宗教への扉を閉ざさないフランクル [2026年02月17日(Tue)]
ヴィクトール・フランクル
〜それでも人生には意味がある
第5回 「何か」に支えられて
〜 フランクルの超越、ヤスパースの包括者(5)
フランクルのテレビ放送の第5回は「「何か」に支えられて」です。フランクルの放送は、22日(日曜日)で、ヤスパースの放送は、23日(月曜日)ですが、先回りして少し読み込んでみます。放送が理解しやすくなるかもしれません。私(大田)は、この二人の超越、包括者は、西田哲学の絶対無、絶対的一者と同じことをさしているような気がします。
◆宗教への扉を閉ざさないフランクル
フランクルは精神科医ですから病気を治す「治療」の方法をすすめるのが、その国の法律の要請でもあり、精神療法と宗教による信仰との境界を厳密に区別するように努めています。そして、宗教が必要な状況の人も多いので、精神科医が、宗教への扉をふさいではいけないといいます。
「なによりもまず精神療法の一つの方法としての実存分析の仕事は、いわば内在性の部屋を整備してやることに尽きるのでありますから。もちろん、その場合超越性への扉を閉ざしてしまうようなやりかたをするのでないことは、いうまでもありません。」(注10,p153)
「実存分析そのものが人間を運んで行きうる行く先は、決して窮極の停留所、つまり終着駅ではありません。しかし・・・人間はこの実存分析の着駅から、超越的なるものに向かう「直行列車との接続」を利用することもできるのであります。何故ならこの駅はとにかく絶対者行きの「線上に」あるわけですから。」(注10,p154)
フランクルによれば、宗教は病気を治すことではなく「心の浄福」(p103)です。この場合のクライアントは、終末期が近いと意識して苦悩するがん患者や不治の病気をかかえているかもしれません。身体障害や精神障害とされて、現在では回復不能とされた障害が起きる場合もその人は苦悩します。そのような不治とされる病気や障害を「治す」のではなくて、苦悩する心を癒す支援が必要です。そういうことが「心の浄福」でしょう。これが不十分であると、うつ病を併発して、自殺も起こります。たしかに、日本でも必要です。
がん患者や突然の事故で起きた障害のように、もう治るみこみがないと医師も認められた人は、治らない苦悩や死の恐怖の「精神的な苦悩」をかかえます。がん患者の自殺が多いことがその証拠でしょう。日本でも、こういう患者の精神を癒す支援が必要なのではないでしょうか。
フランクルは、宗教が重症の病気の患者の「心の浄福」を通して、自殺防止に貢献できる事を理解しています。
しかし、日本の宗教の学問は、国民にそれを教育しているでしょうか。日本の一部の宗教は国民の「心の浄福」
には、ほど遠いようなものが大学における学問の名において擁護されているものがあるのではないでしょうか。公共的な使命がある大学でなく教団内でなら、何を教育してもかまわないとは思いますが。
日本で、自殺が多いのは、大学における宗教の学問が宗教の深さや宗教の誠実さを教育しないために、国民が精神療法的な救いも誠実な宗教による救い(心の浄福)も知らないことも大きな要因の一つではないかと思います。
フランクルは、学問に対する疑問も述べています。
次に見ていきます。
【注】
(注1)NHKこころの時代 テキスト 『ヴィクトール・フランクル 〜それでも人生には意味がある』勝田芽生、NHK出版
(注2)大田健次郎(2013)『うつ・不安障害を治すマインドフルネス』佼成出版社
SIMT:Self Insight Meditation Therapy(SIMT)、自己洞察瞑想療法
(注3)大田健次郎『「死」と向き合うためのマインドフルネス実践』佼成出版社
(注4)NHK E テレビ「100 分 de 名著」、『ヤスパース哲学入門』戸谷洋志
(注5)フランクル『人間とは何か』山田邦男監訳、春秋社
(注6)山口尚『幸福と人生の意味の哲学』トランスビュー
(注10)フランクル『識られざる神』佐野利勝・木村敏訳、みすず書房
https://blog.canpan.info/jitou/archive/5750
【目次】ヴィクトール・フランクルと後期西田哲学の実践論
〜それでも人生には意味がある
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Posted by
MF総研/大田
at 08:56
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マインドフルネス心理療法
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