「子ども食堂」看板やめます
〜見て見ぬふり社会 [2025年09月17日(Wed)]
「子ども食堂」看板やめます
〜見て見ぬふり社会
朝日新聞に掲載された記事
https://www.asahi.com/articles/DA3S16301449.html
「子ども食堂」看板やめます
(朝日新聞)
近藤博子さんとインタビューの聞き手田中聡子さんの言葉には、私(大田)が、しばしば用いる言葉が出てきます。文脈に関連なく抽出します。【大田の嘆き】は、うつ病の支援、自殺対策に関連するはずの仏教、禅、マインドフルネス、精神療法などの領域のことです。これらは近い領域なのに、うつ病は、見て見ぬふりされています。(下記の
ブログ1812)
「子ども食堂」は、下流の生命にかかわる問題ですが、これを生み出す上流の問題は「見て見ぬふり」。
「貧困や雇用問題
見て見ぬふり社会
食堂応援はしても」
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(近藤さん)「驚くスピードで全国に広まりました。・・・増えていくことが『いいこと』なのかという疑問はずいぶん前からありました。」
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【大田の嘆き】「無評価で観察の瞑想「マインドフルネス」(第1世代MDということにします)が、驚くスピードで全国に広まりました。<もっと深いものがあるのに>増えていくことが『いいこと』なのかという疑問はずいぶん前からありました。禅も浅いものしか知られていなかったからです。それと同じくらいの階層(浅い=対人場面ではできない)にあるからです。
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(近藤さん)「大事なのは子ども食堂という『活動』ではないですよね。子どもであり、子どもを育てる親こそ大事なはずです。
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【大田の嘆き】大事なのは、マインドフルネスという『活動』ではないですよね。それを用いて支援されるはずの人々ですよね。マインドフルネスは、希死念慮のあるひとには自殺・自傷のリスクを高めるので、危険だとアメリカではわかったのですが。日本のマインドフルネス者は、どういうひとを支援するのでしょうね。
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(近藤さん)「当事者が置かれている状況を改善しようという議論は不可欠です。
それをせずに、子ども食堂の数や利用者を増やすことが目的になっていないでしょうか。
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【大田の嘆き】「マインドフルネスは、ジョン・カバットジン氏が仏教、禅を現代的に痛みの緩和のために(つまり医療に貢献)、創始したものでした。そして、アメリカのひとは、うつ病や不安症などの治療方法になるかどうか、広く、臨床検討してきました。日本の場合は、それをせずに、・・・マインドフルネスの実践者を増やすことが目的になっていないでしょうか。
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(近藤さん)「『子どもの貧困』など、子ども食堂に課せられてきた子どもや社会の問題は、ずっと前から存在していました。
今始まった話ではなく、そういうものに気付かなかったり『見て見ぬふり』したりしてきただけです」
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【大田の嘆き】「『うつ病が治らないひとが多い』『自殺が多い』など、マインドフルネスに期待せられてきたうつ病が治らない、自殺が多いという社会の問題は、ずっと前から存在していました。
今始まった話ではなく、そういうものに気付かなかったり『見て見ぬふり』したりしてきただけです」
(https://blog.canpan.info/jitou/archive/1812
★無視・傍観・軽視・放置・見放される病=うつ病)
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(近藤さん)「『なぜその状況が生まれるのか』
『そうならないためにどうすればいいか』という議論を社会がしてこなかった。そして『子ども食堂さん、がんばれ』と応援する。それがものすごくいやだったんです。」
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【大田の嘆き】「『なぜうつ病になるか』『なぜ治らないか』『なぜ自殺が起きるか』という議論を社会がしてこなかった。そして、(私の場合は応援されませんでした。むしろ排除されました。)
