パニック障害が治った(2) [2006年07月20日(Thu)]
【(1)年】初夏 このころ症状が悪くなることもなくなった。実家の父が大手術を受けた。かなり難しく危険な手術だとドクターが言われていたので、覚悟する部分もあり、かなり精神的にこたえた。手術当日は、早朝の電車の中でパニック発作がおきないよう、呼吸法を実践して乗り切り、手術中も待合いで、いすに掛けた姿勢のまま瞑想していた。そのおかげで、大きな発作に悩ませられることなく、何とかもちこたえられた。 PTAの会合があり、自己紹介らしいことがあったが、以前のように、吐き気によって中座することもなかった。 【(1)年】夏 「もう何があっても大丈夫」というところまでは達していない。外出は、「やや億劫だな」と思うけれど、出掛ける。人前での発言は、「ドキドキするけど」、「あがっているからそれが周りにわかってしまうだろうけれど」取りあえず発言する、というところだった。動悸と緊張に対する嫌な感覚はまだ残っていた。 【(1)年】夏 カウンセリングに行った日は、外出不安が無い状態で行くことができた。この頃には、長年、悩まされていた下痢、頭痛がなくなった。スーパーでは、発作は起きない。吐き気が起きそうになると、呼吸法を行うと、発作にまでならない。だが、まだ、あまり外出しない。 【(1)年】秋 月1回くらいのカウンセリング。 この頃には、避けている場所は、ほとんどなくなった。だが、まだ、美容院と歯医者が苦手だった。発作がない時にもあった、下痢、頭痛、のどがつまった感じ、動悸、疲れやすさなどが解消した。 パニック発作らしきものは起こらずに済んでいた。「このくらいのストレスだと発作が起きるんだな〜」というレベルがわかってきたので、予測をつけて腹式呼吸を事前にしたりすることによって、防げているのだと思った。でも、この頃は以前に比べてそのストレスレベルが高くても大丈夫になってきた。 それまでは、急な仕事を受けると発作が起きるかもしれないという恐れから自信がなく、引き受けられなかったのだが、段々と自分に自信がもてるようになってきた。 【(1)年】秋 ほとんどパニックの症状が出なくなり、仕事の電話をもらって、商談に行くことになったが、以前、今年の3月にも同じように出掛けたときは、大変な思いで行った。今回はまるで正反対の、まるで鼻歌交じりの気分で商談に臨めた。自分の変化が本当にうれしかった。 PTAの会議(校長や教頭も参加)なども、以前のように苦を感じず、自分の担当部分の発言(少しだが……)も落ち着いてできた。 どこか体自体が不調だったり、天候の不順などで、「落ち込んでいるな」と思うことがあっても、そのときにもうパニックの症状は出なかった。 この年の晩秋に同居の義父が急に他界。ただ、そのショックも先生の的確な助言があり、末期的なパニックに陥ることなく切り抜けられたことは大変意味深いことであったと思う。 しかし、これを機会に忙しくなってしまい、通うことがほとんどできなくなったが、より一層信頼感を増したことは事実である。また、私自身、つまらないことで怒ったり、思い悩んできた性格であったことに思い至り、死生観なども全く別の視点で考えてみるきっかけとなった。
【(+2)年】春 従来、発作をおそれて、発作が起きるようになってから、家族旅行をしたことがなかったが、この年春、久しぶりに、家族で旅行に行った。発作は起きなかった。 生活上、仕事に専念しなければいけない状況などがあり、ほとんど先生のもとへ行けない状況であるにもかかわらず、教えていただいた呼吸法、自己洞察などを思い出しては時々実践し、それに基づいて内観を試みたりしていた。
すっかりパニックも出ず、自分の心の癖なども把握し、自分ではもう大丈夫だと高をくくっていたところ、ある人の思わぬ言葉による攻撃に遭い、またパニックが軽く再発(吐き気、動悸、冷や汗)、大変驚く。2、3日、怒り、嫌悪が渦巻き、外出したくなかったが、呼吸法を行って、落ち着き、2週間後には、その人とあっても、何ともなかった。 カウンセリングに行き、先生に話を聞いていただき、安心する(注2)。「まだまだ安心してはいけない」と、心を新たにした。 その後、呼吸法などを実践して、発作は起きていない。また、以前のような、回避する場所も、特にない。 (注)大田のコメント
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