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ヴィクトール・フランクル 〜 家族の愛 [2026年03月04日(Wed)]

ヴィクトール・フランクル
 〜それでも人生には意味がある

第6回 人生の中の出逢い  〜 家族の愛

 3月22日、フランクルのテレビ放送の第6回は「人生の中の出逢い」です。

 この最終回の主なテーマは、夫婦の「愛」です。人間同士の「愛」にも、3つの次元があるという教えです。

 「ロゴセラピーの理論で言えば、愛もまた、心と体と精神の3つの次元に分類されます。 身体的次元の愛は、肉体関係だけに満足を求めるもの。心理的次元の愛は、「話していて楽しい」とか「遊んでいて面白い」などという快楽だけを満足させるためのものです。この二つの愛は、相手の心と体がなくなれば、消えてしまいます。」(注1,p148)

 フランクルのロゴセラピーでは、夫婦の愛の尊さ、力強さを教えてくれます。それに対して、日本の哲学ではどう教えているのでしょうか。これを西田哲学(後期)的に、整理する必要があると感じています。

 後期西田哲学では、自己の作用には、判断作用、意志作用、行為的直観、自覚的直観の次元があります。自己の階層では、判断的自己、意志的自己、叡智的自己、創造的自己の階層です。

 宗教者同士ならば、夫婦の愛は、互いが根底に超越(絶対)を持つ、絶対の他でありながら、「この私を愛する唯一の人間」です。このような奇跡的な出会いは、めったにないのです。宗教者同士ならば、その尊いことは理解しあえるでしょう。しかし、そういう出会いの問題は多くは生じません。

 多くの人が「愛」で苦悩するのは、フランクルの「精神」次元です。それに該当する西田哲学(後期)では、どう説明されるのでしょうか。宗教(超越)次元でない患者の「精神療法」の領域ならば、夫婦の愛も、行為的直観、叡智的自己になります。それで説明しないと、宗教的となり、クライアントが理解できないひとがいるでしょう。

 この問題は、うつ病、自殺対策、孤独・孤立対策からも非常に重要です。「愛する人」を失って、うつ病になる人、後を追うように自殺するひとがいるからです。「愛する人」の死が近いとして、苦悩する配偶者がいるからです。

 また、力ある者が、身体次元の欲望によるハラスメント行為によって、被害者の夫婦の尊い愛を破壊してしまう犯罪が多いからです。被害者を自殺においつめるかもしれません。

 こういう人々のうつ病、自殺を防止するのも「精神療法」の重要な使命でしょう。

【注】

(注1)NHKこころの時代 テキスト 『ヴィクトール・フランクル 〜それでも人生には意味がある』勝田芽生、NHK出版

(注2)大田健次郎(2013)『うつ・不安障害を治すマインドフルネス』佼成出版社
SIMT:Self Insight Meditation Therapy(SIMT)、自己洞察瞑想療法

(注3)大田健次郎『「死」と向き合うためのマインドフルネス実践』佼成出版社

(注4)NHK E テレビ「100 分 de 名著」、『ヤスパース哲学入門』戸谷洋志

(注5)フランクル『人間とは何か』山田邦男監訳、春秋社

(注6)山口尚『幸福と人生の意味の哲学』トランスビュー

(注10)フランクル『識られざる神』佐野利勝・木村敏訳、みすず書房

(注11)竹内綱史「ニーチェ哲学における良心という問題」(『宗教哲学研究(第20号)』北樹出版

(注12)後期に属する西田哲学の論文が「実践哲学序論」、および、「ポイエシスとプラクシス」にまとめられている。 →
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3582
https://blog.canpan.info/jitou/archive/3329
★後期西田哲学の実践論

(注13)フランクル『意味への意志』 山田邦男監訳、春秋社

https://blog.canpan.info/jitou/archive/5750
【目次】ヴィクトール・フランクルと後期西田哲学の実践論
 〜それでも人生には意味がある
Posted by MF総研/大田 at 10:51 | マインドフルネス心理療法 | この記事のURL