(近藤さん)<記事では、子どもの貧困の背景が話しあわれました。>
(田中さん)「なぜそうした問題は「見て見ぬふり」なのでしょうか。」
(近藤さん)「その方が簡単だからですよね。根っこの問題ではなく、困っているその個人の問題としておく方が簡単です。
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【大田の嘆き】禅もうつ病の人を支援して治すことができますが、それをする僧侶がごく少数(数人)いました。しかし、大多数の僧侶は「ただ坐禅するだけだ」といい、学者もそれを応援する論文、著書を書きます。大学でもそういうひとが教えています。社会問題に貢献するものではないと。
その方が簡単だからですよね。
禅、禅学の問題ではない、医学の問題としておくほうが簡単です。
マインドフルネスの学も、日本ではうつ病を治すのは医者だとしておくほうが簡単です。
(編集中です)
(あまりに、状況が似ていることを指摘されています。嫌になってきました。この続きを再開するか、やめるか。次のことも含まれています。以下、暫定稿。)
(近藤さんは、もうボランティアがする問題ではないという。薬物療法で治らないうつ病の方を精神療法SIMTで支援することを、私らも30年ボランティアがやってきたがこれだけ自殺が多いから職業専門家がすべきであると思う。
政治家の問題も指摘しておられます。うつ病、自殺の領域も、政治家<もちろん一部>が国民の自殺減少に反するようなことをしています。)
(子ども、若いひとの自殺はふえてきた、高齢者はずっと自殺は多い。
しかし、うつ病の新しい治療法はない。どうなるんでしょうね。見て見ぬふりが続くのか。)
(池田清彦氏は、日本人は、集団主義的に教育されてきた、組織に従順、幹部に逆らわない、新しいことは主張しない、といいます。池田氏が見た教育学問の世界は、禅、マインドフルネス、精神療法の分野ではないはずなのに、なんと似た状況であることか。禅の学説は100年近く継続し、新しいマインドフルネス学も、「無評価で観察」が、もう20年くらいでしょうか。超えるものがでてこない。
新しい心理療法は、日本人が創始することはなく、海外で開発されるのを待つのでしょう。何万人、死ねばいいのか。若い世代の人々、こんな状況が続いていいと思うのでしょうか。
10月、仙台では、若い人々(午前は当事者、そのご家族、午後は専門家)の本音をお聞きしたい。)
(注)SIMT=後期西田哲学を心理療法にした、第2世代マインドフルネス(無評価でない)を用いた精神療法。おそらく世界で初めて。類似の自己観察法が、まだ、アメリカから輸入されないから。
【関連記事】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3461
【連続記事】「見て見ぬふりをする社会」
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5585
【目次】種々の専門家のエゴイズム
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5739
カルトの被害もそうですが、
大乗仏教、禅、マインドフルネスには、
自殺防止のための上流、下流の対策の哲学、理論、実践的手法が含まれているのに、・・・
「見て見ぬふりする社会」=
「見てみぬふりする僧侶」
「見て見ぬふりする学者」(仏教、禅、マインドフルネスの学)
「見て見ぬふりするメディア」
◇宗教者が怠慢です。
(しかし、伝統の底力があり、新しい活動を期待します。)
◇宗教者に忖度する学者が怠慢です。
長老が決めた枠を超えようとしないで変わりゆく社会問題に貢献しない学問。
(詐欺、誹謗中傷、ハラスメント、自殺。日本全体が住みにくい場所になってしまいました。
忖度をやめて、学問的真実を探求できるのは学者です。)
◇メディアもそういう問題を指摘しません。
これら専門家のエゴイズムを、池田清彦氏のほか何人かの人が指摘してきました。
変わりません。もう一度、見ておきます。(次以降の記事で)
若い人は、こんな状況で、日本に未来はあるのですか。
◆臨床心理学も
「臨床心理学」も「傾聴」重視だけでは、現代の社会問題には不十分です。
心理士のすぐそばに、うつ病、PTSDなど治らず苦しむひとが大勢いるはずです。相談してくるひとの中の一部にうつ病の人がいます。「脳内の炎症」が傾聴では治らないこともご存知のはずです。
自殺せざるを得ない深刻な人は「病気」です。病気は傾聴だけでは治りません。「治す」支援をしないと治りません。相談だけでは「希死念慮」は消えません。それが深刻なうつ病です。
臨床心理学も「傾聴」の枠を突破した臨床心理学を創造し「共生」しないと、自殺を防ぐことはできません。
