人生における「意味」と「価値」(2) [2026年03月17日(Tue)]
ヴィクトール・フランクル
〜それでも人生には意味がある
〜人生における「意味」と「価値」(2)
テレビ放送の3回目のところで、フランクルの思想の「意味」を見ました。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5788
◆豊かさの中の「空虚」 〜「意味」とは
フランクルの理論を、次のように紹介しています。
「精神的次元の力を使って「意味ある行動」ができれば、 私たちの気持ちは満たされ、生きる意味を感じられるようになります。」(注1,p71)
「自分にとってだけ価値があることではなく、普遍的に、人類全体にとって価値のあることでなければ、ロゴセラピーにおける「意味」とは言えないのです。」(注1,p71)
西田哲学が同様のことをいう言葉を紹介しています。
西田哲学における「意味」と「価値」
第4世代の認知行動療法として位置づける「自己洞察瞑想療法」(SIMT)は、人生を生きていく上でつらい出来事、不快な出来事が起きるのは避けることができないから、そういうことが起きても、「価値崩壊の行動」をせずに、「価値実現の行動」を選択するように、その精神作用のトレーニングをします。そのように構成した実践を一年近く実践していると、うつ病、不安症、PTSDなどが完治する人がいます。SIMTの背景にあるのは、後期西田哲学の実践論ですが、それを具体化したものです。
西田哲学(後期)では、すべて人は、次の精神作用を用いるといいます。場所の論理で説明しています。浅い作用から順に、判断作用、感覚、思考(思惟)、意志作用、行為的直観、自覚的直観です。行為的直観まで宗教的でなく、すべてのひとが行使しています。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5807
【目次】図解〜自己の意識の働き(作用)
感覚、思考、意志作用は、総称して「意識」「意識作用」です。
西田哲学の原文をもう一つを紹介します。
「それでは価値的実在の世界とはいかなるものであるか。私はそれを行為の世界と考えることができると思う。意志の客観化せられたものが行為である、意志の対象となるものは行為そのものである、意志は行為そのものを目的とするのである、単なる客観的事実を目的とするのではない。意志が客観化せられるということは、意志の内容が叡智的自己の内容となることである。意識的自己は叡智的自己の影を映すものであり、意志に於いてはその根底に於いて既に叡智的自己が見られなければならぬ。しかし意志に於いては、なお、意識的自己の立場を脱せないが、行為に於いては、意識的自己が自己自身を失って叡智的自己の立場に入るのである。故に行為の内容と考えられるものは、すでに叡智的ノエマの内容でなければならぬ、それが価値意識の対象と考えられえるゆえんである。」(『自覚的一般者に於いてあるもの及それとその背後にあるものとの関係』西田哲学旧全集5巻p338、岩波書店)
フランクルと西田哲学は類似します。フランクルは、精神の働きで、その人独自の「意味ある行動」をとります。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5791
★精神、意味ある行動
西田哲学では、「意味ある行動」のことを「価値実現の行動」といいます。同じことを言っているようです。「価値実現の行動」をする作用を西田哲学では「行為的直観」といいます。この時には、その行動の内容に専念するので、遂行している「自己」が意識されません。このことを、フランクルは「精神的無意識」といいます。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3194
★フランクルの「精神的無意識」
「無意識」というと、失神しているような響きがありますが、全く違います。人の働きには、3つの局面が議論されます。
1)働き(作用)=働き、そのもの。見る、聞く、考える、など。
2)内容(対象)=働きが作りだすもの。映像、音、思考が作る概念・思想など。
3)主体=作用を起こすもの。通常、「自己」という意識。
ゆっくりと、見たり、聞いたり、行動したりしている時に、「自分」がそうしているかのように意識されますが、それが「主体」です。
しばしば「自分が生きているような」感じをすることができます。主体です。自分が生きている、見ている、聞いている、という感じ。
行為的直観(フランクルの「精神作用」)の真っ最中は、「自己」「自分」が意識されない、というのが、人間共通のありさまだということです。これをフランクルは「精神的無意識」というのです。
「死」の不安、「死」の恐怖は、この「生きているという感じ」がしている主体が消滅するのだということです。初期仏教の六道輪廻や現代のカルトが脅かすのは、この意識される「自己」を「魂」といい、肉体が死んでも「魂」は、地獄や天国にいくという思想です。西田哲学には、そのようなものはありません。
以上のことを前提にして、上記の西田哲学の文を読むと、次のような趣旨です。
価値実在の世界は、自己が行為する世界である。この行為は、価値への行為。意志は、自己が欲求を起こして「目的」を達成するために行動する。目的が達成されると、世界にその状況が出現する。そのことを「意志の客観化されたもの」といっている。
