
(注)
マルクス・ガブリエル(2022年3月『わかりあえない他者を生きる』PHP新書
【関連記事】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5034
★西田哲学も理解せずして否定する学者
仏教でさえも「全体主義」的だといわれています。それならば、無評価で観察も似ていますね。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5035
★ガブリエルによる批判〜全体主義的な学者、宗教者も
ならば、マインドフルネス者も全体主義的?
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5036
★(この記事)
マルクス・ガブリエルは西田幾多郎を否定していない
世界中で注目されているガブリエル、「全体主義」を批判する。多くの点で西田哲学と似ています。カルトは全体主義です。わかりやすい科学、テクニックで、知らず知らず、似たようなこと(カルト的)をする。わかりにくい者、違う者、批判者を排除する。
「マインドフルネス」が、全体主義を克服するにはどうしたらいいのか。
【関連記事】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3762
★西田哲学を理解せずして否定すること
=西田哲学の社会貢献への活用を妨害されることになり残念
https://blog.canpan.info/jitou/archive/1872
★西田哲学の最終的立場(板橋勇仁「歴史的現実と西田哲学」)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3765
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2476
★西田は形式的な坐禅を重視しない、エゴイズムの観察を重視
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2218
★我執・独断 科学は本来、独断と我執を否定すべき
地方創生SDGs 4 質の高い教育をみんなに
この記事は、次の記事の一部です。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5018
【連続記事】専門家の倫理〜学者・医師・宗教者・マインドフルネス者
宗教者や学者の良心
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(15)宗教者や学者の良心〜ガブリエルによる批判 [2022年08月31日(Wed)]
(15)宗教者や学者の良心
ガブリエルによる批判
全体主義的な学者、宗教者も
これまで、仏教学、禅学、マインドフルネス学、認知行動療法などの学問が停滞気味であること、従来の学問は変化しゆく現代の問題を解決できないのに、いつまでも革新説が出てこない状況を見ました。
社会心理学者や哲学者、文学者などが、宗教者、学者のエゴイズムを批判してきたことをこの10年ほど、様々な文献で紹介してきました。
今、世界も日本も異常な状況が起きています。宗教者や学者のエゴイズム、そして、それを許してきた国民、人類全体の問題でもあります。宗教者も学者も「至誠」でない。自分の利益を重視しすぎる、良心が薄いということなど、哲学者、社会心理学者、精神科医などによって、指摘されてきました。
もう一度、何回かにわけて、確認します。
まず、マルクス・ガブリエルが、論文の自由を制限されたこと、他の著名な学者が発言を禁止したことを聞いた話し、学者が話を聞こうともしないエピソードなどから始めます。学者は、自分をおびやかしそうな革新説、理解できないものを排除したくなるようです。こういうことがあると、若手の革新説も排除されて、一つの学説が何十年もくつがえらないことも起きます。停滞です。
ガブリエルは、こういうことを厳しく批判します。
(私、大田は、学者ではありませんが、私も学者から排除されたことがあります)
ガブリエルは、こう言っています。
「科学者たちは、他なるものを理解できません。科学という神話の水準では、自分たちの世界観とは異なる見方をする他者はみな敵なのです。」(2020/8、p109)
「わたしがハイデルベルク大学でシェリングとアドルノについての博士論文を書こうとしたのに、許されなかったことがあります。今ふたりで論じているようなテーマは当時は禁じられていたのです。」(p86)
ハイデガーは、著名な哲学者ですが、ある教授が質問をした時、誠実でないところがあったという伝聞を述べています。
「よい質問がされた大事な瞬間に、回答を得る代わりに、暴力を受けるわけです。」(p229)
「彼はあるとき、一緒に教室にいたハイデガーとガダマーに、物理的な時間と実存的な時間との関係について尋ねたそうです。・・・
ところがハイデガーはこう答えたそうです。「これはハイデガーの問いではない」と。
・・・これはまさに全体主義的な思考法です。答えをもっていないとか、今考えているところだと認める代わりに、あるいは誠実で合理的な答えを与える代わりに、彼は推論の連鎖をブロックしたのです。これは普遍化していくプロセスとは正反対のやり方です。」(p230)
西田哲学によれば、人はみな、自分の世界に生きます。それを叡智的世界と言います。他の世界を知りません。自分の世界で名誉、地位、収入をえると、その自分の世界と自分を守ろうとして、エゴイズム的になります。大乗仏教では、我利我執といったものです。
そういう自分が、叡智的自己です。地球上に、そのような人間が何億もいます。別々の世界を生きており、技術、スキル、生産する物が別です。
しかし、関係しあいます。他の世界から相互に物やサービスをもらい、与えます。
すべてのひとが叡智的自己です。対象の方向(ノエマ)に自分が価値あると思う物、サービス、学問的成果を他に向かって表出します。成功しているものは、幸福を感じます。
そのうちの一部の人間が、叡智的世界として生きるのだが、自分の犯す罪で自分を責めるひとがいます。それを西田は「道徳的自己」といいます。通常、叡智的自己の意識は、対象である世界と生産物(ノエマ)に向かっています。それを行為する自己自身を意識して責めるのを「良心」といいい、そういう自分が、道徳的自己です。
上記のような学者は、「良心」が弱いことになります。他者の自由を認めない、自分の知らないことをいう者、批判する者を敵視したり、自分の周囲から排除しようとする。オルテガは、学者にも多いといいます。社会問題の解決、技術の発展を妨害するところがあります。意見や学問の違う人とも共生していく精神がないのです。自分の不足するところを他者にやってもらおうという寛大さが弱いです。若手に、革新的な発展を期待するのでなく、自分のものを賛同、維持させようとします。
小さな集団での全体主義的傾向であり、トップの独裁です。
ここは、研究の場ですから、人道的な悪はないでしょうが、別の組織、社会では、悪質な状況も起こります。
トップは人事権、賞罰権を持つので、批判できず、不正があっても隠されます。
全体主義的国家では、批判者を投獄、死刑までします。
一般的には、若手の自由を奪います。
時代環境にそぐわないところを解決する対策を排除します。
難治性の病気の治療法ならば、開発が遅れます。
(続く)
(注)マルクス・ガブリエル/中島隆博『全体主義の克服』集英社新書、2020年8月
「ハイデガーと仏教というコンストレーション(星座配置)は、全体主義的です。」(p101)
(注)「全体主義」とは、
こちらに詳しい説明がある。
「全体主義とは、個人の利益より全体の利益を優先し、個人が全体のために従属しなければならないとする思想」
【関連記事】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5034
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3762
★西田哲学を理解せずして否定すること
=西田哲学の社会貢献への活用を妨害されることになり残念
この問題は、別に考察する予定です。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/1872
★西田哲学の最終的立場(板橋勇仁「歴史的現実と西田哲学」)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3765
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★西田は形式的な坐禅を重視しない、エゴイズムの観察を重視
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2218
★我執・独断 科学は本来、独断と我執を否定すべき
地方創生SDGs 4 質の高い教育をみんなに
この記事は、次の記事の一部です。
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宗教者や学者の良心
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★マルクス・ガブリエルは西田幾多郎否定していないだろう
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★ガブリエルによる批判〜
全体主義的な学者、宗教者も
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