臨床心理士、公認心理士、精神保健福祉士、作業療法士、看護師などの現場の一部のかたが、うつ病などを治し自殺防止に貢献できる可能性が大きいです。「希死念慮」を持つ人がいつもそばにいるのですから。医師がしないなら他の専門職がそうしようという新しい動きをまた既得権益のために排除、妨害しないようにしてほしい。
◆新しい学問、新しい学会を
人口が減少していく日本です。尊い生命を自殺で失うようなことをなくすために、「実践的自殺防止療法学」のような新しい動きを応援してほしいです。
大乗仏教、禅(道元、盤珪など説明の多い禅僧)、マインドフルネス、哲学(西田、フランクルなど)、第3世代までの認知行動療法をすべて、参考にした、「新しい仏教派、新しい精神療法、新しい実践哲学、新しい認知行動療法のようなものを研究開発していくような新しい学問を勃興させませんか。新しい学会を作りませんか。
学問的な議論の自由、革新説を排除しない、学者の利益になるような脇に縛られないで国民の利益を第一とするような行動指針を備えた学会。
「仏教」「禅」は、現代の社会問題には、貢献できないものという認識が定着しています。
「マインドフルネス」も欧米では、見て見ぬふりを助長するとか
希死念慮のひとには自殺自傷を高めるリスクがあると批判されているのですから、
期待はずれです。
「マインドフルネス」には、アメリカでは、厳しいく批判されている。
自己洞察瞑想療法、SIMTは、第2世代のマインドフルネスともいい始めたのですが、
「マインドフルネス」(無評価という枠が変わらないのであれば)も冠しないほうがいいのではないかと思います。
「無評価で観察の瞑想」が期待されましたが、激しい評価の世界、瞑想でない評価現場に枠が広がらないと、うつ病などが治らない、自殺が多い、という深刻な社会問題の解決の実践的研究開発がすすみそうもありません。
「マインドフルネス」!!
期待したのに、うつ病の治療法にはなりませんでした。
社会問題を「見て見ぬふり」の助長、という厳しい批判。
「ただ坐禅する」と同様です。道元禅はただ坐禅するのだという学説は、100年間、多くの禅学者に守られてきました。うつ病の治療法になりません、現代の社会問題にも活用されません。「見て見ぬふり」に近いといえませんか。
うつ病などが治らず「死にたい」「死にゆく」ひとが多いのに、それを支援する治療法の学問が国民に見えません。未来が見えません。
「マインドフルネス 看板やめます」
と私がいう日が来ます。一つは、日本マインドフルネス精神療法協会を解散しました。
そして、このブログの主体が「マインドフルネス総合研究所」です。ホームページが
"mindfulness" です。ブログの名称が「マインドフルネス心理療法」です。高齢により、これがまもなく、消えます。
次以降の記事で、
日本では、新しいものは創造されないこと、その背景にある、組織に蔓延する「見て見ぬふり」「トップ幹部への忖度」「批判する者の排除」、学問における還元主義、全体主義、画一主義の弊害などを指摘する学者をもう一度、みます。
【関連記事】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5049
★禅やマインドフルネスの人が見ようとしない「罪」とは
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核で核抑止はフィクション〜広島県知事 [2025年08月15日(Fri)]
核で核抑止はフィクション〜広島県知事
9日、広島原爆の日に、湯崎県知事は、「核抑止」について、言及した。
「知事は「歴史が証明するように、力の均衡による抑止は繰り返し破られてきた。抑止とはフィクションであり、万有引力の法則のような普遍の物理的真理ではない」と主張。「仮に破れても人類が存続可能になるよう、抑止力から核という要素を取り除かなければならない」と訴えた。」
終戦の日の本日、テレビ朝日で、知事は羽鳥慎一モーニングショーに出演して、
これについて、「真意」を論じました。次の記事にあります。
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/900171308.html
テレビ朝日ニュース
核抑止は「普遍の物理的真理」でないという。
確かに、人間は、エゴイストである。いざとなったら、核のボタンをおすかもしれない。
知事は、日本は核抑止ではない平和への方法をすすめるべき、提案しました。それは、次だと言います。
『自国の価値観や文化によって、相手を魅了・敬服させ、味方につけること』
ここに、次が関係してくると思うのです。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5688
【連続記事】日本文化は絶滅するのか
「絶滅」させるには、惜しい価値観や文化があるという。
あらゆる違いの根底にすべての人間に共通のものがある。それなのに、それを知らずに、大切な生命を殺し合うおろかさ、エゴイズム。