「意志の客観化」せられたものが行為である、意志の対象となるものは行為そのものである、意志は行為そのものを目的とするのである、単なる客観的事実を目的とするのではない。
「単なる客観的事実を目的とするのではない」というのは、自分が価値あるとみなして欲求の対象となったもの。自分の関係ない事実ではない。
価値への行為に移ると、「意識的自己が自己自身を失って」、すなわち、行為そのことに専念するので、行為につれて変化していく内容・対象だけを意識していて、「作用」も自己も意識されない。そういう行為を行為的直観という。その行為が終ったあと、反省すると、「今の行為は自分」が行為したものだという感じがする。それを「叡智的自己」という。
そのような、自分が選択した人生の価値への行為の内容を「叡智的ノエマ」という。つまり、行為のまっさい中は、仕事そのものなど(ノエマ)だけが意識されており、作用(行為的直観)も自己(主体)も意識されない。
「価値」は自分が選択した仕事や家族(配偶者)などを遂行していくことで、満足、幸福を得るものです。だから、精神療法としては、次のことがいえます。
患者が、何かのきっかけで「価値実現の行為」ができない精神状態になっているのです。
(そこには、脳神経生理学などで説明出来るような事態(たとえば、前頭前野の機能低下など)も起きているかもしれない。外から観察される状態としては、価値の実現を妨げる症状、回避、逃避、自傷、依存、希死念慮などがみられる。本人は、苦痛を感じている。)
うつ病や不安症などを「治療」する精神療法として、認知行動療法(CBT)があるが、認知のしかた、行動のしかたを変えることによって、症状や価値崩壊行動が改善するのです。
SIMTの場合には、西田哲学の「価値実現への行為」、すなわち、行為的直観へのしかたを習得できるようにトレーニングを構成して、患者に実践するように指導したところ、症状や問題行動が改善したのです。この日々の繰り返しの実践が脳神経に影響したのだと推測しています。価値崩壊の行動ではなくて、価値実現の行動をとることを前面にした、どちらかというと「行動を変える」ことを中核にした「行動療法」になると思います。
「無評価で観察のマインドフルネス」をとりいれた認知行動療法(CBT)を、第3世代の認知行動療法(CBT)といいましたが、SIMTは、それを超えた認知行動療法ですので、第4世代認知行動療法(CBT)に位置づけます。第4世代CBTは、SIMTに限りません。アメリカの精神科医は、第2世代までの認知行動療法では治らない精神疾患が多いので、「マインドフルネス」に期待したのです。開発されたものを第3世代CBTと総称しましたが、アメリカの人たちも第3世代のCBTの限界と欠点がわかり、批判も起っているので、第4世代のCBTを模索中でしょう。
ここでも、「マインドフルネス」の視点からは、日本は遅れるのでしょうか。
◆ロゴセラピーの専門家にお願い
フランクルの哲学と西田哲学はほぼ同じですが、ロゴセラピーと自己洞察瞑想療法SIMTは、精神療法としては異なる様相をみせています。日本ではフランクルのロゴセラピーの専門家が多いようですから、ロゴセラピーとSIMTを融合させれば、自殺をもたらすうつ病について、非常に治療効果の高い精神療法ができるかもしれません。SIMTの専門家は非常に少ないので、ロゴセラピーの専門家にも研究開発していただきたいです。うつ病の治療法が十分でないことは、世界的な問題ですから。
【注】
(注6)SIMT=Self Insight Meditation Therapy。自己洞察瞑想療法。 公刊された書籍は、3つです。ほかに、マインドフルネス瞑想療法士の 講座に使用されるテキスト が多数あります。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5348
★自己洞察瞑想療法、SIMT ブームになった「マインドフルネス」(第1世代マインドフルネス)とは、違います
(注7)ブームの「マインドフルネス」は、各人の意味、価値の場面での観察ではありません。「無評価」ですむ、瞑想時、歩く時、食べる時です。「身体」レベルの浅い意識の「自己距離化」です。「自己超越」の場面が多い人生局面では、できません。外国では、社会問題の見てみぬふりの助長など批判が起きています。この放送の第3回目のロゴセラピーの説明(自分を見すぎるな)を見ても、そのような印象を受けます。それを知ったうえで、限定した場面だけで行うべきです。
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5750
【目次】ヴィクトール・フランクルと後期西田哲学の実践論
〜それでも人生には意味がある
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Posted by
MF総研/大田
at 16:18
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マインドフルネス心理療法
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