これを伝えることができるのは、やはり、日本でしょうが、日本人にさえ、理解される努力が不足しているわけです。西田幾多郎や鈴木大拙の哲学を理解することを国内ですすめて、そして、外国に伝えてほしい。西田哲学も最初期の『善の研究』ではなくて、後期に、深い日本文化にあった哲学を場所的論理で明らかにしたが、それを国内外に伝えてほしい。
世界の戦争、殺し合いを止める「ソフトパワー」の重要な一つでしょう。
現在、西田哲学を理解する日本人は少ないようだ。西田哲学も先細り、では困る。哲学館や京都大学は、西田哲学の教育をすすめてほしい。
そこが関心をもたないならば、ほかの団体がすすめてほしい。やはり、人は自分が強く価値があると思うことしか、人生をかけない。このことに、人生をかけるひとが極めて少ないから、大嶋仁氏は「死んだ」というのだ。それでは、やはり困る。内外のエゴイズムがすさまじい。人類の絶滅も不思議でないほどなのだから。
西田哲学の精神療法への活用、ここ、埼玉では、関心を持つひとが少ない。10月に仙台で話しあいを持ちませんか。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5450
★西田哲学は先細り
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MF総研/大田
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マルクス・ガブリエルが「マインドフルネスの欠点」を語る [2025年07月03日(Thu)]
マルクス・ガブリエルが「マインドフルネスの欠点」を語る
前の記事
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5684
で、触れたような様々な領域で、日本の人は苦しんでいます。この中から自殺も起こります。
マインドフルネスでも第2世代ならば、効果がみられます。
しかし、これを行う心理士はほとんどおらず、無評価で観察のマインドフルネス(第1世代)がブームになりました。
しかし、アメリカではすでに、批判が起きています。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5296
【目次】第1世代マインドフルネスの弊害
世界的に注目されているドイツの哲学者、マルクス・ガブリエルも批判しています。新しい書籍(注1)の「マインドフルネスの欠点」という
節で、次のように、マインドフルネスは、個人主義的、問題解決を避ける手段、エゴの問題はなくならない、などと批判的です。
「私は、マインドフルネスには一つ欠点があると考えています。
それは個人主義的すぎるところです。
我々は人生において、さまざまな問題に直面します。まず健康、つまり身体に関する問題。
次に社会的な問題――恋愛、家族関係、嫌な上司がいるとか。自己愛の強い上司がいたり、
圧迫的な職場環境で働いたりするのは深刻な問題です。
あとは経済的な問題。失業して新しい職に就けないなど。
これらは人々が抱える典型的な悩み事です。これらはマインドフルネスを実践しても解消しません。
解決策は内面を変えることではないのです。
たしかに、同じ問題が再び起こることを避けるためにマインドフルネスが大きく貢献する場合が
あります。・・・(中略)」(p88)
「ですから、特にアメリカにおけるマインドフルネス・トレーニングは、実在する問題解決を避ける手段でしか
ありません。自己愛の強い人間が大金持ちになりやすい社会的な条件を正す必要が
あるのです。
今は大金持ちの自己愛という問題、エゴの問題があります。
実在するエゴの問題は、それに苦しめられている人たちが瞑想したからといってなくなりません。
私が、真のマインドフルネス・トレーニングは社会的なものでなければならないと考えるのはそのためです。」(p89)
彼は、道元、西田幾多郎の西田哲学のいい点、欠点も述べています。
よく聞いて活用すべきと思います。
西田哲学も、学者の難しい解釈本がでるだけで、現実の社会問題の解決に活用されていません。西田幾多郎の没後80年も経つのに、どう実践するのか、哲学者からも宗教者からも
提案がありません。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5287
★MBCTは? 見て見ぬふりしなさい、と扇動するようなもの
(注1)
マルクス・ガブリエル『時間・自己・幻想〜東洋哲学と新実在論の出会い』月谷真紀訳、PHP新書、2025/4/28
第4章は「西田幾多郎への批判」という副題だが
本書を読むと、ガブリエルの哲学は、道元、西田幾多郎、鈴木大拙に似たところがあります。すぐれた日本人の哲学を現代の宗教者や学者が理解せず、否定、排除までしていることが続いています。だから、日本の現代社会はおかしくなっているのでしょう。
ガブリエルの哲学は、道元や西田、鈴木に似たことをいう点もありますが、
この本では、西田を誤解していると思います。
ガブリエルが本書で「西田は間違っている」といっている部分がいくつかありますが、誤解されていると思います。今、ここ、自己から離れたところにも視点を移して論じて、西田が間違いだといっているところがあります。西田は、物理的な存在を言っているのではないのです。だから、本書を読む人は、ガブリエルが西田は間違っているというから、だから、西田哲学はつまらないと思うと間違います。
これでは、すぐれた日本の宝、西田哲学を日本の人につまらないと思わせてしまうことをおそれます。
西田哲学の学者から、西田が間違っているというところを「そんなことではない」と反批判する文を発表していただかねばなりません。
自己が生きているということ、今、ここ、自己だけを深く論じているのです。西田哲学も道元も日本の学者、宗教者からも誤解されます。誠に残念です。
氏は、世界中で活躍されるのですから、他国でも、西田幾多郎は間違いと紹介されると困ります。できるだけ早く、西田哲学の学者から氏に西田の真意を説明していただきたい。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5688
【続き】日本文化は絶滅するのか
【関連記事】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5454
★西田幾多郎の孫の嘆き 〜西田哲学が現実に活かされていない
西田哲学は実践されなければ意味がない
「日本の学問の最悪なところだと思います。祖父の哲学は、絶対にそれをやらないということに意味が あったのだと思うのです。」
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5450
【目次】西田哲学が先細り
ガブリエルの哲学は、西田哲学と同じところがあると本書(注1)で、何か所も断言しています。
現代哲学の巨匠も肯定する道元と西田哲学の良い点が全く活用されていません。誠に惜しいことです。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4859
★日本における学問の問題点
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3073
★道元には深い哲学がある。ガブリエルも道元を称賛。
なのに、日本の禅者、学者が明らかにしてこなかった
大学教育においても若者に道元の深い人間哲学は教育されていない
次の世代の若い人々が道元や西田哲学を活かす学問と社会問題解決の実践を研究していただきたいのです。
ガブリエルについては、次でも触れました。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4094
【目次】マルクス・ガブリエル(2019年)
外国のジョン・カバットジンやマルクス・ガブリエルは道元や西田哲学を評価するのに、日本の大学教育、社会教育では、そのすばらしさが教育されず、若い世代のひとびとに、これを活用したいと研究に乗り出すこともないようです。地方創生SDGs ゴール4は、この領域では不十分でしょう。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4877
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4719
地方創生SDGs ゴール4 「質の高い教育をみんなに」
【関連記事】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3461
【目次】見て見ぬふりする社会
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3725
★対人場面、社会的生産的行為の最中では無評価ではない
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5585
【目次】組織の幹部、専門家、学者、宗教者、政治家などのエゴイズム
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専門家のエゴイズム 〜 多数決で決めてはいけないことがあるのに学者もそうする [2024年09月12日(Thu)]
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(4)千本倖生さんの嘆き〜進取の気概、利他の心、『社会のため』という大義、 間違いを認め謝れる人間性 [2024年06月24日(Mon)]
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(3)西田幾多郎の孫の嘆き 〜 西田哲学が現実に活かされていない [2024年06月22日(Sat)]
西田幾多郎の孫の嘆き
〜 西田哲学が現実に活かされていない
〜 西田哲学が「先細り」(3)
西田哲学が先細り、というニュースが走った。
https://www.asahi.com/articles/DA3S15957450.html
(朝日新聞ニュース)
西田哲学は、ヴィクトール・フランクルの人間哲学に似ているのです。産業、政治、文化、すべて人間のすることですから、人間哲学をいかした行動がされてもいいはずなのですが、西田幾多郎の孫、上田薫氏が嘆いていました。現実に活かされていないと。二度ほど取り上げたことがあります。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2367
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3495
「日本の学問 の最悪なところだと思います。祖父の哲学は、絶対にそれをやらないということに意味があった のだと思うのです。」
西田哲学のすばらさしが学生に教えられないのですから、先細りになるのは当然です。
種々の領域に活かされるはずだと上田氏はいっておられます。
たとえば、仏教や禅について西田は言っていますが、それの神髄を学生に教えると、カルト宗教の被害が少なくなったかもしれません。カルト宗教教団だけではなくて、れっきとした仏教教団で女性をマインドコントロールにかけて苦しめていた事件が報道されています。
仏教の若手に西田哲学による宗教観を教育すれば、ハラスメント行為をすること、「利他」をしないのが仏教でいいはずがないと気づく若手が多く出現したかもしれません。
空海、道元も良寛も深い根底を言っていたと竹村牧男氏が解明しました。浅い命題を「開祖」のものと押し付けることをしなければ、若者が学問の自由を享受して、竹村牧男氏のような深い学説が外部から出てくるようなこともないかもしれません。もっと仏教が活用されたかもしれません。
種々の領域に、仏教が活用されたかもしれませんといいましたが、「マインドフルネス」は「坐禅するだけ」というのと類似します。あまり深い問題の貢献=「利他」になりません。大乗仏教は「利他」を強調しますが、深い問題の解決ができると主張したのではなかったのでしょうか。
第一世代の「マインドフルネス」は、MBCTには、批判も起きたとはいえ、MBSRはかなりの効果が見られます。「マインドフルネス」は日本から生まれず、アメリカのジョン・カバットジン氏が開発しました。
日本の仏教者は、開発できませんでした。
ヴィクトール・フランクルは、長老などが、一つの側面だけを抽出したものを真理だと全体に押し付け、批判を許さないやりかたを還元主義、
画一主義、全体主義と批判しました。日本の多くの集団でそれが行われている可能性があります。学問の自由、宗教の自由がないわけです。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2670
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2672
★一つに還元して、集団のメンバーに画一のものを押し付ける全体主義を批判
メンバーに自由がない
集団の外部からは、異様に見えるのです。「共生」の思想に違反します。集団内に種々の信念、学問解釈を許せば、一つの集団が、多様なものを外部に提供できるのです。企業で言えば、多種の製品を製造販売するか、単一の製品を売り続けるかにたとえられます。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4417
★小坂井敏晶氏
「重箱の隅をつつくことばかりに夢中」「哲学の議論や認識論の考察に耳を塞いではいけない」
「心理学は重心を失い、一貫性もなくなろうとしている。それぞれの分野ごとに固有の組織が生れ、その内部だけでしか通用しない理論枠に縛られている」「研究発表も内輪でしか行われない」
「自分の頭で考えることがない」「先入観を捨てない」「名誉白人症候群」(=舶来重視、日本のよきものをみず、欧米だけをみている)
日本の多くの集団で長老によるメンバーの自由の束縛、批判的学説の排除があり、その雰囲気を感じて自分がいじめられることを恐れて忖度し、いきがいは別のところに求めることが起きているかもしれません。
第一世代の「マインドフルネス」は、アメリカの一部の研究者から、社会問題を見て見ぬふりをすることを助長するおそれがあると、倫理的な批判があるそうです。日本では、そういう反省は起こらないのでしょうか。
西田哲学もフランクルも学問の装いによる還元主義、画一主義、全体主義を批判しています。こういうものが、大学で学生に、社会教育で国民におしえられれば、すこしは、日本の若手の学問が発達したかもしれません。
西田哲学が先細り、だそうです。確かに。若手の新説を許さず、いよいよ、日本の科学学問が衰退していくのでしょうか。
西田哲学は、自己の心理現象を観察してうつ病、不安症を「治療」する精神療法になるのではないかと研究しているのが、自己洞察瞑想療法、SIMTです。第4世代の認知行動療法の一つに該当します。(注1)。宗教的レベルまで西田哲学で記述してみたのが、拙著です。
大田健次郎(2022)『「死」と向き合うためのマインドフルネス実践』佼成出版社
がん患者はうつ病になり自殺も多いのです。がん患者のメンタルケアに活用したいと思います。上田薫氏は、西田哲学は種々の領域に活かせるはずだと思っておられるのです。政治にも経営にも学問にも、ハラスメント行為の批判のための教育、カルト宗教の被害防止にも、戦争殺戮の批判などにも。
うつ病が治らないと苦しいです。自殺も起きます。精神療法も研究して国民の生命を守れないものでしょうか。
(注1)
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5348
【関連記事】第4世代の認知行動療法、自己洞察瞑想療法
【関連記事】
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3032
★井筒俊彦の哲学と道元と西田哲学
この記事は次の一部です。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5450
【目次】西田哲学が先細り
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メディアの沈黙 [2023年10月08日(Sun)]
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禅、仏教の学者が深い仏教、深い禅哲学を否定、排除するのは残念 [2023年06月24日(Sat)]
禅、仏教の学者が深い仏教、深い禅哲学を否定、排除するのは残念
〜 国民の苦しみ悲しみの解決を妨害することになる
禅やマインドフルネスには、障害を負った人やがん患者の死との葛藤を乗り越える宗教的な苦悩とか、うつ病の人を改善に導くほどの観察手法もあります。学者が自分の学説を超えて貢献をしそうだと脅威を覚えるからといって、自分がそういうつらい状況でないからといっても、排除しないでもらいたい。難治性の苦悩(主に精神疾患)を持つ少数の人が救済を必要とするのです。苦悩する少数のひとへの共感をもってほしい。特に、学者に。学生に教え、著書を出版して影響が大きいので。
以前、倫理学の指摘がありましたように。
多種の支援者、支援法が共生すべきです。多数派の学説で、少数派の学説を「無用」と評価し、
排除するようなことはやめてほしい。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/4343
★倫理学―こう考え・行動すべきだ・当為の学問
障害を負った人が、つらくて死にたくなったが、深い宗教で救われた例として、星野富弘さんや三浦綾子さんを紹介している本があります。キリスト教で救われたのです。(「宗教を「信じる」とはどういうことか」石川明人、ちくまプリマ―新書)。
仏教や禅には、そういう深みはないでしょうか。仏教や禅の宗教者が、同じような苦悩をかかえた人を救済しないのですか。学者も、救済の哲学を読めないのでしょうか。仏教や禅は、救済できなくて、何を目指すのでしょうか。
西田哲学、鈴木禅哲学も、お二人ほどの苦悩をも救済できそうなほどに深くも見えます。日本の深い禅、大乗仏教を、実践化する「マインドフルネス」があっていいはずでは?
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5166
【連続記事】現実の世界は「無評価」ではない
自分さえよければいいいというエゴイズムの充満する社会、評価するされる世界で自己の意識をどう観察すればいいのか、そういう自己観察が社会を救う
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弱者に自由のない、民主主義の国、日本 [2023年05月19日(Fri)]
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(18)集団のトップが内外の人権を侵害
〜 専門家の倫理はいかにあるべきか(2) [2022年09月04日(Sun)]
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MF総研/大田
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